ビックコミックオリジナルは先号、今号とセシルの女王が休載なので少々残念です。深夜食堂も休載でした。卑弥呼がちょっとわからないストーリーになってきてしまいました。【7月19日】
歴史の本をよく読みますが、信長がどうした秀吉がどうしたという歴史ものはこの頃読まず、戦国以前の細かな話を図書館で拾うようにしています。戦国時代までは守護大名(県知事)の下に国衆という現在の市長レベルがいて、その下に土豪がいました。大名は国衆をまとめないと両国経営ができません。住んでいる千葉県は安房、上総、下総の三国がありますが、守護大名はいなくて相模、武蔵を根城とする北条氏を巨魁とし、下総の千葉氏、上総の武田氏(甲斐とは違う)、安房の里見氏が領地を安堵してもらったり、背後についてもらったりしていました。ただ里見氏は北条氏とやりあう仲でしたね。一口に千葉氏と言っても、頼朝の頃の千葉氏からどんどん庶流が出て、千葉氏と名乗らないケースもあり、誰だどうだかわからなくなります(名前に胤が付くとそうかなと思います)。...【5月31日】
最近は新聞もテレビのニュースも見ず、情報はSNSからという人が多くなっています。いわゆるオールドメディアは、かつては真実の報道ということに使命を感じていたはずですが(現場は今でもそうかもしれませんが)、下から上へ原稿が上がる段階で取捨選択され、色付けされているので、SNSのほうが素の情報という感じも受けます。でもSNSはフェイクも多く、受け取る側のリテラシーが求められます。特に災害時は情報が混乱することから、SNSを拠り所にする人も多いので、ここにデマ情報が流されると一気に広がってしまいます。デマは人類の発展と共に存在していたはずで、古代も現代も同じです。人間心理を突いているのですね。「本当のSOS」を埋もれさせないために何ができるのかという観点で、NHKのキャスターから転身し、自らの報道チャネルを運営し...【5月30日】
文化庁が3・11を機に歴史の中の復興の記録を残すということに本腰を入れ、民俗知保存に力を入れるべく活動しているますが、2016年の江戸博物館での講演会を記録した本で副題が遺跡に刻まれた復興の歴史ということです。古代も近世(江戸時代)の人たちも、田が洪水にあったり、噴火にあったりしても、直ぐに逃げださず(程度によりますが)、復興を目指していたことは遺跡発掘をするとわかるのだそうです。日本列島は自然災害の巣ですから、日本民族はそれとの戦いの歴史でもあったわけです。次の(巨)大地震地震がどこで起こるのかは全くわかりませんが、災害を防災ではなく減災にすることが必要かと思います。「日本人は大災害をどう乗り越えたのか」文化庁編朝日選書【5月29日】
日本列島に住んでいる限りは災害から逃れることはできません。大陸の東端に位置し、4枚のプレートがぶつかっているところということで、気象災害や地震・火山は世界的に見て多いところです。でも3万8千年前に日本人がここで暮らし始めたときは火山以外には災害に遭うことは少なかったのではないでしょうか。狩猟採取の生活では、いつでも住居を動かして危険から逃れることができました。定住を始めて、田畑や集落を持つと、そこで水害や地震の影響を受けるようになり、それを災害というのです。日本中の遺跡から災害の遺構が数多く見つかり、日本人がどうやって復興してきたということを2016年にえどはくカルチャーとして講演があり、それをまとめたのが日本人は大災害をどう乗り越えたのかという本で、苦難の歴史がわかる本です。【5月28日】
日本の中世というのは圧倒的に管理されていない社会なのだそうです。強い者には自由度が高いのですが、弱い者は顧みられないということ。朝廷(公家)は日本を統治しているように見えて、実はその意志に欠けていて、貴族社会の継続が全てであり、幕府(武家)は御家人との関係が全てであったのです。歴史の表舞台に出てくる(名前のある)人は強者であり、摂関政治が終わり院政が始まると、皇室も公卿たちもかなり自由にお楽しみをしたので、ご落胤のような人が多数いました。皇室では親王・内親王宣下(ようは認知ですね)がされないと皇室の一員と認められないので、それ以外のお子達は名前もなく逼塞していたのです。もっとも色々な事件とかが重なって皇統が怪しくなるとこういう子たちに出番が来ることがり、改めて宣下がされたりします。現代日本では皇室の行く末...【5月27日】
また図鑑です。地図研究家の今尾恵介氏の最新刊でこれも図書館で見つけてきました。今尾氏は地形図を丹念に読んで、鉄道や道路が何故こういうルートになっているのかとか、人の生活との関連などを著書にしてきましたが、この本は個性的な地形(著者は地形名所と言っている)を取り上げて3Dグラフィックと地形図(新旧比較したり)でその面白さを伝えています。地理院のWEB地図でも立体化して見ることはできるのですが、3Dグラフィックは植生などの色も着いているのでより立体的に見えます。まあ日頃地形図が好きな人向けではありますね。「不思議3D地形図鑑」今尾恵介朝日新聞出版【5月26日】
大江戸復元図鑑<武士編>を読了。徳川時代の武士の仕事、あり様がよくわかりました。この本の出版社はもう廃業していて、この本も絶版。図書館でしか読むことができません。江戸時代を知りたいと思えばこの本はおすすめです。庶民編もあるので読んでみる予定です。「大江戸復元図鑑<武士編>」笹間良彦遊子館【5月25日】
今日も大江戸復元図鑑。半分ほど読み終えました。時代劇ではわからない武家社会の身分差がすごいですね。足軽って武士の最下層ですが、幕府では同心と呼びます。奉行所に登場する人たちは同心が主です。たかが足軽風情という言葉がありますが、同心は足軽なんですね。ですから身分の高い武士と遭うと道端に引いていなくてはならないんですね。高貴な武士は偉そうに町を歩くわけです。その高貴な武士も、太平の世が続いて甲冑のつけ方もわからなくなって、さらに黒船騒ぎとなると庶民を兵隊にした(長州など)軍勢に負けてしまうわけです(もとより甲冑など鉄砲には役立たずですが)。【5月24日】
大江戸復元図鑑を読んで時代物を読む、見るをするとリアルさが実感できますね。特に映像は決まった撮影所(ほとんどは京都の太秦)なので旗本屋敷を描くとき、実際は石高の大小で違う門構えを描けません。また200石の旗本は結構台所事情が苦しかったのですが、地方の藩士たる200石の方が暮らし向きは良かったということ、そして同じ200石でも江戸町奉行の与力はお目見え以下で旗本よりも格は下でありながら、奉行所への付け届けがあって、1000石の大身旗本並みの実収入があったのだそうです。武士は格が命ですが、実入りがあった方がいいですよね。【5月23日】
図書館で書棚を眺めていたら、面白いものにぶつかり借りてきました。大江戸復元図鑑<武士編>というものです。見開きで一項目あって右ページに解説、左ページが著者自身のイラスト画があります。庶民編もあって、どちらを借りるか迷ったのですが、先に武士編を借りました。1冊6800円もしますから図書館様様です。著者は2005年に89歳で亡くなっていますが、学者ではなく甲冑の研究を主にしていた在野の方ですが、文学博士ももっています。著作は多く図鑑類も何冊かあり、知られた方だったのでしょうね。味のあるイラストです。【5月22日】
日本列島5億年の成り立ちを、それがわかるところの写真(名勝が多い)を中心に解説した図鑑のような本です。地球史を365日にすると、日本列島の歴史は5億4千万年前カンブリア紀から始まるそうで、それは11月下旬となります。ただその頃は大陸の東端の部分だったのですが、2000万年前に地溝帯となって分離を始め、日本海が割れ始めたのです。それまでもイザナギプレート(今の太平洋プレートにあたる)からの付加体がくっついていて、南アルプスはその頃(白亜紀)の付加体でできていて、北岳の御花畑は付加体の多様性によるものだそうです。日本海ができてからは、火山、フォッサマグナ、付加体が日本列島に化粧を施すことになりました。そのかつての様相が今に残るところを写真で紹介していますが、そういうのは殆どが名勝です。「日本の地質と地形」高木...【5月21日】
ビックコミックオリジナルですが、「ミワさんなりすます」が新しい展開になって面白いことになっています。そして「セシルの女王」の再開ですが、楽しみにしていました。「バックホームブルース」も「れむ」その他読み応えのあるものが多くなっています。【5月20日】
昭和という時代は大戦争をまたいでいるのでその経緯を知るための記録が多くあります。特に戦前の日本は天皇が国の頂点に存在しましたから、政治と軍部と天皇がどう絡んでいたのかが大きな解明の点となります。天皇については側近の日記が多く存在、公開されていますし、宮内庁から昭和天皇実録が出ておりこれが公式なものとなっています。それらとは別に昭和天皇独白録が1990年に文藝春秋に掲載されました。これは戦後昭和天皇の御用掛としてマッカーサーとの間の通訳なども務めた外交官寺崎英成の記録が、娘が住むアメリカで見つかったことにより発表されました。寺崎英成は開戦当時アメリカ大使館に勤務していて開戦回避に努力していた人です(その時アメリカ人の夫人と結婚しました)。この記録は寺崎を含む5人の当時の側近が開戦から終戦にかけてのことをイン...【5月19日】
頼朝が自分自身の武家の棟梁としての地位を確立るための努力と鎌倉の地位向上の努力を知ることのできた本でした。富士の巻き狩りというと、曽我兄弟の仇討ちとか長男頼家が鹿を仕留めたとかで有名ですが、実は信濃の三原野(みはらの)と那須でも巻き狩りを行っており、腹心のみを周りにそえて東山道の通り道である上野と下野の御家人にしっかりとアピールしたりしていました。同じ源氏の足利と新田にアピールする狙いがあったようです。富士の巻き狩りは腹心以外の参加も認めたので仇討ちが起きてしまいました。と、まあ大河ドラマではわからない幕府の地盤作りがわかった本でした。「頼朝と街道」木村茂光吉川歴史文化ライブラリー【5月18日】
頼朝と街道の二日目です。富士川の合戦は平家対源氏の有名な戦いで、水鳥の羽音に平家が驚いて逃げたというものですが、事実はちょっと違っていて、富士川の戦いの前に同じような場所で甲斐源氏の武田と戦って、平家が殆ど敗戦だったのだそうです。富士川の戦いは実はこの前哨戦で事実上終わっていてました。頼朝はやる気満々でしたからそのまま富士川の先を目指そうとして、千葉氏や上総氏、三浦氏に諫められ鎌倉の背後の常陸佐竹氏を討つべしと言われ、富士川で引き返したということになっていますが、頼朝は戦いの主人公が甲斐源氏だったので、存在感を示すために常陸討伐に向かったというのが真相だということです。吾妻鏡や平家物語ではそうは言ってませんが。【5月17日】
NHKの大河、鎌倉殿の13人がやっていた間は鎌倉時代の本をけっこう読んだのですが、最近はご無沙汰で。それでも図書館で頼朝と街道という本を借りてきまして、鎌倉政権の東国支配という副題のものです。頼朝が石橋山の合戦で敗れたあと、房総半島をぐるっと回って再び勢力を挽回し鎌倉に拠点を作るにあたって、政治的な動きというよりも、どうやって街づくりをしたか、物流を考えたかという見地から書かれたものです。鎌倉に居を構えた当時は東北の平泉という大経済圏があって、都と平泉は東山道から関東北部(上野、下野)を抜けて奥大道(おくのおおみち)を使ってつながっていました。鎌倉は全く外れたところにあったわけです。家康が関東入府した時ですら大湿地の南関東ですから、鎌倉は東海道のどん詰まりだったわけですね。頼朝が平泉を討伐したのは、義経よ...【5月16日】
東京でもっとも有名な山は高尾山ですが、京都に高雄という有名な地名があり、実はここに由来しているそうです。高雄には真言密教の別格本山神護寺があり、高尾山も不動をまつる密教の山です。京都の真言密教集団が関東進出の拠点として作られたらしいのです。小田原北条氏の武蔵の拠点として近くに八王子城があるのですが、北条氏は別名慈根寺(じごじ)城としたそうです。そして高尾から相模湖界隈には桂、与瀬、醍醐、嵐、小原などあたかも京のような地名が残っているのでありますね。何気に登る山にはかくも色々な言われがあり、今までの山登りは地形、地学を中心にして風景を見ていましたが、地理学的な観点をもって登るのも山の楽しさを倍増させてくれるものだと思いました。「山の名前で読み解く日本史」谷有二青春出版社【5月15日】
山歩きをするので山名が気になります。どうしてそういう名前なのか、ということですね。今日も図書館に寄って山の名前で読み解く日本史というタイトルを見つけたので借りてきました。頼朝の時代、秩父・武蔵野の覇者畠山重忠がいました。武甲山の近くに妻坂峠というのがあり、関八州展望台のそばに顔振峠というのがあり、どちらも行ったことがあるのですが、これが畠山重忠とゆかりがある峠だそうで、行った時は峠のいわれなど気にもしていませんでしたが、この本を読んでゆかりを知って古峠には色々曰くがあるのだなと思いました。先日歩いた奥秩父の雁坂峠もそうでしたし。【5月14日】
東京湾は閉鎖海域で元々水質は良くなくヘドロが溜まりやすいのです。大正昭和の沿岸の工業化で一気に悪化しました。しかし、公害対策が進み江戸前の魚も美味しく食べられるようになりましたが、閉鎖海域では凄いことなのだそうです。さて家康がずぶずぶの南関東の水を抜いて田畑を増やそうと、利根川の東遷事業を行い、それは実現し東京湾から銚子に出口を変えています。表層はそうなのですが、実は地下水脈の利根川(+渡良瀬川)が東京湾に注いでいて、この水のおかげで水質の改善が早く進んだのだそうです。見方を変えると東京の地下は水が豊富で地盤が悪いということです。こういう地下水脈が閉鎖海域に注いでいるのは伊勢湾とか有明海とかがそうだそうです。浮世絵から色々なことがわかっていくのですねえ。面白い本でした。「江戸の秘密歌川広重の浮世絵と地形で...【5月13日】
日本は国土の7割が山であり、そこには豊かな森林資源がありましたが、エネルギーも木材しか頼るものがないので、古代から山の資源はどんどん切り取られてきました。関西は古代から日本の中心だったこともあって気が切り出され、周囲の山々は禿山だったそうです。戦国時代は頂点を迎え、今は新幹線が緑の野を駆け抜ける関ヶ原も、あの合戦の時は禿山だったそうです。小早川秀秋の裏切りも全軍からよーく見えたということで戦況が一変したのです。江戸時代末期は本当に日本の森林資源は限界を迎えていたそうです。自然破壊という言葉は存在していない時代でした。黒船がやってきて木材に変わるエネルギーとして石炭が登場したのは僥倖でした。明治の頃の奥多摩や叡山ケーブルは木立一つない状況の写真があります。それから100年が経ち、植林が進んでそれが育ったおか...【5月12日】
地形が作った日本史という観点でベストセラーを出している著者は、国交省で本省局長(めちゃめちゃ偉い)まで勤めた方で、河川のプロであり、神奈川の宮ケ瀬ダムを作った人でもあります。退官後は歴史にまつわる本をだしていますが、今回の本は江戸の秘密というもので、浮世絵を読み解きながら歴史を探るというものです。家康は秀吉に関東移封をされましたが、その頃の江戸(関東)は荒川、利根川の氾濫平野でほとんどが湿地帯。ですから、西からやってくる人は横須賀から房総半島に渡り北上していたのです。関東は宝の山だと秀吉におだてられていましたが、体よく湿地帯に囲まれたところに追い込まれたというのが実際でした。その家康が江戸で最初にやったのが小名木川という隅田川から江戸川(利根川)への運河を作ったことでした。兵員輸送のため海岸から内側を一直...【5月11日】
元素の教科書を読み終えました。地球上には天然の元素としては原子番号94番のプルトニウムまでがあり、95番から118番までは人工元素です。アジアで初めて新元素を作った日本は113番のニホニウムがあります。人工元素を作るのは相当な費用(施設)と時間が必要です。ニホニウムは30番の亜鉛と83番のビスマスを衝突させ核融合で作られました。一口に衝突といっても加速器を使って亜鉛の原子核を光速の10%まで加速してビスマスの原子核ぶつけるのですが、原子核の大きさは1兆分の1㎝で衝突して融合する確率も100兆分の1ときわめて小さく当てづらいのですね。そのため大量の原子核をビームして当て続けるという地道な作業となりました。1秒間に2.4兆個照射しますが、2003年9月に実験を開始し、24時間体制で翌年7月にようやく「1個」の...【5月10日】
元素の教科書を読んでいます。ブルーバックスに元素の話があるのを買って持っているのですが、図書館でより一般的な元素の話があったので借りてきました。恒星から水素とヘリウム以外の元素が作られるのですが、鉄までの話でそれ以降の元素は超新星などが作ります。そして宇宙に散った元素がまた太陽系のような恒星系につかまって惑星となり、そこから生物が生まれるわけで、生物が元素をどう利用するのかをしるためにもこういう話は面白いです。【5月9日】
予定通り理太郎の道を逆に歩き、往時を偲びながらの山行となりました。2000m以上では5℃以下の気温でしたが、下界に降りると20℃を超えていて、また降りるにつれて木々が芽吹き、葉がしっかりし、桜も咲いてと冬から初夏への移ろいが感じられました。今日は活字お休みです。【5月8日】
奥秩父の百名山甲武信ヶ岳に登りに来てまして、山のすぐそばの甲武信小屋を今日の宿としています。2400mのこの小屋の周囲は雪が残り、ここに来るまでは軽アイゼンがないとこれません。去年の今頃は石楠花が満開だったそうで、今年は雪深い5月となっているそうです。この奥秩父をこよなく愛したのは明治の登山家小暮理太郎です。地形図がまだ整備されていない時代に、登山装備も今とは全然違い、食事は米を持って上がり毎度毎度炊くのでありました。小暮理太郎の雁坂峠から甲武信ヶ岳に至る縦走を書いた小品が印象的で、明日はそのコースを逆にたどります。今日は早くに小屋に着いたので、理太郎の作品集を読んでおりました。【5月7日】
雨の一日、またブルーバックスで宇宙論、宇宙の物質の起源を読んでいます。宇宙論というよりも宇宙に存在する4つの力と素粒子の関係、物質の起源に力をおいて書かれた本で、日本の二つの研究所から10人の科学者が10章を各々執筆しています。身の回りの物質は原子でできていますが、原子はこの宇宙でいかにしてできたのか、という話から始まってクオークの話、量子と場の話などですが、どの章も簡潔に書かれていてわかりやすいです。ただ、どの宇宙論でもそうですが、素粒子のスピンのはなしになるとだいぶもやもやしますね。【5月6日】
共産主義思想家の「人間社会の最高段階として共産主義社会が初めてロシアで生まれた」などという主張が、彼らの脳内だけの創作物であるということがすぐにわかる(以上後書き)本でありました。ロシア革命はチャーチルの策動に始まり、ドイツ、アメリカ、フランス、ロシアのいくつもの錯誤の連鎖によってレーニンにとってまったくラッキーに起こすことができたのです。歴史にIFは禁物とはよくいわれますが、著者はIFをすることによって歴史から学ぶことができるというスタンスです。20世紀初頭のヨーロッパを巡る各国の駆け引きを日本は冷静に分析できていたのでしょうか。そうではなかったのでしょう。一部にリベラルな人がいたのかもしれませんが、石橋湛山の書籍を読んでいてもこのあたりを深く考察できていたかどうか。21世紀の今、ようやく解析できている...【5月5日】
虚像のロシア革命は75%まで進みました。教科書歴史ではロシアの3月革命でロマノフ王朝が廃されメンシェビキの臨時政府ができたあと、ボルシェビキのレーニンが主導権を握り共産革命へと進んだということになります。そのレーニンはスイスを中心に活動を行っていましたが、帰国のチャンスは巡ってこず、一時はすっかり諦めていました。が、ドイツの革命商人がレーニンを帰国させて戦争継続をする臨時政府から露独講和へもっていくことを画策、独政府に提案し認められ、密かにスイスから列車を使ってドイツ・スウェーデン経由で帰国させます。しかし、なかなかロシア国民には受け入れられなかったところ、英国がトロツキーを(判断ミスで)ロシアに帰国させてしまいます。これでボルシェビキが一気に優勢になっていったということで、ロシア革命はレーニン自身の力で...【5月4日】
早いものでもうビックコミックオリジナルの日となりました。今号はまた新連載が始まって、これはおじさん(お爺さん)でも読める漫画となっています。セシルの女王がまだ休載中です。昭和天皇物語は太平洋戦争が佳境に入ってきて、敗戦の坂道を下っています。【5月3日】
英国はどうして良好関係だった独を悪の専制国家として(自分は善の民主国家)第一次大戦を戦ったのでしょうか。戦前は英国内では大陸のことには関与しないという空気でした。ところが北アイルランド問題が起きてしまいます。これは現代にも尾を引いている問題ですが、これが平和裏な解決がつかず、内戦にもなりかねない状況になってしまいました。国内がごたごたしているときに為政者がすることは国外に国民の目をそらすことです。チャーチルはまさにこの手を使い、対独参戦をするのです。そして世界一の海軍力でドイツの港湾封鎖と商船の破壊をおこない、ドイツへの食糧などの物流を止めます(明らかなルール違反です)。一方でドイツはいかにひどい国かを世界に喧伝し、米国の参戦を促し、中立国とされていたベルギーの中立も反故にします。さらにドイツの暗号の解読...【5月2日】
最近は歴史の見直しが進んでいます。学校の教科書に書かれていたことも、昭和の時代のものと比べるとだいぶ変わっています。現代史においては米英ソによる歴史が教科書の主流でしたが、20世紀後半から新たな文書の発見とか公文書の公開とかで、歴史観を変える必要が出ていると思います。日本人は英国というと紳士の国というイメージを長年もってきましたが、実は英国こそが世界をグダグダにかき回してきたと言えます。紳士のイメージとして「チャーチル神話」があり、日本人はチャーチルが好きで、彼の本はよく読まれています。このチャーチルが20世紀前半の世界をかき回してきた張本人であったという検証がなされています。第一次世界大戦はセルビアで起きた小さな戦争で終わるべきものであったものが、露仏の思惑とチャーチルの冷酷、狡猾、出世欲で世界大戦にな...【5月1日】
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ビックコミックオリジナルは先号、今号とセシルの女王が休載なので少々残念です。深夜食堂も休載でした。卑弥呼がちょっとわからないストーリーになってきてしまいました。【7月19日】
鎌倉幕府誕生と中世の真相は書いている人は歴史家ですが、史学の本ではないので事実が羅列されているだけではなく、歴史の行間を読むみたいなところがあるので、面白いです。清盛がどうやって覇権を取ったかは、先日の大河でもありましたね。清盛自身は中国(宋)との貿易を通して大きな利益を得て、それを後白河法王や公卿への賄賂に使ったりしました。でも戦いはそんなに得意ではなかったそうです。保元、平治の乱を通して平家が伸びる過程が今日の読みどころでした。【7月18日】
昨日と同じくデカメロンを数話、鎌倉幕府誕生と中世の真相を読みました。面白かったの藤原摂関政治どうやって院政になって武家政治に変わっていくのかということです。保元の乱を通じて藤原忠道はもう摂関政治には戻れないと覚悟して、近衛家、九条家を作る方向に持っていき、そして鷹司家、二条家、一条家の五摂関家を作り、五家で摂関を回す仕組みにして藤原家の存続を図ったという流れがよくわかりました。【7月17日】
デカメロンを5日分読みました。そのあとはこの頃日本史中世づいているので鎌倉幕府誕生と中世の真相というのを図書館で借りてきて読み始めました。真相なんて言葉は学術本にはありませんで、発行が日経BP社ということで平易な本となってます。【7月16日】
小澤征爾の名前は日本人に永遠に残っていくと思いますが、山本直純の名前はどうでしょう。真に天才の音楽家でした。作曲家・指揮者・ピアニスト・エンターテナーでした。普通の日本人にクラシックを馴染ませてくれた人です。なんと言っても寅さんの全作品の音楽担当、さだまさしとの交友、一年生になったらーの名曲、8時だよ全員集合の登場マーチ、森永チョコレートのCM(大きいことはいいことだーー)、NHK大河のテーマ曲、え、それもこれも直純さんの曲だったのーという人です。そして自ら出演したオーケストラがやってきたは楽しい番組でした。クラシックの曲も多く書いているので、もっと再評価されるべき人でありますね。「山本直純と小澤征爾」柴田克彦朝日新書【7月15日】
世界文学全集ものをこのごろ読んでいませんが、先日デカメロン(全3巻)の1冊(上巻)を買っておいたので、挑戦し始めました。中世(日本は鎌倉時代)のイタリア、ペスト禍で街から別荘に避難した10人の男女が暇つぶしに1日1話10日間で100話を語るというものです。今日は第一日5話まで読みました。1話はそんなに長くないので、全体としては長編ですが、好きな時にポロポロと読めますね。デカメロンだけではなく新書で山本直純と小澤征爾も並行しています。小澤征爾は多くの人が知るところの大指揮者ですが、山本直純はある年代以上の人ならば知っているという指揮者・作曲家ですね。この二人は大の親友であり、小澤征爾は山本直純に対して指揮は彼の方が上であると尊敬しています。ほぼ同年代の二人の生まれから指揮者としての成功の足取りを書いています...【7月14日】
中央公論6月号の続きをよみました。日本史の話の他に、現代の政治事情とか国内のルポルタージュとか久しぶりに読んだ総合誌は面白かったです。【7月13日】
中央公論6月号の特集が逆転の日本史ということで、最近はかつての悪人と評価された人たちのみならず高評価の人たちの見直しなどが進んでいるというもので、中央公論なんて本当に久しぶりに読んでいます。それは新しい資料が出てきたりとか、集中的に研究されたりとかしての結果のようです。足利尊氏と後醍醐天皇との関係とか、織田信長の天下のこととか、坂の上の雲で司馬遼太郎に無能と言われた乃木将軍とか面白いです。【7月12日】
昨日、美女たちの日本史を読み終えて、夕食後読み始めた山のミステリー異界としての山を読み始めて、今朝の退院までの間に読んでしまいました。ミステリーといっても推理小説ではなく、とかく山に接して暮らしていると色々と不思議なことが起こります、ということを収集した本です。(管理人のいない)避難小屋で一人で宿泊していると、人(その付近で亡くなった遭難者が多い)が見えたりとか、引き止められたのに無理やり登山を強行して遭難しそうになったところ、幽霊のようなものに導かれて避難小屋にたどり着いたとか、そういうお話ですね。医者なのに山小屋に連れ込まれた瀕死の登山者を、今日は休日だからと診ることを拒否した医者の話(登山者は死んだ)もありました。「定本山のミステリー異界としての山」工藤隆雄ヤマケイ文庫電子版【7月11日】
歴史小説というジャンルでは男性中心のものがほとんで、かの司馬遼太郎も女性が主人公のものを聞いたことがありません。戦国時代までは女性がかなり歴史の表舞台にあって、歴史を動かしてきたことは事実。永井路子はそういう女性を掘り起こして、歴史小説全集まで出ました。NHKでのトークでこの全集からいくつかの作品を語り、終了後エッセイ化したものを読みました。へえと気づきを与えてくれる話でした。「美女たちの日本史中央公論社電子版」永井路子ゴマブックス【7月10日】
鎖骨整形の手術をうけまして、全身麻酔をしたあと回復に3時間余。そのあとは朦朧とした頭でトイレに立ちましたが、左腕に痛み止めの麻酔注射がされているので、アームスリング(昔でいう三角巾)から外れたら、ただの肉棒がぶら下がっているようで、我ながら気持ち悪かったです。手術のまえの待ち時間に、Kindoleで読んだのが(山小屋と同じくこういう時はKindoleに限ります)杉本苑子の美女たちの日本史。歴史上に名を残した女性の話です。【7月9日】
朝ランをしていましたら転倒してしまいまして、左肩甲骨をバキバキに折ってしまい、明日は再建手術となってしまいました。左手がいうことをきかず、時折骨が皮下神経を触るので激痛があって、やれやれな1日でした。図説室町幕府をトボトボと読んでいました。明日は全身麻酔をかけたあと、ぼーっとしていなくてはならないでしょう。【7月8日】
日本史づいていまして、図説室町幕府なる本を読んでいます。室町幕府というのは南北朝の延長にあって応仁の乱などはありますが、日本史でも地味なところですよね。この時代は日本文化の基礎ができたとは言われていますが、派手さがないので大河にもなりにくいです。このところ鎌倉府、古河公方、千葉氏などの本を読んだので、関東から離れて京の動向をということで読み始めました。【7月7日】
田んぼの苗もここのところだいぶ伸びてきました。現代の稲作は消毒を1回行いますがあとは水管理をしっかりすれば、秋にはお米ができ、田んぼに人が入っているのを見ることは多くないですが、江戸時代は苗作りから田んぼ作りまでとても手間暇がかかって、これから夏を迎えて雑草取りに追われる毎日で、田んぼ漬けでした。農民は休みなく働いていたということがよくわかりました。そして面白かったのが、結髪で、江戸時代の男女は鬢つけ油を塗っているので髪型はいつも整然としているのですが、あまり洗髪をしないので、汗や埃で臭気が漂っていたそうです。それを香料でごまかそうとするので、余計に複雑な悪臭がしたそうです。幕末の京都で新撰組が芸妓を捕らえて取り調べたとき、頭髪の異臭で耐えられなかったという話が残っているそうです。江戸でも御殿女中ですら日...【7月6日】
ビックコミックオリジナルです。セシルの女王はヘンリー8世の6人の妻の生き様が終わり、1ヶ月のブレイクがあって、エドワード王子とメアリ女王の話になっていきます。セシルとエリザベス女王との話はまだまだ先ですね。【7月5日】
江戸時代は駅前商店街などはありませんから、日々の食品とか日用品などをお店を探して買うことになります。実際はお店に買いに行くよりも、行商が裏長屋の奥まで売りにくるのを買うのですね。売るものを細分化していて、一人の行商は一つのものを売っているわけで、江戸の町中は行商の売り歩く声で実に賑やかだったのではないかと思います。時代劇を見ていると、夜暗くなって家に戻ると火打石で行燈に簡単に明かりを灯すシーンがありますが、火打石の火花でそんなに簡単に灯心、ローソクに火がつくものかと不思議に思っていました。そこのところは付木売りという行商が付木を売って歩いていたのです。マッチのようなもので、柿葺き(こけらぶき)の板のような薄い小片の板の先に硫黄が付いていて、火打石の火花をそこに移すと発火して燃え、その炎を行灯などに移して点...【7月4日】
先日、大江戸復元図鑑武士編を読みましたが、今度は庶民編を借りてきました。裏長屋、町奉行、町年寄などの話から始まりました。作者の画がわかりやすくて面白いのがこの本の特徴です。【7月3日】
最近は図書館に足繁く通っているのですが、(文学作品の)書架を眺めていると、かつて名のしれた作家の単行本が静かに資料のように並んでいて、一方でこの作家の作品がこれしか並んでいないのかと思ったりもします。職業作家は食うために売れる本を書いてきたわけですが、売れなくても純文学を書き続けるという人は今やいないのでないでしょうかね。ただでさえ本が売れないというご時世で、作家も大変です。また出版社を通さずにネットで作品を発表する人もいますね。かつてのベストセラー作家とその作品は今はどう評価されているんだろう、と文芸評論家の小谷野淳の本を読みましたが、面白かったです。発表当時の評価と今になっての評価とが、時代の流れですっかり変わって、この一作品で名を残した作家もいるし、数多く発表しても埋もれてしまった作家もいます。それ...【7月2日】
千葉一族の歴史を読了です。著者は高校生の時から千葉氏にハマり在野の研究家として幾星霜という人です。日本中の千葉氏の末裔を訪ね、中国にも行っています。面白かったので千葉市郷土博物館に行ってもっと知りたかったのですが、10月までリニューアル閉館中でした。残念。そういえば江戸東京博物館も長期の閉館中で、オープンは来年とのことです。「千葉一族の歴史」鈴木佐編著戎光祥出版【7月1日】
引き続き千葉一族の歴史を読んでいます。千葉県に住んでもいない限り、千葉一族に興味を持つことはないと思うのですが、本当に全国に系譜や伝承が広がっていることがわかります。前5千円札の新渡戸稲造も千葉氏の末裔だそうですよ。【6月30日】
ペリーが幕府を威嚇して下田と箱館の開港を取っていったあと、ロシアのプチャーチンが再び訪れます。まず大阪湾に姿を見せ、東海道沿いを江戸湾に向かいます。幕府は必死に下田で押しとどめ、ここで川路聖謨もやってきて再び日ロ会談が行われます。1回目が終わって2回目に移ろうというときに、安政の大地震が起きます。これは今危惧されている南海トラフの地震ですね。当然西日本での被害が大きいですが、下田も大津波に襲われ壊滅します。プチャーチンの乗っていたディアナ号は津波に翻弄され竜骨を折ってしまい沈没しないまでも航行不能になってしまいます。このディアナ号遭難の話は有名ですね。【7月20日】
川路聖謨の二日目です。長崎でプチャーチンとの外交交渉が終わって江戸への帰還中、ペリーの二回目になる江戸湾への来航事件が起きました。川路は勘定奉行という高官でありながら、人目のないところでは籠を降りて徒歩で先を進めます。共の者たちの方が参ってしまうほどの強硬軍でした。ペリーは軍事力を背景に強硬に開港を迫ります。そして幕府は下田と箱館の開港を認めるのでした。【7月19日】
久しぶりに吉村昭を読み始めました。幕末の幕府の外交を支えた川路聖謨の物語です。落日の宴というタイトルで、ロシアからの使節、プチャーチンと長崎で外交交渉をするところから物語は始まります。幕府(日本)として外交経験が無い中、開国要求を突きつけるロシアを相手に、一歩もひるまずに交渉した川路聖謨は現代の日本外交にも登場してほしいですね。【7月18日】
オリエントというのは一言でいえば今の中近東といわれるところです。中近東はアラブ人とイラン人が住んでいるというイメージですが、古代オリエントは他民族が切磋琢磨で王の興亡を繰り返していました。イラン人はペルシャとして古代オリエント史でも一番最後に登場しますし、アレクサンダー大王の帝国が崩壊した後はギリシャ人が先住民族の上に王国を作って支配しました。ヘレニズムという時代ですね。エジプト最後の王朝でクレオパトラのプトレマイオス朝もギリシャ人国家でした。ローマ帝国に支配された後混沌として、やがてマケドニアにはトルコ人が入り、イスラームが始まるとアラブ人が全体を覆うという風になったようです(イラン=ペルシャはイラン人)。古代オリエント史というのはアラブの歴史ではないのですね。駆け足でしたが人類最初の文明を俯瞰できた本...【7月15日】
CAPA7月号を読んで、ちょっと知識の再確認でブルーバックスのフォッサマグナをサラサラっと再読しました。フォッサマグナは日本列島の成り立ちと深く繋がっているので、面白いところです。【7月16日】
古代オリエント世界に最後に登場したのがアケメネス朝ペルシャ。ペルシャのイラン人はインド方面から移って来たそうです。イラクとイランはどう違うのか日本人にはわかりませんが、イラクはセム語族、イランはインド・ヨーロッパ語族で明確に違うのだそう。そしてアケメネス朝はほとんどのオリエント地域を支配するほどの大国となり、ギリシャとぶつかり、ペルシャ戦争は有名なところです。そしてギリシャ北方の王国からアレクサンダー3世(大王)が登場し、彼によって滅ぼされます。これで古代オリエントは終焉を迎えるということになるそうです。なるほど。【7月14日】
エジプト史というのは広義にはオリエント史ですが、傍流というものだそうです。エジプトは食料も鉱物資源にも恵まれていたので古王国の頃などは自国で完結していたらしいです。王朝には盛衰があるのであるタイミングで東からシナイ半島に放牧民族が移動してきてそのまま定着したようなことがあったそうで、だんだんオリエントとの結びつきが増えてきます。シリア辺りまで軍隊を出したりもしました。なかなかエジブト史というのを聞く機会がないのですが、ざっとした流れをこの本で知ることができます。エジプトにやってくる民族は多いのですが出て行く民族はないそうです。ナイルの水を使った小麦、大麦栽培はとても魅力があったということです。【7月13日】
古代オリエントの中でもヒッタイトという国は鉄器を始めた国として覚えています。アナトリアという現代トルコの小アジア中部にあった国です。前1500年頃を中心に500年ほど栄えた国です。鉄器を持っていれば青銅器に比べ圧倒的に破壊力があるのでオリエントを全部統一できそうですが、まだまだ貴重品で、他国への献上品としてあったそうなので、実用的に兵器に用いられたわけではありませんでした。国家機密の製鉄はヒッタイト滅亡後周囲に広まり、青銅器文明から鉄器文明へと変わったということです。【7月12日】
古代オリエントの歴史は紀元前8000年の頃に農耕文化が始まり、紀元前3000年頃にナイル川を持つエジプトとユーフラティス川を持つメソポタミアで文明が始まったという流れになります。農耕文化ではすでに灌漑が始まっています。エジプトは王朝が連綿と続きましたが、メソポタミアは王朝が生まれては消え、そしてまた生まれる歴史となりました。そんな中でもよく聞くのがアッシリア、バビロニア、ヒッタイトというところ。これらの国々は2000年という幅の中で関係してきたというと、現代はたかが200年くらいの幅で戦いを繰り広げています。今後1800年で今の諸国は存続できて、未来の歴史教科書に載ることができるでしょうか。【7月11日】
オリエント全史を読み始めたのは昼飯後で、エアコンの下で読み始めたら程なくうたた寝ってしまい、今日はほとんど進まずでした。【7月10日】
高校時代好きだった教科は世界史でした。受験も世界史でやりましたが、世界史は地理の要素もあるので好きでした。でも一国の歴史でも大変なのに日本以外全ての歴史を学ぶなんて大変ですよね。そういう意味で世界史概観というのが正しいのではと思います。人類史を俯瞰するとこの2千年余りは地球のあちこちに文明が栄えましたが、それ以前は東西はイランからエジプト、南北は黒海からアラビア海に面する地域をオリエントと呼び(呼んだのはヨーロッパ人ですが)そこに歴史は集中しました。人類史の半分以上はここで起きたことが歴史だそうです。文字がないと歴史とはいいませんから、縄文時代が5千年続きましたといっても歴史とはいえません(考古学の世界です)。受験の時にも苦労したのがそのオリエント史でしたが、古代オリエント全史を読み始めました。【7月9日】
鉄道ファン7月号を読んでいた1日です。二階の自室が猛烈な暑さで、夕方でも36度なので、涼しい居間に避難してます。で、こういう時は紙の本よりもiPadでパラパラ見る方が楽なので、正しく活字には触れておりません。寝る時はさすがにエアコンで冷やすのですが、寝る頃になっても階段の手すりが過熱しているのであります。【7月8日】
本棚に鎮座している東京電車のある風景Ⅱというのを読みました。昭和30年代から40年にかけての国鉄(当時)や私鉄の写真と今の写真とを対比しています。ただし、今といっても平成12年頃の話です。それから比べてもだいぶ東京は変わりましたからねえ。当時の街の様子が載っていますがこういうのを見ているのが楽しいです。【7月7日】
暑くて暑くてうんざりです。あと2ヶ月半もこういう日々が続くのかとおもうと・・・。ビックコミックオリジナルを読みましたが、ビックコミック4誌連合の新人コミック大賞で佳作をとった作品が掲載されていました。初めての殺人というものですが、なかなか衝撃的なストーリーでしたね。殺人が日常的に起きる街での高校生の初めての殺人という話ですが、コミックならではの内容だと思います。【7月6日】
太平洋戦争の記録物語は数多いですが、硫黄島の話といえば栗林中将のものが有名です。おうおうにしてそこにいた軍人からの目線で描かれています。それぞれの兵士たちがどう戦ったのかを知るのはいいのですが、野戦病院長の目線で書かれた玉砕の硫黄島に生きた混成第二旅団野戦病院という本がkindle本で目についたので読みました。著者はここの院長の軍医大尉ですが、この大戦なんと3度目の召集でした。それもよりによって硫黄島でした。サイパンを制圧した米軍はここを制圧し不沈空母とします。ここからB29が日本列島に向けて飛び立ちましたが、日本軍としてはなんとかそれは避けようと激戦が繰り広げられました。米軍もこの戦いでの損失は想定外のものでした。日本戦闘部隊がついに玉砕した後も病院は残ります。院長は最後は軍医兵士たちで(軍事訓練を受け...【7月5日】
愛犬の葬式を出してきました。昨日ドライアイスを買ってきて冷やしたので、すっかりと冷たい体になっていました。でも毛だけは生前のままで、撫でると思い出がよみがえります(涙涙涙)。荼毘に伏して骨を持って帰りました。まだ動物霊園には入れられませんね。前に飼っていた時も、2、3年は家に置いてあった記憶があります。【7月4日】
我が最愛の犬が逝ってしまい、今日はペットロスの1日でした。もう下半身も立たなくなって、昨夜はこのまま夜を越せるかと思っていたのが、朝は望外に生きていたのでこれはよかった、と思っていた矢先、午前のちょっと目を離した隙に旅立ってしまいました。心臓と心膜の間に水が溜まり(心嚢水という)何回も注射器で吸い出していましたが(なんと麻酔なしなんです)ついに力尽きました。中型犬は15歳くらいまでは生きるものですが、10歳の誕生日をあと4日後の七夕に控えた今日9歳でついえました。ということで活字はなしです。【7月3日】
Kindleで別冊文藝春秋7月号をパラパラめくって読みました。全部の小説を読む気はさらさらなかったのですが、推理物とホラーもの、書評に随筆などを読みました。ホラーものって久しぶりに読みましたが、自分自身は超自然というのは信じていないのですが、でも怖いものは怖い。あまり読んでいませんが今までで一番怖かったのは貞子です。【7月2日】
dマガジンで歴史人7月号を読みました。敗者の日本史特集でした。歴史は勝者によって作られるとは古今東西共通ですが、鎌倉北条氏、それを滅ぼした新田義貞、今川義元、武田勝頼、蘇我氏などが登場します。最近はこのような歴史上の敗者の方に興味が湧きますね。かつては豊臣秀吉や徳川家康の成功物語などが好きでしたが、年を取ってくると敗者に気持ちが移りますね。悪人がいいというのではなく、ひょっとしてこちらが勝っていればどうなっただろうというのが一つです。【7月1日】
八甲田山の雪中行軍大量遭難事故は、「無能な指揮官の命令によって、登山経験のない素人が準備不足のまま知らない山に登山した」ということでした。第5聯隊長津川は第31聯隊福島大尉の雪中行軍計画を知り、自分のメンツ保全から急遽雪中行軍を指示、しかし準備期間は全くなく、現地のことを知る人はなく、地図もなく地理も全く無案内で始めたもので、さらに同行の大隊長の雪山素人ぶりは目に余るものがあります。一方で31聯隊の福島大尉はルート上の村民に饗応を指示、さらに教導も強要します。どの将校もまともな判断をできる人たちではありませんでした。事故後陸軍は大甘の処分を下します。軍隊は一人のミスは上官のミス、その上官のミスとつながるのでどうしても処分が甘くなり、無責任体質となってしまいます。太平洋戦争でもこれが大いに発揮されてしまい、...【6月30日】