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GRD歴史散歩記 https://gr1rsk.blog.ss-blog.jp/

リコーのカメラGR-1(フィルム)・GRD(デジタル)で記録した旅の風景や史跡を紹介しています。

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2006/05/08

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  • 2022年11月27日の写真

    埼玉県嵐山町内にてGRDIIIで撮影。

  • 山根遺跡(埼玉県比企郡嵐山町遠山)

    ときがわ町との境にある遠山地区は中世の雰囲気を残す、周りを山々に囲まれた盆地です(2022年11月6日、iPhoneSEで撮影)。この一帯に広がるのが山根遺跡です。 遺跡の発掘は一部の地域に限定されていますが、中世の輸入貨幣約15,000枚、丹波焼壺(兵庫県丹波地方の陶器)の破片、天目茶碗なども見つかっていることから、武士の住む地域であったのではないかと考えられています。 南西側(写真だと左方向)の山上には小倉城跡(国指定史跡。ときがわ町田黒)があり、城主は戦国時代の北条氏の家臣であった遠山氏でした。 遠山地区をさらに西の小川町方面に進むと「遠山寺」や槻川の岩畳の「遠山の甌穴群」などがあります。 ■参考図書・資料 『嵐山町博物誌第五巻・中世編 戦い・祈り・人々の暮らし 嵐山町の中世』嵐山町、1997年 「埼玉県嵐山町観光ガイドブック」嵐山町観光協会 【..

  • 2022年10月23日の写真

    iPhoneSEで撮影。

  • 武田氏館西曲輪跡(山梨県甲府市古府中町)

    武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡。国指定史跡)主廓の西側に築かれたのが西曲輪です。写真は水堀の南西から撮影した西曲輪の土塁です(2022年9月4日、GRDIIIで撮影)。 写真の左に見えるのが西曲輪で、正面に見えるのが主廓(中曲輪・東曲輪)です。西曲輪は東西1町(約109メートル)、南北2町(約218メートル)の長方形の曲輪となっています。西曲輪の北と南には小口が設けられています。写真は南小口の前の橋の上から東方向に撮影したものです。西曲輪の西と南、主廓部の南に築かれた水堀は幅が最大15メートル、深さ8メートルにも及びます。 東にある主廓部とは堀によって区切られており土橋でつながっています。

  • 武田神社(山梨県甲府市古府中町)

    2022年9月4日、GRDIIIで撮影。JR甲府駅の北、北口からバスで約8分北上したところにある武田神社は武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡。国指定史跡)の主廓部に建てられた神社で、武田信玄公を御祭神として祀る神社です。 明治時代に県令藤村紫朗によって神社創建の動きが高まり、1919(大正8)年にこの地に武田神社が造営されました。 ■参考図書・資料 『山梨県の歴史散歩』山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会編、山川出版社、2007年 武田神社ホームページ

  • 『山梨県の歴史散歩』山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会編、山川出版社

    山梨県の歴史散歩 (歴史散歩 19)出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2007/03/01メディア: 単行本 ■クリックするとAmazonのHPが開きます。 ■関連記事 武田神社(山梨県甲府市)など

  • 源義賢墓(埼玉県比企郡嵐山町大蔵)

    旧鎌倉街道上道跡が県道172号線と交差する地点から旧鎌倉街道を南下してすぐに左(東)に入る道があります。この道を進むと左手に民家が見えますが、鳥居をくぐった先の民家の裏手に源義賢(よしかた)墓(埼玉県指定史跡)があります(2022年5月4日、GRDIIIで撮影)。 源義賢(不詳〜1155年)は源為義(ためよし)の次男で、源(木曽)義仲の父にあたる人物です。また源頼朝の父である源義朝(よしとも)は、源義賢の兄にあたります。義賢は近衛天皇が皇太子であった時にその警護を担当(帯刀長)してたことから帯刀先生(せんじょう)とも呼ばれていました。 源義賢は上野国多胡荘(群馬県高崎市吉井)を拠点としていましたが、秩父重隆の娘婿となり武蔵国北部に勢力を拡大しようとしました。その居館と考えられているのが大蔵館跡(埼玉県指定史跡)で、旧鎌倉街道上道跡を挟んだ反対側の県道沿いにあります。今ここには..

  • 『武蔵武士を歩く』北条氏研究会、勉誠社、2015年

    武蔵武士を歩く 重忠・直実のふるさと 埼玉の史跡出版社/メーカー: 勉誠出版発売日: 2015/01/30メディア: 単行本(ソフトカバー) 武蔵武士にまつわる史跡巡りのガイドブックです。史跡・文化財を紹介するだけでなく、武蔵武士について、また地名・城館・寺社・石造物などについても詳しく学ぶことができます。

  • 千年の苑のポピー畑(埼玉県比企郡嵐山町鎌形)

    2022年5月22日、iPhoneSEで撮影。千年の苑はラベンダー園ですが、このようにポピー(ひなぎく)もたくさん植えられています。ラベンダーは6〜7月が見頃だそうです。

  • 籠屋橋(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    籠屋橋は、「嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)」のうちの一つで、場所は鹿村水路から下り方面に進んで約150メートルのところにあります。鹿村水路から行くには、児玉往還を下って志賀小学校のところから入って右側に進むと農業用の溜池があり、池の先にかすかに見えます。近づけないので望遠レンズを使って撮影しました(2022年4月24日、CanonEOSデジタルで撮影)。 他の橋梁と同様、1923(大正12)年11月には架設されていたと考えられます。煉瓦造の橋台、Iビーム桁という形式の橋梁で、鹿村水路と同じ形式です(『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産総合調査報告書ー』)。橋桁の下に、わずかですが煉瓦造の橋台が見えています。 また、このあたりは鎌倉街道の上道(かみつみち)が通っていた場所でもあります。

  • 2022年4月16日の写真

    iPhoneSEで撮影。山の緑が綺麗になってきました。

  • 2022年4月2日の写真

    GRDIIIで撮影。

  • 普光明寺(埼玉県新座市大和田4丁目)

    真言宗のお寺。中庭から山門方向を撮影しました。2022年4月1日、GRDIIIで撮影。

  • 広野大下三叉路の庚申塔群(埼玉県比企郡嵐山町)

    2022年3月27日、iPhoneSEで撮影。6基の庚申塔(町指定有形文化財、考古資料)が含まれ、すべて造立年を確認することができます。庚申塔には享保15年(1730年)、貞享二年(1685年)、寛保四年(1744年)、嘉永二年(1849年)、安永二年(1773年)、文政六年(1823年)の年号がそれぞれ刻まれています。 ■参考資料 嵐山町教育委員会案内板(2016年) 【歴史散歩の記事一覧はこちら】

  • 埼玉県営和光樹林公園(埼玉県和光市)

    東武東上線和光市駅から徒歩で約20分、埼玉県和光市広沢にある埼玉県営和光樹林公園は旧米軍のキャンプ朝霞基地(キャンプ・ドレイク)の跡地につくられた施設のうちの一つです(2022年3月17日撮影)。開設は1989(平成元)年です。

  • 新座市大和田の鎌倉街道跡(埼玉県新座市大和田4丁目)

    新座市教育委員会の設置した現地の案内板によると、この道は鎌倉街道の脇街道の一つで鎌倉街道上道(かみつみち)の久米川宿(東京都東村山市)から分岐し、柳瀬川沿いに北東に進み下宿(東京都清瀬市)を経由、この大和田や宗岡(埼玉県志木市)を経て羽根倉の渡し(埼玉県志木市〜さいたま市)を通って鎌倉街道の中道(なかつみち。奥州道)に接続して奥州に向かう道とされています。 写真は、普光明寺の東南に伸びる鎌倉街道跡で東から(志木方面から大和田宿方面)撮影したものです(2022年2月25日、GRDIIIで撮影)。右に見えるのが普光明寺です。近世の大和田宿がさかえる以前はこの鎌倉街道沿いにあった普光明寺や近くの大和田氷川神社のある地域を中心に古くから栄えていたと思われます。 この街道は旧川越街道とほぼ直角に交差しており、交差点は大和田宿の上宿にありました。

  • 坂戸神社(埼玉県坂戸市日の出町)

    日光脇往還(日光街道)を鶴ヶ島方面から北上し、坂戸宿(埼玉県坂戸市)に入る手前にあるのが坂戸神社です(2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。 江戸時代には「日枝山王社」と呼ばれていました。清寧天皇・櫛御気野命(くしけぬのみこと)・猿田彦命・大山咋神・建御名方命(たてみなかたのみこと)・菅原道真公・須佐之男命・菊理姫命(くくりひめのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・応神天皇の十神を御祭神とする神社です。

  • 坂戸宿(埼玉県坂戸市)

    坂戸宿(埼玉県坂戸市)は日光脇往還の高萩宿から約6キロメートルの宿場です。次の宿場は松山宿です。 高萩、鶴ヶ島から日光脇往還の道筋を進み東武東上線の踏切を越えてしばらくすると左に坂戸神社があります。さらにもう少し進むと旧坂戸宿に入ります(写真。2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。通りの約1キロメートル先の突き当たりに坂戸小学校がありますが、ここまでが坂戸宿の宿場町でした。小学校の柵の近くには道標が残っています。 江戸時代にの宿痾町には約180軒の民家がありました。今も商店街となっています。坂戸宿は八王子千人同心が八王子を出発してから最初の宿泊地でした。 ■主な史跡・文化財など 坂戸神社・旅籠角屋跡・永源寺・道標(宝暦十年)など ■参考資料 『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年

  • 松山宿上宿(埼玉県東松山市本町一丁目)

    松山宿の中宿(中町)にある交差点から日光脇往還の道筋をさらに200メートル程北上すると松山宿の上宿(上町)です(2022年2月5日、GRDIIIで撮影)。 写真の左(西側)に見えるのが八雲神社で、右手(東側)には曹源寺(曹洞宗)があります。 さらに進むと左手に上沼公園が見えてきます。 ■参考資料 『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年

  • 松山宿中宿(中町)周辺(埼玉県東松山市本町)

    松山宿の南(下町)にある福聚寺の参道入り口から日光脇往還の道筋を約300メートル程北に進むと本町一丁目交差点にでます。ここがかつては松山宿で最も賑わったところで「札の辻」と呼ばれていました(2022年2月5日、GRDIIIで北方向を撮影)。 ここはまた重要な東西の道路と交わるところでもありました。西(写真左)に伸びる道路が小川(比企郡小川町)方面へ向かう道で、東に伸びる道は鴻巣(鴻巣市)へ向かう道です。 交差点北の左の角は糀谷旅館があったところです。右の角は本町広場となっており松山道路元標が移設・保存されています。

  • 石橋と石橋供養塔(埼玉県東松山市)

    2022年1月30日、GRDIIIで撮影。日光脇往還の高坂宿(埼玉県東松山市)の北部にある「八王子道」道標から都幾川に徒歩で向かい、都幾川河畔(都幾川リバーサイドパーク)に降りたところに小さな水路があり、長さ3メートルほどの緑泥片岩でできた石橋(市指定歴史資料)が架かっています(道標から都幾川への道)。 北にはかつて「高坂の渡し場」があり、都幾川を渡って松山宿(埼玉県東松山市)に向かいました。 石橋供養塔(市指定歴史資料)。石橋供養塔とは、石橋を設置・修理・改修したり木橋を石橋に掛け替えたりした時に、橋の完成などを祝ったり橋の長寿を祈願するため、また交通の安全を祈って建立されたと思われる石造物で、江戸時代から明治時代にかけて特に東日本で数多く建立されました。元々は今よりも石橋に近い位置に建っていたそうです。 表には馬頭観音座像と「石橋供養塔」の文字などが刻まれています..

  • 高坂宿から都幾川へ(埼玉県東松山市)

    日光脇往還の高坂宿(埼玉県東松山市)を南から北に歩くと国道407号線と信号が見えてきます。その約50メートル手前2本目の道が右側にあります。ここが日光脇往還と川越・児玉往還との分岐点になります。写真の右端に道標が写っています。奥の方の石造物が「八王子道」道標です。 右に入る道が八王子道(日光脇往還)で、右折してこの道を進みます。

  • 「八王子道」道標(埼玉県東松山市高坂)

    日光脇往還の高坂宿(埼玉県東松山市)を南から北に歩くと国道407号線と信号が見えてきます。その約50メートル手前2本目の道が右側にあります。ここが日光脇往還と川越・児玉往還との分岐点になります。この分岐点に「八王子道」道標が建っています(2022年1月30日、GRDIIIで撮影)。八王子道とは写真に写っている道で日光脇往還を指します。今では舗装されたきれいな道路です。 道標の正面には「八王子道」、向かって左には「左 ちゞぶ ひき いわどの道」、右には「右 日光 よしみ いわどの道」と刻まれています。左面の「いわどの」は西の方角にある岩殿山正法寺(岩殿観音。東松山市)、右面の「いわどの」は安楽寺(岩殿山安楽寺。吉見観音。比企郡吉見町)を指していると思います。 高坂宿から松山宿(埼玉県東松山市)に向かうにはこの道標のあるところを右折し都幾川を目指します。 ■参考資料 ..

  • 高坂宿(埼玉県東松山市)

    東武東上線高坂駅東口を出て、駅前通りを直進すると右手に郵便局が見えてきます。この交差点の左右(南北)の道が日光脇往還で宿場町が形成されていました(2022年1月31日、GRDIIIで撮影。上が北)。 高坂宿は南は早坂橋のあたりから街道沿いに、北は国道407号線に出るまでのおよそ1キロメートルのエリアとなります。 高坂宿はかつて日光脇往還の宿駅で宿場町ですが、八王子方面からの旅程では坂戸宿(埼玉県坂戸市)の次の宿で、高坂宿の次の宿は松山宿(埼玉県東松山市)です。 また高坂宿は川越・児玉往還の宿駅(宿場)でもあります。川越からの旅程では石井宿(坂戸市)の次の宿で高坂宿の次の宿は菅谷宿(埼玉県比企郡嵐山町)です。 ■参考資料 『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年 『歴史の道調査報告書第十七集 川越・児玉往還』埼玉県教育委員会、19..

  • 大和田宿(埼玉県新座市)

    大和田宿は旧川越街道で日本橋からの6番目の宿駅(宿場)で日本橋からの距離は約28キロメートル、川越までは約16キロメートルの位置にあります。一つ前の宿駅は膝折宿、次の宿駅は大井宿です。 JR武蔵野線新座駅を降りて北にある旧川越街道に出てから北西に道筋を行くとかつての大和田宿です。大和田一丁目〜四丁目にわたって宿場町が形成されていたようです。 大和田は柳瀬川の東にあり、柳瀬川を渡る渡河地でもありました。旧川越街道が柳瀬川を越える橋を英橋(はなぶさばし)と言いますが、江戸時代は土橋であったようです。 宿場町は西から東へ上宿・中宿・下宿と別れていました。宿場には人家が約140軒あったそうです。 写真は大和田宿の上宿の現況。場所は大和田四丁目、道路が旧川越街道。宿の北西から東南方向(日本橋方向)を撮影(GRDIII、2022年1月22日)。 ■参考資料 『歴史の..

  • 旧川越街道

    旧川越街道は江戸日本橋と川越(埼玉県)を結ぶ約44キロメートルにわたる街道です。「川越道中」「川越往還」などとも呼ばれました。五街道に次ぐ重要な脇街道(脇往還)の一つで、旧中山道の代わりとして利用されることもありました。 旧川越街道は扇谷上杉家の太田道灌(1432〜1486年)が川越城と江戸城(1457年築城)を結ぶ軍用道路をつないで整備したのが起源のようです。そして寛永年間(1624~1643年)までには整備が終わっていたと考えられています。 徳川家康・秀忠・家光は鷹狩りでも川越方面に出かけているので、この街道を使った可能性は高いと思います。また江戸の北西の守りの中心に位置する川越城と江戸の間では藩主をはじめ多くの家臣などが行き来したはずです。川越藩主の参覲交代のための街道でもありました。 宿駅は日本橋を起点として(1)上板橋(2)下練馬(以上東京都)(3)白子(4)膝折..

  • 福聚寺(東松山市本町)

    東松山市立図書館の向かいの下沼公園内に石造馬頭観音と庚申塔がありますが、公園を左に見ながら県道(日光脇往還)を北に進むと左に福聚寺の参道があります(iPhoneSEで撮影)。

  • 石造馬頭観音と庚申塔(東松山市本町)

    日光脇往還を進み、松山宿入り口付近から下沼公園へ(埼玉県東松山市神明町から本町へ)細い街道跡を進むと県道66号線に直角に突き当たります。正面にあるのが下沼公園です。日光脇往還はここで右に折れ県道ぞいの道筋を北上します。このあたりから宿場町の中心となります。 街道と県道の合流地点に建っているのが写真の石造馬頭観音(左)と庚申塔(右)です(2022年1月16日、GRDIIIで撮影)。 馬頭観音は憤怒の様相で表現される観世音菩薩ですが、この塔は文字で「馬頭観世音」と刻まれています。旅や輸送に重要な役割を果たした馬の健康を願ったり、馬を供養したりするために江戸時代に全国的に造立されました。文久元年(1861年)の銘があります。庚申塔は庚申信仰をもとに建立された石塔です。元文五年(1740年)の銘があります。

  • 松山宿入り口付近(埼玉県東松山市神明町)から下沼公園(本町)へ

    左の道が県道で右(東)にそれていく道が日光脇往還(2022年1月16日、GRDIIIで撮影)。 日光脇往還を北上し東松山市の若松町から神明町に入るところで県道66号線に合流します。交差点の南には九鬼神社が建っています。県道をさらに北に進むと歩道橋がありその先に清正公堂が左側にあります。清正公堂の前に県道から右にそれていく細い道がありますが、この細い道が日光脇往還でこのあたりが松山宿の南の入り口となっていました。

  • 石橋供養塔(東松山市本町下沼公園内)

    東松山郵便局の東側、下沼公園の入り口にある石橋供養塔(2022年1月10日、GRDIIIで撮影)。下沼公園は日光脇往還の道筋にある公園で、もともとは農業用の溜池であったと思います。 石橋供養塔とは、石橋を設置・修理・改修したり木橋を石橋に掛け替えたりした時に、橋の完成などを祝ったり橋の長寿を祈願するため、また交通の安全を祈って建立されたと思われる石造物です。江戸時代から明治時代にかけて東日本で数多く建立されました。 この石橋供養塔の右側面には「箭弓道」と刻まれています。箭弓とは箭弓稲荷神社(東松山市箭弓町2-5-14)のことで、神社は約500メートル西にあります。「箭弓道」と刻まれている方角とは逆方向であるので供養塔は移設されたと思われますが、この供養塔は道標も兼ねていたと考えられます。 また石橋供養塔の左側面には「文化三年(1806年)五月」「松山下町中 世話人横町紋兵..

  • 八雲神社(埼玉県東松山市本町)

    上沼公園のすぐ近くにある神社が八雲神社(東松山市指定文化財)で日光脇往還の道筋、松山宿の北方に建っています(2022年1月10日、GRDIIIで撮影)。江戸時代後期の創建で社殿は神話などをモチーフとした彫刻作品で囲まれています。

  • 松山宿(埼玉県東松山市)

    2022年1月10日、GRDIIIで撮影。 松山宿は日光脇往還の宿場であると同時に児玉往還(川越・児玉往還)の宿場でもありました。松山宿は高坂宿から約4キロメートル、行田宿までは約16キロメートルの位置にあります。また松山宿は日光から帰る八王子千人同心の帰りの昼食地でもありました。 戦国時代の松山は松山城の城下町として栄えていました。その場所は現在の松本町がその中心でした。しかし江戸時代になり松山城が廃城(1601年)になると日光脇往還や児玉往還などの街道の宿場町として発展します。松山の中心地は現在の本町で町の中心地は西の方へ移動したこととなります。 昭和初期までは蔵造りの町並みが形成されていたそうです。 ■主な史跡・文化財 曹源寺・八雲神社(本町)・石橋供養塔(下沼公園)・上田朝直青石塔婆ほか ■参考資料 『歴史の道調査報告書第四集 日光脇..

  • 日光脇往還

    日光脇往還は八王子千人同心町(東京都八王子市)から高萩(埼玉県日高市)・坂戸(埼玉県坂戸市)・行田(埼玉県)・佐野(栃木県)などを経由して日光までを結ぶ江戸時代の脇往還(脇街道)です。八王子千人同心が日光へ向かうためのと脇街道して整備・管理されました。 八王子千人同心とは八王子千人同心町に居住し定期的に日光山に赴き防火の任(日光火之番)にあたった武士たちのことで元々は江戸を防衛するために設置されたようです。この日光火之番が始まったのは1652(慶安5)年です。 日光脇往還の中にはかつて「八王子道」「坂戸道」「松山道」「行田道」などと呼ばれていたいくつかの道路から成り立っているので、戦国時代の八王子城・川越城・松山城・忍城・館林城を結ぶ軍用道路をつなぐ一本の街道として整備されたものと考えられます。 八王子千人同心は片道約156キロメートル(三十九里三十丁)の距離を3泊4日の行程..

  • 2021年12月2日の写真

    iPhoneSEで撮影。

  • 旅の記録-一覧

    ・2021年8月19日-越生町黒山にて(埼玉県入間郡) ・ ・ ・2018年8月9日-函館山(函館市) ・2018年8月8日-洞爺湖 ・ ・ ・2014年4月12日-御代田町から見た佐久市街(長野県北佐久郡) ・2013年5月22日-さきたま古墳公園にて(埼玉県行田市) ・2012年3月8日-伊香保温泉和の店小路(群馬県渋川市伊香保町) ・2012年3月8日-伊香保温泉石段(群馬県渋川市伊香保町) ・2012年2月25日-水上温泉にて(群馬県利根郡) ・2011年11月5日ー伊香保温泉より望む小野子山(群馬県) ・ ・2010年12月7日-「砂上のメリークリスマス」(グリーン島)(オーストラリア) ・2010年8月9日-清泉寮(山梨県北杜市高根町清里) ・ ・ ・2006年7月30日-会津若松城跡の高石垣 ・ ・ ・2005年12月5日他-グリーン..

  • 内洞沢棚田とホタルの里(埼玉県比企郡小川町中爪)

    2021年11月27日、GRDIIIで撮影。国道254号線バイパスの中爪橋の上から見た内洞沢棚田(うちぼらざわたなだ)です。内洞沢は遠ノ平山の谷津の一つです。17枚の棚田やその周辺の環境が個人や「遠ノ平山棚田を守る会」によって大切に守られています。

  • 近代化遺産探訪の記録

    ■このブログの記事になっている近代化遺産の記事にはリンクを設けています(原則として訪問順、随時更新)。 ・嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡) ┠水坂橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀) ┠水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀) ┠水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀) ┗鹿村水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀) ・レストラン「ベニーノ」(旧カワモク本部事務所棟・旧六軒町郵便局、川越市田町) ・ザ・グラススタジオイン函館2号 ・ザ・グラススタジオイン函館1号 ・箱館高田屋嘉兵衛資料館1号・2号(函館市末広町13−22) ・金森洋物館(赤レンガ倉庫群。函館市末広町) ・明治生命館(東京都千代田区丸の内2-1-1) ・旧司法省庁舎(東京都千代田区霞が関) ・旧織物会館(埼玉県入間郡越生町) ・片倉シルク記念館(埼玉県熊谷市) ・北区文化センター内部(東京都..

  • 水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    上り側(南側)から撮影(GRDIII、2021年11月25日)。 『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産総合調査報告書ー』で取り上げられている嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)のうちの一つで、同書には「水路」と記載されていますが、現在は埋め立てられ道路を跨ぐ橋として使われています。橋梁の形式はコンクリートアーチ。この橋梁も1923(大正12)年11月までには架設されていたと考えられます。 バイパス沿いの志賀駐車場から東武東上線の線路に沿って東松山方面に5分ほど歩くと左側に水坂橋梁があり、さらにカインズホーム嵐山店の手前を左折して東武東上線に沿ってしばらく歩くともう一つの水路橋梁が左側にあります。さらに道路を進むとこの橋梁があります。車の交通量が多く歩道がほとんどないので安全に十分注意してください。

  • 水坂橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    2021年11月25日、GRDIIIで撮影。国道254号線バイパス沿いの同バイパスと国道の合流点の近くに志賀駐車場があります。そこから東武東上線の線路に沿って東松山方面に5分ほど歩くと左側にあります。歩道から橋に向かう細い道は未舗装で草に隠れているので注意が必要です。 この小さな橋梁も東武東上線武蔵嵐山駅と小川町駅の間にある橋梁(「嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)」『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産調査報告書ー』)のうちの一つなので、1923(大正12)年11月には架設されていたと考えられます。煉瓦造りの橋梁にかかっているのは下り方向の線路です。 橋の下は歩行者用道路ですが桁下は低く身長の高い人は接触するかもしれません。 「コンクリート単銘桁」という形式の橋梁で煉瓦の橋台がコンクリート製の桁を支えている構造のように思います。

  • 水坂橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    2021年11月25日、GRDIIIで撮影。国道254号線バイパス沿いの同バイパスと国道の合流点の近くに志賀駐車場があります。そこから東武東上線の線路に沿って東松山方面に5分ほど歩くと左側にあります。歩道から橋に向かう細い道は未舗装で草に隠れているので注意が必要です。 この小さな橋梁も東武東上線武蔵嵐山駅と小川町駅の間にある橋梁(「嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)」『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産調査報告書ー』)のうちの一つなので、1923(大正12)年11月には架設されていたと考えられます。煉瓦造りの橋梁にかかっているのは下り方向の線路です。 橋の下は歩行者用道路ですが桁下は低く身長の高い人は接触するかもしれません。 「コンクリート単銘桁」という形式の橋梁で煉瓦の橋台がコンクリート製の桁を支えている構造のように思います。

  • 水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    下り側(南側)から撮影(GRDIII、2021年11月25日)。 『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産総合調査報告書ー』で取り上げられている嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)のうちの一つで、同書には「水路」と記載されています。 現在も水路を跨ぐ橋梁としては現役で、橋梁の形式はコンクリートアーチとなっています。この橋梁も1923(大正12)年11月までには架設されていたと考えられます。 場所は、国道254号線バイパス沿いの同バイパスと国道の合流点の近くに志賀駐車場がありますが、そこから東武東上線の線路に沿って東松山方面に5分ほど歩くと左側に水坂橋梁があり、さらにバイパスに沿って歩くとカインズホーム嵐山店が見えてきます。店の手前を左折して東武東上線に沿ってしばらく歩くと左側にあります。さらに道路を進むともう一つの水路橋梁がありますが、こちらは水路が埋め立てられて跨道橋と..

  • 鹿村水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)

    この橋梁は東武東上線武蔵嵐山駅と小川町駅の間にある橋梁のうちの一つで嵐山町の志賀にあります(2021年11月20日、GRDIIIで撮影)。 武蔵嵐山駅南口を出て南にある交差点(「嵐山駅入り口」)を右に曲がります。児玉往還ともよばれているこの道路を西に約800メートル歩いたところに新しい橋梁がありますが、もう少し下り方面に線路に沿って進むと住宅地の脇にこの橋梁があります。 煉瓦造りの橋梁にかかっているのは下り方向の線路です。「嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)」のうちの一つで、1923(大正12)年11月には架設されていたと考えられます。煉瓦の橋台で、Iビーム桁という形式の橋梁だそうです(『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産調査報告書ー』)。 『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産総合調査報告書ー』によると名称は「鹿村水路」となっており、本来は農業用水路の上に架設されていた..

  • 嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)

    東京の池袋から埼玉県西部の坂戸までの鉄道が開業したのが1916(大正5)年で、東上鉄道株式会社の敷設によるものです。 その後同社は1920(大正9)年に東武鉄道株式会社(1897年設立)と合併し、1923年に武州松山(東松山市)まで、同年11月には小川町まで路線を伸張させました。池袋〜寄居間の開通は1925(大正14)年です。 武蔵嵐山〜小川町間の橋梁群は1923(大正12)年までには完成しており、その多くが改修を経ながら今日まで使われています。『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産調査報告書ー』によると嵐山町志賀には10の橋梁が造られました。 同書では下り方面の順番で(1)鹿村第一橋梁(2)鹿村拱橋(3)鹿村水路(4)籠矢橋(5)水路(6)水路(7)水坂橋梁(8)吉野開渠(9)吉野陸橋(10)水路となっています。かつては水路を跨ぐ橋梁として造られたものの埋め立てられて道路を跨ぐ橋..

  • 歴史散歩の記事一覧(史跡・名勝など)

    ■このブログで紹介している史跡・名勝などです(原則として訪問順、随時更新)。なお埼玉県の中世城館についてはこちらです。 ・善光寺…江戸時代も大人気の旅行地(長野県長野市) ┠三門 ┠経蔵 ┗本堂 ・江戸城桜田門(東京都千代田区) ・吉原跡(記事作成中) ・樋口一葉旧宅跡(記事作成中) ・一葉記念館(記事作成中) ・龍勢会館…椋神社の龍勢祭りを知る資料館(埼玉県秩父市) ・椋神社…1884年の秩父事件で農民約3,000名が結集した地(埼玉県秩父市下吉田) ・神楽坂…毘沙門天のある善国寺の門前町としても発展(東京都新宿区) ┗善国寺…神楽坂のシンボルとして有名(記事作成中) ・片倉シルク記念館…日本の近代化を支えた製糸工場の倉庫跡(埼玉県熊谷市) ・会津若松城跡…会津若松のシンボルで戊辰戦争では会津藩が籠城(福島県会津若松市) ┠高石垣..

  • 比企歴史の丘巡回文化財展「比企の近代遺産」(埼玉県立嵐山史跡の博物館)

    比企地区市町村教育委員会連合会・比企地区文化財振興協会・埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の文化財展を見学しました。テーマは「比企のタイムカプセル20 比企の近代遺産」です。会場は嵐山町の菅谷館跡にある埼玉県立嵐山史跡の博物館(武蔵嵐山駅南口から徒歩約15分。11月28日まで開催。iPhoneSEで撮影)です。 内容は「国民教育制度の確立」「近代建物の保存」「交通・土木の進歩」「神仏分離」「日米交流」「近代和風建築」「大谷石の流通」「近代化を支えたレンガ」「養蚕業の進展」「市民生活と地方窯」についてのパネル展示となっていました。 身近なところにあっても気づかないような近代化遺産に目を向ける機会となりました。

  • レストラン「ベニーノ」(旧カワモク本部事務所棟・旧六軒町郵便局、川越市田町)

    東武東上線川越市駅北口から北へ歩いて4〜5分のところにレストラン「ベニーノ」があります(国の登録有形文化財。2021年10月23日、iPhoneSEで撮影)。 かつては材木展示場で、1927(昭和2)年に建てられた洋風建築です。その後郵便局として1980(昭和55)年頃まで使われていました。現在はイタリアンレストランとなっています。 ■参考資料 『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会、山川出版社、2005年 小江戸川越観光協会ホームページ

  • 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場弾薬庫(埼玉県桶川市)

    修復・復元された旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の弾薬庫(2020年7月29日、GRDIIIで撮影)。正門(写真はこちら)の手前すぐ左手にあります。塀を隔てて立っているのが守衛棟です。

  • 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場守衛棟(埼玉県桶川市)

    修復・復元された旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の守衛棟(2020年7月29日、GRDIIIで撮影)。正門(写真はこちら)から入ってすぐ左手(西側)の建物です。

  • 黒山三滝(埼玉県入間郡越生町)

    写真は越生町(おごせまち)の黒山にある黒山三滝のうちの男滝(おだき。上段)・女滝(めだき。下段)です。ここから少し下ったところにある天狗滝と合わせて黒山三滝と言います。(2021年8月19日、iPhoneSEで撮影) 黒山は関東の「熊野」とも言えるような信仰の地です。また修験道(しゅげんどう)の修行の地でもあったようです。熊野とは和歌山県南東部・奈良県南部・三重県南部一帯の信仰の地で、死者の霊がこもる聖地であり、11世紀に熊野三山、いわゆる本宮・新宮・那智の三社が成立してからは熊野詣が流行しました。 また、原始的な山岳信仰と仏教の密教との融合を修験道と言います(始祖は奈良時代の役小角。えんのおずぬ)が、修行者は霊力のある山にこもり、その呪力を得ようとしました。熊野は修験道の中心的道場の一つです。 この黒山霊場をはじめ関東の多くの霊場を管理していたのが山本坊です。坊とは宿舎..

  • 越生町黒山にて

    リコーのカメラGR1(フィルム)・GRDⅢ(デジタル)で記録した旅の風景や史跡を紹介しています。新しく書いた記事のみ冒頭にあります。他の記事は撮影日順。

  • 2021年8月18日の写真

    iPhoneSEで午後5時ごろ撮影。

  • 旧陸軍登戸研究所26号棟(第三科倉庫)跡地(明治大学生田キャンパス。神奈川県川崎市)

    神奈川県川崎市の明治大学生田キャンパスにある旧陸軍登戸研究所26号棟(第三科倉庫)の跡地。場所は第一校舎1号館の前の東側に広がる空き地で、5号棟跡地に隣接しています(2018年11月14日撮影)。 木造平屋建ての建物があって研究所の時代には第三科に所属し偽札を保管する倉庫として使われていました。2009年老朽化のため解体されました。 ■参考資料 『明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブック』2017年 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

  • 桶川飛行学校平和記念館(旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場。埼玉県桶川市)

    桶川飛行学校平和記念館は、熊谷陸軍飛行学校本校(1935年開校)の分教場として設置された熊谷陸軍飛行学校桶川分校の建物を復元・整備して開館しました(2020年8月)。場所は桶川市川田谷2335−16です。 熊谷陸軍飛行学校桶川分校が開校したのは1937(昭和12)年で、ここで生徒たちは陸軍の航空兵になるための教育を受け、近くの飛行場(現ホンダエアポート)で操縦訓練も行いました。のべ1,500〜1,600名がここで学んだそうです(旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会)。 1945年に桶川分校は閉校となりましたが、特別攻撃隊の訓練施設となりました。 復元・整備された建物は正門(写真。2020年7月29日、GRDIIIで撮影)・弾薬庫・守衛棟・車庫棟・兵舎棟・便所棟です。 ■参考資料 「桶川飛行学校平和記念館」パンフレット、2020年 「NPO法人旧陸軍桶川飛行学校..

  • 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場兵舎棟

    旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の建物を復元・整備した桶川飛行学校平和記念館にある兵舎棟(2020年7月29日、GRDIIIで撮影)。元々の木材も活用して復元整備されました。

  • 登戸研究所5号棟跡地(明治大学生田キャンパス。神奈川県川崎市)

    明治大学生田キャンパスの第一校舎1号館の前の西側に広がる空き地(2018年11月14日撮影)。ここには登戸研究所の5号棟(木造平屋建て)がありましたが2011年2月に老朽化のため撤去されました。 5号棟は研究所第三科の建物で、ここでは偽札や偽造パスポートなどが製造されていました。第三科の施設は高い塀に囲まれていて秘密が漏れないよう厳重に管理されていました。偽札製造の目的は中国経済をかく乱し、行き詰った日中戦争のを打開するための一つの策とするためと、現地で軍需物資を偽札で手に入れるためでした。 ■参考資料 『明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブック』2017年 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

  • 陸軍技術研富津試験場監視所跡(千葉県富津市)

    富津(ふっつ)試験場は、陸軍技術研究所に所属した試験場の一つで1922(大正11)年に設置されました。東京湾の西から東に伸びている小さな半島の先にあるのが富津岬で、半島は千葉県立富津公園となっていますが、ここにかつて陸軍技術研究所富津試験場の施設が置かれていました。 明治〜大正時代にかけて海防のために設置されていた元洲砲台跡の南にあるのが写真の監視所で小銃や機関銃の試験を行なうためのものと考えられています。2008年3月27日撮影。 元洲砲台跡の西側には銃器研究施設と思われる放列施設と射入窖(しゃにゅうこう)が残存しています。

  • 金沢偕行社(石川県金沢市)

    金沢に設置された旧陸軍金沢偕行社(かいこうしゃ)の建物はかつて石川県立能楽堂の隣りにあり、石川県庁石引分室として活用されていました。現在は道路を隔てた国立工芸館(金沢市出羽町3-2)の建物として移築・復元工事が行われました。写真は移築・復元される以前の建物です(2008年8月20日撮影)。 金沢には1898(明治31)年に陸軍第九師団が置かれ、様々な師団関連の施設が金沢城内などに設置されました。偕行社は陸軍将校の修養や親睦のために組織されたもので、偕行社の社交場としても使われました。造られたのが1898(明治31)年で元々は大手町にあったものですが1909(明治42)年に能楽堂の敷地内に移築されたそうです。

  • 『図説日本の軍事遺跡』飯田則夫、河出書房新社、2004年

    図説 日本の軍事遺跡 (ふくろうの本/日本の歴史)作者: 飯田 則夫出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/07/10メディア: 単行本

  • 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

    続 しらべる戦争遺跡の事典出版社/メーカー: 柏書房発売日: 2003/06/01メディア: ハードカバー

  • 戦争遺跡・軍事遺産

    ■これまでに訪れた主な戦争遺跡・軍事遺産は以下の通りです。このブログで紹介している戦争遺跡・軍事遺産の記事にはリンクを設けてあります(訪問順、随時更新)。 ■記録 ・騎兵第14連隊跡(日本大学生産工学部津田沼キャンパス) ・館山海軍砲術学校跡(千葉県館山市) ┠パラシュート訓練用プール跡 ┠平和祈念塔 ┗戦車橋 ・師団坂…旧陸軍第一師団、近衛師団からついた地名(東京都北区赤羽台) ・赤羽緑道公園…かつて東北線から伸びていた軍用引込線路跡(東京都北区) ・東京第一陸軍造兵廠跡(東京都北区十条台) ┠東京第一陸軍造兵廠本部跡 ┠旧東京第一陸軍造兵廠十条工場257号棟 ┠旧東京第一陸軍造兵廠の壁 ┠旧東京第一陸軍造兵廠殉職慰霊碑 ┠陸上自衛隊十条駐屯地正門 ┗赤煉瓦造「旧変圧室」モニュメント ・サイパン島…太平洋戦争で多くの軍人..

  • 巣鴨プリズン跡地(池袋サンシャインシティ)

    池袋サンシャインシティはかつての巣鴨プリズン(巣鴨監獄)跡地を再開発したものです。そして再開発地の一部は東京都豊島区立東池袋中央公園となっています。(2017年1月2日、GRDIIIで撮影) 1945年9月25日、GHQによって東京拘置所が接収され、戦争犯罪容疑者が収容されることとなり、11月に巣鴨プリズンとして開所しました。 1948年11月に東京裁判において起訴されたほとんどの戦争犯罪容疑者に有罪判決が下され、12月23日、ここでA級戦犯の戦争指導者の絞首刑が執行されました。

  • 『昭和史跡散歩東京篇』一坂太郎、イースト・プレス、2016年

    史跡でつづる東京の歴史〈昭和編〉 (1976年)作者: 尾河 直太郎出版社/メーカー: 一声社発売日: 2021/06/23メディア: - ■この図書を参考にした記事 ・巣鴨プリズン跡地

  • 『東京都の歴史散歩(中)山手』東京都歴史教育研究会、山川出版社、2005年

    東京都の歴史散歩〈中〉山手出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2005/09/01メディア: 単行本 ■この図書を参考にした記事 ・巣鴨プリズン跡地

  • 旭川偕行社(北海道旭川市春光5条7丁目)

    日清戦争終結後の1896(明治29)年、北海道の札幌月寒に陸軍第七師団司令部が設置されました。これはロシアとの戦争を意識したものでしたが、1900(明治33)年に旭川の春光(しゅんこう)に司令部が移転し、以降旭川は第七師団の軍都として発展を遂げました。 1902(明治35)年、将校など師団関係者の社交場、将校クラブとして建てられたのが写真の旭川偕行社(かいこうしゃ。国指定重要文化財)です(2005年8月7日撮影)。木造二階建て、コロニアルスタイルの優美な洋風建築です。 偕行社では、親睦会・会議・研修・講演・結婚披露宴などの宴会・宿泊などが行われ、また迎賓館としての役割も果たしていました。旭川偕行社では1936(昭和11)年に昭和天皇の行在所として使われたこともあります。また森鴎外陸軍医務総監も旭川偕行社を利用したことがあるそうです。 太平洋戦争後はアメリカ軍の将校クラブと..

  • 『幻想と異世界への扉 産業遺産』黒沢永紀・前畑洋平、昭文社、2021年

    幻想と異世界への扉 産業遺産出版社/メーカー: 昭文社発売日: 2021/05/14メディア: 単行本(ソフトカバー) 写真が多く、眺めるだけで産業遺産巡りができます。 ■関連記事 神奈川県庁舎・氷川丸(神奈川県横浜市中区山下町)

  • 鉢形城跡伝諏訪曲輪(諏訪神社)角馬出(埼玉県大里郡寄居町)

    鉢形城跡(国指定史跡)の大手は城の南西にありますが、大手すぐ近くにあるのが伝諏訪曲輪跡で現在諏訪神社が建っています。約20メートル四方の角馬出で四方を堀によって囲まれ、西側及び南側には土塁も築かれている曲輪です。四角い形をした馬出しは角馬出し(かくうまだし)と呼ばれるもので北条氏がよく用いる築城技術です。写真はこの曲輪の西側の堀と土塁(写真左)及び南側の堀(写真右)です(2021年5月1日、GRDIIIで撮影)。 寄居町教育委員会・鉢形城歴史館の想定している伝諏訪曲輪への進入ルートは曲輪の西側から東方向に向かうルートです。堀を右手に見ながら細い土橋を通って伝諏訪曲輪に進みます。

  • 上福岡歴史民俗資料館(埼玉県ふじみ野市)

    イオンタウンふじみ野前のコミュニティ通りを南東に向かい坂を降りたところに長宮氷川神社がありますが、さらに交差点を右に入っていくと左手に上福岡歴史民俗資料館があります。(2021年4月30日、iPhoneSEで撮影) イオンタウンふじみ野や市役所、学校などを含む広大なエリアにはかつて第一陸軍造兵廠川越製造所(「1937年操業開始。火工廠」とも呼ばれた)がありました。上福岡歴史民俗資料館の1階に、この第一陸軍造兵廠川越製造所の模型が展示されています。

  • 2021年4月25日

    iPhoneSEで撮影。

  • 福岡河岸船着場跡(埼玉県ふじみ野市福岡)

    新河岸川を東から西方向に撮影しました。正面に見えるのが福岡河岸船着場跡です。川の反対側(写真手前)にあったのが古市場河岸船着場跡(川越市古市場)です。 福岡河岸船着場跡の奥の小高くなっているところに見える高い建物(三階建て)がふじみ野市立福岡河岸記念館にある建物です。 17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。 ■参考資料 ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年

  • ふじみ野市立福岡河岸記念館(埼玉県ふじみ野市福岡3-4-2)

    ふじみ野市立福岡河岸記念館(ふじみ野市指定文化財)に使われている建物は、かつて新河岸川の船運を担った舟問屋の福田屋の建物です(2021年2月28日、iPhoneSEで撮影)。写真の右から主屋、離れ、文庫蔵となっており、この3棟のみ現存しています。 17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。 すぐ近くに福岡河岸船着場跡があります。 ■参考資料 ふじみ野市立福岡河岸記念館パンフレット ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年

  • 『みて学ぶ埼玉の歴史』山川出版社、2002年

    みて学ぶ埼玉の歴史出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2002/03/01メディア: 単行本

  • 嵐山渓谷(埼玉県比企郡嵐山町)

    2021年1月2日iPhoneSEで撮影。

  • 小倉城跡大堀切(比企郡ときがわ町田黒)

    小倉城跡の廓2と廓1(本廓)の間の大堀切を東側から撮影(2021年1月1日iPhoneSEで撮影。)左が廓2で右が廓1(本廓)。この堀切をの先を右に折れると廓1に入る小口がある。

  • 小倉城跡廓2(比企郡ときがわ町田黒)

    小倉城跡(国指定史跡)の廓2の南端の部分を下の堀から見上げたところ。2021年1月1日iPhoneSEで撮影。この堀は直進すると左90度に折れ、さらに5メートルほど進むと再び右90度に折れるというクランク状の堀となっている。

  • 杉山城(埼玉県比企郡嵐山町)本曲輪跡

    杉山城の本曲輪跡の南端部(2020年5月5日、iPhoneSEで撮影)。写真は、この本曲輪の南側にある南二の曲輪跡から撮影した。本曲輪の南端部には土塁が築かれているので堀を隔ててより高く感じられる。 杉山城は鎌倉街道を西に見下ろす丘陵に築かれており、15世紀末〜16世紀前半に築城されたと考えられていますが、それよりも後という説もあります。 ■参考資料 嵐山町教育委員会作成パンフレット(大手口でももらえます)

  • 『首都圏発 戦国の城の歩き方』西俣総生、2017年、KKベストセラーず

    PART3中級編で紹介されている杉山城(埼玉県比企郡嵐山町杉山)について参照させていただきました。

  • 旧陸軍鉄道連隊門跡(千葉県習志野市)

    旧陸軍の鉄道連隊跡。現在は千葉工業大学キャンパスになっていますが、連隊の門は大学の門としても現役で活躍中です。2019年6月4日撮影。

  • 雛人形(埼玉県ときがわ町)

    埼玉県比企郡ときがわ町の町田屋旅館の二階に展示されていた雛人形です。2020年3月1日、iPhoneSEで撮影。

  • 騎兵第一・二旅団司令部跡(千葉県習志野市)

    騎兵第14連隊跡に立つ日本大学生産工学部津田沼キャンパスの正門を出て左折、さらに交差点を右折すると八幡公園がある。(2019年6月20日、GRDⅢで撮影)) ここにはかつて騎兵第一・二旅団司令部があった。写真は移築された騎兵旅団司令部の3本の門柱で公園の門として使われている。 ■参考資料 『千葉県の戦争遺跡をあるく』千葉県歴史教育者協議会、国書刊行会、2004年

  • 騎兵第14連隊跡(日本大学生産工学部津田沼キャンパス)

    日本大学生産工学部の津田沼キャンパスには騎兵第14連隊が置かれていた。(2019年6月20日、iPhoneSEで撮影) 騎兵第14連隊は騎兵第13連隊とともに近衛師団所属の第一旅団に組織されていた。第一旅団は日露戦争でも活躍したが、1931年日本の中国東北部侵略に出動以降、両連隊の跡地には戦車第二連隊が配置された。 ■参考資料 『千葉県の戦争遺跡をあるく』千葉県歴史教育者協議会、国書刊行会、2004年

  • 五稜郭(函館市)

    五稜郭タワー展望台から見下ろした五稜郭。城内の中心にあるのが2010年に一部復元された函館奉行所。その左に見える白壁の建物は兵糧庫で、これは現存する唯一の建造物です。(2018年8月9日、GRDⅢで撮影) ■参考資料 『北海道の歴史散歩』北海道高等学校日本史教育研究会、2006年、山川出版社

  • 函館山(函館市)

    五稜郭タワー展望台から見た函館山と市街。函館山に霧がかかっています。この日の夜函館山の山頂に行きましたが夜景を見ることができませんでした。(2018年8月9日、GRDⅢで撮影)

  • 洞爺湖

    2018年8月8日、GRDⅢで撮影。

  • バロンゴージ国立公園の熱帯雨林(クイーンズランド州)

    スカイレールに乗って上空から見たバロンゴージ国立公園の熱帯雨林。ケアンズ方面からまず山を登ります。ユーカリの林からだんだんと熱帯雨林に変わっていきます。(2015年12月4日、GRDIIIで撮影)

  • ケアンズ・ボタニックガーデン(ケアンズ、エッジヒル)

    オーストラリアのケアンズ北方にある広大な植物園。無料で見学できます。(2015年12月4日、GRDIIIで撮影)

  • 寄居要害山城跡(埼玉県大里郡寄居町金尾)

    寄居要害山城跡は、荒川を望む標高231メートルの山頂部にに築かれた城跡で、山頂部にある郭群と南の尾根に築かれた郭群からなっています。写真は、山頂部に近い二の郭で、正面に愛宕神社が見えます。背後の高い位置にあるのが一の郭です。場所は、国道140号線の波久礼駅前交差点を曲がり荒川を渡ってから長瀞方面に向かいうとゴルフ場の入り口がありますが、その手前の右手の山です。(2015年2月27日、GRDIIIで撮影)

  • 埼玉県こども動物自然公園(埼玉県東松山市)

    あけましておめでとうございます。昨年は忙しくてほとんど更新できませんでした。今年もたぶんあまりできないと思いますが、よろしくお願いします。(2015年1月3日、iPhone4sで撮影)

  • 『原発の底で働いて』高杉晋吾、緑風出版

    原発の底で働いて作者: 高杉晋吾出版社/メーカー: 緑風出版発売日: 2013/12/17メディア: 単行本

  • 御代田町から見た佐久市街(長野県北佐久郡)

    2014年4月12日、GRDで撮影。

  • 横川サービスエリアの桜(群馬県安中市)

    2014年4月12日、GRDで撮影。

  • 金山城跡(群馬県太田市)

    金山城跡(国指定史跡)は、東武鉄道太田駅の北方約1.4キロメートルのところにある山城跡で、1469(文明元)年に岩松家純によって築かれました。関東の戦国山城には珍しい石垣を多用した重厚な山城です。(2014年3月8日、GRDⅢで撮影。) 写真は、本丸(実城。みじょう)に連絡する通路の入り口である「大手虎口」で、侵入してきた敵兵に脅威を与える高い石垣が通路両側・正面にそびえています。これらの石垣は発掘調査に基づいて復元・整備されたものです。 城は、後に由良氏と改名する横瀬氏が城主となります。その後金山城は、上杉謙信や武田勝頼らの攻撃によっても落城することはありませんでした。後に後北条氏の支配下に入りますが、1590年の豊臣秀吉の北条攻めで前田利家らに接収され、やがて廃城となりました。 ■参考資料 『史跡金山城跡』(パンフレット)太田市教育委員会文化財課、2012年3月..

  • 『英国一家日本を食べる』マイケル・プース、亜紀書房、2013年

    英国一家、日本を食べる作者: マイケル・ブース出版社/メーカー: 亜紀書房発売日: 2013/04/09メディア: 単行本(ソフトカバー) この本で紹介されているお店等で、私の行ったことのあるところは、東京・両国「吉葉(ちゃんこ鍋)」京都・南禅寺「奥丹(湯豆腐)」札幌「ラーメン横丁」です。大阪食べ歩きの旅をいつかしてみたい。

  • 鉃道博物館(埼玉県さいたま市)

    鉃道博物館は、鉃道・国鉄・JR東日本の鉃道資料・遺産の保存・研究、産業史としての鉃道システムの変遷についての展示、鉃道の原理・しくみ・鉃道技術の教育を行う博物館です(「鉃道博物館3つのコンセプト」より)。上の写真は、転車台に載ったC57形式蒸気機関車。一階の「ヒストリーゾーン」にあります。(2013年12月11日、iPhone4sで撮影。)

  • 『原発ホワイトアウト』若杉冽、講談社、2013年

    原発ホワイトアウト作者: 若杉 冽出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/09/12メディア: 単行本

  • 都内の公園にて

    2013年11月30日、iPhone4sで撮影。

  • 多賀城外郭南門跡(宮城県多賀城市)

    762〜780年ころ(宮城県多賀城跡調査研究所による政庁変遷の時期区分でいうと第Ⅱ期)にあったと考えられている多賀城の外郭の南門跡。ここにハ脚門が建っていたと推定されています。写真は南から北方向に撮影したものです(2013年8月8日、GRDⅢで撮影)。 写真の右奥に見える覆屋の中には多賀城碑(国指定重要文化財)があります。ここから北に進むとかつての南面道路があり、政庁へと直線的に向かっています。 多賀城は奈良時代に成立した古代東北支配の重要拠点で、陸奥国の民政をつかさどる「陸奥国府」とこの地方の人々との戦争を指揮する「鎮守府」としての二つの機能を持っていました。のちにこの「鎮守府」の機能は北方の胆沢城(岩手県水沢市)に移転します。 ■参考資料 『古代東北統治の拠点 多賀城』進藤秋輝、新泉社、2010年 『宮城県の歴史散歩』宮城県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山..

  • 『永遠のゼロ』百田尚樹、講談社文庫、2009年

    永遠の0 (講談社文庫)作者: 百田 尚樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/07/15メディア: 文庫

  • さきたま古墳公園にて(埼玉県行田市)

    さきたま古墳公園内で撮影。遠くに見えるのが前方後円墳の「二子山古墳」です。墳丘の全長は138メートルで埼玉県はもちろん武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県の一部)においても最大規模の前方後円墳です。(2013年5月22日、GRDⅢで撮影)

  • 埼玉県農林公園(深谷市)

    写真は農林センターの前の庭園「ふるさとの庭」です。(2013年5月19日、GRDⅢで撮影) 公園内ではミニSLに乗ることもできます。一回200円です。

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