こどもだと思ってなめてはいけない。生育環境にもよるがこどもの味覚は素晴らしい。大人は様々な調味料や長年の経験、知識という遺産を体に蓄積しているため、純粋に体が欲しているものかどうか?の判断がつかなくなることがある。特に「これは健康に良い」とか「この
大人の感覚でつい怒ってしまって反省。。。褒め殺しではないが、「もっとこうしてくれると嬉しいなぁ」とか「助かるなぁ」という言葉には思い切り反応する。こどもも人の子・・・そのまんまだ(笑)・・・「ダメダメ」「こら!」と言われていればやる気も失せる。
今年は例年にはない早さで年賀状を書きあげた。親が真面目にやるとこどもも真面目にやる・・・これまでは親がふまじめだったのか・・・と反省。。。こどもっていかに「その気にさせるか」次第のようだ。まぁ、大人も同じだけど大人は妙な勘ぐりや疑いがあるから
具体的にという前提ではあるが、子供は褒めると俄然やる気を出す。やる気があれば大概のことはある程度できるようになる。ほんの些細なことでも十分だ。些細というのは大人の常識でしかない。子供にはその常識の概念が無いのだから。逆に何でもかんでも怒っていると
「ソーチキつけてソーチキつけて」・・・・・テレビをよく見ている方は直ぐにわかると思うが「ホーチキつけてホーチキつけて」のCMだ。「ホーチキ(火災報知器)」という言葉を知らずにあのCMを見てると「ソーチキ」に聞こえるということに気がつかされた。子供は面白
両親のどちらかの性質を引き継いでいることを忘れてはいけない。また、日常生活の中で様々なことを学習もしている。すべては親や家庭環境に依存しているのである。子供を怒る前に胸に手をあてて自らの言動を振り返ってみよう。少なからず、否、間違いなく子供の言動
つい感情にまかせて怒ってしまう。義憤、公憤ではない怒りには人の心を動かす力は無い。込み上げる怒りを一瞬ぐっと飲み込み、代わりに褒め言葉や前向きな言葉を用いて提案をすると、不思議と子供は素直に動き出す。子供の記憶力は驚異的だ。嫌なことは次から右の耳か
風邪をこじらせ朝起きるのが辛かったこともありしばらくの間は朝寝坊していた。少し体調が回復してきたので子供を誘って散歩へ。これまでは子供が寝坊していたのだが今朝は自分が寝坊してしまった。。。いかんいかん。久々の散歩、朝日を浴びて澄んだ空気を吸いながら
選挙には毎回家族揃って行っている。子どもには選挙が何かは説明しているが、誰かを選ぶこと以外はよくはわかっていないようだ。で、今回の都議選では誰にするのか???と毎回しつこく聞いてくる。何でだろう?と思い聞いてみたが要領を得ない。ただ単に自
最近「おやっ?」ということがあった。一瞬、相手の様子を見て答えていることがある。「こういった方がいいかな?」とでも思っているのだろうか。その後、続けざまに「へぇ~そうなんだ~。なんで~?」と聞くと決まって答えに詰まっている。と、あまりあからさ
いつも怒った後にフォローはしていたが、今回は怒る前に自分が誤ってみた。動機は夜にこれ以上揉めるのは面倒で寝付きも悪くなりそうだからという不純なものだったが、思わぬ反応があった。パパは悪くないよ。だって・・・だからという本質をズバリ指摘する一言。子供
個性を重視するため?というもっともらしい言い訳で学校教育で順位を着けないのが流行っているとかいないとか。実社会では常に勝負。順位を争うことは避けて通れないのがビジネス社会だ。であれば、勝敗へのこだわりと負けた際の精神的な壁の克服を小さい時から学んで
お隣りさんとの約束30分前から行く気満々。両親の心配などどこ吹く風状態で一安心だ。育児教室で母親と離れるのが嫌だと泣いていたり、登園拒否をしていた年中の時の壁を自ら乗り越えたからか、小学校では入学式、子供だけでの登校初日と心配は杞憂に終った。直ぐに手を
子供が通う小学校は縦割りで様々な学校生活を送るそうだ。掃除や給食、お祭りなどのイベントやオリエンテーションなど、一年生から六年生を縦割りにしてグループ活動を行うそうだ。テレビゲーム全盛で、一人遊びや仲の良い同級生2~3人としか遊ばないような時代の中で、
子供は小学校、自分は通信制の大学に揃って入学。子供と二人で学生生活開始だ。今の小学校の実態がどのようになっているのかはわからないが、次世代を担う人材となる子供達の教育において知識詰め込み型からの早期脱却は願いたいものだ。しばらくは子供と同じ土俵で競争
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