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  • 小笠原

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  • 廃村 小俣

    今年の春、静岡県の旧春野町に仕事で行った折、かねてから行きたかった小俣という廃村に行ってきました。一番近い石切という集落から3Kmも山道をあるいてたどりつきます。山の中に広い緩斜面があり、その上に廃屋が4軒くらいと小学校の校舎(写真)があります。手前はグラウンドの跡かと思われます。石碑があり、それによると小学校は昭和41年に閉校とありますが、廃屋には衛星放送のアンテナがある家があり、完全な離村は昭和の終...

  • 三浦半島から見た富士山

    葉山から見た富士山です。冬になると三浦半島から相模湾を隔てた山々がくっきりと見えます。富士山の左側が箱根、右側が丹沢です。丹沢の手前に見える島が江の島です。富士山のすぐ左側の山地の小さい出っ張りは矢倉岳です。昨年の今頃、葉山に仕事で行っており、ここ長者ヶ崎で昼休みをとりました。 FujifilmX-M1 EBC XC 16-50mm 葉山町長者ヶ崎...

  • 廃村 平和

    静岡県旧佐久間町の廃村、平和(ひらわ)です。天竜川の支流、水窪川沿いの国道152号線から山道を1Km以上登った山腹にあります。山道(歩道)をゆくとスギ林の中にいきなり火の見櫓が現れます。ここに村があった証拠です。廃屋は1軒だけしか残っていませんが、住居跡の平場は5軒分ほど確認できました。住居跡ではかまど、流し台、釜、古いポット、缶詰の缶、ブリキのおもちゃ(マツダのライトバス)、プロパンガスの容器などがあり...

  • 廃村 宇連

    飯田線の三河川合駅から細い道を10Km以上山奥に入ったどん詰まりの場所に、宇連という集落の跡があります。確認した人家数は5軒で、今は誰も住んでいませんが、一軒だけは比較的きれいで最近まで住んでいたと思われます。他の家は、落ちていたビンやカン、スギの樹齢、などから昭和40年代に離村したものとおもわれます。国土地理院で公開している空中写真で確認しましたが、昭和40年代後半には写真の家の周囲はすでに植林されてい...

  • 旧白丸トンネル

    青梅街道(国道411号線)の氷川と白丸の間にある旧白丸トンネルです。このトンネルは大正時代に貫通したもので、それ以前はこのトンネルの上方にある切通し(数馬の切通し)を通行していました(歩道)。氷川と白丸の間の山はチャートという固い岩盤でできていて非常に険しく、江戸時代に数馬の切通しが開通するまでは行き来が困難で、甲州から来た人は五日市の方に抜けていたそうです。現在は立派な白丸トンネルができていますが...

  • 山の上の茶畑

    旧天竜市の阿多古川上流には山の上に集落が点々と散在しており、そこではお茶が栽培されています。これは、この付近の地質が結晶片岩などの変成岩で、粘土化しやすくそこでは耕作が容易だからだと思われます。硬い岩盤の山地では山の上に集落はあまりみられません。ただ、粘土化しているので地すべりを引き起こしやすく、というより地すべり地の上に集落が立地していて、いろいろな地すべりの対策工事がなされています。 ...

  • 中田島砂丘

    浜松市の太平洋に沿って砂丘が広がっています。この砂丘は中田島砂丘と言って、日本三大砂丘のひとつとされています。以前はもっと雄大な砂丘だったそうですが、海岸がどんどん後退して現在の姿になっているそうです。海岸が後退している原因はダムのせいで土砂の供給がカットされているためです。それは天竜川沿いを上流に向かって走ると一目瞭然となります。天竜川流域は地質が悪く、地殻の隆起が激しいので、大量の土砂が流出す...

  • 酒匂川

    松田町付近で東名高速沿いの山に登ると、眼下に小田原市の市街地が広がります。写真の中ほどを右から左に流れているのは酒匂川です。酒匂川はちょうど北米プレートとフィリピン海プレートの境界にあたり、酒匂川を流れる土砂は相模トラフに流れ込んでいます。対岸の山は箱根火山で、フィリピン海プレートにのって南方からやってきて日本列島側に衝突したものです。プレート同士が衝突している場所は世界でも珍しく(普通は海側が...

  • 江戸城の石垣

    江戸城は、1590年に徳川家康が入城するまでは荒れた小城にすぎませんでしたが、1603年より家康は諸大名を使って大規模な改築工事を行いました。石材は小田原から運んだそうです。恐らく真鶴付近の箱根火山の溶岩と思われます。石垣の角の部分の積み方は切込み接(きりこみはぎ)と言って、石を加工して隙間なく積む方法です。高い技術力と財力が必要だそうです。江戸城は武蔵野台地の東端にあたり、当時は目前に原野が延々と広がっ...

  • 晴海橋

    1989年に廃止となった東京都港湾局専用線(晴海線)の晴海橋です。橋の上のみレールが残っており当時の面影を残しています。 Fujifilm Tiara2 NEOPANPRESTO400 江東区晴海...

  • 鶏冠山

    山梨県北部、秩父山地の鶏冠山(とさかやま)です。笛吹川の上流の西沢渓谷の入り口からよく見えます。山の形が鶏冠に似ていることからこの名前が付いたそうです。恐らく花崗岩の中の硬い岩脈が残されてこんな地形になったものと思われます。 旧三富村東沢Kyocerra slimT NEOPANPRESTO400...

  • 間瀬堰堤

    埼玉県の旧児玉町にある間瀬堰堤です(長瀞の山向こうのあたり)。日本最古の農業用ダムといわれており、竣工は昭和11年です。日本の近代土木遺産に指定されています。 旧児玉町元田FUJICAGS645 NEOPANPRESTO400...

  • 秋山郷

    平家の落武者部落として有名な秋山郷です。中央を流れる中津川の両岸は火山である苗場山と鳥甲山の溶岩なので急傾斜で、冬季は数メートルも積雪するため、孤立しやすく近年まで何回も飢饉に見舞われたそうです。写真の集落は地形から地すべり地と思われます。急な谷間では地すべり地くらいしか耕作できる土地がなかったのだと思います。撮影したのは11月で、山の上の方に雪が見えます。この集落もあと一月もすると完全に雪に埋もれ...

  • 信濃川段丘

    信濃川の段丘の写真は以前にもアップしましたが、これは信濃川と中津川の合流点付近の写真です。奥の雲がかかっている山が関田山脈で、信濃川はその下を画面左から右へ流れています。手前が中津川(秋山郷から流れてくる川)です。正面の山がナイフで切ったように水平にスパッと切れています。これは昔の信濃川の侵食作用によってできた平坦面です。中津川からの高さは100m以上あります。面白いことに、下から九十九折で上がってき...

  • ヌク沢珪石運搬軌道

    笛吹川源流部の西沢渓谷から甲武信岳に向かう登山道に沿って珪石運搬軌道のレールが残っています。廃止になったのは昭和40年より前でしょうからもう50年近くになりますが、トロッコの走っている姿を彷彿とさせます。レールが残っているかどうかは私のようなマニアにとって非常に重要でw、金と時間をかけて行く価値があります。西沢とヌク沢の合流点の辺りで、塩山までの三塩軌道に積み替えていたと思われますが、高低差が20m以上あ...

  • 天竜杉の谷

    天竜地区の山は全面的にスギの人工林が広がっていますが、非常によく手入れされています。私は全国の山を歩いていますが、ここまできれいな山は珍しいです。ちょっとやりすぎのような気もしますが、よく手入れされた人工林には独特の美しさがあります。山の斜面には小さい集落が点々としています。実はこういうところは地すべり地で、土が粘土質なため作物を育てられるので中世のころ人が住み着いたと思われます。 ...

  • 大正池に映った焼岳

    大正池から見た焼岳です。コントラストが強すぎて山の本体が白とびしてしまいましたが、池にちゃんとした像が映ったところが面白かったのでUPしました。土石流の跡が山体に生なましく刻まれています。 松本市安曇MinoltaX700 MCrokkor28mm NEOPANPRESTO400...

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