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ブログタイトル
GR1歴史散歩記
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リコーのカメラGR-1(フィルム)・GRD(デジタル)で記録した旅の風景や史跡を紹介しています。
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26回 / 365日(平均0.5回/週)

ブログ村参加:2006/05/08

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GR1歴史散歩記

i-shinkuroさんの新着記事

1件〜30件

  • 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場守衛棟(埼玉県桶川市)

     修復・復元された旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の守衛棟(2020年7月29日、GRDIIIで撮影)。正門(写真はこちら)から入ってすぐ左手(西側)の建物です。

  • 黒山三滝(埼玉県入間郡越生町)

     写真は越生町(おごせまち)の黒山にある黒山三滝のうちの男滝(おだき。上段)・女滝(めだき。下段)です。ここから少し下ったところにある天狗滝と合わせて黒山三滝と言います。(2021年8月19日、iPhoneSEで撮影)  黒山は関東の「熊野」とも言えるような信仰の地です。また修験道(しゅげんどう)の修行の地でもあったようです。熊野とは和歌山県南東部・奈良県南部・三重県南部一帯の信仰の地で、死者の霊がこもる聖地であり、11世紀に熊野三山、いわゆる本宮・新宮・那智の三社が成立してからは熊野詣が流行しました。  また、原始的な山岳信仰と仏教の密教との融合を修験道と言います(始祖は奈良時代の役小角。えんのおずぬ)が、修行者は霊力のある山にこもり、その呪力を得ようとしました。熊野は修験道の中心的道場の一つです。  この黒山霊場をはじめ関東の多くの霊場を管理していたのが山本坊です。坊とは宿舎..

  • 越生町黒山にて

    リコーのカメラGR1(フィルム)・GRDⅢ(デジタル)で記録した旅の風景や史跡を紹介しています。新しく書いた記事のみ冒頭にあります。他の記事は撮影日順。

  • 2021年8月18日の写真

    iPhoneSEで午後5時ごろ撮影。

  • 旧陸軍登戸研究所26号棟(第三科倉庫)跡地(明治大学生田キャンパス。神奈川県川崎市)

     神奈川県川崎市の明治大学生田キャンパスにある旧陸軍登戸研究所26号棟(第三科倉庫)の跡地。場所は第一校舎1号館の前の東側に広がる空き地で、5号棟跡地に隣接しています(2018年11月14日撮影)。  木造平屋建ての建物があって研究所の時代には第三科に所属し偽札を保管する倉庫として使われていました。2009年老朽化のため解体されました。 ■参考資料 『明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブック』2017年 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

  • 桶川飛行学校平和記念館(旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場。埼玉県桶川市)

     桶川飛行学校平和記念館は、熊谷陸軍飛行学校本校(1935年開校)の分教場として設置された熊谷陸軍飛行学校桶川分校の建物を復元・整備して開館しました(2020年8月)。場所は桶川市川田谷2335−16です。  熊谷陸軍飛行学校桶川分校が開校したのは1937(昭和12)年で、ここで生徒たちは陸軍の航空兵になるための教育を受け、近くの飛行場(現ホンダエアポート)で操縦訓練も行いました。のべ1,500〜1,600名がここで学んだそうです(旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会)。  1945年に桶川分校は閉校となりましたが、特別攻撃隊の訓練施設となりました。  復元・整備された建物は正門(写真。2020年7月29日、GRDIIIで撮影)・弾薬庫・守衛棟・車庫棟・兵舎棟・便所棟です。 ■参考資料  「桶川飛行学校平和記念館」パンフレット、2020年  「NPO法人旧陸軍桶川飛行学校..

  • 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場兵舎棟

     旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の建物を復元・整備した桶川飛行学校平和記念館にある兵舎棟(2020年7月29日、GRDIIIで撮影)。元々の木材も活用して復元整備されました。

  • 登戸研究所5号棟跡地(明治大学生田キャンパス。神奈川県川崎市)

     明治大学生田キャンパスの第一校舎1号館の前の西側に広がる空き地(2018年11月14日撮影)。ここには登戸研究所の5号棟(木造平屋建て)がありましたが2011年2月に老朽化のため撤去されました。  5号棟は研究所第三科の建物で、ここでは偽札や偽造パスポートなどが製造されていました。第三科の施設は高い塀に囲まれていて秘密が漏れないよう厳重に管理されていました。偽札製造の目的は中国経済をかく乱し、行き詰った日中戦争のを打開するための一つの策とするためと、現地で軍需物資を偽札で手に入れるためでした。 ■参考資料 『明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブック』2017年 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

  • 陸軍技術研富津試験場監視所跡(千葉県富津市)

     富津(ふっつ)試験場は、陸軍技術研究所に所属した試験場の一つで1922(大正11)年に設置されました。東京湾の西から東に伸びている小さな半島の先にあるのが富津岬で、半島は千葉県立富津公園となっていますが、ここにかつて陸軍技術研究所富津試験場の施設が置かれていました。  明治〜大正時代にかけて海防のために設置されていた元洲砲台跡の南にあるのが写真の監視所で小銃や機関銃の試験を行なうためのものと考えられています。2008年3月27日撮影。  元洲砲台跡の西側には銃器研究施設と思われる放列施設と射入窖(しゃにゅうこう)が残存しています。

  • 金沢偕行社(石川県金沢市)

     金沢に設置された旧陸軍金沢偕行社(かいこうしゃ)の建物はかつて石川県立能楽堂の隣りにあり、石川県庁石引分室として活用されていました。現在は道路を隔てた国立工芸館(金沢市出羽町3-2)の建物として移築・復元工事が行われました。写真は移築・復元される以前の建物です(2008年8月20日撮影)。  金沢には1898(明治31)年に陸軍第九師団が置かれ、様々な師団関連の施設が金沢城内などに設置されました。偕行社は陸軍将校の修養や親睦のために組織されたもので、偕行社の社交場としても使われました。造られたのが1898(明治31)年で元々は大手町にあったものですが1909(明治42)年に能楽堂の敷地内に移築されたそうです。

  • 『図説日本の軍事遺跡』飯田則夫、河出書房新社、2004年

    図説 日本の軍事遺跡 (ふくろうの本/日本の歴史)作者: 飯田 則夫出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/07/10メディア: 単行本

  • 『続しらべる戦争遺跡の事典』十菱駿武・菊池実編、柏書房、2003年

    続 しらべる戦争遺跡の事典出版社/メーカー: 柏書房発売日: 2003/06/01メディア: ハードカバー

  • 巣鴨プリズン跡地(池袋サンシャインシティ)

     池袋サンシャインシティはかつての巣鴨プリズン(巣鴨監獄)跡地を再開発したものです。そして再開発地の一部は東京都豊島区立東池袋中央公園となっています。(2017年1月2日、GRDIIIで撮影)  1945年9月25日、GHQによって東京拘置所が接収され、戦争犯罪容疑者が収容されることとなり、11月に巣鴨プリズンとして開所しました。  1948年11月に東京裁判において起訴されたほとんどの戦争犯罪容疑者に有罪判決が下され、12月23日、ここでA級戦犯の戦争指導者の絞首刑が執行されました。

  • 『昭和史跡散歩東京篇』一坂太郎、イースト・プレス、2016年

    史跡でつづる東京の歴史〈昭和編〉 (1976年)作者: 尾河 直太郎出版社/メーカー: 一声社発売日: 2021/06/23メディア: - ■この図書を参考にした記事 ・巣鴨プリズン跡地

  • 『東京都の歴史散歩(中)山手』東京都歴史教育研究会、山川出版社、2005年

    東京都の歴史散歩〈中〉山手出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2005/09/01メディア: 単行本 ■この図書を参考にした記事 ・巣鴨プリズン跡地

  • 旭川偕行社(北海道旭川市春光5条7丁目)

     日清戦争終結後の1896(明治29)年、北海道の札幌月寒に陸軍第七師団司令部が設置されました。これはロシアとの戦争を意識したものでしたが、1900(明治33)年に旭川の春光(しゅんこう)に司令部が移転し、以降旭川は第七師団の軍都として発展を遂げました。  1902(明治35)年、将校など師団関係者の社交場、将校クラブとして建てられたのが写真の旭川偕行社(かいこうしゃ。国指定重要文化財)です(2005年8月7日撮影)。木造二階建て、コロニアルスタイルの優美な洋風建築です。  偕行社では、親睦会・会議・研修・講演・結婚披露宴などの宴会・宿泊などが行われ、また迎賓館としての役割も果たしていました。旭川偕行社では1936(昭和11)年に昭和天皇の行在所として使われたこともあります。また森鴎外陸軍医務総監も旭川偕行社を利用したことがあるそうです。  太平洋戦争後はアメリカ軍の将校クラブと..

  • 鉢形城跡伝諏訪曲輪(諏訪神社)角馬出(埼玉県大里郡寄居町)

     鉢形城跡(国指定史跡)の大手は城の南西にありますが、大手すぐ近くにあるのが伝諏訪曲輪跡で現在諏訪神社が建っています。約20メートル四方の角馬出で四方を堀によって囲まれ、西側及び南側には土塁も築かれている曲輪です。四角い形をした馬出しは角馬出し(かくうまだし)と呼ばれるもので北条氏がよく用いる築城技術です。写真はこの曲輪の西側の堀と土塁(写真左)及び南側の堀(写真右)です(2021年5月1日、GRDIIIで撮影)。  寄居町教育委員会・鉢形城歴史館の想定している伝諏訪曲輪への進入ルートは曲輪の西側から東方向に向かうルートです。堀を右手に見ながら細い土橋を通って伝諏訪曲輪に進みます。

  • 上福岡歴史民俗資料館(埼玉県ふじみ野市)

     イオンタウンふじみ野前のコミュニティ通りを南東に向かい坂を降りたところに長宮氷川神社がありますが、さらに交差点を右に入っていくと左手に上福岡歴史民俗資料館があります。(2021年4月30日、iPhoneSEで撮影)  イオンタウンふじみ野や市役所、学校などを含む広大なエリアにはかつて第一陸軍造兵廠川越製造所(「1937年操業開始。火工廠」とも呼ばれた)がありました。上福岡歴史民俗資料館の1階に、この第一陸軍造兵廠川越製造所の模型が展示されています。

  • そのほかの史跡・名勝など(目次)

    ■このブログで紹介している史跡・名勝などです(原則として訪問順、随時更新)。なお埼玉県の中世城館についてはこちらです。 ・善光寺…江戸時代も大人気の旅行地(長野県長野市)   ┠三門   ┠経蔵   ┗本堂 ・江戸城桜田門(東京都千代田区) ・吉原跡(記事作成中) ・樋口一葉旧宅跡(記事作成中) ・一葉記念館(記事作成中) ・龍勢会館…椋神社の龍勢祭りを知る資料館(埼玉県秩父市) ・椋神社…1884年の秩父事件で農民約3,000名が結集した地(埼玉県秩父市下吉田) ・神楽坂…毘沙門天のある善国寺の門前町としても発展(東京都新宿区)   ┗善国寺…神楽坂のシンボルとして有名(記事作成中) ・片倉シルク記念館…日本の近代化を支えた製糸工場の倉庫跡(埼玉県熊谷市) ・会津若松城跡…会津若松のシンボルで戊辰戦争では会津藩が籠城(福島県会津若松市)   ┠高石垣..

  • 2021年4月25日

    iPhoneSEで撮影。

  • 福岡河岸船着場跡(埼玉県ふじみ野市福岡)

     新河岸川を東から西方向に撮影しました。正面に見えるのが福岡河岸船着場跡です。川の反対側(写真手前)にあったのが古市場河岸船着場跡(川越市古市場)です。  福岡河岸船着場跡の奥の小高くなっているところに見える高い建物(三階建て)がふじみ野市立福岡河岸記念館にある建物です。  17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。 ■参考資料 ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年

  • ふじみ野市立福岡河岸記念館(埼玉県ふじみ野市福岡3-4-2)

     ふじみ野市立福岡河岸記念館(ふじみ野市指定文化財)に使われている建物は、かつて新河岸川の船運を担った舟問屋の福田屋の建物です(2021年2月28日、iPhoneSEで撮影)。写真の右から主屋、離れ、文庫蔵となっており、この3棟のみ現存しています。  17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。 すぐ近くに福岡河岸船着場跡があります。 ■参考資料 ふじみ野市立福岡河岸記念館パンフレット ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年

  • 『みて学ぶ埼玉の歴史』山川出版社、2002年

    みて学ぶ埼玉の歴史出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2002/03/01メディア: 単行本

  • 嵐山渓谷(埼玉県比企郡嵐山町)

    2021年1月2日iPhoneSEで撮影。

  • 小倉城跡大堀切(比企郡ときがわ町田黒)

     小倉城跡の廓2と廓1(本廓)の間の大堀切を東側から撮影(2021年1月1日iPhoneSEで撮影。)左が廓2で右が廓1(本廓)。この堀切をの先を右に折れると廓1に入る小口がある。

  • 小倉城跡廓2(比企郡ときがわ町田黒)

     小倉城跡(国指定史跡)の廓2の南端の部分を下の堀から見上げたところ。2021年1月1日iPhoneSEで撮影。この堀は直進すると左90度に折れ、さらに5メートルほど進むと再び右90度に折れるというクランク状の堀となっている。

  • 杉山城(埼玉県比企郡嵐山町)本曲輪跡

     杉山城の本曲輪跡の南端部(2020年5月5日、iPhoneSEで撮影)。写真は、この本曲輪の南側にある南二の曲輪跡から撮影した。本曲輪の南端部には土塁が築かれているので堀を隔ててより高く感じられる。  杉山城は鎌倉街道を西に見下ろす丘陵に築かれており、15世紀末〜16世紀前半に築城されたと考えられていますが、それよりも後という説もあります。 ■参考資料 嵐山町教育委員会作成パンフレット(大手口でももらえます)

  • 『首都圏発 戦国の城の歩き方』西俣総生、2017年、KKベストセラーず

    PART3中級編で紹介されている杉山城(埼玉県比企郡嵐山町杉山)について参照させていただきました。

  • 旧陸軍鉄道連隊門跡(千葉県習志野市)

    旧陸軍の鉄道連隊跡。現在は千葉工業大学キャンパスになっていますが、連隊の門は大学の門としても現役で活躍中です。2019年6月4日撮影。

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