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2005/09/27

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  • 実際の蜂須賀小六は・・・後編

    実際、蜂須賀小六は尾張と美濃の国境付近に住む土豪で、小六の父、蜂須賀正利の代には、蜂須賀郷(愛知県海部郡美和町蜂須賀)において100貫文の地を知行していたという。100貫文の地を面積になおせばだいたい20町歩~30町歩の田畑をもっていたことに

  • 蜂須賀小六との出会いは矢作橋ではなかった? 前編

    秀吉は周知のように貧しい百姓の子として生まれたということもあって、信長や家康のように、譜代の家臣をもたなかった。そのため秀吉には、直臣がいなかったというのが定説となっており、家臣団の点では、信長や家康に劣るとされている。しかし、あの戦国の世、これ

  • 羽柴秀吉英雄伝 2

    松下家、出奔の真の理由松下氏にひろわれた秀吉であるが、もちめの利発さからてきぱきと仕事をこなし、少納戸(こなんど)役まで、出世した。松下長則や加兵衛之網からもかわいがられたのである。するとおもしろくないのは、古くからいる奉公人たちや同輩である、

  • また始めます((o(^-^)o))わくわく

    ブログ停止から1年以上経ってしまいました...... ( 〃..)ノ ハンセイ不定期ですがまた始めたいと思いますo(゚∇^☆)/フレー\(*^∇^*)/フレー\(☆^∇゚)o

  • 羽柴秀吉英雄伝 1

    松下加兵衛との出会い放浪時代の秀吉が、初めて武家奉公した家として、松下加兵衛の名はよく知られている。 秀吉の幼少年時代は、多く謎に満ちているが、ただひとつ確かなことはこの松下氏に仕えたことのみである。秀吉は松下加兵衛と、どのように出会ったのであろ

  • 加藤清正の生涯

    私の好きな加藤清正さんを書きます。加藤清正は、永禄五年 (1562) 名古屋市中村区で、父・清忠と母・伊都の間に生まれる。幼名を虎之助。母が秀吉の母の伯母で、齢三歳で父が逝去すると秀吉に預けられたとされる。初陣二十歳で、その後も軍功を重ねる。賤ケ岳の

  • 織田信長英雄伝 最終章 3

    光秀が信長を討った最大の動機は、信長の「皇位簒奪」の野望でった。朝廷内の「反信長神聖同盟」との密約に基づいていた。まず、光秀が正真正銘の勤王主義者である。訳は天正7年(1579)7月、光秀は丹波を平定したのに伴い、朝廷の御料所である山国荘を士豪の横領から

  • 織田信長英雄伝 最終章 2

    千利休黒幕説 本能寺の変と呼ばれる信長暗殺事件の最大の謎は、何故信長が5月29日に上洛したのか、という一点に集約されると思っている。信長はもともと、この日に上洛する予定ではなかった。 あと数日で、西国出陣の軍勢が整う手筈になっており、信長はこれを率

  • 織田信長英雄伝 最終章 1

    天正10年6月2日未明本能寺で信長は最後を迎えました、が、今だ謎が多い。そこでいくつか、調べてみました。 本能寺の変は永年、明智光秀による仕業であり、その動機は織田信長に対する怨恨説、それに天下取りの野望が加わったものとされてきた。しかし、そうだと

  • 織田信長英雄伝 6

    戦国大名の家臣団は、一般に一族衆(一門衆)・譜代衆・外様(国衆)・直臣の4グループに分けられる。一族衆は大名と血縁関係にある家臣で、もっとも信頼のおけるグループだ。 譜代衆は、大名の居城周辺の小領主で、古くから仕えているか、大名の遠縁にあたる家臣であ

  • 織田信長英雄伝 5

    信長英雄伝 4のつづき新しい戦略とはそれは年中戦を挑んで、敵を疲れさせるという方法だった。 信長の豊富な資金にひかれて兵士になったとはいえ、元来彼らは、信長への忠実心などは持っていない。また、訓練度も低く前にも書いたとおりお世辞にも強兵とはいえぬ。

  • 織田信長英雄伝 4

    常備軍団の創設最新兵器、鉄砲に注目し、その大量調達を可能とする金を生みだし、同時に情報を掌中にする・・他のどこの大名もなし得なかったことだが、しかし信長の成功の秘訣はそれだけではない。もうひとつ重要なのは人だ。 信長の軍団とそれを指揮した部将たちであ

  • 織田信長英雄伝 3

    戦国時代は、時代そのものが残酷であり無残であり冷酷であり殺伐であった。信長が死んで30年ほど経ったのちでも、女性が血まみれの生首を洗い化粧を施すのをなんとも思わなかったような時代であった。ただ信長の場合、叡山焼き討ち、長島一揆、越前一揆のせん滅、荒木

  • 織田信長英雄伝 2

    織田信長が18歳で率いることになった織田軍は決して強いとはいえなかった。というより、はっきり、弱兵だった。当時最強をうたわれた武田武者に、尾張兵など一人で五人相手にできる、とあなどられていたほどだ。尾張の豊かな風土は、かえって、強い兵士を育てなかったの

  • 織田信長英雄伝 1

    信長になりたい現代に生きる日本人でそう思う人は多いのではないか。(私もその一人です)あのような意思を持ち、行動し成果をあげてみたい。この混乱の時代を疾風怒涛(しっぷうどとう)のように暴れまわり、新しい時代へ道を明快に切り開いてみたい、と。織田

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