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  • 【5月31日】

    歴史の本をよく読みますが、信長がどうした秀吉がどうしたという歴史ものはこの頃読まず、戦国以前の細かな話を図書館で拾うようにしています。戦国時代までは守護大名(県知事)の下に国衆という現在の市長レベルがいて、その下に土豪がいました。大名は国衆をまとめないと両国経営ができません。住んでいる千葉県は安房、上総、下総の三国がありますが、守護大名はいなくて相模、武蔵を根城とする北条氏を巨魁とし、下総の千葉氏、上総の武田氏(甲斐とは違う)、安房の里見氏が領地を安堵してもらったり、背後についてもらったりしていました。ただ里見氏は北条氏とやりあう仲でしたね。一口に千葉氏と言っても、頼朝の頃の千葉氏からどんどん庶流が出て、千葉氏と名乗らないケースもあり、誰だどうだかわからなくなります(名前に胤が付くとそうかなと思います)。...【5月31日】

  • 【5月30日】

    最近は新聞もテレビのニュースも見ず、情報はSNSからという人が多くなっています。いわゆるオールドメディアは、かつては真実の報道ということに使命を感じていたはずですが(現場は今でもそうかもしれませんが)、下から上へ原稿が上がる段階で取捨選択され、色付けされているので、SNSのほうが素の情報という感じも受けます。でもSNSはフェイクも多く、受け取る側のリテラシーが求められます。特に災害時は情報が混乱することから、SNSを拠り所にする人も多いので、ここにデマ情報が流されると一気に広がってしまいます。デマは人類の発展と共に存在していたはずで、古代も現代も同じです。人間心理を突いているのですね。「本当のSOS」を埋もれさせないために何ができるのかという観点で、NHKのキャスターから転身し、自らの報道チャネルを運営し...【5月30日】

  • 【5月29日】

    文化庁が3・11を機に歴史の中の復興の記録を残すということに本腰を入れ、民俗知保存に力を入れるべく活動しているますが、2016年の江戸博物館での講演会を記録した本で副題が遺跡に刻まれた復興の歴史ということです。古代も近世(江戸時代)の人たちも、田が洪水にあったり、噴火にあったりしても、直ぐに逃げださず(程度によりますが)、復興を目指していたことは遺跡発掘をするとわかるのだそうです。日本列島は自然災害の巣ですから、日本民族はそれとの戦いの歴史でもあったわけです。次の(巨)大地震地震がどこで起こるのかは全くわかりませんが、災害を防災ではなく減災にすることが必要かと思います。「日本人は大災害をどう乗り越えたのか」文化庁編朝日選書【5月29日】

  • 【5月28日】

    日本列島に住んでいる限りは災害から逃れることはできません。大陸の東端に位置し、4枚のプレートがぶつかっているところということで、気象災害や地震・火山は世界的に見て多いところです。でも3万8千年前に日本人がここで暮らし始めたときは火山以外には災害に遭うことは少なかったのではないでしょうか。狩猟採取の生活では、いつでも住居を動かして危険から逃れることができました。定住を始めて、田畑や集落を持つと、そこで水害や地震の影響を受けるようになり、それを災害というのです。日本中の遺跡から災害の遺構が数多く見つかり、日本人がどうやって復興してきたということを2016年にえどはくカルチャーとして講演があり、それをまとめたのが日本人は大災害をどう乗り越えたのかという本で、苦難の歴史がわかる本です。【5月28日】

  • 【5月27日】

    日本の中世というのは圧倒的に管理されていない社会なのだそうです。強い者には自由度が高いのですが、弱い者は顧みられないということ。朝廷(公家)は日本を統治しているように見えて、実はその意志に欠けていて、貴族社会の継続が全てであり、幕府(武家)は御家人との関係が全てであったのです。歴史の表舞台に出てくる(名前のある)人は強者であり、摂関政治が終わり院政が始まると、皇室も公卿たちもかなり自由にお楽しみをしたので、ご落胤のような人が多数いました。皇室では親王・内親王宣下(ようは認知ですね)がされないと皇室の一員と認められないので、それ以外のお子達は名前もなく逼塞していたのです。もっとも色々な事件とかが重なって皇統が怪しくなるとこういう子たちに出番が来ることがり、改めて宣下がされたりします。現代日本では皇室の行く末...【5月27日】

  • 【5月26日】

    また図鑑です。地図研究家の今尾恵介氏の最新刊でこれも図書館で見つけてきました。今尾氏は地形図を丹念に読んで、鉄道や道路が何故こういうルートになっているのかとか、人の生活との関連などを著書にしてきましたが、この本は個性的な地形(著者は地形名所と言っている)を取り上げて3Dグラフィックと地形図(新旧比較したり)でその面白さを伝えています。地理院のWEB地図でも立体化して見ることはできるのですが、3Dグラフィックは植生などの色も着いているのでより立体的に見えます。まあ日頃地形図が好きな人向けではありますね。「不思議3D地形図鑑」今尾恵介朝日新聞出版【5月26日】

  • 【5月25日】

    大江戸復元図鑑<武士編>を読了。徳川時代の武士の仕事、あり様がよくわかりました。この本の出版社はもう廃業していて、この本も絶版。図書館でしか読むことができません。江戸時代を知りたいと思えばこの本はおすすめです。庶民編もあるので読んでみる予定です。「大江戸復元図鑑<武士編>」笹間良彦遊子館【5月25日】

  • 【5月24日】

    今日も大江戸復元図鑑。半分ほど読み終えました。時代劇ではわからない武家社会の身分差がすごいですね。足軽って武士の最下層ですが、幕府では同心と呼びます。奉行所に登場する人たちは同心が主です。たかが足軽風情という言葉がありますが、同心は足軽なんですね。ですから身分の高い武士と遭うと道端に引いていなくてはならないんですね。高貴な武士は偉そうに町を歩くわけです。その高貴な武士も、太平の世が続いて甲冑のつけ方もわからなくなって、さらに黒船騒ぎとなると庶民を兵隊にした(長州など)軍勢に負けてしまうわけです(もとより甲冑など鉄砲には役立たずですが)。【5月24日】

  • 【5月23日】

    大江戸復元図鑑を読んで時代物を読む、見るをするとリアルさが実感できますね。特に映像は決まった撮影所(ほとんどは京都の太秦)なので旗本屋敷を描くとき、実際は石高の大小で違う門構えを描けません。また200石の旗本は結構台所事情が苦しかったのですが、地方の藩士たる200石の方が暮らし向きは良かったということ、そして同じ200石でも江戸町奉行の与力はお目見え以下で旗本よりも格は下でありながら、奉行所への付け届けがあって、1000石の大身旗本並みの実収入があったのだそうです。武士は格が命ですが、実入りがあった方がいいですよね。【5月23日】

  • 【5月22日】

    図書館で書棚を眺めていたら、面白いものにぶつかり借りてきました。大江戸復元図鑑<武士編>というものです。見開きで一項目あって右ページに解説、左ページが著者自身のイラスト画があります。庶民編もあって、どちらを借りるか迷ったのですが、先に武士編を借りました。1冊6800円もしますから図書館様様です。著者は2005年に89歳で亡くなっていますが、学者ではなく甲冑の研究を主にしていた在野の方ですが、文学博士ももっています。著作は多く図鑑類も何冊かあり、知られた方だったのでしょうね。味のあるイラストです。【5月22日】

  • 【5月21日】

    日本列島5億年の成り立ちを、それがわかるところの写真(名勝が多い)を中心に解説した図鑑のような本です。地球史を365日にすると、日本列島の歴史は5億4千万年前カンブリア紀から始まるそうで、それは11月下旬となります。ただその頃は大陸の東端の部分だったのですが、2000万年前に地溝帯となって分離を始め、日本海が割れ始めたのです。それまでもイザナギプレート(今の太平洋プレートにあたる)からの付加体がくっついていて、南アルプスはその頃(白亜紀)の付加体でできていて、北岳の御花畑は付加体の多様性によるものだそうです。日本海ができてからは、火山、フォッサマグナ、付加体が日本列島に化粧を施すことになりました。そのかつての様相が今に残るところを写真で紹介していますが、そういうのは殆どが名勝です。「日本の地質と地形」高木...【5月21日】

  • 【5月20日】

    ビックコミックオリジナルですが、「ミワさんなりすます」が新しい展開になって面白いことになっています。そして「セシルの女王」の再開ですが、楽しみにしていました。「バックホームブルース」も「れむ」その他読み応えのあるものが多くなっています。【5月20日】

  • 【5月19日】

    昭和という時代は大戦争をまたいでいるのでその経緯を知るための記録が多くあります。特に戦前の日本は天皇が国の頂点に存在しましたから、政治と軍部と天皇がどう絡んでいたのかが大きな解明の点となります。天皇については側近の日記が多く存在、公開されていますし、宮内庁から昭和天皇実録が出ておりこれが公式なものとなっています。それらとは別に昭和天皇独白録が1990年に文藝春秋に掲載されました。これは戦後昭和天皇の御用掛としてマッカーサーとの間の通訳なども務めた外交官寺崎英成の記録が、娘が住むアメリカで見つかったことにより発表されました。寺崎英成は開戦当時アメリカ大使館に勤務していて開戦回避に努力していた人です(その時アメリカ人の夫人と結婚しました)。この記録は寺崎を含む5人の当時の側近が開戦から終戦にかけてのことをイン...【5月19日】

  • 【5月18日】

    頼朝が自分自身の武家の棟梁としての地位を確立るための努力と鎌倉の地位向上の努力を知ることのできた本でした。富士の巻き狩りというと、曽我兄弟の仇討ちとか長男頼家が鹿を仕留めたとかで有名ですが、実は信濃の三原野(みはらの)と那須でも巻き狩りを行っており、腹心のみを周りにそえて東山道の通り道である上野と下野の御家人にしっかりとアピールしたりしていました。同じ源氏の足利と新田にアピールする狙いがあったようです。富士の巻き狩りは腹心以外の参加も認めたので仇討ちが起きてしまいました。と、まあ大河ドラマではわからない幕府の地盤作りがわかった本でした。「頼朝と街道」木村茂光吉川歴史文化ライブラリー【5月18日】

  • 【5月17日】

    頼朝と街道の二日目です。富士川の合戦は平家対源氏の有名な戦いで、水鳥の羽音に平家が驚いて逃げたというものですが、事実はちょっと違っていて、富士川の戦いの前に同じような場所で甲斐源氏の武田と戦って、平家が殆ど敗戦だったのだそうです。富士川の戦いは実はこの前哨戦で事実上終わっていてました。頼朝はやる気満々でしたからそのまま富士川の先を目指そうとして、千葉氏や上総氏、三浦氏に諫められ鎌倉の背後の常陸佐竹氏を討つべしと言われ、富士川で引き返したということになっていますが、頼朝は戦いの主人公が甲斐源氏だったので、存在感を示すために常陸討伐に向かったというのが真相だということです。吾妻鏡や平家物語ではそうは言ってませんが。【5月17日】

  • 【5月16日】

    NHKの大河、鎌倉殿の13人がやっていた間は鎌倉時代の本をけっこう読んだのですが、最近はご無沙汰で。それでも図書館で頼朝と街道という本を借りてきまして、鎌倉政権の東国支配という副題のものです。頼朝が石橋山の合戦で敗れたあと、房総半島をぐるっと回って再び勢力を挽回し鎌倉に拠点を作るにあたって、政治的な動きというよりも、どうやって街づくりをしたか、物流を考えたかという見地から書かれたものです。鎌倉に居を構えた当時は東北の平泉という大経済圏があって、都と平泉は東山道から関東北部(上野、下野)を抜けて奥大道(おくのおおみち)を使ってつながっていました。鎌倉は全く外れたところにあったわけです。家康が関東入府した時ですら大湿地の南関東ですから、鎌倉は東海道のどん詰まりだったわけですね。頼朝が平泉を討伐したのは、義経よ...【5月16日】

  • 【5月15日】

    東京でもっとも有名な山は高尾山ですが、京都に高雄という有名な地名があり、実はここに由来しているそうです。高雄には真言密教の別格本山神護寺があり、高尾山も不動をまつる密教の山です。京都の真言密教集団が関東進出の拠点として作られたらしいのです。小田原北条氏の武蔵の拠点として近くに八王子城があるのですが、北条氏は別名慈根寺(じごじ)城としたそうです。そして高尾から相模湖界隈には桂、与瀬、醍醐、嵐、小原などあたかも京のような地名が残っているのでありますね。何気に登る山にはかくも色々な言われがあり、今までの山登りは地形、地学を中心にして風景を見ていましたが、地理学的な観点をもって登るのも山の楽しさを倍増させてくれるものだと思いました。「山の名前で読み解く日本史」谷有二青春出版社【5月15日】

  • 【5月14日】

    山歩きをするので山名が気になります。どうしてそういう名前なのか、ということですね。今日も図書館に寄って山の名前で読み解く日本史というタイトルを見つけたので借りてきました。頼朝の時代、秩父・武蔵野の覇者畠山重忠がいました。武甲山の近くに妻坂峠というのがあり、関八州展望台のそばに顔振峠というのがあり、どちらも行ったことがあるのですが、これが畠山重忠とゆかりがある峠だそうで、行った時は峠のいわれなど気にもしていませんでしたが、この本を読んでゆかりを知って古峠には色々曰くがあるのだなと思いました。先日歩いた奥秩父の雁坂峠もそうでしたし。【5月14日】

  • 【5月13日】

    東京湾は閉鎖海域で元々水質は良くなくヘドロが溜まりやすいのです。大正昭和の沿岸の工業化で一気に悪化しました。しかし、公害対策が進み江戸前の魚も美味しく食べられるようになりましたが、閉鎖海域では凄いことなのだそうです。さて家康がずぶずぶの南関東の水を抜いて田畑を増やそうと、利根川の東遷事業を行い、それは実現し東京湾から銚子に出口を変えています。表層はそうなのですが、実は地下水脈の利根川(+渡良瀬川)が東京湾に注いでいて、この水のおかげで水質の改善が早く進んだのだそうです。見方を変えると東京の地下は水が豊富で地盤が悪いということです。こういう地下水脈が閉鎖海域に注いでいるのは伊勢湾とか有明海とかがそうだそうです。浮世絵から色々なことがわかっていくのですねえ。面白い本でした。「江戸の秘密歌川広重の浮世絵と地形で...【5月13日】

  • 【5月12日】

    日本は国土の7割が山であり、そこには豊かな森林資源がありましたが、エネルギーも木材しか頼るものがないので、古代から山の資源はどんどん切り取られてきました。関西は古代から日本の中心だったこともあって気が切り出され、周囲の山々は禿山だったそうです。戦国時代は頂点を迎え、今は新幹線が緑の野を駆け抜ける関ヶ原も、あの合戦の時は禿山だったそうです。小早川秀秋の裏切りも全軍からよーく見えたということで戦況が一変したのです。江戸時代末期は本当に日本の森林資源は限界を迎えていたそうです。自然破壊という言葉は存在していない時代でした。黒船がやってきて木材に変わるエネルギーとして石炭が登場したのは僥倖でした。明治の頃の奥多摩や叡山ケーブルは木立一つない状況の写真があります。それから100年が経ち、植林が進んでそれが育ったおか...【5月12日】

  • 【5月11日】

    地形が作った日本史という観点でベストセラーを出している著者は、国交省で本省局長(めちゃめちゃ偉い)まで勤めた方で、河川のプロであり、神奈川の宮ケ瀬ダムを作った人でもあります。退官後は歴史にまつわる本をだしていますが、今回の本は江戸の秘密というもので、浮世絵を読み解きながら歴史を探るというものです。家康は秀吉に関東移封をされましたが、その頃の江戸(関東)は荒川、利根川の氾濫平野でほとんどが湿地帯。ですから、西からやってくる人は横須賀から房総半島に渡り北上していたのです。関東は宝の山だと秀吉におだてられていましたが、体よく湿地帯に囲まれたところに追い込まれたというのが実際でした。その家康が江戸で最初にやったのが小名木川という隅田川から江戸川(利根川)への運河を作ったことでした。兵員輸送のため海岸から内側を一直...【5月11日】

  • 【5月10日】

    元素の教科書を読み終えました。地球上には天然の元素としては原子番号94番のプルトニウムまでがあり、95番から118番までは人工元素です。アジアで初めて新元素を作った日本は113番のニホニウムがあります。人工元素を作るのは相当な費用(施設)と時間が必要です。ニホニウムは30番の亜鉛と83番のビスマスを衝突させ核融合で作られました。一口に衝突といっても加速器を使って亜鉛の原子核を光速の10%まで加速してビスマスの原子核ぶつけるのですが、原子核の大きさは1兆分の1㎝で衝突して融合する確率も100兆分の1ときわめて小さく当てづらいのですね。そのため大量の原子核をビームして当て続けるという地道な作業となりました。1秒間に2.4兆個照射しますが、2003年9月に実験を開始し、24時間体制で翌年7月にようやく「1個」の...【5月10日】

  • 【5月9日】

    元素の教科書を読んでいます。ブルーバックスに元素の話があるのを買って持っているのですが、図書館でより一般的な元素の話があったので借りてきました。恒星から水素とヘリウム以外の元素が作られるのですが、鉄までの話でそれ以降の元素は超新星などが作ります。そして宇宙に散った元素がまた太陽系のような恒星系につかまって惑星となり、そこから生物が生まれるわけで、生物が元素をどう利用するのかをしるためにもこういう話は面白いです。【5月9日】

  • 【5月8日】

    予定通り理太郎の道を逆に歩き、往時を偲びながらの山行となりました。2000m以上では5℃以下の気温でしたが、下界に降りると20℃を超えていて、また降りるにつれて木々が芽吹き、葉がしっかりし、桜も咲いてと冬から初夏への移ろいが感じられました。今日は活字お休みです。【5月8日】

  • 【5月7日】

    奥秩父の百名山甲武信ヶ岳に登りに来てまして、山のすぐそばの甲武信小屋を今日の宿としています。2400mのこの小屋の周囲は雪が残り、ここに来るまでは軽アイゼンがないとこれません。去年の今頃は石楠花が満開だったそうで、今年は雪深い5月となっているそうです。この奥秩父をこよなく愛したのは明治の登山家小暮理太郎です。地形図がまだ整備されていない時代に、登山装備も今とは全然違い、食事は米を持って上がり毎度毎度炊くのでありました。小暮理太郎の雁坂峠から甲武信ヶ岳に至る縦走を書いた小品が印象的で、明日はそのコースを逆にたどります。今日は早くに小屋に着いたので、理太郎の作品集を読んでおりました。【5月7日】

  • 【5月6日】

    雨の一日、またブルーバックスで宇宙論、宇宙の物質の起源を読んでいます。宇宙論というよりも宇宙に存在する4つの力と素粒子の関係、物質の起源に力をおいて書かれた本で、日本の二つの研究所から10人の科学者が10章を各々執筆しています。身の回りの物質は原子でできていますが、原子はこの宇宙でいかにしてできたのか、という話から始まってクオークの話、量子と場の話などですが、どの章も簡潔に書かれていてわかりやすいです。ただ、どの宇宙論でもそうですが、素粒子のスピンのはなしになるとだいぶもやもやしますね。【5月6日】

  • 【5月5日】

    共産主義思想家の「人間社会の最高段階として共産主義社会が初めてロシアで生まれた」などという主張が、彼らの脳内だけの創作物であるということがすぐにわかる(以上後書き)本でありました。ロシア革命はチャーチルの策動に始まり、ドイツ、アメリカ、フランス、ロシアのいくつもの錯誤の連鎖によってレーニンにとってまったくラッキーに起こすことができたのです。歴史にIFは禁物とはよくいわれますが、著者はIFをすることによって歴史から学ぶことができるというスタンスです。20世紀初頭のヨーロッパを巡る各国の駆け引きを日本は冷静に分析できていたのでしょうか。そうではなかったのでしょう。一部にリベラルな人がいたのかもしれませんが、石橋湛山の書籍を読んでいてもこのあたりを深く考察できていたかどうか。21世紀の今、ようやく解析できている...【5月5日】

  • 【5月4日】

    虚像のロシア革命は75%まで進みました。教科書歴史ではロシアの3月革命でロマノフ王朝が廃されメンシェビキの臨時政府ができたあと、ボルシェビキのレーニンが主導権を握り共産革命へと進んだということになります。そのレーニンはスイスを中心に活動を行っていましたが、帰国のチャンスは巡ってこず、一時はすっかり諦めていました。が、ドイツの革命商人がレーニンを帰国させて戦争継続をする臨時政府から露独講和へもっていくことを画策、独政府に提案し認められ、密かにスイスから列車を使ってドイツ・スウェーデン経由で帰国させます。しかし、なかなかロシア国民には受け入れられなかったところ、英国がトロツキーを(判断ミスで)ロシアに帰国させてしまいます。これでボルシェビキが一気に優勢になっていったということで、ロシア革命はレーニン自身の力で...【5月4日】

  • 【5月3日】

    早いものでもうビックコミックオリジナルの日となりました。今号はまた新連載が始まって、これはおじさん(お爺さん)でも読める漫画となっています。セシルの女王がまだ休載中です。昭和天皇物語は太平洋戦争が佳境に入ってきて、敗戦の坂道を下っています。【5月3日】

  • 【5月2日】

    英国はどうして良好関係だった独を悪の専制国家として(自分は善の民主国家)第一次大戦を戦ったのでしょうか。戦前は英国内では大陸のことには関与しないという空気でした。ところが北アイルランド問題が起きてしまいます。これは現代にも尾を引いている問題ですが、これが平和裏な解決がつかず、内戦にもなりかねない状況になってしまいました。国内がごたごたしているときに為政者がすることは国外に国民の目をそらすことです。チャーチルはまさにこの手を使い、対独参戦をするのです。そして世界一の海軍力でドイツの港湾封鎖と商船の破壊をおこない、ドイツへの食糧などの物流を止めます(明らかなルール違反です)。一方でドイツはいかにひどい国かを世界に喧伝し、米国の参戦を促し、中立国とされていたベルギーの中立も反故にします。さらにドイツの暗号の解読...【5月2日】

  • 【5月1日】

    最近は歴史の見直しが進んでいます。学校の教科書に書かれていたことも、昭和の時代のものと比べるとだいぶ変わっています。現代史においては米英ソによる歴史が教科書の主流でしたが、20世紀後半から新たな文書の発見とか公文書の公開とかで、歴史観を変える必要が出ていると思います。日本人は英国というと紳士の国というイメージを長年もってきましたが、実は英国こそが世界をグダグダにかき回してきたと言えます。紳士のイメージとして「チャーチル神話」があり、日本人はチャーチルが好きで、彼の本はよく読まれています。このチャーチルが20世紀前半の世界をかき回してきた張本人であったという検証がなされています。第一次世界大戦はセルビアで起きた小さな戦争で終わるべきものであったものが、露仏の思惑とチャーチルの冷酷、狡猾、出世欲で世界大戦にな...【5月1日】

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