弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
鉄道ジャーナリスト加藤好啓の日々思ったことなどを記事にしています。 ほぼ毎日更新
鉄道ジャーナリスト宣言して活躍しています、加藤好啓と申します。 鉄道現在史からみた今後の予測や地方活性化について考えること、過去の取り組みなどをアップさせていただきます。
弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
分割により、地域の特性に応じた車両の開発が可能に国鉄時代は、基本的に全国配転を考慮したデザインが求められたこともあり、性能不適合を承知で過剰装備だったり、…
JR各社1年目の決算参照した資料は鉄道年鑑1989年版によりますと、昭和62年4月から63年3月までの輸送実績ならびに決算表が出ていました。交通年鑑 1989…
JR発足当初は兄弟車が続々? 国鉄末期、各鉄道管理局では民営化に向けて各種のジョイフルトレインと呼ばれる車両が誕生していました。その先駆けと言えるものは、19…
南海汐見橋駅は、道頓堀駅として開業 阪神桜川駅と隣接してなにわ筋に南海汐見橋駅があります。同じ場所にありながら、駅名が違うわけですが。所在地は大阪市浪速区桜川…
阪和線に「紀伊中ノ島」という駅があります。駅番号は、JR-R53らしいですね。現在は、紀州路快速(快速といえども、実質普通列車)しか停車しない駅ですが、元々は…
古い鉄道ピクトリアルを参照していますと面白い記事をいくつか見つけたので、そこからピックアップしてみたいと思います。 今回の話題は以下の三つ 西成線・城東線(…
青函トンネルが開通したのは、1988年3月当時の時刻表がこちらレールが結ぶ一本列島というタイトルで当時のJR車両の側面を写した写真が一斉に並んでいます。上から…
東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月に誕生していますが、その後誕生する山頂新幹線や、東北・上越新幹線と決定的に違う点がありました。それは、交流電化の方…
鉄道建設公団といってもピンと来ない方も多いのではないでしょうが。現在、この組織は JRTT 鉄道・運輸機構 ( 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )…
JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 郵便局に国鉄職員がやってきた。
国鉄だけが、民営化に際して職員の振り分けが行われた国鉄が1987(昭和62)年4月1日にJRに移行したとき、一部の国鉄職員は清算事業団職員として、残ることとな…
JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄は「清算事業団」と名称を変更
JRは国鉄にあらず?JRは旧国鉄の車両・施設を引き継いで1987年4月1日に発足しました。それまでの車両の側面にはJRマークが掲出され、特に寝台列車では電源車…
JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄赤字の元凶は、貨物輸送だった!?
貨物列車をどう扱うのか国鉄赤字の元凶は貨物列車国鉄が赤字であったと言うことはよく知られていることですが、さて国鉄の赤字ですが、実は大きく分けて三種類の赤字が有…
JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 新幹線はJRの所有ではなかった発足当初
本州3社の新幹線をどうするべきか?JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えること…
1987年4月1日JR各社発足JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは,…
国鉄形電車の話し 高価すぎて途中で製作が止めになった301系のお話
103系電車シリーズの番外編ということで、今回は301系をアップしてみました。301系電車は国鉄初のアルミ車体電車として誕生しますが、高価な車体のために結局8…
国鉄形電車の代表?103系電車物語 第九話 103系1500番台
103系1500番台に関するお話です。103系1500番台は1000番台とは似ても似つかぬ外観105系の顔と201系の内装、更に地上形と同じCS20Dを採用し…
昭和39年、国鉄の決算は赤字を記録 昭和39年の国鉄決算は、再び赤字決算となりました。当時は高度経済成長のさなかであり、鉄道輸送は右肩上がり、第2次長期計画も…
国鉄民営化とは何だったのか? 高速バス参入を認めさせた石田総裁
国鉄が高速バス事業に参入することを認めさせた石田禮介総裁 元々、国鉄バスの目的は、主にローカル輸送が主体であり、その主な目的は以下の通りであるとされていました…
国鉄総裁、ご乱心 国鉄は、独立採算制の公社という形態にも関わらず、大蔵省の思惑から、賃金の決定まで予算で縛られている有様でした。第二次長期計画が予算ベースでは…
国鉄民営化とは何だったのか? 石田礼助総裁を襲う悲劇 鶴見事故
国鉄監査委員長から、国鉄総裁へ石田禮助氏は、国鉄監査委員長辞任後、財界並びに池田勇人首相の懇請で、国鉄総裁の職に就くこととなりました。就任当時既に、77歳と高…
国鉄民営化とは何だったのか? 十河総裁退任と、石田礼助総裁誕生
十河総裁退任国鉄の十河総裁は、二期8年、任期満了という形で、昭和38年5月19日に退任します。その背景には新幹線の建設費が予定よりも増大していた事の責任を問わ…
国鉄民営化とは何だったのか? 工事費増大の責任から新幹線総局降格
顕在化した、工事費の増大問題昭和39年10月の新幹線開業を目指して、建設が進められていましたが、新幹線の建設資金の不足問題が表面化していきました。これに際して…
国鉄民営化とは何だったのか? 昭和39年度国鉄決算 監査報告書から
昭和39年度決算は、東海道新幹線が開業した年でしたが、決算では約300億円の赤字決算となり、その後国鉄の決算は黒字になることはありませんでした。【この辺は、特…
国鉄時代に開発された、キハ391系のお話 国鉄では非電化区間の高速化を図るため、ガスタービン車による高速化を計画することとなり、キハ391系気動車が試作されま…
長らく更新していませんでしたが、久々にアップさせていただきます。今回は、鉄道建設公団発足に関しての詳細と言いますか、鉄道建設公団の概要などを当時の資料などを参…
国鉄民営化とは何だったのか? ローカル線建設と鉄道建設公団の誕生
東海道新幹線の建設は自前資金 国鉄は、東海道本線の線増として、東海道新幹線を建設します。この新幹線建設に、世界銀行からの借款はありましたが、政府からの出資はあ…
国鉄民営化とは何だったのか?昭和30年代の経済発展と貨物輸送量の推移
久々にアップさせていただこうと思います。 加速する経済成長昭和25年に勃発した朝鮮戦争は、日本の再軍備を進めることになるとともに、経済復興を手助けすることとな…
国鉄は戦後赤字続きだった監査報告書から転記したので、昭和27年以降しか記載できていませんが、概略で見る限りでは、昭和31年までは赤字決算が続き、昭和32年から…
公共企業体の国鉄の名称は?もめた、国鉄命名までの話公共企業体の国鉄誕生までは、山川三平氏の「桜木町日記」にその辺の事情が書かれており、参考にしながら綴らせてい…
国鉄形がもっとも似合うレイアウト 寺田町駅北口から、徒歩2分のところにある、 ジオラマ食堂 てつどうかん をご存じだろうか?無駄な説明をする前に、まずはこの画…
7月11日に投稿してから、そのままになってしまっていましたので、再び筆を進めさせていただこうと思います。桜木町日記に入る前に、当時の国鉄部内誌、交通などを参照…
気がつけば2ヶ月ほど更新できないままとなってしまいました。国鉄は、GHQ/SCAPの方針により、現業部門(企業的な部門)として、行政と完全に分離された点でした…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第7話 マッカーサーからの指示で進められる改革
久々に更新させていただきます。今回は、古書、桜木町日記を参照しながら、国鉄誕生当時の裏話などをご覧いただこうと思います。結構この話だけでも、かなりのボリューム…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第6話 政府でも考えられていた抜本的改革
鉄道の改革は、運輸省時代からも考えられていた。一般的には、国鉄はマッカーサー書簡による指示が定説となっていますが、国鐵当局(当時は運輸省鉄道総局)の中でも、鉄…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第5話 電電公社誕生
久々に更新させていただきます。本日は、国鉄から少し離れて、電電公社のお話をさせていただこうと思います。国鉄のblogで、電電公社?と訝しがる方もおられると思い…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第4話 マッカーサー書簡
ストライキに危機感を持ったマッカーサーマッカーサー声明で、2.1ゼネラルストライキは、中止することが出来ましたが、このlストライキが行われていたら、日本に共産…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第3話 ゼネスト準備にいらだちを隠せぬGHQ
久々に、アップさせていただ事思います。はじめに今回は、GHQが公務員のスト権を剥奪し、国鉄を公社化させようとしたきっかけの一つとなった、ゼネストに関するお話を…
国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第2話 占領軍に接収されかかった国鉄
運輸通信省は、再び運輸省と逓信省に分離することに前述のように、戦時中の強制合併で、逓信省と鉄道省が合併し、運輸通信省が誕生することになりました。元々逓信省は、…
戦前の鉄道省とはどんな組織だったのか?国鉄の前身は鉄道省という組織で有ったと言うことはご存じの方も多いかと思いますが、実は鉄道省→国鉄となったわけではなく、結…
国鉄の民営化が行われたのが、1987年4月、そして、国鉄の経営形態のあり方が本格的に検討され始めたのが、1982(昭和62)年でした。最後の再建計画と言われた…
NHKのニュース記事からNHKのニュース記事で、10月25日に記事で、下記のような書き出しで始まるニュース記事がでていました。そこで、改めて日本に於ける寝台列…
本日のお話は妄想話過ぎるので、突っ込みどころ満載かと思いますので、こんなのあれば良いなぁ程度でご覧ください。ということで、久々に更新させていただきます。期待以…
3月に運転を開始した、京トレイン雅洛ですが、ロングシートの一般車を改造した車両とは思わせないクオリティであり、流石阪急と思わせてくれます。特に、二号車と五号車…
すみません、また一週間ほど開けてしまいました。一か月近く前のものをイベントだらだとと書いても何ですので、今回で打ちきりとしたいと思います。今回の公開では、車両…
すみません、一週間ほど空けてしまいました。さて、実はこのブースというか場所なのですが、実は鉄ヲタ向けにも納得できるような展示がなされていたのですが、それは次回…
吹田総合車両所一般公開 二話目になります。さて、前回の、クモハ52001(以下はモハ52と省略)の補足ですが、鉄道ファン昭和56年9月号に記事が有りましたの…
2019年5月18日【土】、吹田工場の一般公開に行ってきました。実は、当日まで知らなくて、facebook見ていたら、開催していると言うことだったので、おっと…
5月3日、東京からSNSで知り合った友人が来阪されるという事で、本人の希望もあり阪堺電車に乗車することにしました。特に阪堺のホームページでも公開はされていない…
陛下のお言葉があり、平成もあと二時間ほどで終わり、新しい令和の時代を迎えようとしています。一先ず、blogでも、JR時代と平成を振り返ると言うことで、変わった…
平成もあと二日、平成時代とJRについて簡単に振り返る 第3話
平成2年~4年を簡単に振り返ってみる平成2年には、リゾート21のによる特急が運転を開始、ロイヤルボックスも連結されました。この辺もバブルの時代を象徴していると…
平成もあと三日、平成時代とJRについて簡単に振り返る 第2話
平成前半はバブルと共に・・・平成時代のイメージは、バブル景気という言葉が返ってくるような気がします。私が郵政局に転用したのが昭和63年7月だったのですが、この…
国鉄分割民営化、JR誕生【昭和62年4月~昭和63年3月】国鉄が分割民営化されて、新生JRとして誕生したのは、昭和62(1987)年4月、国鉄という組織は分割…
京阪特急 改元に伴いヘッドマーク掲出にあたって皆様にお願いしたいこと
京阪のホームページで。新元号記念ヘッドマークを掲出すると言う発表がなされていました。記事によりますと 掲出期間は 平成31年4月20日〔土〕~5月6日まで〔月…
国鉄時代を知らない人へ知って欲しい、国鉄時代のお話し 第2話
国の機関は税金で運営されていますが国会審議が審議まで及んで、両院議員職員の残業費などが話題になっていました、このニュースを聞いて最近はきちんと残業代などが払わ…
すでに、近畿日本ツーリスト主催で、近鉄特急車が、乗入れが計画されていますが、阪神・近鉄直通ツァー今後は経常的にこうした運転がされると思います。そこで、今回はか…
国鉄時代を知らない人へ知って欲しい、国鉄時代のお話し 第1話 第一次5か年計画
大いなる妄想シリーズは一先ずお休みして、今回から何回かに分けて、国鉄時代のお話しを何回かに分けてお話をしたいと思います。国鉄時代のお話しは、色々な本などで語り…
本年も大いなる妄想として、こんなの難しい? しかし、もしかしたら・・・そんなお話をさせていただこうと思います。別のblogを書こうとして、昭和48(1973)…
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弊サイト国鉄があった時代を参照しながら、当時の出来事を振り返ってみたいと思います。いくつも項目はありますが、今回は日本列島一本列島と呼ばれたトンネル及び橋の開…
分割により、地域の特性に応じた車両の開発が可能に国鉄時代は、基本的に全国配転を考慮したデザインが求められたこともあり、性能不適合を承知で過剰装備だったり、…
JR各社1年目の決算参照した資料は鉄道年鑑1989年版によりますと、昭和62年4月から63年3月までの輸送実績ならびに決算表が出ていました。交通年鑑 1989…
JR発足当初は兄弟車が続々? 国鉄末期、各鉄道管理局では民営化に向けて各種のジョイフルトレインと呼ばれる車両が誕生していました。その先駆けと言えるものは、19…
南海汐見橋駅は、道頓堀駅として開業 阪神桜川駅と隣接してなにわ筋に南海汐見橋駅があります。同じ場所にありながら、駅名が違うわけですが。所在地は大阪市浪速区桜川…
阪和線に「紀伊中ノ島」という駅があります。駅番号は、JR-R53らしいですね。現在は、紀州路快速(快速といえども、実質普通列車)しか停車しない駅ですが、元々は…
古い鉄道ピクトリアルを参照していますと面白い記事をいくつか見つけたので、そこからピックアップしてみたいと思います。 今回の話題は以下の三つ 西成線・城東線(…
青函トンネルが開通したのは、1988年3月当時の時刻表がこちらレールが結ぶ一本列島というタイトルで当時のJR車両の側面を写した写真が一斉に並んでいます。上から…
東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月に誕生していますが、その後誕生する山頂新幹線や、東北・上越新幹線と決定的に違う点がありました。それは、交流電化の方…
鉄道建設公団といってもピンと来ない方も多いのではないでしょうが。現在、この組織は JRTT 鉄道・運輸機構 ( 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )…
国鉄だけが、民営化に際して職員の振り分けが行われた国鉄が1987(昭和62)年4月1日にJRに移行したとき、一部の国鉄職員は清算事業団職員として、残ることとな…
JRは国鉄にあらず?JRは旧国鉄の車両・施設を引き継いで1987年4月1日に発足しました。それまでの車両の側面にはJRマークが掲出され、特に寝台列車では電源車…
貨物列車をどう扱うのか国鉄赤字の元凶は貨物列車国鉄が赤字であったと言うことはよく知られていることですが、さて国鉄の赤字ですが、実は大きく分けて三種類の赤字が有…
本州3社の新幹線をどうするべきか?JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えること…
1987年4月1日JR各社発足JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは,…
103系電車シリーズの番外編ということで、今回は301系をアップしてみました。301系電車は国鉄初のアルミ車体電車として誕生しますが、高価な車体のために結局8…
103系1500番台に関するお話です。103系1500番台は1000番台とは似ても似つかぬ外観105系の顔と201系の内装、更に地上形と同じCS20Dを採用し…
昭和39年、国鉄の決算は赤字を記録 昭和39年の国鉄決算は、再び赤字決算となりました。当時は高度経済成長のさなかであり、鉄道輸送は右肩上がり、第2次長期計画も…
国鉄が高速バス事業に参入することを認めさせた石田禮介総裁 元々、国鉄バスの目的は、主にローカル輸送が主体であり、その主な目的は以下の通りであるとされていました…
国鉄総裁、ご乱心 国鉄は、独立採算制の公社という形態にも関わらず、大蔵省の思惑から、賃金の決定まで予算で縛られている有様でした。第二次長期計画が予算ベースでは…
古い鉄道ピクトリアルを参照していますと面白い記事をいくつか見つけたので、そこからピックアップしてみたいと思います。 今回の話題は以下の三つ 西成線・城東線(…
青函トンネルが開通したのは、1988年3月当時の時刻表がこちらレールが結ぶ一本列島というタイトルで当時のJR車両の側面を写した写真が一斉に並んでいます。上から…
東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月に誕生していますが、その後誕生する山頂新幹線や、東北・上越新幹線と決定的に違う点がありました。それは、交流電化の方…
鉄道建設公団といってもピンと来ない方も多いのではないでしょうが。現在、この組織は JRTT 鉄道・運輸機構 ( 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構 )…
国鉄だけが、民営化に際して職員の振り分けが行われた国鉄が1987(昭和62)年4月1日にJRに移行したとき、一部の国鉄職員は清算事業団職員として、残ることとな…
JRは国鉄にあらず?JRは旧国鉄の車両・施設を引き継いで1987年4月1日に発足しました。それまでの車両の側面にはJRマークが掲出され、特に寝台列車では電源車…
貨物列車をどう扱うのか国鉄赤字の元凶は貨物列車国鉄が赤字であったと言うことはよく知られていることですが、さて国鉄の赤字ですが、実は大きく分けて三種類の赤字が有…
本州3社の新幹線をどうするべきか?JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えること…
1987年4月1日JR各社発足JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは,…