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時のうねりのはざまにて https://blog.goo.ne.jp/sagami2985/

源平期の自作小説やその時代に関して思いついたことを書かせていただいています。

小説  鎌倉勢遂に平家と全面対決。 一の谷の戦いに突入!

さがみ
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2007/01/14

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  • 総目次

    蒲殿春秋(六百三)10/31up強運の左大臣8/26upこのブログの構成小説蒲殿春秋目次1目次2目次3目次4目次5目次6蒲殿春秋解説目次源平時代のたわごと目次この時代に関すること等の個人的なつぶやきです日記・軍記物目次この時代を描いた軍記物や日記等の古典・原典に関するあれこれです年表一覧用語解説地図系図目次参考資料短編小説(別ブログへ移動します)他の項目も目次作成中です。↑ブログランキングに参加しております。お気に召しましたら、クリックお願いします。m(--)m(記事末尾にもバナーが置いてあります)クリックして開いた画面上では色々な方のブログが沢山紹介されています。コメントは総目次の記事には投稿できないように設定させていただいております。お手数ですが各記事のほうにコメントをお願い申し上げます。総目次

  • 謹賀新年

    あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。平成26年1月2日さがみ謹賀新年

  • 蒲殿春秋(六百三)

    一方源範頼はその軍勢を増やしながら都へと進む。ここまで軍勢が増えると先頭から末尾まで通り過ぎるまでにかなりの時間がかかる。休息も一所で済ますわけには行かなくなる。途中先遣隊をやって休息させる場の確認をしなければ休息の一つもさせることができない。尾張の熱田に入った範頼は和田義盛を呼び寄せた。「間もなく畿内に入るが大丈夫であろうかのう?」「大丈夫とは?」「知っての通り先般伊賀伊勢で反乱が起きた。忠清法師が行方をくらませたとも言われておる。我らが畿内を通る際に襲い掛かりはしないだろうか?」「確かにその懸念はございますな。」と和田義盛は答える。そのような会話を交わす二人の元に朗報が入る。都にいる義経の手配でこの反乱に加わっていたと見られる平信兼父子が打ち取られたというのである。範頼と義盛は大きく頷いた。その後軍議が開か...蒲殿春秋(六百三)

  • 蒲殿春秋(六百二)

    検非違使に任ぜられた源義経は前にもまして多忙な日々を送っていた。都の治安維持を図るのはたやすいことではない。さらに義経にはさまざまな相談事が寄せられる。土地の訴訟、新たに畿内にやってきた御家人と荘園領主とのいさかいの仲介果ては、貴族の邸宅の清掃の手伝いの依頼まで寄せられる。そのような義経を支えるのに文官が必要になるのであるが、実務に長けた文官を呼び寄せる人脈は義経には足りない。ただ、義経には鞍馬で修行していたという経歴がある。鞍馬は比叡山の末寺である。義経は鞍馬を通じて比叡山に通じる人脈を持っている。比叡山は多数の荘園を抱え、その荘園の諸問題を解決する能力に長けた僧侶も存在する。そのような僧侶たちがが義経の足りない人脈を補っている。今日も義経は数々の訴訟に追われていた。激務の中多数の訴訟をこなす義経には疲労の色...蒲殿春秋(六百二)

  • 蒲殿春秋(六百一)

    範頼軍は進む。西へ進む旅に軍勢の数は膨らむ。範頼の手元には名簿の数が膨らんでいく。その様子を二人の郎党が眺めている。「おい吉見次郎」「なんだ当麻太郎」「やけに今回は集まりがいいなあ。」「そうだな。木曽攻めや一の谷の時はあまり人がいなかったし、出てくるやつはどこか面倒臭そうな顔してやってきていたよな。」「そういえば、此度はみな明るい顔をして出てきてやがる。しかも一門兄弟多くそろえてきてやがる。」そんな二人の会話をそばで範頼と和田義盛が聞いている。「やはり、蒲殿のご郎党も此度の出陣の皆の意気込みの違いを感じておられる。」と和田義盛は言う。「和田殿もそう思われるか?」「さよう。前回の出陣は、出陣の支度の大変さや遠くへ行くことを渋っているものをなだめすかしながらの出陣でござった。だが、今回は違う。皆喜んで出陣したがって...蒲殿春秋(六百一)

  • 蒲殿春秋(六百)

    頼が相模国で夜空を見上げていたその頃、都ではその異母弟が憂鬱な表情を浮かべていた。その異母弟ー源義経はこの日検非違使左衛門少尉に任ぜられた。その晴れがましさとは対照的な表情を彼は浮かべている。「困った」と義経は言う。傍らに控える弁慶はその主を怪訝な顔をして見つめる。端正な顔を曇らせながら義経は不安を口にする。「私は宮廷の作法を知らずにここまで来た。この官職を受けてしまって勤まるのであろうか?」傍らに控える小太郎という雑色が答える。「ご心配あそばされますな。鎌倉殿が万事支えてくださいまするゆえに。」「しかし、此度はあまりにも早急な任官ゆえに兄上に知らせるのが遅くなってしまった。兄上へ気にしておられないだろうか?」「いえ、さほどのことはございますまいに。鎌倉殿は先の戦の任官に九郎殿を任官させることができなかったのを...蒲殿春秋(六百)

  • 蒲殿春秋(五百九十九)

    紺村濃の直垂に小具足姿の範頼は兄頼朝から賜った名馬にまたがり鎌倉を立った。彼のすぐ後には和田義盛が続きさらにその後に足利義兼、武田有義、三浦義澄などの名だたる武将が続く。各武将が出立すると鎌倉の近くで待機していた配下の兵たちが合流しその軍勢は数を増しながら東海道を下っていく。正午に鎌倉を出立した一行であるが、さほど進まぬうちに日は傾いていく。範頼は和田義盛を近くに呼び寄せた。「今宵の宿営は整っておるか?」と尋ねる。「既に先遣のものが支度しておりまする」と和田義盛は答える。範頼はその答えに満足した。そういっている間にも軍勢は人を吸い寄せてますます増えていく。一人の武将が出陣すれば多くの郎党が従い、武将や郎党たちには下僕が数人従う。さらに、荷駄を担ぐもの、城郭を築いたり敵の城郭を壊すものなども従い一人の武将には数多...蒲殿春秋(五百九十九)

  • 蒲殿春秋(五百九十八)

    一方その頃都はいまだに不安のまったっだ中にあった。伊賀の平氏の反乱は先日鎮圧されたものの、その残党の行方は杳として知れずそのことが都の人々の心に影を落とす。また、現在四国の讃岐屋島にある平家の勢いは次第にその力を増してきている。都の治安は相変わらずよろしくない。そのような不安を取り除くかのような盛儀が七月末の都で執り行われた。元暦元年(1184年)七月二十八日後鳥羽天皇の即位の礼が行なわれた。即位の礼には三種の神器が必要なのであるが、後鳥羽天皇は神器なしという異例の御即位を遂げられた。三種の神器は未だ四国屋島におわす安徳天皇のもとにある。この事態はいずれ収拾されねばならないと朝廷の人々は思っている。三種の神器は安徳天皇報じる平家の手中にある。その平家は和議には応じない。ならば力ずくで奪還するしかない。その奪還者...蒲殿春秋(五百九十八)

  • 玉葉 強運の左大臣

    久々の更新となります。久しぶりに「玉葉」を読んでいたら面白い記事にあたりました。元暦二年(1185年)二月十一日条「(前略)伝え(聞く)去日左大臣家より追い入るの事あり。犯人二人かの家中の於いて自殺そ了んぬ。左大臣逃げ去るの間、件の犯人その首を切らんと欲す。而り脇戸をこらしその身に及ばずと云々。希有中の希有の事なり。」ここで出てくる左大臣は藤原(大炊御門)経宗。左大臣は現在でいういところの総理大臣兼衆議院議長といったお偉いさんです。*そんなお偉いさんの左大臣の邸宅に賊が入り込んでその邸宅の主左大臣を殺そうとして犯人がそのお屋敷の中で自殺する、という物騒なことが起きたんですね。殺されそうな左大臣は必死に逃げた、と。*左大臣より上位の摂関は天皇の政務代行or相談役で議定に参加できず太政大臣もお飾り的なもんだたようで...玉葉強運の左大臣

  • お久しぶりです

    長いこと更新がストップして申し訳ありません。いろいろ多忙で更新がままならない状況が続いておりました。小説もどきの続きを書くのはもう少し後になりそうですがとりあえずいったん更新をさせていただきます。お久しぶりです

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