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思考の部屋
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 信州安曇野市有明山の山麓からの思索通信
更新頻度(1年)

4回 / 365日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2006/01/22

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信濃大門さんの新着記事

1件〜30件

  • 安曇野有明山麓の朝

    安曇野の夜明けは、午前5時ごろです。昼間の猛暑に比べると早朝の気温は、やや肌寒さを感じます。30分ほど山道をランニング、徐々に気温が上がってきます。稲穂に朝露。この季節、このような光景が朝の定番で、露が朝日に照らされてうつくしく輝く。自然の造形美で、うつくしいという感覚が湧く今に感謝です。安曇野有明山麓の朝

  • 今日も外は雨

    各地で豪雨の災害が発生しています。近隣では上高地地区の土砂崩落がありました。毎朝、天気が良ければ午前5時から約2キロの道のりをランニングしています。6月から内勤事務から解放され外回りの仕事に移り、確認作業の巡回仕事で気を遣うような他者との対面対話をする機会もなく実に気楽に仕事をしています。年金はそのまま妻に任せ、給料の半分をこづかいにする約束で実に気楽に生きています。早朝出勤もなく、自由に時間が選択できるところが最高で、早朝の陽の光を浴びたときに高揚感を感じることが度々あります。以前は哲学、心理学、宗教学、脳科学、古典等と興味が尽きない毎日でしたが最近は、一日の集約が重要な意味ありなりのリアル感覚が宿り読書も遠のいてしまいました。まぁ、それもよし!長年使っていたデスクトップも新しいものに変え替え実に充実した毎日...今日も外は雨

  • 仕事の引き継ぎ

    久しくブログを意識する生活から遠退いていた。忙しいわけでもなくただ単純に意識することがなかっただけである。間もなく第二の人生とも言う仕事も5年契約が終了し、所属する団体を退くわけではないが、別の部門に移ることに間もなくなる。現在は事務系の仕事で、総務の仕事を一気に引き受けたような内容でひたすら集中力と効率性を重視し進めてきた。この効率性を高めるためにエクセルを活用するのですが、いかにエクセルに精通しているかがとても重要でした。この仕事を引き継ぐのは私よりもひとつ年上の方で、パソコンができると言う話で採用し2ヶ月間引き継ぎ指導しています。パソコンができるとは、専用ソフトを動かすことができると言うことを意味しワードもエクセルもできるわけではありませんでした。あと一ヶ月半、どこまで達成することができるのか努力を期待す...仕事の引き継ぎ

  • 今日このごろ思うこと

    久しくブログを更新していませんでした。題材がないわけでなく文章までして意思表示をそのに向けて発信する意欲が失せた、と言ったところです。それに反するかのように、健康カラオケの発表会に土日の休日を費やし100人ほどの前で歌唱表現をしている。昨年だけで42・3回のステージがあり今年さらに増えそうです。演歌が主で、走裕介の『流氷列車』が今日発売になり帰宅したころにはCD到着しているかと思いますが、最近ではYouTubeを利用し昨日までにどうにか歌えるようになりました。演歌歌手では「こおり健太」さんという歌手がいて、特徴がある歌い方をしていて個人的にその節回しに引かれています。『恋瀬川』この方の新曲ですが4月に開催される県大会で披露する予定です。実に私は凝り性です。哲学・宗教学・心理学等々貴重な本ももう読むことはないでし...今日このごろ思うこと

  • 西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」に思う

    Eテレ100分de名著『善の研究』の全4回が終了した。今までの自分なりの学びが洗い流されるような、説得力のある番組でした。いろいろな方が西田哲学を語り、それはその人の理解の完成であるわけで、他の西田哲学を研究されておられる方も全面的に共通の理解の内にそれはあるのだろうか。最終回の第4回では「絶対矛盾的自己同一」という用語が解説され、永遠の今、多と一という言葉が語られる。個人的な理解で、今という現時点は差異のの移行、流れのある時点の連続の形跡を感じる。私という存在が矛盾を抱えながら一を求め存在し続ける、とそんな理解も「絶対矛盾的自己同一」にはあるのではないか。「善(ぜん)の研究」は「善(よし)の研究」ではないか。善悪(ぜん・あく)の次元、価値判断ではなく、動かしがたい存在の今ある姿それ自体が自己による「善(よし)...西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」に思う

  • 歌唱のむずかしさ

    県内でも先の台風による災害で困窮している人がいる中で、私は昨日、カラオケの発表会に参加した。前々から計画されている事であり主催者も心苦しい点もあろうかと思うが、とにかく開催されそこに参加した。歌唱というものの難しさを痛感する。自意識が高く歌唱力はかなりあるとうぬぼれ状態にあったように思える。年間30回を超えるカラオケの発表会に出場し、昨日(10月21日)の発表会ほど自信を無くしたことはなかった。他人は、褒めてはくれますが、どうみても力が入り過ぎて表現力は最低であった気がする。100人・200人の観客がいても上がることはないが、どうしても力が入ってしまう。今週の土曜日にも発表会があるが今一つ元気が出ない。昨日は『望郷津軽節』(歌手原田ヒロシ)という今まで発表会では唄ったことがない曲を選択したことに問題があるのだろ...歌唱のむずかしさ

  • 『善の研究』を久しぶりにひも解く

    ブログを書く意欲が薄れてきた。問いの課題というものがないということかもしれない。「人間いかに生きるべきか」「人生の意味」などという問題提起は日々元気に仕事に従事し、好なカラオケに興じていれば、これといった波風も立たず心穏やかである。哲学的な話題が好きで特に西田幾多郎先生のいわゆる西田哲学が好きでこれまで勉強してきた。Eテレ100分de名著の10月にようやく西田幾多郎著『善の研究』が取り上げられ、以前だったら番組全体を文立てしたに違いないが、いまは番組を見るだけで十分である。それにしても伊集院光さんは理解力はすごいですね。私などはいまだによく解せない部分も伊集院さんの語りでよくわかる、そんなところです。この100分de名著の番組が始まってから数多くの哲学関係の名著が扱われていましたが『善の研究』が扱われないのを不...『善の研究』を久しぶりにひも解く

  • 最近の健康術

    最近は世の中を複雑に考えないようになり、休日は庭の手入れやジョギング、そしてカラオケ練習、発表会などに時間を費やし、哲学ブログを全く書かない状況が続いています。年金だけでは生活が成り立たない状況なので、数年は仕事をすることし平日は毎日30キロほど車を運転し職場に来ています。片道30キロの通勤距離だとSDの新曲は往路で覚えることができボケ防止にもなります。月に2・3回あるカラオケ発表会に出場し時々YouTubeにアップしているのですが、皆様からも好評を受けてはいるますが、聞いてみると、唄っていうる時の感覚での感じと大きく外れ、恥ずかしい限りです。昨日は隣の松川村にある“すずの音ホール”10周年記念を合わせた歌謡発表会が90名近くの参加者に開催され参加しました。その中の第三部で唄われた私と同世代くらいの足立さんとい...最近の健康術

  • 正当性の主張の向こう側

    前回のブログでカサンドラ症候群、アスペルガー症候群の話を少し書きましたが、本屋さんの精神医学関係の場所に行くとこの症候群をマンガを多用しで簡単に解説する本を目にします。2017年ころから聞かれるようになったようで、簡単に言えば、私がこのような精神状態になったのは、私の身近にいる人が原因している。よく聞かれるのはカサンドラ症候群の妻に対してアスペルガー症候群の夫という図式です。カサンドラ症候群は、いわゆる正式な『病気』ではなくアスペルガー症候群のパートナーを持ったことで起こる心身の『状態や現象』を指すので、医師の診断を受けて判定される病状ではないといわれますが、現存在する私の精神状態は他者からの影響が大と考えるもので、生来的に在るかもしれない思考癖などは一切抜きにした考え方です。対する側から受ける災いとして、偏頭...正当性の主張の向こう側

  • 理由なき生き方をしたいものだ

    最近のネットニュースで印象に残った記事に、N国党代表がマツコデラックスの言動に抗議するためにラジオ番組の放送局へ突撃を予告し実際に突撃したという話題があった。有言実行、気に障ることに対しては即実力行使、高速道路ではあおり運転を行い、相手の車を停止させ殴る、などということを行う者もいる。飲みすぎて覚えていないと車内に子を置き去りにし熱中症で死亡させてしまう母親の話もあった。外国に目を向ければ日韓関係の話のズレには驚かされ、真剣なのか冗談半分なのか判断する基準をもてないような気がしてくる。ある新聞記事を読んでいると、相模原殺傷事件から3年が過ぎ、植松被告は、意思疎通のとれない障がい者を「心失者(しんしつしゃ)」と彼は独自語で語り、それが日本の財政難をはじめ、さまざまな問題の根源である、と言っているようである。無駄遣...理由なき生き方をしたいものだ

  • 特に問題はない日常

    最近はブログの更新意欲がなくなったわけではないがアップ率が低下している。若いときは365回と一日一回はアップしていた時もあった。それを更新意欲の有無と解析してしまうところに、歳を重ねてしまう。「何があなたをそうさせたか?」と考えたところで今の利になることはないように思う。言いたいこと、書きたいことがないわけではなく、毎日の呼吸の中で何かと聞こえてくる。「あの国はいつまで戦後を続けているのだ。」「日本非難をし続けることに喜びを持つ国民とはどういう人々なのか。」愛知県で開催されている国際芸術祭で「少女像展示中止」との報道、「表現の自由が奪われた」という話し。「あれが芸術作品で、何でもかんでもクレームがつくと奪われるという感覚がわき出る」「なぜに奪われると思うのか」隣国を象徴する漢字に時々「恨(コン)」が登場する。「...特に問題はない日常

  • 三性の理における「無記」に思う

    「突然老後の貯えとして2000万円は必要だ」という話に衝撃を受ける。いつ死んでも一千万円という生命保険ならばあるが、妻の貯えにはなりえようが、とりあえず年金をもらいながら働けるまで働くという現実を生きるしかないようである。せっかく官僚の方々が国民のためを思って善かれと思い試算して国民に示そうとしたようですが、大臣はそのような試算は受け取れないなどと発言し、世の中の確実なるものは今現在息ができる常態か、否か動けるか否かといった現事実にしか見いだせないのが事実である。そもそも正しい事態などと思うのは、そもそも正しくない事態がイメージできればこその話で、日々の身近な毎日においては、特に「正しくない」と呼べそうな事態は起きていないように思える。2000万円の話も今日食べる食事の機会を奪うものではなく、弁当持参で働く自分...三性の理における「無記」に思う

  • 現存在の負い目

    「老い」という言葉が気にかかる。そういう年齢にきたなぁと思う。高齢者の交通事故、杉良太郎さんの運転免許証返納などのニュースを見ると「老い」について真正面から考えるべきなのではないかという良心の声が出てきそうである。樹木希林さんのことば集が話題になっています。その中で希林さんは「老い」について、「若いときにはできたのに、歳をとるとできなくなったことを悲しむよりも、歳をとると、こういうことができなくなるのか。」と「そうなることを知ることが面白い」と語っていたことに現代の妙好人を感じさせる。「おい目を感じる」と語る時に、この「おい」という言葉が「老い」に漢字変換され「老い目」となってしまう。「負い目」が正しいことはだれもが知っていると思うが、なぜかこの漢字が出てしまう。「負い目」の意味は、ネット辞典で、「恩義があった...現存在の負い目

  • 私という現われ

    中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録『臨済録』という書籍に「無位(むい)の真人(しんにん)」という言葉が出てきます。真の自分は呼吸する日常のあたり前のそこに現れているという禅の問答で語られている話です。「眼に働けば見るといい、耳に働けば聞くといい、鼻に働けば嗅ぎ、口に働けば話し、手に働けばつかみ、足に働けば歩いたり走ったりする」という一連の身体の諸機能の働きの作用の内に真の自分は現れているということのようです。私の日常が即ち自分自身の現れで、「そのようなことをいうのは馬鹿ではないか。」と言われても自分というものは恥ずかしながら現れてしまうものです。当の本人は決して恥ずかしい事態が現れているとは認識していないわけではなく第三者の反響を受け、事態をのみ込むことができ反省の念をもって自戒します。こ...私という現われ

  • ところで あなたは・・・・・・?

    アンパンマンの作者やなせたかし(1919年2月6日-2013年10月13日)さんが25年間編集長をされていた「詩とメルヘン」の編集前記として毎月書いてきた言葉を一冊の絵本詩集にした小さな本があります。『ところであなたは・・・・・・?』(三心堂出版社・1999.4.8)という副題でもある「心の絵本」です。題名は詩の最後に書かれている言葉で、やなせさんがあとがきで次のように書いています。この本は全部最後の言葉が「ところであなたは・・・・・・?」という問いかけになっている。ぼくはこう思うがところであなたは・・・・・・?と質問している。だからこの本はぼくとこの本を読んだ人の答えで成り立つ。とあります。やなせさん80歳の時のあとがき亡くなられてもう5年が過ぎているのですが永遠に会話し問い続ける。相手は当然この本を手に取っ...ところであなたは・・・・・・?

  • 人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない

    「人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない。もし然(しか)いう人あらば、それは実に自己自身を侮辱するものである。」この言葉は小坂国継著『西田哲学を読む』に書かれているもので、ある人の本を読んでいたらこの「自己自身」という言葉で次に進めなくなったと書かれていました。「自己自身」とはいったい何を言うのか。本来的自己の事だといったところで、その本来がわからない。以前ブログに書いた宮沢賢治の未完の物語『学者アラムハラドの見た着物』に書かれた少年の言葉「人は本当のいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」を思い出します。今朝の朝刊を読めば「中1男女殺害死刑確定」と見出しが目に入ります。49歳の被告裁判所は責任性の段階で「責任能力あり」と判断したわけで、責任能力と良心は次元が異なるのかと考えてしまいます。...人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない

  • 「意識現象は唯一の実在である」と心理主義に思う

    西田幾多郎著『善の研究』の第二章の見出しは「意識現象は唯一の実在である」となっています。たしかに唯一と言われてしまえば自他の意識の関係を云々できないのは道理で、個人的にも自己内における二重性の自己を語ろうとするものが西田哲学を引用するのは不可解な話になってしまいますが、学べば学ぶほどその思想の深さに感動します。『善の研究』は西田哲学の初期のものであり、この著が版を重ねるにあたり西田先生がその後の思想展開に関係した話を序文に書かれておられそれを見逃すわけにはいきません。岩波文庫の『善の研究』(藤田正勝編)を使用しますが、この『善の研究』の最終序文の「版を新たにするに当って」全文は、次のとおりです。版を新にするに当ってこの書刷行を重ねること多く、文字も往々鮮明を欠くものがあるようになったので、今度書肆(しょじ)にお...「意識現象は唯一の実在である」と心理主義に思う

  • 心はいかに創られるのか

    使徒信条というものがあります。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、使徒信条(しとしんじょう、ラテン語:SymbolumApostolicum,英語:Apostles'Creed)は、キリスト教のうち、西方教会(カトリック教会、聖公会、プロテスタント)における基本信条のひとつ。使徒信経(しとしんきょう)とも。ラテン語原文の冒頭の語をとってクレド(Credo)とも呼ばれる。東方教会(正教会、東方諸教会)は、使徒信条に告白されている内容は否定しないものの、使用はしてはいない。と解説されています。大方の聖書信仰にある人々の信仰の基本ともいえるものでその最初にくる言葉は、「我々は全能の父、天地創造なる神を信ず」という言葉、各派の日本語訳は様々あるようですが内容的にはこのようなもののようです。「...心はいかに創られるのか

  • 無垢の予兆

    過去のブログにも紹介した話ですが、「博士の愛した数式」という邦画の最後に詩人ウィリアム・ブレイクの次に詩が流れました。一つぶの砂に、一つの世界を見一輪の野の花に一つの天国を見てのひらに無限を乗せ一時(ひととき)のうちに永遠を感じるとてもいい詩だなぁと思い検索するとToseeaWorldinaGrainofSandAndaHeaveninaWildFlower,HoldInfinityinthepalmofyourhandAndEternityinanhour.の訳で、色々な方がこの詩を訳していました。KIKIさんという方は、一粒の砂の中に世界をみる一本の野の花の中に天国をみるつかみなさい君の手のひらに無限をひとときの中に永遠を・・・さほど難しくない英語ですから自分自身の訳ができそうです。この詩について、最近ブッ...無垢の予兆

  • 「無記」という言葉の深層にあるもの

    「道得と葛藤:和辻哲郎の道元論」と題したブログを閲覧したところ、最後に「和辻はすでに語源解釈的な手法を駆使しているということがわかる。和辻には、ハイデガーとは別に、語源にもとづいた言葉遊びの傾向が若い頃からあったようである。」と結ばれていました。個人的にひかれたのは「言葉遊び」という言葉で、私も「言葉遊び」と呼ばれそうなことをしているなぁと感じたわけです。善いのか悪いのかという話ではなく、前回の「もの・こと」論での「もの」という言葉に気づかされたのも和辻先生の著書を読んだからで、人間にしかない言葉、神の怒りを受けバベルの崩壊後数多の言語が生まれたと旧約聖書に語られますが、言語別に民族は離散集合をくり返し国家を作り文化を今日に伝えています。人それぞれの間のコミュニケーションをはかる道具として最初に言葉ありきで思考...「無記」という言葉の深層にあるもの

  • 「もの・こと」(論)から主人公になるために

    個人的に興味をもつブログに「もの・こと」(論)が書かれていました。最近の思考課題の一つとして自己の二重性といった心理学にも関係する問題に関心を持っていると、この「もの・こと」論がかかわってきたので、ブログ記事を読んで世の中は共時的な「もの・こと」にあふれていることを実感しました。そこで今回は思考視点を「もの」「こと」論から展開してみようかと思います。過去20年あまり書き綴れば多少満足のいく文章も書けるかと思うと一向に進歩しません。「もの・こと」論は過去に何回か書いていますが、途中で関連する言葉に捉われ網の目のような話になってしまうのが現実です。したがって漏れの多い文章なわけです。漢字の「物」と「事」の二字を組み合わせると「物事」は訓読みで「ものごと」となり、「事物」は、音読みで「ジブツ」と何気なく私は読んでいま...「もの・こと」(論)から主人公になるために

  • 命に向かう

    元号の「令和」が万葉集から採用され、初めての国書からということもあってか多くの人の興味を惹きつけているようです。書店では万葉集の関係本が人気だとのこと、また松本でも博物館、文書館などが特別展を開催し祝「令和」ムードが全国的に広がっているようです。一方快く思わない人も当然たくさんおられるわけで世の中に均衡というものはないのだろうかと思ってしまう。しかし世の中の推移というものは一律でないことが当たり前で動的でなければ現象そのものが立ち現れないように思う。身体が細胞の死滅と生成の動的な変化であるように、世の中のありようも相似的であるように感じられます。全体は部分の集合体ですが、全体は一見固定されたありかたではなく細部に至れば常に動的な在り方です。万葉集の話から少々外れてきましたが、国語辞典と古語辞典があるように言葉も...命に向かう

  • 内心のスケルトン問題

    最近の考察課題はある意味、私の二重性ということに関して進んでいます。二重性と言っても一般的な自己と他者との関係、自己自身が他者をどう内に取り込むかという視点での考察ではありません。人の意識活動を能動、受動という視点から見ると、人は自ら能動的に社会に働き掛け、反対に社会から影響を受ける受動的な側面があります。人間は能動と受動により構築された存在とも言えます。私の考える二重性とは、能動・受動の一極化した自己ではなく、多極化した自己が共存する一身体である自己の二重性を考えています。普通意識ではそれぞれの自己は他の自己意識と乖離しているわけではなく常に統合的な統一意識を織りなし自己意識を持ち常に対自的存在として自らの自然的意志を実現しようとする在り方で存在しています。毎回同じようだ主題で思考の世界をさまよっていますが、...内心のスケルトン問題

  • 人間の性(さが)と統合的私について

    「私というもの」という言葉を文章に織り込む場合は、自己紹介的な文面を内容としたものになりそうです。そこには人柄、性格など、私が他者との比較の中で想像し、知覚されたものを書きこむことになります。これは表現を変えれば「私のこと」を書いたわけで、そのことによって他者に私というものを知ってもらうことになります。あるサイトを見ていたら人柄がいい人の特徴を表す言葉が10ほど書かれていました。悪口を言わない。噂話に惑わされない。公共のルールを守る。相手を思いやった行動ができる。前向きな行動力がある。周りから尊敬されている。人当たりが物腰柔らか。責任感が強い。純粋で誠実。おおらかで楽観的。なるほどと納得できそうな人柄の内容表現です。それならば次に性格についてはどうでしょう。考えるよりもサイトを参考にします。すると、長所として明...人間の性(さが)と統合的私について

  • 元号の支配と自己の自己性について

    新しい元号が「令和」という万葉集由来の言葉に変わり、新聞によると75%の人たちが善しとしているようです。考案者が万葉学者で元文化庁長官の中西進先生とのことで、個人的に古代日本人の精神性において中西先生の「やまと言葉」には多くを学び今現在も学び続けているだけに感慨深いものがあります。中西先生の最新の著書は、歴史学者の磯田道史先生との対談編になりますが『災害と生きる日本人』(潮新書・2019.3.20)です。「古に学ぶ日本人の精神」が副題になっていますが、人災と自然災害の風土的環境がいかにそこに住む人々の深層に影響し文化が展開されるかよく理解できるかと思います。個人的な理解はセム的一神教の世界は人災、八百万の世界観は自然災害が文化の深層に影響し、考え方にも影響してくるのではないかと思います。さて時々言及する世の中の...元号の支配と自己の自己性について

  • 「令和」を思う

    新元号が「令和」となるということで、この元号命名の出典が中国の古典からのものではなく、万葉集からとのこと、「おだやかで平和な世の中」を期待したいと思います。この元号については制定にたずさわった方々は大方よい評価であったということですが、どこにも必ず異を唱える方がいるもので実に世の中は多様です。「あかるい」と感ずる人もいれば「命令の令」を意識してしまうと思う人もいます。そして「ぴんとこない」という言葉を取材で得たのでしょう、地方紙にはこのことばを「あかるい」と併記していました。この地方紙ですが一面の天声人語のような欄に万葉集の山上憶良の名を出し「平城京から遠く離れた任地で貴族が梅の花にかこつけて優雅に遊んだろう」という文章を織り込んで記事を書いていましたが、個人的には誰もが読む新聞にこのような文章を掲出する己の表...「令和」を思う

  • 雑念と私と汝について

    「雑念」というと、集中力が衰える原因と考えるのが普通です。辞書的には「気持ちの集中を妨げるいろいろな思い」などと説明され、「思い」とあることを見れば、真面目に考える私の中にあたかも別人のような私が不真面目な「思い」の姿で登場し、真面目な私を翻弄させているように見え、それを「雑念がわく」などと表現します。「なぜこんなことが、私に起きるのか」と悩むとき、「私は何か罰当たりなことをしたのか」と神罰の祟り思う私もいれば、「何かミスをしたのだろう」と考える私もいます。こう考えが起こるのは、平穏な日常生活に突然の苦難が生じ平穏な日常との対比から悩みが生じているわけで、平穏な日常で何も急変するような事態が起きていない時の私なるものの常態的な感覚的記憶背景があるからこそ、悩めるような身の上になった私が先の私の体感記憶との対比に...雑念と私と汝について

  • 「あの日の星空」の汝の声について

    前回のブログで、3月11日にNHKで放送された3.11東日本大震災ドキュメンタリー番組「あの日の星空」という番組について少し触れました。2011年3月11日の東日本大震災は未曽有の災害をもたらしました。地震それによる津波という自然災害に遭遇し家族の生命を奪い、財産を押し流され、どうしようもない憤りと深き悲しみの只中で、被災者が見た星空の話です。全人間的な宗教体験であったのか、われと汝の対話のような実際に起きた不思議な出来事です。津波と揺れによる災害で電力送電が停止し人工の光が失われた夜、空を見上げると満天にきらめく星々、それを「きれい」と言葉で表現するのは不謹慎と思われたが心を揺り動かす記憶に刻まれる光景であったといいます。娘と孫を失った老夫婦、今もあの空を忘れません。孫の夢を見る。「お母さんは?」と聞くと「そ...「あの日の星空」の汝の声について

  • 「壁ドン」から思うこと

    今回もシルバー川柳(ポプラ社)の印象に残ろ一句を話のタネ、ネタにします。「壁ドンし伝って歩くトイレまで」東京在住の79歳の男性の句。思わず笑ってしまいます。しかし深刻と言えば深刻で、今現在自分自身がそのような状況下にない、切実なる悲哀の中にいないから感じないのかもしれません。若者の愛の告白のまさに壁ドン。「壁ドン」という言葉、誰が最初に発したのでしょうか。もともとはアパートなどで近隣がうるさいときの壁を叩く様子など、どちらかと言えばネガティブ的な言葉が、壁の背にした女の子に向き合う男性が壁に手を「ドン」とつけ告白するONEシーン。そのうち辞書にも掲載されるでしょうねぇ。悲劇と喜劇、これは決して相反するものではなく両合わせの感情のようなもの。あまりの悲しさに笑ってしまう。映画の一画面ではありませんが、最近も大震災...「壁ドン」から思うこと

  • シルバー川柳で聞いてみる

    国会中継を見ていると質疑応答の様子、周辺から聞こえるヤジなどその騒々しいあり様を「だれもがいつものこと」と思うに違いありません。これが突然、静寂に包まれ、誠実な質疑応答が行われたならば、「どうしたのだろう?」と私は思ってしまいます。いつものような騒々しい、喧騒の風景が国会の意味の場と思うに違いなく、国会の持つ「空気」はそういうもので、議員はそういう空気に触れ、その場のにおける当たり前の「私」を作り上げているのかもしれません。最近はどんなことを言われても「バカヤロ!」と叫ぶ方もなくなり、空気感も変化するようですが大きな変化はないように見えます。話は変わりますが、川柳と言えば「サラリーマン川柳」が有名ですが、「シルバー川柳」もかなり有名でつい最近「第8巻書き込んだ予定はすべて診察日」(ポプラ社)を進められました。進...シルバー川柳で聞いてみる

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