御坂山塊の支稜線にある山。 1,235mで表記されているのは三等三角点がある春日沢ノ頭のこと。 実際の標高は1,158mである。 盆地側の麓には山梨を代表する俳人、飯田蛇笏の山盧がある。
桃の一大産地である一宮にある蜂城山と茶臼山は かつて武田が甲斐を平定するより前の時代、 ここの国人衆の詰城であったとされている。 現在蜂城山の主郭跡に蜂城天神社が祀られている。
山名の通りご飯を盛ったような形をしている。 この辺りは奥秩父主脈の中で最西端に位置する。
青梅街道(大菩薩ライン)の最高点である柳沢峠まで上がって そこから登山というと大抵は東の黒川鶏冠山へ行くところだが、 その反対側、西には三窪高原や鈴庫という山がある。 「すずくら」と読む。
精進湖と本栖湖の間にある山。 東に伸びるやせ尾根の方にはかつて城があり 甲斐と駿河を結ぶ中道往還の要衝であった。
今では大変有名になった観光スポット。 富士あり神社あり桜あり、これぞ日本といった一枚を撮るには これ以上にないと思わせる場所であることだろう。
御坂山塊の釈迦ヶ岳と言えば甲府盆地からでもよくわかる 尖ってよく目立っている山だが、もう一つ釈迦ヶ岳がある。 こちらは山頂直下にあった釈迦屋敷が山名の由来だったそうで 麓の霊亀山永泰寺という寺にこの山にまつわる伝説が残っている。
山梨県中央市の中で最高峰の山。 2つの登山道があり、片方は関原と下芦川を結ぶ 農産物や生活用品、木炭などの燃料を運んだ暮らしの道、 もう片方は農耕守護、商売繁栄、養蚕守護祈願を目的とした信仰の道である。
「四方から見える山」の意で「しほうのやま」から転じて 塩ノ山となったとされる。 古今和歌集にも歌われている由緒ある山。
標高差約400m程度の手軽な山。 標高が634mで東京スカイツリーと同じだとことでも親しまれている。 由来はこの山に住んでいた大子集落から来ていると思われる。
大蔵経寺山、兜山、要害山のような山梨百名山より 奥の方にあったため知名度の低い山であったが、 ほったらかし温泉ができたおかげで登山道が整備され 行きやすい山となっている。
茅ヶ岳の西麓に位置する北杜市明野町。 日本一の日照時間として有名な場所である。
瑞牆山周辺は元々、金山平という地名からもわかるように 金が採掘されていた場所であった。 その金鉱のひとつに魔子の人穴というものがある。 魔子爺という巨大な怪人が家畜や赤子をさらうという昔話が残っているが 恐らくはこの辺りの金鉱に立ち入らせないための話だったのであろう。
甲府市街地より北、 貯水池である千代田湖の東にある甲府名山。
木曾義仲の乳母父である中原兼遠の従臣、 岩竹源次郎が源頼朝の手勢に追われ、 山頂部の南西にある枡岩と呼ばれる大きな岩の上で 自害したというのがこの山の由来。
河内源氏の二代目棟梁源頼義の三男で、 甲斐源氏の祖である新羅三郎義光が砦を築いたという言い伝えの山。
富士を除く山梨百名山の中で最も富士に近い山。 西湖と鳴沢村の間にある展望のいい場所。
真教寺尾根より北側を平行に伸びる県界尾根、 文字通り山梨と長野の県境となる尾根。 ただ国でも藩でもなく県を尾根の名前に使用している。 近代についた名前なのか、はたまた昔は違う名前だったのか。
西の美濃戸から上がる人気の赤岳も 東の清里からだと一気に難易度が跳ねあがる。 真教寺尾根は終盤の標高差600mの急登が核心部で 高度感抜群の中の登山となる。
鳳凰山の由来は諸説あり、 奈良法王が巡幸されたためとする説や オベリスクをくちばし、山稜を羽を広げた鳥に見立てた説、 仏教上の考えから「おおとり」「鳳凰」になった説などがある。 今では三山をひっくるめて鳳凰山ということにしているが、 昔はこれらのうちどれを鳳凰山としていたのか という論争もあったりしたそうだ。
地蔵仏は高さ約十八米、極めて印象的なオベリスクで、 甲府盆地からでもよく注意すると認めることができる。 それは、鳳凰山のシンボルのように立っている。 - 深田久弥 日本百名山 -
硫黄岳山頂より北東へ進んだところに三等三角点があるが、 その基準点名は箕冠という。 箕冠といえば北八ヶ岳の最初の山となる箕冠山のことかと思うが、 その昔、佐久地方では箕をかぶせたような山という意味で この硫黄岳を箕冠岳と呼んでいたそうだ。 爆裂火口が箕をかぶせているように見えるということだろう。 ちなみに箕冠山は諏訪での呼び方で 箕冠山の北西面がそのように見えるからであろう。
読んで字のごとく、水不足に苦しむ人らが 雨乞いをしに登ったとされる山。 そんな雨を願う山は今ではサントリー白州蒸溜所や コカコーラ白州工場などが東麓にあるように 名水を生む山となっている。 南アルプス山系の山梨百名山で最北に位置する山。
深田記念公園にある説明には深田久弥が3月、 この山を登山中に脳出血で倒れたときのことが書かれている。 仲間の「この辺りはイワカガミが咲いてきれいです」 との言葉に、すっかり喜び 「そうですか」とうなずいたのが最後だったという。 イワカガミが咲くのは梅雨時期、 春先に咲いているものではないが 茅ヶ岳を登る上で見ておきたい花である。
甲府盆地から眺めて富士山近辺の御坂山塊の中で 一番高く見える節刀ヶ岳より右へ右へと目をやると 台形のように見える稜線がある、それが王岳である。 随分立派な名前であるが、 甲斐国志には大嶽と表記されており 恐らくはそこから転じたものであろう。
奥秩父山系の中で須玉町へと伸びた山々を 比志津金山塊というが、 その山塊の最高峰が笠無である。
まだらと書いて「まんどり」と読む。 瑞牆山へ行くのに増富ラジウムラインを 上がっていく途中にある山。 秋はきのこ採取や狩猟をしている都合で 入山禁止となっている。
山梨百名山の中では最南端の山。 山名には経が聞こえて「高読経」と当てたとか、 突起がなまってドッキョウになったとか諸説ある。
甘利山よりも人里に近いところにある山。 国土地理院の地図では旭山と表記されているところで、 北側のピークに山頂標がある。 南側には穂見神社という、 奥院にしては随分立派な建物がある。
山中湖のそばにある道志山塊の山。 山頂直下にある石割神社が山名の由来で そこには真っ二つに割れた巨岩がある。
高所から富士を見るのにここより他に 近くで眺められるところはない とすら思える大変人気の山。 南麓には忍草と内野の2つの地区からなる 忍野村がある。
甲府市街地より北西側、 温泉地である湯村から見上げると 山頂部が白い特徴ある山が見える。 山の向こうには 帯那川を堰き止めた人造湖、千代田湖がある。
北アルプスで3000mを越える山は 槍穂高連峰に集中していて8座ある。 個々がとがっている故に 鞍部まで下ると3000mを下回るが 中岳~槍ヶ岳間だけは3000mをキープしながら 縦走することが可能である。 北アルプス唯一の実質3000m級稜線。
今さら槍ヶ岳について語るのも愚かなくらい、周知の山である。 三千米を越える高さと言い、颯爽とした鋭い形と言い、 わが国の山の中で最もユニークな存在である。 - 深田久弥 日本百名山 -
権現岳の西にあることからその名がつく西岳、 八ヶ岳の南端部にありながら西というのは不思議なことだ。 権現岳が八ヶ岳山岳信仰の修験道の中心だった頃 立場川以南の中で一番西にある山という意味で 西岳と呼んだのがはじまりだとされる。
甲武信ヶ岳を中心とする奥秩父一帯が 今年の6月に日本国内では10箇所目となる 生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)の登録決定となった。 長野、山梨では既に志賀高原、南アルプスが それぞれ登録済みであり今回の甲武信が2例目となる。
筑波山を日本百名山に選んだことに 不満な人があるかもしれない。 高さ千米にも足りない、 こんな通俗的な山を挙げるくらいなら、 他にもっと適当な名山が いくらでもあるではないかと。 - 深田久弥 日本百名山 -
水戸徳川家二代当主の水戸光圀公が ここへ訪れたときに見た真っ二つに割れた石から 山名がついたとされる。 伝承が残る奇岩の多い山である。
八方が谷で深く刻まれていることに由来する 茨城最高峰の八溝山。 南麓には名水百選にも選ばれている 八溝川湧水群がある。
こうふ開府500年を記念して2019年に甲府市が 信玄と武田24将にちなんで25山を選定。 (随時更新)
袋田の滝は奥久慈男体山より北へ5km先にある。 海底火山が隆起してできたものだという。 2008年には既存の観瀑台より上に 新たに観瀑台が設置され、 正面から滝の全景を見渡せることができるようになった。 奥久慈一の観光スポットである。
久慈郡大子町と常陸太田市との間にある山。 かつて久慈郡は日立市や常陸太田市も 含まれていたが現在では大子町のみである。 八溝山北面から流れる久慈川流域の 県境辺りが奥久慈である。
山梨県の南端にある南部町と 静岡県の梅ヶ島温泉郷との間にある、 安倍東山稜の中で一番見晴らしがいい場所。 静岡では急な上り下りを滝の数え方の「枚」を用いて 「登り十枚、下り十枚」と表現するそうで 滝が幾つも続いているような急斜面 という意味からつけられたとされる。
相模川水系の笹子川と桂川に挟まれたところにある 電車でアクセス可能な手軽な山である。
守屋山東峰には守屋神社奥宮という 鉄柵で守られた祠が鎮座する。 守屋山には雨乞い信仰があり、 祠を山頂から突き落として 祭神の怒りを買い雨を降らせたという。 今はさすがにそのような習慣に倣って 突き落とすことがないよう 柵で守っているということだ。
国道152号を挟んで南アルプスと 平行して伸びている伊那山地、 これも南アルプスの一部とするならば 守屋山は南アルプスの最北端の山という位置づけとなる。
「富士見」という地名は関東中部の 様々な場所で目にするが、 山に富士見とついたものはこの山だけ。 南アルプスの前衛、早川町と身延町の境にある山。
雁がその腹をするようにして尾根を飛んでいく という云われの山は大月市に3つある。 笹子雁ヶ腹摺山の南西に笹子峠がある。 大菩薩連嶺、御坂山塊を境に 西を国中、東を郡内と呼ぶが 笹子峠はこれら東西を繋ぐ 甲州街道最大の難所であった。
年明け登山は去年と同じく茅ヶ岳。
別名三つ丸、古くは鎮西ヶ丸などと呼ばれていた滝子山。 名前の通り鎮西八郎為朝伝説が残っている。
電車で行ける場所にある 大月市が選定する秀麗富嶽十二景の一つ、滝子山。 大菩薩嶺から伸びる小金沢連嶺の南端になる。
どこから見上げてもきれいな三角錐に見える節刀ヶ岳。 三ツ峠山から蛾ヶ岳へと続く 御坂山塊主稜線のおよそ中央に位置する。
富士河口湖の毛無山から12の峰を 越えていくところにある十二ヶ岳。 この道は御坂山塊の中でも とりわけ険しいところである。
今回登りで通った天狗岳西尾根は 数ある八ヶ岳の登山道の中で 最も開発が遅かった道であるという。 今は開発され多くの人が歩いているが 厳冬期は危険であるためあまり歩かれていない。
北八ヶ岳の最高峰。 東天狗岳と西天狗岳の二峰からなり 西の方が6mほど高い。
甲府市街地北部の要害山より 奥にある奥秩父山塊の山。 6月にはアヤメが咲き、 山頂から眺めた雲海の景色は絶景であるという。
北条氏三代目当主氏康の三男である 北条氏照が築いた北条氏の出城。 築城する前は深沢山という名前の山であった。 日本100名城に選ばれている。
山頂部が蕎麦の実に見えることからその名がつく。 奥多摩で人気の奥多摩三山や石尾根、川苔山 などと比べるとやや奥まったところにあり 奥多摩にしては静かなところである。
大月市と甲州市の境にある大月市の最高地点。 三角点が建てられた当初は西に流れる雨の沢から 取ったと思われるが雨沢ノ頭と名付けられていた。 少し南には日本で一番名前が長いという 牛奥ノ雁ヶ腹摺山がある。
登攀の練習場で有名な三ツ峠山。 北から御巣鷹山、開運山、木無山の 三峰の総称で最高峰は開運山。
南佐久郡の北相木村と南相木村とにまたがる。 神様のおいでになる山ということから 天皇がお座りになる高御座(たかみくら)に由来するという。 「おぐらさん」と読む。
富士山麓の田貫湖に住んでいた 炭焼きの伝説が由来の長者ヶ岳。 その隣の天子ヶ岳にも炭焼きの伝説が残る。
阿蘇、浅間、有珠など、 どれも似た発音だが火山を意味する 古語であったそうだ。 富士山も火山であるため浅間と呼ばれ 富士山信仰で主に関東中部などに 浅間神社が存在するが、 浅間山にある浅間神社とは別のものである。
「ブログリーダー」を活用して、たくげんさんをフォローしませんか?