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御朱印ミュージアム〜御朱印・御朱印帳の収集展示 http://gosyuinmuseum.blog.fc2.com/

御朱印ミュージアムへようこそ! 御朱印巡りでいただいた、御朱印や御朱印帳を紹介しています。

これから御朱印巡りをはじめる方にも参考になればと思います。 ぜひご覧ください。

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2015/12/29

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  • 来迎院

    平安時代初期に日本天台宗を開宗した伝教大師最澄の直弟子の慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられています。声明とは経文に音曲をつけて歌詠するもので、音楽的な色彩が強く後の邦楽(今様・浄瑠璃・謡曲・民謡)に影響を与え、今日に伝えられています。 その後に衰退しますが、天仁2年(1109年)良忍により再興され、勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て...

  • 西光寺

    本尊は阿弥陀如来です。札所となっている薬師如来は帝の勅命を受けた弘法大師が一刀三礼謹刻され、寅の日、寅の刻に成就されたため寅薬師と称されています。弘安年間(1278年~1288年)後宇多天皇から下賜された、この薬師如来を安置するため、御倉堂を建立したのが始まりと伝わっています。 京都十二薬師第11番の御朱印です。住所:京都府京都市中京区新京極蛸薬師上ル中筋町495-1...

  • 大福寺

    推古天皇6年(598年)聖徳太子により大和国宮田郷に創建されたと伝えられています。本尊の薬師如来(菩提薬師)は聖徳太子自刻の像であるといわれています。昔から出納帳に宝印を受けると商売繁盛になるとされ、正月に朱印をうけに来られる方が多く、この風習は当寺が発祥で”大福帳”の由来と言われています。 京都十二薬師第10番の御朱印です。住所:京都府京都市中京区麸屋町通二条上ル布袋屋町498...

  • 地福寺

    弘仁年間(810年~824年)嵯峨天皇の勅許により弘法大師の十大弟子の一人の真済上人が太秦安井の地に創建したといわれています。享保年間(1716年~1735年)道空和上が関白鷹司公の北政所の病気平癒に際して大いに霊験を発揮したことにより、太秦の地より現在地に移転し、道空の念持仏であった薬師如来が本尊になりました。 京都十二薬師第5番の御朱印です。現在は脱退し、第5番札所は真正極楽寺となっています。住所:京都府...

  • 薬師院

    延暦元年(782年)伝教大師最澄が16歳の時、一刀三礼彫刻された薬師仏七体中の一体尊が本尊の薬師如来像です。寛喜2年(1230年)全国的に疫病が広がった時、薬師院住職の夢に薬師如来が現れて、「一切病苦の衆生、我が前に来たらば諸病ことごとく除くべきに、来ぬか、来ぬか」とのお告があり、皆病気治癒したので、”こぬか薬師”と呼ばれています。 薬師院の御朱印と御詠歌、京都十二薬師第9番の御朱印です。住所:京...

  • 京都十二薬師

    【京都十二薬師】平安時代頃から京都では薬師巡りが盛んに行われていましたが、時期によって霊場巡りの名称や札所寺院に変化があり、現在の十二ヶ寺が定まったのは江戸時代の天明年間(1781年から1785年)とされています。★の寺社にはオリジナル御朱印帳があります。 札所番号寺院名所在地最寄駅1平等寺京都地下鉄烏丸線「四条駅」から徒歩5分2教王護国寺(東寺)京都近鉄京都線「東寺駅」から徒歩5分3水薬師寺京都JR京都線「西大路...

  • 妙顕寺

    元亨元年(1321年)日像が後醍醐天皇より寺領を賜って今小路に建立しました。建武元年(1334年)後醍醐天皇より綸旨を賜り勅願寺となり、正式に宗派として公認されました。 嘉慶元年(1387年)比叡山延暦寺の衆徒により伽藍が破却されると、若狭国小浜に避難しました。その後も移転を繰り返し、天正12年(1584年)豊臣秀吉の命により現在地に移転しました。 天明8年(1788年)天明の大火により焼失しましたが、その後再...

  • 本法寺

    永享8年(1436年)日親上人が本阿弥本光の帰依を得て東洞院綾小路に建立した”弘通所”が始まりとされています。 永享12年(1440年)日親上人が室町幕府第6代将軍足利義教の屋敷へ赴き、直訴し諫暁を図ったことが原因で破却され、康正年間(1455年~1457年)に四条高倉で再建しました。 天明8年(1788年)天明の大火により、経蔵と宝蔵を残すだけとなりました。本堂は寛政9年(1797年)に再建されました。写真は摩利支天堂...

  • 宝泉院

    実光院とともに、天台声明の道場である勝林院の塔頭です。嘉禎年間(1235年~1238年)『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって創建されました。盤桓園、鶴亀庭園、宝楽園という3つの庭園があります。 書院は江戸時代前期に再建されたもので、廊下の天井は慶長5年(1600年)伏見城の戦いで自刃した、徳川家康の家臣鳥居元忠らを供養するため、伏見城の床板を天井板に使用した”血天井”があることでも...

  • 頂妙寺

    文明5年(1473年)檀越の土佐守護細川治部少輔勝益公から寺地の寄進を受け洛中に、下総中山法華経寺の妙國院日祝上人により創建されました。その後も、足利将軍家や公家、京都町衆の外護を受け発展しました。 天明8(1788)年天明の大火により焼失しましたが、その後再建されました。 写真左は本堂で、平成8年に大改修がなされ、平成24年には祖師堂改修、御開山日祝聖人御尊像修復、書院が新築されました。 頂妙寺の御首題...

  • 立本寺

    元亨元年(1321年)日像が京都最初の道場として四条大宮に開いた妙顕寺龍華院を始まりとし、応永23年(1416年)に立本寺と号されました。 宝永5年(1708年)宝永の大火で焼失し、現在地にて再建されました。広大な境内を有し、明治維新前は20に及ぶ塔頭を擁し、現在でも4ヶ寺の塔頭が残っています。写真は宿坊の四神閣と鬼子母神堂です。 日蓮宗本山で、本尊は十界曼陀羅です。本堂・刹堂(鬼子母神堂)・客殿(園林堂)...

  • 大輪院

    日蓮宗八本山の1つである立本寺の塔頭の内の1つです。 境内に祀られている安立行菩薩像です。 大輪院の御首題です。住所:京都府京都市上京区七本松通仁和寺街道上る一番町107...

  • 平等寺

    天徳3年(959年)橘行平が村上天皇の命で因幡国の一宮に赴き、帰洛の途中、急病になりました。夢に異形の僧が現れ、因幡国賀留津の海中に一つの浮き木があり、それは衆生済度に遠くの仏の国からやってきので、速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。そうすれば必ず病気は治り、さらに一切のあらゆる願いが成就するだろうと告げ、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来像で、祀ったところ、行平の病は癒え...

  • 京都十三仏

    【京都十三仏】初七日から三十三回忌まで死者の成仏を司る十三仏を祀る京都府内の古い歴史をもつ由緒ある寺院を巡る霊場で、昭和56年(1981年)に成立しました。★の寺社にはオリジナル御朱印帳があります。 札所番号寺院名所在地最寄駅1智積院京都京阪本線「京阪七条駅」から徒歩7分2清凉寺京都JR「京都駅」からバス大覚寺行・清滝行にて嵯峨釈迦堂前下車3戒光寺京都京阪本線「東福寺駅」から徒歩20分4大光明寺京都地下鉄烏丸線「...

  • 大報恩寺

    安貞元年(1227年)義空上人によって開創されました。義空は藤原秀衡の孫で、比叡山で修行の後に当寺を建立しました。国宝の本堂(写真右)は応仁・文明の乱の戦火から奇跡的に免れて創建当時の姿をとどめています。 本尊の釈迦如来像は行快の作で、創建当時のものです。写真は北野経王堂と不動明王堂です。北野経王堂は慶長10年(1605年)豊臣秀頼が北野天満宮に再建した北野経王堂願成就寺で、明治期に現在地に規模縮小し...

  • 善行院

    文政元年(1466年)恵眼院日富上人によって開山されました。後西天皇が皇居清涼殿にて日夜国家安穏を祈念した妙見大菩薩の尊像が祭祀されています。 後西天皇が”法華経によってこの妙見大菩薩を祭祀せよ”との霊夢をみたことにより妙顕寺へ移され、文政13年(1830年)に27世日謙上人が妙見堂(写真左)を建立し、善行院にて祀られることになりました。堂内に案内していただき、信楽焼きの金色のネズミ(福子)を撫でさせてい...

  • 仁和寺

    仁和2年(886年)光孝天皇の勅願で西山御願寺と称する一寺の建立が始まり、宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成し、寺号も元号から仁和寺となりました。 平安から鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちましたが、応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、ほとんどを兵火で焼失しました。写真は近畿三十六不動霊場札所の水掛不動尊堂と寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)に再建された御影堂...

  • 勝林院

      長和2年(1013年)寂源によって創建されました。本堂(写真右)は火災や水害のたびに再建され、現在のお堂は安永7年(1778年)に再建されたものです。 本尊は阿弥陀如来(写真右)です。文治2年(1168年)勝林院住職の顕真が法然をまねいて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについての問答、いわゆる”大原問答”が当寺で行われました。大原問答とは、顕真らが法然に12の難問を投げかけ、法然...

  • 宝蔵院

    文亀2年(1502年)甚誉上人によって創建され、本尊は阿弥陀如来です。明治12年(1879年)火災によって堂宇は消失しましたが、明治28年(1895年)に再建されました。 那須三十三観音霊場の24番の如意輪観世音菩薩は、本尊阿弥陀如来の脇侍に祀られています。 那須三十三観音第24番の御朱印です。住所:栃木県那珂川町三輪769...

  • 法輪寺

    貞観2年(860年)比叡山延暦寺の円仁慈覚大師が関東奥羽巡錫の際、霊夢により釈迦・大日二仏の尊像を感得し、創建したと伝えられています。写真右は大日堂です。 大日堂の右手にある八溝七福神の大黒天堂と、大日堂右手にある天狗堂です。 天狗堂に祀られる大天狗(写真左)は、天狗面では日本一と言われています。お面以外にも大きな下駄も祀られていました。 大日堂の裏手にある勅使門とその先にある中の院・釈迦堂...

  • 龍泉寺

    明応3年(1494年)那須国狩野の庄福原郷小村にあった草庵を大田原家の始祖大俵康晴公が那須家の客将として那須ノ国狩野ノ庄福原郷水口に、城郭を築き、龍泉寺をその西方に移建し、菩提寺兼祈願寺としました。 明治41年(1908年)隣寺の火災により焼失し、北町末寺明照院跡に仮堂を建てて移転しました。平成13年(2001年)淳雄僧正代により秋篠寺を模した新本堂(写真左)が落成しました。 北関東三十六不動第24番の御朱印で...

  • 金乗院

    大同元年(806年)空海が奥羽に巡錫の際、この地に立ち寄り地蔵尊の霊夢に会い、一夜の内に自ら尊像を刻みこの地を霊場と定め、この地に開山したことが始まりと伝えられています。 境内の一番奥には、高さ6メートルの波切不動尊(写真左)が祀られています。写真右は本堂左手にある慈母観音像です。 本堂から少し歩いたところにある奥の院地蔵堂です。現在のお堂は、大正7年(1918年)から10年の歳月をかけ昭和2年(1927...

  • 極楽寺(威徳院)

    大治5年(1130年)真雅上人が東北道巡錫の際、那珂川沿いから西の山に霊牛がゆったりと臥せているような風景が、極楽のようであると感じ、大威徳明王のお陰であると霊牛山威徳院極楽寺の名をつけ当山を開いたとされています。 明治4年(1871年)火災により、建造物、什宝、古記録類ことごとく焼失しましたが、明治5年(1872年)再建されました。 栃木十三仏第13番、那須三十三観音第22番、八溝山麓十宝霊場の御朱印で...

  • 金剛寿院

    創建年は不詳ですが、奈良時代末期に開山したと伝えられています。天喜5年(1057年)源頼義、頼家が奥州征討の際に祈願したとも伝えられています。 屋島の戦いで武功を立てた那須与一の那須家の祈願所でもありました。写真左は那須三十三観音札所の観音像です。 那須三十三観音第19番の御朱印です。住所:栃木県大田原市福原1127...

  • 実相院

    永享年間(1390~1440年)福原氏の娘が実相庵という尼寺を開いたことが始まりとされます。永禄11年(1568年)福原家累代の菩提寺になると福原氏から庇護され寺領の寄進や堂宇が造営されました。 文化5年(1808年)火災で山門を残し多くの記録や寺宝と同時に堂宇が焼失し、文政4年(1821年)現在の本堂が再建されました。山門は正徳年間(1711年~1716年)に造営されたもので、訪問した時は修繕中でした。 那須三十三観音第18...

  • 長泉寺

    明応4年(1495年)の創建で、南朝落人の嶋田越後守藤原忠経の菩提のため子孫の大嶋民部が開基となっています。本尊は忠経の持念仏であった阿弥陀如来です。 法楽殿(写真左)には関東九十一薬師第63番札所の薬師如来と脇仏として那須三十三観音札所の聖観音、おおたわら七福神の福禄寿が合祀されています。現在のご住職は一度の参拝につき、1つの御朱印のみに対応するというお考えのため、3つの札所のものをいただくためには...

  • 雲照寺

    明治20年(1887年)の創建で、那須野ヶ原西原はかつては水に恵まれず不毛の地であったのですが、開墾が軌道に乗り、生活の安定が図られ、心のよりどころとしての寺院の必要性を感じて、雲照律師を招いて開山しました。 2世隆應和上の願いにより、西国観音霊場の本尊の写し三十三体の石像や、親観音の准胝観世音菩薩の石像が明治40年(1907年)までに整備され、雲照寺石仏観音霊場が完成しました。写真左は那須三十三観音札所...

  • 宗源寺

    明治19年(1886年)東北本線の開業に伴い、新橋で運送業を営んでいた井上松兵衛が子が無かったため、養子に家督を相続させ、隠居として西那須野に中継店を開き、妻は観音堂へ日参をしていましたが、子宝に恵まれ、そのお礼として観音堂をお寺にすることを発願し、 足利公の隠居寺である宗源寺を明治25年(1892年)に移転したのが始まりです。 本尊の白衣観音は木造寄せ木造りで、那須三十三観音霊場15番札所となっています。 那...

  • 慶乗院

    応永元年(1394年)の創建で、本尊は不動明王です。文化10年(1813年)火災により焼失、嘉永6年(1853年)に再建されました。 現在の本堂は昭和40年(1965年)に改築されたものです。 那須三十三観音第14番の御朱印です。住所:栃木県那須塩原市井口291...

  • 薬王寺

    弘仁年間(810年~824年)徳一上人の創建で、本尊は不動明王です。明治2年(1869年)に類焼し、明治17年(1884年)に再建されました。 那須三十三観音第13番の御朱印です。住所:栃木県那須塩原市塩野崎270...

  • 長楽寺

    創建については不詳ですが、県町史によると寛永7年(1630年)黒羽の明王寺の末寺として本尊を薬師如来として、暁祥和尚による創建と伝えられています。 写真は那須三十三観音札所の観音堂とその前にある招き猫の木像です。猫と触れ合うことができるお寺で、参拝した時も”てらねこ”に会いに来た方がいました。 境内裏手には疱瘡神社があります。文久元年(1861年)黒羽藩主の息女が疱瘡に罹り、薬師如来に平癒を祈願したと...

  • 長久寺

    寛永2年(1625年)の創建で、宥澄和尚の開山と伝わっています。那須町伊王野の正福寺の末寺でした。 明治42年(1909年)類焼により焼失してしまいましたが、明治43年(1910年)狸久保にあった廃寺の延命院の建物を譲り受けて再建されました。 那須三十三観音第11番の御朱印です。住所:栃木県那須町豊原丙2204...

  • 与楽寺

    延暦年間(782年~806年)徳一大師が奥州会津巡錫の途上に持仏の聖観世音菩薩を安置したのが始まりとされています。寛永年間(1624年~1644年)奥州街道下野国最北の宿場として与楽寺が宿場役所を兼任していたといわれています。 享保年間(1716年~1736年)卓円和尚の時に薬師瑠璃光如来を本尊として安置し、聖観世音菩薩を脇仏にあらためられました。万延元年(1860年)火災により焼失、大正12年(1923年)本堂が再建され...

  • 楊源寺

    永禄7年(1564年)僧都源海和尚の開基と伝えられています。法輪寺の末寺として創建されました。 大正4年(1915年)芳賀町下延生の延生地蔵尊の分影を同寺に安置し、4月22日を縁日と定められました。安産子育虫封にご利益があるとして信仰されています。 那須三十三観音第9番の御朱印です。住所:栃木県那須町芦野2901...

  • 八溝山麓十宝霊場

    【八溝山麓十宝霊場】 栃木・茨城・福島にまたがる八溝山麓にある十ヶ寺社を巡る霊場です。電車等の公共交通機関が近くにないため、車での巡拝がお勧めです。札所番号寺社名所在地住所1南湖神社福島福島県白河市菅生舘2 2與楽寺栃木栃木県那須郡那須町寄居10833三光寺栃木栃木県那須町芦野28364不動院栃木栃木県大田原市久野又4675明王寺栃木栃木県大田原市黒羽向町1856那須神社栃木栃木県大田原市南金丸16287威徳院栃木栃木県大...

  • 三光寺

    創建については不詳です。本尊は歓喜天で、東京浅草の待乳山聖天〟埼玉の妻沼聖天とともに日本三所聖天のひとつに数えられています。天明8年(1778年)白河城主松平定信が老中主座に就任し、当寺聖天に祈願し寛政の改革を成就したことで有名です。その御礼として、直筆の扁額や絹本掛け軸などが奉納され、寺宝となっています。 三光寺の御朱印、那須三十三観音第7番、八溝山麓十宝霊場の御朱印です。 八溝七福神毘沙門天...

  • 最勝院

    創建については不詳ですが、永禄元年(1558年)芦野家の菩提寺として曹洞宗に改宗し、現在地に移転し開創されたと伝えられています。山門(写真右)をくぐると十六羅漢像がならんでいます。 享保年間(1716年~1736年)7世萬休和尚により本堂北側の禅堂に三十三観音像が安置され、安永4年(1775年)禅堂が観音堂に改築されました。 那須三十三観音第7番の御朱印です。住所:栃木県那須町芦野2870...

  • 会三寺

    元亀元年(1570年)謙応和尚が開山したのが始まりと伝えられています。安永7年(1778年)火災により堂宇が焼失しましたが、翌年の安永8年(1779年)に再建され今日に至っています。 現在の本堂(写真左)は平成10年に再再建されたものです。 那須三十三観音第6番の御朱印です。住所:栃木県那須塩原市寺子1246...

  • 正福寺

    弘仁4年(813年)奈良興福寺の高僧である徳一上人により開創されました。現在の本堂(写真右)は令和2年に改築されたものです。 長享元年(1487年)伊王野氏の居館跡に移り、伊王野氏の祈願時となりました。お寺の背後は伊王野氏の山城で、現在は県立八溝自然公園になっています。 那須三十三観音第5番の御朱印です。住所:栃木県那須町伊王野2003...

  • 養福院

    周辺集落が再三大火に遭い、当時もそのたびに焼失してしまったため、文献等も焼失し、創建等については不詳です。元文年(1737年)住職の亮海の撰文の碑が残っており、創建は江戸時代中期ごろと推測されています。 那須三十三観音第4番の御朱印です。住所:栃木県那須町蓑沢656...

  • 光厳寺

    承安元年(1171年)那須与一が唐国僧一円を開山として、高館城の南の地に建立したと伝えられています。 康元2年(1257年)那須肥前守資村が鎌倉建長寺の可翁禅師を招請して、現在地に再建しました。 那須三十三観音第3番の御朱印です。住所:栃木県大田原市寺宿303...

  • 不動院

    慶長15年(1610年)唯円の開山です。写真右は黒羽城の北門と伝わる山門です。 那須三十三観音の十一面観音は南北朝時代のもので、常陸佐竹氏の姫が羽黒大関氏に嫁ぐ際に守り本尊として持参されたものと伝わっています。   境内には八溝七福神布袋尊も祀られています。 不動院の御朱印と、那須三十三観音第2番、八溝七福神布袋尊の御朱印です。住所:栃木県大田原市久野又467...

  • 明王寺

    天文2年(1533年)石井沢の地に創建され、天正4年(1576年)黒羽城移転の際に現在地に移転しました。 明治12年(1879年)火災により全焼しましたが、昭和30年(1955年)檀信徒により再建されました。写真は那須三十三観音札所の観音堂と八溝七福神恵比須尊が祀られているお堂です。 那須三十三観音第1番、八溝七福神恵比須尊の御朱印です。住所:栃木県大田原市黒羽向町185...

  • 観音寺

    天平9年(737年)行基が創建したと伝えられています。延暦年間に空海が入山した際に、如意輪観世音菩薩を安置し山号を如意山と改め、真言密教の民衆教化の中心道場となりました。 明治時代に益子町下大羽の宝蔵寺と合併し、境内には移築した地蔵堂(写真左)があり、安産・子育ての守護仏として信仰を集めている子安地蔵が祀られており、関東百八地蔵尊霊場43番札所になっています。 関東八十八ヶ所第30番、関東百八地蔵...

  • 観音寺

    大同3年(808年)僧の徳一の開創と伝えられています。室町時代末期の大火で観音堂のみを残して堂塔を焼失しました。文化2年(1805年)宇都宮能延寺の僧の学天が再興しました。 観音堂(写真左)には、行基作と伝えられる聖観世音菩薩立像が祀られています。写真右はぼけ封じ関東三十三観音です。 関東八十八ヶ所第29番、ぼけ封じ関東三十三観音第27番の御朱印です。住所:栃木県芳賀町与能1555...

  • 安楽寺

    大同2年(807年)僧の徳一によって開山されました。その後、寺は衰退していましたが室町時代末期に僧の賢海が荒廃した寺を復興し、その際に本尊を薬師如来から不動明王に変更されましたが、現在の本尊はもとの薬師如来になっています。 本尊の薬師如来像は平安時代の作として栃木県有形文化財に指定されています。江戸時代には末寺14ヶ寺を有し、森田城主の大田原家の祈願寺でもありました。 関東八十八ヶ所第28番、那須...

  • 馬頭院

    健保5年(1217年)京都醍醐寺の座主である光寶によって開山されました。東国巡錫の際、壇林寺として勝軍山地蔵院十輪寺を建立し、地蔵菩薩を本尊としたのが始まりです。 正和年間(1312年~1317年)武茂城主であった藤原好綱が観音堂(写真左)を建立し、馬頭観音を安置しました。写真右は大師堂です。 天和元年(1681年)水戸藩主水戸光圀公が法橋牛庵を伴い当寺を訪れ、元禄5年(1692年)再度参詣した際に堂宇を修復し...

  • 八溝七福神

    【八溝七福神】 八溝山のふもとの国道294号線沿いにある七ヶ寺を巡る七福神霊場です。電車等の公共交通機関が近くにないため、車での巡拝がお勧めです。七福神名寺社名所在地住所布袋尊不動院栃木栃木県大田原市久野又467恵比須尊明王寺栃木栃木県大田原市黒羽向町185弁財天光照寺栃木栃木県那珂川町小川710毘沙門天三光寺栃木栃木県那須町芦野2836大黒天光丸山栃木栃木県大田原市良土1-401福禄寿乾徳寺栃木栃木県那珂川町馬頭114...

  • 光照寺

    天文2年(1533年)僧の宥全による開基で、本尊は阿弥陀如来座像です。現在の本堂(写真左)は昭和58年に改修されたものです。 また、昭和62年には観音堂(写真左)が再建され、那須観音霊場の結願所にもなっています。写真右はぼけ封じ関東三十三観音です。 弁天堂(写真左)には出世(鎌倉時代作)、融通(室町時代作)、妙音(近世作)の三弁財天が奉安され、八溝七福神の霊場にもなっています。 関東八十八ヶ所...

  • 金井神社

    国土開拓の祖神である磐裂命、根裂命が御祭神です。かつては金井村字余又の地にありましたが、宝暦4年(1754年)に現在地に遷座し、小金井宿本陣隣りの鎮守として発展しました。 「かない」という音から「夢叶い」の神社としても知られています。普段は無人のようで、御朱印は郵送でいただくことができます。 金井神社の御朱印です。住所:栃木県下野市小金井1‐26‐16...

  • 涅槃寺

    承平2年(932年)藤原秀郷により称念寺として下野国佐野荘青柳に創建されました。寛治6年(1092年)佐野庄天命村上田島へ移転したといわれています。 慶長15年(1610年)後陽成天皇より”涅槃寺”の勅額を賜り、宝永6年(1709年)寺号を涅槃寺と改められました。写真は境内入口横にある日限地蔵堂です。日限地蔵尊は東京の白金にある松秀寺より勧請されたものです。 涅槃寺の御朱印と、日限地蔵尊の御朱印です。住所:栃木...

  • 観音寺(佐野大仏)

    大永3年(1523年)佐野越前守秀綱によって安蘇群天命村に建立され、安楽寺第6世自負法印を開祖として迎えたのが始まりといわれています。慶長7年(1602年)唐沢山城の春日岡への移城に伴い、現在地へ移りました。 写真は境内にある佐野七福神の大黒天と本堂前の佐野大仏です。佐野大仏は寛文9年(1669年)佐野家復興を願い建立されました。 観音寺の御朱印と、佐野七福神大黒天の御朱印です。住所:栃木県佐野市金井上...

  • 惣宗寺(佐野厄除け大師)

    天慶7年(944年)藤原秀郷が春日岡(現在の佐野城址)に創建したものと伝わっています。慶長7年(1602年)春日岡に佐野城を築くため、佐野信吉によって現在地に移転しました。 初詣の時期に関東地方ではテレビでCMが多く放送されるため、認知度が高く、多くの観光客が参拝に訪れていました。また、同CMでは惣宗寺ではなく、“関東の三大師、佐野厄除け大師”というフレーズが使われているため、寺名よりも佐野厄除け大師とし...

  • 藤原町護国神社・鬼怒川温泉神社

    藤原町護国神社は昭和28年(1953年)の創建で、日清、日露から太平洋戦争に至るまで、藤原町より出征し護国のため戦場で亡くなられた256柱命が祀られています。 護国神社(写真左)の右奥に温泉神社の社殿(写真右)があります。境内は鬼怒川ロープウェイ麓駅に隣接しており、社務所が不在時は鬼怒川温泉駅の観光案内所でも書置きの御朱印をいただけるようです。ロープウェイは観光客が多くいましたが、神社はあまり人はお...

  • 妙顕寺

    永仁2年(1294年)中老僧の天目上人により開創されました。中老僧は日蓮聖人の本弟子である六老僧に準ずる直弟子の十二人で、十二中老僧と呼ばれています。 天目上人は美濃阿闍梨と称し、下野安蘇郡奈良渕村で布教していたとき、唐沢城主の佐野家及び家臣の若田部源五郎光盛が帰依して一宇を建立、天目人を開山に仰いだのが始まりです。写真左は鬼子母神堂と水神様のお堂です。写真右は普賢菩薩堂です。 妙顕寺の御首題です...

  • 華蔵寺

    建仁2年(1202年)唐沢城主佐野安房守実綱によって建立されました。 実綱は信仰心が篤く、源頼朝死亡の知らせを受けると、息子宗綱を鎌倉に送り、幕府への忠誠を誓うとともに、頼朝の冥福を祈るための寺を建立することにしたと伝えられています。 北関東三十六不動第16番の御朱印です。住所:栃木県栃木市梅沢町801...

  • 正仙寺

    応永年間(1394年~1400年)山城国醍醐山松橋無量寿院11世俊海によって開山されました。境内東の高台には、16世紀中期に皆川氏の出城である吹上城が、智積院中興第1世玄宥の父膝附宗長によって築城されました。 江戸時代に入ると、松平定信の寛政改革により、下野国には真岡・藤岡・吹上の三ヶ所に陣屋が設置され、農民の復興にあり、寛政5年(1793年)吹上の陣屋は吹上城跡に寺として位置づけられました。中世から近世にか...

  • 延命寺

    建治年間(1275年~1277年)亮弁僧都が、永野川のほとりに、一宇を建てて、地蔵菩薩を祀り、地蔵院と称したのが開基であると伝えられています。 永和4年(1378年)中興開山秀範上人が鎌倉管領の帰依を受けて、清瀧権現の鎮守とし、愛染堂を営み、康暦2年(1380年)如意山吉祥院延命寺と称しました。承応元年(1652年)中興第14世賢栄により現在地に移りました。 北関東三十六不動第14番の御朱印です。住所:栃木県栃木市大...

  • 半郷苅田嶺神社

    最上三十三観音第9番札所の松尾院の入り口に鎮座しています。創建等詳細は不明です。蔵王連峰の宮城県側刈田岳山頂にある刈田嶺神社の遠拝所だと思われます。御朱印は松尾院でいただくことができます。 半郷苅田嶺神社の御朱印です。住所:山形県山形市蔵王半郷1#御朱印ミュージアム #御朱印 #半郷苅田嶺神社(山形市)...

  • 戸澤神社(新荘護国神社、天満神社)

    明治27年(1894年)新庄藩主戸澤家始祖の戸澤飛彈守衡盛と新庄移封当時の藩主戸澤右京亮政盛の霊を奉祀するため旧領民が創建した神社です。 神社は新庄城内にあります。新庄城は、寛永2年(1625年)新庄藩初代藩主戸澤政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城です。戊辰戦争後、新庄城は廃城となりました。 境内には新荘護国神社(写真左)、天満神社(写真右)があります。天満神社の創立は寛永5年(1628年...

  • 六日町熊野神社

    延文3年(1358年)山形城主斯波兼頼公が行蔵院阿闍梨をつかわし、紀州熊野大権現を勧請し城内に祀ったことが草創です。 元和7年(1622年)最上義俊の時代、現在地の六日町に遷座され山形城の鬼門鎮護の社として鎮座しました。明治維新の際、神仏分離に伴い、明治4年(1871年)熊野権現を熊野神社と改称しました。 六日町熊野神社の御朱印です。住所:山形県山形市六日町5-57#御朱印ミュージアム #御朱印 #六日町熊野神...

  • 万松寺

    大寶2年(702年)阿古那姫によって開かれたと伝えられています。阿古那姫の木像が安置されています。 写真左は山形城大手門だった山門です。写真右は山形十三仏札所の虚空蔵堂です。虚空蔵菩薩は阿古那姫の持仏だったとされています。 山形十三仏第13番、羽州山形七福神福禄寿の御朱印です。住所:山形県山形市大字平清水247#御朱印ミュージアム #御朱印 #山形十三仏 #羽州山形七福神 #万松寺(山形市)...

  • 平泉寺

    天平9年(737年)の創建で、行基による開創といわれています。境内裏山には四国八十八ヵ所霊場を勧請した石仏が並んでいます。 本堂右手奥にある大日堂です。現在のお堂は天和4年(1684年)に再建されたものです。大日堂は胎蔵界大日如来を本尊とし、大仏殿の復興を願って作られた千歳山大仏の仏頭が安置されています。 山形十三仏第12番の御朱印です。住所:山形県山形市大字平清水番外1#御朱印ミュージアム #御朱印 #...

  • 上町勢至堂

    寛文11年(1671年)の創建で、城頓法院の開創といわれています。本尊の得大勢至菩薩像は約60cmの木彫りの立像で、弘法大師の作と伝えられています。 現在の本堂は明治43年(1910年)に建立されたものです。無人のため、御朱印は入り口から少し歩いたところにある金物店でいただくことができました。駐車場は境内裏手側に1~2台ならかろうじて停めることできます。 山形十三仏第9番の御朱印です。住所:山形県山形市五日町3-...

  • 弥勒院

    養老年間(717年~723年)の創建で、婆羅門僧正の開創といわれています。本尊は弥勒菩薩です。発祥は現在地から西へ100mほどのところにある弥勒堂でした。 山形十三仏第6番の御朱印です。住所:山形県西村山郡河北町谷地庚1400#御朱印ミュージアム #御朱印 #山形十三仏 #弥勒院(西村山郡河北町)...

  • 龍源寺

    創建は寛文元年(1661年)で、提国慶全大和尚の開創といわれています。本尊は釈迦牟尼仏で、札所の文殊菩薩像も本堂に安置されています。現在の本堂は平成25年に増改修されたものです。 山形十三仏第3番の御朱印です。住所:山形県天童市大字山口3070#御朱印ミュージアム #御朱印 #山形十三仏 #龍源寺(天童市)...

  • 山形十三仏

    【山形十三仏】初七日から三十三回忌まで死者の成仏を司る十三仏を祀る山形県内の寺院を巡る霊場で、平成4年(1992年)に成立しました。比較的新しい霊場です。★の寺社にはオリジナル御朱印帳があります。 札所番号寺院名所在地住所1宗福院山形山形県山形市鉄砲町1-2-202乗舩寺山形山形県北村山郡大石田町大石田丙2063龍源寺山形山形県天童市山口30704正源寺山形山形県最上郡真室川町新町22-135見性寺山形山形県最上郡最上町本城10...

  • 慈恩寺

    神亀元年(724年)行基菩薩が諸国遊錫に訪れ、都に帰った折り、この地の景勝を奏上し、天平18年(746年)波羅門僧上菩提僊那が勅宣を以って開山し、勅願寺と定められたのが始まりと伝えられています。 天仁元年(1108年)鳥羽上皇の勅宣により藤原基衡が阿弥陀堂(常行堂)、釈迦堂(一切経堂)、丈六堂を造築しました。写真は東北三十六不動霊場第1番札所の不動堂と、延享3年(1746年)に築造された天台大師堂です。 写...

  • 天徳寺

    本尊は子安観世音菩薩で、世照観音と称されており、元文年間(1736年~1741年)以前までは最上札所番外観音として、向町の月蔵院という天台宗の寺に安置されていましたが、天保年間(1830年~1844年)に廃寺となってしまったため、天徳寺に御遷座して安置することになりました。 本尊は子安観世音菩薩は昭和17年(1942年)の大火で安置堂の衆寮とともに焼失してしまいましたが、平成20年の御開帳に合わせて新たに作像されま...

  • 月蔵院

    天文15年(1546年)近江国の鯰江城主佐々木新太郎綱村が、出羽の国に国替となり、その姓を鮭延と改め、真室城を居城とした際に近江から持参した聖観世音菩薩像を城内に安置しましたが、天文15年(1546年)鮭川の清流に沿った風光明媚の土地に移遷され、それ以来、庭月と呼ばれ、多くの信者を集めるようになりました。 本堂の先の仁王門をくぐり石段を登り切ったところに観音堂があります。 観音堂の右側に鐘楼、百観音堂...

  • 明学院

    天平年間(729年~749年)伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、慈覚大師の作と伝えられている十一面観音像を祀ったのが始まりといわれています。現在の観音堂は安永5年(1776年)に再建されたものです。 境内には観音堂以外にも地蔵堂や諏訪神社(写真右)もあります。 最上三十三観音第32番の御朱印です。住所:山形県最上郡最上町若宮119#御朱印ミュージアム #御朱印 #最上三十三観音 #明学院(最上郡最上町)...

  • 光清寺

    貞観5年(863年)慈覚大師が東北地方を巡った際に、この地のが形勝の地だったので補陀落山と名づけ、駿足の馬が多く放牧されている様子を観て、産馬に適した場所で、民の生業を利益するとし、自ら馬頭観音座像を彫刻し、精舎を建立したのが始まりといわれています。 本観音(富山馬頭観世音)は、東北三大馬頭観音の1つで、県内外から多くの参詣者が訪れています。春秋の2回大祭が行われています。赤倉温泉の近くに所在して...

  • 般若院

    創建年代については不詳ですが、老僧が江戸浅草観音堂から、観世音の木像を頂いて旅していた途中に、この地にて病気で亡くなりました。村の人々は、老僧の亡くなった場所にお堂を建て、尊像を安置したのが丹生村観音の始まりと伝えられています。 享保18年(1733年)、天保2年(1831年)の2度火災に遭い、お堂は焼けましたが、尊像は取り出されて無事でした。天保14年(1843年)宥盛法印の時、人々の願いもありお堂が再建され現...

  • 西光寺

    創建については不詳ですが、現在の西光寺より西方所に立光庵という尼寺があり、観音の別当として奉仕していましたが、尼寺が廃寺となったので西光寺に移されたとされています。 寛文10年(1670年)ちょうど観音堂を建てようとしていた時、最上川に巨大な木材が浮かび上がったので、町の人が寄附を集めて西光寺の境内にお堂を建てたといわれています。 最上三十三観音第29番の御朱印です。住所:山形県北村山郡大石田町大石...

  • 曹源院

    寺の縁起によれば、天正2年(1574年)四位少将師興朝臣がお堂を建立し、千手観音を安置したのが始まりとされています。現在の観音堂は享保年間(1716年~1736年)博道和尚の頃の建立によるものです。観音堂は曹源院本堂から1kmほど離れた山の中腹にあります。 最上三十三観音第28番の御朱印です。住所:山形県北村山郡大石田町横山327-1#御朱印ミュージアム #御朱印 #最上三十三観音 #曹源院(北村山郡大石田町)...

  • 深堀観音堂

    創建については不詳です。本尊は聖徳太子の作といわれる聖観世音菩薩で、天井裏板の上に安置されており、屋根換え工事の時でなければ開帳されません。現在のお堂は今から元文元年(1736年)に建てられたものです。第26番札所の川前観音堂と同じく、近隣の住民の方が交代で維持管理しておられますので、御開帳期間はお堂内で御朱印をいただけますが、それ以外の期間は地区持ち回りとなっています。 最上三十三観音第27番の御朱印...

  • 川前観音堂

    創建については不詳ですが、この地方に悪い病気が流行したとき、慈覚大師が観音像を安置し、悪病消除のお祈りをし、悪病を退散させたのが始まりと伝えられています。観音堂は最上川の下流の川が大きく蛇行する小高い丘の上にあります。参拝時は豪雨の1週間後だったこともあり、川が増水し濁っていました。 江戸時代には新庄藩の戸沢家から物資の寄進があり、お堂や境内の修理も十分であったが、維新後は、廃藩置県により新...

  • 養泉寺

    創建年代等については不詳ですが、この地方をまわっていた慈覚大師が、人や家畜に害を加える毒虫がいたる所に巣を作り、旅行く人を悩ませていることを知り、自分の彫刻した観音像を祀ったのが始まりです。 松尾芭蕉が滞在したお寺として知られており、境内には宝暦12年(1762年)に建設された“涼しさを我が宿にしてねまる也”の句碑(写真右)があります。 最上三十三観音第25番の御朱印です。住所:山形県尾花沢市梺町2-4-6...

  • 薬師寺

    大治5年(1130年)土地の豪族高橋信濃が、銀山温泉街の裏山の中腹に観音堂を建て、旅人の安全を祈るため観音を安置したのが始まりといわれていますが、度々の火災で焼けたため資料が残っていないため不詳です。 観音堂(写真左)には七観音が祀られています。本尊の聖観音は鎌倉時代中期の慈覚大師の作と伝えられています。 最上三十三観音第24番、聖観音、千手観音の御朱印です。 不空羂索観音、十一面観音、...

  • 円照寺

    大同2年(807年)慈覚大師が巡錫したとき、六沢の城沢山の境内には何千年もたった椋の大木の枝葉が数町に広がっていたため、農作物に被害を与えているという村人の悩みを聞いた大師は、みずから大樹を伐採し、この大樹で聖観音をきざみ、有縁の地へ安置したのが始まりです。 有名な銀山温泉へと続く道の途中にあります。境内の入り口にバス停がありましたが、便数はかなり少なかったです。 最上三十三観音第23番の御朱印です...

  • 龍護寺

    宝徳元年(1449年)に開かれ、天文11年(1542年)に延沢城主延沢満延再建し、菩提寺としました。寛文7年(1667年)延沢城が廃城となる際に三の丸の大手門を移築したのが現在の山門(写真右)です。 寛文年間(1661年~1673年)延沢に住んでいた土屋又三郎が、諸国の霊場を巡礼して歩いている途中に近江の国の瓦原寺に泊まった際、観音様のお告げにより故郷の延沢に帰り、竜護寺の境内にお堂を建てて、観音像を安置したのが観...

  • 喜覚寺

    慶長19年(1614年)東本願寺十三代門跡宣如上人に弟子入りした釈浄信が開山し、金森山の中腹にお堂を建てて観音像を安置しのが始まりです。このお堂の下を通るときには馬に乗らず、必ず馬からおり、布で作った手綱を引いて通るようにしていたことから、布引観音と呼ばれるようになりました。 観音堂は納経所から500mほど離れたところにあります。入口の鳥居から200段くらい階段を登ります。 納経所である喜覚寺です。喜覚寺...

  • 清浄院

    行基が三体の仏像を彫刻し、岩の上にお堂を建てて安置し、熊野三所権現にならって、巌上三所権現と呼ぶようになったのが始まりです。山門には巨大なわらじが奉納されていました。 寛文年間(1661年~1673年)山火事で類焼し、享和2年(1802年)にも山火事で焼けましたが、三体の仏像は少しも破損しなかったそうです。観音堂は細い山道を登っていった先にありました。境内入口に数台車を止めておけるスペースがあります。 最...

  • 秀重院

    養老7年(723年)大和国長谷寺十一面観音を勧請し、後年その祠を山腹に建てたといわれています。また一説には、貞観13年(871年)堂前の愛宕神社と共に、郡司伴直道の奉祀とも伝えられています。 享保年間(1716年~1735年)龍興寺住職崇容和尚が、観音堂の再建を発願し、郡奉行の多賀谷次郎左衛門が工事を指揮し、お堂を完成させたといわれています。当時、別当は龍興寺で、観音に関する一切を管理してきましたが、その後龍...

  • 慈眼院

    諸国を行脚していた老僧が岩木山腹に観音木像を置いたまま姿を消し、土地の木こりが薪を背負って山を下ってくる途中、道ばたの薮の中からこれを見つけて持ち帰り、毎日おまいりしていましたが、嘉慶元年(1387年)仏門に入り、教円坊と名を改め、慈眼院を開き、岩木山腹の浄地を選んでお堂を作り観音像を安置したのが始まりといわれています。 本尊は運慶作の聖観音菩薩像で、享保元年(1716年)山火事があり、建物はすべて...

  • 長登寺

    天平3年(731年)帝聖武天皇の勅宣により、その時の国守藤原朝臣重経公により伽藍が建立されたと伝えられています。本尊は行基菩薩が紀州那智の浦にうち寄せられた木を取り上げて彫った十一面観音像といわれています。 明治31年(1898年)火災にあい焼けただれた御尊像は桐の箱に納められ、それ以来秘仏として厳封されましたが、巡礼参拝する方々が絶えないので、明治38年(1905年)山麓の長登氏の所有地に仮堂を建設し、御尊像...

  • 長念寺

    貞観年間(859年~877年)弘法大師の高弟であった真済僧正が長岡山に観音を安置して、総持寺を開山したのが始まりです。鎌倉時代に大江親広が寒河江地方を治めた時、守護仏となりました。 明治維新の時、総持寺が断絶してしまったので長念寺に総持寺のものを譲り、長岡山にあった観音堂を当地に移しました。長念寺についての古い記録はいま伝わっていないため詳細は不明のようです。 長念寺の御朱印、最上三十三観音第15...

  • 観音寺

    創建年代については不詳ですが、小野小町が京都から東北地方に来て、観音堂を開き、守護仏の十一面観音を安置したと伝えられています。 天女が現れ、紫の雲の間から羽衣をおとしたという伝説があり、地名を落裳と呼ぶようになったといわれています。また一説には、小野小町が年をとってから法衣をまとって諸国を巡り、この土地に来て、その法衣を添えて納めたのがその本尊であるともいわれています。 最上三十三観音第15番の...

  • 正法寺

    養老5年(721年)に創設されたといわれています。本尊の千手観音像は、行基がこの地方を巡ってきたとき、農民が干ばつのため苦しんでいたので、観音像を作ってお祈りしたところ、にわかに大雨となり、田畑が生き返ったという言い伝えがあり、雨乞い観音といわれています。 本尊は大和の長谷寺の観音と同じ木で、白壇の香木に彫刻したものです。 最上三十三観音第14番の御朱印です。住所:山形県東村山郡中山町岡69#御朱印ミ...

  • 常福寺

    享保年間(1716年~11736年)火災にあい古い時代の記録等一切を失ってしまったため、創建については不詳ですが、本尊聖観世音菩薩は若松(最上三十三観音第11番札所)と同じ木を使用して彫刻したものであるという言い伝えから、行基が鈴立山に留まった和銅年間(708年~715年)のものと考えられています。 本尊は秘仏として祀られており、開創555年記念御開帳まで一度も開帳されたことがないと伝えられてきました。 最上三十三...

  • 長光院

    慶長3年(1598年)源頼義が奥州賊伐からの帰京の際に、守護仏としてた一寸八分(約5cm)の十一面観音像をお堂を建てて安置したのが始まりといわれています。嘉永元年(1848年)火災のためお堂は灰になりましたが、本尊は時の住職や信者の手で取り出され、一時米沢に移していましたが、仮堂が出来たので翌年帰山しました。 観音堂は標高229メートルの長谷堂城址の小高い山の上にあります。山道の入り口には登山用にスキーのス...

  • 光明院

    和同元年(708年)行基が高松の里に小さな庵を作り、しばらくの間住んでいたとき、本尊聖観音坐像を彫刻して人々に礼拝させたのが始まりです。その後、山の上にお堂を建てて安置されました。 慶応元年(1865年)元旦に山火事のためお堂は火に包まれてしまったが、時の別当であった光明法印が猛火の下をかいくぐって、本尊を運び出して事なきを得ました。明治5年(1872年)に再建された観音堂には大わらじが奉納されていまし...

  • 観音寺

    天仁2年(1109)道寂和尚が開山し、本尊は行基自らが彫りこんだとされる小野篁の護り本尊といわれています。 お寺には駐車場はありませんが、向かい側に公共の駐車場がありました。また、入口には共同浴場(下大湯共同浴場)もありました。 最上三十三観音第10番の御朱印です。住所:山形県上山市十日町9-29#御朱印ミュージアム #御朱印 #最上三十三観音 #観音寺(上山市)...

  • 松尾院

    和銅元年(708年)行基が大きな松の木の下で、無量寿仏、観音、勢至の三仏が柱の木に留まる夢を見て、山に深く入ってゆくと、夢でみた通りの老いた桂の大木があったので、これを切って三仏を彫刻し、お堂を建てて、その仏像を安置して弥陀山と名づけたのが始まりです。 応永年間(1394年~1428年)盗賊の一団が襲ってきて、仏像を盗み出した際、急に滝のような豪雨が降ってきて、付近一帯は洪水のようになり、仏の罰の恐ろし...

  • 宗福院

    和銅元年(708年)慈覚大師が民衆の眼耳鼻舌身意の六つと、地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、天上界の六道の苦しみを救わんとして、桧が無かったためその代用に椹の木で護摩を焚き祈ったのが六椹の始まりと伝えられています。 山形十三仏霊場第1番札所不動明王(写真右)にもなっており、御朱印をお願いしましたが、仏様との結縁は御朱印でなくても大丈夫という理由で、いただくことができませんでした。同霊場の他の札所は普...

  • 石行寺

    和銅元年(708年)行基が仏教を広めるため、この地方を巡っているとき、風景が補陀落山に似ていることから、ここにお堂を建てたのが始まりです。 本尊の十一面観音は行基の作と伝わっていて、脇士の不動明王と毘沙門天は慈覚大師の作とされています。寺宝として「大般若経」104巻があり、各巻奥書から文和2年(1353年)から永和元年(1375年)までの23年間で書写されたものです。 最上三十三観音第7番の御朱印です。住所:山...

  • 耕龍寺

    創建については不詳ですが、源頼義が奥羽の安倍貞任一族と戦い、その戦勝を京都の清水観音に祈願し、それが成就して凱旋の途中、京都の音羽の滝に似た平清水に、京都清水寺より春日の作と伝える十一面観世音を勧請して安置したのがはじまりといわれています。 観音堂は耕龍寺本堂から200mほど登ったところにあります。寺号は伝説によるとかつて付近一帯は湖で、そこに住む竜神を白苗和尚が成仏させたことから、湖が耕地に生ま...

  • 護国寺

    正歴元年(990年)平清水の郷民森山氏の妻が戦死した夫の冥福を祈るため、唐松山の霊窟に観音像を祀り河岸に草庵を結んだのが始まりとされています。   京都一条殿の豊丸姫が清水観音のお告げによって、奥州宝沢の里に辿りつき馬見ケ崎川の上流に住む藤原藤太の妻となり、その豊丸姫の念持仏の弘法大師作一寸八分金無垢の聖観音像を、永久元年(1113)藤原藤太が唐松山の霊窟に祀って、その前に堂宇を建て拝殿としまし...

  • 圓應寺

    延文元年(1356年)山形城主斯波兼頼が城の北東方に位置した現在地に城の守護仏として観音を奉安したことが始まりです。 観音堂には木彫の一丈二尺に及ぶ大観音坐像が祀られており、兼頼が自信の兜の前立てとしてつけていた弘法大師作と伝えられる本尊の聖観音像がその胎内に秘仏として納められています。 最上三十三観音第4番の御朱印です。住所:山形県山形市宮前4-16-33#御朱印ミュージアム #御朱印 #最上三十三観音...

  • 吉祥院

    天平年間(729年~749年)出羽の国に悪い病気が流行し、朝廷は行基に悪疫退散の祈願をさせるため、東北地方に派遣し、その際に天平9年(737年)行基により創建されたとされています。 慶長8年(1603年)山形城主最上義光が奉納した御詠歌額が残っていて、額には第一番千手堂と記されており、その後第3番札所となったようです。 最上三十三観音第3番の御朱印です。住所:山形県山形市千手堂509#御朱印ミュージアム #御朱印...

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