chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 久しぶりにブログを書く

    高齢者といっても68歳は、今は老いを理由に消極的な毎日を送るわけにもいかず、バイト的な仕事に従事している。従事するからには健康が第一で、早朝4時過ぎに起き、30分のジョギングと100メートル小ダッシュを毎日行っている。傾斜15度ほどの100メートルの坂道を4回、平均50秒で走り、最後に猛ダッシュ感覚で25秒で駆け上がる。よくも飽きずに毎日走るもので、若いころからの走り癖はいまだに変わることはない。走れなくなれば終局まじかということになるわけで、止めるという意識も湧かず早朝の運動は習慣化している。久しぶりにブログを書く

  • もう少し辛抱

    久しぶりにブログアップを試みています。ワクチンの優先年齢に該当しすでに射っているのですが、頃のは終息の気配はなく、最善の注意を図りバイトに励んでいます。以前ブログにもアップしていたとおり、哲学や宗教が等の人文系に興味を持って励んでいたのですが、結論から言うと、今日只今のこの刹那の重要性に目覚め難しい哲学的知識などはなんの意味をも表していないことに気づき、今日、今やるべきことに健康で専念することのみに生きています。そのような日常のなかで、趣味的なこととしてカラオケがコロナの影響で、練習も発表会参加もできないことは誠に残念でしかたがありません。今夜のニュースを見ると、来週には、カラオケ店も営業を開始できるような感染状況になりつつあります。終息を願うばかりです。もう少し辛抱

  • 安曇野有明山麓の朝

    安曇野の夜明けは、午前5時ごろです。昼間の猛暑に比べると早朝の気温は、やや肌寒さを感じます。30分ほど山道をランニング、徐々に気温が上がってきます。稲穂に朝露。この季節、このような光景が朝の定番で、露が朝日に照らされてうつくしく輝く。自然の造形美で、うつくしいという感覚が湧く今に感謝です。安曇野有明山麓の朝

  • 今日も外は雨

    各地で豪雨の災害が発生しています。近隣では上高地地区の土砂崩落がありました。毎朝、天気が良ければ午前5時から約2キロの道のりをランニングしています。6月から内勤事務から解放され外回りの仕事に移り、確認作業の巡回仕事で気を遣うような他者との対面対話をする機会もなく実に気楽に仕事をしています。年金はそのまま妻に任せ、給料の半分をこづかいにする約束で実に気楽に生きています。早朝出勤もなく、自由に時間が選択できるところが最高で、早朝の陽の光を浴びたときに高揚感を感じることが度々あります。以前は哲学、心理学、宗教学、脳科学、古典等と興味が尽きない毎日でしたが最近は、一日の集約が重要な意味ありなりのリアル感覚が宿り読書も遠のいてしまいました。まぁ、それもよし!長年使っていたデスクトップも新しいものに変え替え実に充実した毎日...今日も外は雨

  • 仕事の引き継ぎ

    久しくブログを意識する生活から遠退いていた。忙しいわけでもなくただ単純に意識することがなかっただけである。間もなく第二の人生とも言う仕事も5年契約が終了し、所属する団体を退くわけではないが、別の部門に移ることに間もなくなる。現在は事務系の仕事で、総務の仕事を一気に引き受けたような内容でひたすら集中力と効率性を重視し進めてきた。この効率性を高めるためにエクセルを活用するのですが、いかにエクセルに精通しているかがとても重要でした。この仕事を引き継ぐのは私よりもひとつ年上の方で、パソコンができると言う話で採用し2ヶ月間引き継ぎ指導しています。パソコンができるとは、専用ソフトを動かすことができると言うことを意味しワードもエクセルもできるわけではありませんでした。あと一ヶ月半、どこまで達成することができるのか努力を期待す...仕事の引き継ぎ

  • 今日このごろ思うこと

    久しくブログを更新していませんでした。題材がないわけでなく文章までして意思表示をそのに向けて発信する意欲が失せた、と言ったところです。それに反するかのように、健康カラオケの発表会に土日の休日を費やし100人ほどの前で歌唱表現をしている。昨年だけで42・3回のステージがあり今年さらに増えそうです。演歌が主で、走裕介の『流氷列車』が今日発売になり帰宅したころにはCD到着しているかと思いますが、最近ではYouTubeを利用し昨日までにどうにか歌えるようになりました。演歌歌手では「こおり健太」さんという歌手がいて、特徴がある歌い方をしていて個人的にその節回しに引かれています。『恋瀬川』この方の新曲ですが4月に開催される県大会で披露する予定です。実に私は凝り性です。哲学・宗教学・心理学等々貴重な本ももう読むことはないでし...今日このごろ思うこと

  • 西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」に思う

    Eテレ100分de名著『善の研究』の全4回が終了した。今までの自分なりの学びが洗い流されるような、説得力のある番組でした。いろいろな方が西田哲学を語り、それはその人の理解の完成であるわけで、他の西田哲学を研究されておられる方も全面的に共通の理解の内にそれはあるのだろうか。最終回の第4回では「絶対矛盾的自己同一」という用語が解説され、永遠の今、多と一という言葉が語られる。個人的な理解で、今という現時点は差異のの移行、流れのある時点の連続の形跡を感じる。私という存在が矛盾を抱えながら一を求め存在し続ける、とそんな理解も「絶対矛盾的自己同一」にはあるのではないか。「善(ぜん)の研究」は「善(よし)の研究」ではないか。善悪(ぜん・あく)の次元、価値判断ではなく、動かしがたい存在の今ある姿それ自体が自己による「善(よし)...西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」に思う

  • 歌唱のむずかしさ

    県内でも先の台風による災害で困窮している人がいる中で、私は昨日、カラオケの発表会に参加した。前々から計画されている事であり主催者も心苦しい点もあろうかと思うが、とにかく開催されそこに参加した。歌唱というものの難しさを痛感する。自意識が高く歌唱力はかなりあるとうぬぼれ状態にあったように思える。年間30回を超えるカラオケの発表会に出場し、昨日(10月21日)の発表会ほど自信を無くしたことはなかった。他人は、褒めてはくれますが、どうみても力が入り過ぎて表現力は最低であった気がする。100人・200人の観客がいても上がることはないが、どうしても力が入ってしまう。今週の土曜日にも発表会があるが今一つ元気が出ない。昨日は『望郷津軽節』(歌手原田ヒロシ)という今まで発表会では唄ったことがない曲を選択したことに問題があるのだろ...歌唱のむずかしさ

  • 『善の研究』を久しぶりにひも解く

    ブログを書く意欲が薄れてきた。問いの課題というものがないということかもしれない。「人間いかに生きるべきか」「人生の意味」などという問題提起は日々元気に仕事に従事し、好なカラオケに興じていれば、これといった波風も立たず心穏やかである。哲学的な話題が好きで特に西田幾多郎先生のいわゆる西田哲学が好きでこれまで勉強してきた。Eテレ100分de名著の10月にようやく西田幾多郎著『善の研究』が取り上げられ、以前だったら番組全体を文立てしたに違いないが、いまは番組を見るだけで十分である。それにしても伊集院光さんは理解力はすごいですね。私などはいまだによく解せない部分も伊集院さんの語りでよくわかる、そんなところです。この100分de名著の番組が始まってから数多くの哲学関係の名著が扱われていましたが『善の研究』が扱われないのを不...『善の研究』を久しぶりにひも解く

  • 最近の健康術

    最近は世の中を複雑に考えないようになり、休日は庭の手入れやジョギング、そしてカラオケ練習、発表会などに時間を費やし、哲学ブログを全く書かない状況が続いています。年金だけでは生活が成り立たない状況なので、数年は仕事をすることし平日は毎日30キロほど車を運転し職場に来ています。片道30キロの通勤距離だとSDの新曲は往路で覚えることができボケ防止にもなります。月に2・3回あるカラオケ発表会に出場し時々YouTubeにアップしているのですが、皆様からも好評を受けてはいるますが、聞いてみると、唄っていうる時の感覚での感じと大きく外れ、恥ずかしい限りです。昨日は隣の松川村にある“すずの音ホール”10周年記念を合わせた歌謡発表会が90名近くの参加者に開催され参加しました。その中の第三部で唄われた私と同世代くらいの足立さんとい...最近の健康術

  • 正当性の主張の向こう側

    前回のブログでカサンドラ症候群、アスペルガー症候群の話を少し書きましたが、本屋さんの精神医学関係の場所に行くとこの症候群をマンガを多用しで簡単に解説する本を目にします。2017年ころから聞かれるようになったようで、簡単に言えば、私がこのような精神状態になったのは、私の身近にいる人が原因している。よく聞かれるのはカサンドラ症候群の妻に対してアスペルガー症候群の夫という図式です。カサンドラ症候群は、いわゆる正式な『病気』ではなくアスペルガー症候群のパートナーを持ったことで起こる心身の『状態や現象』を指すので、医師の診断を受けて判定される病状ではないといわれますが、現存在する私の精神状態は他者からの影響が大と考えるもので、生来的に在るかもしれない思考癖などは一切抜きにした考え方です。対する側から受ける災いとして、偏頭...正当性の主張の向こう側

  • 理由なき生き方をしたいものだ

    最近のネットニュースで印象に残った記事に、N国党代表がマツコデラックスの言動に抗議するためにラジオ番組の放送局へ突撃を予告し実際に突撃したという話題があった。有言実行、気に障ることに対しては即実力行使、高速道路ではあおり運転を行い、相手の車を停止させ殴る、などということを行う者もいる。飲みすぎて覚えていないと車内に子を置き去りにし熱中症で死亡させてしまう母親の話もあった。外国に目を向ければ日韓関係の話のズレには驚かされ、真剣なのか冗談半分なのか判断する基準をもてないような気がしてくる。ある新聞記事を読んでいると、相模原殺傷事件から3年が過ぎ、植松被告は、意思疎通のとれない障がい者を「心失者(しんしつしゃ)」と彼は独自語で語り、それが日本の財政難をはじめ、さまざまな問題の根源である、と言っているようである。無駄遣...理由なき生き方をしたいものだ

  • 特に問題はない日常

    最近はブログの更新意欲がなくなったわけではないがアップ率が低下している。若いときは365回と一日一回はアップしていた時もあった。それを更新意欲の有無と解析してしまうところに、歳を重ねてしまう。「何があなたをそうさせたか?」と考えたところで今の利になることはないように思う。言いたいこと、書きたいことがないわけではなく、毎日の呼吸の中で何かと聞こえてくる。「あの国はいつまで戦後を続けているのだ。」「日本非難をし続けることに喜びを持つ国民とはどういう人々なのか。」愛知県で開催されている国際芸術祭で「少女像展示中止」との報道、「表現の自由が奪われた」という話し。「あれが芸術作品で、何でもかんでもクレームがつくと奪われるという感覚がわき出る」「なぜに奪われると思うのか」隣国を象徴する漢字に時々「恨(コン)」が登場する。「...特に問題はない日常

  • 三性の理における「無記」に思う

    「突然老後の貯えとして2000万円は必要だ」という話に衝撃を受ける。いつ死んでも一千万円という生命保険ならばあるが、妻の貯えにはなりえようが、とりあえず年金をもらいながら働けるまで働くという現実を生きるしかないようである。せっかく官僚の方々が国民のためを思って善かれと思い試算して国民に示そうとしたようですが、大臣はそのような試算は受け取れないなどと発言し、世の中の確実なるものは今現在息ができる常態か、否か動けるか否かといった現事実にしか見いだせないのが事実である。そもそも正しい事態などと思うのは、そもそも正しくない事態がイメージできればこその話で、日々の身近な毎日においては、特に「正しくない」と呼べそうな事態は起きていないように思える。2000万円の話も今日食べる食事の機会を奪うものではなく、弁当持参で働く自分...三性の理における「無記」に思う

  • 現存在の負い目

    「老い」という言葉が気にかかる。そういう年齢にきたなぁと思う。高齢者の交通事故、杉良太郎さんの運転免許証返納などのニュースを見ると「老い」について真正面から考えるべきなのではないかという良心の声が出てきそうである。樹木希林さんのことば集が話題になっています。その中で希林さんは「老い」について、「若いときにはできたのに、歳をとるとできなくなったことを悲しむよりも、歳をとると、こういうことができなくなるのか。」と「そうなることを知ることが面白い」と語っていたことに現代の妙好人を感じさせる。「おい目を感じる」と語る時に、この「おい」という言葉が「老い」に漢字変換され「老い目」となってしまう。「負い目」が正しいことはだれもが知っていると思うが、なぜかこの漢字が出てしまう。「負い目」の意味は、ネット辞典で、「恩義があった...現存在の負い目

  • 私という現われ

    中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録『臨済録』という書籍に「無位(むい)の真人(しんにん)」という言葉が出てきます。真の自分は呼吸する日常のあたり前のそこに現れているという禅の問答で語られている話です。「眼に働けば見るといい、耳に働けば聞くといい、鼻に働けば嗅ぎ、口に働けば話し、手に働けばつかみ、足に働けば歩いたり走ったりする」という一連の身体の諸機能の働きの作用の内に真の自分は現れているということのようです。私の日常が即ち自分自身の現れで、「そのようなことをいうのは馬鹿ではないか。」と言われても自分というものは恥ずかしながら現れてしまうものです。当の本人は決して恥ずかしい事態が現れているとは認識していないわけではなく第三者の反響を受け、事態をのみ込むことができ反省の念をもって自戒します。こ...私という現われ

  • ところで あなたは・・・・・・?

    アンパンマンの作者やなせたかし(1919年2月6日-2013年10月13日)さんが25年間編集長をされていた「詩とメルヘン」の編集前記として毎月書いてきた言葉を一冊の絵本詩集にした小さな本があります。『ところであなたは・・・・・・?』(三心堂出版社・1999.4.8)という副題でもある「心の絵本」です。題名は詩の最後に書かれている言葉で、やなせさんがあとがきで次のように書いています。この本は全部最後の言葉が「ところであなたは・・・・・・?」という問いかけになっている。ぼくはこう思うがところであなたは・・・・・・?と質問している。だからこの本はぼくとこの本を読んだ人の答えで成り立つ。とあります。やなせさん80歳の時のあとがき亡くなられてもう5年が過ぎているのですが永遠に会話し問い続ける。相手は当然この本を手に取っ...ところであなたは・・・・・・?

  • 人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない

    「人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない。もし然(しか)いう人あらば、それは実に自己自身を侮辱するものである。」この言葉は小坂国継著『西田哲学を読む』に書かれているもので、ある人の本を読んでいたらこの「自己自身」という言葉で次に進めなくなったと書かれていました。「自己自身」とはいったい何を言うのか。本来的自己の事だといったところで、その本来がわからない。以前ブログに書いた宮沢賢治の未完の物語『学者アラムハラドの見た着物』に書かれた少年の言葉「人は本当のいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」を思い出します。今朝の朝刊を読めば「中1男女殺害死刑確定」と見出しが目に入ります。49歳の被告裁判所は責任性の段階で「責任能力あり」と判断したわけで、責任能力と良心は次元が異なるのかと考えてしまいます。...人は何人も自己は良心を有(も)たないとはいわない

  • 「意識現象は唯一の実在である」と心理主義に思う

    西田幾多郎著『善の研究』の第二章の見出しは「意識現象は唯一の実在である」となっています。たしかに唯一と言われてしまえば自他の意識の関係を云々できないのは道理で、個人的にも自己内における二重性の自己を語ろうとするものが西田哲学を引用するのは不可解な話になってしまいますが、学べば学ぶほどその思想の深さに感動します。『善の研究』は西田哲学の初期のものであり、この著が版を重ねるにあたり西田先生がその後の思想展開に関係した話を序文に書かれておられそれを見逃すわけにはいきません。岩波文庫の『善の研究』(藤田正勝編)を使用しますが、この『善の研究』の最終序文の「版を新たにするに当って」全文は、次のとおりです。版を新にするに当ってこの書刷行を重ねること多く、文字も往々鮮明を欠くものがあるようになったので、今度書肆(しょじ)にお...「意識現象は唯一の実在である」と心理主義に思う

  • 心はいかに創られるのか

    使徒信条というものがあります。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、使徒信条(しとしんじょう、ラテン語:SymbolumApostolicum,英語:Apostles'Creed)は、キリスト教のうち、西方教会(カトリック教会、聖公会、プロテスタント)における基本信条のひとつ。使徒信経(しとしんきょう)とも。ラテン語原文の冒頭の語をとってクレド(Credo)とも呼ばれる。東方教会(正教会、東方諸教会)は、使徒信条に告白されている内容は否定しないものの、使用はしてはいない。と解説されています。大方の聖書信仰にある人々の信仰の基本ともいえるものでその最初にくる言葉は、「我々は全能の父、天地創造なる神を信ず」という言葉、各派の日本語訳は様々あるようですが内容的にはこのようなもののようです。「...心はいかに創られるのか

  • 無垢の予兆

    過去のブログにも紹介した話ですが、「博士の愛した数式」という邦画の最後に詩人ウィリアム・ブレイクの次に詩が流れました。一つぶの砂に、一つの世界を見一輪の野の花に一つの天国を見てのひらに無限を乗せ一時(ひととき)のうちに永遠を感じるとてもいい詩だなぁと思い検索するとToseeaWorldinaGrainofSandAndaHeaveninaWildFlower,HoldInfinityinthepalmofyourhandAndEternityinanhour.の訳で、色々な方がこの詩を訳していました。KIKIさんという方は、一粒の砂の中に世界をみる一本の野の花の中に天国をみるつかみなさい君の手のひらに無限をひとときの中に永遠を・・・さほど難しくない英語ですから自分自身の訳ができそうです。この詩について、最近ブッ...無垢の予兆

  • 「無記」という言葉の深層にあるもの

    「道得と葛藤:和辻哲郎の道元論」と題したブログを閲覧したところ、最後に「和辻はすでに語源解釈的な手法を駆使しているということがわかる。和辻には、ハイデガーとは別に、語源にもとづいた言葉遊びの傾向が若い頃からあったようである。」と結ばれていました。個人的にひかれたのは「言葉遊び」という言葉で、私も「言葉遊び」と呼ばれそうなことをしているなぁと感じたわけです。善いのか悪いのかという話ではなく、前回の「もの・こと」論での「もの」という言葉に気づかされたのも和辻先生の著書を読んだからで、人間にしかない言葉、神の怒りを受けバベルの崩壊後数多の言語が生まれたと旧約聖書に語られますが、言語別に民族は離散集合をくり返し国家を作り文化を今日に伝えています。人それぞれの間のコミュニケーションをはかる道具として最初に言葉ありきで思考...「無記」という言葉の深層にあるもの

  • 「もの・こと」(論)から主人公になるために

    個人的に興味をもつブログに「もの・こと」(論)が書かれていました。最近の思考課題の一つとして自己の二重性といった心理学にも関係する問題に関心を持っていると、この「もの・こと」論がかかわってきたので、ブログ記事を読んで世の中は共時的な「もの・こと」にあふれていることを実感しました。そこで今回は思考視点を「もの」「こと」論から展開してみようかと思います。過去20年あまり書き綴れば多少満足のいく文章も書けるかと思うと一向に進歩しません。「もの・こと」論は過去に何回か書いていますが、途中で関連する言葉に捉われ網の目のような話になってしまうのが現実です。したがって漏れの多い文章なわけです。漢字の「物」と「事」の二字を組み合わせると「物事」は訓読みで「ものごと」となり、「事物」は、音読みで「ジブツ」と何気なく私は読んでいま...「もの・こと」(論)から主人公になるために

  • 命に向かう

    元号の「令和」が万葉集から採用され、初めての国書からということもあってか多くの人の興味を惹きつけているようです。書店では万葉集の関係本が人気だとのこと、また松本でも博物館、文書館などが特別展を開催し祝「令和」ムードが全国的に広がっているようです。一方快く思わない人も当然たくさんおられるわけで世の中に均衡というものはないのだろうかと思ってしまう。しかし世の中の推移というものは一律でないことが当たり前で動的でなければ現象そのものが立ち現れないように思う。身体が細胞の死滅と生成の動的な変化であるように、世の中のありようも相似的であるように感じられます。全体は部分の集合体ですが、全体は一見固定されたありかたではなく細部に至れば常に動的な在り方です。万葉集の話から少々外れてきましたが、国語辞典と古語辞典があるように言葉も...命に向かう

  • 内心のスケルトン問題

    最近の考察課題はある意味、私の二重性ということに関して進んでいます。二重性と言っても一般的な自己と他者との関係、自己自身が他者をどう内に取り込むかという視点での考察ではありません。人の意識活動を能動、受動という視点から見ると、人は自ら能動的に社会に働き掛け、反対に社会から影響を受ける受動的な側面があります。人間は能動と受動により構築された存在とも言えます。私の考える二重性とは、能動・受動の一極化した自己ではなく、多極化した自己が共存する一身体である自己の二重性を考えています。普通意識ではそれぞれの自己は他の自己意識と乖離しているわけではなく常に統合的な統一意識を織りなし自己意識を持ち常に対自的存在として自らの自然的意志を実現しようとする在り方で存在しています。毎回同じようだ主題で思考の世界をさまよっていますが、...内心のスケルトン問題

  • 人間の性(さが)と統合的私について

    「私というもの」という言葉を文章に織り込む場合は、自己紹介的な文面を内容としたものになりそうです。そこには人柄、性格など、私が他者との比較の中で想像し、知覚されたものを書きこむことになります。これは表現を変えれば「私のこと」を書いたわけで、そのことによって他者に私というものを知ってもらうことになります。あるサイトを見ていたら人柄がいい人の特徴を表す言葉が10ほど書かれていました。悪口を言わない。噂話に惑わされない。公共のルールを守る。相手を思いやった行動ができる。前向きな行動力がある。周りから尊敬されている。人当たりが物腰柔らか。責任感が強い。純粋で誠実。おおらかで楽観的。なるほどと納得できそうな人柄の内容表現です。それならば次に性格についてはどうでしょう。考えるよりもサイトを参考にします。すると、長所として明...人間の性(さが)と統合的私について

  • 元号の支配と自己の自己性について

    新しい元号が「令和」という万葉集由来の言葉に変わり、新聞によると75%の人たちが善しとしているようです。考案者が万葉学者で元文化庁長官の中西進先生とのことで、個人的に古代日本人の精神性において中西先生の「やまと言葉」には多くを学び今現在も学び続けているだけに感慨深いものがあります。中西先生の最新の著書は、歴史学者の磯田道史先生との対談編になりますが『災害と生きる日本人』(潮新書・2019.3.20)です。「古に学ぶ日本人の精神」が副題になっていますが、人災と自然災害の風土的環境がいかにそこに住む人々の深層に影響し文化が展開されるかよく理解できるかと思います。個人的な理解はセム的一神教の世界は人災、八百万の世界観は自然災害が文化の深層に影響し、考え方にも影響してくるのではないかと思います。さて時々言及する世の中の...元号の支配と自己の自己性について

  • 「令和」を思う

    新元号が「令和」となるということで、この元号命名の出典が中国の古典からのものではなく、万葉集からとのこと、「おだやかで平和な世の中」を期待したいと思います。この元号については制定にたずさわった方々は大方よい評価であったということですが、どこにも必ず異を唱える方がいるもので実に世の中は多様です。「あかるい」と感ずる人もいれば「命令の令」を意識してしまうと思う人もいます。そして「ぴんとこない」という言葉を取材で得たのでしょう、地方紙にはこのことばを「あかるい」と併記していました。この地方紙ですが一面の天声人語のような欄に万葉集の山上憶良の名を出し「平城京から遠く離れた任地で貴族が梅の花にかこつけて優雅に遊んだろう」という文章を織り込んで記事を書いていましたが、個人的には誰もが読む新聞にこのような文章を掲出する己の表...「令和」を思う

  • 雑念と私と汝について

    「雑念」というと、集中力が衰える原因と考えるのが普通です。辞書的には「気持ちの集中を妨げるいろいろな思い」などと説明され、「思い」とあることを見れば、真面目に考える私の中にあたかも別人のような私が不真面目な「思い」の姿で登場し、真面目な私を翻弄させているように見え、それを「雑念がわく」などと表現します。「なぜこんなことが、私に起きるのか」と悩むとき、「私は何か罰当たりなことをしたのか」と神罰の祟り思う私もいれば、「何かミスをしたのだろう」と考える私もいます。こう考えが起こるのは、平穏な日常生活に突然の苦難が生じ平穏な日常との対比から悩みが生じているわけで、平穏な日常で何も急変するような事態が起きていない時の私なるものの常態的な感覚的記憶背景があるからこそ、悩めるような身の上になった私が先の私の体感記憶との対比に...雑念と私と汝について

  • 「あの日の星空」の汝の声について

    前回のブログで、3月11日にNHKで放送された3.11東日本大震災ドキュメンタリー番組「あの日の星空」という番組について少し触れました。2011年3月11日の東日本大震災は未曽有の災害をもたらしました。地震それによる津波という自然災害に遭遇し家族の生命を奪い、財産を押し流され、どうしようもない憤りと深き悲しみの只中で、被災者が見た星空の話です。全人間的な宗教体験であったのか、われと汝の対話のような実際に起きた不思議な出来事です。津波と揺れによる災害で電力送電が停止し人工の光が失われた夜、空を見上げると満天にきらめく星々、それを「きれい」と言葉で表現するのは不謹慎と思われたが心を揺り動かす記憶に刻まれる光景であったといいます。娘と孫を失った老夫婦、今もあの空を忘れません。孫の夢を見る。「お母さんは?」と聞くと「そ...「あの日の星空」の汝の声について

  • 「壁ドン」から思うこと

    今回もシルバー川柳(ポプラ社)の印象に残ろ一句を話のタネ、ネタにします。「壁ドンし伝って歩くトイレまで」東京在住の79歳の男性の句。思わず笑ってしまいます。しかし深刻と言えば深刻で、今現在自分自身がそのような状況下にない、切実なる悲哀の中にいないから感じないのかもしれません。若者の愛の告白のまさに壁ドン。「壁ドン」という言葉、誰が最初に発したのでしょうか。もともとはアパートなどで近隣がうるさいときの壁を叩く様子など、どちらかと言えばネガティブ的な言葉が、壁の背にした女の子に向き合う男性が壁に手を「ドン」とつけ告白するONEシーン。そのうち辞書にも掲載されるでしょうねぇ。悲劇と喜劇、これは決して相反するものではなく両合わせの感情のようなもの。あまりの悲しさに笑ってしまう。映画の一画面ではありませんが、最近も大震災...「壁ドン」から思うこと

  • シルバー川柳で聞いてみる

    国会中継を見ていると質疑応答の様子、周辺から聞こえるヤジなどその騒々しいあり様を「だれもがいつものこと」と思うに違いありません。これが突然、静寂に包まれ、誠実な質疑応答が行われたならば、「どうしたのだろう?」と私は思ってしまいます。いつものような騒々しい、喧騒の風景が国会の意味の場と思うに違いなく、国会の持つ「空気」はそういうもので、議員はそういう空気に触れ、その場のにおける当たり前の「私」を作り上げているのかもしれません。最近はどんなことを言われても「バカヤロ!」と叫ぶ方もなくなり、空気感も変化するようですが大きな変化はないように見えます。話は変わりますが、川柳と言えば「サラリーマン川柳」が有名ですが、「シルバー川柳」もかなり有名でつい最近「第8巻書き込んだ予定はすべて診察日」(ポプラ社)を進められました。進...シルバー川柳で聞いてみる

  • 「意味の場」から「空気を読む」について

    長いこと思考題材としてマルクス・ガブリエルの「新実在論」が頭の片隅に置かれているのですが、その中で日本人の行動形式に関係した駅の改札口における自然な日常行動についてガブリエルが「日本人の場合は客観的な面を気にした上で、体面を保つための道徳行為だったりするのかもしれないね。」と語っていることに多くの思考課題を与えられたように思う。彼の言動に日本人は自律的、自立的でないように言われているように感じ、ドイツ人の彼から見ればそのように見えるという意味で非常に参考になります。彼が「新実在論」で語る「意味の場」、個人、家族、地域、自治、国、世界と思考視点の置き場を移行すると、それぞれの場における自分自身の「在り様(よう)」が創造され、個性が現れてきます。上記の改札口は、「意に沿わないシステムだから」と使うことを拒否できるこ...「意味の場」から「空気を読む」について

  • 悠久の美

    最近、長野県木曽郡大桑村の日本一大きな顔がついた「人面土器」の愛称が決まったという記事がありました。1999年に同村内で発掘された「人面装飾付有孔鍔付土器(じんめんそうしょくつきゆうこうつばつきどき)」で昨年「信州の特色ある縄文土器」(158点)のひとつとして県宝に指定されたのを受け愛称を公募したところ県内外から234点が寄せられ愛称を決定したものです。選ばれた愛称は、「悠久のほほ笑み」でした。人面土器を見た人たちは、「親しみやすい愛嬌のある顔」「ほほ笑みが、いつまでも平和な時間をもたらしてくれるように・・・」などの感想を述べているようです。人面土器については、ネットで確認していただければと思いますが、土偶のような細めの目で、ほほ笑んでいるように見えます。どのような意味あって顔面を付けたのかわかりませんが、飾り...悠久の美

  • 「目に見えない皇帝が哲学」という言葉が意味するところ

    また「新実在論」のドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさんが語っている話になります。この話は、『マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する』(NHK出版新書)に書かれている話で、関係したテレビ番組でも話されたものです。ロボット研究家の石黒浩さんとの対話の中で、「今のドイツでさえ、1989年からの姿です。国境を変え、共産主義独裁政権を統合しました。そのため今のドイツは社会主義色が強いのです。・・・それで私たちは厳格な論理的構造を持っているのです。なぜなら現実はまったく統一されていないからです。ドイツは概念レベルのみので統一されているのです。」このように語り、そこで石黒さんが、「ドイツに対してそのような認識は持っていませんでした。ドイツはある意味日本のように同質性が高いのかと思っていました。」と話すと、ガブリエルさんは...「目に見えない皇帝が哲学」という言葉が意味するところ

  • 人生を見つめる審美眼

    テレビ東京の番組に「開運!なんでも鑑定団」という骨とう品を扱う番組があります。長野県は放送が1ヶ月遅れで放映され、先週正月3日の番組がありました。“開運!なんでも鑑定団」のお正月スペシャル!”ということで「今回は「目利き選手権」と銘打ち、芸能界の「目利き」を集めて、クイズ形式の内容でした。ゲストは、美川憲一、片岡鶴太郎、前田日明、山口恵以子、小島瑠璃子の5名でそこへ司会の今田耕司が加わり6名でその真贋を競うというものでした。『真贋』を小林秀雄先生は書かれていますが、骨董の世界ではニセ物とは言わず、二番手、ちと若い、ショボたれているというのだそうですが、本物か否か小林先生ならば真贋を見分ける目は確かのように思えますが、実際はそうではないようで、鑑定してもらうと「いけません」が多く、「以後これに懲りて他人に鑑定を依...人生を見つめる審美眼

  • 沖縄が突きつけた「No」という離縁状

    注目していた沖縄県民選挙、結果は“沖縄突きつけた「No」”と地方紙の記事見出しにありました。安倍総理大臣はこの結果を受けて見出しを付ければ「結果を真摯(しんし)に受け止め、基地負担軽減に全力で取り組む」と首相官邸での記者団に語ったようです。そのような見出しのように答えたとしても「沖縄に米軍基地が集中している現状は到底容認できない。沖縄の負担軽減は政府の大きな責任だ。今回の県民投票の結果を真摯に受け止め、これからも基地負担軽減に向けて全力で取り組む。住宅や学校に囲まれ、世界で最も危険といわれる普天間基地が固定化され、危険なまま置き去りにされることは絶対に避けなければならない。日米が(平成8年に)普天間基地の全面返還に合意してから20年以上実現されていない。これ以上先送りすることはできない。これまでも長年にわたって...沖縄が突きつけた「No」という離縁状

  • 思考の転回の只中で思うこと

    「人間の尊厳」という言葉を聞いて、おぼろげながらもその意味するところが「分かる」とはどうどういうことなのか。既にブログに書いた話ですが、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルが語るドイツ国民のコンセプトについて、彼は次のように語っています。「カントによる人間の解釈は、ドイツ憲法の最初の一文にあります。「人間の尊厳は不可侵である」これがドイツの憲法であり、「人間の尊厳」はカントが僕たちに与えてくれたコンセプトです。(『マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する』(NHK出版新書・p172)ドイツ人の日常行動には内的な倫理的・道徳的な基本的原則、貫かれ骨格として「人間の尊厳」があると語っているように思われました。日本の駅の改札口を見たガブリエルさんは、ドイツ人の主観はまさに「ドイツ観念論」で掲げている通りに働く。人々は自...思考の転回の只中で思うこと

  • 県民投票近づく

    哲学者の國分功一郎さんが「市民が行政権力に関わることができないという民主主義の欠陥~沖縄県民投票について考えるために~」という題のコメントを今月の初めにサイトアップされていました。2月4日が投票日、基地建設反対闘争の一環として行われると記載するとお叱りを受けそうですが現政権の政策に対する反対行動と捉えれば反対の拳(こぶし)をあげているように見え「闘争」という言葉の使用になると思います。軍事基地反対の意向を示す闘争アメリカ帝国主義の横暴に対する米軍反対闘争サンゴ礁等の保護を目的とする自然破壊阻止闘争沖縄民衆を抑圧する本土側からの政策に対する闘争以前にも書きましたがいろいろな意見を秘めた投票で、結果は現状の政策推進賛成票以外の得票数が多ければ建設反対の意向が多数県民の意思という結論になります。國分さんは、「直接民主...県民投票近づく

  • 「男女川」について

    カラオケ愛好家は、数ある楽曲から選択するのは大変だろうと思われるかもしれませんが、それぞれに好みの歌手がいるもので発表会を見ていると、この人はこの歌手の曲を歌うのが常と分かってきます。私にもこの人の曲を歌ってみたい歌手がいて♭1か♭2でくらいでその方の曲を選択します。その方とは小田純平さんで自らも歌い、他の歌手の歌の作曲もされている人です。今週も一曲レパートリーに入れようと思う曲があり、小田さんの曲で題名は「男女川(みなのがわ)」です。この「みなのがわ」の響きから百人一首になじみのある方ならば陽成院の次の歌が浮かぶかと思います。筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる完訳用例古語辞典(学研)の口語訳では、筑波山の峰から流れ落ちる男女川が、だんだんと水量を増して深い淵となるように、初めは淡い思いだった私...「男女川」について

  • 語る言葉の世界

    きしかた・こしかた「来し方」という言葉があります。源氏物語の時代から使用している言葉で、意味するところは過ぎ去った過去、通り過ぎてきた場所・方角です。そして、きしかたゆくさき・こしかたゆくさき「来し方行く先」、きしかたゆくすえ・こしかたゆくすえ「来し方行く末」と過去を振り返り、今いる現在から未来へと、場、時間、空間を感情表現しています。この中から次の言葉表現に思考視点を置いてみたいと思います。きしかた‐ゆくすえ〔‐ゆくすゑ〕【来し方行く末】の意味出典:デジタル大辞泉(小学館)では、1過去と未来。来し方行く先。「来し方行く末を思う」2過ぎてきた方向・場所と、これから行く方向・場所。来し方行く先。と解説されています。いろいろなこと、これまでのこと、これからのことを思う表現です。このように表現する主体は当然言説する私...語る言葉の世界

  • 著名人の醜態からの問いかけ

    安倍総理も「人間の尊厳」という言葉を使ったようです。オリンピック水泳競技女子選手の病気に対する大臣発言について「大臣はそのような人ではない」という意味で使用したようです。人間の尊厳を傷つける人、そういう人は人格者ではないと一般的には考えます。その行いから人権擁護者、愛溢れる人格者のように見える人々、実際あったわけではないのですが一部を見て、その人の全体をイメージしそのように結論づけます。最近の報道記事に、著名なフォトジャーナリスト(75歳)から性暴力やパラハラを受けた計5人の女性被害者の証言を受け、写真誌を発行する出版社の代表取締役でもあった同人を同社が解任するという内容のものがありました。彼は、チェルノブイリ原発問題やパレスチナ難民問題の報道で有名な方ですが、女性たちの証言に対して「指摘の経過をたどって性交渉...著名人の醜態からの問いかけ

  • 共通認識できる同一計測器を持つことができるのだろうか(同一理性)

    「新実在論」を語るドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさん日本語訳の書籍も出版され「哲学書がこれほど売れることはなかったのではないか」という書店の方の話が関係番組の冒頭で放送されていました。ある女性は「英語はよくわかりませんが家に飾りたく買いました」と言いながら翻訳本ではなく原本を購入する姿もありました。ある男性は「多様性と言われる世の中で、苦しさを覚える人もあり、(この本が)何か新しいものを教えてくれるのではないか」と話されていました。「多様性」という言葉が際立つとき、総括統合された、一律的な全体は成立するのだろうかと単純に考えればそれは不可能であると考えたくなります。個々の倫理観、道徳観もまた「観」と漢字がつくところからもわかるように脳裏に浮かぶ、浮遊する思考し生れ出るような産物でそこに個性が現れるのは当然の...共通認識できる同一計測器を持つことができるのだろうか(同一理性)

  • 「冬隣」から思うこと

    「ちあきなおみ」という名を聞いて昭和世代なら「あの人のこと」と分かる人が多いかと思いますが、平成生まれの人になると知る人も少ないかと思います。歌手を引退されてからは「ちあきさん」がメディアに登場することはありませんが、まだ活躍されていたころのお顔と歌唱だけは今も見聞きすることがあります。最近YouTubeで歌謡曲を聴いていたところ彼女の唄う『冬隣(ふゆとなり)』を見ることができました。冬隣とは季語で、言葉の意味するところは、「立冬を目前にして、冬がすぐそこまで来ていることを表す。四季それぞれに、「隣」の一字をつけて季題とした。「冬隣」は寒く厳しい季節に向って心構える感じがある」とサイト検索すると解説されていました。曲は、作詞吉田旺作曲杉本眞人で同曲を歌っているのは「ちあきさん」の他に作曲家の「すぎもとまさし」も...「冬隣」から思うこと

  • 個人空間の誕生に思う

    NHKの歴史ヒストリアで銅鐸の歴史が語られていました。古代に興味があることから見たところいきなり古美術商の銅鐸1センチ100万円の話から始まり7000万円で文化庁に売った話が語られました。その時脳裏に浮かんだのがボランティア活動をする尾畠春夫さんの姿。年金一か月5万円少々の中、切り詰めながら人のために命を削るその姿です。このように語る私自身の精神の内は、古美術商に近い存在でこの世に現れているように思います。65歳に間もなくなり年金では暮らしていけないので平日は事務系の仕事を365日の1年間暦のとおりの生活をしています。休日は好きな歌謡に興じ、妻には知らないうちにご迷惑をかけているかもしれませんが、極力他人には迷惑をかけないように心がけています。勤務先自体が利潤追求する会社でないこともあり、与えられた仕事を時間内...個人空間の誕生に思う

  • 新実在論から思いつくこと

    Eテレでドイツの哲学者マルクス・ガブリエルのBSで放送された番組が再放送されていました。序章の番組も再放送され、連続して放送されるところから多くの方々が再放送を望んだようです。BS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル日本を行く~」は、YouTubeにもアップされ、またマルクス・ガブリエル(ボン大学教授)×大河内泰樹(一橋大学教授)の対談「ドイツ観念論の現在」というのもあり興味のある方は大いに学べる機会があります。さて「人間は一生懸命動物にならないようにしている動物だ」と人間の定義を語るガブリエルさん、AI科学者の石黒浩さんとの対談からはドイツ人の持つ倫理観の根底にあるものが見えてくるような気がしました。番組関係本としては『マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する』(NHK出版新書)が出版されてお...新実在論から思いつくこと

  • 思考不可能な空虚な観念

    アナザー・スカイというテレビ番組に社会学者で小説家の古市憲寿さんが出ておられました。「マンガではチョットした事で世の中が変わる」ということで「ドラエモン」の話をされ、小説も同じようにいろいろな世界を描くことができる。ご本人の考える「社会を変えるにはどうすればよいのか」を論文形式ではなくフィクションだが示すことができるという考えをお持ちのようです。毒舌でも有名な人ですが、何か人を引き付ける魅力のあるかたです。番組では過去に経験したノルウェーでの留学生活を現地を訪れノルウェーという国、人々の生活、考え方をで紹介されていました。私は古市さんの小説『平成君さようなら』は読んだことがありませんが、小説の中で描いた「楽に生きる方法の提案」について記述が語られていてとても印象に残りました。「来世ってあると思う?」「間違いなく...思考不可能な空虚な観念

  • 世の中は 何か常なる飛鳥川

    古今集に「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌があります。現代語に訳せば「この世の中は、いったい何が不変であろうか。何一つ不変なものはない。飛鳥川は、昨日淵であった所が、今日は瀬になっている」となります。世の中とは、この場合詠み人の感嘆の世界をイメージします。まさに物語る人、詠み人はどんな人なのだろうと想像してしまいます。当時の貴族、セレブ階級の人とは思いますが、いつの時代でもこのように思う人がいるものです。さて、2019年2月24日(日)沖縄県では「辺野古米軍基地建設のための埋立の賛否を問う」県民選挙が行われるそうです。国の政策に対するそこに住む人々の意向を賛成か反対かの人数を見極める、という話のようです。賛成数が多いならば国の意向に従い、その反対ならばそれなりの行動をするということでし...世の中は何か常なる飛鳥川

  • 「ハレ」と「ケ」から思うこと

    地方紙に織り込まれていた小雑誌に「新年に思うハレとケ」という記事が掲載されていました。ハレを漢字で書くと「晴れ」、ケは「褻」となります。「ハレ」とは、一般的に非日常をいい、「ケ」は、日常を意味します。「ハレとケ」が話題にされるのは民俗学者の柳田國男が取り上げたことから注目されるようになり、ウィキペディアには、「ハレとケ」という概念関係の捉え方は、柳田國男が近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として、ハレとケの区別の曖昧化が進行していること(例えば、ハレの儀礼時にのみ行っていた特別な飲食が日常的に行われる、など)を提示したのが始まりである。柳田は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから未来への潮流を読みとろうとした。当初「ハレとケ」という...「ハレ」と「ケ」から思うこと

  • 裏返しの終末論、不可能性の時代に思う

    新年を迎え紙面を開くと何かと今後の日本あるいは世界の動向を語る記事を目にするようになります。占いにも似た未来予想ですが、毎年くり返されどの時点をとらえて結果と言えるかわかりませんが、大きく外れることのほうが多いような気がします。米朝の危機が問われ北の国家消滅をあるのかと思うと、まったく事態は急変し真逆の事態のように見えてしまいます。中国は、過去の歴史から統一国家の長く続かないものだと思えば、あっという間に世界一の大国になり崩壊することもなく存続しています。共産国家は幸福社会と思うと監視カメラは街頭にあふれ昼夜警察国家とも呼べそうな監視社会になり、国民の不満や反体制活動は表には出てきません。日中国交回復のころにこんな中国をだれが予想したでしょう。共産主義と言うよりも党員家族の安全を第一に考えればこれが一番いいのか...裏返しの終末論、不可能性の時代に思う

  • 世の中は存在するのか、あるのか?

    万葉集793は大伴旅人の余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊与余麻須万須加奈之可利家理世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(よのなかはむなしきものとしるときしいよよますますかなしかりけり)という歌で教科書にも掲載される有名なものです。現代語に訳せば現世を実に空しいものだと悟った今だからこそなのかいよいよまことにつらく悲しみが込み上げてくることだ。となります。「余能奈可波」は「世の中」で別の言葉にすると浮き世俗世間娑婆(しゃば)現世生きて暮らしていく場。と表すことができます。次に詠み人はわかりませんが古今和歌集に、世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になるあるサイト現代語訳は、この世の中では、一体何がつねに同じ状態であるのだろうか、いやない。(例えば)飛鳥川において、昨日は淵であったところ...世の中は存在するのか、あるのか?

  • 来たらざる未来からの足音の啓示

    今年も残りわずかとなりましたという文頭で書き始め、結局年を越え新年あけましておめでとうございます、に改めようとしている間にすでに1週間も経過してしまいました。昨年の暮れは身近に葬儀があり死ということを意識することになりました。死者の仰臥の姿、寝姿を見、もう語らぬ彼の人を見てそれが死だと思い何事かをそこから意識しているわけです。意識していることそれは何なのか。自分にも必ずおとづれる事実、しかしそれは実感を伴うものではなくあくまでも想像するわが身の仰臥、寝姿であり私なる人格体はもうそこにはいません。身体の衰え、人格は日々その様態を変え、他人から見れば死する数年前の私と同一人物とは見えないでしょう。メメント・モリ(Mementomori)というラテン語の言葉があります。『詩編』の第90第12節の「我々におのが日を数え...来たらざる未来からの足音の啓示

  • 歌好きの生涯

    地元安曇野市穂高のホワイトトークハウスで年4回開催される「あづみ野うたごえ喫茶」は今月9日(日)で本年度の会は終了しました。この歌声喫茶の会はYouTubeにアップされていることから県外からも多くの年配者が参加され内外合わせると150人くらいは来ていたような気がします。全25曲、童謡から昭和の流行歌まで、中には「AmazingGrace」という曲もありました。「うたごえ喫茶」という響きから参加者年齢はおのずと高齢者が多く、その中で私などは還暦を過ぎたとはいえ若造になってしまいます。無類の唄歌好きな私、還暦退社後すぐにこの「うたごえ喫茶」に参加し年4回の開催は老後の楽しみにしています。歌に関しては地元ではほかに「健康カラオケ」が盛んで多くの高齢者が参加しています。このカラオケ会に関しては主催する方々が多数あり松本...歌好きの生涯

  • 「しみじみ」「つくづく」考えてみる。

    最近は日本語を題材に思索に走っています。つくづく私という人間は、思考好きというほかはありません。と言いながら「つくづく」という言葉を漢字表記できるのかと辞書を引くと「熟語」の「熟」という漢字で「つらつら、つくづく、こな(す)、こな(れる)」と読むことができるようです。私の好きな古語の世界を見るとしみじみ(と)、しんみり(と)、ぽつねん(と)、ぼんやり(と)、よくよく、じっくりがその意味として書かれていました。古くから日本人はこの「つくづく」をつかっていたわけで案の定吉田兼好の「徒然草」には「つくづくと一年(ひととせ)を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや」(しみじみと一年を暮らすだけでも、この上なくのんびりしているよ)と出てきます。「つくづく」の意味するところの「しみじみ」という言葉、辞書(学研用例古語辞典)に...「しみじみ」「つくづく」考えてみる。

  • 日本語の表現の豊かさについて

    最近は日本語の対義語などについて頭の片隅においていると何かと言葉から問いかけられることが多くなりました。テレビのクイズ番組を見ていると「日本好き外国人が間違いやすい日本語」についてクイズ形式で紹介と解説がなされていました。解説されていたのは、東京大学とハーバード大学を同時合格するという偉業を成し遂げたモーリー・ロバートソンさん。番組では超天才外国人と紹介されていましたが、確かにすごい人です。まず前半の言葉は、1そめる●着物をそめる。(着物に色を染める)●悪に手をそめる。(何か新しいことを始める)その他都会の絵の具に染まらないで帰って(太田裕美の唄)2わらう●上田(クリームシチュー)の顔でわらう。(顔の筋肉が緩んで表情が崩れる)●ひざがわらう。(膝のあたりの筋肉が緩んでひざがフラフラする感覚)外国人は、ひざが笑う...日本語の表現の豊かさについて

  • 理不尽と流転する世の中にありて思うこと

    「理不尽」という言葉を目にしました。この言葉の意味は一般的な辞書には、「道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。」と解説され例文として「理不尽な要求」「理不尽な扱い」が書かれていました。理不尽の反対語はあるのかと対義的な思考で考えると「理を尽くさない」の反対ですから「理に適う」こと「道理に合う」さまを言うのではないかと思います。私もときどき「理(ことわり)」という漢字を使うことがあります。理にあっていないという表現は個人の意に合わない、世間の意に合わないという文章でその思いを述べているわけです。目にした文章は「学校の理不尽な校則や指導を調査」という文頭から校則や教職側の所作に意に反する不当なものがあるという確信において述べられています。総じていうなれば時代遅れの、世間認識が甘い教育現場というこ...理不尽と流転する世の中にありて思うこと

  • 人間とは対義的な現象

    前回は対義語の話を書きました。そもそも意識したりそうだと認識すること自体が人間に起こる現象とするならば、人間とは対義語認識存在と言えるではないかと思うわけです。臨床哲学者の鷲田清一さんは著『<ひと>という現象学』に「思考とは言えないが、よく似た感受性の癖がわたしにはある。あるものを見ると、それとは逆のものを同時にその背後に見てしまうという癖だ。」と、序文に書いています。この序文の文章からも著書がどういう意図で書かれているかがわかるように思います。わたしも鷲田さんと同様な癖があり、わたしはどちらかというと聞くものに「そうではあるまい」と思いながら見聞きすることを見分していることがあります。思考する際に頭の中で対義語を背景におき、自己の思いを構築しているわけで、その差異の区分、選別の働きがあってこそ言葉とともに表現...人間とは対義的な現象

  • 対義語から「うつくしい」をみる

    Eテレの100分de名著12月は、スピノザの『エチカ』でテキストを見ると副題は「自由に生きるとは何か」「意志という観念は神話である」などと書かれています。この名著番組のテキストは安価(524円)でページ数も少なく1回分は5分もかからずに読むことができます。11月は三木清の『人生ノート』の再放送でしたが哲学者の著書紹介が2ヶ月続くことになります。三木清は西田幾多郎の弟子ですので改めて番組を見直すと新たなる彼の思想に触れた思いがします。学ぶということは知識の補充というよりも人生の糧と思えてきます。スピノザの哲学、知っているといってもこうだと説明することもできない軽薄状態でこのテキストを先読みしています。善悪・本質・自由・真理の四項目が語られます。最近ブログに「神」に関連付けたことを書いていますが、スピノザは神につい...対義語から「うつくしい」をみる

  • 祈りの竪琴に思う

    先週のEテレ「こころの時代~宗教・人生」は宣教師・音楽サナトロジストのキャロル・サックの「祈りの堅琴(たてごと)」という番組でした。番組紹介には、アメリカ人宣教師のキャロル・サックさんは、日本に暮らして35年余り。52歳の時、死に直面する人をハープや歌声を用いて看取る「音楽サナトロジスト」の資格を取得。以後その学びを発展させ、ホスピスや病院、高齢者施設、刑務所などで広く、苦しみや困難の中にある人に音楽による祈りを届ける活動を続けてきた。一人一人の呼吸に合わせて奏でる音楽は、その人がかけがえのない存在であることを伝える祈りとなる。その力とは。とあり、ハープの音色と彼女の歌声に癒される方々が紹介されていました。死が着実に訪れるているとき、この世との別れの苦しみにあるとき、苦しみに打たれているときに、その音色・歌声は...祈りの竪琴に思う

  • 「よばれる」からの思考展開(転回)

    食事に招かれて、目の前の料理を前にしていざ食べる際に「よばれます」という時があります。厳密にいうと言わないときもあるのですが詳細は後程語ることにします。最近ラジオでこの言葉は方言なのかどうかという専門家ではないアナウンサーとゲストの方々のトークを耳にしました。私も確かにこの言葉を使いますし使うことに何も疑念が出ません。どうも方言ではないようで、最近の若い人たちはたぶん使わないから不思議に思うのかもしれません。どうしても発声音「よばれ」に「呼ばれ」という漢字を重ねてしまうからかもしれません。先ほどこの言葉を使わないときがあると言いましたが、目上の方に招かれたとき、集団で招かれたとき、「ではよばれましょう」と発語する方の集団での位置、招いた方との関係のあり方によって「いただきます」「ちょうだいします」などという言葉...「よばれる」からの思考展開(転回)

  • 自分の情動を抑えるすべ無し

    「情動」と「感情」そして「理性」などについて思いめぐらす昨今、暇と言われればそれまでで、留めがたい衝動が私を作り出します。最近のニュースでは、人格者と思われたような国際人が、何があなたをそうさせたと思われるような理性のなさを公に晒し出しています。アリストテレスは「人間は理性的動物である」といったとのこと。ポリス(国家)に帰属することは、個々は集団の中の一員として社会を構成する役割的なものを担う立場でもあったように思われます。集団という言うことになれば人間以外の動物も群を成しますから、国家というときには、動物の群のような単純な集団ではなくある程度、経済活動をはじめとして組織的を構成する担い手としての役割を他の動物とは異なり意識して生活しなければならなかったと考えられ、おのずと秩序なるものが保たれていたように思いま...自分の情動を抑えるすべ無し

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、信濃大門さんをフォローしませんか?

ハンドル名
信濃大門さん
ブログタイトル
思考の部屋
フォロー
思考の部屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用