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2005/09/26

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  • 日本の防衛

    世界中で日本人ほど、平和ぼけしている国民はいない。何故そうなってしまったのか。 第2次世界大戦後、日本の復讐を恐れた連合国によって非武装を宣言する憲法第9条を押し付けられ、それを今にいたるも金科玉条としてきたからだ。 そうは言っても、武装中立したくても、武装中立などできる国際情勢ではない。日本を取り巻く中国・ロシア・将来統一した場合の統一朝鮮・アメリカなど、どの一カ国たりとも現在の自衛隊の力ではとても敵わないと思われる。 国連が中国やロシアと、アメリカやヨーロッパ諸国との対立などから、機能不全に陥っている以上、日本の取り得る選択肢としては、日米同盟によってアメリカにおんぶ..

  • 目次

    世界史 (1)アメリカ史 アメリカ独立戦争1〜南北戦争・黒人連隊2 奴隷解放の予備宣言〜北軍勝利 (2)フランス史 フランス革命1〜ロシア遠征 ライプテイヒの戦い〜タレーラン (3)ロシア史 タタールのくびき ロシア革命1〜ロマノフ朝崩壊3 (4)ドイツ史 ナチスの台頭〜ユダヤ財閥 プロイセン軍再建〜プロイセンの反撃 第2次世界大戦2〜バルバロッサ作戦2 独ソ戦2〜V2ミサイル5 第1次世界大戦1〜神聖ローマ帝国3 (5)ラテンアメリカ史 コロンブス〜インカ帝国5 (6)朝鮮史 豊臣秀吉の明征服〜豊臣秀吉の朝鮮侵略 豊臣秀吉..

  • チャンドラ・ボース5

    日本に到着したチャンドラ・ボースは、日本の独裁者東條英機首相に会って、インド独立への熱い思いを伝えたいと思った。 ガダルカナル島からの奇跡的撤退やキスカ島からの奇跡的撤退の成功などもあったが、昭和18年には、もはや戦局の帰趨は明らかで、後はいかにうまく停戦交渉にこぎつけられるか位しか望みは残っていなかった。 更にこうした事態に追い討ちをかけたのが、山本五十六連合艦隊司令長官の乗った一式陸上攻撃機が4月18日、ラバウルからブインに向かう途中のブーゲンビル島上空で、暗号を解読して待ち構えていた米軍戦闘機Pー38に撃墜されて戦死した事だった。 山本長官の死は、独裁者東條英機..

  • インドネシア独立

    日本が第2次世界大戦における、東南アジアからインド迄の植民地解放者だった点において、一番の成功例は、インドネシア独立におけるものだった。 16世紀のスペインとポルトガルによる、全世界植民地化の動きは、19世紀になると、東南アジアにおいては、イギリスとオランダによる植民地分割に取って代わっていた。 1824年、イギリスはマレー半島以北を支配し、オランダはインドネシアを支配すると言う協定を結んで、これらの地域を武力征服した。 1904年オランダは、最後まで抵抗していたアチェ侯国を最終的に降伏させ、ここにインドネシア全域の支配が完成した。 インドネシア人の期待は、ち..

  • 植民地解放戦争

  • 山県有朋5

    太平洋戦争の一番の責任者と言えば、開戦当時の首相兼陸軍大臣にしてその後参謀総長も兼ねた東條英機首相と言うことになる。 しかしながら、1941年当時の世界状況を考えると、「誰が日本の首相をやっていたとしても、米英蘭などとの戦争に踏みきらざらるを得なかった」と思われる。 そこまで日本を増長させて、朝鮮半島から更に中国大陸に進出していった首謀者は、明治維新後の日本陸軍の独裁者、山県有朋をおいて他にはいない。 東條英機その他の太平洋戦争後、戦犯で処刑された人々は山県有朋の敷いたレールの上を走っていっただけだった。 日露戦争後ロシアの脅威に対抗するために、山県有朋は明治..

  • チャンドラ・ボース4

    ベルリンに亡命中のチャンドラ・ボースは、1941年12月8日からの東南アジアへの日本軍の破竹の進撃により、ビルマ迄占領するや、ドイツを見限った。そして日本軍に大きな期待を掛けるようになった。 ボースは大島ドイツ大使に会って、日本行きの希望を述べ、日本のヒトラーとも言える、東條英機首相に面会してインド武力解放の援助を頼みたいと思った。 日本側も、インド国民軍創設者でインド国民軍内に絶大な影響力のあるモハンシン将軍の解任以後、日本に対する不信感の芽生えていたインド国民軍及びインド独立連盟をなだめるために適当なリーダーを捜していた。 元インド国民会議派議長のチャンドラ・ボー..

  • 超格差社会インド

    インドと言えば、カースト制度と密接に結びついた世界にも例を見ない程の超格差社会であるが、このカースト制度は歴史上いつ頃からインドに現れてきたのであろうか。 紀元前1500年頃、アーリヤ人が中央アジアからインドに侵入し、馬に引かせる戦車を使って、先住農耕民族を征服したが、その後のインド支配の過程で、カースト制度を完成させていった。 その構成は最上位から (1)バラモン 僧侶・司祭などの宗教関係者 (2)クシャトリア 貴族・豪族・軍人などの政治家や軍人 (3)ヴァイシャ 商人・工業従事者などの庶民 (4)シュードラ 人々の嫌がる職業に従事する奴隷 とな..

  • チャンドラ・ボース3

    ドイツに入ったチャンドラ・ボースは、ヨーロッパ・北アフリカでドイツ軍などに投降してきたイギリス軍のインド兵や、ヨーロッパ在住のインド人志願兵を集めて、約10,000名のインド軍団を組織した。 このインド軍団をボースがどのように使おうとしていたのかは不明だが、「アフガニスタンからインド目指して進攻させようとしていた」ことも考えられる。 しかしヒトラーはインドの独立運動には熱心でなく、第2次世界大戦の終わるまでインド軍団が活躍することは無かった。 但しインド軍団があったために、捕虜となった連合軍の(インド軍団に参加しない)インド兵士が強制労働につくことはなかった。 ..

  • チャンドラ・ボース2

    1939年8月ドイツは独ソ不可侵条約を締結するや、9月1日ポーランドに進撃を開始した。これを受けてイギリス・フランスが9月ドイツに宣戦布告し第2次世界大戦が始まった。 ソ連も独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、9月17日ポーランドに侵略を開始して、ドイツとポーランドを分割占領した。 この独ソ不可侵条約は、資本主義国に包囲されて風前の灯になりそうなソ連にとって、またとない有難い条約だった。 本来なら米英仏独などが会い携えて、(世界中に共産主義をばら撒こうとしていた)共産主義の総本山であるソ連を打ち滅ぼすはずが、資本主義国同士の内部分裂によってソ連が漁夫の利を占める結果に..

  • チャンドラ・ボース

    インド国民軍を創設したモハンシン大尉は、1942年2月、日本軍がシンガポールを占領した後、捕虜となったインド兵もインド国民軍に加えて、25,000名のインド国民軍の司令官となった。 ところが以下のような状況の変化によって、モハンシン司令官は解任されてしまった。 (1)日本側の担当者も藤原少佐に変わって、岩畔(いわぐろ)大佐となり藤原機関から岩畔機関へと変わった。 しかしこの人事によって、モハンシン司令官と藤原少佐との良好な人間関係が無くなってしまった。 (2)又日本に亡命中のビハリ・ボースをインド国民軍の最高指揮官に就任させたため、モハンシン将軍の日本に対する..

  • インド国民軍3

    1526年にインドに成立したムガール帝国は、1857年から1858年にかけて起こったセポイ(イギリス東インド会社の傭兵)の反乱をきっかけとして、イギリスに滅ぼされた。 その時以来イギリスの植民地となったインド人にとって、イギリスをインドから追い払い独立する事は、長年に渡る悲願であった。 太平洋戦争の勃発による日本軍のビルマ進出によって、インドからイギリスを駆逐する絶好の機会が訪れた・・・と、インド国民軍に加わったインド人には思われた。 しかし日本軍の方は初めの内は、インド国民軍やインド独立連盟による、イギリス軍内部のインド人兵士に対する投降を呼びかける宣伝工作活動に期..

  • インド国民軍2

    アメリカの対日禁輸政策によって、東南アジアに資源の確保を図らなくてはならなくなった日本は、特にオランダ領東インド諸島(インドネシア)の石油の確保を最重要課題としていた。 そのため開戦にあたっては、 (1)蘭印(オランダ領東インド諸島)への通航路にあたるフィリピンの占領と (2)マレー・シンガポールの占領 の2作戦を同時に行う事になった。 1941年12月4日、海南島の港からマレー・シンガポール作戦を行う第25軍(司令官は山下奉文中将)の先遣兵団が輸送船18隻の陣容でマレー半島に向けて出航した。 この内(2)のマレー・シンガポール作戦において、インド独立連盟とイン..

  • インド国民軍

    日本にとっては太平洋戦争の敗戦を早めただけの意味しか持たないインパール作戦だったが、インド国民にとっては独立の先駆けとなった重要な軍事行動だった。 1944年3月インパールへ日本軍と共に出撃するインド国民軍の出陣式がミンガラドン飛行場で行われた。チャンドラ・ボース主席が出陣の挨拶で、以下のように述べた。 「インド解放の日はきた。デリーへの道はひらけた。行けデリーへ。自由は血によってのみ購われる。」 インド国民軍は、日本軍によってマレー・シンガポールを攻撃する際に、イギリス軍の7割を占めるインド兵士の反乱とインド人の日本軍への協力を狙って組織されたものだった。 ..

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