かの西行は多くの歌を残しました。ちょうど院政から武士の世界(鎌倉幕府)の転換期に生きた人です。出家前は佐藤義清という北面の武士でした。西行が西行になる過程が描かれていてへえと思いながら読みました。奥州をはじめとして行脚をしていましたが、決してボロボロの法衣を着て行脚をしていたかというとそうではなく、自分の荘園を持っていたので(佐藤は藤原北家の出)、お金はちゃんとあったそうです。頼朝に義朝のドクロを見せに行った怪僧文覚はそんな西行を嫌っていて殺してやろうと思っていたのですが、チャンス到来の歌会の場で、西行の顔を見て止めたのだそうです。それは西行の面構えが北面の武士のそれだったからだそうです。【7月20日】