自然素材を使った和雑貨のお店。土ものの陶磁器のほかに古布、骨董、木工品などが置いてあります。時折、展示会も行っています。かなかなホームページhttp://www1.ttcn.ne.jp/~kanakana/ブログhttp://blog.goo.ne.jp/kanakana
弥生美術館は、昭和59年(1984)6月1日に、弁護士・鹿野琢見によって創設されました。昭和4年、9歳の鹿野少年は、当時一世を風靡していた挿絵画家・高畠華宵が描いた一枚の絵「さらば故郷!」と出会い、深い感銘を受けました。少年時代の一枚の絵との出会いから
鴎外記念室の正門となる団子坂の方の入口。藪下通りの方の入口。鴎外が住んでいた頃は、こちらが正門として使われていました。この記念室は、森鴎外(本名・森林太郎)が明治25年から大正11年7月9日60歳で亡くなるまで30年間住んでいた家・観潮楼跡にあります。代
日本画家、横山大観(1868~1958)の住居でした。昭和33年(1958)2月に90歳で没するまで、ここで数多くの作品を制作しました。心の安らぎを感じられる美術館として、建物の雰囲気を生かし、軸装の作品はそのまま床の間にかけて展示されています。また、靴を脱いで入
朝倉彫塑館は、彫塑家朝倉文夫(1883~1964) が住居兼アトリエとして自ら設計・監督をして建設されました。西洋建築(鉄筋コンクリート造り)のアトリエ棟と、竹をモチーフとした日本建築(数奇屋造り)の住居棟で構成されています。作品はもちろん、中庭・屋上など
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千駄木駅を出て、三崎坂の方へ向かうとすぐに小さな辻があります。ちょうど文京区と台東区との境界になっています。その辻が、藍染川に架かっていた合染橋跡(藍染橋、琵琶橋とも呼ばれました)です。この辻を、谷中の方へ向かえば「谷中よみせ通り」で、根津の方へ
藪下通り、観潮楼前にある「舞」。文京区制45周年を記念して行われた「彫刻のあるまちづくり」の一貫で設置されたといいます。作者は、一色邦彦氏。もちろん、「舞」は、森鴎外の「舞姫」から。しかし、一色氏は、小説の内容にとらわれるととなく自由な発想で
善光寺坂下の煎餅の昔せんべい大黒屋から緩やかな坂を登り、坂上に坂上に達すると、左手に一乗寺が見えてきます。元和年間(1615-24)創建。昔は、谷中のお化け松の呼び名の老木があったそうですが、今は面影もありません。寺の右手には江戸中期の儒者太田錦城の墓
5/27(日)のてくてく文京で、富士神社に立ち寄り。てくてく出発前の本郷図書館で、「一富士、二鷹、三茄子」という言葉の発祥は、この駒込辺りとレクチャーを受け感銘。富士は、もちろんこの富士神社。鷹は駒込病院あたりにあった鷹庄屋敷、茄子は駒込の名産だっ
インターネットで調べものをしていて、偶然見つけた「てくてく文京」。その「てくてく文京」に、5/27(日)11:00~参加。参加者は、おたまを入れて5名。「てくてく文京って何?」「どうして、図書館から始める街歩きなの?」「誰が主催なの?」こん
地下鉄根津駅から上野桜木方面に向かう言問通りの坂を善光寺坂とも言います。信濃善光寺の出張宿院で同名の尼寺があったことにちなむそうです。その言問通りにあるおせんべいやさん。この日も、谷根千散策中のお嬢さんたちが、楽しそうにのぞき込んでいました
谷中へお買い物に行って、時間があったのでプラプラとお散歩していました。日暮里駅から千駄木方面へ御殿坂を上って右の路地へ入ると、美容室が出現。今まで気がつかなかったサユリ美容室。「営業中」??どう見ても民家にしか見えませんでした。どんな
根津神社裏門から団子坂へ向かう「藪下通り」。多くの文人たちが、森鴎外の観潮楼へ向かった道でもあるんです。写真右手のフェンスで辺りで、パッと視界が開けます。フェンス下には、今は汐見小学校と第8中学校があります。昔は笹藪で、道幅も狭かったそう
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