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  • 山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

    訪問日令和5年10月18日山居倉庫(国指定史跡)明治26年(1893年)旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなった今回は倉庫の正面から回ってみた小鵜飼船倉庫から舟までは、女丁持(おんなちょうもち)と呼ばれる女性によって運ばれた一俵60kgの米俵を5つ(300kg)背中に担いだという記録(写真)が残っている平成30年(2018年)時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されていた山居倉庫は令和3年(2021年)国の史跡に指定され、米倉庫としての使用は2022年度末で終えた倉庫の中央に通路があり、その先に神社が見える東宮殿下行啓記念館東宮(後の昭和天皇)の山居倉庫行啓を記念して建てられた昭和元年(1926年)に建てられた米穀貯蔵の研究施...山居倉庫(山形県酒田市山居町1丁目)

  • 土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

    訪問日令和5年10月18日土門拳記念館昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となった土門拳は、自分の全作品を郷里酒田市に贈りたいと語った酒田市はそれに応え、昭和58年(1983年)写真専門の美術館「土門拳記念館」を開館した20年ほど前に最初に訪れた時には400円だった入館料も現在は1,200円になっている(昨年は800円)入館者も1時間ほど滞在したが、ほんの数人程度でかなり減っているような感じがしている昔は、旅の始めに土門拳の写真を観て、感動した写真の寺や仏像を巡る旅をしていた近頃は足が遠のいていたが、久し振りに寄ってみたいと思った入館料は高騰したが、いつの間にか「写真撮影可」になっていたこれは、土門拳ファンとしては大変嬉しい出来事だ記念館には、土門拳の写真を約13万5千点を収蔵しているライフワーク...土門拳記念館(山形県酒田市飯森山二丁目13)

  • 鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

    訪問日令和5年10月18日鳥越八幡神社正式名称は「八幡神社」「鳥越八幡宮」とも称す社伝によれば、寛喜元年(1229年)に鳥越義宣が相模国から鶴岡八幡宮を勧請、これを「新八幡宮」と称したことに始まるという鳥居社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた初めて訪れる神社である案内板社務所社務所周辺で清掃をしている女性に元気な声で挨拶をされた朝からとてもいい気持ちになった手水舎御神木「夫婦杉」新庄のパワースポットらしい参道を歩く(左側の胸像については後述)鳥居額には社号の「八幡宮」拝殿(重要文化財)新庄藩2代藩主戸沢正誠による元禄4年(1691年)の建立桁行3間梁間2間、入母屋造平入、銅板葺で、正面に1間の向拝背面からは幣殿を突出させて本殿に接続している総素木(しらき)造で江戸時代中期の堅実な特色を示す拝...鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)

  • 居合神社(山形県村山市林崎85)

    訪問日令和5年10月17日この神社を訪れる前夜、車中でパソコンを開きながらダラダラしていたその時、高校時代に部活動でご指導頂いた恩師から突然Facebookの友達申請の連絡があった反射的に背筋が伸び両手は膝の上にのっていた(一瞬高校生に戻っていた)居合神社その恩師が現在、居合道の師範をされていると高校時代の友人から聞いていた翌朝になり、居合道について気になったため、調べていくうちに「居合神社」があることを知ったこの日は宮城県の道の駅にいたが、仙台市を経由して向かうことにした鳥居の額には「熊野居合両神社」古くは熊野明神、林崎明神とも呼ばれていた社号標社号標には「日本一社居合神社」と刻まれている居合道発祥の地として全国で唯一の「居合神社」である狛犬手水舎由緒・沿革拝殿額には「林崎大明神」いつものように、隙間か...居合神社(山形県村山市林崎85)

  • 仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

    訪問日令和5年10月17日仙台東照宮正式名称は「東照宮」だが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている承応3年(1654年)仙台藩の2代藩主「伊達忠宗」によって創建された石鳥居(重要文化財)明神鳥居形式の美しい白色の鳥居で、宮城県最古の石鳥居である主な部材である花崗岩は伊達忠宗夫人振姫の郷里である岡山県犬島から海路で運んだもの実は、東照宮を訪れようと1週間ほど前に、仙台市内にいたのだが雨天のため参拝を諦めていた前日に「相馬中村神社」で声を掛けられた男性から「仙台にもいい神社がありますよ」と言われたことも気になっていた悔いを残すのも嫌なので、道の駅から車を走らせた狛犬境内図石段(仙台市登録文化財)参道の石段にも工夫があるという説明によると、緩やかな勾配で、階段と踊り場が交互に配置されている階段も4...仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

  • 勝楽山 高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

    訪問日令和5年10月16日勝楽山高蔵寺嵯峨天皇の弘仁10年(819年)に「徳一(とくいつ)」が開創したと伝わる真言宗智山派の寺寺号標山門石碑には「高蔵寺阿弥陀堂」と刻まれている参道横の細身の「観音様」手水舎阿弥陀堂(重要文化財)高蔵寺阿弥陀堂は平泉文化の流れを汲んでおり、奥州藤原氏3代目藤原秀衡の妻により治承元年(1177年)に創建された現存する宮城県最古の木造建築である阿弥陀堂は飛騨工の手よるもので鎖釘を全く使用していないという茅葺き屋根から植物が垂れ下がっている平安時代の建造物は全国でも26箇所しか残っておらず、阿弥陀堂としては7箇所だけ岩手県平泉町の「中尊寺金色堂」、福島県いわき市の「白水阿弥陀堂」と並ぶ東北三大阿弥陀堂の一つとなっている高蔵寺の大杉(宮城県指定天然記念物)推定樹齢800年樹高35m...勝楽山高蔵寺(宮城県角田市高倉字寺前49)

  • 相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

    訪問日令和5年10月16日相馬中村神社<別名:妙見中村神社>相馬氏の始祖である「平将門」が承平年間(931年-937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まるといわれる別名「妙見中村神社」と呼ばれ、南相馬市の「相馬太田神社」「相馬小高神社」とともに「相馬三妙見社」の一つとして知られている社号標神馬狛犬神橋から境内に入る鳥居額には社号の「相馬中村神社」皇大神宮遥拝所この遙か先に伊勢神宮がある神楽殿北野天満宮社務所相馬野馬追(国の重要無形民俗文化財)平将門公ゆかりの伝統的な神事「相馬野馬追」では、出陣式の舞台となっている伝説によれば、相馬野馬追は今から一千年以上もの昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことにはじまったと伝えられ...相馬中村神社(福島県相馬市中村字北町140)

  • 瑠璃光山 医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

    訪問日令和5年10月16日瑠璃光山医王寺東北地方を巡る旅のなかで、芭蕉ゆかりの地を訪れてみたいと考えていた滞在していた場所の近くにその寺があった「おくのほそ道」で芭蕉が感涙をおさえきれなかったという寺である寺号標「醫王密寺」と刻まれている薬師如来の別称「医王」を寺号としている平安時代の天長3年(826年)「空海」による開山とされている貴船神社奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた「佐藤一族」の菩提寺である宝篋印塔初めて訪れる寺で案内標示に従って歩く始めに「本堂・芭蕉句碑」正面に本堂慈母観世音菩薩親子地蔵南無大師遍照金剛(弘法大師空海)本堂入口入り口前の階段には「眠り猫」が扁額には山号の「瑠璃光山」堂内に入ると「佐藤一族位牌殿」と書かれた文字が目に入ってくる義経に関する小説は読んだことがあるが、このときは...瑠璃光山医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)

  • 中野不動尊<中野山 大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

    訪問日令和5年10月16日中野不動尊(中野山大正寺)前日からの雨が朝方まで降っていたが、急に天気が良くなった道の駅「ふくしま」の車中で「最寄りの有名寺社」で検索したところ近くにこの寺があった寺号標寺号標には「中野不動尊」とあるが、正式名称は「中野山大正寺」である明治36年(1903年)に永平寺64世貫首の森田悟由が、中野不動尊本堂の「大正寺」を建立した曹洞宗の寺院狛犬祈祷殿総欅造りのお堂祈祷殿周囲の彫刻「眼守不動明王」が祀られている眼にかかわる霊験あらたかとのこと初めて訪れるため案内に従って歩く納札堂総ステンレスで造られたお堂注連飾りや松飾りなどを納める場所「毘沙門天」が祀られているアニメに出てくるようなユーモラスな像だ先に進むと朱色のお堂が見えてくる眼下のお堂は「寂光門」大日堂昭和54年(1976年)に...中野不動尊<中野山大正寺>(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)

  • 堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

    訪問日令和5年10月15日堂山王子神社堂山王子神社は大同2年(807年)に坂上田村麻呂が創建したと伝わる神社朝からの強い雨が降り止まず、駐車場にて待機する終日雨予報ということもあり、あきらめて目の前にある石段を駆け上がる坂上田村麻呂伝説東北の寺社巡りをしていて気付くことだが「坂上田村麻呂」という名をよく目にする各寺社の創建に係わり、大同2年(807年)が共通する年号になる平安時代この一帯には修験僧が宿泊する施設が13カ所あった本殿はそれらをまとめる大きな寺院、「龍頭山堂山寺」の観音堂として建てられたものと伝えられている鐘楼明治初期に全国で起こった神仏分離による廃仏毀釈運動から逃れるために「堂山王子神社」と改称した山門(旧仁王門)旧仁王門と思われる神社山門文化2年(1805年)に再建した棟札あり内部には青色...堂山王子神社(福島県田村市船引町門沢東ノ前)

  • 梅福山 報恩院 専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

    訪問日令和5年10月14日梅福山報恩院専称寺浄土宗の寺院応永2年(1395年)に良就十聲(りょうしゅうじゅっしょう)が開創した寺院東北地方を中心とした浄土宗名越派総本山的寺院であった細い坂道を上り、カーナビの案内する駐車場らしき場所に着いただが、駐車スペースもなく幹から伸びた小枝が車体を擦りUターンもできない状況であった鐘楼堂(いわき市指定文化財)とりあえず車を置き、急いで階段を上がり記録用の写真を撮りに行くことにした階段の途中にあったのが鐘楼堂だった階段の途中から撮るとこのようになっている上に上がると、かなり低い位置に、鐘を撞く棒(撞木<しゅもく>)がある本堂(重要文化財)寛文8年(1668年)の焼失後、寛文11年(1671年)に再建されたと伝える入母屋造、瓦形鉄板葺き本尊:阿弥陀如来2011年の東日本...梅福山報恩院専称寺(福島県いわき市平山崎字梅福山5)

  • 飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

    訪問日令和5年10月14日飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)平安時代の康平6年(1063年)源頼義が奥州討伐の際、源家が崇敬している石清水八幡を磐城の地に勧請し、戦勝を祈願したのが始まりと伝えられている9月15日の例大祭直前の土・日曜日に400年も続いている古式大祭及び流鏑馬神事が執り行われている鳥居額には「八幡宮」楼門(重要文化財)楼門の建立は、二階柱墨書より万治元年(1658年)である一階は、柱は八角造柱で礎石建ち桁行三間、梁間二間で、両側面前端間に随身像を安置している二階は、円柱で、中央間二本の柱は一階からの通し柱とし八角造桁行三間、梁間二問、内部は一室で、仲哀天皇社を安置している扁額を拡大してみると「八幡宮」と書かれているその額を、前面がガラスのような額で覆っているところから貴重なものと想像できる随...飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路84)

  • 白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

    訪問日令和5年10月14日白水阿弥陀堂東北6県を巡る旅が今回が最後と決めていたので、訪れたことのない場所を選んできたこの旅に出る前、9月の台風13号から変わった熱帯低気圧による大雨で阿弥陀堂が被害に遭ったということをニュースで知ったどのような状態になっているのか、気になっての再訪である福島民報YouTube「ドローンによる空撮いわき豪雨」<下記をクリック>白水阿弥陀堂+台風による被害-Google検索公園駐車場には車は駐まっていたが、参拝者は私一人であったこれは、豪雨から一ヶ月後の様子である鯉が元気よく泳ぎ口を開けて餌をまっていた池もこのような状態である真言宗智山派の寺院・願成寺が「阿弥陀堂」を所有する受付所から阿弥陀堂への道は以前と変わらないと思っていたが、汚泥を除去し砂利を敷き詰めたそうだ橋の床板がく...白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)

  • 八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮 224)

    訪問日令和5年10月13日八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)「陸奥国一宮」ということで訪れた社号標「国幣中社都都古別神社」と刻まれている鳥居第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った日本武尊を守護した3神が建鉾山に隠れたので、尊は東方に箭(や)を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという「境内図」参道の正面に随身門が見えてくる社務所狛犬個性的な風貌をしている手水舎随身門(福島県指定文化財)正徳元年(1711年)に焼失した後、享保年間(1716~36年)に再建されたとみられている八脚門形式で、彫刻や彩色などの装飾も細部までまとまっている扁額には「奥州一宮」「陸奥国一宮」ということで訪れたが、境内図と随身門には「奥州一宮」と調べていくと陸奥国の別称で奥州と陸州...八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224)

  • 馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

    訪問日令和5年10月13日馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)陸奥国一宮ということで訪れた江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する「八槻都々古別神社・近津神社(茨城県久慈郡大子町」と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの馬場都々古別神社は、そのうちの上之宮にあたる二の鳥居先に訪れた「石都々古和気神社」、現在訪れている「馬場都々古別神社」、次に訪れる「八槻都々古別神社」いずれも陸奥国一宮であり、社号も似ている参道の正面に随神門らしき建物が見えてくる手水舎社務所随神門額には「陸奥國一宮」随神像更に先に進むと社殿が見えてくる参道や社殿は高い木に囲まれている始めて訪れる神社なので周辺の社などを確認しながら参道を進む寅卯神社三の鳥居社殿前の鳥居周辺は塀によって囲まれている甲山天満宮神明社拝殿その昔、日本武尊が...馬場都々古別神社(東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39)

  • 石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

    訪問日令和5年10月13日石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)社号標陸奥国一宮ということで訪れた駐車場の傍に社号標と社務所はあるが社殿の姿が見えない(嫌な予感がする)狛犬(石川町指定文化財)「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団昭和の時代の作品であるが、高遠藩の石工文化の伝承による貴重な作品「境内図」神社まで250mはいいが、(徒歩9分)っていうのは……嫌な予感というものは高確率で当たるもので、目の前には先の見えない階段が待っていた胡桃下意成神社(くるみしたいなりじんじゃ)立派な案内板があるここで神に祈ると近いうちに願い事が叶うという「いなり」といえば、稲荷・稲成だが「意成」なら確かに願いが叶いそうだ...石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉269)

  • 文殊院 清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

    訪問日令和5年10月13日文殊院清龍寺清龍寺はもとは伊佐須美神社境内だった寛文年間(1661~73)に、社地から分離し、伊佐須美神社奥の院別当を司っていた寺号標寺号標には「文殊院」文殊院清龍寺の文殊菩薩は「筆の文殊」として信仰を集めている「紙の文殊」(天の橋立て)、「硯墨の文殊」(大和桜井)と並び日本三文殊に数えられている仁王門仁王像東北地方にはユニークな仁王像が多いと感じている縄と藁を用いている像は珍しい過去に撮ったなかでも記憶に残っている像の一つだ文殊堂清龍寺は暦応2年(1339年年、円済法師がこの地に立ち、独鈷等(仏具の一種)を投げたところ光を放ったので、土を盛り、堂を建てたことから始まる天海大僧正はこのお堂に祈願して授かったといわれている「天海大僧正とは」戦国時代の末期から江戸初期にかけて活躍した...文殊院清龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文殊西3611)

  • 伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

    訪問日令和5年10月13日伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)岩代国一之宮(福島県西半部)会津総鎮守2000年を越える歴史を誇り、「会津」地名発祥の由来を伝える神社鳥居末社菅原神社祭神:菅原道真学問成就・出世開運の守護神参道の先に楼門が見える手水舎末社道主命神社(みちぬしのみことじんじゃ)祭神:道主命交通安全の祈願所楼門楼門は平成元年(1989年)の造営、高さは約14m神像獅子像仮社殿主要社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在は拝殿跡に建てられた仮社殿をして祀られている火災後、新社殿として、古代の出雲大社を連想させる高さ32㍍の「天空にそびえ立つ神殿」を計画していたが頓挫拝殿内部数年前に一度訪れたことがあるが、本格的な再建が進んでいないようだ拝殿前に供えられた花がやけに目に入ってくる祭神:伊...伊佐須美神社(福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377)

  • 新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

    訪問日令和5年10月12日新宮熊野神社平安時代後期の永承6年(1051年)、前九年合戦の折り源頼義、義家父子が紀州にある熊野権現に武運を祈願し見事勝利した神意に感謝し、天喜3年(1055年)熊野堂村(福島県会津若松市)に分霊を勧請したのが始まり鳥居案内板額には社号の「熊野神社」鳥居の注連縄としてはかなり大きい神社で拝観料:大人300円は珍しいが宝物殿入館料と思えば納得できる初めて訪れる場所で周囲を確認しながら参道を進む手水舎御神木「大イチョウ」(喜多方市指定天然記念物)樹高37m樹齢800年以上晩秋になると落ち葉が黄色い絨毯のように境内を美しく彩る11月中旬~下旬の見頃の時期にはライトアップが行われ、大イチョウが幻想的な雰囲気を醸し出す狛犬熊野神社長床(重要文化財)「大イチョウ」と巨大な長床寄棟造、茅葺、...新宮熊野神社(福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)

  • 叶山 三宝院 願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

    訪問日令和5年10月12日叶山三宝院願成寺浄土宗の寺院嘉禄3年(1227年)法然上人の高弟隆寛律師の開山、開基はその弟子實成房上人表門願成寺縁起山門(福島県指定文化財)元禄11年(1698年)に竣工した楼門造りで、禅宗様と和様を混ぜた建築扁額には山号の「叶山」鐘楼鐘楼から本堂を眺める本堂(福島県指定文化財)慶長16年(1611年)慶長三陸地震による震災で現在の場所に移転会津藩主初代保科正之、正経、正容(正信)三代を通じて大施主となったもの時代が流れ明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあった昭和の時代になり、63世映譽上人は、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめた本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂を建立した扁額には社号の...叶山三宝院願成寺(福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833)

  • 長命山 幸徳院 笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

    訪問日令和5年10月12日長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>真言宗豊山派の寺院坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請弘仁元年(810年)、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現を祀り、会津の高僧「徳一上人」により入仏供養が行われた仁王門天保11年(1840年)に民家より出火して仁王門が焼失明治6年(1873年)、米沢の豪商が南原の「常慶院」より金10両で買い受け移築して再建健康や足が丈夫になるようにと願って、下駄やわらじなどの履き物が奉納されている仁王像仁王像の前には格子か柵状の木材、または金網などにより像が護られているここの仁王像は、格子の奥にさらに金網があり二重に護られている境内一面に植えられたあじさいは七月中咲き誇るという紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている千体地蔵堂嘉永3年(...長命山幸徳院笹野寺<笹野観音堂>(山形県米沢市笹野本町5686-5)

  • 松心山 善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

    訪問日令和5年10月12日松心山善光寺(堂森善光寺)道の駅「米沢」の屋内にある大きな看板である前田慶次は趣味だったパチンコ台「花の慶次」で随分愉しませてもらったその後、NHKの歴史ドラマでも扱われ、毎週、視聴していた道の駅近くに「天下の傾奇者(かぶきもの)」と称された前田慶次の供養塔が建立されているということを知った上杉家には謙信を筆頭に直江兼続など魅力的な武将がいるが前田慶次もその一人だ駐車場に車を駐め、周辺を散策する案内板には寺の歴史が記されている真言宗豊山派の寺院伝承によると善光寺阿弥陀堂の別当として大同2年(807年)に開山されたとある仁王門仁王像仁王像の前には細かな金網があり鳥類などの侵入を防いでいる写真を撮る側としてはこれが難敵でいつも苦労している手水鉢仁王門の正面に見えるのが阿弥陀堂阿弥陀堂...松心山善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

  • 松高山 大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

    訪問日令和5年10月11日松高山大聖寺<通称:亀岡文殊>真言宗智山派の寺院「亀岡文殊」は、奈良県桜井市の「安倍文殊院」、京都府宮津市の「切戸の文殊」とともに、日本三文殊の一つに数えられる関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石の大名として会津から米沢へ移転した慶長7年(1602年)上杉家執政「直江兼続」が主催者として亀岡文殊堂で詩歌の会が開催された直江兼続の漢詩をはじめ前田慶次、大国実頼ら有名な武将の詩歌「亀岡文殊堂奉納詩歌百首(高畠町指定文化財)」が残されている石中に彫られた石仏独国和尚宮城県女川町出身の僧亀岡文殊で修業を積み、女川町や福島市、いわき市を拠点に布教活動をしていたこの石像は、独国和尚を慕う高畠の人々の寄進筏舟(がっしゅう)和尚越後・草水観音寺の住職で、ここから続く十六羅漢は自身の顔に似せ造立し...松高山大聖寺<亀岡文殊>(山形県東置賜郡高畠町亀岡41)

  • 熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日熊野大社熊野大社は、大同元年(806年)平城天皇の勅命により再建されたと伝えられている実際にはそれより前の国分寺建立(741年)のときに創建されたものと推定されている手水舎熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていたため、手水舎周辺は作品で飾られていた手水鉢にも菊が浮かんでいて美しいお御坂(おみさか)46段の石段馬に乗り参拝する方がいたことから通常の石段よりも大きな造りとなっている狛犬1幸神社(さいわいじんじゃ)大社神社(おおやしろじんじゃ)湯殿山神社(右)、月山神社(左)狛犬2顔面部分が欠損している鐘楼洪鐘(南陽市指定文化財)寛永3年(1626年)阿部右馬助から寄進された第二次世界大戦中に金属の回収を命じられたが、文化的な価値から免除されたおみくじ掛け(花結び)階段...熊野大社(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

    訪問日令和5年10月11日第111回南陽菊まつり熊野大社境内とその周辺で「南陽菊まつり」が開催されていた南陽の菊づくりの歴史は上杉藩時代から始まった菊人形を飾る「菊まつり」としては全国一の歴史を誇る作品1「菊華屏風絵図」斎藤哲裕「南陽菊まつり」は宮内会場(10/6-10/16)と花公園会場(10/17-11/5)の2カ所で約1ヶ月間の開催幸運にもこの期間に訪れることとなった作品2「メルヘンの森」野口俊明例年、この時期に神社などを訪れると「菊花展」に巡り合うことがあるここ南陽市は、菊以外の要素も加わり、作品を黒色の箱に入れるなどして芸術性を高めている作品3「枯山水と菊の出会い」大沼尚嗣作品の横には制作者名と経歴等が記載されている作品4「梅欄竹菊」鈴木悠介「全国一の歴史と技と文化を誇る南陽の菊まつり」のタイト...南陽菊まつり(山形県南陽市宮内3476-1)

  • 守國山 吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

    訪問日令和5年10月11日守國山(しゅこくざん)吉祥院(きちじょういん)前夜は土砂降りの中、道の駅「寒河江」に到着、朝まで雨が降り続いていた近くの慈恩寺は何度も訪れているので、この日は一度も訪れたことのない場所を選んでみた重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた石柱には「國寶千手観世音菩薩」とある境内では落ち葉などの清掃作業をしている男女の老人がいた地域の檀家さんと思い「お疲れさまです」と挨拶をしたが、後に住職だということがわかったカメラを縦にして少し離れてやっと高い木が画角に収まった参道の正面に観音堂創建から1280有余年の歴史を刻む天台宗寺院である延命曼荼羅塔復元建立趣旨門の額には「抜苦殿」五輪塔抜苦(ばっく)」は、仏教の用語で、衆生の苦しみを除くことを意味する観音堂(山形市指定...守國山吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

  • ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

    訪問日令和5年10月10日ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所NHKの「マッサン」視聴後から、ウイスキー蒸溜所巡りも旅の目的の一つに加わった春の旅では、鹿児島県の「嘉之助と津貫蒸溜所」、広島県の「桜尾蒸留所」を巡りウイスキーを購入してきたこの秋の旅の最初の訪問地は「余市蒸溜所」の売店であったが、望むものを入手することができなかったこの日、宮城峡蒸溜所を訪れる予定ではなかったが、大崎八幡宮拝観後に雨が強くなり予定していた寺社を諦めた仙台市内から20km程度で雨でも大丈夫な場所で、思い浮かんできたのがこの蒸溜所であった旅に出る前から宮城県でなければ購入できない「伊達」というウイスキー入手が目的である蒸溜所到着後、雨が止み青空が見えてきたので蒸溜所見学を申し込む9時から30分毎にツアーがあるためとても便利だ(無料)時間...ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所(宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地)

  • 大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

    訪問日令和5年10月10日大崎八幡宮国宝の社殿があるということで訪れたカーナビが案内した国道46号線沿いには鳥居は見えたが車の入る場所がない駐車場の検索してみると社殿の裏側にあることが分かった北参道鳥居御鎮座400年奉祝事業の一環として平成17年に建造された木材には樹齢250~300年の青森ヒバ、袴石には茨城県産の御影石を使用駐車場からは緩やかな坂の北参道を進んで行くことになる長床(重要文化財)長床(ながとこ)とは、神社の本殿の前方の細長い建物拝殿のみならず、修験者の宿泊、参籠場所としても使われることがあった額には社号の「大崎八幡宮」拝殿・石の間・本殿(国宝)東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である「宇佐八幡宮」を現在の岩手県水沢市に勧請、「鎮守府八幡宮」を創祀その後、室町時...大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号)

  • 鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

    訪問日令和5年10月10日陸奥国一宮鹽竈神社(しおがまじんじゃ)鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社正式名称は「志波彦神社・鹽竈神社」鳥居(重要文化財)初めて訪れる場所なのでこの境内図を頭に入れる普通は表参道を目指すのであるが事情があって止めた額には寺号の「鹽竈神社」「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と表記されてきた市は1941年の市制施行より表記を「塩竈(塩釜可)」に統一している狛犬1女川の道の駅から鹽竈神社までずっと強い雨が降っていた到着後、雨は止んだが階段の昇降には注意が必要だった社号標境内図奉納額「唐獅子(昭和5年)」「騎馬武者(文久2年)」「尾長鶏と太鼓(弘化5年)」「騎馬武者(慶応5年)」舞殿仙台藩主伊達綱村公顕彰碑「塩竈の礎を築いた恩人...鹽竈神社・志波彦神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)

  • 大金山 陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

    訪問日令和5年10月8日大金山陽山寺重要文化財の「十一面観音立像」があるということで訪れたが、調べて見ると予約制であることを後に知った近くのコンビニから電話にて拝観できるかと確認すると、2時間後に予約があり、その時間帯なら可能だと……普段なら、すぐ諦めるのだが大好きな「十一面観音」の為なら待とうと、拝観をお願いした待ち時間を使い比較的近くにある「おしか御番所公園」で美しい景色を楽しんだ山門30分ほど前に寺に着き、時間がくるまで写真を撮っていた観光寺院でないのか、案内板が設置されていなかった山門の額には山号の「大金山」本堂本堂の額には寺号の「陽山寺」この本堂に「十一面観音」があるものと、この時は思っていた……10分程前に住職らしき人が車で出ていき5分前になっても予約らしき人の姿もない(不安になる)時間になっ...大金山陽山寺(宮城県石巻市十八成浜寺山31)

  • おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

    訪問日令和5年10月8日おしか御番所公園南三陸金華山国定公園の中にあったが、2015年3月31日、南三陸金華山国定公園が「三陸復興国立公園」に編入された宮城県道220号牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)の南端にあるこの橋を渡ろうと近寄ってみると、老朽化の為なのか通行禁止になっていた公園中央の一番高い位置には、六角形の「展望棟」があり、360度パノラマの眺望が楽しめるようだ周辺には高い木がないため陸前高田市の「奇跡の一本松」のことを思い出した金華山今回の東北6県を巡る旅では「函館ー大間」のフェリーを利用したが、利用回数では「苫小牧ー名古屋」が圧倒的に多い利用する太平洋フェリーでは「金華山沖を航行」との船内放送が入り、いつも船内から眺めていた今回は牡鹿半島からの眺望になる金華山は、島全域が山であり、最高点は...おしか御番所公園(宮城県石巻市鮎川浜黒崎1番地)

  • 無夷山 箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

    訪問日令和5年10月7日無夷山(むいさん)箟峯寺(こんぽうじ)天台宗の寺院宝亀元年(770年)鎮守府将軍大伴駿河麻呂の草創大同2年(807年)坂上田村麻呂の創建と伝えられる案内板によると、箟峯寺とは観音堂、白山社などを中心に24坊からなる一山寺院(総称)当初、「霧岳山正福寺」と称していたが、嘉祥2年(849年)に円仁が中興し、「無夷山箟峯寺」と改称したこの寺を選択したのは武光誠著「地図でめぐる神社とお寺」に「笑みを浮かべたように見える仁王像がある」の記載があったからだこれまで訪れた寺院の仁王像を地域別に発信した際に「笑顔の仁王像はないのか」とコメントを頂いたことがある仁王像なので「ありませんよ」と応えただけに確かめたいと思った仁王門長い階段を上がっていくと、仁王門が見えてみた仁王像の事ばかり頭にあり、狛犬...無夷山箟峯寺(宮城県遠田郡涌谷町箟岳字神楽岡1)

  • 竹峰山 華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

    訪問日令和5年10月7日竹峰山華足寺(けそくじ)真言宗智山派の寺院大同2年(807年)坂上田村麻呂が蝦夷征討で当地を訪れた際、戦没者の霊と戦死した愛馬を慰める為に馬頭観音(馬頭明王)を勧請愛馬を埋めた塚の上に堂を造営したのが始まりとされる山門(宮城県指定文化財)寛政11年(1799年)に仙台藩9代藩主伊達周宗から寄進された屋根は、過去数回修理され更に吹き替えられたが、その他は創建時(225年前)のままの姿2階には十二支の守り「本尊八神像」を安置案内板二天像「増長天」南方を護る守護神青い顔で宝剣を持った姿で表される「多聞天」北方を護る守護神二天像のピントが合っていない格子の中央に(高い場所にある)空間があるが、そこにレンズを突っ込み、背伸びして腕を伸ばして震えながら撮っている堂内は暗く、目視できない状態でシ...竹峰山華足寺(宮城県登米市東和町米川字小山下2)

  • 妙見山 黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

    訪問日令和5年10月6日妙見山黒石寺(こくせきじ)強風警報が発令されていたようで、途中、倒木により道路の半分が塞がれていた場所もあった平成28年(2016年)5月に重要文化財の仏像拝観を目的に一度訪れたことがある寺号標その時は残念ながら受付が開いていなくて拝観することができなかった東北6県を巡る旅は今回が最後になると思い再訪することにした黒石寺蘇民祭今回、投稿するためにホームページを検索していたところ千年以上続くとされる奇祭「黒石寺蘇民祭」は、2月17日黒石寺で開かれ、惜しまれながら歴史に幕を下ろすことになったその理由は、現在祭りの中心を担っている人の高齢化と、担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためとのこと御供所・鐘楼1階は御供所(ごくしょ)といって、本尊に供える供物を準備すると...妙見山黒石寺(岩手県奥州市水沢黒石町字山内17)

  • 駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

    訪問日令和5年10月6日駒形神社あてのない放浪旅といえども、いくつかの目的を持って各地を訪れている昨年春の旅から、全国の「一宮神社」を巡る旅も追加してみた駒形神社は「陸中一宮」ということで訪れた大鳥居鳥居の奥に駐車場があり入ってみたが満車状態、特に長い車体の車には厳しいものがあった狛犬手水舎神門女の子は3歳と7歳、男の子は5歳を迎えた年に神社にお参りする「七五三」の時期だった5・6組の家族と言っても、最近ではカメラマンを含めると狭い境内では賑やかな状態になっている絵馬掛け拝殿特に拝殿前は撮影スポットになるため混雑し、この写真を撮るのに20分程度待った駒形神社は、約1500年前に駒ケ岳山頂に奉斎された山頂への参詣が厳しかった為、北上市、金ヶ崎町に各里宮を造営した明治36年(1903年)山頂より現鎮座地(旧鹽...駒形神社(岩手県奥州市水沢中上野町1-83)

  • 日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

    訪問日令和5年10月6日日高神社本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた社号標創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れた嘉応2年(1170年)に藤原秀衡が再造させている慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る狛犬1姥杉(奥州市指定文化財)別名「義家杉」前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺したものが根付いて巨木になったという伝説留守宗利公留守宗利(るすむねとし)は、陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家2代(留守氏19代)当主父・政景は小田原征伐に参陣しなかったため領地を没収され、以降は...日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

  • 丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

    訪問日令和5年10月6日丹内山神社(たんないさんじんじゃ)最初に訪れた「三熊野神社」で、会話を交わした地元の方に、社殿が美しいと強く勧められた神社である毎朝、その日の訪問場所の候補を4~7程検索しているのだが、この神社は入っていなかった参拝案内図参拝順路が記されているが、他に参拝者もいなく自分の歩いた順に写真を掲載した案内板駒形神社爺杉の根(花巻市指定文化財)観音堂案内板では「相殿・祖霊社・観音堂」となっている丹内山神社は、かつて「大聖寺」と呼ばれていたが、明治維新のときに神社となり現在の名に改めたこの建物はその名残をとどめている感じがする木造十一面観音菩薩立像(岩手県指定文化財)平安時代、平泉藤原氏から寄進されたもの丹内山神社仏像<不動明王立像>(花巻市指定文化財)廃仏毀釈により「凌雲寺」に移されていた...丹内山神社(岩手県花巻市東和町谷内2-303)

  • 三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

    訪問日令和5年10月6日三熊野神社三熊野(みくまの)神社の正式名称は「熊野神社」鳥居前の二つの石柱には「熊野神社」「毘沙門堂」とある鳥居の近くに駐車場があるが、一般道路から徒歩により参拝する場合は長い階段を上がらなければならない鳥居の額には「毘沙門天」「熊野神社」と並記されているこの写真付きの参拝順路はとても分かりやすい鳥居鳥居の前には社務所、総合案内がある手水舎手水舎の先に「拝殿」が見える幼児成長祈願石像神社といえば狛犬だが、ここには一対の幼児の石像がある拝殿社伝によれば、坂上田村麻呂が対蝦夷戦争に際して、征矢立の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に熊野三山の神を勧請して創祀したという康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納し...三熊野神社・成島毘沙門堂(岩手県花巻市東和町北成島5区1)

  • 盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

    訪問日令和5年10月5日盛岡八幡宮康平5年(1062年)源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まる社号標「盛岡鎮守」皇后陛下の曾祖父にあたる、盛岡出身の海軍大将山屋他人の揮毫鳥居額には社号の「盛岡八幡宮」南部家第四十六代当主南部利文謹書とある青銅燈籠二基(盛岡市指定文化財)手水舎この手水石は、滝壺のなかにあり、流水により自然にくぼみができた「水掘石」神馬舎社殿側から鳥居を眺める正面の階段を上がるごとに社殿の姿が見えてくる狛犬1拝殿現在の社殿は平成9年(1997年)12月に新八幡宮として建て直されたもの美しい拝殿の前では若い女性グループが個性的なポーズで写真を撮っていた撮り方も撮られ方も良く知っている若者の写真は爺の記録写真とは異なり面白い正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八...盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町13-1)

  • 不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

    訪問日令和5年10月5日不動の滝八幡平安代地区にあるのどかな桜松公園駐車場に車を駐め「不動の滝」を目指す歩いて10分程の距離というが、雨予報ということもあり急ぎ足で向かった高さ15mの滝三段からなる名滝・不動の滝は「日本の滝百選」の一つに数えられている「岩手の名水二十選」にも認定されている滝では若いカップルに気持ちのよい挨拶をされた女性が滝の写真を撮り、その女性を男性が撮っているこの男女と少し会話をしたが、言葉遣いを含め礼儀作法が素晴らしく、印象に残ったこちらから声をかけ、橋の上で滝を背景に二人の写真を撮ってあげたかつて修験道僧の修行の場だった不動の滝修験道というのは、神道と仏教が習合した山岳信仰の伝統のひとつ不動は知恵の王である5五大明王の中心となる尊格で、その猛々しさで怒りを救済へと変えるさて、不動の...不動の滝・桜松神社(岩手県八幡平市高畑)

  • 大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

    訪問日令和5年10月5日大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)その日の訪問地を決める際、スマホに「最寄りの観光地」「最寄りの有名寺社」と囁き決めることが多い車中泊した道の駅に近い場所にあり向かった鳥居鳥居横の社号標から「おおひるめむち」神社とは読めなかった由緒継体天皇(26代)の御代を調べて見ると507~531年になる1500年の歴史を持つ古社ということになる「姥杉ノ柵奉納」と刻まれている神門神仏混交の名残を見せる神社山門板碑(鹿角市指定文化財)鎌倉後期の記年銘をもつ、秋田県内では最古に属する高さ80cmの五角柱の自然石の板碑江戸時代にはその梵字が「阿弥陀三尊」であることから「三尊石」と呼ばれていた手水舎石柱には「鹿角厄除大日堂」「大日堂」とも称されている牛のようにも見えるが、参道両脇に置かれている昭和2...大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)

  • 十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

    訪問日令和5年10月4日十和田神社乙女の像に至る道程、「開運の小径」と名付けられた分岐に入ると「十和田神社」の参道につながる明治初年の神仏分離以前は「額田嶽熊野山十灣寺」を号する十和田湖畔に建つ神仏習合の寺院であった鳥居鳥居の額には、社号の「十和田神社」かつては、熊野や日光に比すべき北東北最大の山岳霊場であった僧侶や修験者の山岳修行の場であり、民衆の信仰登山、山岳修行の山であった正面に手水舎、右手の石鳥居の階段を上がると社殿が見えてくる手水舎石鳥居狛犬1石鳥居前の狛犬拝殿前の狛犬との比較も面白い階段の途中から木々に囲まれた社殿が目に入ってくる拝殿神仏分離以前は、十和田青龍権現を祀っていた現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置する仏堂「十和田御堂」が建っていた明治維新後に、十和田信仰は神仏分離と廃仏毀釈の...十和田神社(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486)

  • 乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

    訪問日令和5年10月4日乙女の像<高村光太郎>20年ほど前に一度訪れたことがある数年前、福島県二本松市で「智恵子の生家・智恵子記念館」を訪れたことがきっかけとななり、再び訪れようと思った駐車場から「乙女の像」まで少し歩くことになるが、木道が設置されていてとても歩きやすい「智恵子の生家・智恵子記念館」は下記で発信済智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町)-今、出発の刻(たびだちのとき)訪問日令和元年11月6日走行中「智恵子の生家」の案内板が突然目に入ってきた「高村光太郎」との関係に興味をもっていたので立ち寄ることにした智恵子の生家・智恵子記念館明...gooblog 「智恵子の生家・智恵子記念館」では智恵子本人よりも高村光太郎の方に興味を持った昨夜、記念館で購入した「智恵子抄」を読み直してみ...乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

  • 奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

    訪問日令和5年10月4日奥入瀬渓流(特別名勝、天然記念物)十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流十和田八幡平国立公園に属する渓流に沿って流れとほぼ同じ高さに車道と歩道がつくられている銚子大滝奥入瀬渓流本流にかかる随一の滝、銚子大滝は高さ7m、幅20m十和田湖への魚の遡上を妨げ、魚止の滝とも呼ばれている長い間、十和田湖には魚が住めないといわれてきた奥入瀬渓流はミシュラン・グリーンガイドで二つ星に選ばれた観光名所約14km続く渓流は絶景の連続私は駐車スペースのある場所に車を駐め周辺を巡ったが、多くの人は歩いていた雲井の滝森林にかこまれた断崖から、三段になって落下するこの雲井の滝の高さは20mこの滝は、岩を少しずつ浸食しながら上流に向かって後退し、いつかは消える運...奥入瀬渓流(青森県十和田市奥瀬)

  • 櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

    訪問日令和5年10月3日櫛引八幡宮本殿など5棟の社殿が重要文化財に指定されているということで訪れた一の鳥居社号標社務所二の鳥居手水舎コロナ対策と思われるが柄杓(ひしゃく)がない参拝前に手や口を清める場所であるが美しい花で心も清らかになる由緒由緒等が大きな石に刻まれている八幡馬(やわたうま)「御神馬」と刻まれた台座の上に、注連縄をまとった花崗岩の八幡馬が置かれている八幡馬は、八戸市を中心とする南部地方で古くから作られている、子供や家族の幸せを願う愛情溢れる木彫り馬の郷土玩具・民芸品これまで多くの「御神馬」を観てきているが、この形は初めてである太鼓橋正門<南門>(重要文化財)慶安元年(1648年)盛岡藩2代藩主(南部氏28代)南部重直の命で造営された平屋の門のなかで最も格式の高い形式の切妻造銅板葺の四脚門狛犬...櫛引八幡宮(青森県八戸市八幡字八幡丁3-2)

  • 楞巌山 清水寺(青森県八戸市 是川字中居18-2)

    訪問日令和5年10月3日楞巌山清水寺青森県八戸市にある清水寺であるが「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と読む山号は楞巌山(りょうごんざん)真宗大谷派の寺院であるこの寺を訪れた目的は、重要文化財の観音堂の拝観である寺社巡りを中心に車旅をしているが、訪れた地域にある国宝や重要文化財の建築物や仏像を可能な限り観たいと思っている山門「真宗大谷派」の札があるが、明治2年(1869年)天台宗から改宗した山門を進むと正面に本堂が見えてくる鐘楼本堂扁額には寺号の「清水寺(せいすいじ)」観音堂(重要文化財)本堂裏の高い木々に囲まれた場所に観音堂は建っていたカメラを構え、ゆっくり前に進みながら写真を撮っていった茅葺屋根というのも嬉しい案内板堂内に残されている棟札から、天正9年(1581年)に建立されたことが分かっている靑...楞巌山清水寺(青森県八戸市是川字中居18-2)

  • 龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

    訪問日令和5年10月3日法霊山龗神社社号標には、法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)と刻まれている旧陸奥國八戸藩総鎮守にして、八戸市内最古と言われる神社鳥居訪れるきっかけとなったのは、この案内板の内容を旅行雑誌か何かで知ったからだ頼朝に追われた義経は平泉「高館」にて、文治5年(1189年)閏4月頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられている平成28年(2016年)5月に平泉の「高館義経堂」を訪れた時、面白い案内板(下記写真)があったことを覚えていた「平泉を脱し北へ向かった」とあり、龗神社の案内板と結びついたのだ若い頃、高木彬光の推理小説「成吉思汗の秘密」を夢中になって読んだことがあり、今でも義経の名が出てくると興味を持ってしまう手水舎お御籤掛け社務所義経に関係...龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1-51)

  • 尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

    訪問日令和5年10月2日尻屋埼灯台(しりやざきとうだい)と寒立馬(かんだちめ)尻屋埼灯台の周辺に寒立馬が放牧されている観光雑誌の写真に興味を持ち訪れた灯台に向かう道路には門があり、滞在時間が決められている(9:00-16:00)尻屋埼灯台(重要文化財)尻屋埼灯台は、工事期間3年4ヶ月を費やし明治9年(1876年)10月20日に点灯開始した「日本の灯台の父」と称されるブラントンによって設計された、二重のレンガ壁による複層構造の灯台となっている高さ30mを誇る日本一高いレンガ灯台である日本最初の霧笛が設置された灯台でもあるのぼれる灯台16のうちの一つで、日本の灯台50選に選ばれている参観期間は、令和6年4月6日(土)から令和6年11月10日(日)まで参観寄付金300円(中学生以上)訪れた日は風が強く、体重があ...尻屋埼灯台と寒立馬(青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1)

  • 恐山 菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

    訪問日令和5年10月2日恐山菩提寺高校時代から霊感が強かったのか、本来なら見えないものが見えるし、話しかけてもくる就職して間もない頃、大学の先輩と旅先である小樽市の焼鳥屋に入った時の話しだが、若くて美人の女将がいたところが、目と目が合うと妙な感じになり全身に鳥肌がたつしばらくして、また視線が合うと同じ感じになる不思議に感じていたが、先輩が席を外したときにその女将から「霊感が強いですね」と言われた店に入ったときから向こうも感じていたらしく、話しをしたいと思っていたそうだその女将は夕張出身で幼い頃から炭鉱事故で亡くなった人がよく出てきて一緒に遊んでもらったという経験をたくさん持つというその女将から言われたのは「恐山に行きなさい。あなたの人生が変わるかもしれない」とこの言葉は常に頭から離れず、その時から30年後...恐山菩提寺(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)

  • 2023年秋 放浪の旅(20日目・最終日)秋田県

    訪問日令和5年10月20日2023年秋放浪の旅(20日目・最終日)秋田県道の駅「てんのう」早朝から豪雨が車の屋根を叩きつける音で目が覚めた今日の天気は100%の降雨予想、しかも2・3日あまり天気が良くないそこで、本日をもって「秋の放浪旅」を終えることにした秋田犬博物室(秋田県大館市三ノ丸13-1)前夜、三重県に住む学生時代の秋田犬を所有する友人から、大館市によってくれないかとの話があった彼の所有する秋田犬の写真が掲載されているという三重県を観光した際に彼の家にお邪魔し、2頭の秋田犬に歓迎されたこともあり興味を持った大館市が秋田犬で有名だったとは全く知らなかった今年が「ハチ公生誕100年」になるということも初めて知った「マサル君」が玄関で迎えてくれるロシアの美人フィギュアスケートのザギトワ選手に贈られたマス...2023年秋放浪の旅(20日目・最終日)秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(19日目)秋田県

    訪問日令和5年10月19日2023年秋放浪の旅(19日目)秋田県道の駅「象潟」この道の駅は、日本海に沈む夕陽を眺めながら優雅に入浴できる施設が併設されている芭蕉縁の地でもある坩満寺・九十九島(秋田県にかほ市象潟町象潟島2)元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が訪れている「おくのほそ道」のなかで「九十九島(つくもじま)」と呼ばれた当時の象潟(きさかた)の景観を絶賛している芭蕉は、中国の悲劇の美女西施(せいし)を思い浮かべ「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んでいる「九十九島」巡りは過去に2.3kmコースを歩いたことがある今はこのような景観だが、芭蕉が訪れたときは無数の小島が浮かぶ入り江だった文化元年(1804年)の大地震(象潟地震)で干潟に変わった1.6kmの近道コースというのもあるが、私の場合は200mほど歩い...2023年秋放浪の旅(19日目)秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(18日目)山形県

    訪問日令和5年10月18日2023年秋放浪の旅(18日目)山形県道の駅「尾花沢」芭蕉に関連する資料でもあるかと思っていたがなかった深夜から朝方はかなり冷える、車内でも10℃以下になる早朝は霧で視界が悪かったが、7時過ぎころから青空が見えてきた鳥越八幡神社(山形県新庄市鳥越1224)社殿が国の重要文化財に指定されているということで訪れた拝殿(重要文化財)新庄藩2代藩主戸沢正誠による元禄4年(1691年)の建立拝殿内部拝殿・幣殿・本殿へと続く本殿(重要文化財)大瓶束(たいへいづか)の結綿に鬼面の彫刻を施し、また虹梁を支える力士像が彫刻されている土門拳記念館(山形県酒田市飯森山2丁目13)久し振りだと思っていたら、グーグルから2年前に訪れているとの書き込みがあった私が旅先に寺を選択しているのは、写真家土門拳氏の...2023年秋放浪の旅(18日目)山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(17日目)宮城県・山形県

    訪問日令和5年10月17日道の駅「村田」前夜、よほど疲れていたのか9時過ぎには目が開かなくなり布団に潜り込んだ朝にはすっきり目が覚めたが、睡眠中何かと格闘していたのか、毛布と髪の毛が酷いことになっていた資料館のようなものが敷地内にあり近寄ってみると、重量挙げのモニュメントと胸像があった元重量挙げの三宅義信選手で、1964年開催の東京五輪の金メダリストだ(メキシコ五輪も「金」)宮城県柴田郡村田町出身で名誉町民にもなっている駐車場にて面白いものを見つけた自作のキャンピングカーだと思われる車に「ヘンテナ(変なアンテナの略)」が付いているアルミホイルで作成するのだがこれだけで地デジ放送を視聴することができるのだ実は私も自作し車の中に置いている仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目6-1)数日前に仙台市内を観光...2023年秋放浪の旅(17日目)宮城県・山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(16日目)福島県・宮城県

    訪問日令和5年10月16日2023年秋放浪の旅(16日目)福島県・宮城県道の駅「ふくしま」300台規模の駐車場があるが、昨日夕方に訪れた時は空車待ちの状態であった売店も福島復興支援の気持ちであふれている観光客で賑わっている私も福島に旅に出かけなければ購入できないという「旅酒」というウイスキーを購入したパラッと雨が降った後に虹がかかった良い日になりそうな感じがする中野不動尊(福島県福島市飯坂町中野字堰坂28)道の駅から3km程の所にある曹洞宗寺院日本三大不動尊のひとつに数えられる「祈祷殿」「大日堂」大日堂内部「寂光門」「不動の滝」医王寺(福島県福島市飯坂町平野字寺前45)天長3年(826年)の創建中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺「本堂」額には山号の「瑠璃光山」「佐藤一族位牌殿」佐藤継信・忠信兄弟は平...2023年秋放浪の旅(16日目)福島県・宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(15日目)福島県

    訪問日令和5年10月15日2023年秋放浪の旅(15日目)福島県道の駅「ひらた」福島県東部地区は道の駅が少ない感じがするここは、山村にある道の駅だが到着した夕方にはほぼ満車状態で賑わっていたこの数日、快晴の天気が続いていたため、雨音で目が覚めた時には驚いた天気予報をみると広範囲で80%の降水確率だった何かイベントがあるのか早朝から係の人たちが準備、誘導員も待機していた強い雨で今日は休養日と移動日にしようと決めただが、どうしても気になる神社が比較的近くにあったので寄ってみることにした堂山王子神社(福島県田村市船引町大字門沢字堂山)階段を上がると神社なのに「鐘」があった「仁王門」扁額には社号の「堂山王子神社」神馬はわかるが横に仁王像が安置されている実は、以前は「堂山寺」だったが廃仏毀釈で神社になったという歴史...2023年秋放浪の旅(15日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(14日目)福島県

    訪問日令和5年10月14日2023年秋放浪の旅(14日目)福島県道の駅「はなわ」以前、東北旅行をしたときに利用したことがあることを思い出した早朝からボランティアの清掃活動があるようで20人ほどの男女が集まっていた茨城県の「袋田の滝」にいくためにこの道の駅を選択したのだが、滝周辺の駐車場は週末に混むとの情報があったのでやめることにした白水阿弥陀堂(福島県いわき市内郷白水町広畑221)福島県内唯一の国宝建造物である「白水阿弥陀堂」が台風13号の被害に遭ったとの情報を新聞で読み気になっていた阿弥陀堂(国宝)寺の人に尋ねてみると、境内ばかりではなく、国宝の阿弥陀堂内にある仏像の須弥壇まで水に浸かったという堂内に入って仏像を拝観しているときにはまったく感じていなかったが、多くの人たちの手で元の姿に戻したのだろうこれ...2023年秋放浪の旅(14日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(13日目)福島県

    訪問日令和5年10月13日2023年秋放浪の旅(13日目)福島県道の駅「喜多の郷」車中泊者の朝は早い、6時頃から洗顔等で動き出す音がする各方面から「くしゃみ」の音が一番聞こえる真っ青な空だが、外は10度以下の気温でかなり冷えているこの道の駅はラーメンで有名な喜多方市の離れた場所にある入浴施設(300円)も併設されていて車中泊の数も多い(車中泊OKの道の駅でもある)残念なことは電波の状態が悪く、ブログを発信するのに苦労したことである今年の春の旅から「一宮神社」を巡る旅も目的の一つに加えた今日は4つの一宮神社を回る予定だ伊佐須美神社(大沼郡会津美里町宮林甲4377)伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)初めて訪れると思っていたが、数年前に来たことがあった「岩代国一之宮」会津の総鎮守として2000年を超える歴史を誇り...2023年秋放浪の旅(13日目)福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(12日目)山形県・福島県

    訪問日令和5年10月12日2023年秋放浪の旅(12日目)山形県・福島県道の駅「米沢」大手コンビニなどが併設されていてとても便利な道の駅比較的近くには、朝6時から営業している温泉もある(300円)米沢といえば上杉謙信とその家来たち自販機もそれらを後押ししている道の駅内の看板漫画は読まないが、前田慶次は人気パチンコ台の一つでお世話になったNHKの時代劇にも登場し、その人物に興味を持っていた堂森善光寺(山形県米沢市万世町堂森375)その前田慶次が晩年過ごした縁の地が道の駅の近くにあるということで向かった「阿弥陀堂」阿弥陀堂内部「前田慶次供養塔」前田慶次が万世堂森に居を構え余生を過ごしたとの説もあり、慶次の供養塔が建立されている笹野観音堂(山形県米沢市笹野本町5686-5)国家安泰を願って坂上田村麻呂が建立した...2023年秋放浪の旅(12日目)山形県・福島県

  • 2023年秋 放浪の旅(11日目)山形県

    訪問日令和5年10月11日2023年秋放浪の旅(11日目)山形県道の駅「寒河江」昨夜は土砂降りの中、道の駅に着いた東北最大規模を誇る道の駅で普通車で1000台駐車できるこの道の駅の比較的近くに山形県ではウイスキーの種類でいうと1・2を誇る酒屋があるため利用している今回は経済的に困窮しているため1本で我慢した吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた参道の正面に「観音堂」境内では落ち葉など清掃作業をしている男女の老人がいたその老人が後に袈裟を着て現れ住職だと分かった額にある「出羽一佛」の「出」に字がなぜ山が二つなのか等説明して頂いた堂内の様子まるで彼方の世界が現世より素晴らしいかのような感じがした本尊の「千手観音菩薩(重要文化財)」は収蔵庫に安置され...2023年秋放浪の旅(11日目)山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県

    訪問日令和5年10月9・10日2023年秋放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県道の駅「おながわ」<連泊>道の駅に隣接している、JR女川駅舎と入浴施設が同じ建物内にある平成23年(2011年)東日本大震災時には、最大14.8mの高さの津波に襲われた人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827名にのぼり、町の住宅の約9割にあたる約3,900棟が被害を受けた駅舎の反対側にある仮設住宅港からまっすぐ伸びたレンガ道(駅舎へと続く)両側には29店舗が並ぶ「シーパルピア女川」背面には海が見える雨天ではあったが観光客で賑わっていた魚の自動販売機を初めて見た鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山1番1号)鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は「陸奥国一宮」である道の駅から神社までの約40kmはかなり強い雨で拝観は無理かなと思っていた表参道...2023年秋放浪の旅(9・10日目)宮城県・山形県

  • 2023年秋 放浪の旅(8日目)宮城県

    訪問日令和5年10月8日2023年秋放浪の旅(8日目)宮城県道の駅「上品の郷」一般的に道の駅側では車中泊を嫌っているが、ここは「車中泊OK」という数少ない道の駅である3連休の初日ということもあり240台ある駐車場は満車状態であった朝6時頃から少しずつ車が目的地に向かって動きはじめた仙台方面に行きたいのだが、市内では30万人規模の「よさこい祭り」が開催されると聞いた宮城県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」(宮城県石巻市渡波大森30-2)疲れもあったので観光客があまり訪れない場所を選んでみた約400年前に慶長使節一行を乗せて太平洋を往復したガレオン船の復元船があるらしいウオーキンググループのご婦人方の声は聞こえるが、観光客らしき姿は見えない看板を見るとリニューアル中だという観光客があまり訪れない場所とい...2023年秋放浪の旅(8日目)宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県

    訪問日令和5年10月7日2023年秋放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県道の駅「平泉」昨夜も寒かったので予備の毛布を引っ張り出し使用した前夜のように「寒くて眠ることができないという夢も見ず」熟睡した観光地の道の駅ということもあり、早朝から車や人の動きがある朝、6時から朝定食(600円)の食堂が営業していた店内を覗くと、4・5組の人が利用していた私はいつものように車内でコーヒーを入れて菓子パンが朝食になる食後に天気を確認して訪問地を決めるのだが、疲れもあってかなかなか決めることができない華足寺(宮城県登米市東和町米川小山下2)最初に選んだのは、近くにある中尊寺や毛越寺ではなく、宮城県の華足寺(けそくじ)寺伝によると大同2年(807年)坂上田村麻呂が開基という古刹江戸時代に再建された堂宇がそのまま残っているという...2023年秋放浪の旅(7日目)岩手県・宮城県

  • 2023年秋 放浪の旅(6日目)岩手県

    訪問日令和5年10月6日2023年秋放浪の旅(6日目)岩手県道の駅「石鳥谷」強い雨や風に加え、気温が低く体に応えるほど寒い昨夜は寒くて本当に寝たのか、寒くて眠れない夢を見たのか分からないまま朝を迎えたこの建物がトイレだとは思わないだろう(驚くほど綺麗)木目で落ち着いた内装の休憩所にもなっている地酒が並んでいる売店で思わず手を伸ばしそうになった今日も90%の確率の雨予報、さらに「暴風警報」のおまけ付き風が強いため雨雲と青空が交互にやってくる三熊野神社<成島毘沙門堂>(岩手県花巻市東和町北成島5-1)神仏習合だった頃の痕跡が石柱に刻まれているこの急で長い階段を上がってくるのは本当に大変だと思い、鳥居近くまで車で来た本殿(岩手県指定文化財)参拝しているご夫婦から情報提供を受ける「十二番角力式」は幼児による泣き相...2023年秋放浪の旅(6日目)岩手県

  • 2023年秋 放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県

    訪問日令和5年10月5日2023年秋放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県道の駅「かづの」前日の夕方、道の駅駐車場で沖縄ナンバーの男性に声をかけられた年齢も同じで体型もよく似ているのでよく話しが合った(笑)前日まで北海道に5ヶ月半も滞在し、車中泊で過ごしたというから驚く現在は引退したが古文書などの修復を生業としていたというなかには重要文化財に指定されているものもあったそうだこれまで、いろいろな人との出会いがあったがこのような職業の人の話は貴重だ今日は降水確率90%観光は無理かも知れないが予定は立てた大日靈貴神社(秋田県鹿角市八幡平堂の上16)道の駅から数キロの場所にある由緒ある神社だが字が読めないネットで調べると、大日靈貴神社(おおひるめむちじんじゃ)と読むようだ社伝によれば継体天皇の御代に大日示現社を創建元正...2023年秋放浪の旅(5日目)秋田県・岩手県

  • 2023年秋 放浪の旅(4日目)青森県・秋田県

    訪問日令和5年10月4日2023年秋放浪の旅(4日目)青森県・秋田県道の駅「とわだ」道の駅を選ぶ条件の一つに入浴施設が併設されているか、近隣にあるかがある当初予定していた道の駅の近くにある入浴施設が閉業になっていたためここに変更した朝の6時過ぎに電話の着信音で目が覚めた早朝や深夜の電話はいいことがないが、家族が落としたスマホを拾ったという人からであったとても親切で対応のよい紳士であった場外馬券場が敷地内にある道の駅は初めてだ(三重県では隣接していた)奥入瀬渓流まったく、らしくないが、奥入瀬渓流を巡ることにした歩くと5時間ほどかかるらしので、路上駐車をしながら写真を撮ることにしたこれが一番横幅がある「銚子大滝」川の水の流れる音、特に滝の音を聞くと尿意を催すのは年のせいか(笑)「雲井の滝」途中絵を描いている人...2023年秋放浪の旅(4日目)青森県・秋田県

  • 2023年秋 放浪の旅(2日目)青森県

    訪問日令和5年10月3日2023年秋放浪の旅(2日目)青森県道の駅「よこはま」前夜から早朝にかけて、叩きつけるような雨と、車を揺らすような突風が吹いていた観光は無理かなと思っていたが7時過ぎ頃から雨も止み天気が回復した前夜に考えていた候補地から一度も訪れたことのない場所を4・5カ所ナビに入れた龗神社(青森県八戸市内丸2丁目1−5)最初に選択したのは「龗神社(おがみじんじゃ)」道の駅から70kmの距離がある起源は諸説あり、現在記録上判明しているものは約900年前あたりだという「義経北行伝説」に興味を持った源義経が平泉で自害した場所でも説明書きに北へ向かったと記載があったそしてここが「義経北行伝説ゆかりの場所」だという江戸期にこの地方に伝わる義経北行に関する口伝を書き留めた「類家稲荷大明神縁起」という古文書が...2023年秋放浪の旅(2日目)青森県

  • 2023年秋 放浪の旅(2日目)北海道・青森県

    訪問日令和5年10月2日2023年秋放浪の旅(2日目)北海道・青森県道の駅「なないろ・ななえ」スマホのアラームで熟睡から目が覚めたフェリーの時間があるので万一のためにと前夜にセットしていたのだが良かったここは全国にある「道の駅」のなかで4番目の人気だという日曜日の夜の車中泊は極端に少なくなるのだが、70台以上は駐まっていた確かに店の内容も充実しているし、夜は静か、トイレも綺麗だ説明によると「男爵いも」の発祥地だという津軽海峡フェリー函館港から大間行きのフェリーを利用したのは今回で2回目だが、いつの間にか近代的な建物になっていた初回利用は20年前はこのような感じではなかった(思考が化石)港を行き交う船を眺める「大函丸」が着岸準備に入った折り返し、このフェリーに乗り大間に向かう所要時間90分と運賃が安いのが最...2023年秋放浪の旅(2日目)北海道・青森県

  • 2023年秋 放浪の旅(1日目)北海道

    訪問日令和5年10月1日(日)2023年秋放浪の旅(1日目)北海道突然だが、秋の放浪旅が始まったいつもなら1ヶ月以上前に早割のフェリーを予約するのだが、台風や豪雨災害が各地で発生していたため躊躇していたそういった事もあり今回は函館からフェリーで本州に渡ることにした最初の訪問地は自宅から50km程の距離にある余市へニッカウヰスキー余市蒸溜所何度も訪れている場所で目的はショップでのウイスキー購入ここがショップになるが、棚には予想通り主要なウイスキーがほとんど無いこちらはレストランになる工場見学を予約すると、この場所で3種類の無料試飲ができる手ぶらで帰るのも嫌なので、リニューアルしたミュージアムへ(無料)新旧の竹鶴新ボトルも入手困難で最近酒屋で目にすることもなくなった右側の「カフェモルト」はお気に入りのボトル有...2023年秋放浪の旅(1日目)北海道

  • シリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>長崎県(西教寺<新規>)42長崎県42-01高野山最教寺(長崎県平戸市岩の上町1206番地1)三重大塔三重大塔は、最教寺が弘法大師の1150年御遠忌を記念して、奥の院本殿横に建立した相輪までの高さは33.5mシリーズ塔(九州・沖縄地方)7<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>岡山県(本山寺、国分寺、宝福禅寺、遍照院、長福寺、西大寺<新規>)山口県(瑠璃光寺<追加>)徳島県(霊山寺)香川県(志度寺、善通寺)愛媛県(石手寺)高知県(竹林寺)34岡山県34-01岩間山本山寺(岡山県久米郡美咲町定宗)三重塔(重要文化財)江戸時代初期の承応元年(1652年)津山藩主森忠政によって建造された檜皮葺で三重塔としては岡山県下最大34-02日照山国分寺<備中国分寺跡>(岡山県総社市上林)五重塔(重要文化財)岡山県内唯一の五重塔南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建弘化元年(1844年)ごろに完成、高さは34.32mこの塔は、屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで...シリーズ塔(中国・四国地方)6-2<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

    シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>新潟県(五智国分寺、乙宝寺<追加>、酒呑童子神社、本成寺)富山県(国泰寺)石川県(那谷寺、妙成寺、不動寺)福井県(明通寺、金前寺)15新潟県<追加>15-01安国山五智国分寺(新潟県上越市五智)三重塔(新潟県指定文化財)<追加><追加>15-02如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)三重塔(重要文化財)塔内安置仏は普賢菩薩で、辰年と巳年生まれの守り本尊というから縁を感じる<追加>15-03酒呑童子神社(新潟県燕市国上)<五重塔>平成9年(1997年)分水町の大工が「趣味」で数年の歳月をかけ手作りで完成したという15-04法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)多宝塔(三条市指定文化財)多宝塔は本来、下層部が方形で上層部が円形になっているこの建物は上...シリーズ塔(北陸地方)3<三重塔・五重塔・多宝塔他>

  • シリーズ仁王像(九州・沖縄地方)7

    シリーズ仁王像(九州・沖縄地方)7福岡県(鎮国寺)長崎県(崇福寺<新規>)熊本県(雲巌禅寺、永国寺、長寿寺<新規>)大分県(富貴寺、満月寺、霊山寺、安国寺、両子寺、文殊仙寺)40福岡県40-01屏風山鎮国寺(福岡県宗像市吉田)<新規>42-01聖寿山崇福寺(長崎県長崎市鍛冶屋町)この2神は、元々は金精(千里眼)、水精(順風耳)と呼ばれる妖怪だったが、媽祖によって祓い清められて改心し、以降媽祖の随神となった順風耳(青鬼)像千里先の物音や災いを聞き分ける力を持ち、悪巧みを瞬時に聞きつけて媽祖に報告する役目を担う千里眼(赤鬼)像千里先のものを見分ける力を持ち、災害から媽祖を護る43熊本県43-01宝華山(別名岩殿山)雲巌禅寺(熊本県熊本市西区松尾町平山)43-02蓬莱山永国寺(熊本県人吉市土手町)<新規>43-...シリーズ仁王像(九州・沖縄地方)7

  • シリーズ仁王像(北陸地方)3-1

    シリーズ仁王像(北陸地方)3-1新潟県(林泉寺、五智国分寺<追加>、乙宝寺、国上寺、西福寺、本成寺、大泉寺)富山県(瑞龍寺、大仏寺<追加>、国泰寺、法福寺、千光寺、千光寺)15新潟県<追加>15-01春日山林泉寺(新潟県上越市中門前)直江津の彫刻家滝川美堂作の仁王像<追加><追加>15-02安国山五智国分寺(新潟県上越市五智)仁王像は天保7年(1836)に製作されたが、平成6年に3年をかけて修復した<追加>15-03如意山乙宝寺(新潟県胎内市乙)行基菩薩の作だという15-04くがみ山国上寺(新潟県燕市国上)<風神雷神像>15-05赤城山西福寺(新潟県魚沼市大浦)<仁王門><山門>15-06法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)大毘沙門天王大持国天王15-07東山延命院大泉寺(新潟県柏崎市大...シリーズ仁王像(北陸地方)3-1

  • シリーズ仁王像 6-1(中国・四国地方)

    シリーズ仁王像6-1(中国・四国地方)鳥取県(摩尼寺<追加>、退休寺)島根県(鰐淵寺、清水寺、多陀寺、萬福寺<新規>)広島県(西國寺、不動院<新規>)岡山県(本山寺)山口県(西堂寺、月輪寺<新規>)31鳥取県<追加>31-01喜見山摩尼寺(鳥取県鳥取市覚寺)<追加2枚><本堂内:四天王><追加4枚>持国天広目天多聞天増長天31-02金龍山退休寺(鳥取県西伯郡大山町退休寺)32島根県32-01浮浪山一乗院鰐淵寺(島根県出雲市別所町)32-02瑞光山清水寺(島根県安来市清水町)32-03亀甲山無量院初午観音多陀寺(島根県浜田市生湯町)<新規>32-04清瀧山浄光院萬福寺(島根県益田市東町25-33)持国天像(益田市有形文化財)平安時代多聞天像(益田市有形文化財)平安時代33広島県33-01摩尼山西國寺(広島県...シリーズ仁王像6-1(中国・四国地方)

  • シリーズ仁王像(北陸地方)3-2

    シリーズ仁王像(北陸地方)3-2石川県(妙成寺、松尾寺、天徳院、宝円寺、大乗寺、那谷寺)福井県(永平寺、明通寺、神宮寺、多田寺、妙楽寺<追加>、中山寺、飯盛寺<新規>)17石川県17-01金栄山妙成寺(石川県羽咋市滝谷町)<丈六堂(釈迦堂)>17-02海松山松尾寺(石川県羽咋郡志賀町町居力)17-03金龍山天徳院(石川県金沢市小立野)17-04護国山宝円寺(石川県金沢市宝町)阿形の金剛力士像は、木造寄木造で鎌倉時代13世紀の作と推定されている明治元年火災の時、一躰は焼失、一躰まさに火に包まれんとした時、小立野の力士亀坂の源八が抱え出して助かった元の吽形は焼失したため、新たに阿形の作風に合わせて、高岡の佛師である本保喜作が彫ったもの17-05東香山大乗寺(石川県金沢市長坂町)17-06自生山那谷寺(石川県小...シリーズ仁王像(北陸地方)3-2

  • シリーズ仁王像(中部地方)4

    シリーズ仁王像(中部地方)4山梨県(大善寺、景徳院)長野県(北向観音、中禅寺、釈尊寺)岐阜県(華厳寺<追加>、圓鏡寺、国分寺、日龍峰寺、大矢田神社、来振寺<新規>)愛知県(龍泉寺、甚目寺、妙厳寺<通称:豊川稲荷>、日泰寺、財賀寺)19山梨県19-01柏尾山大善寺(山梨県甲州市勝沼町勝沼)19-02天童山景徳院(山梨県甲州市大和町田野)20長野県20-01北向山北向観音(長野県上田市別所温泉)20-02独鈷山中禅寺(長野県上田市前山)木造金剛力士立像(長野県宝)12世紀末頃の制作と考えられている20-03布引山釈尊寺<布引観音>(長野県小諸市大久保)20-04洞源山貞祥寺(長野県佐久市前山)茅葺の山門には増長天と持国天の仁王を左右に配している<追加>21岐阜県21-01谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲...シリーズ仁王像(中部地方)4

  • 粟鹿神社(兵庫県朝来市山東町粟鹿2152)

    訪問日令和5年6月5日粟鹿神社(あわがじんじゃ)但馬国一宮この周辺には何度も来ていたが訪れたのは初めてである今回の旅で「一宮神社」を巡る旅を旅の目的の一つ加えたことにより、その存在を知った鳥居駐車場の近くに鳥居がある額には「粟鹿神社」参道を歩く「社叢林」は、朝来市天然記念物に指定されている勅使門(朝来市指定文化財)造営年代不詳切妻造の四脚門で、屋根はかつて檜皮葺であったが、現在は銅板葺に改められている勅使門は、神功皇后が新羅から凱旋して、当社に参拝したことに因むものという勅使が出入りするための門で、4回の勅使参向があったことが記録に残っている日の出門(随身門)厳しい自然環境に曝され耐えてきたという感じがする木造著色随身倚像(朝来市指定文化財)江戸時代初期頃の作天和3年(1683年)に再興され、宝暦5年(1...粟鹿神社(兵庫県朝来市山東町粟鹿2152)

  • 祝田神社(兵庫県姫路市林田町上構199番地)

    訪問日令和5年6月5日祝田神社(はふりたじんじゃ)旅先で声を掛けられた宮司が(体調不良の宮司に代わり)管理しているという神社を訪れた祝田神社とメモしていたが「はふりた」とは読めなかった鎮座地の地名の林田は祝田の転称だという二の鳥居両部鳥居で、鮮やかな赤で全体が塗られている宮司との会話の中で「必ず寄ります」と気軽に応えたが、由緒ある古社だったということに正直驚いた鳥居を背に境内を眺める神馬が狛犬のように迎えてくれる総門石段の上に見えるのが総門右の石柱上部に菊の御紋が見える額には「貴船社」寛治7年(1093年)、当地が林田庄となったとき、貴船神社の祭神を勧請し相殿として祀ったこの社を「貴船社」また「貴船大明神」と呼ぶようになつたその後、源頼朝が建久3年(1192年)に社殿を再建し社号も貴船神社とし祝田神社はそ...祝田神社(兵庫県姫路市林田町上構199番地)

  • 須濱神社(兵庫県姫路市林田町中構344)

    訪問日令和5年6月5日須濱神社(すはまじんじゃ)旅の醍醐味は人との出逢いだと思っているこの神社を訪れたのは、旅先で声を掛けられた男性との約束を果たす為だ道の駅の駐車場でその男性に声を掛けられ、鹿児島指宿市の「たまて箱温泉」を紹介してもらった温泉が好きで時間があると各地の温泉に車で行くようだ同世代で話しのなかで姫路で神社の宮司をしていると話してくれた宮司が(体調不良の宮司に代わり)管理している神社が「バズっている」という話しをしてくれた夕景の写真がSNSで人気になっているという「スハマ神社」と聞いたので忘れないように付箋にメモしておいた「姫路に来たら寄って下さい」の言葉に「必ず寄ります」と応じた国宝の姫路城にも行かず、開催日でない姫路競馬場には行けず「須濱神社」に向かったナビに住所を入れたが目的地に案内され...須濱神社(兵庫県姫路市林田町中構344)

  • 斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

    訪問日令和5年6月5日斑鳩寺斑鳩寺は何度か訪れ発信しているので今回は解説なしで仁王像三重塔(重要文化財)鐘楼(兵庫県指定文化財)講堂(太子町指定文化財)賓頭盧尊者聖徳殿聖徳殿前殿(兵庫県指定有形文化財)聖徳殿後殿(国登録有形文化財)聖徳殿中殿(国登録有形文化財)天神社(太子町指定文化財)ペット観音聖徳太子尊像三重塔撮影令和5年6月5日斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町鵤709)

  • 旧閑谷学校(岡山県備前市閑谷784)

    訪問日令和5年6月4日特別史跡旧閑谷学校平成2年の秋に初めて訪れたが、その時、きっと再訪するだろうと思っていた岡山県に入ってから道路地図で閑谷学校をずっと見ていたこの門の右側に受付がある受付担当者やボランティアカイドの親切で丁寧な対応も魅力の一つだ校門(重要文化財)貞享3年(1686年)の造営額には「閑谷学校(しずたにがっこう)」中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで「鶴鳴門」ともよばれる屋根は備前焼の本瓦葺き廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもある正面に最も重要な「聖廟(せいびょう)」がある石塀(重要文化財)学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀(せきへい)300年経つ現在も、石と石との隙間が無く雑草が生えないというから驚く近くに寄り触れてみてもなめらかである講堂(国宝)一際目立つ建物...旧閑谷学校(岡山県備前市閑谷784)

  • 和気神社(岡山県和気郡和気町藤野1385)

    訪問日令和5年6月4日和気神社和気清麻呂については以前から興味を持っていた訪れたのは今回が初めてである鳥居1駐車場に車を駐め案内に従って歩を進める額には「和気神社」霞橋日笠川に架かる橋で「俗界と聖界の境にある橋」とされる両岸は桜の名所とのこと清麻呂公銅像高さ4.63mの青銅製で、故朝倉文夫氏の作品昭和58年、清麻呂公御生誕1250年を記念して和気町に寄贈された和気清麻呂といえば何と言っても「道鏡事件」だが……女優・気象予報士の「半井小絵」さんが子孫であることにも興味を持っている参道を歩く日本一大きい絵馬鳥居2さざれ石狛猪全国的にも珍しい狛犬がわりに「狛いのしし」猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされることから、清麻呂の守護とされてきたことに由来する鳥居の額石段を上...和気神社(岡山県和気郡和気町藤野1385)

  • 金陵山 西大寺(岡山県岡山市東区西大寺中三丁目8番8号)

    訪問日令和5年6月4日金陵山西大寺高野山真言宗別格本山の寺院日本三大奇祭のひとつ「会陽(えよう、裸祭り)」が有名仁王門(国登録有形文化財)1740年(元文5年)再建三間一戸の楼門で、和様(二階三手先、一階四手先)と禅宗様(尾垂木・台輪・頭貫)を併用し、組物を多様する装飾的な建物鬼瓦の鳥衾(とりぶすま)鬼瓦の鳥衾は、長く伸びて渦巻き状で、県下でもごく数例しか見られないもの<鳥衾は鳥が鬼瓦に止まらないように休める場所>扁額には山号の「金陵山」「釈逸山」という落款があり、禅僧で書の大家隣にある三重塔が気持ちが奪われ、仁王像を撮るのを忘れていた(残念)六角経蔵(国登録有形文化財)建立は、輪蔵:嘉永7年(1854年)/書架:文化2年(1805年)六角堂内の回転式書架「経蔵」を回転させるだけで大般若経600巻を読誦し...金陵山西大寺(岡山県岡山市東区西大寺中三丁目8番8号)

  • 吉備津彦神社(岡山県岡山市北区一宮1043)

    訪問日令和5年6月4日吉備津彦神社平成2年に車で岡山県を走っていたときに国宝の社殿を有する「吉備津神社」を優先し、当社を通過してしまった今回は「備前国一宮」ということで訪れた別称:朝日の宮(あさひのみや)鳥居駐車場は随神門の近くの第1駐車場を利用した初めて訪れる神社なので鳥居まで歩き、そこから出発した狛犬1参道案内の通り歩いてみる(参道右に鶴島)神池靏島神社(つるしまじんじゃ)参道左に亀島がある亀島神社神池の亀「五色島環状列石」の案内があったが、これなのか?随神門(岡山市指定文化財)元禄10年(1697年)池田綱政が造営した狛犬2拝殿額の「吉備津宮」の字体が興味深い立派な社殿で歴史ある神社なのに文化財に指定されていないことに疑問を持っていたが……昭和5年(1930年)12月、失火により本殿と随神門以外の社...吉備津彦神社(岡山県岡山市北区一宮1043)

  • 草戸稲荷神社(広島県福山市草戸町1467)

    訪問日令和5年6月3日草戸稲荷神社創建は平安時代の大同2年(807年)と古く、明王院を開基したとされる空海上人が同寺の鎮守社として祀ったことに始まるとされる当初は社殿が芦田川の中州に鎮座していたが、洪水により流失寛永10年(1633年)6月に初代備後福山藩主・水野勝成が現在地に再建した鳥居額には「正一位稲荷大明神」稲荷橋社殿が大きく少し離れた場所から撮りたいと思い橋の近くまできた数メートル後ろに下がっただけだが、良い場所を見つけたさて、昨年に続いて訪れたのには理由がある境内の清掃をしていた巫女に(心のこもった)挨拶をされたのだ今年はどうかなと思い鳥居を潜ると遠くから小鳥のような軽やかな挨拶の声が聞こえてきた昨年は嬉しい気持ちを賽銭箱に入れたが、今年も同じようにした鳥居額には「草戸稲荷神社」五穀豊穣、商売繁...草戸稲荷神社(広島県福山市草戸町1467)

  • 中道山 円光寺 明王院(広島県福山市草戸町1473番地)

    訪問日令和5年6月3日中道山円光寺明王院真言宗大覚寺派の寺院もとは「西光山理智院常福寺」といい、大同2年(807年)弘法大師の開基と伝えられている元和5年(1619年)福山藩主水野勝成が入府してからはその庇護を受ける三代水野勝貞は常福寺に、歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、寺号を明王院と改め今日に至る十王堂石段の上に山門が見える途中、小さくて可愛い石仏が手を広げて迎えてくれる山門(広島県指定文化財)慶長19年(1614年)再建と考えられる山門横の「不動明王」額には山号の「中道山」書院・庫裡(広島県指定文化財)書院(広島県指定文化財)入母屋造り、本瓦葺。桁行8間、梁間6間半(桁行13.5m、梁間12.7m)向唐破風屋根の玄関が附属する寺記によると元和7年(1621年)庫裏とともに、福山初代藩主・水...中道山円光寺明王院(広島県福山市草戸町1473番地)

  • 素盞嗚神社(広島県福山市新市町大字戸手1-1)

    訪問日令和5年6月3日素盞嗚神社備後国一宮「祇園祭発祥」の神社で、境内は巨旦将来の屋敷跡と伝わる鳥居額には「素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)」参道を歩くとピクニックをしている家族や遊具で遊ぶ子供達の姿があり、地域に根ざした神社だと感じた神門前の石柱には「八紘一宇」「武運長久」の文字が彫られている狛犬1随神門随神像鳥居から社殿までは直線で結ばれ、周囲は高い木々に囲まれている手水舎神楽殿例祭「祇園祭」7月15日素盞嗚神社の祇園祭は、喧嘩神輿で有名となっている祇園祭にはここに3基の神輿が納められる現在では、京都の祇園祭をはじめ、博多祇園山笠など日本全国に広がっている祇園祭その祇園祭の発祥が、こちらの素盞嗚神社だという元々祇園祭は、疫病神であるスサノオを鎮めきれず、町中から退去して頂くために行われていた祭りだった町...素盞嗚神社(広島県福山市新市町大字戸手1-1)

  • 吉備津神社(広島県福山市新市町宮内400)

    訪問日令和5年6月3日吉備津神社吉備国とは、岡山県と広島県東部を含む古代の国名吉備国は7世紀末に備前・備中・備後3国に分割された吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる大鳥居(福山市指定文化財)備後国一宮ということで訪れた慶安元年(1648年)造営の明神鳥居下随神門(福山市指定文化財)随神門の中に鎮まる随神が門守として神社を守っている随神像随神門からの眺望手水舎上随神門鳥居をくぐって2つ目の門で本殿と下随神門、鳥居と一直線上に並ぶ左右には楽所が配置されており、神楽殿で舞楽が奉奏されたときの雅楽演奏場所、着替えの場所であったと考えられる秋葉神社・四所神社神楽殿(広島県指定文化財)高床の舞楽舞台に入母屋造妻入の屋根を架け吹き抜けとなった「...吉備津神社(広島県福山市新市町宮内400)

  • 新日山 安国寺 不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9)

    訪問日令和5年6月1日新日山安国寺不動院(別称:安芸安国寺)真言宗別格本山の寺院十数年ぶりの再訪となる楼門(重要文化財)三間一戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺上層の尾椎に「朝鮮木文禄三」(1594年)等の刻銘文禄の役に従軍した恵瓊が当時の朝鮮から良材を持ち帰って建立したものと伝えられている昭和20年8月6日の原子爆弾投下に際し山麓という地理的条件が幸いして災禍を免れた一瞬にして多くの文化財を失った広島にとって、昔の栄華を今も留める極めて貴重な存在となっている額には院号の「不動院」仁王像(広島県指定文化財)像の高さ2,8メm檜材寄木造り玉眼入り像内に永仁2年(1294年)の銘がある本堂側から金堂(国宝)すでに雨が降っていたが、降り方が激しくなってきた楼門で雨宿りをしながら本堂を撮る天井の墨書から天文9年(1...新日山安国寺不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9)

  • 桜尾蒸溜所(広島県廿日市市桜尾一丁目12番1号)

    訪問日令和5年6月1日桜尾蒸溜所(サクラオB&D)途中、有名な岩国の錦帯橋を通過し、世界遺産の厳島神社を横目で見ながら向かったのは桜尾蒸溜所だ今回の旅では、長濱・嘉之助・津貫に続き、4カ所目の蒸溜所巡りになる蒸留所有料見学(2,00円80分程度)もあるが、放浪の旅故に日程も定まらずショップのみの利用となった桜尾といえば酒屋の棚に置かれているのはジンが多いが、最近ではウイスキーも人気だ桜尾蒸溜所で製造したモルト原酒が敷地内の熟成庫と車で約1時間の山間にある戸河内トンネル熟成庫で貯蔵されている「桜尾・戸河内」のウイスキー名はそこからきている同じ原酒でも熟成場所によって味に変化があるのは興味深いショップの入口になるお洒落な空間が広がるウイスキーだけではなく酒類の多さにも驚くスタッフの対応も良く、購買意欲が高まっ...桜尾蒸溜所(広島県廿日市市桜尾一丁目12番1号)

  • 清涼山 月輪寺(山口県山口市徳地上村字蔵場572番地)

    訪問日令和5年5月31日瑠璃光寺・洞春寺を巡り走っていると、入浴料がなんと100円という温泉の案内看板を発見九州で200円という温泉も経験し、これが最安値と思っていただけに驚き立ち寄った「宮野温泉山口ふれあい館」で駐車場も80台旅行中、昼風呂の経験はないが、これが最高に気持ちがいいことも知った清涼山月輪寺(がちりんじ)湯上がりのルンルン気分で初めて訪れる「月輪寺」へ「げつりんじ」ではなく「がつりんじ」と読むことを今知った石柱に彫られている「薬師堂」は重要文化財に指定されている駐車場周辺を散策「赤心」と言う文字は久し振りに見た若い頃はこういった人物になりたいと思っていたが、「赤面」の文字が当てはまる男になった地蔵堂地蔵菩薩が安置されている楼門下には仁王像が、2階には梵鐘が見える他の方のブログによると、2階部...清涼山月輪寺(山口県山口市徳地上村字蔵場572番地)

  • 正宗山 洞春寺(山口県山口市水の上町5-27)

    訪問日令和5年5月31日正宗山洞春寺臨済宗建仁寺派の寺院国宝の五重塔で有名な瑠璃光寺の隣にある寺院三矢の訓で有名な毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572年)輝元が安芸の国吉田の城内に開基したのが始まり山門(重要文化財)この地には、応永11年(1404年)大内盛見が天下泰平、家内繁栄の祈願所として建立した国清寺があった大内氏滅亡後、毛利隆元の菩提寺となり、後に元就の菩提寺となり洞春寺と称した現在の洞春寺本堂は、江戸時代に焼失して再建されたが、山門は国清寺創建当時のものと思われる山門の扁額には「正宗山洞春禅寺」中門山門脇から境内に入る参道を進むと中門に突き当たる中門の額には「通玄」『禅の極地』という意味があるようだ鐘楼門(山口市指定文化財)本堂側から本堂洞春寺は大内氏滅亡後、それに代った毛利氏の初代藩公、...正宗山洞春寺(山口県山口市水の上町5-27)

  • 保寧山 瑠璃光寺(山口県山口市香山町7-1)

    訪問日令和5年5月31日保寧山瑠璃光寺今回の旅では一宮神社巡りに嵌まってしまい、塔の姿が恋しくなり瑠璃光寺へ駐車場に近づくにつれて嫌な予感が……雪舟像気持ちを落ち着かせるために、お気に入りの雪舟像の方へ五重塔(国宝)大内文化の最高傑作京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とならび日本三名塔の一つに数えられている現在、約70年ぶりの檜皮葺屋根葺き替え工事が行われている次の世代へ引き継ぐための保存修理と、文化財建造物の保存修理を支える伝統技術継承の場ともなっている令和8年(2026年)3月までが工事期間であるが、それまで元気でいられるかどうか心配だいつもは塔を眺めながら時間を過ごしているが、今日は早々に寺の中に拝観料は無料で写真も撮ることができる鎮守石殿佛足石よく見ると硬貨の置かれている場所にセンスを感じる長寿薬師如来水...保寧山瑠璃光寺(山口県山口市香山町7-1)

  • 玉祖神社(山口県防府市大字大崎1690)

    訪問日令和5年5月31日久し振りに宇佐神宮にでも行ってみようかと思っていたが、強い雨が降っていたので止めた2・3日雨予報だったこともあり九州を離れることにした玉祖神社(たまのおやじんじゃ)周防国一宮ということで訪れた「たまそ神社」と思い込んでいたが「たまのおや神社」という読むことを今知った旅の途中でいつの間にか「一宮を巡る旅」が加わったがこれが結構楽しく気に入っている雨上がりに訪れたが綺麗に清掃されていて気持ちがいい狛犬1制作年は分からないが風雨に曝され、穏やかでユーモラスな表情になっている神門体重過多による膝痛のためしゃがんで撮ることなどめったにないがこの景色が気に入ったのか撮っているこの時はまったく知らなかったが、神紋は、亀甲紋様の周りに曲玉が3つ祀られている神は三種の神器の一つ八尺瓊勾玉(やさかにの...玉祖神社(山口県防府市大字大崎1690)

  • 柞原八幡宮(大分県大分市大字八幡987)

    訪問日令和5年5月29日柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)豊後国一宮この神社を訪れる前に参拝した神社「西寒多(ささむた)神社」も同じく豊後国一宮互いに豊後国一宮を主張していたというのも面白い案内板の日暮門近くの駐車場を探したが、農道・林道に迷い込み酷い目にあったこの案内板の前に三度目に来たときにバイクに乗った女性に声を掛けた近い場所に駐車場はあるが、初めてなら石段をお勧めしますと言われた鳥居地元の女性で毎月お参りに来ているという20代だと思うが私のペースに合わせて歩いてくれる気持ちが嬉しい鳥居の額には「菊の御紋」が掲げられている南大門(重要文化財)別名・日暮し門この門の彫刻が素晴らしいと説明してくれた西門(重要文化財)私をここまで案内してくれた女性久し振りにバイクに乗ることができたので感謝と安全祈願にきた...柞原八幡宮(大分県大分市大字八幡987)

  • 西寒多神社(大分県大分市寒田1644)

    訪問日令和5年5月29日西寒多神社豊後国一宮以前、訪れようとしたことがあったがたどり着くことができなかった他の人も「ナビで着かない不思議な神社」と投稿していたカーナビはパナソニックだが、今回はグーグルとヤフーナビを駆使して到着した帰りはパナを利用したが酷い目にあった(汗)駐車場に何が原因か分からないが神聖な場所に相応しくない看板「萬年橋」から境内を眺める社務所看板にあるトラブルの原因を聞こうと思ったが無人であった手水舎鳥居神楽殿正面に社殿鬼の歯形石合併社日露役記念狛犬拝殿神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたというその後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという本宮山を神体山として成立したと見られている7世紀の中ごろ、藤原鎌足...西寒多神社(大分県大分市寒田1644)

  • 大御神社(宮崎県日向市日知屋1番地)

    訪問日令和5年5月29日大御神社祭神:天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)から「日向のお伊勢さま」と親しまれている前回、訪れた時に悔いを残したことがあったので再訪した鳥居この鳥居の周辺が駐車場になっている天気はこれから悪くなる予報だったがまだ大丈夫だ社号標祭神の天照皇大御神の二字「大御」が社号になっている案内板鵜戸神社悔いを残したというのは案内板の「白龍」の形が私の撮った写真と違っていたので気になっていたこの案内板を読んで理解していれば良かったのだが……早速、鵜戸神社に向かう由緒と祭神参道の最後の部分は人が一人通れる程度の幅手すりの右側は崖になっている岩窟の入口にあるのは流木岩窟は高さがある岩窟は人工的につくられたものとホームページに記載があったが信じられない奥の方に社らしきものが見えてくる写真では明...大御神社(宮崎県日向市日知屋1番地)

  • 都農神社(宮崎県児湯郡都農町大字川北13294)

    訪問日令和5年5月28日都農神社日向国一宮創建は神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まるというあぶら石絵馬には祭神の「大国主命」茅の輪素盞鳴尊が旅の途中で、蘇民将来(そみんしょうらい)巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めた弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断った兄の蘇民将来は貧しい暮らしをしていたが、素盞鳴尊を泊めて厚いもてなしをした素盞鳴尊は再び蘇民将来の家を訪れて、「もし悪い病気が流行することがあったら、茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからないですむでしょう」と教えた茅の輪も、最初は人々が腰につけるほどの小さなものだったが、時代がたつにつれて大きくなり、これをくぐって罪やけがれを取り除くようになった他に参拝者がいなかったので「茅の輪」を潜...都農神社(宮崎県児湯郡都農町大字川北13294)

  • 霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口2608番地5号)

    訪問日令和5年5月28日霧島神宮予備知識もなく地図上で鹿児島神宮の近くにあるということで訪れた初めての場所で駐車場探しに苦労する社号標一の鳥居近くにある、駐車場に車を置き緩やかな坂を300m程歩く80段の石段というがもっとあるように感じる二の鳥居ここが表参道になる坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れた龍馬が妻のお龍と高千穂峰を訪れた際、何を思ったか「天逆鉾」を引き抜いて見せたというこのことは龍馬自身が手紙で姉に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している霧島神宮展望台山頂付近に雲がかかりぼんやり見えているのが桜島だ神聖降臨之詩碑参拝者が多い神社で人の流れが落ち着いた頃合いをみて先に進んだ三の鳥居この先に足を踏み入れたときに、驚いた参道は木に覆われ薄暗く、そ...霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口2608番地5号)

  • 鹿児島神宮(鹿児島県霧島市隼人町内2496)

    訪問日令和5年5月28日鹿児島神宮大隅国一宮鹿児島市内にあると思っていたら違った石造り太鼓橋御門神社境内への石段麓脇に2つの社が建つ雨之社祭神:豊玉彦命菊の御紋がある御神木建久年間植樹、樹齢約800年と伝わる手水舎龍宮の亀石鹿児島の地名発祥の地勅使殿(重要文化財)令和4年(2022年)本殿及び拝殿、勅使殿、摂社四所神社本殿が重要文化財に指定された創始は社伝によると遠く神代とも「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している彦火火出見尊(別名:山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくったという扁額には「正八幡宮」正...鹿児島神宮(鹿児島県霧島市隼人町内2496)

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