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akiw8504
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2006/06/13

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  • 9/30

    北九州市八幡西区木屋瀬地区の続き、、郡屋跡陣屋は、郡内の村役人の集会所で、福岡藩は筑前六宿をはじめ主要な宿場に設置していたそうです。問屋跡問屋場は、馬・人足・駕籠等の調達や飛脚・荷物の発送等、宿場でもっとも重要な施設とのこと。ここは普通のお店だが、看板が面白い。ここは昭和風で、、太陽さんは平成犬(2017年9月12歳)9/30

  • 9/29

    北九州市八幡西区木屋瀬地区の続き、、、代官所跡現在は石垣のみ残っています、、「みちの郷土史料館」ちょっと時間がなくてスルー、、街並み彼岸花も咲いてました久しぶりに太陽さんの写真も、、日陰に避難中ですね(2017年9月12歳)9/29

  • 9/28

    北九州市八幡西区木屋瀬地区の続き愛宕山護国院直方四国の札所で、本尊は不動明王を祀るお堂となっています。境内には、建立年不明の庚申天尊、文久2年(1862年)建立の常夜燈、五輪塔の空輪が2基分あります。旧船庄屋(梅本家)です。現在の建物は、天保年間の建築。室内は、奥まで続く土間があります。(現在はシートが敷いてありました)9/28

  • 9/27

    北九州市八幡西区木屋瀬宿の続き旧高崎家中も見せていただきました。無料です(^^箪笥と階段を兼ねた「箱階段」街道に面した雨戸は、上半分を内側に吊り上げ、下は柱の溝に沿って外すことが出来るようになっていました。「摺り上げ戸」と言うらしいです。近くに咲いていた花、、9/27

  • 9/26

    北九州市木屋瀬地区散策の続き木屋瀬宿の庄屋だった松尾家。現在の建物は江戸時代末期の建築だそうです、、なかは見れなかった。同じく木屋瀬宿の内村庄屋だった元高崎家は、解体修理の際、柱の墨書から天保6年(1835年)の建築と判明。井戸。内部は当時の瓦質の粘土板が円形に組まれています。(六角の枠は復興整備の際に作られたもの)写真では、ちょっと見えにくいですが、2階の天井は船の底のように、中央部が両端より勾配を持って高くなった「船底天井」となっています。雨戸は、建物の角である入隅と出隅で戸板を回転させ戸袋に収納することが出来るように工夫されています。出隅の鉄鉤。9/26

  • 9/25

    筑豊電鉄に乗って北九州市八幡西区の木屋瀬まで行ってみた、、江戸時代に長崎街道の宿場町の木屋瀬宿として栄え、筑前六宿の一つに数えられていたそうです。写真は「搆口」といわれるもので、宿場町の出入り口に石垣を組み、その上に塀を築いたもの。こちらは左側。築かれた時期は、参勤交代が制度化された寛永12年(1635年)以降と考えられています。市内に残る唯一の遺構だそうです。構口の外側に、元文3年(1738年)に建立された追分道標が建っています。右赤間道、左飯塚道と刻まれています。ただ、こちらはレプリカだそうで、本物は資料館に移されているようです。9/25

  • 9/24

    夕焼け変わった壁のビルビルとビルの間にお不動さま、太陽さん何やら上目使いと思ったら、おやつの煮干し待ち、、、(2020年9月15歳)9/24

  • 9/23

    山口ザビエル記念聖堂フランシスコ・ザビエルの来日(山口での布教活動)400年記念として1952年(昭和27年)に建てられたそうです。太陽さんは撫でられ中(2018年9月13歳)9/23

  • 9/22

    お彼岸です、、彼岸花、、三輪オート、、放置されてました太陽さんは庭を掘りまくってご満悦、、(2018年9月13歳)9/22

  • 9/21

    山口市洞春寺毛利元就の菩提寺で、元亀3年(1572)に孫の毛利輝元によって現在の広島県安芸高田市に創建されました。山門(重要文化財)応永11年(1404年)創建当時のものと思われます。中門その後、毛利氏とともに広島市、萩市、山口市へと移り、明治4年(1871)に現在の地に移りました。現在の地は、応永7年(1400)に大内盛見が創建した国清寺があった地とのことです。観音堂(重要文化財)鐘楼門9/21

  • 9/20

    山口龍福寺本堂(重要文化財)弘治3年(1557年)毛利隆元が、大家義隆の菩提寺として、龍福寺を大内館跡に再興しました。元大内氏の氏寺であった興隆寺の本堂を移築したのが今の本堂だそうです。資料館の前にある大内義隆公の像太陽さん、、なでられてご満悦(2018年9月13歳)9/20

  • 9/19

    なんか味のある写真館今はやっていないようでした、、山口八坂神社(重要文化財)本社は大内弘世が応安2年(1369年)に京都から勧請し永正16年(1519年)に大内義興が高峰山麓に本社を移し、社殿を新築したそうです。江戸時代の末期毛利氏は本殿を現在の地に移しましたが本殿は永正16年に建立されたままのものです。太陽さんはご機嫌な様子(2018年9月13歳)9/19

  • 9/18

    山口常栄寺・雪舟庭本堂雪舟作の庭園雪舟は室町時代に活動した水墨画家・禅僧。池の水がちょっと、、、紅葉の時期は、きれいなんでしょうね、、9/18

  • 9/17

    山口常栄寺雪舟庭獅子?本堂へ、、「南溟庭」古典造園の復元・修復や創作の大家重森三玲作雪舟作「雪舟庭」9/17

  • 9/16

    山口常栄寺雪舟庭常栄寺は、およそ500年前に守護大名・大内政弘が別邸としてたてたものだそうです。庭は雪舟に依頼して築庭させたものといわれています。地蔵堂前庭「無隠」9/16

  • 9/15

    山口湯田温泉駅駅前には狐が、、ポストも狐味のあるお店太陽さん13歳眠そう、、、(2018年9月)9/15

  • 9/14

    ちょっと前に用事で行った山口。新山口駅JR新山口駅の北口駅前広場と南口駅前広場をつなぐ通路にあるフランスの植物学者パトリック・ブラン氏が制作した「垂直の庭」。約140種類の植物で緑の壁が作られています。「山口ゆめ回廊博覧会」というのをやっているらしい。コロナのおかげでイベントが自粛らしいが、、、在来線太陽さんが覗いてる(^o^)(2019年9月14歳)9/14

  • 9/13

    まだまだ暑いですが、秋はやってきてます、、彼岸花2019年14歳の太陽さん優しそうな表情9/13

  • 9/12

    ちょっと前の写真鷺アオサギそして太陽さん(2019年9月14歳)9/12

  • 9/11

    小倉競馬の続き最終コーナーを回って、、追い比べメインレースのファンファーレは生演奏だった。楽隊の皆さん、、凛々しい今年の小倉開催も終わり夏がまた一つ終わりました9/11

  • 9/10

    小倉競馬場1年半ぶりに入場できました。十分に感染対策をして行ってきました。パドック暑いのでミストが出ている、馬もちょっとは涼しいかな?ダート砂を巻き上げて走るボクだって若い時は走るの速かったワン!(2019年9月14歳)9/10

  • 9/9

    カエルを捕食するサギ鳥さん太陽さん14歳のころ(2019年9月)9/9

  • 9/8

    花火の続き夏も終わりな感じがした、、、太陽さん14歳の夏(2019年9月)9/8

  • 9/7

    小倉の夏祭りは、昨年に続きオンラインだった。ただ、花火は上がった、家のベランダから鑑賞9/7

  • 9/6

    空が秋の空になってきた太陽さん15歳まさに御大という感じ(2020年9月)9/6

  • 9/5

    福岡市博物館特別展【徳川家康と歴代将軍~国宝・久能山東照宮の名宝~】のみ見れた福岡タワー2020年9月15歳の太陽さんこのころは、だいぶ弱ってました、、9/5

  • 9/4

    2006年9月の海2006年9月1歳の太陽さん9/4

  • 9/3

    夜のお散歩公園北九州メディアドーム夜は、ちょっと涼しくなってきた、日中はまだまだ暑いですが、、、9/3

  • 9/2

    夜散歩公園球場の照明9/2

  • 9/1

    9月になりました、、今年もあと4ヶ月、どんどんと音がするので、外を見ると花火が上がっていた。サッカーの試合の後に上がったらしい。街の花、、太陽さん13歳(2018年8月)9/1

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