ビックコミックオリジナルは先号、今号とセシルの女王が休載なので少々残念です。深夜食堂も休載でした。卑弥呼がちょっとわからないストーリーになってきてしまいました。【7月19日】
引き続き千葉一族の歴史を読んでいます。千葉県に住んでもいない限り、千葉一族に興味を持つことはないと思うのですが、本当に全国に系譜や伝承が広がっていることがわかります。前5千円札の新渡戸稲造も千葉氏の末裔だそうですよ。【6月30日】
千葉常胤は千葉六党と呼ばれる本宗家と庶流を生みました。本宗家は北条氏についていたので、小田原合戦で秀吉に敗れ滅亡しましたが、三党は大名として残ることができました。一つは名前を伊達と変えて伊達家の重臣として大名になり、一つは相馬中村藩として伊達に対峙しつつ大名となり、一つは東氏の流れをくむ郡上八幡で初代の藩主となった遠藤氏で、藩主の妹は有名な山内一豊の妻となりました。その他には徳川の重鎮土井利勝が佐倉藩主となってから旧千葉氏の一族は仕官がなり、身と徳川家も積極的に千葉氏を引き受けたのですね。【6月29日】
桓武平氏の流れをくむ千葉氏は千葉常胤の時に大きく発展します。常胤は頼朝に大きな信頼を得て父のように慕われたそうです。常胤は多くの庶流を生み、日本各地に領地をもらい、のちにそこに土着するようになります。土着した先でも千葉氏はそれなりに繁栄をして、へえという感じです。【6月28日】
鎌倉時代から戦国時代まで存在感があった千葉氏のことを読んでいます。ずばり、千葉一族の歴史です。千葉氏は桓武平氏の流れで、平姓を桓武天皇からもらった高望王(桓武天皇の孫、または曾孫)は平高望と名乗りました。桓武天皇には大勢の子供がいたので、高望王は将来の出世や収入が望めないと考えて、臣籍降下し関東に下り関東を地盤として栄えたということです。その子は8人兄弟ですが、平良文の流れが千葉氏の流れになります。ちなみに良文の兄である良将は将門の父です。【6月27日】
雑誌東京人が江戸川乱歩邸の特集をしていたので読みました。江戸川乱歩邸は池袋の立教大学の敷地にあります(邸そのものが立教大学に譲られました)。大正関東地震の頃に作られた家なので痛みが激しく、大改修が行われこの5月に完成しオープンされました。有名な土蔵の書庫は外からしか伺うことはできませんが、住まいの方は尋ねることができます。色々な乱歩にまつわる話も載っていて面白かったです。ちなみに、乱歩の孫の平井憲太郎氏は鉄道模型雑誌とれいんの代表者です。【6月26日】
図書館の書棚を眺めていたら地下水の本。ちょっと面白そうだったので借りてきました。地下水・湧水の疑問50というタイトルです。水は淡水と塩水がありますが、淡水は2.5%でしかなく、そのうちの70%は氷河などの氷で人類の利用できる水の99%が地下水だそうです。地下水はどこからくるのか、どこへ行くのか、どこにあるのか、地下水の全てが書いてあります。【6月25日】
知行取り以下の武士は拝領屋敷を分割して借地経営や畑を作ったりしていましたが、大岡忠相(大岡越前守)の与力の屋敷を借地した一人の儒学者が青木昆陽で、それが大岡の知るところとなり、そのことでサツマイモが関東に広まることになったのだそうです。維新後の徳川家は800万石から70万石の静岡藩に縮小されましたが、3万人近い幕臣は新政府に仕えるか、自分で商売農業をするか、無報酬で静岡藩に仕えるかと選択があったのですが、思いの外に新政府に仕えるものが少なく(武士の意地ですな)、さりとて静岡藩も5000人ほどのお抱え余力しかなかったので、大変だったそうです。「鬼平の給与明細」安藤優一郎ベスト新書【6月24日】
江戸時代の武士の給与模様が書かれた鬼平の給与明細を読んでいます。鬼平(長谷川平蔵)は池波正太郎の小説で有名ですが、どのような所得があったのかは作品には書かれていません。平蔵の父親は大阪西町奉行まで進みましたが、ある意味でできる人だった平蔵は妬まれたのか火盗改メまでしか進めませんでした。時の老中首座松平定信の覚えも悪かったようです。平蔵は小説にもあるように若い頃はヤンチャな遊びで江戸下町界隈をならしていて、その経験で悪世界を知っていたというのは事実のようです。金も使い方を心得ていたようですが、さすがに破産寸前までいったようです。でもうまく乗り切ったのは事実らしい。平蔵は旗本の中でも決して石高の多い人ではありませんでした(400石)。それでも知行取り(領地を持っていた)だったのでうまくやって行けたのですが、そ...【6月23日】
一昨日届いた(街の本屋さんではなくアマゾン)ビックコミックオリジナルを読んでおりました。太田垣康男のSFが面白かったです。現代の司法調査官が江戸時代にタイムスリップした公事師の弁も面白くなってきました。【6月22日】
地上に星座をつくるは石川直樹が雑誌新潮に毎月掲載したエッセイで、2012年から2019年までのものからセレクトされています。ヒマラヤとカラコルムに通い、8000m峰全座登頂したのは記憶に新しいです。ユーコン川をカヌーで下ったり、北海道の流氷がオホーツク海で生まれるところを見に行ったりとなんでも見てやろうという精神が旺盛です。子供達と写真を通しての交流を深めることもやっています。写真でも土門拳賞を受賞しています。ヒマラヤでの目標が一段落して、これからの行動に注目する写真家です。「地上に星座をつくる」石川直樹新潮文庫【6月20日】
南アルプス北岳と仙丈ヶ岳の間の谷を刻む野呂川に両俣小屋があります。一人で切り盛りする小屋番の星美智子さんは今年で45年になります。43年前の1982年8月に台風10号が日本列島に大きな爪痕を残したのですが、この時両俣小屋は完全に増水した野呂川に飲み込まれてしまいます。当時は大学のワンダーフォーゲル部が元気で、この小屋にも5つの大学がテントを張っていました。台風が来ることがわかっていても、合宿の完遂が彼らの目標だったので、もっとも山深い小屋に来てしまったのですね。孤立した小屋からの脱出記なのですが、小屋番の星さんの頑張りで、小屋を捨てて3000mの山を超えて安全な小山で避難することに成功しました。そのドキュメントですが、現在、最も行きずらいところにある山小屋だと思いますね。できた時は南アルプス林道を使えば、...【6月19日】
41人の嵐を読んでいます。南アルプスの両又小屋の有名小屋番が1982年の小屋番2年生の時に経験した台風の記録です。山の中で暮らしたいと志願して両又小屋の小屋番になり、電気もない当時の小屋での暮らしは本人(女性です)の満喫するものでした。大学のワンゲル部が夏合宿に訪れ、小屋周辺で幕営し賑やかな山となったある日、台風10号が中部山岳地帯を直撃しました。その本人によるドキュメントです。【6月18日】
4時に起きて4時半に小屋を出て鳳凰三山(地蔵岳、観音ヶ岳、薬師岳)を縦走し加えて高嶺という山も登ってきました。山を降りてから、ノベル賞を取った大村先生が地元(韮崎市)に恩返ししたいというので温泉を掘って、それが日帰り施設になっているのでそこに寄って汗を流しました。露天風呂からは茅ヶ岳や奥秩父の山が見えてゆったり浸かってきました。そこには蕎麦屋も併設されているのでそれもいただいてきました。ということで今日は活字お休みです。【6月17日】
南アルプスの鳳凰三山に登るべく、今日は地蔵岳手前の鳳凰小屋に泊まっています。登山の小屋泊ではKindleを持って行って読みます。山小屋は電灯が暗いので紙の本を持って行っても読めないのですね。なので電子ブックに限ります。登山中には木暮理太郎の著作集を読んでいますが、今日は読み終えました。明治終わりから大正昭和の登山家です。東京の浅草に通称12階という日本一の高層建築がありました(関東大震災で壊れてしまいましたが)。ここに登って関東平野を巡る山々を観測して山座同定していました。高層建築などない時代で、空気も澄んでいるので、とんでもなく遠い山々が見えているんですね。「木暮理太郎著作集」Kindle【6月16日】
石川直樹は高校2年生の時、独りでインド、バングラディシュを旅行し、一浪後に東京芸大に入り博士課程を出て美術の博士号を持っているという写真家にしては変わり種の経歴です。よくあるのが雑誌社の写真部、有名写真家の弟子から独立なのですが、博士号を持っている写真家っていないのではないでしょうか。写真を撮るためにヒマラヤ8000m峰を14座登ったわけですが、だからと言って山岳写真家というのでもないのですね(勿論登山家でもない)。麓の少数民族の祭礼とか日常を撮ったりなど、民俗学的写真も多いのです。日本でも沖縄、知床、能登などを巡ってその土地ならではの写真を撮っています。6×7というほとんど使われない中判写真は石川直樹ならではの世界に満ちています。【6月15日】
写真家石川直樹のエッセイ集、地上に正座をつくるを読んでいます。石川氏は今どき珍しいフィルムオンリーの写真家で、かつプラウベルマキナ670というもうとっくに製造していない(つまり中古になります)中判カメラです。ヒマラヤの8000m峰に登るときはサブとして防水型の写ルンですを持って行くそうです。機械は壊れるので単純なこのカメラがピンチを救ってくれるそうで、これで撮った写真集もあるので、写ルンです恐るべしです。【6月14日】
過日山陰を旅行した時に倉吉に立ち寄ったのです。倉吉はSLと古い町並みで有名なところだので寄ったのですが、里見氏終焉の場所ということを知って驚いたのです。なんで安房の里見氏が山陰で?と不思議に思いました。里見氏は秀吉の全国覇権の中で、上総を切り取られ安房一国9万石の大名として残ることになり、安房を守るために必死に秀吉につくし、関が原でも頑張った結果鹿島3万石を加増され12万石になったまでは良かったのですが、嫁を貰った将軍家宿老の大久保忠隣失脚に伴って伯耆に転封となり、そのままなし崩し的に縮小され最後は滅亡となってしまいました。幕府にとって江戸湾入り口に外様大名がいるということが不都合であり、北への守りとしての鹿島に領地があるのも不都合というのはわかりますが、伯耆にまで追いやって最後は無くしてしまうという理由...【6月13日】
戦国房総史の本にはまっていますが、図説戦国里見氏で小弓公方の次は安房の雄、里見氏の興亡です。南総里見八犬伝で名前が全国区になっていますが、最後は悲劇の大名家となります。でも秀吉の小田原征伐までは安房だけではなく、上総、下総東部を領域にして北条氏と戦い続け、水軍で江戸湾や香取の海(当時は霞ケ浦から常磐川(利根川の前、鬼怒川など)、印旛沼、手賀沼がつながっていました)の覇権ももっていました。もともとは鎌倉公方の重鎮で足利御一門という格でもあります。【6月12日】
小弓公方の本を読み終えました。副題は戦国北条氏と戦った房総の貴種。とにかく戦国時代というのは内訌(うちわもめ)が実に多いですね。食うか食われるか、下克上の戦国時代は兄弟でも寝首を掻かれる時代です。自分を転覆しようとしていると感じたら即行動して、先に命を奪うというのはしょっちゅうで、信長も政宗も弟を殺していますよね。現代から見れば一族みんなで頑張ればと思いますが、感覚が全く違います。ヒトは有史以来権力のために血を地で争ってきたのですね。足利義明も兄に対する反抗で古河公方に対して小弓公方となるのですが、最後は国府台合戦で古河公方方の北条氏綱に打ち取られます。内房線の八幡宿駅の近郊には義明が一時御所とした場所(現在は八幡宮がある)があったり、墓があったりと郷土史を読むと身近なところにある歴史の面白さに触れること...【6月11日】
先週は戦国の房総の話を読みましたが、そこに出てきた小弓公方が気になって、図書館から本を借りてきました。小弓公方足利義明という本で、戦国北条氏と戦った房総の貴種という副題です。小弓というのは現在の京葉線の終点蘇我駅の南方向にあった地名で、今はおゆみ野、生実という地名で残っています。城跡は宅地開発で発掘作業後壊されてしまいました。ここに、16世紀中葉に古河公方足利高基の弟、足利義明が小弓公方として対立したのです。そして関東をまとめて鎌倉公方に成り立とうと燃えていました。結論から言えば北条氏に滅ぼされてしまいます。ところがこの義明の孫は生き延び、古河公方と血を一つにして、徳川家康にその貴種性で取り立てられ(なんといっても足利尊氏=源氏の流れですから)、喜連川藩を起こしたのです。5000石でありながら10万石格と...【6月10日】
図書館に行ったら、技術特集コーナーがあって、潜水艦の本があったので借りてきました。歴史群像の別冊図解ものでその歴史、構造、兵器などが順追って解説してあります。地上戦では昨今のウクライナ戦争でドローン攻撃がすっかり従来の戦闘を変えてしまいましたが、潜水艦はしばらくは革新的な変革は起こりそうになく、深く静かに潜行してその時が来るのを待つというのは変わらないでしょう。「歴群[図解]マスター潜水艦」白石光ワン・パブリッシング【6月9日】
今日は積読の中から2冊をピラピラとめくってさわりを読みました。一冊は写真家の石川直樹のエッセイ集地上に星座を作るです。彼は(登山家としてではない)写真家として初めて8000m14座を登った人です。登山の過程でネパールやインド、バングラディシュの人たちを撮ってきました。もう一冊は世界文学の名著、デカメロンです。訳者の平川祐弘氏によれば、デカメロンは砂時計のくびれにあたる作品なのだそうです。ギリシャ・ローマなどの古典のエッセンスを集約し、近代文学への転換をもたらしたものという意味だそうです。それは過去から現在への砂の流れであるというのですね。【6月8日】
また図鑑ですね。先日は面白地形図から3D地形を作った図鑑を読んだばかりですが、こちらは地学的な観点からの地形図鑑です。列島の成り立ち、地質のことも解説しているので、日本列島の勉強にはこちら方が楽しいと思います。何冊も似たような本を読んだおかげで、ようやく日本列島の成り立ちが理解できるようになってきました。やはり文章だけではなく、3D図鑑は役立ちます。「3D地図でわかる日本列島地形図鑑」高田将志監修成美堂出版【6月7日】
旅行の間にアマゾンから届いていたビックコミックオリジナルを読みました。アマゾンでもビックコミックオリジナルは電子版が出ていて、かなり昔ものも読めるんですね。今どきほとんどの人は電子版なのかもしれません。でも紙版がいいなあ。【6月6日】
往復1000kmも走って1泊旅行なんてちょっと忙しかったです。せっかくなんで三陸でもう1泊したかったですね。ということで今日は活字は休養日です。【6月5日】
気仙沼まで来ております。初めての気仙沼です。休暇村に泊まっています。家から500km近くのドライブです。震災伝承館に行って3・11のことを改めて学んできました。気仙沼は津波でほぼ街が壊滅しましたが、その後復興され、特に道路はきれいに整備されています。夕食後ホテルの読書室で3・11の写真集を眺めていました。【6月4日】
戦国の房総と北条氏を読了。この本は岩田書院というところが出していますが、マンションの一室で社長一人で全てをこなしている出版社です。日本史中堅どころの研究者の成果を本にしている会社です。書籍が売れなくなって、こういう学術系の本はますます苦しいですね。社長も歳を取ったので、在庫を(処分価格で)処分して、倉庫費用を抑えつつ今しばらく頑張るというところだそうです。城取合戦と内訌に明け暮れた上総と下総東部の国衆達は、北条氏と里見氏が手打ちをしたことで、北条氏傘下に入ることでつかの間の平和を得るところとなります。しかし、秀吉の小田原攻めで全ての国衆は敗者となり、領地は(徳川に)召し上げとなりました。多くの国衆は土豪というよりもそれなりの家系を持っていたので、一部ですが後に徳川旗本として家は残ったようです。最後に、家康...【6月3日】
戦国時代(概ね天文年間)の房総半島での大名、国衆達の動きの話は、あちらの陣営に付いたりこちらの陣営に付いたり、かと思えば一族の内訌があったりで、房総だけの話ではないのですが、目まぐるしく動きます。あちらこちらに城跡がありますが、江戸時代のものはわかるのですが戦国時代のものはほとんど知らなかったので、これはこういう流れで在った城なのかと改めて勉強になります。【6月2日】
地元の地誌という感じで戦国の房総と北条氏を読んでいます。不明を恥じるのですが、下総の千葉氏、安房の里見氏は知っていましたが、上総にいたのはだれなのかというのを知りませんでした。甲斐武田の庶流である真里谷武田氏と庁南武田氏なのですね。両家とも甲斐武田から鎌倉公方の重鎮としていたのですが、鎌倉府が永享の乱で衰亡したことで古河公方に認められ上総に移ってきたのだそうです。その後小弓(おゆみ)公方を立てて房総支配を目指しましたが、真里谷武田氏はその後衰えていきます。一方庁南武田氏は戦国時代にふるいませんでしたが、上総に根を下ろし、医術で生き残り、現代も甲斐武田の父系男系を唯一保った(甲斐武田氏の祖から32代目)家が病院などを経営しているそうです。千葉って武田だったんだあと思いました。【6月1日】
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ビックコミックオリジナルは先号、今号とセシルの女王が休載なので少々残念です。深夜食堂も休載でした。卑弥呼がちょっとわからないストーリーになってきてしまいました。【7月19日】
鎌倉幕府誕生と中世の真相は書いている人は歴史家ですが、史学の本ではないので事実が羅列されているだけではなく、歴史の行間を読むみたいなところがあるので、面白いです。清盛がどうやって覇権を取ったかは、先日の大河でもありましたね。清盛自身は中国(宋)との貿易を通して大きな利益を得て、それを後白河法王や公卿への賄賂に使ったりしました。でも戦いはそんなに得意ではなかったそうです。保元、平治の乱を通して平家が伸びる過程が今日の読みどころでした。【7月18日】
昨日と同じくデカメロンを数話、鎌倉幕府誕生と中世の真相を読みました。面白かったの藤原摂関政治どうやって院政になって武家政治に変わっていくのかということです。保元の乱を通じて藤原忠道はもう摂関政治には戻れないと覚悟して、近衛家、九条家を作る方向に持っていき、そして鷹司家、二条家、一条家の五摂関家を作り、五家で摂関を回す仕組みにして藤原家の存続を図ったという流れがよくわかりました。【7月17日】
デカメロンを5日分読みました。そのあとはこの頃日本史中世づいているので鎌倉幕府誕生と中世の真相というのを図書館で借りてきて読み始めました。真相なんて言葉は学術本にはありませんで、発行が日経BP社ということで平易な本となってます。【7月16日】
小澤征爾の名前は日本人に永遠に残っていくと思いますが、山本直純の名前はどうでしょう。真に天才の音楽家でした。作曲家・指揮者・ピアニスト・エンターテナーでした。普通の日本人にクラシックを馴染ませてくれた人です。なんと言っても寅さんの全作品の音楽担当、さだまさしとの交友、一年生になったらーの名曲、8時だよ全員集合の登場マーチ、森永チョコレートのCM(大きいことはいいことだーー)、NHK大河のテーマ曲、え、それもこれも直純さんの曲だったのーという人です。そして自ら出演したオーケストラがやってきたは楽しい番組でした。クラシックの曲も多く書いているので、もっと再評価されるべき人でありますね。「山本直純と小澤征爾」柴田克彦朝日新書【7月15日】
世界文学全集ものをこのごろ読んでいませんが、先日デカメロン(全3巻)の1冊(上巻)を買っておいたので、挑戦し始めました。中世(日本は鎌倉時代)のイタリア、ペスト禍で街から別荘に避難した10人の男女が暇つぶしに1日1話10日間で100話を語るというものです。今日は第一日5話まで読みました。1話はそんなに長くないので、全体としては長編ですが、好きな時にポロポロと読めますね。デカメロンだけではなく新書で山本直純と小澤征爾も並行しています。小澤征爾は多くの人が知るところの大指揮者ですが、山本直純はある年代以上の人ならば知っているという指揮者・作曲家ですね。この二人は大の親友であり、小澤征爾は山本直純に対して指揮は彼の方が上であると尊敬しています。ほぼ同年代の二人の生まれから指揮者としての成功の足取りを書いています...【7月14日】
中央公論6月号の続きをよみました。日本史の話の他に、現代の政治事情とか国内のルポルタージュとか久しぶりに読んだ総合誌は面白かったです。【7月13日】
中央公論6月号の特集が逆転の日本史ということで、最近はかつての悪人と評価された人たちのみならず高評価の人たちの見直しなどが進んでいるというもので、中央公論なんて本当に久しぶりに読んでいます。それは新しい資料が出てきたりとか、集中的に研究されたりとかしての結果のようです。足利尊氏と後醍醐天皇との関係とか、織田信長の天下のこととか、坂の上の雲で司馬遼太郎に無能と言われた乃木将軍とか面白いです。【7月12日】
昨日、美女たちの日本史を読み終えて、夕食後読み始めた山のミステリー異界としての山を読み始めて、今朝の退院までの間に読んでしまいました。ミステリーといっても推理小説ではなく、とかく山に接して暮らしていると色々と不思議なことが起こります、ということを収集した本です。(管理人のいない)避難小屋で一人で宿泊していると、人(その付近で亡くなった遭難者が多い)が見えたりとか、引き止められたのに無理やり登山を強行して遭難しそうになったところ、幽霊のようなものに導かれて避難小屋にたどり着いたとか、そういうお話ですね。医者なのに山小屋に連れ込まれた瀕死の登山者を、今日は休日だからと診ることを拒否した医者の話(登山者は死んだ)もありました。「定本山のミステリー異界としての山」工藤隆雄ヤマケイ文庫電子版【7月11日】
歴史小説というジャンルでは男性中心のものがほとんで、かの司馬遼太郎も女性が主人公のものを聞いたことがありません。戦国時代までは女性がかなり歴史の表舞台にあって、歴史を動かしてきたことは事実。永井路子はそういう女性を掘り起こして、歴史小説全集まで出ました。NHKでのトークでこの全集からいくつかの作品を語り、終了後エッセイ化したものを読みました。へえと気づきを与えてくれる話でした。「美女たちの日本史中央公論社電子版」永井路子ゴマブックス【7月10日】
鎖骨整形の手術をうけまして、全身麻酔をしたあと回復に3時間余。そのあとは朦朧とした頭でトイレに立ちましたが、左腕に痛み止めの麻酔注射がされているので、アームスリング(昔でいう三角巾)から外れたら、ただの肉棒がぶら下がっているようで、我ながら気持ち悪かったです。手術のまえの待ち時間に、Kindoleで読んだのが(山小屋と同じくこういう時はKindoleに限ります)杉本苑子の美女たちの日本史。歴史上に名を残した女性の話です。【7月9日】
朝ランをしていましたら転倒してしまいまして、左肩甲骨をバキバキに折ってしまい、明日は再建手術となってしまいました。左手がいうことをきかず、時折骨が皮下神経を触るので激痛があって、やれやれな1日でした。図説室町幕府をトボトボと読んでいました。明日は全身麻酔をかけたあと、ぼーっとしていなくてはならないでしょう。【7月8日】
日本史づいていまして、図説室町幕府なる本を読んでいます。室町幕府というのは南北朝の延長にあって応仁の乱などはありますが、日本史でも地味なところですよね。この時代は日本文化の基礎ができたとは言われていますが、派手さがないので大河にもなりにくいです。このところ鎌倉府、古河公方、千葉氏などの本を読んだので、関東から離れて京の動向をということで読み始めました。【7月7日】
田んぼの苗もここのところだいぶ伸びてきました。現代の稲作は消毒を1回行いますがあとは水管理をしっかりすれば、秋にはお米ができ、田んぼに人が入っているのを見ることは多くないですが、江戸時代は苗作りから田んぼ作りまでとても手間暇がかかって、これから夏を迎えて雑草取りに追われる毎日で、田んぼ漬けでした。農民は休みなく働いていたということがよくわかりました。そして面白かったのが、結髪で、江戸時代の男女は鬢つけ油を塗っているので髪型はいつも整然としているのですが、あまり洗髪をしないので、汗や埃で臭気が漂っていたそうです。それを香料でごまかそうとするので、余計に複雑な悪臭がしたそうです。幕末の京都で新撰組が芸妓を捕らえて取り調べたとき、頭髪の異臭で耐えられなかったという話が残っているそうです。江戸でも御殿女中ですら日...【7月6日】
ビックコミックオリジナルです。セシルの女王はヘンリー8世の6人の妻の生き様が終わり、1ヶ月のブレイクがあって、エドワード王子とメアリ女王の話になっていきます。セシルとエリザベス女王との話はまだまだ先ですね。【7月5日】
江戸時代は駅前商店街などはありませんから、日々の食品とか日用品などをお店を探して買うことになります。実際はお店に買いに行くよりも、行商が裏長屋の奥まで売りにくるのを買うのですね。売るものを細分化していて、一人の行商は一つのものを売っているわけで、江戸の町中は行商の売り歩く声で実に賑やかだったのではないかと思います。時代劇を見ていると、夜暗くなって家に戻ると火打石で行燈に簡単に明かりを灯すシーンがありますが、火打石の火花でそんなに簡単に灯心、ローソクに火がつくものかと不思議に思っていました。そこのところは付木売りという行商が付木を売って歩いていたのです。マッチのようなもので、柿葺き(こけらぶき)の板のような薄い小片の板の先に硫黄が付いていて、火打石の火花をそこに移すと発火して燃え、その炎を行灯などに移して点...【7月4日】
先日、大江戸復元図鑑武士編を読みましたが、今度は庶民編を借りてきました。裏長屋、町奉行、町年寄などの話から始まりました。作者の画がわかりやすくて面白いのがこの本の特徴です。【7月3日】
最近は図書館に足繁く通っているのですが、(文学作品の)書架を眺めていると、かつて名のしれた作家の単行本が静かに資料のように並んでいて、一方でこの作家の作品がこれしか並んでいないのかと思ったりもします。職業作家は食うために売れる本を書いてきたわけですが、売れなくても純文学を書き続けるという人は今やいないのでないでしょうかね。ただでさえ本が売れないというご時世で、作家も大変です。また出版社を通さずにネットで作品を発表する人もいますね。かつてのベストセラー作家とその作品は今はどう評価されているんだろう、と文芸評論家の小谷野淳の本を読みましたが、面白かったです。発表当時の評価と今になっての評価とが、時代の流れですっかり変わって、この一作品で名を残した作家もいるし、数多く発表しても埋もれてしまった作家もいます。それ...【7月2日】
千葉一族の歴史を読了です。著者は高校生の時から千葉氏にハマり在野の研究家として幾星霜という人です。日本中の千葉氏の末裔を訪ね、中国にも行っています。面白かったので千葉市郷土博物館に行ってもっと知りたかったのですが、10月までリニューアル閉館中でした。残念。そういえば江戸東京博物館も長期の閉館中で、オープンは来年とのことです。「千葉一族の歴史」鈴木佐編著戎光祥出版【7月1日】
引き続き千葉一族の歴史を読んでいます。千葉県に住んでもいない限り、千葉一族に興味を持つことはないと思うのですが、本当に全国に系譜や伝承が広がっていることがわかります。前5千円札の新渡戸稲造も千葉氏の末裔だそうですよ。【6月30日】
ペリーが幕府を威嚇して下田と箱館の開港を取っていったあと、ロシアのプチャーチンが再び訪れます。まず大阪湾に姿を見せ、東海道沿いを江戸湾に向かいます。幕府は必死に下田で押しとどめ、ここで川路聖謨もやってきて再び日ロ会談が行われます。1回目が終わって2回目に移ろうというときに、安政の大地震が起きます。これは今危惧されている南海トラフの地震ですね。当然西日本での被害が大きいですが、下田も大津波に襲われ壊滅します。プチャーチンの乗っていたディアナ号は津波に翻弄され竜骨を折ってしまい沈没しないまでも航行不能になってしまいます。このディアナ号遭難の話は有名ですね。【7月20日】
川路聖謨の二日目です。長崎でプチャーチンとの外交交渉が終わって江戸への帰還中、ペリーの二回目になる江戸湾への来航事件が起きました。川路は勘定奉行という高官でありながら、人目のないところでは籠を降りて徒歩で先を進めます。共の者たちの方が参ってしまうほどの強硬軍でした。ペリーは軍事力を背景に強硬に開港を迫ります。そして幕府は下田と箱館の開港を認めるのでした。【7月19日】
久しぶりに吉村昭を読み始めました。幕末の幕府の外交を支えた川路聖謨の物語です。落日の宴というタイトルで、ロシアからの使節、プチャーチンと長崎で外交交渉をするところから物語は始まります。幕府(日本)として外交経験が無い中、開国要求を突きつけるロシアを相手に、一歩もひるまずに交渉した川路聖謨は現代の日本外交にも登場してほしいですね。【7月18日】
オリエントというのは一言でいえば今の中近東といわれるところです。中近東はアラブ人とイラン人が住んでいるというイメージですが、古代オリエントは他民族が切磋琢磨で王の興亡を繰り返していました。イラン人はペルシャとして古代オリエント史でも一番最後に登場しますし、アレクサンダー大王の帝国が崩壊した後はギリシャ人が先住民族の上に王国を作って支配しました。ヘレニズムという時代ですね。エジプト最後の王朝でクレオパトラのプトレマイオス朝もギリシャ人国家でした。ローマ帝国に支配された後混沌として、やがてマケドニアにはトルコ人が入り、イスラームが始まるとアラブ人が全体を覆うという風になったようです(イラン=ペルシャはイラン人)。古代オリエント史というのはアラブの歴史ではないのですね。駆け足でしたが人類最初の文明を俯瞰できた本...【7月15日】
CAPA7月号を読んで、ちょっと知識の再確認でブルーバックスのフォッサマグナをサラサラっと再読しました。フォッサマグナは日本列島の成り立ちと深く繋がっているので、面白いところです。【7月16日】
古代オリエント世界に最後に登場したのがアケメネス朝ペルシャ。ペルシャのイラン人はインド方面から移って来たそうです。イラクとイランはどう違うのか日本人にはわかりませんが、イラクはセム語族、イランはインド・ヨーロッパ語族で明確に違うのだそう。そしてアケメネス朝はほとんどのオリエント地域を支配するほどの大国となり、ギリシャとぶつかり、ペルシャ戦争は有名なところです。そしてギリシャ北方の王国からアレクサンダー3世(大王)が登場し、彼によって滅ぼされます。これで古代オリエントは終焉を迎えるということになるそうです。なるほど。【7月14日】
エジプト史というのは広義にはオリエント史ですが、傍流というものだそうです。エジプトは食料も鉱物資源にも恵まれていたので古王国の頃などは自国で完結していたらしいです。王朝には盛衰があるのであるタイミングで東からシナイ半島に放牧民族が移動してきてそのまま定着したようなことがあったそうで、だんだんオリエントとの結びつきが増えてきます。シリア辺りまで軍隊を出したりもしました。なかなかエジブト史というのを聞く機会がないのですが、ざっとした流れをこの本で知ることができます。エジプトにやってくる民族は多いのですが出て行く民族はないそうです。ナイルの水を使った小麦、大麦栽培はとても魅力があったということです。【7月13日】
古代オリエントの中でもヒッタイトという国は鉄器を始めた国として覚えています。アナトリアという現代トルコの小アジア中部にあった国です。前1500年頃を中心に500年ほど栄えた国です。鉄器を持っていれば青銅器に比べ圧倒的に破壊力があるのでオリエントを全部統一できそうですが、まだまだ貴重品で、他国への献上品としてあったそうなので、実用的に兵器に用いられたわけではありませんでした。国家機密の製鉄はヒッタイト滅亡後周囲に広まり、青銅器文明から鉄器文明へと変わったということです。【7月12日】
古代オリエントの歴史は紀元前8000年の頃に農耕文化が始まり、紀元前3000年頃にナイル川を持つエジプトとユーフラティス川を持つメソポタミアで文明が始まったという流れになります。農耕文化ではすでに灌漑が始まっています。エジプトは王朝が連綿と続きましたが、メソポタミアは王朝が生まれては消え、そしてまた生まれる歴史となりました。そんな中でもよく聞くのがアッシリア、バビロニア、ヒッタイトというところ。これらの国々は2000年という幅の中で関係してきたというと、現代はたかが200年くらいの幅で戦いを繰り広げています。今後1800年で今の諸国は存続できて、未来の歴史教科書に載ることができるでしょうか。【7月11日】
オリエント全史を読み始めたのは昼飯後で、エアコンの下で読み始めたら程なくうたた寝ってしまい、今日はほとんど進まずでした。【7月10日】
高校時代好きだった教科は世界史でした。受験も世界史でやりましたが、世界史は地理の要素もあるので好きでした。でも一国の歴史でも大変なのに日本以外全ての歴史を学ぶなんて大変ですよね。そういう意味で世界史概観というのが正しいのではと思います。人類史を俯瞰するとこの2千年余りは地球のあちこちに文明が栄えましたが、それ以前は東西はイランからエジプト、南北は黒海からアラビア海に面する地域をオリエントと呼び(呼んだのはヨーロッパ人ですが)そこに歴史は集中しました。人類史の半分以上はここで起きたことが歴史だそうです。文字がないと歴史とはいいませんから、縄文時代が5千年続きましたといっても歴史とはいえません(考古学の世界です)。受験の時にも苦労したのがそのオリエント史でしたが、古代オリエント全史を読み始めました。【7月9日】
鉄道ファン7月号を読んでいた1日です。二階の自室が猛烈な暑さで、夕方でも36度なので、涼しい居間に避難してます。で、こういう時は紙の本よりもiPadでパラパラ見る方が楽なので、正しく活字には触れておりません。寝る時はさすがにエアコンで冷やすのですが、寝る頃になっても階段の手すりが過熱しているのであります。【7月8日】
本棚に鎮座している東京電車のある風景Ⅱというのを読みました。昭和30年代から40年にかけての国鉄(当時)や私鉄の写真と今の写真とを対比しています。ただし、今といっても平成12年頃の話です。それから比べてもだいぶ東京は変わりましたからねえ。当時の街の様子が載っていますがこういうのを見ているのが楽しいです。【7月7日】
暑くて暑くてうんざりです。あと2ヶ月半もこういう日々が続くのかとおもうと・・・。ビックコミックオリジナルを読みましたが、ビックコミック4誌連合の新人コミック大賞で佳作をとった作品が掲載されていました。初めての殺人というものですが、なかなか衝撃的なストーリーでしたね。殺人が日常的に起きる街での高校生の初めての殺人という話ですが、コミックならではの内容だと思います。【7月6日】
太平洋戦争の記録物語は数多いですが、硫黄島の話といえば栗林中将のものが有名です。おうおうにしてそこにいた軍人からの目線で描かれています。それぞれの兵士たちがどう戦ったのかを知るのはいいのですが、野戦病院長の目線で書かれた玉砕の硫黄島に生きた混成第二旅団野戦病院という本がkindle本で目についたので読みました。著者はここの院長の軍医大尉ですが、この大戦なんと3度目の召集でした。それもよりによって硫黄島でした。サイパンを制圧した米軍はここを制圧し不沈空母とします。ここからB29が日本列島に向けて飛び立ちましたが、日本軍としてはなんとかそれは避けようと激戦が繰り広げられました。米軍もこの戦いでの損失は想定外のものでした。日本戦闘部隊がついに玉砕した後も病院は残ります。院長は最後は軍医兵士たちで(軍事訓練を受け...【7月5日】
愛犬の葬式を出してきました。昨日ドライアイスを買ってきて冷やしたので、すっかりと冷たい体になっていました。でも毛だけは生前のままで、撫でると思い出がよみがえります(涙涙涙)。荼毘に伏して骨を持って帰りました。まだ動物霊園には入れられませんね。前に飼っていた時も、2、3年は家に置いてあった記憶があります。【7月4日】
我が最愛の犬が逝ってしまい、今日はペットロスの1日でした。もう下半身も立たなくなって、昨夜はこのまま夜を越せるかと思っていたのが、朝は望外に生きていたのでこれはよかった、と思っていた矢先、午前のちょっと目を離した隙に旅立ってしまいました。心臓と心膜の間に水が溜まり(心嚢水という)何回も注射器で吸い出していましたが(なんと麻酔なしなんです)ついに力尽きました。中型犬は15歳くらいまでは生きるものですが、10歳の誕生日をあと4日後の七夕に控えた今日9歳でついえました。ということで活字はなしです。【7月3日】
Kindleで別冊文藝春秋7月号をパラパラめくって読みました。全部の小説を読む気はさらさらなかったのですが、推理物とホラーもの、書評に随筆などを読みました。ホラーものって久しぶりに読みましたが、自分自身は超自然というのは信じていないのですが、でも怖いものは怖い。あまり読んでいませんが今までで一番怖かったのは貞子です。【7月2日】
dマガジンで歴史人7月号を読みました。敗者の日本史特集でした。歴史は勝者によって作られるとは古今東西共通ですが、鎌倉北条氏、それを滅ぼした新田義貞、今川義元、武田勝頼、蘇我氏などが登場します。最近はこのような歴史上の敗者の方に興味が湧きますね。かつては豊臣秀吉や徳川家康の成功物語などが好きでしたが、年を取ってくると敗者に気持ちが移りますね。悪人がいいというのではなく、ひょっとしてこちらが勝っていればどうなっただろうというのが一つです。【7月1日】
八甲田山の雪中行軍大量遭難事故は、「無能な指揮官の命令によって、登山経験のない素人が準備不足のまま知らない山に登山した」ということでした。第5聯隊長津川は第31聯隊福島大尉の雪中行軍計画を知り、自分のメンツ保全から急遽雪中行軍を指示、しかし準備期間は全くなく、現地のことを知る人はなく、地図もなく地理も全く無案内で始めたもので、さらに同行の大隊長の雪山素人ぶりは目に余るものがあります。一方で31聯隊の福島大尉はルート上の村民に饗応を指示、さらに教導も強要します。どの将校もまともな判断をできる人たちではありませんでした。事故後陸軍は大甘の処分を下します。軍隊は一人のミスは上官のミス、その上官のミスとつながるのでどうしても処分が甘くなり、無責任体質となってしまいます。太平洋戦争でもこれが大いに発揮されてしまい、...【6月30日】