chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
アントンKのお気に入りノート
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/09/26

arrow_drop_down
  • 遥か昔に感じる東海道を走ったEF64 1000

    今回のダイヤ改正で、かろうじて残ったEF65PFの四国運用だが、ちょっと前にも同じような思いをして、ダイヤ改正を迎えたことを思い出している。それは、愛知区に集中配置されていたEF64が関東には顔を見せなくなるのでは?というものだった。数年前のダイヤ改正でのことだが、噂は現実となりその日を境にどこか間の抜けた、張り合いのない時間になったことを今回の65PFの四国運用消滅?の噂とダブって感じたものだった。本来、山間部を重連で黙々と走る電機であろうEF641000なのだが、海沿いの大動脈を高速で走るロクヨンセンの姿は、かつてのゴハチからスイッチしたEF62の荷物列車を彷彿とさせていたことも多々あるシーンで感じたもの。特にお馴染みの早川ー根府川で、ロクヨン特有のブロア音を聞いた時には、場違いの感じがしたのである。...遥か昔に感じる東海道を走ったEF641000

  • 春に向かう高揚感~103系

    桜の開花が遅れている。気象庁の発表からも修正があり、今日現在(3月26日)都内では確認できていないようだ。確かにここのところ、肌寒い日々が続き、冬に逆戻りした印象をもっていたが、いくら温暖化が進むとは言え、植物は気候に正直といったところだろう。アントンKの鉄道写真も終盤を迎えてはいるが、ここ数年は季節感のある画像も意識するようになっている。一番解かりやすいのが、春は梅、桜、菜の花など色とりどりの植物と被写体を絡めることに注視している。最も安直な撮影法だろうが、誰もがその画を見て春を印象づけることに一番近いと思えるからだ。ここでも長年撮影してきた自分流を取り入れて画像を構成できるよう日々精進しているのだが、現実はなかなか厳しく思うようにはいかない。今年は、桜前線とともに撮影計画を立て、今まで行きたかった撮影...春に向かう高揚感~103系

  • 活躍の範囲が狭まったEF65PF

    年度末も目前に迫り、毎日時間に追われた日々を送っている。人間、自然と楽な方へと身体が慣れてしまい、制約が重なるとストレスに感じてしまいがち。まさに今のアントンKがそんな状態に陥っていて、趣味に時間を割けないでいる。ま、贅沢な話ではあるが、たとえ1日30分でも心を無心にできる時間を取れれば、どんなに有難い事か。アントンKにとって、その30分は線路端に佇むことであり、音楽に浸ることなのだ。朝練と称して年間通じて通っていた新鶴見界隈にも、ここ最近はご無沙汰になり、演奏会に至っては、今年まだ2回しか聴きにいけていないのだ。事前にチケットを用意しても、無駄することが多くなり、ここ最近ではそれが嫌で買えないでいる。しかし、新年度からアントンKも業務体系に変化がありそうで、もしかしたら今までより有効に時間を活かせるかも...活躍の範囲が狭まったEF65PF

  • 余命いくばくもない振り子電車~381系

    春のダイヤ改正を迎え、沿線各地が賑わいを見せているようだ。新たに生まれた列車を中心にニュースになっているようだが、その影でひっそりと消えていく列車、車輛たちも多い。その中の一つである、伯備線の特急電車381系も連日の賑わいをみせているようだが、今後ますますこの傾向が続くのだろう。どうかマナーを厳守した行動を励行してほしい。アントンKはというと、昔からどうもへそ曲がりのようで、ファンの集まるところには行かない傾向がある。6月で引退すると発表された381系も、自分の中では、381系と言えば特急「しなの」となり、特急「やくも」は、キハ181系の方がしっくりきてしまう年代なのだ。もちろん、沿線には何度か出向いたことがあるからで、久々に登場した国鉄色には多少興味が沸いていることも事実だ。この381系電車も、「しなの...余命いくばくもない振り子電車~381系

  • 貨物機PF~桜を待たずに消えていくのか!?

    あと数日で全国的な鉄道ダイヤ改正日を迎える。(3月16日)前出したように、その目玉は新幹線の延伸だろうが、毎年機関車ファンをヤキモキさせる時期でもあるわけで、次期シーズンは、どんな運用、運転になるのだろうと仲間内でも意見交換が盛んになるのである。アントンKの関心事は、やはりあれだけEF210という新型電機が増備され、今後どのくらい国鉄型電機が残存できるのかということ。場合によっては、日中に限らずEF65PFの運用は消滅するのではないか?とまで想像できてしまうのだ。いつの間にか、愛知に集中配置され、関東でも会えることが限られてきたEF641000番台の時のように、65PFもその日を境にフェードアウトしていくのだろうか、今とても気になっているのだ。車齢を考えると致し方ないとはいえ、昔から線路端にいる時、いつも...貨物機PF~桜を待たずに消えていくのか!?

  • 最後の特急街道消滅!~485系

    今回のダイヤ改正で一番の目玉は、やはり北陸新幹線の延伸だろう。金沢と敦賀の間が新しく開業となり、東京から一気に敦賀までの移動が可能になるのだ。東京から終点敦賀まで乗車する方がどのくらいいるのかという空論はさておき、やはり最速3時間ちょっとで移動できる事実には、隔世の感は否めない。自分も含めて、さらに時代に取り残されていく感覚がどこか寂しく感じる。まだ北陸新幹線が開業前は、最後の特急王国、特急街道として北陸本線は鉄道ファンには人気が集まっていた。国鉄時代の東北、上信越線のごとく、「雷鳥」「しらさぎ」が絶えず走り、当時最長距離を走る「白鳥」や速達特急の「かがやき」「きらめき」などが懐かしく思い出される。在来線である北陸本線は、すでに寸断されてしまっているが、どのくらいJR線として存続していくのだろう。考え出す...最後の特急街道消滅!~485系

  • 万能電機EF65の落日

    ダイヤ改正が迫り、いよいよ国鉄型電機の代表とも言えるEF65型がその日を迎える。アントンKにとっては、2000番台を名乗った時点で区切りが付いていたが、その後も往年の国鉄色に次々と姿を変え、まだまだ現役と思わせられた近年は、新たな趣味のお仲間もできて、大いに楽しい趣味生活だった。今は機関車への拘りよりも、友人との撮影行での数々の場面が次へ繋がってきたと思える。昔に比べたら、そんな緩い気軽な撮影だが、世代を越えてこうした鉄道趣味が継承されていくことを望みたい。旅客会社のEF65はすでに定期運用を持たず、貨物会社の同機もダイヤ改正で仕事が激減するとの噂があるが、あれだけ後任のEF210型が出番を待っている状況だから、これも致し方ないのだろう。でもどこか寂しさを覚えるのだ。まだまだ落成してから日の浅い、EF65...万能電機EF65の落日

  • 憧れの「トワイライトエクスプレス」~EF81

    早いもので、運行終了から9年の歳月が流れた。もっとも客車自体はその後も団体用として、西日本各地を巡っていたから、そんなに遠い昔には思えない。しかし、いかに今までアントンKの鉄道写真の幹が、夜行寝台列車だったのかを今さらながら痛感しているところ。過去の撮影データを整理しても、ここ最近10年の撮影出撃回数は激減してしまっていた。自分ではさほど意識は無かったが、こうして確認してみると明確に示されてしまい、少しばかりその体たらくに衝撃を受けている。季節を選びながら、夜行列車の走行区間をチェックし撮影ポイントに据え、その1本のために、現地を目指し、空を見上げながらその時を待つ、あの時間は至福の時だった。今にして思えば、目的を早々終え、残りの時間をどう過ごすかという、その時々のアレンジも楽しかった思い出だ。普段ではま...憧れの「トワイライトエクスプレス」~EF81

  • 最近の工事列車の魅力~キヤE195系

    三寒四温の季節に入った。特にこの時期は体調を崩しやすく、花粉飛散の時期とも重なっていつも憂鬱になる。毎年のこととはいえ、もうこの季節か!と時の移ろいにここでも驚嘆しているのだ。毎年実施されているダイヤ改正も、いよいよ迫ってきた。(3月16日)今回の目玉は、北陸新幹線の敦賀までの延伸だろうが、全国的にみれば細かな動きが多々みれるようだ。鉄道趣味的見地からみればトピックは何なんだろうか。アントンK自身の関心度が下がってしまったこともあるが、ダイヤ改正で廃止されたり、誕生したりする列車たちが、昔ほど魅力的に感じていない。それは車両そのものよりは、今の世相によるものではないかと感じている。趣味人としての世代間のズレを感じる場面が多いのだ。好き者同士、やはり同じ趣味を楽しむ人として、自分を含めて再考していきたい。今...最近の工事列車の魅力~キヤE195系

  • マエストロ小澤征爾の訃報にふれて・・

    「世界のオザワ」と言われ続けた指揮者小澤征爾が天国に旅立った(88歳)。随分前に大病を患い、演奏活動からはしばらく遠のいていたものの、その存在は計り知れないほど大きく、日本の、世界のクラシック音楽界が今悲しみに沈んでいる。アントンKも音楽鑑賞履歴を紐解けば、何回か小澤さんの音楽に触れることが出来ていた。その後、ボストン響の常任やウィーン国立歌劇場での活躍が長く、今思えば、松本などで開催された晩年の演奏には駆け付けられなかった。しかし以前にも書いているはずだが、目白の教会で演奏された第九は、今でも自分の中で語り草になっていて、当時が鮮明に蘇るのだ。彼の出演した録画放送で語っていた、「大切なのは、日常でも見たり聞いたりして感じることが出来る、自身の心だ」という他愛もない、しかしとても突き刺さったコメントで、今...マエストロ小澤征爾の訃報にふれて・・

  • 大フィル / ブルックナー ここにあり!

    大阪フィルは、昔から年1回東京公演としてサントリーホールへと乗り込んでくる。アントンKも1980年代後半から、この東京公演を意識して毎年鑑賞してきた。当然のことながら、朝比奈隆存命時代は、彼の十八番だったベートーヴェンやブルックナーの楽曲が取り上げられることが多く、関東圏のファン増大に随分とつながったのではないだろうか。当時から彼等の録音は多々存在していたが、朝比奈の演奏は、生演奏こそ意味があると思えるからだ。同じプログラムを大阪で取り上げ、本番で熟成したところで上京する行程は現在も変わらずのようである。さて今回のメインプログラムは、ブルックナーの第6交響曲だった。第6と言えば、中期の交響曲の中でも、最も地味で小規模の楽曲であり、演奏される機会が極端に少ない楽曲となっている。それは初期の第1や第2などと同...大フィル/ブルックナーここにあり!

  • 赤べこナナゴ 晩年の活躍~ED75

    東北地方では一大勢力を保ち、「北にナナゴあり!」と思わされてきた時代。あれからすでに20年以上の歳月が過ぎてしまった。アントンKも御多分に漏れず、ED75は昔から好きな電機だった。接する機会も限られていたこともあるだろうが、車長が短いのにとてもパワフルに感じ、重連で長大な貨物列車や、ブルトレの先頭に立つ姿に憧れてきた。0番台から始まり、50番台からのヒサシ付き。九州の300番台、北海道の500番台、裏縦貫の700番台、高速型の1000番台と、きっちり用途が別れていて、当時はそれぞれで活躍していることが万能機を物語っていたと思っている。アントンKもその地域で全て記録を残せている訳ではないが、HMの付いたブルトレや三重連で峠を上るナナゴ達に出会えた時の感動は、今でも忘れることは出来ない。現在でも、JR東日本に...赤べこナナゴ晩年の活躍~ED75

  • 冬の風物詩「シュプール」号を追った日々

    新年を迎えて初詣臨が落ち着くと、雪中撮影へと出向くことが多かった。ちょっと前のことと思いきや、すでに時計は20年以上も時間が進んでいる。時期が現在と重なるため、昔の画像から1枚掲載しておく。信越本線を往くシュプール信越号。すでにスキーヤーは下車しており回送列車である。当時は、スキーシーズンになると、各地から臨時列車が増発され、格好の被写体になった。普段では見ることのできない車両が雪山を目指して一堂を返すといった様相になるからだ。583系や485系の正面貫通扉が開き、連結している編成もこの時初めて見た記憶が残っている。写真は、普段中央線の特急で活躍している「あずさ」色だが、長い編成は威風堂々、臨時とはいえ特急車たる威厳を感じてしまう。雪山はいつも猫の目天気。予報は当てに出来ず、とにかく現地へと出向いてナンボ...冬の風物詩「シュプール」号を追った日々

  • 北陸に想いを寄せて

    正月早々に発生した能登の大地震。日に日に被害状況が拡大してしまい胸が痛む。自分の無力さを改めて思い知らされたとともに、現地の一刻も早い復旧を祈りたい。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。2008-07北陸本線:金沢にて北陸に想いを寄せて

  • 現代から見た昭和時代への憧れ

    今年の撮り初めも、例年通り新鶴見界隈で終えているが、良い天気に誘われて友人と二人カメラハイクに出かけてきた。東武鉄道野田線、今は通称東武アーバンパークラインと呼ぶらしい。路線の存在は昔から知ってはいたが、何しろ縁遠くお邪魔することも乗車することさえ今までなかったから、いつもの撮影とは一味違うものを感じながら出向くことになった。同行の友人の意向で、まず本日運転されている「カシオペア」を撮影してから、野田線に入る行程で大宮側から乗車することになり、沿線をロケハンしながらの乗車となった。ここでの目的は、現在運用に就いている8000系の8111編成の撮影で、昔懐かしい東武ツートンカラーが復刻している車両だ。アントンKは、この8000系が登場時はこの塗色だったのか判らないが、馴染みの少ない東武線で、懐かしさを覚える...現代から見た昭和時代への憧れ

  • 14系「浪漫」使用の初詣列車~EF64

    学生時代、自分が中年になる頃、時代は21世紀。その頃どんな世の中なのだろうと、色々妄想し夢見た時代があった。実際21世紀になってから、すでに20年以上の時が流れ、やはり世の中大きく変わってきたと、最近特に感じている。あの頃を思えば、鉄道という交通機関はずっと減退、縮小の一途を辿っているように思えてならないのである。新幹線の延伸による地方鉄道線の影響は如何なものか。全国を走っていた夜行列車の廃止は、鉄道を単なる移動手段の乗り物として決定づけたようにも感じてしまう。昔乗った鉄道は、時短時短の現代にはない、何か温もりを感じる何か、気が付かなければ過ぎてしまうような、情景が広がっていたように思えてならないのである。過去に撮影した多くの画像を整理して眺めながら、そんな他愛もない事を考えてしまった。実際21世紀とは、...14系「浪漫」使用の初詣列車~EF64

  • 迎春~2024

    穏やかな新年を迎えることができた。年末は思うように自分の時間が取れず、趣味活動も休止状態だったから、年を越すこのタイミングは、何時にも増してゆっくり時間が流れている気がしている。かと言って、何からやればいいのか手が付けられないのは、いつもの事。全く困ったものだ。今年はブルックナー・イヤー生誕200年の年にあたる。まだすべてを把握していないが、おそらく世界中で数々のブルックナーの演奏が行われるはずだ。本場オーストリアでは、チクルスが組まれて全交響曲が演奏されるかもしれない。アントンKにとっては、夢のまた夢だが、いつかあの教会の長い響きの中で、ブルックナーを堪能してみたいもの。そんな夢物語をいつも思いながら日々過ごしているのであった。そんな記念すべき年2024年に向けて、昨年から数々のCD録音も発表発売され、...迎春~2024

  • ブルトレ末期まで活躍した 特急「あけぼの」~EF65PF

    激変が予想されるEF65PFの話題を続けていく。アントンKの場合、鉄道写真を開花したきっかけとなったのはEF57という電機だったが、当然のことのように、その後EF58、EF65と興味の幅は広がっていった。当時を思えば、許されるフィルムの枚数も限られ、来た列車全てにカメラを向けられていないが、なかなか日頃見ることが出来ない車両達には無我夢中でシャッターを切ったものだった。今回はそんな中から特急「あけぼの」をけん引するEF65PF。撮影当時は、この特急「あけぼの」は上野-秋田を2往復。もちろん福島から奥羽本線に入るルートで北東北を目指していた寝台特急だった。ご覧のように、当時はブルートレインといっても、機関車にヘッドマークは無く、他の特急急行の客レに混じってとても地味な存在だったが、唯一20系客車という輝きが...ブルトレ末期まで活躍した特急「あけぼの」~EF65PF

  • EF65PF若かりし時代

    にわかに65型の注目度が上がってきているようだ。今年になってから、旅客会社、貨物機ともども現役引退機が現れてしまい、数を減らしているからだ。今までを振り返ってみても、EF65の活躍ピークはとうに過ぎ、最近では余生を送っているという雰囲気が醸し出されてきた。それは、いつの間にか、更新色が大部分になった65PFが国鉄色いわゆる特急色に戻されてから、かなり時間が経過したという現実でも容易に理解できるのである。アントンKはというと、我が人生とともに歩んできた機関車の一形式としての愛着は大いに沸いているが、だからといって熱い視線で撮影に奔走するといった気持ちは随分昔に無くなってしまった。思えば、東海道ブルトレに抜擢され走り出した時代、そして全国的にヘッドマークが復活し、特に65PFの「あけぼの」の復活に興奮した19...EF65PF若かりし時代

  • 秋の鹿島線を往く~EF65PF

    このところ何かと忙しく、趣味活動が停滞気味になっている。今年もあと50日などと考えれば考えるほど、気持ちだけが先走り心が空回りしてしまうのだ。心の糧としてきた音楽鑑賞も、まともに足を運べず走ってきてしまった。来年は少し起動修正が必要で、すでに自分なりのスケジュールを組み始めている。やはり日頃からいかに心の充実を求めることが、アントンKにとって重要なことなのか、今さらながら理解納得した次第。日々精進で進んで行かなくては・・・秋色の鹿島線を往くEF65の貨物列車。一時ファンが押し掛けたここ鹿島線も、ダイヤ改正で国鉄型電機が来なくなり、今ではどんな景色になっているのか。来年は再訪したいものだ。2021-09-281093ㇾEF652096十二橋付近秋の鹿島線を往く~EF65PF

  • 秋ゆく街で・・・

    いつまで暑さが続くのかと思いきや、いきなりの寒さに身も心も塞がりがちになる。いや今年の気候はなかなか手強い。いつも以上に身構えている昨今なのだ。長年継続してきたアントンKの趣味も、過去を振り返りながら先を見据えて、今後を考える時期に入っている。文字にするといかにも大袈裟に感じてしまうが、いままでの積み重ねを無駄にしないためにも、今の自分にできる事をしっかりとやっておきたいのだ。趣味活動を今後あとどのくらい継続できるのか判らないが、思い立った今、過去に遡って整理することも意味があるように感じている。ちょうどそんな時期を過ごしているように自身思うのだ。今後具体的に形になれば、このブログに記載していきたいと思っている。高い澄んだ青空を見上げると、紅葉と化した金色の景色が恋しくなる。また何処かへ足を運びたい。画像...秋ゆく街で・・・

  • 今は亡き伝統の温泉特急「草津」~185系

    電車特急を続けて掲載。この185系ももちろん国鉄時代に誕生した形式だが、40年以上にも及んだ活躍の中、外観を含めて多々改造更新が行われてきた。誕生時は、0番台と200番台とに大別されていたが、その区別もいつしかなくなってしまったようで、アントンKにはもう深く判らなくなってしまった。ここ吾妻線の特急も、昔から何かと撮影の機会に恵まれた列車に思うが、当初の157系「白根」のインパクトから思うと、随分冷めた気持ちでカメラを構えている。157系→183系→185系→651系→現E257系と継承している温泉特急。ダイヤ自体は昔とあまり変化ないように見られるが、時代とともに撮影チャンスも減ってしまった。今度はそんな体たらくも意識して撮影に出かけてみるか。一部路線がダム建設で変更となり、どう変わってしまったか見届けるの...今は亡き伝統の温泉特急「草津」~185系

  • 消えゆくタキシード特急651系電車

    もう国鉄型JR型問わず、現役引退の時代を迎えたらしい。もっとも国鉄が民営化されたのが、1987年4月だったから、すでに36年の歳月が流れた訳で、たとえJR化後に誕生した車両でも、その使用状況では引退していっても不思議ではないのだろう。本当に時の流れは早いものだ。昨日から最後の651系の1編成が廃車回送されたとSNSを賑わせているが、アントンKにとっては、この651系電車自体関わりが浅かったので、特段の思い入れは湧かなかった。485系「ひたち」の後継として華々しくデビューして、一時は一大勢力を保ち活躍していたが、それもあっという間に653系、そして657系と切り替わってしまった。この中ではタキシードボディと言っても、国鉄寄りなスタイルは651系に感じ、編成を短くされ上州に行ったり、伊豆へ出稼ぎに行ったりと、...消えゆくタキシード特急651系電車

  • ヘッドマークへの憧れ~ED79

    ヘッドマークを掲げて走る列車というのは、外国の列車には無く日本独自のものらしい。今まで諸外国で全く走っていないかと問われれば定かではないのだが、列車最後部には着けても、毎日定期的に機関車の前面にマークを掲げることは無かったと聞く。こんな話と聞くと、ヘッドマーク装着は実に日本的な発想であることに気づき、どこか誇らしげに感じてしまう。これも日本人の情感に触れるワビサビに通じる感覚なのだろうと納得してしまうのだ。思えばアントンKも、鉄駆け出しの頃には東京駅のEF65Pのヘッドマークにどれだけ憧れただろうか。歴代の機関車に同じマークを掲げて毎日走ってきたことを想うだけで胸が熱くなったものだった。そしていつか寝台に寝そべって遠く旅をしてみたいと思っていた。たった機関車に掲げられたマークだけで、そんな妄想までするなん...ヘッドマークへの憧れ~ED79

  • 秋晴れを信じて・・EF81

    晴れると清々しい季節になってきた。猛暑だった日常から解き放たれ、青い空、高い雲を見上げると、気持ちが高鳴り一人何処かへ旅立ちたくなる。そんな計画を立てるだけでも心躍るものだ。長年撮影主体の旅が多いからか、どうしても太陽が輝く「晴れ」の想定で行動計画もおのずと決まるが、経験上想い通りにいかないことが大半で、満足とは程遠い結果がたくさん残されている。最近の撮影では、撮影機材の変化からか、太陽光線の意識は薄らいできているが、それでも基本は「光」という魔法を信じるのがアントンKのスタイルなのだ。まだ寝台特急「北斗星」がEF81のけん引で走っていた時代の1コマ。この時も、天気予報は「晴れ」。夜明けとともに太陽の光を感じるはずの秋の日だった。しかし予報とは裏返しで、現地に着くと濃霧で視界が利かない。撮影どころではない...秋晴れを信じて・・EF81

  • ある日の大宮にて~EF15

    親戚が大宮市にある関係で、幼少の頃からここ大宮駅には親しみがあり、アントンKの鉄道への道しるべであることは、以前からこのブログでも書いてきた。鉄道車両にカメラを向けたのは、地元の私鉄車両に始まり、三鷹電車区での電車たち、通過していく貨物列車や特急電車で、それでも飽き足らず東京駅や上野駅へと出向いたのは、誰でもが通った道だったろう。そして北の鉄道の聖地大宮での一時も、今にして思えばグッと鉄道を身近にしてくれた場所だった。当時から音楽も大好きで、鑑賞だけでは不満足で楽器を手にしながら楽しんでいたが、音から伝わる空気感が、鉄道と接している時間と共通していると思ったものだった。その音を感じるだけで、目の前に風景が広がってくるのは音楽鑑賞と同じだと思えたのだ。だから、当時はよく特に当てもなくテレコを担いで1日駅で過...ある日の大宮にて~EF15

  • 失われる身近な原風景~三鷹人道橋

    もうどのくらい経ったのか判らないが、三鷹電車区(現在は車両センター)を跨ぐ人道橋がいよいよ取り壊しになるという記事をどこかで読んだ。アントンKにとって、当時は国鉄電車との接点だった当地。模型が好きで鉄道趣味の世界に没頭し、模型屋さん巡りに明け暮れていた頃、自宅から自転車で通うことができた三鷹の「トリオ商会」には入り浸った。店の目の前が中央線の線路で電車区前。何という立地だろう。101系電車の通過音を聞きながら店の扉を開けたものだ。一通り展示品に目を通すと、再び店外へ出て列車の通過を待った。そんな時、この人道橋に上がると、赤い電車を横目に多くの中央線のスターたちが見渡せたのだった。憧れの181系あずさに始まり、115系、165系や70系、地下鉄線用301系も休んでいて時間を経つことも忘れ佇んでいた。豊田に1...失われる身近な原風景~三鷹人道橋

  • 10年ひと昔~8094列車

    朝練が疎かになっている・・・始業前の小一時間線路端に立ち、おのずと決めたルーティーンを当たり前のように周り、何事も無かったようにその日一日が動き出す。そんな毎日がほぼ日常だった時代から早10年が過ぎた。そこで出会った鉄仲間はもちろん今も現役で、川崎界隈の線路端に行けば、どこかしらで出会う偶然の快感がいつも溜まらなかった。そして最近、職場の鉄仲間たちからも多くの刺激を貰い、自らの堕落さを猛省している。何気ない日常こそ、将来の宝となることは解っていながら、いつの間にか自分自身が変わってしまっているのだ。もちろんアントンKの日常の変化がそうさせるのだが、今ほど原点回帰という理念が頭の中を駆け巡ることはない。年々早く感じる時間経過の中で、いかに自分にとっての充実した時間を見つけることが出来るかが、今後の人生をも決...10年ひと昔~8094列車

  • 在来線特急列車の思い出~583系

    来年春、金沢まで伸びている北陸新幹線がついに敦賀まで延伸する。これで関東から福井・敦賀方面へ出向く場合、東海道~北陸経由一択だった選択肢が広がりを見せる。費用ベースだったら話は変わるだろうが、旅行する手段が増えることは、単純に良い事として考えられるようになった。思えば、在来線の優等列車の変遷は、新幹線の延伸とともに形成されてきた。最近ではアントンKも、新幹線のある日本の風土を美しく感じられる心を持てるようになったが、それによって失われた尊い情景を思い起こすと、いくばくかの切なさを感じてしまうこともよくある話である。そう思うと、東北・上越新幹線が誕生する前の華やかな在来線の列車たちがとても懐かしくなってくるのだ。当時よくよく出向いていた大宮駅の日常は、今思えば夢のようだが、引っ切り無しにやってくる特急列車、...在来線特急列車の思い出~583系

  • 現存の蒸気機関車を案じる日々

    この令和時代、全国で未だに活躍を続けている蒸気機関車。最近、あまり耳にしたくない噂が聞こえてきた。コロナ時代を迎えて3年以上が経ち、鉄道各社にもほぼ集客が戻り、さてこれからという時に、今まで全国で運転されていた蒸気機関車たちに暗雲が立ち込めている。今年6月、惜しまれつつも運転終了となった釜石線に走っていた「SL銀河」に始まり、東日本のD51498、C6120の不調、西日本のC571の不具合等、ここにきて我々ファンに逆風が吹き出しているのだ。人の問題、費用対効果の思考以上に、コロナ禍を経験した我々にとってイベント列車としての蒸気機関車そのものの考え方に変化が生じているようだ。鉄道趣味界にとっても大きな転換期を迎えているのかもしれない。どうかこれからも、この鉄道文化を絶やすことなく、さらなる明るい未来を築いて...現存の蒸気機関車を案じる日々

  • 懐古色に湧くJR西日本~381系

    長年親しまれてきた車両が後継型の登場により、徐々にその勢力を失い、引退までの期間限定で、登場時のスタイルに寄せて今までの功績を讃えることは、今までにもよくあったことだ。この秋から、JR西日本では、「懐鉄(なつてつ)」として、伯備線で運転されている381系電車にグリーン塗装車を、そして山陽線で最後の活躍をしている115系電車には、瀬戸内色と呼ばれるクリーム地にブルーの帯の塗装を復活させると発表があった。どちらも廃止されてから20年以上の時間が流れているだろうから、当時をよく知る方からは懐かしくも嬉しい知らせとなっただろう。アントンKはというと、地域色が強いこの手の話題には、鈍感にならざるを得ないが、こういう話題が湧くことで、当時を振り返るきっかけにはなり、それなりに刺激を貰っている状況だ。掲載するのは、今回...懐古色に湧くJR西日本~381系

  • 他界が相次ぐ日本の指揮者界

    7月に日本の指揮者界の大御所外山雄三氏(92)の訃報にふれたばかりだというのに、今月は、ワーグナー指揮者として著名な功績を遺した飯守泰次郎氏(82)まで旅立たれた。アントンKにとって、両指揮者とも馴染み深いというところまで、実演奏に触れずに来てしまった。外山氏の演奏は、ベートーヴェンやチャイコフスキーといったメジャーな楽曲の録音を聴くに留まるが、飯守氏に関しては、ブルックナーも十八番ということから、過去に何回か実演に出向いたことがある。またエアチェックした数々の録音が残っていて、それを聴き返して懐かしく想いを馳せているのだ。現在の日本指揮者界は、世界指揮者である小澤征爾(85)を筆頭に、多くの名前が連なっているが、この中から、さらに多くのファンを獲得し、そして何よりも独自性の高い演奏を繰り広げる指揮者がど...他界が相次ぐ日本の指揮者界

  • 機関車とヘッドマーク~EF65PF

    アントンKが鉄道撮影を始めた時代は、1970年代中頃だが、その当時は、東京口のブルートレインを除き、機関車へのヘッドマーク取り付けを省略していた時代だった。この暗黒時代とも言うべき時代が、1985年頃まで続くのだが、今考えると、あの頃マーク装着唯一の九州ブルトレが、ますます光り輝いていた列車に思えて、憧れもより強くなったのだろうと思う。ヘッドマークの有り無で、こうも列車の印象が違うのは、「撮影」するという観点からだからだろうが、当然今まで撮影してきた未装着列車の画像は、自分の中では随分価値が下がってしまい、全て撮り直しという課題が出来上がった訳なのだ。それ以降アントンKの撮影は、電車に装着し始めた絵入りヘッドマークも含めて、鉄道撮影の根幹が出来上がっていく。今にして思えば本当に楽しい時代を生きてきたと感じ...機関車とヘッドマーク~EF65PF

  • 在来線いまむかし~185系

    国鉄時代に乗車していた列車を思い出すと、その形式も懐かしいが、今では何と言っても編成が極端に短くなってしまったことが大きな違いとして挙げられる。特に地方のローカル線では顕著で、鉄道ファンとしては寂しい限りなのだ。朝夕のラッシュ時と日中、平日と休日、はたまたイベント時の特別運用等々、国鉄時代を思ったら、とても細かな対応に変わっていることに気づく。時代に沿った効率重視の対応ということなのだろう。アントンKにとって列車を撮影する時、あるいは乗車する時でさえ、列車編成は長い方が魅力的に思えるのは昔から変わらないから、短い列車というだけで極端に写欲が削がれることも事実。趣味として鉄道を考えれば、ますますそんな偏った考えにたどり着く訳だ。国鉄時代の高崎線を往く185系電車使用の普通列車上野行き。早朝にもかかわらず14...在来線いまむかし~185系

  • 盆休みに運転された多客臨たち~EF57

    盆休みに合わせるようにやってきた台風7号も、当初の予想よりはるかに西に進路を進め、関西・山陰地方に大きな爪痕を残して日本海に進んでいる。台風被害の全容がわかるのはこれからだろうが、どうか最小のものであって欲しい。直接関係が無いにしても、自然災害による大きなダメージのニュースは聞いていて辛くなるのだ。いつもこの時期に思い出すのは、帰省列車が多数運転され、EF57がフル回転で運用に就いて、最後の雄姿をカメラに収めたく線路端に出向いていたことだ。時刻表で、臨時列車のダイヤを調べることは出来ても、どの列車にゴーナナが運用されるまでは判らず、とにかく現地に出かけてから、という場面が多かった。後に電話で問い合わせれば、翌日の運用を教示してくれるサービスがあったが、臨時列車のスジまでは当時理解できず、地団駄を踏んでいた...盆休みに運転された多客臨たち~EF57

  • 根岸線50周年に合わせて~103系

    今年4月で根岸線が開通50周年を迎えたということらしい。はて?根岸線ってどこの路線となってしまいがち。鉄道に興味もない方からすればどうでもよい話だろうが、ようは都心を南北に結ぶ京浜東北線の横浜以南を「根岸線」と正式には呼ぶ。現在、大船まで走っている京浜東北線だが、アントンKにも大船開通時の記憶が微かに残っている。もちろんゲタ電と言われた73系電車の時代は、おぼろげとなったが、浦和電車区に101系電車が3本残っていて、来ればラッキーと思っていた少年時代を振り返ることが出来る。鉄道撮影に目覚め、さらにこの京浜東北線には何かと関わってきた。首都圏で撮影に動き回る場合、東海道でも東北でも、このスカイブルーの電車にはお世話になってきた。首都圏の撮影時では、常にこの京浜東北線が並走している場合が多々あり、時には被写体...根岸線50周年に合わせて~103系

  • 週末中心に運転された「白根」~183系

    今でも地方を走るローカル特急は数多いが、昔と違うのは、新幹線ありきのダイヤ設定に変わってしまったことだろう。新幹線の延伸により在来線の特急列車が淘汰され、新幹線を主体にした列車ダイヤになることで、第三セクター化、運賃値上げ等、今までとは様相が変わったと感じる。来年は北陸新幹線の延伸が予定されているが、いよいよ日本海側の特急列車も過去帳入りとなってしまうのか。掲載写真は、183系電車による特急「白根」。上野から吾妻線万座・鹿沢口まで結んでいた典型的な観光特急だった。今でも、「草津」と名称を変えて運転されているが、その存在は忘れられているほど地味な列車に成り下がってしまった。アントンKは、この前身だった157系電車が好きだったことから、特急「白根」には、比較的昔から馴染みがあり、沿線のEF12などを絡めながら...週末中心に運転された「白根」~183系

  • ローカル特急再認識~キハ181系

    長年鉄道撮影を続けてきて思うことは、もう少し視野を広げてカメラを向けていれば良かったということ。時間が経てば経つほどその想いは深くなった気がしている。目的の被写体一つでも、その場面で撮り方をアレンジする考察が足りていなかったことに反省するのだ。「どう撮ろう?」という場面に考えが浅いのだ。ある程度は想定していた場面でも、実際現場に立ってみないと判らないことも多いから、そんな想像を越えてきた時の対処が甘かったのだ。写真を記録として割り切ればそれまでだが、情感まで感じさせたいのなら、表現の仕方、カメラアイはアレンジが利いたはず。最近は構える前にいつもそのことを考慮している。昔は目の敵にしていた、人間、車、電柱、柵、鉄道施設等も、場合によってはグッと心を引き付ける画像に成り得るということだ。掲載画像は、山口線を走...ローカル特急再認識~キハ181系

  • 定期運用を終えた117系電車

    やはり国鉄時代に関西で生まれた117系電車。この形式も最近になって定期運用を終えたとファンの間で情報が飛び交っている。関東で生まれ育ったアントンKには、なかなかご縁のなかった電車であり、思い入れもない車両だが、好きだった157系電車の面影を感じ、今まで頭のどこかに置いていた形式だった。後継の185系電車にも雰囲気が似ているが、元来関西の新快速用としての誕生していることから、車内に目を移せば近鉄、阪急といった私鉄電車への対抗意識が感じられ、それまでの153系新快速からは随分改善されたと思えた。中京地区へも活躍に場が広がったが、残念ながらあまり印象に残ってはいない。近年、大幅改造で生まれた特急「ウエストEXP銀河」用の117系を拝みに行ってきたが、四季島、瑞風等の高級路線の電車を狙っているのか、外観からはいさ...定期運用を終えた117系電車

  • いよいよ引退?!キハ183系特急気動車

    目まぐるしく情報が更新され、いくら趣味の世界でも自分の意識が追いついていないことに気づかされている。国鉄時代の晩年に生まれた北海道のキハ183系特急型。そう考えると30年以上の年月が経っていて、引退の文字を見ても不思議ではないが、民営化されてから登場した500番台すら今回世代交代してしまうらしい。500番台車は、掲載写真のような前面に貫通扉があり、一世代前のキハ82系を彷彿とさせていて好ましく思えていた。ただ、登場時からの外観塗色がどうも好きになれず、写欲が湧かなかったのだ。かえって最近まで見られたJR色の方が、広大な大地に映えて好きだった。敢えてキハを狙いに北海道へと渡ることはなかったが、過去の色々な場面で見に止まっていたのが、このキハ183系だったと振り返っている。函館本線の駒ヶ岳山麓を往くキハ183...いよいよ引退?!キハ183系特急気動車

  • 更新機に落胆!ED75の思い出

    車体更新と言えば、アントンKが今まで最も落胆した車両を思い出す。交流機ED75だ。真っ赤な車体が日本の風土に溶け込み、全国的に活躍を見せていた国鉄時代のED75だったが、民営化され試験塗装とやらが登場した時くらいから、雲行きが怪しくなってきた。1990年初頭からの電機機器更新の際、車体の下半分を真っ白にしたナナゴーが現れたのだった。それまでのイメージは根底から覆され、最初はちょっとカメラを向けるのも戸惑ってしまったことを思い出している。当時から、ブルトレとともに好きな機関車の撮影を楽しんでいたアントンKだが、この塗色変更には大いに抵抗があった。その後、二次更新車と呼ばれる腰回りに白線を巻いただけの塗色が登場し、薄眼でみれば原色風には見えたものの、やはり赤色そのものの色つやが異なって見え、想いだけが先走りし...更新機に落胆!ED75の思い出

  • 変顔に改造された国鉄型~167系

    113系115系や、165系455系などの代表される、国鉄の貫通扉付きの前面顔が昔から好みで、機会のあるごとに撮影を続けてきたが、時代とともに原型から、マイナーチャンジを受け変化した車両や、数々改造を受けて印象が変わってしまったものなど、バラエティに富んだものとなった。この顔のデザインは、未だに素晴らしいと思え、アントンKにとってはザ・国鉄顔と呼びたいお顔だ。昔を思い起こせば、115系300番台が三鷹に新製され回着した頃(S48?)に、初めてこの顔のシールドビーム車、つまり前照灯が小径になった車両を間近で確認して度肝を抜かれた記憶だが、それ以来、同じデザインの顔でも細かな改造を受けた車両たちに出会う機会をもった。掲載写真は、シールドビーム化され、かつまぶたを付けてような、原型寸法を残すような改造を受けた1...変顔に改造された国鉄型~167系

  • 記録の変遷を書き留める・・

    この拙いブログも気が付けば細々と12年も続いていた。今さらながら驚嘆しているところだが、もともとは自分自身の趣味の記録、整理、履歴のつもりで始め、それと同時に写真に関してはフィルムのデータ化の推進を目的としていた。あくまでも自分のためであり、忘れ去られた画像をデータ化することで蘇り息を吹き返すことが楽しくなったのだった。きっかけは、あの震災だったのだが、同時にSNSの発達で、見知らぬ人、憧れの人との繋がりも思った以上に増えて、非日常が現実に変わるような衝撃も多々経験できた。もちろん、こうやって毎日拙ブログを覗いて下さる方々の存在があればこそであり、いつも心から感謝している。さて、アントンKの鉄道写真は、今年で半世紀、クラシック音楽鑑賞に至ってもほぼ同時期の49年を経過してしまった。今改めて思うのは、その間...記録の変遷を書き留める・・

  • レコード芸術

    長年愛読してきた月刊誌がまた一つ消えてしまった。いつの間にか町の書店が消えてしまったように、昔から毎月のように読んでいた雑誌の類は、ここにきて随分減ってしまったことに気が付く。今回取り上げる音楽之友社の月刊誌「レコード芸術」にも、数々の思い出がありとても寂しく感じている。クラシック音楽専門誌で、もともと親父が愛読していた雑誌だった。物心つく時代になったアントンKも、合間に雑誌を目を通していたのだ。当時、いの一番にページをめくったのは、各レコード会社の発売広告だったと思うが、今後新発売されるレコードの情報が得られる唯一の手段だったのだ。まだ、カラヤンやベーム、バーンスタインといった有名指揮者が最後の活躍をしていた時代だったから、新譜は必ずチェックしていたことも懐かしい。時代が進み、ネット時代が訪れると、これ...レコード芸術

  • 結局は・・オリジナル!

    写真の整理を進めていく途中、国鉄電機の更新塗装に目が留まったので、その画像を掲載してみる。どこか印象が違うとよくよく見ると、車体上部が明るいブルーを纏った三色更新機だった。そういえば、この機関車更新塗装が始まった当初、この三色塗られて出場されてきたことを思い出した。EF65PFに限らず、0番台車やEF64なども共通にこの塗装だったはずだ。しかしいつの間にか、現在のような簡略形の二色に変わっていた。この辺の経緯は全く分からないが、鼻から更新色は度外視していたアントンKだから、未だに興味が湧かないでいる。機関車は好きだが、なかなか掘り下げて知ろうとはしないのは相変わらずなのだ。それよりも、こんな画像を見返して思い出すのは、この時の撮影は、一眼レフのデジカメを初めて導入し、早速張り切って線路端に出たことだ。20...結局は・・オリジナル!

  • 紫陽花の咲く沿線より~東急7900系

    ようやく関東地方も梅雨に入った。しばらくは鬱陶しい天気が続いてしまうが、合間に一息つける晴れ間を待ちながら日々を送ることも、この季節特有のものと言える。そんな日を待つ心の余裕を持ちたいものだ。梅雨=紫陽花と短絡的な発想のアントンK。いい歳なんだから、もう少し考えを深めなきゃ・・・かつて事務所近くの道端に、綺麗に手入れのされた紫陽花が咲き、毎年目を潤してくれていた。何度となく沿線の東急電車と撮影させて頂いたが、この花だけは当時から梅雨空が似合う不思議な花に思えてならなかった。もうこの時から10年、また同じ季節を迎えられた。ありがとう。2013-06東急多摩川線7900系紫陽花の咲く沿線より~東急7900系

  • 蒸機撮影の難しさ~釜石線 D51 498

    蒸気機関車の撮影をする場合、まず欠かせないのが煙の存在だ。架線の下を走る車両とは違って、被写体の一部として煙もカメラを構える構図に大きく影響する。撮影の基本、何をどう撮るか?から考えても、アントンKの場合、蒸機撮影に煙は必須となる。臨場感や迫力は、その画像から一気に伝わるし、時に心を熱くするほどの力を持つだろう。昔友人が、迫りくる蒸機を撮影しながら、「五感がしびれる~っ!」と叫んだことがあったが、まさに現場はそのような状況に置かれる訳だ。撮影ポイントも蒸機が被写体の時には、あらかじめ煙の上がりそうなポイント、発車シーンや上り坂などを下調べしてから現地へ臨むことが多い。このあたりは、国鉄時代の蒸機を知らないアントンKからすると、なかなかハードルの高い撮影に感じてしまうのだ。そして、蒸機撮影を目指すようになっ...蒸機撮影の難しさ~釜石線D51498

  • 北のゴハチの美しさ~EF58

    最近では、徐々に数を減らすEF65PFへの注目度がさらに上がっているらしい。それも更新色という今までは相手にされなかった機体に集中しているという。どの時代も希少性やら限定品に人の心はくすぐられるように、今や国鉄色と更新色との比率が逆転すると、希少性のある更新色の機体にファンは群がっているようだ。こんな現象はよく聞く話で、最近では特急「踊り子」から引退した時の185系電車を思い出す。あの時も、いつでも見られた電車が消えてしまうという暗示にかかり、ファンの間ではカウントダウンが始まったのだ。これは、ありとあらゆる情報が先走った結果だろうか。殺気まで感じてしまう現場には白けてしまうし、趣味の世界、もう少し心の余裕をもって行動したいものである。国鉄時代に撮影した、東北線を往く荷物列車の画像を掲載しておく。この当時...北のゴハチの美しさ~EF58

  • 異彩を放った国鉄電機~EF55

    久しぶりに泊りがけで鉄道撮影に出向いてきた。近年では、ほとんど単独で出かけることが多くなっていたが、今回は4人で動くという、まるで昔よく味わった異空間体験を写真撮影を通じて感じてきたのだ。主たる目的は、運転終了が迫った釜石線の蒸機だったが、僕らはそれだけでは済まされない。東北線を走るEH500のパワーも感じてきたし、風光明媚な岩手開発鉄道の専用列車にも展開できた。そして思いがけず、中山峠のけんちんうどんにもあり付けるというボーナスまで頂き、満足のいく旅だったと振り返っている。メインの釜石線撮影は、撮影者が多いことは初めから承知していたから、今回初めて撮影する同行者の希望に沿って廻るつもりだったのだが、結局線路端に出ると、スイッチが入ってしまったアントンK、自分本位になってしまったことを少し反省している。ま...異彩を放った国鉄電機~EF55

  • ありふれた日常こそ心の糧

    川崎界隈でクリーンライナーを仕留めた後、信号所まで急いで向かう。この列車、十数分の停車があり、アントンKは再び見送りたいためだ。この日は、11番線に臨貨が停車中、その脇を静々と入線してきたEF65PF型。ほどなくして本線から特急「湘南」のE257系が近づいてくる。それとほぼ同じく機関区の裏手側から金太郎(EH500)の単機がこちらへと向かってくるのだ。東海道線の貨物列車をここから継承する機関車で、しばらく単機で待機する。それとほぼ同時に逆側から海コンを引き連れ4072ㇾが入線してくる。これもEF65PF型。そしてクリーンライナーの発車時刻が近づくと、3086ㇾ(EF66)の登場となる。こんな一度に機関車を見られるポイントなんて今ほかにあるのかな?などと考えながら、この日のラストショットを狙うのだった。こん...ありふれた日常こそ心の糧

  • 早朝の更科を往くED77

    磐越西線を走るED77の撮影には、外すことが出来なかった朝夕設定の普通客車列車。80年代からこの線区の魅力に取付かれたアントンKだったが、再三出向いたのは、非電化区間よりもむしろ喜多方までの電化区間の方。行程として、東北線や磐越東線も絡めて撮影することが多かった。もちろんメインターゲットは、この線区のために開発配置されていたED77で、客レや貨物、そして団体列車の雄姿をおさめたくて何度となく出向いたものだった。民営化を前にして、専用機ED77は引退していったが、朝夕の客レはかろうじて残存してED75へと引き継がれたのである。それまでに線路規格が強化されたのだろうが、やはりアントンKにとって磐西でナナゴーを見る違和感は、ここをD51が走ってくる以上に衝撃的だったのである。掲載写真は、朝もやの中更科へと下り込...早朝の更科を往くED77

  • 遠くに霞むゼロロクの記憶~EF66 0番代

    お若い鉄道ファンに、絶大な人気を誇っていたEF6627も運用を離脱してからずいぶん時間が経った。今の時代、SNSで吹田の片隅でひっそりと佇んでる、その姿をも簡単に見ることができるのだから、便利になったものだ。EF66でも後継の100番代と比較したら、スタイルは似て非なるもの。サメと呼ばれている100番代はシャープな井手達が無くなり、少し太らせたような温和なスタイルに変った。それに登場来貫いている明るい白っちゃけた塗色は、貨物機特有の汚れが目立ち、撮影するファンにとっては、やはりマイナス要因となる。だからなのか分らないが、ロクロクでも100番代は未だに人気がないようで、現状数を減らしつつある中でも、さほど話題にならない電気機関車と言えるだろうか。アントンKがゼロロクを語る上で外せないのは、1985年から始ま...遠くに霞むゼロロクの記憶~EF660番代

  • 写真で振り返る「竹倉」の変遷~EF65

    画像整理を進めていく中で思いついたものを掲載。かつて、富士山バックに東海道ブルトレを撮影する場合、真っ先に思いつくポイントは、三島-函南にある「竹倉」付近だった。諸先輩方がこの地の写真を雑誌に掲載し、当時はアントンKにとっても憧れの地となっていたことを再認識している。行こうと思い初電で向かっても、上ってくるブルトレには時間的に間に合わず難易度の高い撮影地だった。結局、友人の車で初めて出向いたのは、1979年の冬で、ブルトレ牽引機のEF65PFが定着してきた頃だったが、当時はゴハチ主体で行動を共にしていたため、上京してくるブルトレ全ては撮影出来なかったことが苦い思い出として蘇ってくるのだ。何しろ、ゴハチの急行「銀河」の続行で、荷32ー「あさかぜ」ー「富士」ー「はやぶさ」ー「みずほ」ー「さくら」と続き、その間...写真で振り返る「竹倉」の変遷~EF65

  • 京王のグリーン車を懐かしむ~京王帝都デハ1900形

    いつの間にかGWも後半に入り、鉄道や道路の混雑が目立ってきた。アントンKは、この連休どこへ行く予定もなかったが、こういった好天が続くと、出掛けたくなる衝動に駆られることが何度となく襲ってきた。何も混雑目掛けて出歩くこともあるまいと自分に言い聞かせてきたが、世の中コロナの暗雲から抜け出したかのような雰囲気が、さらに気持ちの上で刺激されたのだろう。今年は今までとは違う人の流れのようだ。毎年、桜の開花時期が早まり、それを覚悟して今年も意識していたつもりだったが、結果思うように写真には残せず、来年以降に持ち越しとなってしまった。桜に限らず、梅も桃も早かった。どちらにもチャレンジして足を運んだが、読みが甘く、ピーク時から外れてしまった。井の頭公園を往く井の頭線のグリーン車デハ1900形。生まれ育った沿線の京王帝都(...京王のグリーン車を懐かしむ~京王帝都デハ1900形

  • 臨時列車 華やかりし頃を懐かしむ~EF58

    世間は大型連休に突入した。今年は最大9連休とも言われ、海外へと繰り出す家族づれも多いとか。3年続いたコロナ感染症が落ち着きを見せ、その対応も緩和されることになったからだろう。夜の街も以前のような人の賑わいを感じている。かつて鉄道輸送も、多客時には多岐に渡る臨時列車たちが運転され、目を楽しませてくれたものだった。年末年始や夏の盆シーズンの列車たちは未だに語り継がれているが、5月のGWなどにも長距離列車のみならず、いわゆる行楽列車中心に増発されていたことが思い出される。掲載写真は、お盆の時期大増発されていた東北線の臨時列車を狙いに出かけた時の画像。むろん撮影データから見てEF57狙いだったはず。日の出から撮影現場に立つことは出来ず、初電で一目散に目的地を目指す訳だから、撮影対象は何本かに限られてしまうが、それ...臨時列車華やかりし頃を懐かしむ~EF58

  • 荷物列車は忘却の彼方へ~EF58

    まさか旅客会社から機関車が消えてしまう時代が来るなんて思いもしなかった。今でも発行されているかもしれないが、昔は国鉄車輛配置表というハンドブックが毎年発売されていて、よく購入しては全国の車両番号とにらめっこしたものだった。鉄道模型が主体だった時代は特にそうで、列車の編成と車番を確認しながら、自分の愛車を決めたもの。稀に実車に巡り合うと妙に嬉しかったものだった。鉄道趣味の主体が写真に移行してからも、機番の確認や撮影管理上、配置表は重宝した。あの時代を思うと、何という機関車の衰退だろうか。全国に配置されていた機関車たちも、機関区そのものが消滅してしまい、電車区(現代では車両センターというのか?)の片隅にひっそりと佇んでいる印象をもってしまう。そもそも客車がほとんど消滅してしまった現在、残存させる理由は見つから...荷物列車は忘却の彼方へ~EF58

  • 客車列車の誘惑~EF58

    休日の朝、自室では何かしらの音楽を聴く。今では鑑賞に耐えられる様なシステムはなく、何かをしながらの「ながら聴き」に終始してしまうが、ひと時のこの時間が好きで、もう何年続いていることか・・・ブルックナーのモテットのCDは聴き過ぎて、気が付けばジャケットが擦り切れてしまった。シューマン、バッハ、モーツァルト、ショパン、ワーグナー、・・・朝だからという事はないが、小品を次々と聴くのが好みだ。今もシューマンの子供の情景を聴きながら、PCに向かっている。どこか落ち着く一時なのだ。前記事でEF60の画像を出し、当時に想いを馳せていたら、さらに若き時代の想いが蘇ってしまった。そんな中から1枚掲載しておく。アントンKが鉄道にカメラを向けて間もない時代の駄作、EF58の普通列車。お昼間の高崎線を上野まで走っていた、遠い昔の...客車列車の誘惑~EF58

  • 地味な存在だったEF60の思い出

    ロクマル晩年の19号機は特例として、アントンKにとっては、あまり話題の中心に置くことが無かったEF60という新性能電気機関車。ED60型が新性能のパイオニアだとしたら、F型のロクマルはさらに高性能な電機だったに違いない。残念ながらリアルタイムでは見ることも出来なかったが、ロクマル500番台が東海道線でブルートレインをけん引していたという実績からも明らかだろう。今から思えば、東海道でゴハチ撮影の合間にやってきたのがEF60の貨物列車で、よほどのことがなければカラーフィルムでシャッターは切らなかった。その後、八王子機関区をはじめ、首都圏のEF15を淘汰するため大量に転配されると、それまで当たり前に見られた茶色のデッキ付き機関車が一気に消えていったことの衝撃が蘇る。そしてロクマルからロクゴへ切り替えとさらに時代...地味な存在だったEF60の思い出

  • 薄味に終わった大野和士のマーラー演奏

    今回は、40年来の親友のお誘いを受け都響の定演を聴いてきた。楽曲はマーラー一曲というアントンK好みのプログラムだったが、音楽監督の大野和士氏の作る音楽が過去の経験上あまり好きではなかったため、お誘いを受けなかったらスルーしていた演奏会だった。お互い年相応にか野暮用が増え、なかなか普段から会えなくなってしまったから、今回は再会が目的で鑑賞は二の次になっていたかも。少々不真面目な鑑賞となった。都響は相変わらず上手く、豪快でいて絢爛な音づくりだった。マーラーの第7と言えば、声楽こそないが舞台所狭しとなりフルオーケストラ音楽の中でも大掛かりな編成で、オケの醍醐味は存分に味わえる楽曲。冒頭から活躍するホルン群の雄弁さは、これぞマーラーと呼びたくなるくらいの迫力で我々を魅了していたように思う。その他の金管楽器群、木管...薄味に終わった大野和士のマーラー演奏

  • 東急線 新時代~相鉄電車乗り入れ

    今年、都内近郊の桜は思うように撮影出来なかった。開花そのものがさらに早まり、天候不順が続いてしまったからだ。長年季節ごとに撮影を楽しんでいると、悪天候の中カメラを持ち出して撮影することは減ってしまった。これ以前に観たシーン?と記憶がダブってしまい、新鮮味が感じられないのだ。とはいえ、これからの季節は、光も眩しくなり色が映えるので、新しい視点にチャレンジしながら撮影を楽しみたいと思っている。先月のダイヤ改正から早一か月近くが経過。最初は違和感のあった光景もあっという間に日常化している。アントンKにとって、その最たるシーンは、近所まで相鉄線の車両が乗り入れてくることだった。東急目黒線には、今までも東急車3形式、メトロ車1形式3仕様、埼玉高速鉄道車1形式と多様の車両達が巡っていたが、この度相鉄車が加わりさらにバ...東急線新時代~相鉄電車乗り入れ

  • 昨日見たおぼろげな夢

    鉄道模型を手にする機会があり、久しぶりにブルートレインである14系寝台客車をじっくりと味わった。その当時、14系寝台には、カルテットという名のB寝台個室があり、帰省で長崎へ向かう時や、鉄道撮影で遠征の際によく乗車した。今から思えば、個室といっても後年のトワイライトEXPやカシオペアに比較したら簡素なものだったが、列車独特のプライベート空間に酔いしれ移動を楽しんだものだった。アントンKがお世話になった時期は、まだまだ夜行列車は全盛期にあたり、客車そのものも小奇麗だったから、王者ブルトレの風格が至る所から感じ取れたもの。揺られながら食堂車で食べたハンバーグも、席に帰って車窓の流れゆく街の灯に、柄にもなくセンチなったり、一つ一つに想いや情景が重なる。その時感じた音楽まで頭を過るのだから、不思議な感覚になる。ブル...昨日見たおぼろげな夢

  • 次々姿を消す国鉄型車両たち~キハ183系

    早いもので3月も残すところ数日となり、桜満開の便りが相次ぐ季節となった。毎年行ってきた桜絡みの撮影紀行は、今年に限っては中々大掛かりには出られず、ちょこまかとスポット的撮影に終始している現状だ。今年も今の時期安定した天気に恵まれず、晴天至上主義のアントンKには辛い日々なのだが、予報と自分のスケジュールをにらめっこして、無理して作った合間にカメラを構える際どさも快感に変わりつつある。全国的なダイヤ改正を迎え、旧い車両たちの引退や廃止が止まらない。北海道では、ついにキハ183系特急気動車が引退すると聞く。国鉄末期に登場して以来30年以上、厳しい環境の中走り続けた訳だから、後継に譲ることも当然だろうが、道内の路線そのものの存続をも含めて危惧しているファンは、アントンKのみならず数多く存在しているはずだ。東日本で...次々姿を消す国鉄型車両たち~キハ183系

  • 上岡敏之 入魂のブルックナー演奏!

    ついにこの日がやってきた。コロナ感染症により延期を止む無くされていた新日本フィル創立50周年記念演奏会の当日を迎えることができたのだ。楽曲はブルックナーの交響曲第8番という、記念演奏会にはとても相応しい大曲で、何と聴衆からのリクエスト第一位の楽曲だとか・・・これにはアントンKも驚きを隠せなかった。もちろんブル8については、大好きな楽曲であることには間違いないが、朝比奈時代からこの大曲に可能な限り触れ、その壮大な世界感に憧れ、それこそ演奏会の前日には楽しみで夜も眠れないこともあったくらい。あの当時からすれば、世の中も様変わりして、クラシックファンにとってもかなりメジャーな楽曲に成長したという事かもしれない。大変喜ばしく思えるのである。さて、この特別な演奏会は、アントンKにとってやはり近年稀に見ると言えるくら...上岡敏之入魂のブルックナー演奏!

  • ダイヤ改正日を迎えて・・

    今年は雨降りの改正日となってしまった。JR私鉄を問わず、今日から新たな時刻表によって動き出している鉄道各線。去りゆく車両たち、はたまた待ちに待ったニューフェイス車両、路線など1年で最も変化のある季節だろうか。鉄道に限らず、この時期は人間模様にも大きな動きのある時期だろう。幼少の頃から、近所で機関車や電車に夢中になっていた愛孫も、この春からランドセルを背負う歳になり、いつもの事ながら月日の非情な速度に呆れかえっている。さて当のアントンKはというと、新年度を前に今後の身の振り方を考察している毎日だ。こうして文字にすると大袈裟に聞こえてしまうが、実際には現状の生活パターンは変わらないことだろう。鉄道撮影にも、いつも気を配っているし、演奏会スケジュールをにらめっこしながら日程調整、ネットで新譜のチェックは欠かして...ダイヤ改正日を迎えて・・

  • 国鉄型電機の象徴EF65の落日

    いつもこの時期、ダイヤ改正を前にどこか落ち着かなかった日々も、今では関心が薄れてしまったのか、あまりそんなソワソワ感は感じなくなってしまった。JR化されて旅客、貨物と分離され、それぞれの道を進んできた国鉄型電機は、いよいよ刻一刻とパンタを下ろす時が迫っているように感じている。現存機は優に車齢40年を越え、一世代前の旧型電機では考えられなかったからだ。同じ時間をともに過ごし、そのあまりにも早く過ぎていく時の流れの切なさを感じながら、これからフィールドに立つという情熱が、少しずつ冷めてしまったこともあるかもしれない。昨今の人気電機に群がる若者たちのフィーバーぶりに辟易してしまっていることもある。それほど魅力的に思える車両が枯渇してしまい、ファンが集中するとも言えるが、SNSやTV報道に煽られ、誰もが同じ被写体...国鉄型電機の象徴EF65の落日

  • 越後中里を後にする急行「よねやま」~165系

    花粉が本格的に飛散し始めた関東地方。この時期、アントンKもいつもの事とは言いながら、今一つ体調がすぐれないでいるのは毎度のことだ。今年は3月に入ると、一気に春めくらしいから嬉しさの反面、さらに体調管理には留意したいと気を引き締めている。今年も雪中撮影は叶わないで終わりそうだ。今年こそは、と毎年思いながらも実現できず、いつも歯痒さを残しつつ季節が移りゆく。こういった悪循環は打破したいところ。いつも先を見て歩くのは、少し疲れてきたかな・・・先日娘家族が、苗場へスキーに行った時の動画を見たが、連休にもかかわらずゲレンデが随分と空いていたことに驚いた。ニュースでは聞いていたが、スキー人口も昔に比べたら激減していて、列車の混雑や道路の渋滞も少なくなったのか。世の中の変化に取り残されていることをここでも思い知らされた...越後中里を後にする急行「よねやま」~165系

  • 最期の国鉄型車両の聖地?~伯備線の381系

    ついこの間、JR西日本の381系電車に国鉄特急色が返り咲いた話を聞いたと思ったら、今度は奇抜なスーパーやくも色が現れて地元ファンが盛り上がっていると聞こえてきた。この手のすでに古くなった国鉄型車両を利用した一連の動きは、やはり車両そのものの先行きが見えてきた証で、日本人が大好きな期間限定的な趣が漂っている。かくいうアントンKも、機会を見つけて出向きたいとは思いながらも、なかなかチャンス到来とはいかないようだ。伯備線は昔から魅力的に思える路線で、電化前のキハ181形「やくも」に始まり、電化後のEF64の貨物列車や団臨入線など、思い出多き路線に感じている。古き良き時代の国鉄型車両の最期?の雄姿をこの目で再び見てみたいと想いを巡らしている昨今なのだ。掲載写真は、当時ファンの間では話題となったスーパーやくも色の3...最期の国鉄型車両の聖地?~伯備線の381系

  • 越後の国から川崎界隈へ~E127系の投入

    以前から噂が絶えなかった、南武支線の電車置き換えの話。正式な形で発表されたようなので書き留めておきたい。最近こそご無沙汰しているが、ここ10年くらい新鶴見~川崎地区へと鉄道撮影にお邪魔させて頂き、ターゲットの電気機関車けん引の貨物列車以外に必ずといっていいほど目にする電車があった。それが今回話題にする南武支線を走る205系1000番台だ。南武線でも支線扱いだから、本線を走るE233系電車に比べて近代化が遅れていた様子で、新潟地区に入った新車(E129系)からの玉突きで遥々越後の国からやってくるということらしい。アントンKにとって、この地区ではクモハ11+クハ16や、大川支線のクモハ12のいわゆる茶色の17m電車を懐かしむことができ、その後のクリーム色の101系も印象的だった。現在活躍中の205系になってど...越後の国から川崎界隈へ~E127系の投入

  • いにしえの貨物線~EF12

    冬晴れの日、久しぶりに多摩川の土手を散歩してみた。ウォーキングやサイクリングに勤しむ多くの方々とすれ違いながらの散歩。風はまだ肌寒いが、やはり日差しは心地よく確実に春に向かっていると実感できる。対岸を見渡すと、言わずと知れた武蔵小杉の高層ビル群。そしてもう少し南に目を向ければ、これまた見慣れた新川崎のツインタワービルが一望だ。河原でサッカーに夢中の子供たちの歓声を背に、自分の過ごした遠い日々を重ねてしまった。40年以上も前の大昔、アントンKが鉄道写真に目覚めた時代にも、この付近にカメラハイクに来ていた。今回はその時の画像を掲載してみる。新幹線と並んで多摩川を渡るこの鉄橋は今でも存在しているが、当時の貨物線はそのお役目を終え、旅客線へと様変わり。実際に貨物列車も一部見られるが、遭遇するには運試しに近いものが...いにしえの貨物線~EF12

  • 心に突き刺さる弦楽の響き!~崔 文洙氏の真実

    関西4大オケスペシャルコンサートを聴いてきた。これは、大阪駅にほど近いところにあるザ・シンフォニーホールが開館40周年にあたるということで企画開催された演奏会だった。アントンKにとって思い入れの深いホールは、やはり上野の文化会館だが、その後あちこちに素晴らしいホールが出来て影が薄くなってしまったことが少し寂しい。その素晴らしいホールの一つが、今回行った大阪のザ・シンフォニーホールだろうか。もちろん、都内在住だから、出向く回数は限られてしまうが、初めて聴いた時の響きの美しさ、残響の心地良さは未だに残っている。朝比奈隆晩年のブルックナーチクルスでの興奮は、このホールに足を踏み入れる度に蘇ってしまう。そして後のお別れ会での残像が目に焼き付いてしまっている。アントンKにとっては、ちょっと特別なホールに感じてしまう...心に突き刺さる弦楽の響き!~崔文洙氏の真実

  • 首都圏雪模様、果たして今年は?

    今週は、10年来の最強寒波が列島を襲うと絶えずニュースが流れている。確かに今日は何時になく底冷えのする日和になった。よくよく考えれば、1年で最も寒い時期がちょうど今頃で、近年の暖冬化傾向に自然と身体が慣らされてしまったことが身をもって理解できるが、これから立春を迎え確実に日が延びていることも感じられる。またアッという間の新年度なのかもしれない。都内でも初雪が散らついたとか、つかないとか。今年は大都内東京の雪景色が見られるだろうか。日常が閉ざされるほど極端は望むべくもないが、この季節にしか出会えない情景もまた見てみたいと思うのは少々贅沢かな・・・掲載写真は、未明からの大雪で首都圏が白く染まり、翌朝全ての予定をキャンセルして線路端へ出向き、いつもと同じ場所でいつもとは違う情景を堪能した時の画像。見飽きた景色、...首都圏雪模様、果たして今年は?

  • 淘汰が進む国鉄型車両~113系東海道線

    どこか世話しない年明けを迎え、1月も早中盤に差し掛かる。いつもこの時期になると、アントンKの場合は、今年の来日演奏家やオケ、その演奏楽曲の下調べ、または国内オケの定期公演での指揮者や日程など把握して、自分の中で取捨選択を行い、今年一年のスケジュールをイメージしたものだった。それに加えて、鉄道撮影の時期とポイントを組合せ、出来る限り効率よく趣味を楽しみたいと考えたもの。大方今でもそんな想いは変わりないが、いまだ混沌とした世の中だからか、自分の身の置き方のせいなのか、昔に比較したら、随分そんな計画もおぼろげになってしまった感があり情けなく感じている。これも一時期の通過点と考えながら生きているが、一日一生、今は何事も気の済むまま進むしかないか・・国鉄時代を生きた車両たちが次々引退してゆき、元気な姿が見られなくな...淘汰が進む国鉄型車両~113系東海道線

  • 新春に聴くショスタコの豪演!~DSCH弦楽四重奏団

    久々に出向く錦糸町は、日の温もりを感じることのできる比較的穏やかな日和だった。仕事でこの年末年始、時間が無くなり、思い通りに動けなかったのは初めての経験だった。それはそれで新たな発見が多々あり充実感はあったものの、自分の時間が圧迫されることは今後の士気に関わること。何とかしたいところだが、おそらく時間が解決してくれると楽観している。さて新年早々に鑑賞する演奏会は、ショスタコーヴィチの室内楽曲となった。崔文洙氏が企画構成して生まれた、DSCH弦楽四重奏団によるショスタコ四重奏全曲チクルスの第一回目にあたり、今後5年かけて全15曲の弦楽四重奏曲を演奏するという壮大な構想なのだそうだ。長年その魅力的な音色を奏でて、オケのコンマスとして、またソリストとして大活躍されている崔氏であるが、今回の演奏会を鑑賞して、アン...新春に聴くショスタコの豪演!~DSCH弦楽四重奏団

  • 新たな門出を感じて・・

    2022年もカウントダウンに入った。いつもながら月日の経つのは早いものだが、アントンKにとって特に今年はあっという間に過ぎてしまった感覚になっている。公私共に多忙だったこともあるが、今までの事、そしてこれからのことを見つめ直す良い機会になったと今では思える。人生一度切り。脇道に逸れている時間など無いのかもしれない。今の自分にとって何が一番大切なのか考えさせられている日々を送っている。趣味の世界。これはアントンKにとっては生きている証のようなもの。これからも可能な限り、そんな充実した時間を固持していきたいものだ。さてこれから身の周りを整え、久しぶりに総譜を持って第九を鑑賞しよう。誰の演奏を選ぶか?これも楽しみの一つなのだ。掲載写真は、今年とうとう博物館に入ってしまったEF5861号機の急行をけん引している日...新たな門出を感じて・・

  • 究極の離合!?最果ての地で悪夢を見た~DD51

    最後に掲載するのは、離合写真の中でも忘れることの出来ない1枚を出してしまおう。寝台列車の撮影を中心に据えていた時代、東海道線から九州ブルトレが撤退してしまうと、自然と北側へと足が向いてしまうのは自然な成り行きだった。それまでのけん引機関車が、EF81から新鋭のEF510500番台へとスイッチしたり、海峡線でのED79や、道内のDD51重連けん引は、アントンKにとっては被写体として申し分ないものに感じていたからだ。本州内は青森を、道内は函館を起点に据えて、何度となく通った時代がとても懐かしく感じてしまうが、有名撮影地と言われるポイントだけでは物足りず、回を重ねるうちにロケハンも進み、好みのポイントの発見にも心躍った物だった。ここはそんな無名なポイントでの出来事だった。付近には人工物が見当たらず、ただ真っすぐ...究極の離合!?最果ての地で悪夢を見た~DD51

  • 東海道の離合を狙う②~251系 & E231系

    前出の画像より更に10年くらい経った2009年春の画像を続けてみたい。この時代、すでに東海道線には113系電車はなく、現代に繋がるE231電車が一大勢力を振るっていた。この日は、離合を狙うには格好の撮影ポイント戸塚に出向き、撮影を楽しんでいたようである。現代のお若い鉄チャンには、目的の被写体以外の車両がファインダーの中に入ることを拒む傾向にあるようだが、アントンKは全く正反対。いつも何か別の第二の獲物を期待してしまうのだ。もちろん別物に目的列車を邪魔され、撮影出来ずで涙を何度も飲んできた経験も人一倍多い訳だが、だからこそ、偶然に綺麗に収まった時の感動も一入だと言える。今回は、引退して久しい251系による「スーパービュー踊り子」と現代のJR東日本ネットワークの象徴列車とでも言うべき「湘南新宿ライン」との離合...東海道の離合を狙う②~251系&E231系

  • 東海道の離合を狙う~113系&373系

    最近気づいたことだが、長年撮り溜めてきたカラーポジフィルムの劣化が進行している。デジタル完全移行から16年が経ち、それ以前の約30年間のフィルムは、今後ますます劣化が進んでしまうのだろう。この拙ブログを始めた2011年頃から、徐々にデータ化を進めて、ようやく一巡したところだが、実は別の手段でさらにデータ化を開始しようと画策している。何しろ、今までのものは見様見真似の未熟な作業の末のデータで、最近のPCで見返すと不満な画像が多々見受けられるのだ。これからは、フィルムの褪色進行とデータ化との戦いになりそうだが、思い入れの深い画像だけでも急いで実行したいと決心しているところだ。掲載画像は、東海道線で数々の離合を狙った時の1コマ。当時東海道線といったら、湘南電車の代名詞113系を思い浮かべ、セミクロスシートに身を...東海道の離合を狙う~113系&373系

  • 「第九」の季節に・・

    今年も残すところ10日あまりとなり、いつもながら時の流れの無情さを感じてしまう今日この頃である。この年末は、いつもの第九演奏会には行かなかった。いつもとは違う年末を迎え、今までとは少し異なった時間を過ごしている状況で、もう少し自分の立ち位置を確固たるものにしたく日々を送っている感覚だからだ。鉄道撮影にも今年は、数えるほどしか出ていないで、このまま暮れていきそうで何だか情けない思いがする。演奏会もしかりであり、アントンKにとって今年2022年は、やはり節目の年、特別な年になりそうだ。来る年、2023年は、年明け早々から色々と予定が入りつつあるので、趣味活動にも新たな動きがとれそうだ。精進して日々送っていきたいものだ。暮に向けて、少しでも時間が取れれば朝比奈の音楽を聴いている。普段は中々勿体ない思いがして聴か...「第九」の季節に・・

  • 僕らの憧れ!東海道ブルトレ~第1列車乗車の思い出

    久々の更新は、10数年前に乗った「はやぶさ」のスナップから掲載しておく。廃止まで50日を切ったこの日、アントンKにとっては憧れの諸先輩方からのお誘いを受け、オハネ25の寝台に横たわった。スタートとなる東京駅での落ち着かない心の高揚感は、今思い出してもワクワクしてくる。定刻、滑るように列車が動くと、懐かしいオルゴールが鳴り、どこか心休まる車掌のアナウンスが始まった。流れる夜景を背後に、諸先輩方との思い出話に夢中になっていた。思えば、アントンKにとってここまで鉄道撮影を継続できたのは、東海道線を走るブルートレインの存在が大きいのである。ゴハチ・ゴーナナに始まり、「あけぼの」だ、「北斗星」だと飛び火していったものの、やはりその根底には、幼少期に見た東海道線を走るブルートレインが常にあったのだと思い返している。あ...僕らの憧れ!東海道ブルトレ~第1列車乗車の思い出

  • 帰ってきた鬼才マエストロ 上岡敏之!

    前音楽監督だった上岡敏之氏が新日本フィルに帰ってきた。コロナ禍で海外からの渡航に制限がかかってから数年が経つが、ようやく最近になって海外オーケストラの来日も相次いで行われる状況に変わった。上岡氏もそんな影響を諸に受けてしまったお一人なのだろう。スケジュールが白紙となり、ファンとしてもどこか尻切れトンボの感が拭えないでいた。でも、こうして今回新日本フィルの指揮台に立つマエストロが見られる幸せをアントンKもしみじみ感じたのであった。今回の演奏会は、モーツァルトとベートーヴェンのコンチェルトが並び、後半のメインがブラームスの第2交響曲というゴージャスな内容であり、現状のアントンKには少々刺激が強すぎるか、と感じながらの錦糸町訪問と相成った。さて、今回の演奏会の感想を書き残せば、一番の印象は指揮者とオーストラ、そ...帰ってきた鬼才マエストロ上岡敏之!

  • 秋空に輝く「英雄の生涯」

    約5か月間のお休みを頂いた。アントンKにとってはあっという間に感じてしまうが、やはり5か月という時間は長いもの。やっとPCの前に落ち着いて座る気持ちになった。春先から多々試練が重なり、趣味活動が疎かになってしまった。いつかはやってくるその時を迎え、思い描えていた以上に心の葛藤があり、今は前を向くことしかないと躍起になって今日まで進んできた感覚。季節はいつの間にか秋を迎え、一番好きな季節に代わっている。ぼちぼち趣味活動にもノッチを入れていこうと思えるようになったのである。この数か月間、アントンKのエネルギー源はやはり音楽の享受によるものが大きかった。時間的にも、気持ちの上でも撮影には出られず、同じく演奏会にも足を運べなかったから、どこかいつも上の空で心が曇っていたと思える。先日ネット配信で、新日本フィルの「...秋空に輝く「英雄の生涯」

  • 生誕200年を前に変化するブルックナー演奏~レミ・バロー

    長年、心の友として愛聴してきたブルックナー(1824-1896)ではあるが、ここにきて2年後に迫った生誕200年の記念すべき年を前に、演奏される内容に変化が見られるので記述しておきたい。アントンKが最近手に入れたCDの中に、レミ・バローの指揮するブルックナーの第4交響曲がある。数年前からブルックナーの交響曲を録音しており、3→8→9→6→5→7→2の順でCDを発売、今回はその最新盤の第4ということだ。日本では、あまりメジャーとは言えぬ指揮者バローではあるが、あのチェリビダッケの愛弟子ということで、アントンKも最初からその演奏に興味を持っているのだ。演奏内容の変化とは、使用楽譜の選択肢が広がってきているということだ。ブルックナーの交響曲には、いつも付きまとう使用楽譜の問題。没後120数年の歳月の間、研究家が次々と...生誕200年を前に変化するブルックナー演奏~レミ・バロー

  • 相次ぎ発表されるリバイバル特急~485系「はつかり」

    今年は鉄道開業150年という節目にあたり、この時点で全国的に数々の企画の発表がされている。かろうじて残存している185系電車を使った新幹線リレー号が計画されているようだし、特急「ひばり」、特急「はつかり」の特別運転もあるようで、何時になく活気づいてきた印象を持った。中でも、新幹線E2系電車の200系新幹線塗色化には、当時を彷彿とさせるイメージが湧いてきて、今から楽しみなのだ。方や、鉄道各社の決算発表が相次ぎ、コロナ不振からか存続の危機とされる多くの路線が明白になった。特に地方ローカル線の衰退は、さらに顕著となりとても不安に思う。今後、日本の鉄道における原風景は、ますます消滅してしまうことを思うと、どこかやり切れなく心がざわついてしまうのだ。掲載写真は、登場時これが485系?と思うほどショッキングな姿でデビューし...相次ぎ発表されるリバイバル特急~485系「はつかり」

  • 専用機関車不在の現実を見つめて・・・ED75 711

    かつてのJR各社には、専用機関車が存在していた。その象徴とも言うべき機関車は、EF5861号機という御召用電気機関車だろうが、国鉄時代とは違って、民営化されて以降は、全国各社それぞれに趣向を凝らした客車列車を持ち、合わせてその編成をけん引する機関車を持っていた。今にして思えば、何とも贅沢な華やかな時代だったのだ。その名残が、現在でも現役機を貫いているEF8195号機のレインボー機、そしてEF651124号機のトワイライトEXP機ということになるだろうか。しかし、ペアを組む客車そのものが引退してしまい、けん引機だけが残っている現実は、かつての栄光を今に引きずっているようでどこか物悲しい。実際には、専用機と言えども、常にペアを組んでいた訳ではなく、一般機が牽くことも多く、だからこそ機関車と客車がマッチしてやってきた...専用機関車不在の現実を見つめて・・・ED75711

  • 新北陸色?! 消滅でも無関心~413系・475系電車

    ”新北陸色”と言われて全くピンと来なかったアントンK。もちろんJR西日本、北陸線には関わりは今までも少なく、特に民営化後、そして北陸新幹線開通後になってからは、全く縁と遠くなってしまった。今回絵柄を見て、ようやくそんな塗色の電車が走っていたかも、と他人事のように思い出してきた。とにかく最近感じることは、現時点での鉄道趣味的見地から、自分自身が随分と現実離れしてきたという事だ。機関車でも最近現れた機関車など番号種別などは無知で解らず、電車に至っては一目で〇〇〇系何番台と判別出来なくなってきた。国鉄時代はこうではなかった!と言ったら、年寄りそのものだが、今ではとにかく車両一つとっても、多種多様に入り乱れ複雑化しているように感じるのだ。先般の189系の記事をとっても、数年の間に外観、用途が編成単位で変更され経過してい...新北陸色?!消滅でも無関心~413系・475系電車

  • 三つ目DD51晩年の日々~DD51 745

    鉄道趣味の世界で、アントンKを長年ご指導下さった先輩が他界して早1年の歳月が過ぎてしまった。国鉄蒸機時代の逸話は、今でも仲間内では鮮明で、おそらく生涯に渡り語り継がれていくのだろう。しばらく会えずにいた所に訃報が舞い込んだから、未だに心から信じられないでいるのが正直なところ。蒸機、ゴハチなど、当時の中心的被写体の渦中で、数えきれないほどの経験をご一緒させて頂いた。こうして彼を思い出すと、どこか身の引き締まる想いが湧いてくるのだ。今回はそんな想いから、その先輩と同行した時の画像を掲載してみる。まだ磐越物語号の運転前、不定期でSLの運転があった時代のものだ。この時は、秩父にいるC58363を借り入れて磐越西線を走り、列車後部には、これまた当時新潟にいたDD51745号機が援護していた。ボンネットの真ん中に3つ目のラ...三つ目DD51晩年の日々~DD51745

  • 東武線に乗り入れた189系電車

    趣味の世界も、長い月日を重ねるとアップデートが間に合わず混乱してしまうことが度々起きてしまう。先週家族で東武線に乗り、鬼怒川を往復してきたばかりだが、それで刺激を受けたのか、愛孫から東武線に関する数々の質問が絶えず嬉しい悲鳴の日々を送っている。しかしアントンK、鉄道は昔から好きでも近年までの電車たちの詳細まで把握が追いついておらず、「何でも来い!」とまで言えなくなりつつある現実に直面しているのだ。数日前にも連絡があり、「189系電車が東武線を走ったことがある」と言うのだ。これには、とっさにそれは誤りだと答えてしまったが、実際には臨時列車ではあるが日光や鬼怒川まで入線した実績があった。現在のE253系電車で新宿から直通運転している列車の前身に当たる列車らしい。これは、専用に改造された485系電車の予備車として存在...東武線に乗り入れた189系電車

  • 「カニ目」に興奮した愛孫を見つめる幸せ~C11 207 "SL大樹"

    愛孫との約束を果たすべく、東武鬼怒川線へと行ってきた。もちろん目的は、「SL大樹」への乗車であり転車台での見学だったのだが、道中の東武線特急「スペーシア」及び「リバティ」にもリクエストが出ていて、今回はなかなか嬉しい要求が重なったのである。当日は、不安定な寒いくらいの天候で、どうなることかと思いながら予定通りスペーシアへと乗り込んだが、何と先行列車が人身事故に遭遇、こちらも予定より60分以上の遅延となってしまった。この遅延のおかげで、下今市駅を下車してまもなく、「SL大樹5号」の発車がベストのタイミングとなり、ごった返すホームにSLの入線を待ったのだった。慌ただしい構内放送とともに、姿を現わしたC11型は、207号機の通称「カニ目」と呼ばれている人気者。ホームにたたずむあらゆる老若男女が蒸機を出迎える。とりわけ...「カニ目」に興奮した愛孫を見つめる幸せ~C11207"SL大樹"

  • GWの小さな楽しみ~EF64「アルプス54号」

    いよいよ今年もGWに突入。10連休する猛者も周りに存在するが、アントンKのGWは、日常とあまり変わらない。天気にも恵まれリフレッシュできる日々を送れれば、ただそれでけで満足しそう。昔から連休にはあまり予定を入れないことが多かった。もちろん例外もあるが、出歩くもの単発で動くことが多かった。今回は、そんな散歩の中から1枚掲載しておく。当時から好きだった中央線の急行客車列車、「アルプス」号。駆け出しの時代から気になる存在で、列車が消滅してしまうまで何度か撮影にトライしていた。夜行で下り、翌日午後に戻ってくるダイヤは昔から変わらず、撮りづらい午後の上り列車にアタックした時代が懐かしい。いつも「晴れ!」に拘っていた当時でも、この列車は例外中の例外だった。偶然にも重連で山を下りてきて歓喜した時の画像を貼っておく。1979-...GWの小さな楽しみ~EF64「アルプス54号」

  • 北海道の新特急色復活!~キハ183系500番台

    JR西日本の381系電車の国鉄色復活に続いて、JR北海道でも、国鉄時代末期に登場した新特急色と呼ばれる塗装車が復活することがわかった。GWをいよいよ目前にして、JR各社が鉄道150周年という記念すべき年にイベント合戦の様相を呈してきた訳だ。未だコロナ禍ではあるものの、世の中徐々に動きが出てきており嬉しい反面、やはり感染者が益々身近になってきている現状では、決して油断できる状況ではないことも最近改めて思い知っているのである。何も考えずに、フラッと旅に出られる日はまだ遠いのだろうか。鉄道業界も明るい話がなかなか聞けずにいる状況だから、せめて鉄路を感じて新たな旅の思い出を刻みたいのだ。今回復活した新特急色に合わせて、4連の写真を探してみたが、真面にお見せできる画像がなくお恥ずかしい限り。この連休から運転されるのは、特...北海道の新特急色復活!~キハ183系500番台

  • 宗教臨に活躍したEF58を回顧する

    「宗教臨」という言葉も聞かなくなった・・・。国鉄時代には、この手の団体臨時列車が多数運転されていて、いわゆる時刻表には載っていない列車がたくさん走っていた。当時のアントンKは、線路端でそんな列車に出くわすと、突然の出来事に対応が付かず、いつも涙を飲んでいたことが多かったのだ。そしていつかとことん撮影したい、と意気込んで撮影した写真が今回のもの。早朝からカメラを構え、定点撮影のごとく覚悟を決めて撮っていたことを思い出している。当時の宗教臨とは、富士宮にある創価学会へと向かう団体客を乗せており、全国から身延線富士宮に向けての列車があった。当然ながら、東海道線経由で乗り入れ、大部分が客車列車だったから主に東京機関区のEF58けん引がけん引していた。もちろん当時の東京区にはEF5861も在籍しており、運が良ければ出くわ...宗教臨に活躍したEF58を回顧する

  • 赤い電機と黒い貨車~ED75

    旧型客車も懐かしく感じるようになったが、貨物列車も二軸の貨車を連ねた編成は、随分と見ていない。今では、コキというコンテナを載せる専用貨車が一般的となり、石油のタキ石灰のホキを除くと、貨車形式はかなり少なくなったと言わざるを得ない。アントンKは、昔から貨車の形式まで拘りを持てず、連ねた編成までは考えが及ばなかったのだ。しかし、こうして貨車の種類が減ってしまうと、独特の走行音を残して走っていた貨物列車が懐かしく思い出されるのである。一時期、青いワム編成の貨物列車が走っていて、ファンの間で話題になっていたことがあったが、あの列車とて廃止されてからかなりの年月が経ってしまった。あればあったで気にも留めず、見られなくなると当時より気にかかるという何とも言えぬ感情が湧いてくる。全国あれだけあった貨物取扱駅すら激減してしまっ...赤い電機と黒い貨車~ED75

  • 雑形客車の魅力!再認識~ED77

    たて続けに、週末に雑形の客車列車が走っているようでザワザワしている。一応この時代、客車列車そのものが貴重であり、機会があれば出向きたかったのだが、結局行かなかった。天候不安定が出鼻をくじかせたが、DE10型客車3両という編成そのものに、少し拒絶があったようだ。しかしこの時期、春爛漫の各地で時間を過ごすだけでも、心の栄養となったのかと思い返すと、多少後ろ髪を引かれていることも事実だ。また次の機会に模索したいと考えている。そんな想いから、磐西の普通列車の画像を取り出してみた。国鉄時代、普通列車は、キハに混じって客車列車も設定があり、旅の足としてお世話になったもの。東北地区の客車の中では、比較的早く50系に代わってしまった記憶があるが、スハのボックスシートを占領して、窓を大きく開け流れる景色を眺めるのが日常だったあの...雑形客車の魅力!再認識~ED77

  • まだ遠き 碓氷の春をいく~クモヤ443系

    不安定な天気が続く東京は、桜は当に葉桜となり、今ではツツジやハナミズキが美しい。忙しなく日々を送る中でも、こうした街のちょっとした変化に気づき心の友としたいものだ。まだ信越線碓氷峠が健在だった頃、鉄道とともに四季を写し込もうと、毎シーズン気にかけていた時代があった。今にして思えば3~4年間に過ぎず、心残りも多いが、命がけの猛者達の想いに少しでも近づこうと張り切っていた。山登りは不得意なアントンKだから、あくまでも自分流に線路端には拘っていたが、ほんの1区間とは言え、無数のポイントが目の前に広がっていたのだ。ここでは、超有名な撮影ポイントだった碓氷橋をいく試験電車の写真を掲載しておく。まだ冬景色が続く碓氷橋付近で、ひと際自己主張していた山桜ともモモとも違う美しい花が目に留まり、文字通り華を添えてみた。ここもGWが...まだ遠き碓氷の春をいく~クモヤ443系

  • ブルトレ併結時代~EF66「さくら・はやぶさ」

    東海道線から定期寝台特急が消えて10年以上もの時間が経過した。(最終列車は2009年3月だった)。それまでアントンKにとっては、鉄道撮影の中心的存在だった列車だけに、あの時は何時になく感慨にふけっていたことを思い出す。実際、夜行寝台列車自体は、東北線を走る「北斗星」が存続していたが、やはり特急列車そのものの品格が違い、同列には出来なかったのだ。蒸機で運転されていた時代から継承された列車名は、やはり重く深いものだ。最後は貨物用機のEF66がけん引していたとしても、アントンKには最後まで憧れの列車だったのである。東海道線ブルトレの晩年、ご承知のように伝統ある2つの列車が併結されて運転される事態になっていった。併結運転そのものは、関西圏の夜行寝台列車で先行していたものの、東京まで連ねてやってきていた列車が併結すると聞...ブルトレ併結時代~EF66「さくら・はやぶさ」

  • 花形運用を明け渡した日~EF65P型

    憧れの寝台特急をけん引し、その名声を不動のものとしたEF65P型ではあったが、長きにわたり東京-下関という長距離を走破してきたためか、年々故障が増え、痛みも激しかったと聞く。そしてこの年の秋を待たずして、新製されたEF65PF型にその道を譲り渡すことになったわけだ。次々と東京機関区に真新しいEF65PF型が配置され、いったい何時どの列車から切り替わるのか、当時仲間内で話題となったのは言うまでもない。あっという間に切り替わっていった記憶だが、当時の細かな記録はなく、今更ながらデータとして残すべきだった。ここでは、65PF型に道を譲ったEF65P型が、時同じくして山手貨物をけん引し始めた時の画像を掲載しておく。撮影データは78年9月だから、まさにPF型に切り替わってすぐのタイミング。ヘッドマークを掲げて走ったスター...花形運用を明け渡した日~EF65P型

  • EF65PFの私感~ブルトレ「みずほ」

    未だ現役バリバリの国鉄電機であるEF65PF型。しかしこの春の改正で貨物機の運用にかなり余剰が出ているという話を聞く。旅客会社である田端区も名称が変わり、と同時にEF65PFの配置にも変化があったようだ。昨年から、あれだけ後継の電機にあたるEF210型がデビューしているのだから、余剰は当然な成り行きだろうか。アントンKにとっても思い出の多い電機であり、最後の日まで見届けてやれれば本望だ。以前にも触れてきたが、アントンKは、EF65PFといっても現存する形態はあまり好まず、初期車こそが本来のEF651000番台として認めてきた。細かな形態差には、あえてここでは触れないが、昔初めて見た時の第一印象からイメージが決まってしまったのだと思っている。ヘッドマークこそ無かったが、3往復の特急「あけぼの」の先頭に立ち、当時で...EF65PFの私感~ブルトレ「みずほ」

  • 新たなクラシック音楽の扉が開く~新日本フィル定演

    新年度を迎え、各楽団ともスケジュールが発表されて、この1年どんな楽曲で我々に演奏を楽しませて頂けるのか、最も期待が高まるタイミングなのが、まさにこの時期だと言える。アントンKはというと、2年前からのコロナ感染の影響で激減した演奏会の中から、まずは必ず聴きたいと思う物だけに限って聴いてきた。しかし現状は、更新される数字に一喜一憂するのではなく、コロナの日常化が浸透して、生活の送り方、演奏会での新たな常識が確立したと言えるのではないか。2年前では、どこか緊張と心配や窮屈感すらあった行為が、今では自然体で行えている。気を許すのではなく、新たな鑑賞行為として定着していくのだろう。しかし、個人的には、いまだに続く終演直後の「ブラボー」禁止はいささか寂しく思う。演奏会をプレーヤー入場から終演退場までをひとくくりに考えた場合...新たなクラシック音楽の扉が開く~新日本フィル定演

  • 先頭車に一喜一憂した楽しき特急電車~485系

    前出した485系のボンネット型電車。最もオリジナルに近かった当時の車両を展示用に当てたのだろうから、今でも鉄博内でその姿を拝めるはずだ。しかし当時をよく思い出してみると、国鉄時代には、同じボンネットでも多種多様な形状を持った車両が存在していた。今でいう東日本を走っていた485系は、左右にヒゲについたスタイルで東北地方を中心にを行き来していたが、国鉄時代も晩年になると、九州から遥々やってきた車両たちが入り乱れ、趣味的見地からみると俄然面白くなったのであった。掲載写真は、その九州から転属してきたクハを先頭にした特急「ひたち」号。すでに僚友だった特急「ひばり」は、新幹線開通により消滅していた時代、常磐を走る「ひたち」が孤軍奮闘していたことを思い出している。ヒゲなし、赤スケートの九州仕様でやってきた「ひたち」は、当時違...先頭車に一喜一憂した楽しき特急電車~485系

  • 未来へ受け継がれるボンネット特急~485系

    JR西日本伯備線を走る、最後の国鉄型特急381系「やくも」の一編成が、伝統の国鉄色に戻り話題をサラっている。381系と言えば、元祖「振り子電車」であり、勾配やカーブの多い山岳路線に走り出したのは昭和の時代。中央西線を走る「しなの」が最初だったと思う。アントンKも、国鉄時代から中央線にはよく出掛けていた関係で、この381系にも愛着を持っていたが、やはり当時は、特急電車全盛時代であり、圧倒的に両数の多かった183系統や485系たちの方が馴染み深かったことを思い出す。紀勢線の「くろしお」とともに長年走り続けてきた381系電車も後継電車の発表があったようで、いよいよ引退が迫ってきたようだ。さて、こうして昔の特急電車を思い出してみると、やはりクリームに赤をまとった国鉄特急色が何と言っても懐かしく一番しっくりすると思う。数...未来へ受け継がれるボンネット特急~485系

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、アントンKのお気に入りノートさんをフォローしませんか?

ハンドル名
アントンKのお気に入りノートさん
ブログタイトル
アントンKのお気に入りノート
フォロー
アントンKのお気に入りノート

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用