お尻を奥の方まで十分に洗う。お腹に何も入っていない、空っぽな感じになる。 準備を終えたら、まずはお尻の入り口をほぐす。ローションをつけて、指を少しずつ入れていく。何かが入ってくるあの独特の感覚は、何度感じても慣れることはない。違和感とともに、ほんのりとした快感が襲ってくる。 指を2本や3本に増やしたり、入り口を伸ばしたり、あるいは前立腺を触って感度を上げていく。ほんのりとした快感は背中を伝って心臓の鼓動を大きくし、我慢汁がきらきら光って下に敷いたシーツを濡らす。 指3本で容易に出し入れできるようになれば、アナルがディルドをくわえこむ用意はできている。僕が使うのは、「アラブ LL」だ。もうかなり…
今日はぼくがエネマグラでオナニーをするときのことを書こうと思います。 いつも使っているのは「アネロス プロガズム 黒 大サイズ」です。形状が違うしもっと安かった気もしますが、おそらくこれです。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%8D%E3%83%AD%E3%82%B9-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%AC%E3%82%BA%E3%83%A0-ANEROS-PROGASM-%E5%A4%A7%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA/dp/B001AQI5W8/ref=pd_sbs_121_1/378-1813734-…
ぼくは死ぬのが怖い。 死が怖いというとき、それには二つの怖さがあるだろう。 一つは、「死に方」が怖いとき。たとえば、交通事故にあって突然に死んでしまうとか、建物が崩壊して窒息して死んでしまうとか、誰にもみとられず孤独に死んでしまうとか、そういう怖さだ。 これは、「死ぬまでの流れ」の中に、すごく苦しいところとか、恐ろしくなってしまうところがある。 逆に言えば、こういう場合は穏やかに眠るように死ぬのは怖くないと言える。「眠るように死ねる」というのが良いことだと受け取られる。 もう一つは、「死そのもの」が怖いとき。ぼくはこっちの方が怖い。「死そのもの」が怖いとはどういうことか。 それは、死がもたらす…
ヨガやマインドフルネス、瞑想ってやったことありますか? 忙しない日常を忘れ、あらゆる執着や判断を消し去り、「今この瞬間」に意識の全てを向ける。 もともとは仏教修行で用いられます。ブッダが悟りを得たのは、沙羅双樹の根元で瞑想をしている時でした。 禅宗では坐禅を組んで「無心」になることが大事なことですよね! 瞑想のイメージ。ちょっとスピリチュアルすぎ? 実際にやってみるとなんとなく気持ちよく感じて、心がスッキリする気がします。 実際に脳にも影響のあることが検証されているそうです。 最近読んだこの本に書いてありました。 ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術 作者: ラファエル …
男らしい人、かっこいいですよね! 歴史上の人物なら西郷隆盛や武田信玄(イメージ)、現在の人なら吉川晃司さんやTOKIOの長瀬さん、二次元だとONE PIECEの白ひげやSLAM DUNKの赤木キャプテンでしょうか? こういう人たちって、どういう面が「男らしい」と言われるのでしょう。 つまり、「男らしい」とはどういう性質のことを言うのでしょうか。 「男らしい」の使われ方に注目して、明らかにしてみたいと思います! 「男らしい」の類義語としては、「リーダーシップがある」、「甲斐性がある」などがあげられると思います。 「猛々しい」とか「益荒雄」なんていうのもありました。 kotobank.jp いくつ…
世の中にはもうすごい数のフェチがありますよね。 そんなので興奮するのも!?というのも多々あります。 最近だとドラゴンカーセックスっていうのを見つけました。 dic.pixiv.net この記事を読んでくださっているあなたも、きっと数多くのフェチを抱えていらっしゃると思います。 あなたのフェチは、何ですか? なんて。 僕も人に言えないフェチをたくさん持っていますが、人に言えるようなフェチも持っています。 一番「きれいな」フェチは、背中かな。 まず肩からスタートしますよね。 折れそうなくらい細いのも良いし、逆にがっしりめでも良い。筋肉ついている人も好きなので! そして、肩甲骨からくびれ付近までのラ…
期末レポートやテストを始末しなければならず、週末ですがせっせとレポートを書いているぼくです。 今日書いたのは倫理学のレポート。皆さんはふだん、倫理について考えますか? ぼくは「正しいこととは何か」ということが気になって仕方ありません。気がつくと、倫理について考えてしまっています。 ですが、記事は倫理学とは関係ないです。 「言霊」ってありますよね。言った通りになってしまうというあれです。 暗い言葉を使うと言霊で本当にそうなってしまうから、逆につらいときも明るい言葉を使おう!みたいな言説もよくあります。 偏屈だった中学、高校時代、ぼくは言霊なんて言われても「出た出た 笑」と思ってまともに取り合って…
昨日の記事の続きのような話になると思います。 生きていると、「あなたはどんな人ですか、アピールしてください。」と言われる場面に多々遭遇しますよね。 学校の自己紹介、バイトや就職をするときの面接(バイトのときはそうでもないか?)、SNSのプロフィールなどなど……。 ぼくはこれが結構苦手です。自分がどんな人間なのかを言葉にすることに対して、迷いに迷ってしまうんですよね。たとえばtwitterのbio欄もしょっちゅう、ちょこちょこ変えています。 自分のことを言葉にする訓練が足りていないんだ。 自分のことをまだよく知らないんだ。 そう思うときもありますが、この考え方にはあまり納得できません。というのも…
「本当のわたし」ってあると思いますか? たとえば、すごく社交的な人が「本当のわたしは家で静かに過ごすのが好き」って言ったり、自分探しの旅に出たり、裏垢とか使って「これが本当のわたし」って言ったりしますよね。 ぼくは高校のころに読んだ小浜逸郎という人の文章がすごく頭に残っています。 「本当のわたしというものは存在しない。場所によって仮面(ペルソナ)を付け替えているだけなんだ。」 一見するとよくわからないけど、じっくり考えるとわかるような気がしてきます。 たとえば、はじめの社交的な人の例。ここで言っている「本当のわたし」って、どういう意味なんでしょう? 人に見せられない自分の姿のこと? でも、なぜ…
はじめまして。非常に簡単な自己紹介を取り急ぎ置いておきます。 大学の文学部に通学しています。「言葉」について考えることが好きなので文学部に進学しました。おかげで(?)これといったスキルが身についていません(自己責任)。文章を読むのが普通の人より得意になったことは間違いありません。言葉に対する感覚も、幸か不幸かかなり磨かれました。文章を読むことはこの上なく難しいことだということがわかったことも、得た知見の一つかもしれません。ぼくのアイデンティティはこれくらいです。ではまた。 twitterやってます https://twitter.com/caritas_arete
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