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「論」ブログヨシ樹 https://blog.goo.ne.jp/197045910

管理人ヨシ樹が仕事、趣味、人生、宗教に至るまで縦横無尽に語るパラダイムの転換を惹起するブログ。

ヨシ樹
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2018/07/07

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  • 2023年夏の旅(バイク編)

    今回のツーリングに使用した愛機ホンダPCX150です。途中でタイミング・ベルトが切れないか心配でした。奇岩が多くある珍しい海岸の様子をガラケーで撮影した画像です。撮影した場所は三重県です。(前の記事を参照されたい)から数日を経て、わたしは、ふとある計画を思いついた。それは今までバイク・ツーリングを避けていた場所で、わたしにとっての未登攀の高嶺とでも言うべき場所に行くことであった。わたしの実家は愛知県の豊橋市にあり、年老いた父母が住んでいる。豊橋市は渥美半島の付け根に位置する都市で半島の先端は愛知県田原市の伊良湖だ。伊良湖からは伊勢湾フェリーが出ていて三重県鳥羽市まで人はもちろんのこと車やバイクを積んで運んでいる。いわゆるカーフェリーである。したがって、豊橋市からフェリー経由で鳥羽市まで行き、名古屋市に戻っ...2023年夏の旅(バイク編)

  • 2023年夏の旅(バイク編)

    今回のツーリングに使用した愛機ホンダPCX150です。途中でタイミング・ベルトが切れないか心配でした。奇岩が多くある珍しい海岸の様子をガラケーで撮影した画像です。撮影した場所は三重県です。神奈川旅行(前の記事を参照されたい)から数日を経て、わたしは、ふとある計画を思いついた。それは今までバイク・ツーリングを避けていた場所で、わたしにとっての未登攀の高嶺とでも言うべき場所に行くことであった。わたしの実家は愛知県の豊橋市にあり、年老いた父母が住んでいる。豊橋市は渥美半島の付け根に位置する都市で半島の先端は愛知県田原市の伊良湖だ。伊良湖からは伊勢湾フェリーが出ていて三重県鳥羽市まで人はもちろんのこと車やバイクを積んで運んでいる。いわゆるカーフェリーである。したがって、豊橋市からフェリー経由で鳥羽市まで行き、名古...2023年夏の旅(バイク編)

  • 2023年夏ツーリング(序章)

    夜の町田駅七月某日の昼、わたしは新幹線の車窓から流れゆく名古屋の街並みを眺めていた。座ったのは、貧乏なわたしのこととて指定席ではなく自由席である。上りの新幹線では窓側の席から外の景色を見ることができた。乗車したのは平日だったので乗客は、まばらで好きな席に座ることができたのだ。思うに利用したのが「こだま」だったのも幸いした。急ぐ旅ではなかったので「こだま」でも全く構わなかった。名古屋駅を発ち神奈川県の小田原駅で降りる予定だった。わたしは、ここ十年のあいだは愛知県外にほとんど出ていない。どこかに行くとしてもバイクか市営地下鉄に乗るくらいで行動範囲はしごく狭かった。遠くに出かけるといっても、たまに実家のある県内の豊橋に帰るくらいだった。振り返れば、名古屋に出て来てからの十年は生活に追われて一杯一杯であった、と言...2023年夏ツーリング(序章)

  • 「論」ブログヨシ樹

    「論」ブログヨシ樹

  • 「論」ブログヨシ樹

    「論」ブログヨシ樹

  • 宣戦布告

    わたしは人生の正解を知っている。こう述べると、この不安定な世の中において、そんなに自信満々に正解を知っているなどと述べてもいいものか、と眉をひそめる向きもあるかも知れない。けれども、ひるがえって考えてみて人生の正解は聖書に記されている、と信じているのがキリスト者ではないだろうか。聖書は神の霊感によって記された書物である。そんじょそこらの本とは訳が違うのだ。一般の書物とは一線を画するのだ。聖書に書かれてあることは絶対的に正しい、と信じて毎日毎日、聖書を読みつつ祈りながらこの世での歩みを進めているのがキリスト者ではないだろうか。キリスト者であるならば次に引用する文章のような感想を持たなければどうかしている。すなわち、《テレビをつけても、ラジオをつけても、新聞を広げても、どこもかしこも「これが正解です」と言わん...宣戦布告

  • 汗を流して働け!

    今日は海の日で祝日だが、わたしは仕事をしてきた。読者諸賢のなかには祝日に仕事とは大変だな、と思われる方がおられるかも知れない。けれども、わたしの勤めている会社は祝日に出勤すると日当とは別に祝日手当がつくのだ。祝日一日につき6000円である。この記事の読み手が、この金額を少ないと思うか多いと思うかは分からない。けれども、レジャーでお金が出ていったが疲れるばかりだった、というよりは一日の過ごし方としては遥かによいのではないか。むろん、日々多忙でようやく祝日に体を休めることができる、という企業戦士は、ぼーとしていても咎めるべきではない。レジャーで少なくないお金を費消した、というのでも責められるべきではない。無駄の効用というのもあるのだ。十分に休んで明日からの仕事のために英気を養ってほしいものである。心からそう思...汗を流して働け!

  • 愚かなお喋りに呆れる

    以下の記事は「星さん.net」というブログの「アドバイス」という記事に対して書いたわたしの反論です。星さんのブログについての記事は今回で三回目になります。読者のコメントも大募集中です。星さん、あなたに対してしているのは、とうにアドバイスから警告に変わっています。あるいは糾弾や責任追及という気見合いのものに変わっています。星さんのことですから、こう言ってもピンと来ないでしょう。いつものように理解を助けるために具体例を挙げて説明しましょう。例えば大地震が起きて津波が、すぐそこまで迫っているのに他の人を批判してはいけなかったな、とか批判する前にその人に失礼にならないようにその人のことを十分、理解しなければ、とか誰が思うのか、ということですよ。急いで大きな声を出して「津波が来るぞ、逃げろ」というのが人の道ではないでしょ...愚かなお喋りに呆れる

  • 愚かなお喋りを諭す

    以下の記事は「星さん.net」に掲載されている「わたしはわたし」という記事に反論したわたしのコメントである。おそらくは「星さん.net」に送信したわたしのコメントはまた削除されてしまう、と思うので本ブログに掲載しておく次第だ。なお「星さん.net」の「わたしはわたし」という記事本文は権利の関係上、本ブログに掲載するのは見合わせた。詳しくは「星さん.net」の当該記事を参照されたい。星さん、あなたは大きく見誤っています。この世の実態が見えていない。まるで3歳か4歳の幼児のようにこの世を自分中心に考えて、何かを求めれば周りが右往左往して世話を焼いてくれる母親のように考えているのです。38歳のおじさんになった現在も。臆面もなく。甘えを捨てるべきです。僕は星さんのママではないのですよ。このような簡単明瞭な道理も分かって...愚かなお喋りを諭す

  • 働くということ

    先般、帰省した折に目に触れた出来事をとおして働く、ということについて読者諸賢と共に考えてみたい。過日、バイクで名古屋市から三重県の鳥羽市まで行き伊勢湾フェリーに乗った。伊良湖岬で降りて渥美半島をバイクで走って里帰りした時に父と市営の銭湯に行った。銭湯からの帰りにマクドナルドへ寄った。なんとなれば父が珈琲を飲みたい、とわたしに告げたからである。父はマクドナルドの珈琲がお気に入りなのだ。珈琲の大を買うべくマクドナルドの駐車場に自動車を停めて、わたしは店舗に入り珈琲の大をください、と注文した。その時に対応してくれた店員がおや、と思うほどの年輩の方だった。珈琲を注文してカウンター席でしばらく待っていた。その店員は60歳はとうに過ぎていたとおぼしき男性で店のなかで忙しく働いている若い店員さんに混じって働いていたのだが若い...働くということ

  • 愚かなお喋り

    昨年から「星さん.net」というブログの記事を読んでいる。クリスチャンが書いているブログで書き手の名前は星大地さんという。もともとは日本ブログ村のキリスト教のカテゴリーにあったブログだが今は日本ブログ村には属していない。おそらくは読み手からの多くの批判を避けるためと思われる。それほどに文章、内容に瑕疵が多いブログだ。以下に「星さん.net」に投稿したわたしのコメントと星さんのコメントを掲載する。以下のやり取りは今では当該ブログにアクセスしても読むことができない。削除されてしまったからだ。まずは星さんのコメントから記していく。なお、星さんは吃音と統合失調症というハンディキャップを持っている38歳で無職のクリスチャンである。コメント拝読いたしました。暴力については法律にふれる類のものでなければいいんじゃないですか。...愚かなお喋り

  • 最大の不条理

    連日、ロシアによるウクライナ侵攻がマス・メディアで報道されている。わたしのブログでは政治問題をあえて取り上げることはしていない。時事問題もそうだ。しかし戦争となれば話は別である。吾人が当該戦争を等閑視するならば石が声を挙げるだろう。わたしもウクライナのために何かしたい。わたしの記す記事は殆ど影響力はないが微力でも構わない。ウクライナの人々のためにペンを執って戦いたい。戦うときは銃を執って一兵卒として戦うべきだ、という批判もあるだろう。わたしのいうペンでの戦いなどロシア軍に何の痛痒も感じさせることはできないのかも知れない。わたしの書く記事は、ひもじい思いで苦しんでいるウクライナの人々の腹を満たすに足りない。寒さで辛い思いをしている人々が暖をとる支えにもならない。亡くなった愛すべき人の傍らで涙を流して悲嘆にくれてい...最大の不条理

  • 神の怒りを思え!

    連日、ロシアによるウクライナ侵攻がマス・メディアで報道されている。わたしのブログでは政治問題をあえて取り上げることはしていない。時事問題もそうだ。しかし戦争となれば話は別である。吾人が当該戦争を等閑視するならば石が声を挙げるだろう。わたしもウクライナのために何かしたい。わたしの記す記事は殆ど影響力はないが微力でも構わない。ウクライナの人々のためにペンを執って戦いたい。戦うときは銃を執って一兵卒として戦うべきだ、という批判もあるだろう。わたしのいうペンでの戦いなどロシア軍に何の痛痒も感じさせることはできないのかも知れない。わたしの書く記事は、ひもじい思いで苦しんでいるウクライナの人々の腹を満たすに足りない。寒さで辛い思いをしている人々が暖をとる支えにもならない。亡くなった愛すべき人の傍らで涙を流して悲嘆にくれてい...神の怒りを思え!

  • 四日市「お風呂カフェ」見聞記

    十二月の某日に三重県四日市市に行ってきた。例によってまたバイクでのソロツーリングである。前日に天気予報を確認するとツーリング当日は晴れ、ということで前夜に四日市市に行く思いを固めた。四日市市といえば当ブログの記事でも紹介した御在所ロープウェイがある御在所岳の近くである。御在所岳のある菰野町から遠くない距離の場所だ。四日市市に行ってきたのは御在所岳の麓にある湯の山温泉に行くためではなかった。もちろん湯の山温泉に行きたい気持ちはある。けれども、それ以上に四日市市にあるいわゆる温泉施設に目を付けていたのだ。すなわち、バイクに乗って四日市は生桑町にある、お風呂カフェ「湯守座」に行きたかったのである。今から「湯守座」の見聞記を順を追って記していきたい。ツーリング当日はまたしても愚図愚図していた。早くから起きてはいたが出発...四日市「お風呂カフェ」見聞記

  • 名古屋発日帰り旅 中編

    上りのロープウェイからの景観十月下旬の某日、朝からよく晴れていて窓から燦々と陽の光が降り注いでいた。清々しい秋晴れだ。わたしは今日だと思った。御在所ロープウェイに乗りたい。そして湯の山温泉の温かい風呂に身を沈めてみたい。そう強く思った。御在所岳は三重県三重郡の菰野町にある。四日市のすぐ近くにあり名古屋市内からなら日帰りで行って帰ってくることができる場所だ。いつか行ってみたい、と思っていた。そして、わたしは、その日を虎視眈々と狙っていたのだ。御在所ツーリング当日の朝は早く起きたが、あれやこれやの準備をしていたら出発は午前十時頃になってしまった。遅くとも後、一時間は早く出発したかった。上はバイクウエアを着て下は革製のパンツを穿いて出発した。足にはライディングシューズ、手には革製の冬用のグローブを嵌めた。けれども当日...名古屋発日帰り旅中編

  • 名古屋発日帰り旅 上編

    伊良湖岬近くの道路九月末と十月末に旅行に行ってきた。いずれも名古屋から日帰り可能な圏内にある場所である。バイクでの一人旅だ。倹約のため400ccの単車はすでに売却したので新たに購入したPCXというホンダ製のスクーターでの旅行だ。このスクーターは排気量こそ150ccだが走りは400ccの単車に引けを取らないくらいのよい走りをする。このスクーターを相棒に今秋は色々な場所を訪れた。いずれもの日も寝床でいつまでも愚図愚図していたら勿体ない秋晴れの清々しい行楽日和にツーリングを敢行している。暑くもなく寒くもない秋は絶好の行楽シーズンである。わたしが勤めている会社からは九月に給料とは別に行楽手当が二万円支給されている。ホテル等に宿泊はしていないので先月と今月の一人旅は道中の食費やガソリン代なども含め、すべて行楽手当の範囲内...名古屋発日帰り旅上編

  • 誤解されても馬鹿にされても…(伊藤仁斎)

    仁斎の弟子のひとりに、いはゆる狂と云はれた百姓がをりました。仁斎とは勿論、江戸時代の儒学者、伊藤仁斎その人のことであります。その百姓は大変、辺鄙なところの出身で、その当時のこととて徒歩(かち)で京都を目指したさうです。仁斎は時の都で私塾を開いてをりました。百姓は豆の袋を背負つて豆ばかり食べて京都に辿り着いたさうです。その百姓は貧しかつたのですが向学心に燃えてゐたのであります。したがつて食べる物は豆で十分だつたのです。仁斎の講義はご馳走を食べ、お酒を飲みながら進められました。しかつめらしい現代の学校のやうではありませんでした。今の学校と異なつてゐたのは、そればかりではありません。彼の講義には大変、魅力があつたのであります。仁斎はその頃の幕府の学問に大反対してをりました。いはゆる出世のための官学に異議を唱へて自分で...誤解されても馬鹿にされても…(伊藤仁斎)

  • 書評 『未来のことは未来の私にまかせよう』

    著者の享年は若干32歳である。まだこれから、という時に多くの人たちに惜しまれながら此岸を発ち、長い旅に出てしまった。著者の名前は黒木奈々さん。職業はテレビのニュースキャスター。当該書籍の表紙(掲載画像ご参照)に写っている写真を見ると長身で細身の美人である。これから黒木奈々さんの闘病記である同書の感想を記していきたい。わたしが同書に出合ったのは電子書籍リーダーを購入してからである。電子書籍一冊目が『未来のことは未来の私にまかせよう』(文藝春秋社刊)だった。爾来、何回も何回も当該書籍に励まされ、慰められてきた。しかも繰り返し読んでも飽きが来ないのだ。わたしにとって同書はそういう不思議な書籍である。この本を読み進めると誰でもすぐにわかることがある。それは著者の人柄の良さだ。当該図書に出てくる友人の多さには感心する。自...書評『未来のことは未来の私にまかせよう』

  • 続々・24歳ホームレス女子

    以下の記事は当ブログにわたしが書いた「24歳ホームレス女子」という記事について盟友ハタボーさんが送ってくれたコメントにわたしが返したコメントをひとまとめにして公開する記事です。当該記事を公開するにあたり、わたしもハタボーさんのコメントに返したコメントを初めて公開いたします。手法としては「続・24歳ホームレス女子」という記事と同じです。それではお読みください。小さなことからコツコツと(ハタボー)かつてこの国は「お互いさま」という価値観があったと思います僕が思うにこの言葉の意味は、”困った時はお互いさま”とよく使われたようにあなたが今困っているが明日は我が身、明日は私が困っているかもしれないお互いの立場は変わるかも知れない困った時はお互い助け合いましょうという助け合い精神が含まれていたそれが今や困っている人がいても...続々・24歳ホームレス女子

  • 続・24歳ホームレス女子

    以下のコメントは、わたしの「24歳ホームレス女子」という記事についてのハタボーさんのコメントと、それについてのわたしのコメントになります。当ブログのコメント欄にすでに掲載していますが見落としたり何らかの事情で読まなかったりする読者のために、わたしとハタボーさんのコメントを丸々一つの記事として公開する次第です。Unknown(ハタボー)久しぶりにコメントさせていただきますいい文章でした全くもって同感です今回のコロナ禍でこういう窮状の方達が政府発表以上、多数おられると聞き及びましたひとつだけ昔を嗤い、侮蔑する人は単純に昔を知らないのではないでしょうかつまり生まれた時からハイテクに囲まれて育った人にはもう既に便利な世の中が訪れているわけですから、不便で手間隙がかかるアナログ形式は想像すらつかない田舎に帰省した際、畑の...続・24歳ホームレス女子

  • 24歳ホームレス女子

    現代は過去の積み重ねの上にある、ゆえに現代は過去のどの時代よりも進んでいる、というのが現代人の心のうちを無意識に宰領している考え方ではありますまいか。誰も彼もそう思い込んでいるのではありますまいか。これが現代人の心のうちを支配している迷夢であります。たしかにテクノロジーは、どの時代よりも進んでいる、という事実に目を瞑ることはできますまい。けれども、さような進歩主義思想により現代人の胸のうちは満たされているのか、というとどうやらそうでもない、というのがわたしの意見です。現代ほど素晴らしい時代はない、と胸を張って告白できるか。わたしは浮かぬ顔をして首を横に振るだけであります。先日、Youtubeを視聴していたら若干24歳の女性が塒もなく食事は一日、バナナ一本のみで過ごしている動画に出あいました。うら若い女性が体を横...24歳ホームレス女子

  • 合理主義に負けるな

    現代人には最小の労力で最大の効果を発揮する、という考え方が人気を博しています。さような人々の、効率を重視する考え方の典型は合理主義の思想でしょう。合理的な考え方というものの先に効率優先主義がありますからね。しかし、この合理主義思想には温かみが全然ない。少なくまいて多く刈り取るというのが合理主義の思想ですが効率のためには安全を犠牲にすることも厭わない冷たい思想なのです。「人災」などは生命よりも企業利益を重視し追求した結果と言えるでしょう。人の命を何と思っているのか!例えば東日本大震災の時の福島県にある原発の事故はまだ記憶に新しいですが、あれなどはまさに企業利益を極限まで推し進めた挙句の「人災」です。合理主義思想の行き着いた先が安全神話の崩壊ではなかったか。たしかに効率を求めるのは一概に悪いことではないかも知れませ...合理主義に負けるな

  • 常識を磨こう

    発想の転換というのは非常に難しい。いわゆるコロンブスの卵の話も発想の転換の難しさをわれわれに教えてくれています。視点を変えるというのは決して簡単なことではないのです。ですから外部から強制されて、あるいは強烈な印象として残るつらい事件が出来(しゅったい)して初めて吾人は今までの人生観や人生に対する態度が間違っていた、とようやく悟るのです。そういうわけで、わたしは哀しい出来事もつらい出来事も一概に悪いこととは言えない場合がある、と考えます。年齢を重ねますと経験も多くなりますので、さようなことが実感として判ります。これが年の功というものです。思うに、わたしたちはそんなに賢くないのです。さように思うことは大事です。自分こそ知恵者だ、などと考えている人は何にも知らない人です。聖書には、さような人物は知るべきことさえも知っ...常識を磨こう

  • 滋賀ツーリンング 後編

    コンビニで休憩中滞在したホテルは大津市にある瀬田駅の近くの国道一号線沿いにあった。チェックインは午後三時からである。わたしがホテルに到着したのは午後四時頃だ。ようやく身体を休めることができる、と安堵した。鈴鹿スカイラインはそれなりに走りごたえはあったがホテルに至るまではまだ長い距離を走らなくてならなかった。そういう次第で身体が疲れていたのだ。ずっとバイクに跨っていたので少々腰も痛かった。チェックインを済ませて早速、併設されているスーパー銭湯に向かった。銭湯は不特定多数の人たちが裸になって集う場所であるので新型コロナに感染する恐れをなし、とすることはできない。事実、この旅行を終えて仕事をしている時に同業他社の人間でスーパー銭湯に行ってコロナに感染した者がいる、ということを聞いている。わたしも感染の可能性を考えると...滋賀ツーリンング後編

  • 滋賀ツーリンング 前編

    今回のツーリングの相棒(ドラッグスター400)八月某日に琵琶湖近くの滋賀県大津市までオートバイでツーリングに行ってきた。一泊二日のささやかなひとり旅である。今回のツーリングを敢行したのはコロナ禍のこのご時勢で宿泊費がとても安かったのが大きな理由のひとつである。普段のバイク・ツーリングであれば滞在するホテルでは何も食べずに素泊まりにする。少しでも出費を抑えるためだ。それでも宿泊費はそれなりにする。素泊まりで五千円というのが、わたしが宿泊を考える宿を選定するひとつの基準である。五千円を超えると財布の紐を締める、というのが、わたしのお金の遣い方である。今回の滋賀ツーリンングでの宿泊費の合計は2726円である。もちろん税込みである。嬉しかったのはこの値段で朝食付きであったことだ。何よりわたしが今回滞在したホテルはスーパ...滋賀ツーリンング前編

  • 書評 『東京貧困女子。』

    ルポライターの中村淳彦氏が著した『東京貧困女子。』(東洋経済新報社刊)を読了した。今からこの本の書評を書いていく。同書は東京や東京近郊に住む貧困に喘ぐ女性たちを取材したルポルタージュである。第1章は「人生にピリオドを打ちたい」という章名で国立大学医学部に在籍している女子大生の取材から始まる。なぜ偏差値ランキングでいうと圧倒的な受験勝者がここまで屈辱的な生き方をしなくてはならないのか。それでも、わたしは第1章を読んでいきながら正直あまり興味を惹かれなかった。自分とは遠いどこか別の国の話のようでリアルに迫ってこなかったのである。しかし、女子学生たちの話が終わり社会人女性やシングルマザーの貧困について書かれてある章からは興味深く読み進めることができた。そこからは読書がはかどり一気呵成に最後までページを繰ることができた...書評『東京貧困女子。』

  • ピンチはチャンス

    はやり病が猛威をふるっている昨今、いわゆる「ステイホーム」ということで家に居る時間が多くなりました。わたしの場合、時間に余裕があるとき、たまにオートバイで遠出をすることがあります。けれども、この時期それもままならない。これからの季節、オートバイで温泉にでも出かけて行きたいところですが、それはできない相談です。ということで結局、自分の住まいで過ごすことになるのですが、わたしはインドアも苦手ではありません。部屋の中でもすることは色々あります。こういう時だらだら過ごすのではなくて普段することのできないことに時間を割く、というのもいいことだと考えます。こう言うと、またかと思われるかも知れませんが、わたしはこの記事の読者には本を読むことをお勧めします。わたしにとって、読書は毎日の習慣ですので普段することができないことでは...ピンチはチャンス

  • これぞ神の愛

    過日(といっても随分前の話ですが)、にほんブログ村に当ブログの兄ブログである“「論」ブログヨシ樹”を登録しました。記事のジャンルとして「キリスト教」を選択しました。多くの人々にわたしの書いた記事を読んでもらいたいからです。ただし、理由はそれだけではありません。現下のもうひとつの狙いとして、あるブログの標的になることにあります。名指ししましょう。そのブログとは「ここがヘンだよキリスト教」です。「ここがヘンだよキリスト教」というブログの名前を読んでピンと来た人は、ひとりわたしだけではないはずです。そう、どこぞの民放テレビでかつて放映されていた番組の名前をそのまま使っているのですね。わたしとしてはテレビ番組の名前を勝手に使用していても一向に構わない。ただし、くだんの書き手が、そういう名前を平気で自分のブログの名前に借...これぞ神の愛

  • 人生で要らないもの

    以前、本ブログの弟ブログに「よりよく生きるために」にと題して記事を書いたところ、わたしの主張について否定的なコメントを頂きました。匿名のコメントです。まずはわたしが書いた記事をお読みください。以下のとおりです。僕は煙草や酒を呑みません。コーヒーすらたまに飲む程度です。ギャンブルも一切しません。宝くじ一枚、買ったことがありません。これらは時間がかかるうえ、お金もかかります。ハッキリ述べましょう。人生をよりよく生きるためには以上は不要です。もし、上記を嗜んでいるなら、即刻止めることをお勧めします。この記事について次のようなコメントが書き込まれていました。「ギャンブルや煙草はともかく酒まで否定する理由が分からない。しかも止めろとかあんたに言われたくない。」さらにわたしの友人は以下のようなコメントを寄せてくれました。『...人生で要らないもの

  • 岐阜ツーリング 前編

    名古屋市に住み始めて、お陰様で五年が過ぎ、現在、六年目である。大学受験の個別指導塾に招聘されたのがきっかけで、それまで暮らしていた故郷から名古屋に引っ越すことになった。個別指導塾は某ビルの二階にあった。わたしは当該ビルの四階に今に至るまで住んで生活している。住み心地は悪くない。駅がすぐ近くなので色々と便利だ。道路に面しているので日中、車の騒音がひどいが慣れてしまった。家賃が安いのが何よりである。家賃は塾長の計らいで安くしてもらったのだ。けれども住み始めた当初は大変だった。大学受験の塾をほどなくして解雇されたからである。教育業界というのは恐ろしいくらいに実力主義だ。使えない人材がいつまでも留まることが許されない過酷な世界なのである。それまでのわたしは小中学生を対象に教えた経験はあるが高校生は事実上、はじめてだった...岐阜ツーリング前編

  • 神なき生活の恐ろしさ

    わたしの父は、かつて教会で牧師として働いていました。現在は牧師を退いて説教原稿を作成して無償で父の周囲にいる人々へ提供しています。そんな父の原稿の一部をアップいたします。文章のおかしい箇所は直してありますが以下の文章の内容はわたしの父によるものです。以下は父の説教の一部ですが小見出しには「神なき生活の恐ろしさを考え、神に帰るべきこと!」と記されています。*********************************************************************神への信頼のない生活がいかに恐ろしいものであるか、を考えたことがありますか。それはあたかも操縦士がいない飛行機に不安な気持ちを抱きながら乗っているようなものです。しばらくは、そのまま飛んでいるでしょう。しかし、人生のある時、自...神なき生活の恐ろしさ

  • 厳粛な綱渡り

    聖書を読んでいますと「迷える羊」という譬えが出てきます。吾人は「迷える羊」である、と聖書は主張します。「迷える羊」という言葉は夏目漱石の著した『吾輩は猫である』にも「ストレイシープ」として紹介されています。同書で漱石は「迷える羊」という言葉を指してキリストの教えを侮蔑しています。漱石はイギリスに留学しているので聖書を読んでいたのでしょう。この世には困難があります。吾人ひとりの力では如何ともし難い場面に遭遇したことは誰しも経験があるのではないでしょうか。我々の人生は大海に浮かぶ笹船のようなものです。吾人は、いわゆる「迷える羊」であることを謙虚に認めなければならないと思います。科学者の中のある人々は人智の及ばない大きな力を神とは言わずに「サムシング・グレート」と言っています。思うに左様な血の通わない抽象的な概念を信...厳粛な綱渡り

  • もつと心に栄養を

    精神疾患で苦しんでいる患者の数は2018年の統計によれば国内で392万4千人だそうです。わたしの実家がある都市の人口を10倍してもまだ足りない計算になります。随分、多いと言わざるを得ない。統計上に現れてこない予備軍まで含めたら随分な数になるのではないでしょうか。精神を病むということは心―もつと言えば魂―が厳然として存在するということを証明していると言えます。心にも栄養が必要です。休息が必要なのです。精神を意識して弛緩させないといけません。思うに長い緊張状態に精神は耐えられない。吾人はロボットではないのですから。したがって、たまの休日にはボーとして一日を過ごしても一向に構わないと思うのです。一日中、寝巻きのまま布団に寝転がって内省するのでもいい。家人はだらしがないなあ、と文句を言わず、お互いにメンタルヘルスのため...もつと心に栄養を

  • 記事更新の頻度

    昨今、電子メールなどの出現によって文章を書くことが必要とされる場面が多くなりました。実際、わたしの副業である家庭教師の授業を終えて帰宅すると電子メールによる終了報告が義務づけられています。今や電子メールで文章のやり取りをすることは仕事のうえで必要不可欠となりました。仕事のみならず趣味のブログもこうして文章で自分の意見を記していますので当然、書く作業を伴います。書くことには神経を遣っているつもりです。かつては、ケータイのメールの文章ですら要らない紙に何度も書いて推敲してから送信していました。嘘のような本当の話です。思えば、わたしが子供の頃(元号でいうと昭和です)は自分の文章が活字化されるなどということは、まずありませんでした。あれば、それはひとつの事件でさえありました。自分の文章が活字化されたということになると、...記事更新の頻度

  • サバイバー

    最近、いわゆる「いじめ問題」に思いを巡らせています。youtubeで「いじめ問題」の動画を視て以来ずっと考えています。近年、中学生が自らの命を絶つ、という痛ましい、そして陰湿ないじめの事件が、そこここで起こっています。無邪気なはずの小学生ですら自死を選ぶことが起きています。非道いの一語に尽きます。小中学生なのに。まだこれからなのに。youtubeで視たのは、ふたりの中学生の少女にまつわる「いじめ問題」のテレビ番組です。可憐な少女のひとりは鉄道に飛び込んで轢死しています。迫りくる列車は彼女の眼にはどう映ったのか。もうひとりは自宅で首を吊っています。いわゆる縊死です。今はの際の苦しみは、いかばかりだったろうか。大人でも死ぬのは怖いことです。死を目前にすると凶悪犯ですら文字どおり腰が抜ける、というのを死刑執行に関わっ...レクイエム

  • 知は力なり

    本記事のタイトルとも関係しますが「ものを知る」ということは、とても大切ですね。最近はパソコンやスマホを利用すれば何時でも、それもリアルタイムで色々なことを知ることができます。しかし、思うにパソコンやスマホを見ることを以て、わたしのいわゆる「ものを知る」ということにはなりません。みんな顔を俯かせながらスマホの画面を食い入るように見ています。寸暇を惜しんで歩きながらスマホの画面を見ている人も少なくない。通りを歩くと現代版、二宮尊徳は稀ではないのです。なんだかなあ、と思いますが、とにかく非常に便利な世の中になりました。しかし、パソコンやスマホで知ることができるのは「知識」(インテリジェンス)ではなく「情報」(インフォメーション)に過ぎません。知識と情報の間には決定的な隔たりがあります。情報とは例を挙げれば天気予報や交...知は力なり

  • ☆☆記事数百本特別企画☆☆

    “「論」ブログヨシ樹”の記事数は、お蔭様で本記事を以て100本目となりました。そして、来年5月にはブログ開設10周年を迎えようとしています。そこで、記事数百本特別企画として当ブログの記事の中から読者諸賢が選ぶベスト1の記事を選んでほしいのです。すなわち、“「論」ブログヨシ樹”の中で最も感銘を受けた記事、あるいは最も好きな記事がありましたら記事の題名と、その記事を選んだ理由を弟ブログたる“ヨシ樹の雑記帖”へコメントとしてお寄せいただきたいのです。件のブログは当ブログのブックマークに登録されています。締め切りは年内いっぱいで何時でも承ります。お暇なときにお気軽にコメントをいただければ幸いです。ご応募いただいた記事は記事に対するわたしの意見も加えつつ原則としてノーカットで新年明けてから記事数100本達成の記念記事とし...☆☆記事数百本特別企画☆☆

  • 汝等しづまりて我の神たるをしれ

    記事のタイトルは文語訳の『旧約聖書』の詩篇46篇10節にある言葉で「われはもろもろの國のうちに崇められ全地にあがめらるべし」と続きます。ここまでで10節です。静かにならないと神を知ることはできないのです。神のみ前に静まり神との対話である祈りをし、また瞑想するということをしなければ魂に本当の安らぎは来ないのではありますまいか。そういえば、わたしは最近あまりロックを聴いていません。静寂の愉しさというべきものが段々わかって来たからかも知れませぬ。今の人は静寂の価値をあまり知らないからか四六時中、誰かと連絡を取っていないと気が済まないみたいですね。親しい人と語らうというのは悪くないですし、大いに語らうべきでありますが自転車に乗りながらスマホを耳に当てるのはどうなんでしょう。中には車を運転しながらスマホを弄っている人もい...汝等しづまりて我の神たるをしれ

  • 思想的怠慢

    《神はどこに在すか。その証明は「福音書」にある。ただそこにのみある。仏はどこに在すか。その証明は「経文」にある。ただそこにのみある。宗教を否定するものは、経文や福音書にあらわれた釈迦とイエスの言葉そのものと対決して黒白を争うべきである。》以上の文章は作家、亀井勝一郎が著した『人生論・幸福論』(新潮文庫)の326頁より引用いたしました。亀井勝一郎は若いときによく読みました。読んだのは高校生の頃でしょうか。読み進めて上記の文章に出会ったとき、なるほどと思いました。ほとんどの日本人は「福音書」も「経文」も読んでいません。そう断じて差し支えないはずです。読んでいない人に限って、こちらがキリスト者だと判ると「神がいることを証明しろ」とか色々と面倒な注文を付けてきます。そういう人には、それでは「神がいないことを証明してくれ...思想的怠慢

  • 自分の為の読書

    今日は気持ちよく晴れていました。カーテンを開けた部屋で薄目を開けて寝ていると陽射しが燦々(さんさん)と窓から降り注いで眩しかったです。こんな穏やかな秋晴れの日は所有しているオートバイで何処かにツーリングに行きたい。とはいえ、わたしは昨日までの仕事で疲れていたのでツーリングに行くまでの気力はなく眼は醒めていましたが午前中は布団にくるまり愚図愚図していました。読者諸賢よ、今日はどんな一日でしたか。わたしが思うに過ごしやすい一日でしたが秋は確実に深まっています。現在、十一月の下旬です。晩秋と言えるでしょう。やがてクリスマスを迎えることとなり季節は冬になります。すでに巷にはクリスマスソングが流れ始めています。もう冬支度は済ませましたか。さて秋といえば読書ですね。せっかくの読書の秋ですので今回は読書について記事を記してゆ...自分の為の読書

  • 苦しくて楽しいこと

    書くことは辛い。思っているほど簡単なことではない。それでも身を削って書いた内容を理解してくれている人がきっといる、と想像してパソコンのディスプレイをじっと見つめるのだ。書くことは孤独だ。黙々と文章を紡ぐ自分ひとりきりの作業だ。それでも、メッセージをきっと受け取ってくれる人がいる、と信じて記事を記すのだ。書くことは苦しい。ゼロから文章を組み立ててゆく作業は決して楽ではない。それでも、読み手の笑顔を期待してキイを叩くのだ。書くことは辛い。書くことは孤独だ。書くことは苦しい。だが、それにもかかわらず、読者に内容が伝わったことが判ると嬉しい。読者からの好意的なコメントを頂戴すると元気づけられる。執筆は子供の遊びではないので、はじめから終わりまで楽しい楽しい、というふうにはゆかない。そう、書くことは大人に許された知性的な...苦しくて楽しいこと

  • 現代の迷信

    この先、確実に経験する死について人々はなぜ真剣に考えないのか、ということがわたしの長い間の疑問であり不満でもあります。死ぬなんてまだ先のこと、今を一生懸命に生きよう、と吾人は言いがちです。けれども繰り返しになりますが、皆、必ずいつかは死ぬのです。なぜ真摯に死の問題と今、取り組もうとしないのか。そういうふうに先延ばしにして今日、交通事故で他界しない、という保証はないのです。もしかしたら、すでに重篤(じゅうとく)な病気に罹患し始めていない、と誰も断言することはできません。死の問題の緊急性は高いのです。死は我々にとって喫緊(きっきん)の課題なのです。「不吉なことを言うな!この罰当たりがっ!」とお叱りを受けそうですね。しかし、わたしは悲観主義者とは違います。現実主義者です。わたしは現実から目を逸らしていない。なぜなら誰...現代の迷信

  • 女生徒への手紙

    数年前に、りなさんという中学生の女の子に五科目を教えていた時期があります。教え始めて間もない頃に彼女に手紙を出したことがあります。その経緯(いきさつ)はこうです。ある日、りなさんのご家庭を授業のために訪れたら、りなさんが自分の部屋に閉じこもったきり出てこようとしません。その時は、お母様の機転で、りなさんの代わりに高校生のお兄さんの英語を見て事なきを得ました。わたしは即座に「これはヤバイ!」と考えて、その当日、授業を終えて帰宅してから間を置かずに、りなさんに宛ててパソコンで手紙を書きました。心を込めて書いたつもりです。その夜のうちに切手を貼って手紙を入れた封筒を郵便ポストに投函しました。翌日には仕事を控えていましたが関係ありませんでした。正直それどころではない、というのがわたしの偽ることのない気持ちでした。その当...女生徒への手紙

  • 思想と年齢

    いつの頃からか、わたしの髪にも白いものが混じるようになりました。若い頃には必要がなかった白髪染めなぞ煩わしい限りです。しかしながら、フォーマルな会合に臨むときに胡麻塩頭(ごましおあたま)というのもみっともないかな、という心配から自由ではない、というしだいで白いものが混じった頭を梳(くしけず)る時、鏡を見て苦笑するのを禁じ得ない時があります。そういうことを思うにつけ「光陰矢の如し」という古くからある言葉は真実であるなあ、という感慨を覚えるようになりました。よく出来た言葉だと思います。人生は思いのほか短い。日々暮らしているなかで段々そういうふうに考えるようになりました。左様なことを考えるようになった、ということは取りも直さず、わたしが年を取ったということと少しも違いません。最近、巷間には、いわゆるアンチエイジングと...思想と年齢

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