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  • 秋の嬌艶

    秋の香りがする。どこからだろう?垣根越しに、金木犀の花がさいていた。山ではもうすでに、嬌艶な秋の色で染められているだろう。秋の嬌艶

  • ※ 松山や 秋より高き 天守閣

    俳句といえば、まず松山。甲子園はないけど、なぜか俳句甲子園が開かれる。俳人としては、正岡子規、高浜虚子、川東碧梧桐、中村草田男、石田波郷、松根東洋城・・・etcそういえば、テレビで毒舌評価の夏井いつき先生も松山在住だそうだ。松山市チンチン電車江戸時代から、令和まで生き抜いた天守閣石垣と天守秋空に浮かぶ雲鉄砲狭間の並ぶ塀石落しの並ぶ櫓路面電車の走る街。市役所付近。※松山や秋より高き天守閣

  • ※落ちる水 急ぐ水

    ※落ちる水急ぐ水

  • 千曲川旅情

    千曲川旅情

  • ※ 乳首のある山・・・安達太良山

    百名山で福島県にある安達太良山(1700m)は、詩人高村光太郎の妻、智恵子のふるさとでもある。頂上近くには、荒涼とした巨大な爆裂火口跡がある。そのあたりを過ぎると、安達太良山の頂上が見えてくるが、不思議なことに山の頂の上に岩山がちょこんと乗っかっている。それが乳首のように見えるため、別名乳首山とも言う。言い得て妙なるかな。※乳首のある山・・・安達太良山

  • 黎明への挨拶

    黎明への挨拶

  • 朝霧高原

    朝霧高原

  • ※ 湯の湖にて

    湯の湖にて野田宇太郎詩その日の終わり山旅のはてにみずうみがあった孤独なひとのひとみのように水はしずかに山と空をうつしたまま千年のおもひを今もおもひつづけていた風は木立にオルゴオルをならし水のおもてをわずかにくもらせて草かげにひそかにみのる苔桃の実を紅くこぼした※湯の湖にて

  • 秋の足音が聞こえる

    秋の詩コスモスの花与謝野晶子少し冷たく、匂(にほ)はしく、清く、はかなく、たよたよと、コスモスの花、高く咲く。秋の心を知る花か、うすももいろに高く咲く。秋八木重吉草をふみしだいてゆくと秋がそっとてのひらをひらいてわたしをてのひらへのせその胸のあたりへかざってくださるようなきがしてくる秋の足音が聞こえる

  • ※ 薬師岳から雲ノ平へ

    ハイマツの明るい登山道を右に曲がると、突然に薬師岳小屋が現れた。石積みに囲まれたこじんまりした小屋だ。人のよさそうなご主人がお茶を出して迎えてくれた。夜、星空を見た。星のささやきが聞こえるくらい、天いっぱいにひろがっている。あまりにも星の数が多いので、星座のみきわめがむつかしい。なじみの白鳥、ベガ、アルタイルはすぐわかったが、久しく会っていない星たちが思い出せない。それでもヘルクレス、かんむり、うしかい、おとめ座などに会えた。さそり座のシッポの近く、いて座のそばの星雲を双眼鏡で眺めた。それらは、銀の砂を集めたように光っていた。登山家であり、山岳随筆家の冠松次郎は、次のように書いている。「やがて空が桔梗色に晴れ渡ると、霧を蹴って姿を現した沢山の山や尾根は、みずみずしい緑の色に冴えかえった。私は黒部谷を隔ててすぐ鼻...※薬師岳から雲ノ平へ

  • ※ 誰かに見つめられているような気がした。

    風が木立を吹き抜ける。森の木が揺れる。草むらでカサコソと音がする。立ち止まってあたりを見回す。誰かに、じっと見つめられているような気がした。それは森の小さな動物かもしれない。それとも森の妖精か。川の流れに手を入れて、冷たい水を口に含んだ。※誰かに見つめられているような気がした。

  • ※ 北アルプスの女王・燕岳

    北アルプス三大急登といわれる合戦尾根を登りきると、燕山荘に出る。すぐ右方に白い花崗岩の岩山が広がっている。燕岳である。気品があって気高くそびえるその姿は、まさしくアルプスの女王だ。※北アルプスの女王・燕岳

  • ※ 多摩川上流、御岳渓谷は、夏の盛りだった。

    先日、御岳山の麓に流れる御岳渓谷に、絵の仲間と共にスケッチに行った。猛暑が続く連日のため太陽は容赦もなく照りつけている。しかし、渓流を流れる水音と、緑の葉にささやきかける風の音が心地よかった。渓流沿いにある酒蔵直営店で冷酒を飲んだ。さわやかな日本酒の味が、身体全体にしみ込んきた。ウマかぁ~!※多摩川上流、御岳渓谷は、夏の盛りだった。

  • ※ 割り箸ペンで、静物画。

    割り箸をマイナスドライバーの形に削り、墨汁をつけて描いてみる。いろいろやってみるけど、傑出したものが描けないのは、凡人たるゆえんだから仕方がないことだ。「いやいや、絵は本人が楽しんで描くことに意義があるのだ」ありがとう、慰めの言葉を。※割り箸ペンで、静物画。

  • ※ 絵手紙、絵ハガキ、はがき絵・・・その違いは何?

    F8号、10号になると、とっかかるのがおっくうになってきた。その点、はがきの大きさなら気楽にすぐ描ける。最近、画仙紙まで買ってきて絵手紙に凝っているが、はがき大の絵を描くことにも興味がわいてきた。その時、ふと考えた。(別に、考える程のことでもないが)絵手紙、絵ハガキ、はがき絵はどう違うのだろう?正確ではないかもしれないが、俺流に考えた。絵手紙:「下手でいい、下手がいい」を基本に、味のある絵と文字。絵ハガキ:観光地でお土産、記念品として売っているあのハガキ。はがき絵:ハガキの大きさの紙に、人それぞれの流儀で描いた絵。てなことになるのかなぁ?共通点は、切手を貼ればお便りの手紙となって、人の心を癒すのかも。※絵手紙、絵ハガキ、はがき絵・・・その違いは何?

  • ※ 名馬deep impact 安楽死

    競馬には詳しくないが、ディープインパクトのラストスパートの力強さはよく覚えている。その名馬が北の大地で命を消したという。安楽死だとのこと。競走馬の骨折は、体重が重いため(平均500kg)馬体をささえ切れなくなり、血行障害、炎症、患部の腐敗で死に至るそうだ。回復の見込みなく苦痛を回避するために安楽死させる・・・それはやむを得ない処置だと思う。願わくば、人間にだって当てはめてもいいのではないだろうか?種々な意見があるだろうが・・・※名馬deepimpact安楽死

  • ※ 光徳沼は梅花藻が揺れる清流だった。

    戦場ヶ原とは反対側、ミズナラの森の中に光徳温泉がある。温泉ホテルの前に、光徳牧場が広がっている。白骨林が鋭く天をついて、白く輝いている。なぜだか知らぬが、乳牛の群れの中に馬が混じっていた。牧場の奥に、光徳沼がある。かつては沼であったのだが、今ではすっかり清流となってしまった。清らかな水でしか育たない梅花藻が、白い花を流れに身を任せていた。静かだ。小鳥のさえずりと川の流れの音が、この静けさをより強めている。※光徳沼は梅花藻が揺れる清流だった。

  • ※ 奥日光西ノ湖は、うらぶれた心を癒す。

    日光西ノ湖は、戦場ヶ原、小田代ケ原の奥の森を越え、そのまた奥の森の中にひっそりとたたずんでいる。低公害バスが西ノ湖入り口まで行くので、困難な道ではない。西の湖への道は、カラマツと白樺の林の中に延びている。ハルニエとミズナラの森に入ると、樹木の間から白い湖面が見える。ほとんど人の入らない静かな山の中の湖だ。対岸の濃い緑の森と、岸辺の淡いグリーンの対比が、夢の中にいるような安らぎを感じさせる。切り株に座って誰もいない湖畔を眺めていると、心底、時の流れの悠久を感じる。太陽がキラキラと反射している。銀紙を小さく切りきざんで、湖面に投げ入れたようだ。西ノ湖は、心を傷ついた人がひとりで訪れるのにふさわしい湖だ。沈黙があたりを支配しているのに、なんとなく心をいやしてくれる。「心がうらぶれたときは音楽を聞くな空気と水と石ころく...※奥日光西ノ湖は、うらぶれた心を癒す。

  • ※ カナディアンロッキーMt. Rundle に登る

    あの頃は、今より若かった。当たり前の話だ。今では老人なのだから。場所は、カナダのバンフから一望できるマウント・ランドルである。7月の朝、スプリングホテルのゴルフ場を横切り、Mt.ランドルへのトレイルにとりかかる。その山道は、森林の中の長いコースで、やっと森林限界が近づくと、山並みの向こうにアシニボインの頭が見えてくる。やがて、目の前に白いガレ場……登山道はない。日本なら赤いペンキの矢印があるのに、ここでは「各自が責任を持って勝手に判断しろ」ということだろう。それにしても見上げる山肌は浮き石ばかり……。一歩踏み出すと、ズルズルと足ごとすくわれ、落石が流れる。幸いにもそれぞれの石は角張っており、石器時代のオノのように平たいので数メートルの落下で止まる。もう少し丸い石だと、下の登山者に直撃するだろう。足元に最大の注意...※カナディアンロッキーMt.Rundleに登る

  • ※ 剣の山巓で

    剣の山巓で前田鉄之助(1896~1977詩人)剣の絶巓に立つと(山巓サンテン=山頂絶巓ゼッテン=絶頂)深い濃霧で暗かったただ無明の寂しさだけがしんしんと霧と身内に流れた生きているのは私達だけになったやがて、音もなく浸みる霧雨の冷たさ濃霧は渦巻き流れた死と生の幻覚の中にそして茫漠とした濃霧の中であれからもう30年になるだろうか。台風の翌日、剣沢小屋から剣岳を見上げた。岩のかたまりが、視野いっぱいに広がっている。雪渓が黒い岩肌の裂け目を埋め、朝日に輝いている。昨日の台風は夢のようだ。※剣の山巓で

  • ※ 苗場山から赤湯温泉へ、ブナの林を過ぎで、ブナの木をしみじみと見き。

    お花畑を越えると、山路は急登になる。息を切らしながら、一歩一歩踏みしめて行く。ふり返れば巻機山、左下方にはカッサ湖がキラキラと光っている。あえぎながら前進すると、突然に木道が現れる。目の前がひらかれ、池塘のある草原が飛び込んできた。苗場山(2145m)の山上湿原だ。4km四方もある大湿原だ。遠くに佐渡島、白馬岳の続く北アルプス、皇海山、谷川岳、尾瀬燧ケ岳、日光連山・・・・の大展望。山小屋を早朝、赤湯温泉に向けて発つ。ブナ林の中を歩く、長い行程だ。苗場山から下ること、約5時間(休憩含む)、赤湯温泉の一軒宿(山口館)は明治30年から、清津川の清流沿いにある。電気がない、テレビもない、携帯も通じない。あるのは、露天風呂と、ほんのりとした暖かみのあるランプのみ…これがまたいい。いやしのともし火だ。この宿から、自家用車の...※苗場山から赤湯温泉へ、ブナの林を過ぎで、ブナの木をしみじみと見き。

  • ※ 絵てがみ

    味のある絵てがみは描けないが、クセのあるハガキ絵なら、なんとかできそうだ。花や果物は画仙紙に合うが、風景画には無理のようだ。※絵てがみ

  • ※ 雲ノ平・水晶池のほとりに立つ

    早朝、高天ヶ原の山小屋を発つ。夜霧に濡れたニッコウキスゲが、朝もやの湿原の中で群れている。水晶池に入る小道は、うっかりすると見逃すような目立たない案内板だった。灌木のトンネルをくぐると、忽然と水面が見えてくる。波ひとつ無い水晶池である。対岸の白樺が、くっきりと水面に映っている。そのあたりにニンフでもいるんじゃないかと、思わず見渡した。あれからもう何年になるだろうか。※雲ノ平・水晶池のほとりに立つ

  • ※ 剣岳の黎明

    雷鳥沢テント場から、左上方に高度を上げる。右手に剣岳を、振りかえれば立山雄山の雄姿、そして眼下に広がる室堂、弥陀ヶ原、この雄大な眺めは現地に来てみなければわからない。軟弱な私たちは、大日小屋で一泊。雷鳥が出迎えてくれた。早朝、剣岳の山の端が、ピンク色に光りはじめた。上部の雲は、まだ黒みがかった紫色。それが、やがて赤黒くなり、赤からオレンジへと変わるころ、山の端は金色に輝き始める。そして、赤い太陽が顔を出すと、たちまち銀色の光線が放射され、とても肉眼では直視できなくなる。荘厳な剣岳の黎明だ。※剣岳の黎明

  • ※ 絵手紙はやはり画仙紙がいいみたい

    味のある絵というのは、やはり画仙紙がいいようだ。スケッチ用のハガキ大水彩紙はスケッチ用であって、味のある線とか色が出にくい。初心者としていろいろ工夫してみるが、なかなか納得がいくようなものは描けない。しかし、描くときは楽しい。出展を強要されて描いていた時よりも楽しいのは、時間に縛られないで自由に描いているからかもしれない。※絵手紙はやはり画仙紙がいいみたい

  • ※ 京都嵯峨野

    あの道の先を左に曲がると、化野念仏寺がある。境内には空海が野ざらしの遺骸を埋葬したという、無数の無縁仏がひしめきあっている。こんなにたくさんの仲間がいるのに、なぜかひとつひとつが寂しそうに見えた。雨の落柿舎たんぼ道藪の茶店で書く手紙きのう別れたあの人に京都嵯峨野の笹が鳴る京都嵯峨野の笹が鳴る(伊藤アキラ詞)朝の祇王寺苔の道心変わりをした人を責める涙が濡らすのか嵯峨野笹の葉さやさやと嵯峨野笹の葉さやさやと※京都嵯峨野

  • ※ ブナの林に女性がひとり・・・

    ブナの葉陰をぬって、木漏れ日がピンスポットになってふりそそぐ。若い女性が、ただ独り、うつむきかげんで歩いている。人生は山あり谷あり、急ぐことはない。ゆっくり歩けばいい。静寂のなか、名も知らぬ鳥が激しく鳴いた。そのさえずりが、森の中に滲みこんで、消えた。※ブナの林に女性がひとり・・・

  • ※ はまりそう・・・絵てがみに。

    徒然なるままに絵を描いていると、窓のむこうに選挙カーが止まった。ウグイス嬢が、さかんに「庶民の見方、○○がまいりました・・・」と言う。庶民、なるほど私も庶民だ。では、庶民でない人は誰だろうか?多分、富裕層のことだろう。権力と富と地位を抱え込み、さらなる権威と富を得るのが人生の幸福だと信じている人たちのことだろう。そういう生き方もあるだろうが、庶民たる無力な自分は、ふと見つけた小さな花に心を寄せて、それをスケッチするのに幸せを感じる生活・・・どっちがいいだろうか?・・・う~ん、やっぱり、お金は欲しいよね。なんて考えながら、下手な絵を描いています。画仙紙ではない、通常の水彩紙ハガキ大に描いてみた。にじみはでないので、かきやすいが味がないかも・・・いわゆるハガキにスケッチ。※はまりそう・・・絵てがみに。

  • ※ 正統派の絵てがみに挑戦・・・悪戦奮闘

    正統派の「絵てがみ」を描くには、筆の持ち手の最上部を持って、カタツムリのようにゆっくり動かすらしい。そうすると筆先が震え、線に味がでるという。そんなことをしなくても、私の筆先は常に震えている。なのに、味がない・・・・そこで居直った、「無味でもいい、淡白でもいい」と。その結果が、下記のはがき絵である。※正統派の絵てがみに挑戦・・・悪戦奮闘

  • ※ 山から力を・・・そして、勇気を。

    山には力がある・・・と常々思う。一歩一歩大地を踏みしめて、頂に向かうときの苦しさの中で、ふと思う。「なんでこんなことをしてるんだろう?」と。そんなとき、足元で可憐で小さな花を見つけると、「お前もこんな過酷な地で頑張って生きているんだな」と思いながら、微笑む。力がぐっと湧いてくる。ふるさとの山に向かいて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな石川啄木私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。詩篇山のはがき絵※山から力を・・・そして、勇気を。

  • ※ 花には味があるか・・・・

    残念ながら、味のある花は描けなかった。いわゆる今はやりの「絵てがみ」のような味には程遠い。味のある絵を描くには、鰺でも買ってきて練習することにしようか。次は、画仙紙に描いてみよう。※花には味があるか・・・・

  • ※ 車をはがき絵にしてみたが・・・

    ハガキ大の中に、ゴチャゴチャした車を収めるのに苦労した。車庫入れより、むつかしい。※車をはがき絵にしてみたが・・・

  • ※ はがき絵を楽しむ

    老後2000万が話題になっているが、確かに年金だけでは趣味とか旅行への支出は無理だ。富裕層には関係ない話だろうが貧に窮している吾輩は、旅行記を書こうとしても回想としての旅の思い出だ。というわけで、ブログのネタも少なくなり、最近は更新するのがおっくうになっている。だからといって、楽しくない人生はごめんだ。歳と共に体のパーツも劣化しており、決して健康体ではないが、だからといって神経質に健康のことばかりに気を使うより、心によいことを楽しんだ方がよほど健康的である。そこで考えた。絵を楽しみながら描くということを。どうせ本格的な絵は描けないのなら、軽いタッチでハガキに描けばいい。味のある「絵てがみ」風には描けないが、無風味の独断流でも楽しめる。思い出の写真と筆さえあればできる。今回は尾瀬のはがき絵。ハガキの大きさだから、...※はがき絵を楽しむ

  • ※ うだつは上がらなかったが、血圧は上がった。(徳島脇町うだつの街)

    徳島の古い親友から便りが届いた。思い出すのは、脇町の古い街並みのことである。徳島駅から池田行きの2両編成のローカル線に乗った。水田が広がり、民家の庭にはビワの実がたわわについている。人気のない駅には、紫陽花が咲いていた。穴吹駅で下車。ふれあい橋という歩行者専用の長い橋が、四国三郎吉野川をまたいでいる。高い橋の欄干から目を川面に落とすと、はるか下に鯉ではない大きな魚が見える。30cmもある鮎だろうか?橋を渡り、堤防沿いを左にとると、15分ほどで白い蔵のような建物に出くわす。まるで博物館か文化施設のようだ。しかし、それはスーパーストアであった。町の中に溶け込んだ静かな落ち着いた雰囲気。そのストアの前の大谷川を渡ると、うだつの町並みである。俗な表現だけど、明治時代にタイムスリップしたようだ。古い格子戸、漆喰の壁、白い...※うだつは上がらなかったが、血圧は上がった。(徳島脇町うだつの街)

  • ※ 長野県山ノ内町って、知ってますか?

    池袋駅地下、東武デパートエレベーター前、サラリーマンたちが行きかう混雑の中から、5年ぶりに会う先輩が現れた。頭髪も薄くなり、全体的に少し縮んだかなと思われる。現役時代からいろいろとお世話になった人である。80歳代半ばであるが、まだ社長を続けている。東武デパ13階からの夜景を見ながら、6人の仲間で行った海外旅行や温泉旅行、飲み会の思い出をまるで青年のように熱く語った・・・が、その仲間も私たち二人だけになってしまった。今年になってから3月、4月と2人が逝ったのだ。その弔い飲み会でもある。話題は飛んで、それぞれのふるさとの話になった。先輩のふるさとは長野県山ノ内町である。あまりなじみのない地名だが、以前白根山経由で、志賀高原大沼池に行ったとき、解説看板の終わりに「山の内町」と書いてあったのを思い出した。「ところで、大...※長野県山ノ内町って、知ってますか?

  • ※ 愛犬が行方不明に

    あれからもう18年近くになるだろうか。会社から帰宅すると、必ず愛犬(名をヒメという。当時3歳のヨークシャテリア)がクンクンと鼻をならして飛びついてくるのに、その日は薄暗く静まり返った玄関だった。妻はふとんにもぐって寝ている。「ヒメは?」と聞くと、「いなくなったの」と言う。「なんで!!冗談じゃないよ!!」と言ってはみたものの、打ちのめされた妻の姿を見るとそれ以上のことは言えなかった。苦しんでいるのは妻の方かもしれない。玄関のドアを開けたまま、玄関先の花を手入れしている時に、ヒメはチョコチョコと下りてきたらしい。そして、妻の後ろを通り、ひとりで散歩に出かけたらしい。もちろん室内犬のため、ひとりでは絶対に散歩させない。ヒメは、世間の恐さを知らずに無断で行ったのだ。すぐに交番に飛んで行って、迷い子届けを出し、帰ってから...※愛犬が行方不明に

  • ※ 茨城気まぐれ旅行

    袋田の滝入場料を払って、山の中のトンネルに入る。トンネルの途中、右に曲がると、視界いっぱいに広がる大瀑布。袋田の滝の第四段目が、眼前に迫っていた。その迫力は、さすが日本三名瀑のひとつ、見るものを圧倒した。トンネル内のエレベーターに乗る。岩山をくりぬいた立坑の中を昇りきると、そこは高さ120mの滝全体を見渡す絶景の地。西行法師(平安末期の漂泊の歌人)も、この地を訪れて絶賛したという。大洗磯前神社の鳥居荒々しい岩礁に立つのは神磯の鳥居という。ここは日の出のスポットとして、カメラ愛好者には垂涎の地。大波が鳥居を洗うような時もあれば、満月の夜、すべてのものが停止した光景にもなる。この日は、波は静かであったが陽射しは夏のようだった。ひたち海浜公園春はネモヒィラ、秋はコキアがあまりにも有名で、この時期人は少ない。それでも、...※茨城気まぐれ旅行

  • ※犬も歩けば棒に当たる・・・俺が歩けば看板に当たる。

    先日、小グループで旅行した時だった。ホテルを出て、海への道は遠くなかった。海岸通りの信号を越えて、海辺に広がる公園に出た。そこは、堤防への手前で、広場になっている。堤防へ上る道に出るには、斜めに横切る方が近い。その道と広場との境目には、10cmほどの高さのコンクリートで囲まれた芝生があり、そこをひとまたぎすると堤防への道に出る。曇りの天気予報ははずれて、太陽はサンサンと照り返している。まぶしさを避けるため帽子を目深にかぶり、うつむきかげんでその芝生に足を踏み入れた。その途端、ガツンという音と共に、頭に強い衝撃を感じた。思わず「痛ッ!!」と発声、いや、実際に痛かった、目から火が出たのだから。同行の者が、即座に「大丈夫!?」と声をかけてくれた。私は自分のミスに照れながら「大丈夫、大丈夫」と半笑いしたが、その顔は崩れ...※犬も歩けば棒に当たる・・・俺が歩けば看板に当たる。

  • ※ 教会式結婚式で想うこと。

    パイプオルガンの伴奏で、讃美歌「慈しみ深き」を合唱している。正面には、6面の巨大なステンドグラス・・・・日曜礼拝ではない。でも、牧師はいる。牧師の前には、新郎新婦が緊張の面持ちで、こうべを垂れている。先日、親戚の娘の結婚式に参加した。教会式だけど、当事者はノンクリスチャンである。久しぶりの結婚式参加で、設備の豪華さと、演出に恐れ入ったという感じだ。まず、式場がとても広く、礼拝堂が道路を隔てた向こうとこちら側で、二つもある。(礼拝するのではなく、結婚するためだから結婚堂と言うべきか・・・?)牧師は米国人がひとりだから、掛け持ちをして一日6組以上こなすのだろう。オルガン奏者とトランペット奏者、専属歌手が二人、動画カメラマンが二人、カメラマンが一人、お手伝いが数人・・・後方の木製ドアが開き、バージンロードを新婦とその...※教会式結婚式で想うこと。

  • ※ 白川郷

    あれはいつの頃だったか・・・雪を求めて、白川郷を訪ねた。当たり一面、真っ白。雪の上に雪が降る。合掌造りの屋根に降る。あの灰色の空で生まれた雪片は、右に左に遊びながら落ちてくる。※白川郷

  • ※救急車で何度も運ばれていた孫が、今では大学受験で奮闘中。

    我輩も歳を取るはずだ、孫がもう大学受験生。幼い頃はつぶらなひとみでかわいかった孫が、今では鼻の頭にニキビをつくった高校三年生だ。身辺整理をしていると、孫が救急車で運ばれた日の記録があった。それを懐かしむようでは、相当に老いた証拠だ。先は短いぞ!_________________________2002年9月13日午前0時30分病院にて。人は泣きながらこの世に生まれてくる。これから先の、生きる苦しみを思うと、泣き叫ばずにはいられない。ささやかな幸せを求めて、苦悩の大海を泳がねばならぬ。母の胎内の、羊水の中にいるようなわけにはいかない。今、9月13日午前0時半、病院の待合室のベンチで手帳にこれを書いている。小児喘息のため救急車で運ばれた孫が、急患ベッドに横たわっている。苦しさと闘っている幼い孫の泣き声が、誰もいない...※救急車で何度も運ばれていた孫が、今では大学受験で奮闘中。

  • ※ 鹿島槍ヶ岳から下山途中、死に損なう。

    NHK・BSで、プロアドベンチャー(田中陽希氏)の300名山一筆書きをやっていた。桁外れの体力があるからとはいえ、考えられないスピードであの山並みを走破している。先日放映していたのは、後立山連峰を富山県側から、朝日岳、白馬岳、八峰キレット、鹿島槍ヶ岳、針ノ木岳までの行程である。私にもそれぞれの山に、それぞれの思い出がある。画面に広がる雄大な山容、そそり立つ岩峰、どこまでも続く白い登山道・・・・身震いするようななつかしさで、昔を思い出しながら見入った。あれはもう何十年も前の夏のことだった。冷池山荘を早朝出発して、鹿島槍ケ岳を越え、八峰キレットから五竜岳の方へ抜ける計画だった。目覚めた時はすでに小雨であった。八峰キレットの難所を考えると、この天気では無理だとわかっていたが、せめて鹿島槍ヶ岳まで登ってみようと出発した...※鹿島槍ヶ岳から下山途中、死に損なう。

  • ※幼き思い出 :ミミズに小便をかけると、チンチンが腫れた。

    山仲間の飲み会で、幼い頃の思い出が話題になった。身震いするほど昔の話だ。小学低学年の頃だったろうか、近くの古池で魚を釣るための餌として、裏庭の腐食した土地からミミズを何匹か採集した。細めのシマミミズの中に、一匹だけ鉛筆位の太いミミズが混じっていた。それは必要としないため、集団の中に入れないで50cmほど離しておいた。その時尿意を催したので、「ちょうどいい、実験だ!」との思いで水鉄砲のごとく、太ミミズに向かって放射した。すでに、「ミミズにおしっこをかけるとチンチンが腫れる」ことは、誰からか聞いて知っていたが、「そんな馬鹿な」と信じていなかった。それから、歩いて5分ほどの古池で、魚釣りに夢中になり「おしっこ」のことなどすっかり忘れてしまった。釣果は、あまり覚えてないが、覚えているのはその日の夕方、チンチンが腫れて痛...※幼き思い出:ミミズに小便をかけると、チンチンが腫れた。

  • ※ 車内で会った知人の名が思い出せない。

    電車のなかである。乗って来た人が、私の前に立った。なにげなく見上げると、目が合った。「ヨォッ!こんにちは」「あれ!どうも」「まだ、現役?」「いや、とっくに定年だよ」「そりゃそうだね。お互いに歳をとったね」取引先で、わりと親しくしていた人である・・・が、名前が思い出せない。会社名は思い出したので、滞りなく話は展開したが、別れてからも名前はどうしても思い出せない。もっとも、彼の方だって私を名指しで呼び掛けてなかったので、お互いさまかもしれないが・・・・。帰ってから名刺など探したが、とっくに身辺整理で処分したあとだった。脳科学者の研究によると、記憶力が低下するのは、脳に刺激を与えない生活をしているからだという。物忘れは歳のせいではなく、脳の刺激をあきらめているからだそうだ。変化や刺戟の乏しい生活は、私たちの感情をどん...※車内で会った知人の名が思い出せない。

  • ※ 水仙を見て、時の流れを感じる。

    先日、スケッチ仲間と一緒に岩殿観音正法寺を訪ねた。718年、今から約1300年前に開山したという。頼朝の妻、北条政子の守り本尊とも言われている。神社仏閣を描くことは、絵としては面白いかもしれないが、我が腕ではとてもかなわない。荘厳なる建物に向かえども、絵筆は遅々として運ばない。ふと陽だまりを見ると、水仙の花が咲いていた。黄色いラッパをややうつむき加減に開き、早春の足音を聞き逃すまいとしているように見える。ギリシャ神話では、ナルキッソスが水に映る我が姿の美しさに見とれて、水仙の花になったという。我が身にそういう経験はないが(当然だろうが)、たまに鏡を見ると時の流れを実感する。「ああ、歳を取ったなぁ・・・」と。しかし、今年も水仙が見られたということは、春を迎えられるにちがいない。春はもうすぐだ!※水仙を見て、時の流れを感じる。

  • ※ 釈迦の弟子たちに会う。少林寺にて。 (鐘撞堂山の麓)

    武蔵の国、秩父の鐘撞堂山から少林寺(1511年開山、曹洞宗)に向かって下山する。円良田湖を過ぎて、羅漢山への急登を登り切ると、下りは長いつづら折れ山道になった。その道には五百羅漢が2~3mおきに並んでいる。思い思いの姿でたたずむ石像は、何百年ものあいだ風雨にさらされ、その面はすっかり風化している。首のないもの、傾いたもの、足元の土が流されて今にも崩れそうなもの・・・。枯葉の中にうずくまりながら、静かに、しかし表情豊かに流れゆく時を眺めている。同行の相棒が言った。「五百羅漢を丁寧に見ていると、だれか知ってる人に似ている像が必ずいるらしいよ」そんなことを確認しながら歩いていたら、今日中には帰れないのでそれはやめた。参考羅漢とは、仏教において最高の悟りを得た聖者のこと、だそうな。十六羅漢:釈迦の弟子の内特に優れた16...※釈迦の弟子たちに会う。少林寺にて。(鐘撞堂山の麓)

  • ※ 戦国時代の鐘の音が聞こえる鐘撞堂山(かねつきどうやま)

    頃は戦国、所は武蔵、荒川に沿った秩父山地に鉢形城があった。時の支配者小田原北条氏が侵略者の見張り場として、この山(鐘撞堂山)の頂に鐘を設置し危急時に鐘を鳴らしたという。しかし、鐘の音もむなしく、豊臣秀吉の小田原城征伐の折、前田利家や真田昌幸らによって滅ぼされた。今も、その時代のものではないと思うが、かわいらしい鐘がポツンと立っている。鐘をつくと、敗残武者のうめき声のような響きがした。山頂からは関東平野が一望に見渡され、遠くスカイツリーもぼんやりと見える。筑波山も遥か向こうにその双耳峰をかすませている。蝋梅も咲き始めて、春はもうすぐだ。しかし、尾根を走る風は冷たい。「ぎよ~んん~~」まさか、熊が出るとはね…。くまったもんだ。鐘撞堂山からの展望。中央にうっすらと筑波山。蝋梅も咲き始めた。鐘撞堂山登山口近くに池がある...※戦国時代の鐘の音が聞こえる鐘撞堂山(かねつきどうやま)

  • ※ 落葉の山路を歩く(栃木県太平山)

    どこまでも木漏れ日が続いていた。光と影が落ち葉の山道をシマ模様に分けている。樹木が途絶えたところに陽だまりがあった。その場所からは、関東平野が手に取るように見えた。はるか地平線のかなたに、過ぎ去った年月と思い出が霞のように棚引いていた。太平山の山頂で、昼飯にした。コンビニで買ったおにぎりを、地面に落としてしまった。近くの枝にとまっていたカラスが、私たちをしばらく眺めた後、「アア・・ホ」とひと声鳴いて飛び去った。※落葉の山路を歩く(栃木県太平山)

  • 紅葉を見ながら考えた。

    平林寺の紅葉を見ながら考えた。桜の花の下なら、やはり酒だろう。柳なら、ドジョウだろうか。では、紅葉の木の下なら、なんだろうか。なんといっても、和服の女性が似合う。憂いを含んだうつむき加減の女性がいい。水面に浮かぶモミジを、じっと眺めているのがいい。「京都~大原三千院~」の歌詞のような女性なら、なおいい。平林寺の広い境内を徘徊しながら、しばしヘボ詩人になったが、詩は浮かんでこなかった。紅葉を見ながら考えた。

  • ※ 紅葉が去ると冬が来る・・・それも又よし。

    紅葉は山から里へ、里から市街地にまで下りてきた。そして、間もなく冬がやって来る。いつからが冬なのか、その境目は定かではない。ちょうど、人の老いのように、ゆるやかに始まるからだ。一日一日、忍び寄るように時が流れ、ふと気づくと木枯らしの吹く冬となり、容赦ない現実を見て困惑する。しかし、それもまたいいではないか。冬は冬で、冬にしか味わえない情緒がある。雪の降る日など遠くは霞んで見えないが、木の枝に積もる雪片を眺めていると、ふっと心にやすらぎを感じる。それが儚いものであるほど、想いは時空を自由に駆け巡る。※紅葉が去ると冬が来る・・・それも又よし。

  • ※ 4億年前の大地の遺産ジオパークを船から望む

    愛媛県西予市には、4億年前の地層が海上に突き出ている。しかも垂直に突っ立っている。歴史を積み重ねた地層だから、当然水平に積層されるのが普通である。ところが地殻変動により、数億年もかけてとうとう垂直までに折り曲げられてしまった。それが半島となり、島となった。海面に突き出た二つの島が、屋形船の上から一つに重なる光景を見た。縦じまの地層が、見事に重なり合体するのである。※4億年前の大地の遺産ジオパークを船から望む

  • ※ 石鎚山の顔は変化する。

    富士山と違って、石鎚山は見る場所によって姿がちがう。富士のように円錐形ではないからだ。石鎚は、石鎚スカイラインから見ると、まるでミニ剣岳のようだ。瓶ケ森からの石鎚山UFOラインからの石鎚山石鎚スカイラインからの石鎚山松山市内からの石鎚山※石鎚山の顔は変化する。

  • ※ 石鎚山系面河渓の清流を見ながら歩く。

    すでに命を終えた紅葉が、色あせた葉をはらはらと舞い散らせている。晴天が続いていたためか、道から見下ろす面河渓の水量は多くはない。それでも花崗岩の白い岩肌にまとわりつくように、清らかな流れをつくっている。川底の小石や、川面に頭を出していない白い岩が、手に取るようにくっきりと見える。※石鎚山系面河渓の清流を見ながら歩く。

  • ※ 石鎚山系、紅葉の道をドライブ

    西条から加茂川沿いに山に入る。寒風山トンネルを出ると、一気に秋が深まった。山の頂はすでに葉も落ちて、木の枝がブラシのように天を指している。しかし、街道沿いはあふれるばかりの紅葉・・・同じ木でも枝の位置によって微妙に色合いがちがう。素晴らしく贅沢な時間だ。一の谷のやかた※石鎚山系、紅葉の道をドライブ

  • ※観音沼 憂愁の秋

    紅葉の木の間から、観音沼の水面がキライラと輝いていた。こんなに華やかな景色なのに、なぜかこのたたずまいに哀愁を感じる。それは、やがて散ってゆくはかなさが、わが身と重なるからか・・・それでも、俺は憂愁の秋に限りない親しみを感じる。(南会津、観音沼にて2018/10/9)※観音沼憂愁の秋

  • ※柿の木から落ちて気絶する。

    散歩途中、農家の庭先の柿の木に、熟した実がたわわになっていた。それを見た時、すっかり忘れていた記憶がよみがえった。子供の頃、といっても小学4~5年生の頃だったか、私は柿の木から落ちて気絶したことがある。故郷の家の裏庭の無花果の木のそばに、柿の古木があった。直径30cmはあっただろうか、高さも屋根の上を超えていた。台風で折れた木の折れ口は、朽ちて穴になり、野鳥の巣となっていたこともあった。そんなに実がならないうえ古木の為、親からは「危ないから絶対に登ってはいかん」と厳命されていた。学校から帰って来たその日は誰も家にいなかった。私は「しめしめ」と思い、日頃もくろんでいた柿の実取りに挑戦・・・・。太い幹にとりついて、慎重に登っていった。枝分かれした木の股に足をかけ、やや離れた次の枝に思い切り手を伸ばしてつかまえた。と...※柿の木から落ちて気絶する。

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