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いつも最高inFukuoka https://blog.goo.ne.jp/sansei103

1940年生まれ。旧八幡市枝光生まれ。写真掲載して福岡市を紹介するサイト。併せて出身の北九州市も。生来の好奇心をフルに活用して、カメラをぶら下げブラブラ散歩を趣味。

サンセイ
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2017/02/21

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  • やっと開花 福岡

    福岡でもソメイヨシノが昨日27日に開花宣言されました。昨日27日は束の間の晴れ間で、暖かい太陽の陽射しでした。それでも、今年の開花は例年に比べて一週間ほど遅れましたね。近くの公園も僅かばかりの開花です。昨日は久しぶりに「大濠公園」「舞鶴公園」に行きました。週日ながら春休みと観光客で結構賑わっていましたね。来週初めころがソメイヨシノも満開でしょうか。やっと開花福岡

  • 桜開花もう少し

    福岡はこのところ雨や曇天の日が続きます。山桜はちらほらですが、ソメイヨシノの開花はまだです。その代わりに春の花が頑張っています。いつもはソメイヨシノに主役をとられていますが、近くの「リキュウバイ」や「ユキヤナギ」は白い花を咲かせています。大相撲春場所は新入幕でまだ大銀杏を結えない「尊富士」が優勝しました。110年ぶりの快挙といいますが、実際はこの時の相撲界の事情は異なるので「初の快挙」というべきでしょう。怪我をがまんしての千秋楽の勝利。感動しました。これからが大きな楽しみです。比べて、アメリカ大リーグの大谷選手専属の通訳の多額の賭博問題が公になり、大谷選手の偉業が汚されそうになっています。早く「ソメイヨシノ」が満開になって欲しいものです。桜開花もう少し

  • 旧高宮貝島家住宅高宮緑地 散策

    福岡市南区高宮の一角に「旧高宮貝島家住宅」があります。これは大正4年(1915年)に直方市に建設され、昭和2年(1927年)にここに移築された建築物です。貝島家は明治の初め筑豊炭田採掘から身を起こして財をなした「貝島太助」の一族「貝島嘉藏」の邸宅として建築されたそうです。平成17年(2005年)に福岡市に寄付され、平成29年(2017年)に福岡市登録文化財となり、保存建築物に登録、指定されたそうです。壁が少ない伝統的な木造建築物で、この敷地を「特別緑地保全地区」に指定したとのこと。今では有料のレストランや結婚式場としても活用され、福岡市としては迎賓館としての活用も期待しているとか。散策をしたこの日、ちょうど結婚式が行われていて、純白ドレスの花嫁さんをちらりと見ることができました。旧高宮貝島家住宅高宮緑地散策

  • 櫛田神社の大銀杏

    博多区上川端に鎮座する「櫛田神社」には樹齢1000年を越す大銀杏があります。博多では「ぎなん」と呼ばれ、3月12日には「ぎなん祭り」が行われました。幹の周りが16mもある御神木です。博多祇園山笠祭りで歌われる「博多祝い歌」には「さても見事な櫛田のぎなん」という歌詞もあります。またその根元には「蒙古軍の碇石」も飾られています。4月にはこの「ぎなん」は青々とした新芽に包まれるそうです。櫛田神社の大銀杏

  • 天神 春うらら

    三月も後半に入ってくると、暖かい春の気候になり間もなく桜の便りも聞かれることでしょう。世情、政界、自然界、スポーツ界、エンタメ界などなど色んなことで騒がしいことです。天神の街に出かけたら、那珂川にも観光船が動き始めました。春うららの季節です。天神春うらら

  • 高宮八幡宮に詣でる

    平和南緑地展望台から東に少し下りたところに「高宮八幡宮」があります。高い所に神社が鎮座していることから、この地は「高宮」といわれるようになったといわれています。社伝によると、創建は奈良時代に神功皇后が三韓出兵に際して、武運長久を祈られたとあります。北部九州ではやはり神功皇后の出兵に由来する神社が多いですね。折しもこの日は結婚式が行われていて、白無垢の花嫁さんも久しぶり。本殿には良家の御親族が神妙な表情で並んでおられました。お幸せに↓境内から、近くの「高宮カトリック教会」が高宮八幡宮に詣でる

  • 東日本大震災13年目

    今日はあの忌まわしい「東日本大震災」の13年目の日です。まだまだ多くの行方不明の方もおられると聞きます。13年前のこの日、私はスタッフや友人と房総のあるゴルフ場でゴルフをしていました。ひと風呂浴びていざ帰ろうとした時に大きな揺れがきました。今にも倒れそうなクラブハウス。池の水が波打ってこぼれています。どこで何が起きたのか。ラジオでは東京湾アクアラインも東京湾フェリーも閉鎖。さらに東京湾をめぐる高速道路も全て閉鎖とのこと。コンビニでカップラーメンとパン等三食分くらい購入し、一般道路で帰宅することにしました。市原付近からもう大渋滞。スタッフと運転を交代しながら、横浜の自宅にたどり着いたのは翌日の夕方でした。24時間かかりました。あの日の事は鮮明に脳裏に焼き付いています。そして、今年の元日に発生した「能登大地震...東日本大震災13年目

  • 平和南緑地展望台

    まだまだ春らしい暖かさにはなりません。少しばかり明るくなった今日、近くの「平和南緑地展望台」に散策。わが家の近くにありながら高台にあるためなかなかその気になりませんでしたが、健康維持のため歩いてきました。標高80mくらいの丘なのですが、83歳の高齢者にとっては息が切れる急坂です。でも登ってみて展望台にあがれば、福岡の市街地が眼下に広がる360度の眺望です。福岡市の平地のど真ん中にあるこの丘は、まさに臍のような趣。少しばかり汗もかきました。↓北方「博多の市街地」↓西方遠方に「背振山系」、近くは「油山の山並み」↓南方「大宰府」、「基山」方向。手前は「高宮浄水場」平和南緑地展望台

  • 天神 警固神社

    三月に入ってもなかなか太陽の陽を浴びる日が続きません。いつもどんより曇り日です。そんな中、昨日6日に所用で天神に行きました。天神という九州一の繁華街の中で、街の雰囲気にそぐわない(?)神社があります。「警固神社」です。社伝では神功皇后による三韓征伐の際に、船団を守り勝利に導いた警固大神を福岡城本丸周辺の地に祀ったのが始まりだそうです。その後慶長6年(1601年)にここ天神に移され、福岡城主黒田長政によって慶長13年(1608年)に現在の場所に社殿が造営されたといわれています。「警固」という名前も当時のお役所「警固所」に由来されたとか。でも、ここは今や天神の中心地となり若者が集まる「警固公園」となっています。東京渋谷のハチ公前のような場所です。神社の後ろには「三越」デパートもあり、どう見てもこのようなところ...天神警固神社

  • 福岡市青果市場(ベジフルスタジアム)

    先の宮地嶽神社へのバスハイクの途中に、「福岡市青果市場」に立ち寄りました。通称「ベジフルスタジアム」、正式には「福岡市中央卸売市場青果市場」です。7年前の平成28年に福岡市東区みなと香椎に開場されたそうで、一般見学ができるようになりました。当日は午前11時頃で、もうセリは終わっていましたが、巨大な市場には圧倒されました。福岡市青果市場(ベジフルスタジアム)

  • 春雨の宮地嶽神社

    「うるう年」の三月となりました。なかなか暖かくなりませんが、昨日近くの公民館企画ののイベント「バスハイク」に参加しました。行先は福津市にある「宮地嶽神社」。あいにく昨日は朝から冷雨で、傘を差しての参拝です。この神社は約1,700年前、仲哀天皇の后で応神天皇の母君である「神功皇后」を御祭神として創建されたそうです。この神社では「大しめ縄」と「光の道」が有名です。折しも境内には濃いいピンク色の早桜が目をひきました。一つは楼門前の「ロケット桜」。これは種子島ロケット発射台に続く道に植栽された桜の枝分け奉納桜だそうです。また内境内には樹齢200年の大木「夫婦桜」の銘木。もう桜は春です。春雨の宮地嶽神社

  • 一年ぶりの散策 野多目大池

    このところの雨が続く中、束の間の雨が止んだのを狙って、野多目大池まで散策しました。一年ぶりです。まだまだ寒いので野鳥の数は僅かでしたが、それでも「ハジロ」の仲間が群れを成していました。福岡市にはおよそ80の農業用ため池がありますが、ここ「野多目大池」が最大で、ヤフオクドームの1.4倍の大きさとか。もう少し暖かくなれば野鳥も多く集まるのでしょう。一年ぶりの散策野多目大池

  • 2月22日

    福岡地方は今日も雨。月曜日から4日間連続です。老人は蟄居状態。スタッフは「少々濡れても、溶けるわけがないのだから」と外出を勧めますが、頑なに拒否続けています。さて、今日は2月22日。2が重なる日で、色んな語呂合わせで「〇〇の日」と呼称しています。その一つが「猫の日」。「にゃん、にゃん、にゃん」の鳴き声での語呂合わせだそうです。近くのR池にも主のような態度の猫がいて周囲を巡回しています。私は実態のない語呂合わせにはあまり興味がありませんが、もっと大事な今日の記念日は「竹島の日」です。日露戦争中の明治38年(1905年)1月に時の政府は竹島を島根県に編入することを閣議決定し、同年2月22日に島根県が所管の告示を行いました。その100周年にあたる平成17年(2005年)に島根県議会は2月22日を「竹島の日」とし...2月22日

  • 天神 屋台で乾杯

    昨日は好天に恵まれました。鹿児島の種子島宇宙センターから「H3」2号機の打ち上げ成功のニュースが流れました。久しぶりに朗報です。これを祝して、私もスタッフ同道で天神の屋台で祝杯をあげました。屋台でのラーメンも久しぶりです。多くの若者たちが席を埋めていました。その中で80代の二人が祝杯をあげる光景もまた異様なのかな~天神屋台で乾杯

  • 亀の甲羅干し

    福岡地方はずいぶんと暖かくなってきました。少し歩いても、ほんわり汗ばんできます。昨日も近くのR池周辺を散策。この暖かさに亀たちがずらりと甲羅干しの最中でした。これも彼らなりにちゃんと理由があるようで、「紫外線不足になると、亀の甲羅や体には水質の関係上、藻類が生えてくるので、この藻類を生えずらくするために甲羅干しをする。カルシュウムの吸収を促進するためのビタミンD3を補っている」とのこと。動物たちも自分たちの健康管理には気を使っているようです。亀の甲羅干し

  • 暖かくなってきました

    やっと暖かくなってきました。でも北国や能登地方の事を想うと、本当に暖かくなるのはまだまだ遠い感じです。年があけて北九州に行く機会が増えました。昨日も小倉に行ってきました。ここも食堂街火災の余波が残っていて、まだまだ本当の春が訪れるには時間がかかりそうです。暖かくなってきました

  • 散策しながら

    このところ不順な天候が続き、またまた世情は能登の大地震、政治と金や宗教の問題等が渦巻いています。特に能登地震の被害の余波のニュースは、被災者のご苦労を思うと胸が痛みます。不肖、昨年の11月、12月と二度に亙る入院、手術を受け、やっと静かに越年し少しばかり快復してきました。もう83歳も半ばを越えて、夏には84歳となります。一昨年には車も手放し、ゴルフも辞めて行動範囲も狭まってきました。この歳で手術を受けると、命には係わる病でなくとも、知人、友人や有名人の訃報のニュースでの享年をみると、わが身を振り返ります。毎日、健康回復のために近所を散策していますが、自然の世界の無常さを感じる事が多くなりました。散策しながら

  • 小さな軍事遺跡

    関東地方は大雪に見舞われ、交通障害や生活障害が報道されています。太平洋に面していながら、大雪になるのですね。福岡地方は日本海沿岸ながら、毎冬はチラチラの粉雪程度です。さて、先日近所を散歩中に珍品を発見しました。道路脇に「陸軍」の名の縁石です。福岡南区の一部はかって旧陸軍の施設があったとは聞いていましたし、いくつかのこの種境界縁石が固まっているのは見ていました。でも、通常何気なく歩く一般道の縁石にこの名のものがあるのには驚きました。通常、旧軍隊の遺構は「戦争遺跡」と称していますが、ここで戦闘したことがないのですから、「戦争遺跡」というのはおかしいと思います。わが国防衛のために苦労して準備した遺構ですから、せめて「防衛遺跡」か「軍事遺跡」と呼称すべきでしょう。先人の苦労が偲ばれます。小さな軍事遺跡

  • 八幡饅頭に遭遇

    福岡地方は、梅雨空のようにこのところ雨が続きます。昨日3日は所用で小倉へ行きました。帰路、故郷の八幡中央町に寄りました。傘を差して、中央町の商店街へ。土曜日だというのに、歩いている人は疎ら。60年前を知る私には考えられない風景です。商店街の入り口に懐かしい「八幡饅頭」の店に遭遇。昔ながらの「鶴屋」というお菓子屋さんです。聞けば、10年前の平成26年に閉店しましたが、3年前に7年ぶりに経営者が交代して復活したとか。早速に少しばかりゲットしました。ここの商店街は八幡製鉄所と共に栄え、その鉄冷えとと共にシャッター商店街と化しました。この饅頭が復興の弾みになって欲しいものです。八幡饅頭に遭遇

  • あの災害から1ヶ月

    元旦に発生した「能登大地震」。1か月経ちました。遅々として進まぬ復興には、当事者の被災者の方々の苛立ちが毎日報道で知らされます。某新聞のコラムで「胸が痛む。どんな慰めも励ましも、言葉が上滑りする感が拭えない」とあります。正にその思いです。心が痛みます。福岡地方はこのところグズグズした天候が続いています。昨日、雨の中所用で天神に行きました。天神交差点には背丈60センチ程のお地蔵さんが立っていて、周囲にはいつもお花が飾ってあります。このお地蔵さんは、45年前にここの交差点で任務にあたっていた若きお巡りさんが暴走族のバイクにはねられ殉職されたことを契機として、このお巡りさんの慰霊のために建立されたことが分かりました。以来「天神地蔵」として、天神交差点の交通安全を見守っています。それがつい最近、何者かによって頭部...あの災害から1ヶ月

  • 少しづつ春の香りが

    近頃の福岡の天候は変わりやすく、昨日は近くのスーパーに買いものに行った帰りには豪雨に見舞われました。大傘を差したにも関わらず、下半身はずぶ濡れ状態でした。今日は朝から太陽が出て、すこし穏やかにはなりましたが。それでも少しづつ春めいて来たようで、梅花、桃花、水仙もチラチラと。少しづつ春の香りが

  • 初春の名残 住吉神社

    昨日、今日と福岡は寒いですよ。昨日は粉雪が舞いました。この1月は地震や事故や自然現象の異変が続き、なんとなく辰年の異様な動きが気になります。21日の日曜日に久方ぶりに「住吉神社」に詣でました。今年初です。石川能登地震の被害復旧が遅々として進みません。しかもこの寒さ、一日も早く復旧が進むことを祈るばかりです。初春の名残住吉神社

  • あかり絵の世界 初春版

    天神・中洲の「アクロス福岡」ビルのエントランスロビーで、時折公開されている「あかり絵の世界」。今、新春版が公開展示されています。暖かい雰囲気の子供人形の表情が心を和ませてくれます。あかり絵の世界初春版

  • 「いつも最高」ブログ本 16巻目完成

    このブログの製本版2023年版が完成しました。その名も「いつも最高inFUKUOKA3」。毎年1冊の発刊で、16巻目となりました。今回は313ページの厚さです。皆様からいただいたコメントも印刷されています。この歳になって、いつまで続くのか分かりませんが、とにかく「継続は力」、コツコツと貯めて参ります。「いつも最高」ブログ本16巻目完成

  • 長住町のどんど焼き

    「どんど焼き」とは、お正月に飾っていた松飾やしめ縄などを神社や地域の広場でなどでお焚き上げする地域の行事の事です。本来は1月15日の夜の行事のようですが、今ではそれに近い土曜・日曜日に行う地域が多いそうです。ここ福岡の長住町では小学校のグラウンドで行うのが常態です。これで、やっとお正月気分が吹っ飛んで新たな一年の始動になります。長住町のどんど焼き

  • 新春の小倉

    久方ぶりに初春の小倉を散策しました。新春の小倉

  • 無惨なり 鳥町食堂街

    昨日13日、北九州市でのある会合に参加するため、三ヶ月ぶりに小倉に行きました。陽射しは暖かそうでも、風が冷たい日でした。小倉駅近くの魚町商店街の一角の「鳥町食堂街」は正月3日に火災で焼失しました。今ではやっとこの商店街も通れるようになりました。でも、瓦礫はそのまま。この情景に多くの通行人も立ち止まり、あまりにも惨いこの情景に悲しい表情でした。この食堂街の変わり果てた姿に、しばし立ち止まりました。レトロなこの街の姿をこれ以上失わないで欲しいですね。無惨なり鳥町食堂街

  • 初売り

    散歩していたら、派手な初売りのウインドウに遭遇。某自動車ディーラーです。やはり、お正月は真っ赤な色合いが似合うのか。昨日は成人式で、北九州小倉の「ド派手衣装の成人式」が話題になっていました。ま、色んな意見があるのでしょうが、「何も成人式に?」と私はあまりこのような衣装は好みません。大人への転換の記念日ですからね。初売り

  • やっと静かな年初めに

    もう年が明けて一週間になりました。今年はいきなり大きな地震、大きな航空機火災等が続き、地元北九州では小倉の繁華街にある食堂街が大きな火災に見舞われえました。今年は「辰年」です。辰年は万物が振動し、活力旺盛になって大きく成長する年だと言われています。時には静かになって、しっかりと足下を踏みして欲しいものです。久しぶりに近くのR池を散策しました。主である「アオサギ」は今日も飛来してじっとこの池を守っている様子です。今日は久しぶりに「バン」も来ていました。やっと静かな年初めに

  • 正月三日目 小倉魚町食道街の火災

    元日は「石川能登大地震と輪島の大火災」、二日目は「羽田空港の旅客機火災」そして昨日三日目は「北九州小倉魚町の食道街火災」と、この三が日は経験したこのない災厄に見舞われています。本当に不気味です。小倉の火災はまだ細部の様子は不明ですが、ここは70年近い私の馴染みの場所です。昭和51年(1951年)にオープンした昭和レトロ感の残る街角です。特にここの中華料理店「耕治」のラーメンはその味ピカ一のもので、少なくとも月に一度は訪れています。来週13日に行く予定にしていました。火災の報せを聞いた昨日、飛び上がるほどの衝撃を受けました。一昨年、ここから300mほど南の「旦過市場の大火災」は二度に亙る災厄で、もうしばらくはこのような火災は起きないだろうと思っていましたのに残念です。一日も早い復旧を祈るばかりです。写真は3...正月三日目小倉魚町食道街の火災

  • 新年早々の「石川能登地震」

    今日は新年二日目。このブログでは、100回を迎えた「箱根駅伝競走」のことを書こうと思っていました。でも思いもかけず昨日元旦早々の「石川能登地震」が発生し、被災地域で犠牲になられた方、被害に遭われた方々へのお悔やみ、お見舞いを申し上げたいと思います。夕方、4時過ぎテレビも消して読書しておりました。途端に携帯電話にけたたましいあの地震速報が鳴り、テレビの電源が自動的に点き、NHKの女性アナウンサーの「津波の警告アナウンス」が流れ、驚きました。この女性アナウンサーの警告がこれはただ事ではないと思いました。繰り返しの警告はそれはそれは臨場感溢れ、何とか犠牲を最小限にしようという思いが伝わりました。正月元旦早々のこのアクシデント、自然界の怖さ。これはブログに残しておくべきと、無写真の掲載とした次第です。一日も早い収...新年早々の「石川能登地震」

  • 今年もよろしく

    新しい年令和6年2024年となりました。今年もどうぞよろしくご高覧のほどお願い申し上げます。今年もよろしく

  • 今年も残り二日

    今年も残り二日となりました。一年というのは早くもあり遅くもあり、やはりそれ相応の時が経つものです。近くの「野間大池公園」もやっと太陽の光を浴びながら、子供たちがワイワイと楽しそうに遊んでいます。そういう光景を見るとホッとするものです。冬の青空も一段とくっきりとして新しい年を待ちわびているようです。今年も残り二日

  • うすら寒い年末

    年末になって、テレビでは今年の地球上の気候が異常であることが放送されています。確かにあの極暑の夏は気味が悪いくらでしたね。そして12月ともなれば福岡も急に冷え込み積雪するほどに。私も11月下旬、12月中旬と何日か家を留守にしていましたが、帰宅してからはズッと寒くて暗い日が続いています。景色そのものが暗い。明日くらいから太陽が顔を出すという予報ですが、この暗さに加えて、地球上は自然界も含めて鼠色で、国内も暗い暗い政治のスキャンダルの話題が。大谷選手のアメリカ球界での活躍だけが少しばかり明かりをつけていますが・・・・。うすら寒い年末

  • 五日間のご無沙汰でした メリークリスマス

    五日間のご無沙汰でした。一昨日と昨日は福岡地方も極端に寒くなり、冷気が舞い凍えるようでした。それでも北国と比べたら贅沢な寒さでしょうが。粉雪が吹雪く中で帰宅しましたら、素敵なクリスマスカードが届いていました。千葉に住んでおられる先輩からのプレゼントです。懐かしいお台場からのレインボーブリッジ。まさに「メリークリスマス!」です。今年も残りわずか。少しは暖かくなって欲しいものです。五日間のご無沙汰でしたメリークリスマス

  • 今年もあと二週間

    今年も残りわずかに二週間となりました。ここ数年、新型コロナに振り回された一年でした。私ども老人は用心に用心を重ねて、何とかこの災厄から逃れましたが、活動的な子供達(と云っても皆成年ですが)や孫たちのほとんどがコロナに罹り、他人事ではありませんでした。やっとこれも落ち着いたかと思いきや、世情内外共に大きな事案が続けざまに起き、加えて「政治と金」のスキャンダルにも見舞われて大変な一年でした。それでも福岡の街ではクリスマスや越年の準備が進んでいます。いつもの言葉ですが「来年こそは・・・」という思いです。さて、私は故あって明日からこのブログを休みます。一週間のご無沙汰になります。折しもこのブログを書いている今、窓外に今年初の雪がチラチラと。福岡も寒くなりました。今年もあと二週間

  • 四年ぶりの福岡義士祭

    12月14日は、元禄15年(1702年)大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士が江戸の吉良上野介の屋敷に討ち入り、主君浅野内匠頭の遺恨をはらした日です。300年前の江戸での出来事です。この日を期して、福岡の禅寺「興宗寺」で供養が行われました。わが家から徒歩15分の所にあるお寺です。何故福岡でこのような祭典が行われるのでしょうか?少しばかり長くなりますが、この福岡義士会の説明を一部引用します。【(前略)昭和10年(1935年)ここ福岡市の篤志家木原善太郎が、青少年の健全育成と日本精神作興のため私財を投じ東京泉岳寺と同宗である興宗禅寺境内に赤穂四十七義士の墳墓を模して、配列から地形、玉垣まで泉岳寺のものと同形式の墓を建立されたもので、全国的に他に類のない貴重な史跡です。福岡義士会はこれを機に結成され、毎年十二月十四...四年ぶりの福岡義士祭

  • 北九州森鷗外記念会のホームページ

    明治の文豪「森鷗外」は明治32年(1899年)6月から明治35年(1902年)3月まで、約2年10ヵ月にわたり明治陸軍第12師団司令部軍医部長として、小倉で勤務しました。37歳から40歳にかけてのことです。小倉では軍医の仕事のみならず、多くの文化の種を蒔きました。そことを記念して、昭和57年(1982年)に「北九州森鷗外記念会」が発足し、以来多くのイベントを開催してきました。今では会員約150名、私もその末席を汚しています。この度、会の念願であるホームページが立ち上がりました。その名も「北九州森鷗外記念会(kitakyu-ougaikinenkai.com)」。このページ右欄中段に「ブックマーク」として、記載しています。どうぞ、小倉での森鷗外のことをこのホームページで観てください。下の写真は北九州市小倉北...北九州森鷗外記念会のホームページ

  • 天神ビッグバン開発の今

    天神ビッグバンの最新映像です。着々と開発は進んでいるようです。唯一残っている「天神愛眼ビル」を挟んで、その北側横に並ぶビルはおおよそ最上階までの建築は進んでいるようで、間もなく内装工事が始まるでしょう。市役所前のビルは地下工事が始まっています。渡辺通りを挟んで三越、西鉄ビルからはまだ市役所が見えますが、来春頃には「天神愛眼ビル」の南側に大きなビルが建って市役所ビルが見えなくなるかも知れません。天神ビッグバン開発の今

  • 師走の天神中央公園

    昨日、久しぶりに天神地区へ出かけました。この街全体がもうすっかり年末の様相です。私は今では「補聴器」を付けて間もなく二年になります。「アクロス福岡ビル」の中にある補聴器専門店で二か月に一度調整を受けています。昨日はこの補聴器調整に行ってきました。ビルの中や外の「天神中央公園」にはイルミネーションライトが取り付けられ、キッチンカーも準備されて夜になればこの灯でさぞかし綺麗でしょう。残念ながらこの歳ではもう夜に出かけるのはほぼありませんが、せめて日中の様相だけでも夜の灯の美しさを想像します。アクロスビルの杜も色づいています。師走の天神中央公園

  • 大池通りの銀杏並木

    今日は少しばかり暖かい一日でした。ぶらぶらと近所を散策。近くの東西に走る「大池通り」の銀杏並木が見事に色づいていました。この時期は色づく自然が心を癒しますね。大池通りの銀杏並木

  • 極月の街

    十二月の異名は一般的に「師走」といいますね。でも、その他いくつかの呼び名があって、その一つが「極月(ごくげつ)」というそうです。一年が極まる最後の月ということのようですが、やはり私共には「師走」のほうがなんとなく気忙しい一年の終わりの気分になりますね。街中はやはり12月ともなれば、しめ飾りやお餅が店頭に並びます。いよいよ「極月」、昨日は夜中から防災の「津波注意報」が鳴り続けました。ウクライナもゴザも一向に静かになりません。静かに極まって欲しいものです。極月の街

  • 師走になりました

    今年も最後の月、師走を迎えました。このところ、福岡地方は曇り空が続き寒々とした日が続きました。でも、今日は青空、太陽もいっぱいで少しばかり暖かく感じます。久しぶりにR池周辺を散策しました。一時、どこかに行っていた水鳥たちも少しづつ戻ってきているようです。師走になりました

  • 十日間のご無沙汰でした

    一昔前にあるテレビの歌謡番組で「一週間のご無沙汰でした」と軽妙な口調での名司会者がいました。故あって私はこのブログを休んでおりました。「十日間のご無沙汰でした」。この間、世の中は「北朝鮮が軍事偵察衛星を打ち上げ」、「ガザ地区では一部の人質解放と一時停戦」、さらに大相撲九州場所では近くに宿舎を陣取っていた「陸奥部屋の大関霧島が二度目の優勝」というビッグニュースもありました。この十日間ですっかり冬支度の気温となり、周辺の木々が色濃く染まってきました。もう師走。今年もあとわずかです。色んなことがありました。穏やかな年末になることを期待します。十日間のご無沙汰でした

  • 南阿蘇鉄道 トロッコ列車に乗る

    昼食は「高森田楽の里」で、囲炉裏を囲んだ「田楽定食」をいただいて、午後のメインは「トロッコ列車」です。高森駅から立野駅までの17.7km、およそ40分の鉄道旅。昭和61年(1986年)に開業した観光列車ですが、7年前の熊本地震で大きな被害を受け運休していました。でも、今年の7月に全線復旧して運転再開されました。列車はJRの貨物列車を改造したもので、お世辞にも乗り心地は良くありません。でもでも、ユニークな車掌のガイドと途中8カ所の駅での駅員の心の籠った歓迎、カルデラを走る車窓からの眺めに感動しました。夕方5時にはわが町に到着、この日は午後からの雨の予報も吹き飛んで快適な秋のバス旅でした。南阿蘇鉄道トロッコ列車に乗る

  • 秋の阿蘇山 草千里に遊ぶ

    やっと風邪が抜けて、元の生活に戻ることができました。秋も段々と深まっていきます。昨日16日、恒例の町の自治会主催「秋のバス旅行・阿蘇へ」に参加しました。わが町から高速・九州道を利用して2時間半で「草千里」に到着です。こんなに近いとは意外。およそ20年ぶりです。ここでは、7年前の平成28年(2016年)4月に「熊本地震」が発生し、273人の死者、3000人近い負傷者が出た大きな災害が起きました。以来、私共も足が遠ざかっていたこともあります。でも、今ではすっかり復興も進み昔ながらの「草千里」の風景でした。相変わらず「中岳」は白い噴煙を上げていましたが、アメリカのグランドキャニオンを連想させるこの広大な景色は圧巻です。秋の阿蘇山草千里に遊ぶ

  • R池整備 まずは一段落

    近くの散策R池の最初の整備も一段落したようです。蒲の穂は根元すっかり除去されました。これから次の段階に進むのでしょうが、この池の主さん「アオサギ」も確認のために飛んできました。また春に向けて多くの水鳥たちが訪れてくるのが楽しみです。R池整備まずは一段落

  • もうクリスマス?

    このところ福岡地方も晩秋、初冬の寒さになってきました。北海道ではもう雪が降ったとか。私もまだ完全じゃありませんが、風邪も収まり始めました。昨日、所用で「大橋」へ行ってきました。西鉄大橋駅前にはもう「クリスマスツリー」が飾られていました。クリスマスはまだひと月半後なのに、このような飾りを見るとなんだか気忙しくなります。先に紹介した大橋駅前の大楠の木の前にこのツリー。大きな孔雀が羽を広げたようです。もうクリスマス?

  • やっと落ち着きました

    先週の初めごろから風邪の症状で活動が鈍っておりました。風邪一つでも高齢の身には負担が大きく、薬の副作用も重なって動きが鈍くなっておりました。昨日は久しぶりに近所をぶらぶら。すっかりの秋の色を濃くした木々の葉っぱに「ああ、今年も秋がきたな~」と妙に感傷的になります。かつて、70歳を過ぎてから川崎市の某小学校で数年間「非常勤講師(国語担当)」をしていました。この時に、アメリカのレオ・ブスカーリアという教育学者が書いた「葉っぱのフレディ」という絵本に出会いました。「命」について書かれた名作です。この短い物語に思わず涙がこぼれたことを思いだします。今日は福岡地方、朝から雨です。やっと落ち着きました

  • やっと風も飛んでった

    このところ少し天候が不順で、昨日、一昨日と強風でした。ベランダに置いていた植木鉢が飛ばされていました。先週から咳が酷くて、いよいよコロナかと心配したのですが、お医者さんの処方よろしくやっと咳が抜けました。まだ少しばかり後遺症は残っていますが、日中暖かい時に近所を散歩できます。ということで、今回は写真がありません。悪しからず・・・季節の変わり目、どうぞ皆様もお気をつけてください。やっと風も飛んでった

  • 不覚にも

    秋の三連休、今年最後の連休ですね。今日ある会合に参加するため、小倉に往く予定でした。帰路、八幡での「起業祭」を取材する予定でしたが、不覚にも風邪をひいてしまいました。一昨日あたりからひどい咳と鼻水に悩まされ、今日の小倉往きはキャンセル。かかりつけの医院に飛び込みました。新型コロナかと心配しましたが、熱もないことから「単なる風邪」との診断。このところの暑さのぶり返しで、寒暖の差が激しいのが原因とか。ヤレヤレです。午後、家の周りを散歩して秋の穏やかな風にあたりました。まさに不覚にも・・・です。不覚にも

  • 秋だヨ 大相撲九州場所だよ!

    11月となりました。二月綴りのカレンダーではもう今年の最後のページです。そして、大相撲九州場所は今月12日(日)から福岡国際センターで始まります。すぐ近くの長丘の街には今年も「陸奥部屋」がやってきました。近くのスーパーには力士達が食材を沢山求める姿に出会います。この部屋の大関「霧島」にとって初の福岡。昨年は関脇「霧馬山」でした。いよいよ横綱に向けての場所となりそうです。街の街路樹も色づき始めました。秋だヨ大相撲九州場所だよ!

  • 爽やか 秋のお祭り

    爽やかで穏やかな日々が続いています。でも、新型コロナの代わりにインフルエンザが強烈に流行っています。私どもも19日に予防注射を受けました。近頃はバスの中でもマスクをしていない人が増えました。まだまだ。マスクは必要ですね。さて、昨日は町の小さな秋祭りがありました。世情「ハロウィン」で騒々しいようですが、ここの小さな町の秋祭りは住民の創意工夫で、老若男女皆楽しそうです。地球上はロシアのウクライナ侵攻やイスラエル・ガザ地区での争いにお祭りどころではないでしょうね。でも、この小さな町は争いもなく、このまま永く平和が続いて欲しいものと思います。爽やか秋のお祭り

  • 福岡貨物ターミナル駅

    前回のこのブログでは、北九州から福岡への高速バスに乗って、帰路博多の市街地に入る直前に都市高速道路から見えた「筥崎宮お潮井浜」を紹介しました。今回は同じくこの高速道路から見えた「福岡貨物ターミナル」を紹介します。この巨大な貨物ターミナルには驚かされます。Wikipediaによると、この駅は昭和62年(1987年)国鉄分割民営化により「JR貨物の駅」となり、鹿児島本線貨物支線の終着駅となったとか。コンテナホームは3面あり、着発線は8本。その巨大さには圧倒されます。福岡市東区箱崎ふ頭にあります。福岡貨物ターミナル駅

  • 筥崎宮 お潮井浜

    福岡は好天が続いています。連日秋晴れの日々です。23日の月曜日に所用で北九州の八幡に行きました。この日は往復ともに高速バス利用です。天神から八幡まで片道所要時間はおおむね1時間半。ゆっくりとリクライニングシートの高速バスは快適です。帰路、博多の市街地に入る直前に都市高速道路の左側に「筥崎宮」の「お潮井浜」が広がります。この浜から約800m奥に森に囲まれた筥崎宮があります。毎年、春と秋に「お潮井取り」という行事があって、この海岸の真砂を少しばかり採取して自宅へ持ち帰り、厄除開運をお祈りするそうです。夏の博多祇園山笠でもこの行事が行なわれます。筥崎宮お潮井浜

  • えっ ここは福岡?

    秋もだいぶ深まってきました。朝夜は寒いくらいの気温です。でも福岡地方は好天が続いています。日曜日に一部バスを使いながら近郊を散策しました。歩いてみると身近に素敵な光景を見つけるものです。花畑、屋形原と云う南区でも静かな住宅地で池を挟む思わぬ風景。あたかもヨーロッパを思わせる雰囲気です。奥には「背振山系」が。あの奥は佐賀県です。福岡市の南部は調整池が多く、ここも「新池」という池に水鳥が集まっています。近くにはキリスト教会もあり、静ずかな住宅地です。えっここは福岡?

  • 進むR池の整備

    毎日の散歩コースの一つ「R池」の大工事は着々と進んでいます。池の半分を覆っていた蒲の穂は根こそぎ伐採しています。これらは大型のバキュームカーで吸い取っています。11月中旬までの工事で、新しく生まれ変わる池が楽しみです。沢山いた亀たちはそれぞれ処分されているようですが、必死に逃れようとする亀さんもまた大変な工事に遭遇したのでしょう。進むR池の整備

  • 西鉄「大橋駅」前の楠木

    福岡市南区の西鉄「大橋駅」西口前に一本の大きな楠木がドンと立っています。幹回り3.3m、高さ16mもある大きな木です。もともとこの近くの「地録神社」の御神木だったそうで、昭和59年(1984年)の土地区画整理で、この場所に移植されたとか。形も良いこの楠木は、もう40年近く駅前のシンボルとなり市民に親しまれているようです。西鉄「大橋駅」前の楠木

  • 太宰府天満宮の今

    九州国立博物館での「古代メキシコ展」を観た帰りに、「太宰府天満宮」にお参りしました。週日ながら参拝客は多かったですね。高校生の修学旅行も。久しぶりの天満宮でしたが、正面からの拝殿はすっかり変わっていました。天満宮のホームページによると『令和9年(2027年)に、道真公が薨去されてから1125年という大きな節目を迎えます。この節目となる式年大祭を前に、令和5年5月より約3年をかけ、124年ぶりに重要文化財「御本殿」の大改修を行います。約3年間を要する大改修にあたり、改修期間は御本殿前に「仮殿」を建設し、ご参拝の皆様をお迎えします』とあります。仮殿のデザイン・設計はプロのデザインプロデューサーとのこと。自然豊かな趣のある仮殿です。3年後の改修された御本殿をお参りすることができるのか、それまでは先ずは健康に留意...太宰府天満宮の今

  • 「古代メキシコ展」を観る その2

    九州国立博物館で開催されている「古代メキシコ展」の展示品の続きです。メキシコの紀元前1200年から紀元後1600年まで続いたメキシコの古代文明。そこから出土した品々はどれも美しい作品です。代表的出土品を数点掲載します。「古代メキシコ展」を観るその2

  • 「古代メキシコ展」を観る

    昨12日、秋晴れに誘われて「九州国立博物館」で開催されている「特別展:古代メキシコ展」を観てきました。この博物館は大宰府天満宮のすぐ近くにあります。今回の展示は「マヤ文明」「アステカ文明」「テオティワカン文明」の代表的な出土品約140件が公開されています。ほぼすべてが撮影可能でした。先ず「マヤ文明の代表的出土品」。紀元前1200年から紀元後1600年まで続いたこの文明。いずれも精密かつ壮大な物に感動しました。「古代メキシコ展」を観る

  • 秋ですね~

    今日は福岡地方は秋晴れです。さわやかな空気が漂い、あの猛暑が嘘のよう。およそ60年前の「東京オリンピック」の10月10日の開会式では、前日までの大雨が嘘のように快晴の秋晴れとなったとことは、今でも語り草ですね。やはりこの空気は何物にも代え難い幸せ感を感じます。しかし、また中東ではガザ地区での「ハマス」の暴挙で気持ちがすっかり萎えてきます。ロシアのウクライナ侵攻といい、今回の攻撃といい、今でもあちこちで戦闘が行われていることにはどうしようもない憤りを感じます。「平和」とは?考えこんでしまいます。秋ですね~

  • 再び 天神ビッグバン

    すっかり涼しくなってきました。早朝は「冷える」といった感じです。風邪やインフルエンザが新型コロナと同じような流行の兆しが見えます。さて、九州最大の繁華街の天神の街並みの日々の変貌は驚くばかりです。テレビの報道スペシャル番組で紹介される頻度が多くなりました。天神の街に出るたびにその変貌ぶりを何とか記録しておきたいと思い、シャッターを切ります。今回は市役所のある東側からの工事中の写真です。天神北に向かったすぐ傍の工事も進捗しています。下の写真は大丸側の様子です。活気あふれる街の様子には、また古きものを懐かしむ声も聴きます。新しくなればそれなりに古きものの反動が。そうやって街は発展してゆくのでしょうね。再び天神ビッグバン

  • 博多も外国人観光客

    10月に入るとさすがに朝晩涼しくなって過ごしやすくなってきました。2日には秋の「コロナワクチン接種7回目」を受けました。インフルエンザも流行の兆しと云われています。用心!用心です。昨日、久しぶりに「川端商店街」から「櫛田神社」へ散策しました。櫛田神社には多くの外国人観光客が訪れていました。大型クルーズ船が博多港に寄港しているようです。参道の「ふるさと館」も合わせて日本的な雰囲気で外国人には人気スポットだとか。楽しんでもらいたいものです。博多も外国人観光客

  • 秋の彩

    朝晩はだいぶ涼しくなってきました。もう10月ですからね。中秋の名月も見事でした。昨日、小倉に住む姪っ子から「栗」が送られてきました。庭で採れたものですが、大きくて色艶も見事です。猛暑のせいでしょうか?早速に「蒸し栗」です。春はやはり庭で採れた「タケノコ」、秋は「栗」。季節の彩りを添える毎年定番のプレゼントです。いずれも私どもの好物で、季節の移ろいを感じます。秋の彩

  • R池 大掃除改造

    まだまだ暑い日が続きます。それでも何とか運動を兼ねて近くを散策しています。昨日はいつもこのブログで話題にしているR池を散策しましたら、大掛かりな池の掃除に出会いました。大人数の作業員が腰まで池に漬かりながらの作業です。聞けば、この池の半分を覆っている「蒲の穂」を伐採して、ここに「蓮」を移植するとのこと。福岡市の「一人一花運動」の一環のようです。また、この池に亀が異常繁殖していて近隣の住民から駆除相談が多いとのこと。確かに外来種の亀が多く見られます。この暑さの中、十数人の作業員が「蒲の穂」を刈ってトラックに積み込んでいました。ご苦労様です。早く「蓮」がこの池のシンボルになることを期待しています。R池大掃除改造

  • アオサギ再来

    今度はアオサギがやってきました。久しぶりの再会です。水鳥たちもきっと暑かったのでしょうね。まだアオコ、ミドリムシが氾濫する水藻にもめげずに、小魚を探しに。こうやって段々と自然界も秋が深まっていきます。アオサギ再来

  • また今年も彼岸花

    「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、やっと朝晩は少しだけ凌ぎやすくなりました。そして、この時期になったら必ず咲く「彼岸花」。「曼殊沙華」とも言いますね。俳句では秋の季語だそうです。近くでも、赤い花、白い花が見れるようになりました。でも、有毒植物としても知られていて、あまり身近では咲いていません。今年もこの彼岸花で季節の移ろいを感じることができます。また今年も彼岸花

  • 水鳥に再会

    少しだけ暑さが和らいだ感じがします。久しぶりにR池を散策しました。この暑さであまり池には来なかったのですが、今日は近くのカメラ愛好家のT氏にもここでお会い出来ました。お互いこの暑さで日中への撮影には遠ざかっていました。たまさか「カワウ」も来ていて、ゆっくりとこの「ウ」の動きを観察することができました。水鳥たちもこの暑さには閉口しているようで、池面は静かでしたね。またシャッターチャンスをめがけて池探索が始まります。水鳥に再会

  • 小倉駅の60の数字

    昨日16日に所用で小倉に行きました。新幹線でJR小倉駅に。連休初日とあって博多駅の新幹線切符売り場は大混雑でした。JR小倉駅のコンコースではやたらと「60」の数字が目につきます。今年は「北九州市制60周年」の節目の年です。昭和38年(1963年)に当時関門海峡、洞海湾に面する福岡県側の五つの市(門司、小倉、戸畑、八幡、若松)が合併して、新しい「北九州市」が誕生しました。当時は人口100万を超える九州最大の都市となり、九州初の政令指定都市になりました。それから60年。当時の工業地帯から徐々に大手産業が撤退し、人口も減少傾向で、今年の8月には91万7千人となりました。なんとかこの人口減少を食い止めようと市の行政もあれこれ施策を講じていますが・・・。八幡で生まれ育った私としても複雑な気持ちです。この節目の年、北...小倉駅の60の数字

  • R池が緑に染まる

    今朝がたは凄い雷鳴が何度も響いて、思わず飛び起きました。もう夏が終わるというのに天地ともに異常な状態が続きます。それでもわが家のスタッフは、おろおろする私を尻目に「そうだったの?」とどこ吹く風。正に大物の風情です。今朝近くのR池を散歩しましたら、異常と思える水の色。緑色に変色しています。ネットで見ると「アオコ」か「ミドリムシ」の発生とか。このての知識に疎い私にはよく分かりませんが、なんとなく気味が悪い現象です。R池が緑に染まる

  • 少しだけ秋の気配

    9月に入っても、猛暑は続き、台風がやってきて未曽有の水害に見舞われています。それでも、朝晩は少しだけ冷風も感じるようにはなりました。世情、凄惨で悍ましい事件や汚らわしい被害もまた多く目立ってきています。特にマスメディアが自己の利害のために「知ってて知らぬふり」をして、外国のメディアの報道で世に露わになった大きな事件も出てきました。恥ずべきは、これら日本のマスコミの姿勢です。そのために多くの被害者を生むことになりました。しっかり反省して欲しいものです。それでも自然界はゆっくりながら季節の移ろいを進めています。ススキやケイトウの花が目立ってきました。本格的秋が望まれます。少しだけ秋の気配

  • 福岡市赤煉瓦文化館

    天神の東側に流れる那珂川畔「西中島橋」のたもとに、明治風の赤煉瓦の建物があります。「福岡市赤煉瓦文化館」です。1904年(明治37年)に「第十七国立銀行」の本店として建設されたもので、もう120年になります。設計は東京駅舎の設計で有名な辰野金吾・片岡安の「辰野片岡設計事務所」。東京駅の赤煉瓦を思わせる建物です。戦後は「日本生命福岡支社」の社屋として利用されていましたが、1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定され、これを機に福岡市が買い取り「福岡市赤煉瓦文化館」として公開されています。近くでみると大きく見えますが、実際は近隣のビルに囲まれて赤煉瓦が強調される可愛い建物です。後景のガラス張りのビルは「アクロス福岡」。隣の小さな森は「水鏡天満宮」。その鳥居がすぐそばです。福岡市赤煉瓦文化館

  • ラーメン屋に並ぶ若者たち

    「親不幸通り」から路地に入ると、大きなお寺「安国寺」の山門前の歩道に長蛇の列ができていました。凡そ70~80mくらい。何事かと近づいてみると、どうやらラーメン屋の前に並んでいる様子です。それも若者ばかり。道路を挟んで店の前でお客の整理をしている店員に聞くと、博多でも有名なラーメン屋とのこと。「外国特に韓国の人が多いんですよ」と云います。そこで、列の先頭にいる若者に下手な英語で「韓国からですか?」と聞いたらにっこり笑って「WeareJapanese」。私は思わず「こりゃまた失礼!」と。先頭の集団は日本人の若者でした。皆で大笑いです。青い看板の「博多ラーメンShinShin」は長浜の屋台からの店で、とにかく美味しくて有名らしい。この炎天下で20~30分くらい並ぶそうで、到底私には真似できそうもありません。私は...ラーメン屋に並ぶ若者たち

  • 天神 「親不孝通り」

    福岡市の天神と長浜の中間に「親不孝通り」というやや首を捻りたくなるような名前の通りがあります。昭和50年(1975年)頃に、地元の二つの大手予備校がここにあって、浪人生が多く集まっていてこの名称がついたそうです。しかし、逆に風致が乱れる傾向になり警察署から福岡市に名称変更の要請があって、一時「天神よろず町通り」としたものの、地元民には不評で「オヤフコウ」の発音を残した「親富孝通り」へと改称したそうです。それでも、地元住民には定着せず再び意見交換をして、7割以上の賛同を得て2017年に再び「親不孝通り」に改名されたそうです。(参照;ウイキペディア)今後、治安は維持され、福岡市も一つの史跡としてこの街の美化に務めるそうです。天神「親不孝通り」

  • スーパームーンを撮る

    9月になりました。8月は過ぎたものの、この暑さは少しは和らぐのでしょうか。そして、今日は防災の日。猛暑、豪雨、コロナもういい加減にして欲しいものです。8月30日夜から昨日31日の夜にかけて、「スーパームーン」が現れました。満月と地球への最接近が重なり、地球からみるとお月様が最大になる現象です。夜、近寄る蚊を追い払いながら、ベランダにカメラを据え付けました。一時雲がかかり諦めかけましたが、現れました。やっとかなえたこの時。300㎜の望遠レンズでもこれだけ精細に捉えることができました。実際に自分のカメラで撮ってみると、変わらぬ月面の肌が身近に愛おしく見えるものです。いくつかのクレーターもはっきりと確認できます。次は6年後だとか。その時私は?スーパームーンを撮る

  • 唐人町

    福岡市の都心部「天神」から西2.5㎞の所に「唐人町」とう名の街があります。地下鉄で天神から6分。町の名前から唐人が住んでいたのではと思いましたが、その痕跡はなくかつての遣唐使の船泊りであったろうと言われています。終戦後に「唐人町商店街」ができて賑わったと言われています。今では都心に近い住宅街として賑わい、また「ヤクルト」事業創業の地としても知られています。でも、近くの小中学校の名前はなぜか「当仁(とうにん)」。商店街のすぐ近くの小学校は壁に大きな字で「福岡市立当仁(とうにん)小学校」とふりがな付きの校名が記されています。唐人町

  • 久しぶりの 大濠公園

    もう8月も終わりの頃なのに、涼風は吹きません。相変わらずの猛暑の最中です。それでも、先週久しぶりに「大濠公園」を散策しました。わが家からバスで20分ほどの近くながら、なかなか足が向きません。コロナ禍と猛暑のせいですが、福岡の中心にあって、これほどの大きな池はやはり大都会の一服の清涼剤的存在です。とはいうもののこの暑さでは、人影もまばら。池の傍には立派な「大濠公園能楽堂」があります。市内にはこの他にも「住吉能楽堂」「森本能舞台」「白金能楽堂」もあって、城下町の風情が漂う街です。久しぶりの大濠公園

  • NHK福岡放送局を見学

    大濠公園のすぐ傍にある「NHK福岡放送局」を見学しました。誰でも自由に入ることができます。おなじみのマスコットキャラクターやチコチャンが出迎えてくれます。スタジオの一部もガラス越しに見学できます。福岡放送局は昭和5年(1930年)に熊本放送局の支局として発足したそうですが、今や九州・沖縄を統括するキー局となっています。NHK福岡放送局を見学

  • 福岡 護国神社に詣でる

    17日に中央区六本松に鎮座する「福岡県護国神社」に詣でました。明治元年、福岡藩主黒田長知公や県内の旧藩主等が明治維新で国難に殉じた人々を顕彰するために、招魂社を設立したのが始まりといわれています。この日は前日まで終戦記念日の「みたま祭り」が行われていて、提灯がまだ飾られていました。境内の入り口にある大鳥居は高さ13m、柱の直径60㎝のヒノキ製でわが国屈指の大きさを誇っています。境内には英霊のお名前が書かれた約6,000個の提灯が飾られていました。福岡の平和の守り神として心からお参りしてきました。福岡護国神社に詣でる

  • 「福岡市科学館」探訪

    14日に「福岡市科学館」に行ってきました。地下鉄「六本松駅」の出口から館に直結しています。子どもから大人まで科学を楽しむことができる科学館として、6年前の2017年にオープンしたとか。3階から6階までに色んな施設があります。6階にはプラネタリュームもあります。今は夏休みとあって親子連れが一杯。九州大学出身の宇宙飛行士「若田光一」さんが名誉館長ということもあり、宇宙飛行士関連の展示もあります。プラネタリュームには一度ゆっくり観覧したいものです。「福岡市科学館」探訪

  • 福岡 六本松界隈

    台風7号も日本海へ抜けたようで、やっと雨風から逃れたようです。でも、猛暑は続いています。高齢者は特に用心が必要です。と云いながら、14日に六本松に行ってきました。市の中央区にあって、かっては江戸時代に福岡城の城下町に近いことを示す6本の松があったことでこの町名になったとか。四年前までは九州大学六本松キャンパスの学生街でしたが、大学が伊都に移転してからは、新たな顔を見せる街に変貌しました。地下鉄「六本松駅」を出ると、「福岡市科学館」や「福岡高等裁判所」「検察庁」の法曹街ともなって、閑静で趣のある街に変貌したようです。福岡に越してきて初めてです。高等裁判所のビルの強大さに圧倒されました。福岡六本松界隈

  • 八月や 六日 九日 十五日

    猛暑が続きます。また本州に向かって台風7号も近づいています。八月というのはわが国が抱える試練の月かもしれません。「八月や六日九日十五日(はちがつやむいかここのかじゅうごにち」という句があります。一応「詠み人知らず」になっていますが、現代の日本人が抱えるある種の原罪的意味合いを含んでいるのでしょう。またこれに加え、12日は38年前に「日航123便墜落事故」で一挙に520人の乗客が犠牲になった日でもあります。そして、今日からお盆。とにもかくにも、八月は鎮魂の月であります。近くの散歩道には「ワスレグサ」が鮮やかに咲いています。「哀しみを忘れる」という花言葉のようです。八月や六日九日十五日

  • 台風一過 猛暑戻る

    九州縦断の台風6号はやっと韓半島に抜け、福岡は青空になり、再び猛暑となりました。正に試練の夏ですね。今度は台風7号が本島に近づいています。用心用心のお盆になりそうです。昨日夕方、久しぶりに近くのR池を散策しましたら、住人のアオサギ君に出会いました。彼らも暑そうです。台風一過猛暑戻る

  • 台風6号接近

    猛暑、大雨に続いて今度は台風が接近しています。台風6号は極めて珍しい動きをしています。沖縄の東まで登ってきたら急遽東に進路を変え、またまた急に北へ。九州を南から北へ縦断です。しかも速度が遅く、今日から二、三日は蟄居状態です。ベランダの植木は全て屋内へ風呂場で待機です。なので、今日は写真無しのページです。台風6号接近

  • 小倉駅周辺の今

    猛暑が続きます。8月という月は、私どもが横浜から九州越してちょうど7年。一時滞在した小倉から福岡市に転居して2年となり、3年目の福岡となります。昨日、所用でまた小倉に行ってきました。北九州市は今年が市制60周年ということで色んなイベントがあるようです。JR小倉駅から海岸方向を眺めると小倉港の向こうに見える新日本製鉄住金の高炉の姿にはかっての工業地帯の面影が残っていて高齢の私にとっては懐かしい光景です。それにしても暑いですね。小倉駅周辺の今

  • 天神ビッグバン 最新画像

    連日のこの猛暑は地球を煮えたぎらせていますね。朝から防災警報で「外出するな」「運動するな」が鳴り響いています。でも、用事があるのだから外出せざるをえません。昨日もそんな中、天神へでかけました。それでも「天神ビッグバン」の開発、建築は進んでいます。作業員の暑さ対策はどうなっているのでしょう。既に新しビルは開業しているのもありますが、市役所周辺のビルはどんどんと高さを増しています。二枚目中央の白いビル(福岡市役所)の前の工事も進んできました。間もなく市役所ビルも見えなくなることでしょう。昨日8月3日の天神の映像です。天神ビッグバン最新画像

  • なんだこりゃ!! この暑さ

    8月に入りました。7月は線状降水帯と猛暑。8月はこの猛暑と台風にようです。この二、三日スタッフ共々体調異変で、気分が優れません。特に就寝中の暑さは堪えます。日中も夕方になると突然豪雨が襲います。その雨も尋常じゃない。一昨日も昨日もそうでした。近くのR池にはまだ水鳥は戻ってきません。なんだこりゃ!!この暑さ

  • 今年も長住まつり

    連日の猛暑には閉口します。北海道も一層の暑さと聞きます。日本全国うだる日々です。ここの街では昨日「長住まつり」が行われました。47回目だそうです。私どももこの街に移住して間もなく丸二年。昨年もこの祭りがありました。メイン通りを1kmにわたり封鎖してのパレードもありました。この界隈にこんなに多くの人達が住んでいるのかも驚きます。出店も沢山出て、子ども達にとっては思い出に残るお祭りになるでしょう。今年も長住まつり

  • 暑気払い Special Floor concert

    連日のこの猛暑はどうしたことでしょう。ニュースではほぼ全国的なこの異常熱気。高齢者はもう日中に外出は危険ですが、かといって所用があれば外出せざるをえません。でも、バスの車中、屋内は冷房効果で心地よさもあります。先日、天神の「アクロス福岡ビル」に立ち寄ったところ、ロビーには「スペシャルフロアコンサート」の舞台がありました。コンサートイベントはもう終了していましたが、代わりに演奏スタイルのあかり絵の可愛い人形達が演奏(?)していました。暑気払いSpecialFloorconcert

  • 津和野「鷺舞」を観る

    熱中症続出の暑さです。梅雨も明けたようで当分はこの暑さが続きそうです。先日、森鷗外が生まれ育った島根県津和野町に旅しましたが、この日はこの街伝統の「鷺舞」という行事が行われました。「津和野の鷺舞」は480年前の天文11年(1542年)に京都から移入されたの始まりと言われています。神事として奉納される優雅なこの踊りは、毎年7月20日と27日にこの地の「弥栄神社」大祭で披露されるそうです。平成6年(1994年)に国の重要無形民俗文化財に指定され、「ユネスコ文化遺産」にも指定されています。貴重なこの舞を直接見ることができました。でも、暑かったですね。津和野「鷺舞」を観る

  • 津和野 森鷗外の墓に詣でる

    津和野の森鷗外記念館、生家を見学した後に「森鷗外の墓」に行きました。墓地は「永明寺(ようめいじ)」という曹洞宗の寺内にあります。1420年に創建されほぼ600年を経た名刹です。鷗外の遺言とおり墓碑名は「森林太郎墓」だけです。父の「森静雄」、母の「森峰子」を初め、森家一族に囲まれ静かに眠っています。なお、本墓は東京三鷹市にある「禅林寺」にあります。津和野森鷗外の墓に詣でる

  • 森鷗外の生誕地 津和野に往く

    猛暑が続きます。昨20日に小倉の森鷗外記念会主催のバス旅行に参加しました。行き先は「島根県津和野」。森鷗外の生誕地です。旧家は国指定文化財(史跡)に指定され、その横に立派な近代的建物で「森鷗外記念館」があります、記念館には鷗外ゆかりの資料等が数多く展示されています。外国人も含む見学客も多く訪れていました。また川を挟んで、明治時代の政治家・西洋哲学者・教育家として有名な「西周(にしあまね)」の生家もあります。西周の甥にあたるのが森鷗外です。森鷗外の生誕地津和野に往く

  • 北九州 小倉祇園山笠も終了

    博多祇園山笠祭りは15日で終了しましたが、北九州の小倉祇園山笠祭りも16日の太鼓競演で無事に終了です。この祇園祭は博多と違い太鼓が主体です。この祭りは岩下俊作の「富島松五郎伝」で有名になり、映画や演歌で一躍全国に流布されました。この祭りの後は、戸畑の提灯山笠が22日に、黒崎の祇園山笠が26日に最後となり、福岡の伝統的な夏祭りはひとまず終わりとなります。北九州小倉祇園山笠も終了

  • 博多祇園山笠祭り 追い山笠で終了

    博多の祇園山笠祭りは、昨日早朝の「追い山笠」で終わりました。無事に終了と云いたいところですが、残念ながら終了後に参加の方が事故に遭われ亡くなりました。ご冥福をお祈りします。櫛田神社入りはどんなところではと思い、13日にお参りに行きましたが、神社境内の狭さには驚きました。ここであの迫力ある「追い山神社入り」があったのですね。外国人も多く参詣していました。博多祇園山笠祭り追い山笠で終了

  • 世界水泳選手権大会 FUKUOKA 開幕

    「第20回世界水泳選手権大会FUKUOKA」が今日開幕です。それを記念して、航空自衛隊ブルーインパルスが会場上空を飛行しました。博多祇園山笠祭りが明日15日の「追い山笠」で終わり、今月後半はこの水泳大会で盛り上がります。福岡は忙しい夏を迎えています。ブルーインパルスは我が家の上空まで飛来、辛うじて写真が撮れました。世界水泳選手権大会FUKUOKA開幕

  • 博多祇園山笠 集団山見せに遭遇

    久方ぶりに博多へ買い物に出かけました。雨も上がり蒸し暑い一日です。川端商店街に近づくと、なにやら男たちの威勢の良い掛け声が聞こえてきました。なんと、近くの明治通りには多くの人達が。博多祇園山笠の「集団山見せ」というイベントです。もともとこの山笠は、商人の町・博多の祭りですが、この舁山(かきやま)が、城下町の福岡に乗り入れる唯一の行事だとか。博多・呉服町と那珂川を越えて福岡市役所近くを往復するものです。「集団山見せ」いやはや粋なことをするものです。博多ならではのお祭りですね。博多祇園山笠集団山見せに遭遇

  • 豪雨上がれば 宇宙人?

    ほぼ一週間にわたる線状降水帯は、北部九州に大きな被害をもたらしました。先月末に訪れた久留米地方の災害には言葉もありません。凄い雨でした。明ければ、今日は入道雲が湧く夏空に。一挙に熱中症の心配です。この雨の後、近くのR池を久しぶりに偵察しましたら、なんと巨大な人面がにょっきりと。直径20㎝近くあります。身近な不思議発見専門博士に問い合わせたところ、これは「ハマクサギタマゴタケ」か、これ似た種類のテングタケの一種であろうとのこと。猛毒らしいです。豪雨明けの今朝、突然現れた人面宇宙人キノコ。これを調べてくれた博士は、自称・他称「キノコ博士」。詳しいことこの上なし。チャットGPT並みの即答でした。豪雨上がれば宇宙人?

  • 安倍元総理 一周忌

    7月8日、奈良で起きた安倍晋三元総理の悲劇から一年が経ちました。この衝撃は当分消えそうもありません。この卑怯な反社会的行動への非難は永久的に忘れてはなりません。誠に残念ですが、改めて安倍元総理のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌安倍元総理一周忌

  • 四年ぶり完全復活 「博多祇園山笠」

    コロナの感染症法上の位置づけが5類に移行し、今年は四年ぶりに「博多祇園山笠」が完全復活しました。先ずは、7月1日から15日まで13本の飾り山笠が福岡市内に立ちます。昨日6日に束の間の晴れ間を縫って、三本の飾りを観てきました。博多駅前に「十二番山笠」、表は「家康太平史」。次いで、天神一丁目の「九番山笠」、表は「天下布武勲」。新天町には「十六番山笠」、表は「龍王兎伝説」。それぞれ、博多の人形師たちが腕を競っています。そして、クライマックスは15日の櫛田神社を目指す「追い山笠」です。博多っ子の気持ちが昂る時がやってきます。四年ぶり完全復活「博多祇園山笠」

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