桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
京都三十三間堂の棟木 外部資料 桑畑に柳本というところがある。そこには、古い柳の木があったが、道路が広げられたとき切られ、今では柳本という地名があったことさえ、知る人は少ない。 むかしむかし、この山奥の柳本へ都から役人と大勢に人夫がやってきた。当時、この柳本には、天にも届く...
熊谷の矢の子 昔、昔、内原奥里の平山のみこどりというところで、巫女さんが、石くど立てて湯を湧かし、矢を清め、熊谷の方角めがけてヒョイと力いっぱい射たそうな。 矢は、そのまんま一里(約4キロ)もあろうかと思われる、あの熊谷の丘まで飛んだ。 そして、熊谷の丘の地面にプスッーと、...
氏神様を怒らせた男 外部資料 十津川村は山林に囲まれています。その中で 内原(ないはら)は珍しく水田が広がっています。 ずいっと昔から、ここ内原の在所では、年に一度の氏神様のお祭りの日に、在所の衆ひとりのこらず社の森に集まってにぎわあうことにしておった。 今年も、みなの衆、...
お大師さまと上湯川 高野山は弘法大師さまが開いたことで名高い山じゃ。 その大師さまが、高野山を開くまでに、全国各地を修行して歩いたのじゃ。そのおり、この上湯川へも立寄られたらしいのじゃ。とくに、大師さまは、人びとが修行するのにふさわしい道場をどこで開くかと、各地を旅して探し...
蛇の窪 昔、昔、上湯川の梅外垣内の谷奥に三本杉があった。その近くに 蛇の窪 今にも何かでてきそうな古い大きな気味の悪い池があったそうな。 ある日、子どもを連れた女子(おなご)が、その池の傍らで子供を遊ばせて置いて、 「今日もわらびの根掘ってわらび餅でも作ってたべようか。」...
東野の角左衛門 の力 実在の人物です。 昔 東野に角衛門という、たいそう、力の強い男がおった。 ある時、この男が田戸へ来ると、米屋の主人が、冗談に「この米俵三俵(百八十kg)もって歩くこと出来たら、ただでやろうぞ」といえば、角左衛門は本気になってしまった。田戸から東野とい...
音無川と十一面観音菩薩 十津川に沼田原という村がある。現在限界集落に近く 山奥にある村のお話です。 外部資料 沼田原から、焼く一里さかのぼったところに大谷がある。そこには、30メールの高さの大きな滝がある。 外部資料 むかし、むかし、この滝のずっと奥で、一人の仏師が、一心に...
玉置山の狼 玉置山は 吉野十津川村にあって 奈良県に属しますが 熊野灘が望めます。 祖父は、嘉永6年生まれで昭和14年にこの世をさりました。家が材木商だったので、15歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたしうだ。 当時の街道は、折山から玉置山を越え、九重...
雨乞いのこと お話の中に 前鬼 が出てきます。修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼 前鬼は夫で 後鬼が妻 と言われています。 彼ら鬼達は、大峰山脈の麓に住んで、修験者の先達をしていた 1300年前位 真夏に、全く雨が降らない時がある。そいうい時には、畑の作物...
奈良県の南 和歌山と接して熊野古道小辺路がある。 山林に覆われた村です。 狸 昔、高津(たこつ)の下の丸瀬下(まるぜした)でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。...
難題聟(ムコ) むかし、あるところへ、きれいな娘の巡礼がきよった。ところがな、ある若い男が、その娘を見初めやってな、 「あんたは、どこの国の方でっか。」 ちゅうて聞かってんが。 ところが、娘さんはそれに答えんで、 「恋しくは、たずねてごんせ 十八の国 夏吹く風...
吉野の山々は深く 熊も多くすんでいるという話はあります。 木々も多く 動物と人々が住んでいたことでしょう。 そんな吉野の昔話です。 猟師と子熊 むかし吉野の山奥にかりうどが住んでやてな。鉄砲うちが上手で、毎日山へ出て、鳥やけものをうちやってんと。ある日、大きな一匹も熊を打っ...
ガタロの恩返し 大塔村 ずっとずっと昔の話でな。 ある村に助ヤンという人がおってな。生あたたかーい風がふきよる晩、せっちん(便所)に入ってやったら、落しのしたからニュと、猿のようなけだものの手が出てきよってな。そいで、つめたーい手で、お尻をなでるように、しよたんで、助ヤンは...
奈良の民話から 南北中部 の三か所に分けてのお話です。 奈良県内大きな面積の南部吉野のお話を紹介しています。 粟しとっとん 大阪かどっかの大きな町の大店の話だんね。 ひとり娘できりょうよしに、ムコをもらおうとしやってんが、なかなか見定めがつかあひんので困ってやってんと。...
吉野は日本のパワースポット 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
吉野は日本のパワースポット 外部資料 外部資料 4月桜が満開となって山全体が桜色に染まる吉野に出かけられる人々が多いと思います。 その吉野は桜を愛でるだけではなく、古代から人々は祈りを捧げ 修行し パワーの凝縮を感じる地です。吉野は大和朝廷発祥の地、飛鳥から南に拡がる山間部...
薬師寺 花会式結願 鬼の御馳走 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
鬼追い式の 鬼の御馳走 花会式の結願では「鬼追い式」が行われる。夜の8時ごろに境内の灯りが消され、鐘や太鼓、法螺貝などの音とともに、松明を振り回して鬼が金堂の周りを大声で叫びながら暴れ回り、最後に毘沙門天が鉾を持って現れ、鬼どもを退散させる。 外部資料 鬼追い式に入る前に、...
薬師寺花会式 香りの文化 伽羅香木 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
伽羅香木 香は 香料は奈良時代に仏教と共にその儀礼の用具として伝来した。 以降平安時代には貴族社会で発展し、中世以降は南蛮渡来の希少な沈水香木として愛好されるようになった。藥師寺は香の伝統文化を護持してきた。 伽羅香木 高さ68㎝ 幅32㎝ 重さ7.5㎏ 香木はベトナム ...
吉野郡の南方に位置し、森林に囲まれた所です。豊かな自然にかこまれ 昔から修験道の地です 外部資料 鳳閣寺は修験道のお寺 役行者を引き継いだ 理源大師が開祖といわれています。 山野中腹にあり展望台からは 黒滝村が一望でき 吉野のお花見とまたちがった吉野がみえます。 ■住所 6...
薬師寺花会式 香りの文化 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
聖徳太子考養像 薬師寺大宝蔵 聖徳太子十六歳の時、柄香炉を持って父用明天皇の病気平癒を祈ったといういわゆる考養太子御像で、両脇にやや小さい童子を従えている。こうした三尊形式は「唐本御影」以来、各時代にわたって描きつがれて来たが、この図は太子が宝冠を着けること、一童子が笠蓋...
今月のお薦め本 毎月 奈良の情報を楽しめる月刊誌です。 今月は 世界遺産登録20周年を記念して 吉野 大峰といった修験道が特集されています。 桜で有名で、これからが 満開の時期を迎えます。 今月の 本のある喫茶店 うのん のお休み予定 4月 1日(月)2日(火) 8日...
薬師寺花会式 竜王社 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
竜王社 この光景は奈良の観光案内パンフレット 本などでご覧になられることがあると思います。 奈良の写真家入江泰吉が紹介され 奈良県景観資産の第1号の光景です。 勝間田池 から若草山 東大寺大仏殿 興福寺五重塔 そして 薬師寺金堂 双塔が望めます。天平の時代と変わらぬこの光景...
薬師寺花会式 西塔の釈迦八相像 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
釈迦八相像 が 外部資料 今からおよそ2500年前のインド。 大きな菩提樹の下に、草敷いて坐り、静かに瞑想していたお釈迦様に、悟りを開く時(成道)が近づいた。 お釈迦様に悟りを開かれては困る。人々を苦しみの世界にいちまでも留めておくために、魔王は3人の美しい娘を遣わして、お...
薬師寺花会式 藥師寺縁起絵巻 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
外部資料 藥師寺縁起絵巻から 薬師如来像を鋳造の一場面 藥師寺は 天武天皇が皇后の病気平癒のため建立した。おの皇后(後の持統天皇)まもなく回復したが天武天皇が病に倒れ亡くなってしまう。夫の遺志を引継ぎ みずから持統天皇として即位し、藤原京への遷都を成し遂げ薬師寺造営も完成さ...
薬師寺 花会式 「慈恩大師」 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
慈恩大師 「西遊記」で三蔵法師として親しまれる玄奘三蔵は、インドで十八年も勉強して、多くの経典を持ち帰られました。帰国後玄奘三蔵は翻訳に献身されなければならなかったので、教義の面は一秀の入室といわれた慈恩大師に譲られました。この師弟は後に修唯識論(じゅうゆいしきろん)という...
薬師寺 花会式 「吉祥天女」 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
吉祥天女 正月に修す法会を修正会(しゅしょうえ)といいます。そのご本尊が吉祥天女画像です。吉祥天女が幸福と平和と美の女神であることから、修正会には国の安泰、世界の平和と共に五穀豊穣を祈願する行法が営まれます。 この画像は麻布に描かれたもので、彩色がたいへん美しく、独立した画...
もうすぐ 目の前の薬師寺における 修二会花会式がはじまります。 少し 奈良の民話 の紹介をお休みして 薬師寺にまつわる話をブログします。 この書物は薬師寺さんが発行されたモノです。 背景に 若草山 大仏殿 興福寺の五重塔も写ってます。 また 東塔の元の水煙が入れられています...
薬師寺花会式 水煙 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
白鳳双塔 東塔修復中 水煙新旧 天に向かってのびやかにそそり立つ塔には不思議な、人を引き付ける力があります。喜びと憧れを与え私達を引きよせてくれます。白鳳時代の偉容を今日に伝える東塔、昭和に白鳳が再現された西塔 二つの塔は一見六重の塔に身rますが、三重塔です。これは...
薬師寺花会式 薬師如来台座 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
お薬師様がお座りになっておられる台座は奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框(かまち)にはギリシャの蒲萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られます。各面の中央には、インドから伝わった といわれる力神(蕃人)の裸像が浮彫りされ、内から外の様子をうかが...
薬師寺 花会式 仏足石 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記
仏足石 お釈迦様は二千五百年程昔の方です。おかくれになって、三、四百年間はインドには仏像を形に現わすのは、勿体ないことであるとの考えであったからです。そのかわり仏様の足跡を石に彫ったり、菩提樹の下、石上に坐して悟りを開かれたのだからその菩提樹や天蓋を画いては、それを仏様とし...
花会式 正式には 修二会花会式 といいます。 嘉承2年(1107年)堀河天皇は薬師如来に皇后の病気平癒を願われ 霊験を得られた皇后は、毎年宮中の女官たちと、造花をおつくりになって修二会にお供えされました。これが、花会式の起こりです。 梅 椿 牡丹 菊 山吹 藤 桜 桃 百合...
薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 叩かぬ太鼓・鳴る太鼓
叩かぬ太鼓・鳴る太鼓 吉野のお話 外部資料 丹生川沿うた宗川野の、殿の平っていうところは、殿さんがいたんで、こういう名があるんやと。 そこの殿さん、まっことわがままでな、いっつも、百姓どもにいろいろ難題を仰せつけてな、みんなの衆をこまれせたんやと。 あるときな、百姓衆あつめ...
洞川温泉郷は大峰山から発した熊野川の源流ともなっている山上川のほとり 洞川温泉は、修験道の盛隆とともに大峰信仰の登山基地として栄えた。 開かれた縁側は一度に山伏が旅館にあがれるようにしたもの。 洞川のめくら蛇 吉野郡のお話 むかし、吉野の洞川にひとりの山男が住んどった。女子...
金の橋・銀の橋 吉野郡のお話 むかし、あるところに、ふたりの大金持ちがいやってんが、ふたりとも奥さんがおらんでな、良い嫁御寮をさがしてやてんと。 召使や、いろんな人にたのんで、ようやっとひとりの娘さんをさがしあてやってんが、おんなじ娘さんやってんと。 ほんでひとりの金持ちは...
薬師寺近くの「うのん」から大和気象 仏さんネブカとダイコの芝居見物
仏さんとネブカ(葱)とダイコ(大根)の芝居見物 吉野郡に伝わる笑話 外部資料 ネブカ むかしむかしのこっちゃが、仏さんとネブカとダイコと三人で、芝居見物に行こってんと。 そいで、ネブカが、 「ネブタイ、ネブタイ」っていおったんで、ダイコが、 「抱いたろか」 といおってんと...
三輪素麵の由来 吉野郡のお話 三輪素麺は 日本の麺類発症の地 ここから 全国に広まり地域にあったものが生まれました。その三輪素麺にまつわるお話が多くあって これは 吉野地方の話です。 外部資料 三輪の大神神社への感謝祭り むかしのことやー。 三輪の神さんがなんとか姫に魅入る...
だれナラよ 吉野郡のお話 吉野は奈良県南部に位置し面積の殆どが山林におおわれています。 外部資料 むかし、庄屋さんの倉に、どろぼうが入りよってしやーないのでな、オナラようこく、オバア雇って寝かしとじゃってんと。 ほいで、夜んになってな、どろうぼうが入ろうと思って、倉の前へ行...
月ヶ瀬は今は奈良市に入ってます 京都府 三重県 奈良県 の間にあり伊勢参りの人が通る道があります。 月ヶ瀬梅林で有名です サルの尻はなぜ赤い 添上郡の話 むかし、ある冬の日、月ヶ瀬の伊勢講山が焼けたことがあったんや。そのとき、火事見物に来たサルは、顔をつき出しよって火にあ...
大歳の客 宇陀郡のお話 むかし、ある村でいちばん貧乏な家があってな、正直ものの夫婦は大晦日になって節季払いもできへんー、正月の回札もできそうにないよって、ユルリを囲んで思案とタメ息ばかりついて、ただ、薪をもやして夜明けを待っちゃるところへ、な、旅の坊さんがっひょうこりあらわ...
鐘にフシの木 宇陀郡 むかし、奈良の大仏たんつくらはったころの話やね。大仏たんに時を知らせるどえらいつり鐘を鋳こまらはってな、つりがね堂に吊ろうとしやんねど、何べん吊らっても、鐘のめかたが重たいもんやさかい、堂の梁が折れよんねん。そいで、困らってな、どねんしたらええやろい...
くつぬぎの天女 宇陀郡のお話 外部資料 むかし、竹渓之庄の目代だった藤原時兼という若いお公卿さんが、、あるとき 向渕(むこうじ)の竜王ヶ渕のほとりをふとりで歩いてやると、天から下りてきやはった二人の美しい天女さんが、雪のような白いゆたかな肌を出して、水浴びをしやはるのを見...
三尺のワラジ(草鞋)宇陀郡のお話 ワラジ 外部資料 むかし、姑さんと嫁さんの仲が悪い家があったんや。 嫁さんがよなべ(夜仕事)してやったら、姑さんは、嫁さんになんどいじわるすることはないかなーと思って、火鉢の端にすわって、煙草吸うて、じっと見てらったら、わがヒザボン(膝頭)...
ヘビ女房 嫁取橋 大和郡山市 むかし筒井に一軒の茶屋があってん。その茶屋にコマノっていう気の強い生娘がいやってんと。そこを通って、父の病気祈願に毎月1回、信貴山へはだし参りしてやった布留(ふる)の若いもんにほれやってん。 ほてなー。ある日、夕方おそく若いもんが通りやってん...
女房の知恵 むかし、あるところに、大工の名人がおったんや。家を建てるのに、あやまって大黒柱を五寸ばかり短く切ってしまやったが、継いだりしたら、名人の面目にかかわるしな。 「こりゃ、腹っを切らにゃならん」 いうて、家に帰ってなげきやってんと。 ほたら、女房がかたわらから、 「...
ならら 3月号 辰年に竜神さまのお話です。 雨を乞う神様 竜神さんのお祭りも多くあります あわせて ご覧頂きたく思います。 今月のお休み予定 4日(月)5日(火) 11日(月)12日(火) 17日(日)18日(月)19日(火) 25日(月)26日(火) 3月2日(土)ブラタ...
宝物のとり替え むかし、櫟本の西の方にイチヒの大木があってんと。そんの上に悪い天狗がすんどって、イチヒの実がなったら、上から投げてばっかしおってな、人々をいじめる困ったやつじゃった。そいから、ニワトリやくだものを取ったり、毎年美しい娘さんを人身供養に出せとってんと。 外部資...
おりゅうの森 奈良市 むかし、奈良市東山中(ひがしさんちゅう)、大柳生の山口神社のすぐ北の田圃の中に こんもりした森があってな。その森に、天をつくようなでっかい木がはえたっんで、土地では「おりゅうの森)っていうてやんがー。 ちょうどそのころ、京都の三十三間堂を建てることに...
鶴の塔 むかし、栗原谷の六本ちゅうところに、浦西いう家があってん。そこの主人が、ある日、東の空を見てやったら、病にかかった一羽の鶴が、よなよなと舞い下りてきよってん。 ほいで、主人はかわいそうに思はって、家のものどもといっしょに、親切に世話してやらったおかげで、鶴はしばらく...
大和のカエルと河内のカエル むかし、大和と河内に帰るがいよってん。 大和のカエルは、 「こりゃま、河内ちゅうとこ、この山越えたらあるちゅうこっちゃが、いっぺん見たいもんや。」 ちゅうて、のそのそ、岩屋峠ちゅう坂、登って行っこってんと。 ほたら、同じころ、河内のカエルもな...
蓑丸長者 桜井市 むかし、初瀬から宇陀へ越える山の峠に、ある若いもんがおったんや。それが十九のある日、一日のうちにオトウとオッカアに死なれてしもたんや。涙にくれてたが、野辺おくりがすんでから、親の菩提をともらうねというて、長谷の観音さんへ月詣りをはじめよったんや。若いもんは...
三輪山で力くらべ むかしのことや。 三輪山の南に川合ちゅうとこがあってな、そこを流れる栗原川(ゆうばら)に架かったったちったちっちゃい石の橋をこんにゃく橋っていうのや。その橋のたもとに、ちょっとした石があったんやと。 むかし、唐の使いがわが国へきたはじめたころの話やが。あ...
加賀の金沢かねどころ むかしむかし 初瀬(はせ)の里に生玉っていうた長者はんがいやはった。その長者に、わごというた美しい娘さんがやってんと。やがて二八(十六)のとしにならったら、 「わしをもろてんか」 いうて、ほうぼうから若ものがやってきやって、長者の門前は市場のようなにぎ...
イヌの足 奈良市 むかしはな、この三徳ちゅにゃ、これ4本あってんや。サントクっていうに4本脚ちゅうのはおかしいていうてな、仏さまが、そいを一本ちぎらはってな、向こうからきよった犬が三本脚でなんぎしとるさかいいうて、一本やらはってん。 ほんでな、仏さんにもろうた脚やよって、し...
屁こきばあ 北葛城郡 のお話 むかし むかし あるところーに、おじいさんと おばさんとすんでやってなー。おじいさんは、毎日山へ仕事にいってらたんたんやけど、しょんべんしようとなって、ほんだら、スズメが飛んできよって。おじいさんは、そのスズメをすばやくつかまえてきやはって、 ...
大安寺と弘法大師と「笑」 犬に脚「笑」の字 外部資料 むかし、弘法大師が奈良大安寺で修行してやったとき、お経の修行のかたわら、文字をつくってやはった。どんどんつくれたが、「わらう」という漢字だけは、どうしても工夫がつかなんだ。 大安寺の大師堂から上街道を見ていやはると、向こ...
もの言うお地蔵様 いつも地域の人々によって綺麗にされてます。西の京駅からまっすぐ東の道 薬師寺の北側徒歩5分足らず行くと 秋篠川を渡る手前北側にいらっしゃいます。 お地蔵様の後ろ側(北側)には、公園があります。 奈良の西の六条に「餅の木地蔵」っていう石地蔵さんがあってな、モ...
薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 阿弥陀さんのぼたもち
北葛城郡の お話 阿弥陀さんのぼたもち むかしあるところーのお寺で、和尚さんがよそへいかはった留守のまあに、となりからぼたもちをもらってなあ。留守番をしていた小僧たちは、みんなで、おしょうさんよりさきに、ぼたもちをたべてしまわってんとー。 そいで、おしょうさんに叱られると思...
ノミとシラミの伊勢参り 北葛城郡に伝わる昔話です。 外部資料 むかしむかし、ノミとシラミがお伊勢参りをしようかというて、どっちがはよつくか競争することにしよたんやとー。 「一、二の三、ヨーイドン」 で出発をして、ノミは 「ピョンピョン」 と飛んで、ずんずんむこうへ行ってしま...
こんばんは 本日から 「奈良の民話」を紹介させて頂きます。 各地域に伝わるお話です。 ヒチコとハチコの伊勢詣り 北葛城郡 むかし むかし、あるところーに、ヒチコとハチコという男がよってなあ、このふたりは空を飛ぶことができてんとー。 ある日ふたりは相談して、 「一っぺん、伊...
東大寺 二月堂 青衣の女人と良弁杉 「お水とりが終わると春が来る。」関西の人々は、昔からこう言い習わしています。「お水取り」とは、毎年三月一日から十四日まで東大寺二月堂で行われる、「修二会」という行事のこと。十二日の夜半に、二月堂下の若狭井戸からお香水をくみあげる行法があ...
興福寺のお話 宝蔵院流の槍 もう一つ、興福寺もまつわる伝説として、宝蔵院の槍の話をします。 昔 興福寺の一院に、宝蔵院という寺がありました。(現在国立博物館が建っている西のあたりにあったそうです。)ここに、槍術が大好き胤栄(いんえい)という法師がいました。胤栄法師は武士四十...
興福寺 十三鐘の石子詰 外部資料 奈良公園、東大寺、興福寺・・・。どこをあるいても目につくのは、きれいな毛並みとつぶらな瞳は、春日大社の神の使いとされています。昔、鹿は非常に大切にされ、鹿に危害を加えたものはきびしく罰せられました。「鹿を殺せば石子詰」といって、死んだ鹿と一...
唐招提寺 竜神と仏舎利、和上様のこと 外部資料 「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」。 奈良をこよなく愛した歌人・会津八一は、昭和十五年刊行の歌集「鹿鳴集」の中で、唐招提寺をこのようにうたいました。エンタシス式の列柱で有名な金堂、現存...
薬師寺 夢のおつげと塔 外部資料 西ノ京。かつての朱雀大路で区切られた平城京の西半分を、西ノ京と呼んだことから、この名は起こりました。薬師寺・唐招提寺・秋篠寺・法華寺などの寺々がこの地を彩っていますが、なんといっても西の京のシンボルと言えるのは、薬師寺の東塔です。 「凍れる...
法華寺 十一面観音と光明皇后 外部資料 平城京の左京一条二坊の地に位置している、法華寺。正しくは法華減罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、門跡尼寺(代々皇族が摂家の女性を門跡として迎える、格式の高い尼寺)として知られています。この寺は天平十九年、光明皇后の創建になるもの...
新薬師寺 (釣鐘のいわれと不思議なご利益) 外部資料 外部資料 境内を埋める萩と十二神将とで有名な新薬師寺には、重要文化財の鐘楼があります。そこには千百年ぐらい前の古い鐘楼がかかっており、「日本霊異記」の中に、こんな話が伝えられています。 敏達天皇の御世(572~585)の...
外部資料 岩船寺 子供と紫陽花 縁結び 細い道わきに、ビニールの袋がつり下げられています。袋の中身はお芋・豆・カボチャ・トマト」などの野菜。季節によって種類が変わります。百円・二百円と書いた札がついていて、その横にお金を入れるための竹筒。皆がほんとうに代金ををはらうかどう...
浄瑠璃寺 阿弥陀仏がいざなう浄土の世界 京都府相楽郡 外部資料 誰だったのでしょうか。「日本人は悲しい時に寺へ行き、何かを決着する時に時に神社へ行く」といったのは、日本における宗教の雑居性と信仰心の薄さを、この言葉はみごとに言いあてているようです。キリスト教徒でもない男女が...
円成寺 朝鮮に渡った栄弘師 奈良市忍辱山 外部資料 円成寺には「大蔵講来二合船残録」と記した巻物が保存されてます。もとは半紙の和綴じの冊子でしたが、江戸末期の寛政元年、円成寺の知恩院々主良助師が襖を張り替えた時、その下張りに使われていたのを見つけ、前後を整えて巻物にしたので...
宝山寺 不動明王と湛海(たんかい)律師 外部資料 生駒聖天として有名な宝山寺。しかしこの寺の本尊は聖天山ではなく、不動さんです。不動明王と宝山寺との深いかかわりは、次のような話からもうかがえます。 昔、この山は木を切ったり草を刈ったりするといろいろ災いがあり、魔の山として恐...
千光寺 生駒郡平群 役の小角と滝の大蛇 外部資料 外部資料 今より千三百年前のこと、葛城山のふもとの茅原の里に役の小角(役行者)という行者がいて、幼時から山中を駆け巡り、呪文を唱えて修行してました。 青年になったある日、小角は平群の里で清らかに澄んだ小川を見つけました。この...
信貴山 正しくは 信貴山朝護孫子寺 大阪と奈良の府県境にあります。本尊は毘沙門天(四天王の一人 多聞台)。北の生駒聖天に対して、南の信貴山毘沙門天として、多くの信仰を集めています。 信貴山という名は、聖徳太子が物部守屋を討伐したさいに戦勝を祈願して、一堂を建立、 「信ずべし...
法隆寺 外部資料 「法隆寺は秋がいい、それとも秋の夕暮れがいい」という人がいます。 世界最古の木造建築物である法隆寺。柱、壁、そのそのずべてからかもしだす色あいは、人為的にはけっして作りだすことのできない、ひとり 長い時間の流れのみが生み出すことのできる枯れた色彩です。そん...
安倍文殊院 外部資料 桜井市にある安倍文殊院は、日本三大文殊の第一霊場。ご本尊は、文殊菩薩といって、大きな獅子にまたがっており、高さは7m。鎌倉時代の有名な仏師である快慶の作で 日本一大きな知恵の仏様です。 ふつう仏様には、眉間の中心の丸いイボのようなもの(白毫)があるので...
橘寺 外部資料 明日香村、石舞台の西北に、橘寺はあります。この寺は、聖徳太子がお生まれになったという御殿を移したもので、太子創建七ヵ寺の一つに数えられています。橘の名前は田道間守がここに橘を植えたという伝説からきています。 外部資料 昔、上石第十一代の垂仁天皇ひゃ、どこかで...
西国三十三か所 七番札所 岡寺のお話です 外部資料 厄除最古のお寺です。 高市郡明日香村にある岡寺は、「厄除」の観音さんとして広く知られて、厄除祈願の人々の参詣が絶えません。このお寺はもともと龍蓋寺(りゅうがいじ)と云い、こんな伝説があります。 今から、千三百年以上も前のこ...
桜井市 はせでらのお話 外部資料 天文6年(1537年)のことです。長谷寺では、全国から百人ばかりの絵の描けるお坊さんが集まって、本堂いっぱいの大きさの紙に本尊十一面観音のお姿を描き写すという作業が始められていました。これは長谷寺五十六世座主である弘深上人の発案によるもので...
西国三十三か所第六番札所の壷阪寺のお話を紹介です 昔むかし、会津若松に、暴れものの悪い竜が住んでいました。この竜が暴れるたびに激しい嵐が巻おこり、激しい雨が地上にたたきつけて、田畑の作物は全滅。人々は飢餓に苦しむのでした。こんな苦しい生活は嫌 人々は顔を合わせるとなんとか竜...
2024年1月号 ならら です 奈良の25年の変遷をかんじることの出来る号です。 奈良と京都どちらも「古都」の言葉で代表される街です。 しかし 奈良 京都は違います 私は奈良から京都へ都が移り その後 奈良は滅びた時代があったのかと そこで 古墳 や遺跡が埋没している それ...
奈良の民俗学系の書物を多く所蔵しております 専門家の方からお子様にも楽しんで頂けるもの 奈良を旅するまえに ちょっとレア な知識を持って 出かけてみませんか 倍以上楽しめる 本当の奈良 人々の暮らしが見つけられます。 この中から 室生寺 のお話を紹介させていただきます。 外...
お薦めの本 毎月 ならら をお薦めしています。 奈良の歴史 自然 人々の生活を分かりやすく 表されています。 今月2月号は 東大寺二月堂修二会 お水取りの特集です。 3月に行われる 我々が目にする 燃え盛る松明 だけででなく 二月堂縁起 そして 東大寺の長老による お話が記...
所蔵本の紹介 奈良 大和路寺寺の昔話 奈良には町の彼方こちらにお寺 神社があります。 そこには 豊富な伝説があります。 その一部ですが 紹介します。 もうすぐ 若草山の山焼き 27日(土)です そのあとには 節分です。 その節分にちなんだお話です 吉野山の金峯山寺 蔵王堂の...
春日大社 先日のブログにかきましたが、奈良の春日大社は藤原家の氏神様です。 その藤原姓は 藤原鎌足から です。大化の改新で 後の天智天皇 中大兄皇子 その弟 天武天皇 大海人皇達と 大化の改新で大活躍した 中臣鎌足は 藤原姓を天皇から頂きました。 そして 藤原鎌足の眠る古墳...
本の紹介 今週始まりました NHK大河ドラマ「光る君へ」 その中には藤原氏が多く出てきます その藤原氏の氏神様の 春日大社 鹿島の神様が三笠山に 遷される時のお話です 文庫サイズ 中は絵本 春日大社の伝統のある御祭りも優しく 大人向きですが お子様にも分かりやすい表現です...
本の紹介 民族学及び民俗学に類する書物を中心においています。 古い地図 や 資料 そして 大人から子供 幼児まで楽しんで頂ける 本 を扱っています。 今回紹介するのは 天理市ふるさと運動実行委員会 がまとめられた 「てんりの むかしばなし」 です 「あおがきこもれる」奈良...
本の紹介 「河合町郷土風土記の内童歌 子供の遊び 里歌 其他」 童歌は郷土によって歌い継がれて 子供達の遊び方が表れている。 戦前はどの地方にも 独特の童歌があり くちずさんでいた。 それが 戦争(第二次世界大戦)により軍歌に代り 戦後は生活様式もかわり うたわなくなった。...
本のある喫茶店 うのん 所有の蔵書の紹介 吉野 文字通り 川上村の昔話 の伝承話を 手書きで記載させた本 立命館大学 故岡節三先生を中心にまとめられています。 高齢の方々に 口伝えをノートに書き記したものとおもわれます。 同じ内容も お話される方によって 伝承文学 ともい...
今月のお薦めの本 12月15日から始まり 17日にお渡り式が行われる内容を詳しく書かれています。
今月のお薦め本 奈良全体の世界遺産を紹介されています。 近くの薬師寺も紹介されてます ■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
今月のお薦め本 秋本番 正倉院展の季節です。 素晴らしい宝物をみることができます。
今月のお薦めの本 毎月 ご覧頂きたく 紹介させて頂いてます。 NHK 大河に因んででしょうか? 徳川家康と大和 がメインテーマです。 徳川家康とその家臣が大和で果たした功績が紹介されてます。 ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
まだまだ暑い日々 今月のお休み予定 4日(月)5日(火) 11日(月)12日(火) 17日(日)18日(月)19日(火) 25日(月)26日(火) ■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■℡ 0742-43-8152
薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記「木津川の祈祷念仏」
木津川の祈祷念仏 8月18日 外部資料 空也上人によってはじめられた。一遍上人によってひろめられた踊念仏は、多くの人々が集まって金鼓を打ちならし、念仏を唱えながら踊躍し、念仏三昧の境地に達するもので、室町時代に入り、念仏が民衆の間に徹底するともない、都鄭を問ず大流行し、念...
元興寺の地蔵会 8月23日24日 外部資料 外部資料 元興寺(極楽坊)はもと明日香の地に蘇我馬子が聖徳太子の協力を得て建てた我国最初の寺で、法興寺(一名飛鳥寺)と呼ばれていたが、和銅3年(710)都が平城にうつされるにつれ、この寺も現在の地に移建され、名を元興寺と改められた...
薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記「大柳生の太鼓踊り」
大柳生の太鼓踊り 外部資料 大柳生の里に祭られている夜支布山口神社は、スサノオの命を祭神とする水のかみさまだという。上出 塔坂 西の三垣内が宮座をつくり、永く敬虔に祭祀を営んでいる。この宮座は年長順に二十人が二十人衆とよばれ、一年交代で順番に当屋をつとめる。十一月一日に頭渡...
阪本踊り 外部資料 盆になると、大塔村の阪本、小代、簾、天辻、中原、天川村の塩野 塩谷地区では、風流踊りに夜をあかす。昔は旧盆の17日の前後から、盆の月中および八朔、旧8月15日夜の月見などに地蔵堂や薬師堂、あるいはお宮の庭などで踊られた。 踊りの中に「政吉」というのがあ...
十津川 大踊り 8月13日~15日 外部資料 奥吉野十津川では、中世以来の伝統をもつ風流踊りが今に伝えられ、あちらこちらの村で毎年行われている。その代表的なものが十津川村の武蔵・小原・西川で盆踊りとして踊られる「大踊り」である。 8月13日は小原の大踊りで、午後8時ごろから...
大文字送り火 8月15日 奈良市高円山 外部資料 奈良の大文字送り火は昭和35年(1960年)8月15日から当時の知事の発願によってはじめられ 36年からは行事の主催が新しく組織された奈良大文字保存会にうつされた。 奈良市の東方、春日山の南につづく高円山の山腹に太く大きく点...
東坊城のほうらんや祭り 8月15日 外部資料 東坊城の八幡神社と弓場の春日神社の氏子の垣内は八幡神社が七つ、春日神社が四つあるが、それぞれの垣内で自分の氏神の方へ大きなたいまつを作って、みんなで荷たってゆき、ここで火をつけて燃えさかるたいまつを、たくさんの氏子で かつぎ回る...
二月堂の 「おくよ」 外部資料 外部資料 二月堂 といえば お水取りを思いうかべますが 他にも行事はあります。 特に8月9日を「おくよ」と呼び、この日参拝すると、四万六千回参拝したと同様の功徳が得られるといわれているので、この日の参詣は多い。 「おくよ」の起源についてもつま...
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桂又妙権太夫の話 伝え聞くとところによると、迫西川(せいにしかわ)では松木平(まつきひら)と則本(のりもと)の二つの姓だけじゃったらしい。 迫西川は 西川上流の最奥山岳地域である。 外部資料 則本の始まりは、則本桂又妙権太夫という武士で、たしか平家の落ち人の子孫じゃったち...
京都三十三間堂の棟木 外部資料 桑畑に柳本というところがある。そこには、古い柳の木があったが、道路が広げられたとき切られ、今では柳本という地名があったことさえ、知る人は少ない。 むかしむかし、この山奥の柳本へ都から役人と大勢に人夫がやってきた。当時、この柳本には、天にも届く...
熊谷の矢の子 昔、昔、内原奥里の平山のみこどりというところで、巫女さんが、石くど立てて湯を湧かし、矢を清め、熊谷の方角めがけてヒョイと力いっぱい射たそうな。 矢は、そのまんま一里(約4キロ)もあろうかと思われる、あの熊谷の丘まで飛んだ。 そして、熊谷の丘の地面にプスッーと、...
氏神様を怒らせた男 外部資料 十津川村は山林に囲まれています。その中で 内原(ないはら)は珍しく水田が広がっています。 ずいっと昔から、ここ内原の在所では、年に一度の氏神様のお祭りの日に、在所の衆ひとりのこらず社の森に集まってにぎわあうことにしておった。 今年も、みなの衆、...
お大師さまと上湯川 高野山は弘法大師さまが開いたことで名高い山じゃ。 その大師さまが、高野山を開くまでに、全国各地を修行して歩いたのじゃ。そのおり、この上湯川へも立寄られたらしいのじゃ。とくに、大師さまは、人びとが修行するのにふさわしい道場をどこで開くかと、各地を旅して探し...
蛇の窪 昔、昔、上湯川の梅外垣内の谷奥に三本杉があった。その近くに 蛇の窪 今にも何かでてきそうな古い大きな気味の悪い池があったそうな。 ある日、子どもを連れた女子(おなご)が、その池の傍らで子供を遊ばせて置いて、 「今日もわらびの根掘ってわらび餅でも作ってたべようか。」...
東野の角左衛門 の力 実在の人物です。 昔 東野に角衛門という、たいそう、力の強い男がおった。 ある時、この男が田戸へ来ると、米屋の主人が、冗談に「この米俵三俵(百八十kg)もって歩くこと出来たら、ただでやろうぞ」といえば、角左衛門は本気になってしまった。田戸から東野とい...
音無川と十一面観音菩薩 十津川に沼田原という村がある。現在限界集落に近く 山奥にある村のお話です。 外部資料 沼田原から、焼く一里さかのぼったところに大谷がある。そこには、30メールの高さの大きな滝がある。 外部資料 むかし、むかし、この滝のずっと奥で、一人の仏師が、一心に...
玉置山の狼 玉置山は 吉野十津川村にあって 奈良県に属しますが 熊野灘が望めます。 祖父は、嘉永6年生まれで昭和14年にこの世をさりました。家が材木商だったので、15歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたしうだ。 当時の街道は、折山から玉置山を越え、九重...
雨乞いのこと お話の中に 前鬼 が出てきます。修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼 前鬼は夫で 後鬼が妻 と言われています。 彼ら鬼達は、大峰山脈の麓に住んで、修験者の先達をしていた 1300年前位 真夏に、全く雨が降らない時がある。そいうい時には、畑の作物...
奈良県の南 和歌山と接して熊野古道小辺路がある。 山林に覆われた村です。 狸 昔、高津(たこつ)の下の丸瀬下(まるぜした)でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。...
難題聟(ムコ) むかし、あるところへ、きれいな娘の巡礼がきよった。ところがな、ある若い男が、その娘を見初めやってな、 「あんたは、どこの国の方でっか。」 ちゅうて聞かってんが。 ところが、娘さんはそれに答えんで、 「恋しくは、たずねてごんせ 十八の国 夏吹く風...
吉野の山々は深く 熊も多くすんでいるという話はあります。 木々も多く 動物と人々が住んでいたことでしょう。 そんな吉野の昔話です。 猟師と子熊 むかし吉野の山奥にかりうどが住んでやてな。鉄砲うちが上手で、毎日山へ出て、鳥やけものをうちやってんと。ある日、大きな一匹も熊を打っ...
ガタロの恩返し 大塔村 ずっとずっと昔の話でな。 ある村に助ヤンという人がおってな。生あたたかーい風がふきよる晩、せっちん(便所)に入ってやったら、落しのしたからニュと、猿のようなけだものの手が出てきよってな。そいで、つめたーい手で、お尻をなでるように、しよたんで、助ヤンは...
奈良の民話から 南北中部 の三か所に分けてのお話です。 奈良県内大きな面積の南部吉野のお話を紹介しています。 粟しとっとん 大阪かどっかの大きな町の大店の話だんね。 ひとり娘できりょうよしに、ムコをもらおうとしやってんが、なかなか見定めがつかあひんので困ってやってんと。...
吉野は日本のパワースポット 外部資料 外部資料 4月桜が満開となって山全体が桜色に染まる吉野に出かけられる人々が多いと思います。 その吉野は桜を愛でるだけではなく、古代から人々は祈りを捧げ 修行し パワーの凝縮を感じる地です。吉野は大和朝廷発祥の地、飛鳥から南に拡がる山間部...
鬼追い式の 鬼の御馳走 花会式の結願では「鬼追い式」が行われる。夜の8時ごろに境内の灯りが消され、鐘や太鼓、法螺貝などの音とともに、松明を振り回して鬼が金堂の周りを大声で叫びながら暴れ回り、最後に毘沙門天が鉾を持って現れ、鬼どもを退散させる。 外部資料 鬼追い式に入る前に、...
伽羅香木 香は 香料は奈良時代に仏教と共にその儀礼の用具として伝来した。 以降平安時代には貴族社会で発展し、中世以降は南蛮渡来の希少な沈水香木として愛好されるようになった。藥師寺は香の伝統文化を護持してきた。 伽羅香木 高さ68㎝ 幅32㎝ 重さ7.5㎏ 香木はベトナム ...
吉野郡の南方に位置し、森林に囲まれた所です。豊かな自然にかこまれ 昔から修験道の地です 外部資料 鳳閣寺は修験道のお寺 役行者を引き継いだ 理源大師が開祖といわれています。 山野中腹にあり展望台からは 黒滝村が一望でき 吉野のお花見とまたちがった吉野がみえます。 ■住所 6...
聖徳太子考養像 薬師寺大宝蔵 聖徳太子十六歳の時、柄香炉を持って父用明天皇の病気平癒を祈ったといういわゆる考養太子御像で、両脇にやや小さい童子を従えている。こうした三尊形式は「唐本御影」以来、各時代にわたって描きつがれて来たが、この図は太子が宝冠を着けること、一童子が笠蓋...
大神神社の鎮花祭り 外部資料 外部資料 由緒の深い鎮花祭りは毎年4月18日午前10時から大神神社の本社でおごそかに執行され、つづいて午前11時から摂社狭井神社でも行われる。この祭りの起こり崇神天皇の御時に疫病が流行したので、御祭神大物主神の御告げによって、その神の子孫、大直...
大和郡山市のお城祭り 3月24日~4月7日 郡山城は近世郡山のシンボルであった。 外部資料 天正8年(1580)筒井順慶の大和統一が成り、雁行型になっていた中殿、薬園殿、辰巳殿の三つを併合して、郡山城が築かれた。筒井氏の後豊臣秀長が百万石の大守として入ってきてからは、大きな...
#薬師寺花会式 3月30日~4月5日 外部資料 外部資料 外部資料 3月30日から4月5日にかけて本尊薬師如来に国家の安泰と五穀豊穣・万民豊楽を祈る法要が行われる。古くは2月に行われていた行事で修二会と呼ばれていたが、堀河天皇の嘉永2年(1107)皇后が病気にかかられたので...
#興福寺の文殊会 外部資料 外部資料 外部資料 興福寺は藤原氏の氏寺として、藤原不比等(ふひと)が厩坂(うまやさか)にあった」厩坂寺を平城の地に移した寺である。藤原氏が隆昌におもむくにつれ、この寺も盛大になり、寺領も全国に及び、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶も三千の多数にのぼった...
#般若寺の文殊菩薩 外部資料 外部資料 奈良市般若寺町 般若寺も文殊菩像を寺として文殊会が行われている。 寺は飛鳥時代の創建さしく、聖武天皇の頃に般若寺千坊とよばれる大寺があったが、治承4年(1180)の平重衡(しげひら)に焼かれてのち荒廃し、文永5年(1268)西大寺叡尊...
#文殊院 桜井市安倍文殊院 3月25日 26日 外部資料 外部資料 外部資料 桜井市、安倍文殊院の文殊菩薩は、丹後の切戸・奥州の永井とともに日本三大文殊の一つとして全国に知られ、会社は陽春三月二十五、六両日にわたって行われる。 獅子背上に座し、右手に降魔(ごうま)の利剣を左...
#法隆寺会式 3月22日~24日 外部資料 た堂 外部資料 この会式は聖徳太子の霊おまつりご聖徳を追慕奉さんする法要で、寺では聖霊会と称し、一般には法隆寺会式と呼んでいる。 この会式の起源については詳かではないが「古記」によると夢殿を再建した行信僧都が聖武天皇の勅許を得て2...
#春日大社の御田植祭 3月15日 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 外部資料 この祭りは、五穀豊穣を祈願する祭典で、御田植祭と御田植神事からなっている。 「社記」によると「二条天皇の御代の長寛元年(1163)正月の申の日にはじめておこなわれた」とある。祭典の方法につい...
お勧めの本 明治維新の先駆けとなった 「天誅組」についてです。 時代の変わり目の若き志士たちです 「大河ドラマ」とか歴史ドラマになって全国に知られて欲しいと考えています。 今月のお休み予定 6日(月)7日(火) 13日(月)14日(火) 19日(日)20日(月)21日(火)...
#桜井市の八講祭 外部資料 外部資料 桜井市多武峯付近、談山神社を心のふる里とする生田(おいだ)浅古(あさご)下(しも)倉橋 下居(おりい)多武峯(八井内、百市、飯盛塚、鹿路、針道 多武峯、西口)横柿 今井谷の八か所では八講祭が行われている。昔は北音羽(きたおとわ)もふくま...
#東大寺 二月堂お水取 外部資料 松明を待つ人々 外部資料 松明を眺める人々 大松明とお水取り 3月1日から14日にわたり二月堂で行われている修二会のなかで一般に親しまれているのは12日の大松明とお水取りであろう。当日は全国から多くの人が来られる。 大松明 当日練行衆が初夜...
東大寺 二月堂 お水取り 外部資料 若狭井 松明の竹 修二会 3月1日からいよいよ本行がはじまる。1日は特に午前2時から食堂で行事の戒律を守るために授戒作法があり、その後、二月堂にあがって堂内を荘厳し、火打ち石で浄火をおこし、宝前の常灯に火を点ずる一徳火の作法がある。 本行...
東大寺 二月堂お水取り お水取の行法に参加する練行衆は十二月十六日、開山堂での法要の前に発表される。決定後はいかなる事があっても変更されないことになっている。練行衆にえらばれた僧は、二月二十日から戒壇院の庫裏を別火坊とし、ここに練行衆は入る。別火というのはここで使用する風呂...
東大寺 二月堂修二会 2月20日から28日 別火 3月1日から⒕日 本行 外部資料 外部資料法要 別火 この行法は東大寺の二月堂の本尊十一面観音に東大寺の僧侶(練行衆)がおのが犯した罪・けがれを懺悔して、国家の安泰と人々の豊楽を祈る法要で、東大寺の憎実...
松尾寺の厄除 外部資料 外部資料 松尾寺は、天平の昔、元正天皇の勅願により開創されtらこさつで、大和盆地一望に見おろす松尾山の中腹にある。元正天皇が「日本書紀」の編纂を舎人親王に命じられたとき、親王は四十二の大厄であったので、松尾山に籠り大業成就を祈願された。養老2年(71...
長谷寺のだだ押し 外部資 西国霊場長谷寺の追儺会を俗に「だだおし法要」といい、二月十四日(以前は旧正の十四日)の午前二時から勤修される。 まず悔過導師以下職衆が上堂し十一面観音悔過法要を行う。次いで大導師が御胎内仏および如意宝珠、・閻浮提金(えんぶだこん)の宝印などを納めた...
江包・大西のお綱祭り 雄綱と雌綱の入船の式、これを俗に「お綱の嫁入り」といわれている。 外部資料 外部資料お この綱掛け神事は江包と大西の二大村人によって二月十一日江包の素盞鳴神社の境内で厳かに執行される。日本古式の姿を今に伝える猟奇的な原紙神事である。大西の市杵島神社ぼ末...
#神社の砂掛け祭り 外部資料 廣瀬神社は崇神天皇のころの創建と伝え、祭神は和加宇加乃売命である。竜田神社は風の神とし、廣瀬神社は水の神として、尊信されて来た大和の古社である。鎮座の地河合町川合は大和川が合流する地点であり、本社はこの地方即ち廣瀬郷社であり、明治になってから官...
#大神神社のおんだ祭 2月6日 外部資料 もともとは正月卯の日に行われていたが明治になって旧正月6日となり、更に新暦の2月6日に改められた。同社の『神事勤行日記』(明治3年=1870)には正月9日惣番・今月卯之二値二付御田也」とあって御田(おんだ)の呼び名で伝ているが御田植...