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2006/09/29

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  • サムハラ神社

    (大阪市西区立売堀)昭和25年(1950)中之島に創建した比較的新しい神社であり、現在地へは昭和36年(1961)に遷宮している。祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祀り、三柱を総称してサムハラという。サムハラという言葉は、サンスクリット語の三跋羅(サンバラ)に由来し、「仏の定めた戒律」を意味する。無傷無病、延命長寿の神として知られる。サムハラ神社

  • 上穂庚申塔

    (長野県駒ヶ根市上穂栄町2006年4月16日)元禄八年(1695)に建立された、上穂村の庚申塔である。青面金剛の他、三猿、二鶏、邪鬼が彫られている。上穂庚申塔

  • 大阪豊國神社

    (大阪市中央区大阪城旧府社)明治12年(1879)京都東山の豊国神社大阪別社として中之島に創建した、豊臣秀吉と秀頼、秀長を祀る神社である。昭和36年(1961)現在地に遷座し、戦時中に金属供出された秀吉像も復元されている。大阪豊國神社

  • 鶏頭山往生院安楽寺

    (長野県駒ヶ根市上穂栄町2006年4月16日)下総佐倉で生まれた僧還夢が鎌倉材木座の光明寺で修行し、天文二年(1533)に開基したのが始まりという。その後、正徳五年(1715)山崩れにより流出し、文化六年(1809)には大火で焼失している。鶏頭山往生院安楽寺

  • 旧第四師団司令部庁舎

    (大阪市中央区大阪城)大阪城本丸跡に長らく閉鎖されていたロマネスク様式の近代建築がある。大阪城天守閣と同じく昭和6年(1931)に竣工した、RC造3階地下1階塔屋付、延床面積7,000m2の軍事施設である。終戦後はGHQに接収され、その後は大阪市警視庁、大阪府警察本部を経て、大阪市立博物館となった。平成13年、博物館は大手前に大阪市歴史博物館として移転し、平成30年まで閉鎖されていた。現在は商業施設「ミライザ大阪城」として利用されている。旧第四師団司令部庁舎

  • 中アと石まもり

    (長野県駒ヶ根市2006年4月16日)中央アルプスの麓には、多種多様な「石まもり」が佇んでいた。中アと石まもり

  • 大坂城平成三十一年

    (大阪市中央区国指定特別史跡)(関連記事:大坂城平成十三年大坂城大手旧大坂城三の丸石垣大坂城平成二十三年)大坂城平成三十一年

  • 駒ヶ根高原美術館

    (長野県駒ヶ根市赤穂2006年4月16日)平成5年、画家池田満寿夫、彫刻家瀬戸剛、写真家藤原新也らの協力のもと、「生きている美術館」をキーワードに設立された美術館である。また、ワークショップ等を行い、生涯学習施設の役割を担っている。(2017年閉館・解体)駒ヶ根高原美術館

  • 壺屋やむちん通り

    (沖縄県那覇市壺屋)平和通りから与儀大通りまで弧を画く通りがある。琉球王府が各地から陶工を集めた一角であり、「やむちん」は焼き物を表す。総称して壺屋焼と呼ばれ、製造販売の小さな陶器店が軒を連ねる。また、東端には「東ヌカー」(東:あがり・ヌカー:井戸)がある。壺屋やむちん通り

  • 光前寺

    (天台宗宝積山無動院長野県駒ヶ根市赤穂2006年4月16日)貞観二年(860)本聖(ほんじょう)によって草庵が結ばれたのが始まりという。その後は兵火等により幾度となく焼失したが、武田家、羽柴家、徳川家からの庇護を受け繁栄した。現存する伽藍は、嘉永四年(1851)の本堂、文化五年(1808)の三重塔、室町時代の国重文弁天堂、享和二年(1802)の経蔵等がある。また、霊犬伝説については次の関連記事を参照のこと。(関連記事:早太郎悉平太郎)光前寺

  • 那覇平和通り

    (沖縄県那覇市牧志)国際通りから神原大通り、開南せせらぎ通りに至るこの通りは、戦後間もなく露店が立ち並んだことが始まりであり、昭和26年(1951)商店街入口にあった映画館、平和館に因んで名付けられた商店街である。昭和56年(1981)アーケードが設置されたが、老朽化により撤去が検討されている。那覇平和通り

  • 伊那本郷

    (長野県上伊那郡飯島町本郷2006年4月16日)南駒ケ岳、空木岳、越百山が望められる伊那谷の閑景。伊那本郷

  • 牧志

    (沖縄県那覇市牧志)1451年、琉球王国尚金福王が長虹堤(浮道)の浮島(那覇市久米)と首里を結ぶ築堤を築き、その後村が形成されたことに始まる。牧志

  • 天竜川舟下り

    (長野県飯田市2006年4月16日)江戸時代に物資輸送の手段として始まった天竜川舟下りは、大正6年(1917)からは遊覧専門の舟下りが開始された。天竜川舟下り

  • 金武湾

    (沖縄県うるま市・国頭郡金武町)金武(きん)岬と与勝半島の間の内海である。三つの火力発電所があり、海の色と人工物の対比を感じる海である。金武湾

  • 俳聖殿

    (三重県伊賀市上野東町2006年4月14日)昭和17年(1942)松尾芭蕉生誕三百年を記念し、芭蕉像を安置するために上野城内に建造された、木造二層八角形の建築物である。設計は建築家伊東忠太であり、意匠は芭蕉の旅姿を表しているという。俳聖殿

  • 国頭奥間

    (沖縄県国頭郡国頭村奥間)この地に住む鍛冶屋が、琉球王国尚円王(初代第二尚氏)を支援したことにより、三司宮(宰相)である国頭親方になったという。国頭(くにがみ・くんじゃん)奥間(おくま・うくま)の一部は終戦後米軍に接収され、米軍及びボイス・オブ・アメリカの保養地となった。昭和52年(1977)返還されたのを機に、日本航空主導によるリゾート開発が成された。国頭奥間

  • 上野天神宮

    (菅原神社三重県伊賀市上野東町旧県社2006年4月14日)かつては真言宗上野山平楽寺(現萬福寺:上野寺町)の鎮守であったが、藤堂高虎の上野城移封の際に城の鎮守として現在地に遷座した。上野天神宮

  • カフーナ旭橋・沖縄県立図書館

    (沖縄県那覇市泉崎)那覇バスターミナルは2015年、旭橋北地区再開発により一時移転され、バスターミナルと市内寄宮から移転した沖縄県立図書館(3階ー6階・蔵書約90万冊)、イオン系のオーパ、オフィスフロアが入るカフーナ旭橋A街区(SRC造11階地下2階延床面積65,100m2)となった。訪れた日は図書館移転オープン当日で、ビル全体含め初々しい場面を多く目にした。カフーナ旭橋・沖縄県立図書館

  • 伊賀上野

    (三重県伊賀市上野町2006年4月14日)三重の小京都と呼ばれるこの場所も、奈良に行く途中何度となく通ってはいるが、今まで立ち寄ったことはなかった。平成の時代とは思えない沿線の車窓景色を見ながら伊賀上野駅に到着した。近鉄線は関西線構内にあり、ワンマンカーで、忍者パッキングされた電車が走る。降りるときは、切符は駅の箱に入れといてという感じで乗務員が集めるでもなく、JR近鉄共、有人改札も居たり居なかったりという感じで非常にのんびりしていた。市庁へ寄り、昼であったので役所の食堂に入った。各部署も先頃の合併、配置転換等で職員が把握しきれてない感じだったが、誠実な対応であった。石垣の高さ日本一という藤堂高虎の上野城を訪れた後は、この地出身である芭蕉翁記念館、近くの市歴史民俗資料館で往古からの歴史更に日本六古窯の一つ、伊賀...伊賀上野

  • 小名木川橋梁

    (東京都江東区)旧中川と隅田川を結ぶ運河、小名木川にトラス橋が架かる。昭和4年(1929)に築造された、総武線越中島支線の鉄橋である。現在は廃止されアリオ北砂(イトーヨーカドーがキーテナントのモール)になった小名木川貨物駅に向かう貨物の光景が浮かぶ。小名木川橋梁

  • 伊賀線

    (近畿日本鉄道伊賀線2006年4月14日)関西線伊賀上野駅から分岐する伊賀線は、大正5年(1916)上野町(1941-上野市)まで開業したのが始まりである。その後、名張まで開業したが、参宮急行電鉄の伊賀神戸ー名張間が競合するため、昭和39年(1964)現在の区間となった。現在は近畿日本鉄道の経営であるが、赤字対策により近い将来、経営分離をする計画が持ち上がっている。伊賀線

  • 治兵衛稲荷神社

    (東京都江東区北砂)砂町銀座の北方、稲荷通り沿いに神社が鎮座する。慶安年間(1648-52)付近一帯を開拓した「治兵衛」という人物が、伏見稲荷から宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を勧請したのが始まりという。治兵衛稲荷神社

  • 関西線三重県

    (2006年4月14日)関西線三重県

  • 砂町銀座

    (東京都江東区北砂)明治通りと丸八通りの間600m余りの商店街である。訪れたときは夜も更けていたが、「訪れてみたい商店街」に選ばれるなど、日中の活気は想像できる。砂町銀座

  • 学びの森

    (岐阜県各務原市那加雲雀町2006年4月11日)岐阜大学農学部の農場があったこの地は、2005年に都市公園として整備され、かつて学びの場であったことから「学びの森」として開放された。学びの森

  • 深川住吉

    (東京都江東区住吉)錦糸町の南に位置する住吉は、昭和9年(1934)深川猿江裏町の一部・深川東町の一部・深川本村町の一部が好字を用いて深川住吉町として成立したことに始まる。昭和43年(1968)現在の住吉に改称された。深川住吉

  • ムカサキッチン跡

    (静岡県沼津市市場町2006年3月30日)沼津市役所の前に違和感のある光景があった。演出なのか、ただ自然に廃れているのか、どうやら後者のようである。バブルを待たずに廃業したカレーショップの残影がそこにあった。地元では味に定評のある名店として知られていたという。(2018年解体)ムカサキッチン跡

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