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光秀と信長 http://blog.livedoor.jp/akechi_mitsuhide/

戦国を駆け抜け、やがて運命の本能寺に至る光秀と信長の史跡・事跡紹介、コラムなど。

智勇兼備、家臣領民に慕われる名君、築城家、鉄砲名人、文化人、愛妻家。戦国を八面六臂で活躍する光秀の苦悩が野望に変わる時―

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2006/02/02

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  • 『信長公記』巻四-五、叡山御退治の事

    所在地:滋賀県大津市坂本本町比叡山延暦寺第1・第2・第3駐車場(無料)他◆元亀2年(1571)「九月十二日、叡山に御取懸け。子細は、去年野田・福嶋御取詰め候て既に落城に及ぶの剋、越前の朝倉・浅井備前坂本口へ相働き候。京都へ乱入候ては其曲あるべからず、の由候て、

  • 荒木村重と光秀、叛将の符合点

    ◆外様でありながら破格の待遇荒木村重は摂津三守護の一人・池田勝正の重臣であったが、足利義昭と信長の争いが表面化した際に主家が義昭方となったにも拘らず、信長方に馳せ参じて厚い信頼を得た。元亀四年(1573)三月二十九日、細川藤孝とともに逢坂まで信長を出迎えて忠

  • 「本能寺の変」光秀の動機②黒幕説

    ◆朝廷黒幕説◆将軍義昭黒幕説◆羽柴秀吉黒幕説◆徳川家康黒幕説◆イエズス会黒幕説◆毛利輝元黒幕説◆長宗我部元親黒幕説◆千利休黒幕説◆本願寺黒幕説◆高野山黒幕説 他無数。⇒黒幕説に共通するのは、まずその「黒幕」と信長との利害関係ありきで、

  • 「本能寺の変」光秀の動機①怨恨説

    ◆光秀は母を人質として八上城に籠もる波多野兄弟を誘降し、信長のいる安土に送ったが、信長が兄弟を磔刑にしたために怒った城兵が報復として光秀の母を磔にした。(『総見記』、『柏崎物語』)⇒『信長公記』の「調略を以て召捕り」という記述から着想したもの。『信長公記

  • 慈眼大師(天海)と慈眼寺

    所在地:京都府京都市右京区京北町周山上代4◆天海光秀説根拠の一つ 慈眼大師すなわち南光坊天海と明智光秀が同一人物ではないかという説の根拠の一つとして挙げられるのが、明智光秀が築城した周山城の麓にある曹洞宗慧日山・慈眼(禅)寺である。この寺の釈迦堂には明

  • 日光東照宮の桔梗紋は「あの人」の家紋?

    日光東照宮鐘楼と陽明門随身像の桔梗紋(拡大可)◆明智光秀の桔梗紋日光東照宮の桔梗紋は誰の家紋なのか。徳川家康の墓所がある日光東照宮に徳川家の三つ葉葵紋以外に無数の桔梗紋が隠されているのはなぜなのか。豊臣家滅亡に

  • 明智光秀年表(南光坊天海年表追記)

    1528 享禄元年8月美濃国明智長山城主・明智光綱(父の名は諸説あり。清和源氏頼光流土岐氏の後裔)の子として生まれる。幼名、桃丸。(『明智軍記』※江戸時代に成立した誤謬充満の悪書(高柳光寿評)。光秀の生年・前半生は不明に近く、確実な史料は1569年以降)1536 天文

  • 西教寺と明智光秀

    所在地:滋賀県大津市坂本5-13-1(上)本堂(左・伝坂本城城門)総門◆西教寺の成り立ち 正式名、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺。聖徳太子の創建と伝えられる。その後荒廃したが、慈恵大師良源すなわち元三大師が復興、念仏道場とした

  • 頼山陽『本能寺』

    ◆頼山陽(1780~1832) 江戸後期の歴史家・漢詩人・陽明学者。大塩平八郎に影響を与えた。山陽は号。子に安政の大獄で処刑された頼三樹三郎。七言律詩『本能寺』で光秀を皮肉っている。◆『本能寺』本能寺 溝幾尺(本能寺、溝幾尺なるぞ)吾就大事在今夕(吾、大

  • 高野山と光秀

    弘法大師の足下に佇む光秀と信長の供養塔(高野山金剛峰寺)◆高野山攻め 元亀二年(1571)九月信長が比叡山延暦寺を焼き討ちし、天正八年(1580)三月には顕如が信長に降伏して石山本願寺を退去、10年に亘る石山戦争が終結した。「次は高野山」

  • 明智左馬助湖水渡り

    小林清親『明智左馬之助湖水渡之図』版画(大津市歴史博物館蔵)所在地:滋賀県大津市◆明智左馬助主演『逃亡者』 光秀の娘婿・明智左馬助光春(正しくは、弥平次秀満)は、守備の任にあった安土城において山崎合戦における光秀敗戦を知り救援に向かった。

  • 勝龍寺城

    所在地:長岡京市勝竜寺◆細川家累代の拠点南北朝時代の暦応二年(1339)、男山八幡宮まで進出した南朝方に対抗すべく北朝方の足利尊氏が細川頼春に命じて城館を築かせた。西国街道と久我畷を抑える交通の要衝にある。応仁・文明の乱(1467~1477)の際には畠山義就(西

  • 黒井城

    所在地:兵庫県丹波市春日町黒井◆丹波の赤鬼・赤井悪右衛門直正建武二年(1335)丹波国春日部荘を領有した赤松貞範がこの地・猪ノ口山に砦を築いたことに始まる。約二百年後の天文十一年(1542)赤井才丸が荻野氏の養子となって荻野十八人衆の盟主として荻野直正を名乗

  • 周山城

    所在地:京都市右京区京北周山町◆明智光秀が築いた謎の城郭天正七年(1579)明智光秀が丹波攻略時に築いた城。付近の宇津氏が天皇家の御料地で山国荘と呼ばれたこの地を横領し、それを光秀が駆逐した際に築かれたともいう。光秀は城主として明智光忠を配していたが、山

  • 坂本城

    所在地:大津市下坂本◆比叡山焼き討ちで光秀が城主に元亀二年(1571)織田信長は突如として比叡山延暦寺を囲み、焼討ちを行った。前年、敵対する浅井・朝倉連合軍が摂津石山本願寺と交戦中だった信長の虚を突いて琵琶湖西を南下、一気に京へ侵入しようと織田領内を席巻

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