当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
このコロナ禍によって揺さぶられて、皆さんが急速に膨らませた住まいへの衝動。私はそれをこの国の住まいをもう一歩進めるのに格好のチャンスだと思って病みません。もう大量消費、大量生産の時代ではないことは、誰の目にも明らかで、皆さんにも何となくご
より暮らしにフィットした住まいを求めるほどに、あなたは個人のパーソナルとして、どう暮らしていくのですか?という問いが、どんどん濃度を増していくような気がするこの頃ですが、これは戦後の住まいづくりの取り残されている課題の一つかもしれません。巨
性能は言うに及ばす、住まいは、住まい手をしっかり下支えして守るものでなければなりません。このところのコロナ禍で、住まいの性能が急速に求められているのも、その一つの現れだとは思います。言い換えれば、今まで宅外の活動がほとんどであった24時間
とにかくおうちにいてください。ずっと、そこで日常を送ってくださいと言い続けられて、私たちは社会とのしがらみを一気にひっ剥がされて、少々「孤独」というものとうまく付き合わなければならない日常に突入したということが言えるのかもしれません。一つ
昨年冒頭のクルーズ船から始まったコロナ禍からの一年、うまく言えないのですが、住まいというものに対する圧倒的にこれまでとは違った強い期待というか、皆さんの想いの深さを急速に感じるようになりました。性能に関してもそうですが、これまで長年にわた
不真面目だとは言いませんが、世の中が一気に盛り上がりを見せ始めるとそれに同調して、さまざまな流れが合流して「流行」という大きな流れが生まれます。地球温暖化に伴う気候変動は待ったなしの人類の課題として目前に迫っていますが、それも相まって今「
さて、「省エネ」という言葉の乱用は、実態を伴わないものを多く含んでいないかという問題提起をしました。国の基準が甘すぎるから、2020年にはもっと高性能にしなければならないと、研究者や材料メーカー、実務者で研究提言をしているHAET20とい
日本の住まいの省エネ化は、いわゆるマイナススタート、「漏エネ」の状態から始まっていると書きました。そもそも木軸構造の発達と変遷を考えると、湿潤で多雨なエリアで、いかに雨を凌ぎ、風通しよく暮らすかという照準で、木が腐らないように発展してきた
そもそも日本の住まいの省エネ度合いを考えるときに、戦後80年の住宅史のようなものを紐解かなければならないのですが、熱性能を意識し始めたのはまさに1970年代のオイルショックであり、北海道ににはじまった断熱材を使う住まい作りは、それからもず
コロナ以降、日本の住宅業界は一見大きくエコ・省エネ化に舵を切ったような感があります。アメリカの大統領がバイデン氏に交代し、パリ協定復活などで世界的にも脱カーボン化は加速していくでしょうから流れは全てそちら向きに進んでいるということが出来る
私たち一人一人を「消費者」と位置付け、大量にものを消費することで経済が活性化して豊かになる。一見正論のようですが、少し虚しい気分になるのは私だけでしょうか。そもそも自分の居場所を消費してはいけない、生涯をかけて育むものだと思うのですが、い
建てた住まいに愛着が湧くかどうかという部分は、実は大変重要なことです。消費行動は、対価をお金で払ったという消費者の強みが仇となって、自分の居場所である「家」が消費の対象です。まず、買った瞬間が100%の完成度でなければならない。私に言わせ
「買う家」は消費の対象だと書きました。近代、私たちは、大量生産と物流社会を発展させ経済という歯車を力任せに回し続ける事によって、ものに溢れたライフスタイルを構築し、そのものの豊かさを暮らしの「豊かさ」だという価値観を享受し続けてきました。
とにかく皆さんが住まいをついつい「買って」しまいたくなるのは、大なり小なりカタログや展示場を駆使して完成形を現実に見せて、車や家電の物販と同じように販売するというパターンが明快で単純で理解しやすいからだと思います。その点に関しては80年に
「住まいは買うものではなく、創るもの」そんなこの手の言い回しにも、少し劣化の傾向がありますね。なんだか手垢がつきすぎてしまった感があります。なにせ、住宅販売を手がけるビルダーさんが宣伝広告で散々使われていたりするのですから、イメージ先行で
全国で、コロナの感染拡大に歯止めがかからない状況が続いています。感染の遺憾に関わらず、日に日に私たちの日常は一定のリズムをかき乱され始めて、鬱々とした空気感が少しずつボディーブローのように迫ってくる感覚は、きっと多くの方が共有
タイトルに「革命」という少々物騒な言葉を使いましたが、コロナ禍の収束がまだまだ見えない激動の中で、リアルに住まい創りをしている者の一人として、刻々とニーズが変化しいてる現状を捉えて、今から起こりうる住まいの有り様の変化について書いてみまし
「寝場所」であれば、少々のことがあろうが安らかに眠ることができる寝床さえあればそれで事足りるのですが、これが「居場所」となれば話が全然変わってくるというものです。戦後の80年を経て、大家族主義の田舎暮らしから孤独がちな都心部の暮らしへの変
「ステイホーム」などという言葉ばかりで、とにかく自宅に引きこもることが求められる今日この頃です。宅外での実際に会うコミュニケーションが感染拡大につながるという懸念から、わたしたちは半ば家の中に閉じ込められてしまいました。そして、外の世界へ
敗戦後の80年の日本の住まいを眺めてみると、大家族で一つ屋根の下で暮らしていた郡部の人口が、高度成長期とともに都心部に流入してその比率を大きく変え、都市生活の家族単位はそれまでよりはかなり小さい単位になり現在にいたります。核家族化と言われ
コロナ流入からの一年が過ぎて、未だ終息は見えず、変異種などの出現で暗雲垂れ込めたままの年明けは、私たちの暮らしに直撃し、今後に大きな不安を抱えている方も少なくないのではないでしょうか。感染リスクを回避しながら、これまでの日常生活をなんとか
温度を室内に満たすと言えば、何だかイメージ的には365日温度が一定で四季感もなく、極めて人工的な空間での暮らしを想像してしまうかもしれませんが、むしろそうでは無く、四季の寒暖の差をも、優しく私たちの体感に馴染ませて快適に暮らすための知恵だ
私たちが暑さ寒さを実際に感じているのは、寒暖計に示す空気の温度だけではなくて、例えば室内でいえば、床・壁・天井の面の温度をダイレクトに感じているために、寒暖計の数字と感じ方にずれがあるのです。これは放射(ふく射と同意)の影響を多分に受けて
エアコンがせっかく作った適正温度の空気が、隙間だらけだとどんどん外に逃げてしまって暖まらないというお話をしました。もちろん、室内に人が居て生活していると、空気は汚れますから、定期的に新鮮空気と入れ替えなくてはなりません。俗にいう「換気」も
27℃の寒さもあれば、20℃の暖かさもあると書きました。また変なこと言い始めたと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、たとえば室内に置かれた寒暖計の数値だけを見ていると容易にこういうことは起こりうる話しで、エアコンのリモコンの設定温度
CO2削減目標あたりから、にわかに「省エネ」が脚光をあびて、家電も住まいづくりも何もかも「省エネ」というラベルを見ないことがないくらい、。世の中は一気に「省エネ化」しているかのごとく報道されています。それが本当であれば、省エネはも一気に進
社会の一部が家庭内に混入してきている事によって、住まいの中での暮らし方についてもかなり急速な変化が、それも一律でない多様化が始まってきていると思います。最近の私の仕事の中でも、プランにそういう要素が多分に折り込まれなければならないと思えて
新型コロナの感染拡大によって、これまでの当たり前が当たり前で通用しなくなりました。嫌が応にも様々な社会変化に対応するべく、住まいも少しずつ変化していくべきです。要は、これまでは寝に帰るためだけにあったほとんどの住まいは、複雑化するニーズに
少し勿体ぶった言い方になりましたが、熱性能はあくまで前提条件であるということを、私はいつもお話していることです。今、あまりにもそこがクローズアップされて、しかもエッセンスの部分が大きく取り沙汰されている傾向から、一般の皆さんはその性能数値
この国の住まいづくりおいて、これまで室温をキープする性能が決定的に足りなかったことは言うまでもありません。今の季節でいえば暖房したくても出来ないレベルです。だから暖房は発達せずに、点熱源としての炬燵や局所的なストーブといった採暖がこれまで
2021年の幕開けは、両手をあげて希望に満ちたというわけにはなかなか行かないスタートとなりました。昨年の世界的なコロナ拡大は未だ抑えられず、後手後手の対策でこれからの感染爆発すら懸念される現状は、心配で仕方ありませんが、昨年来そうであるよ
2021年がはじまりました。皆さん、明けましておめでとうございます。髭にとっては昨年が喪中でお正月ができませんでしたので2年越しのお正月で、なんだかそれだけでも気分が高揚します。例年の如く、昨晩から博多の厄落としの神様若八幡にお参りして、
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資