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ゆめひこう https://blog.goo.ne.jp/postmeka

カトリック信徒の日々の思いを綴ります。

聖書の勉強を始めました。 読書が心の癒しです。 前向きに明るくがもっとうです。

ゆめひこう
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大田区
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横須賀市
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2013/03/28

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  • 聖霊降臨の主日

    中世からマリア信仰が広がったのですね。聖霊降臨の図にも、マリア様が大きく描かれています。マリア様のことを思うと,生涯、苦労しか書かれていないですね。この頃,何か辛いときは、ずっとマリア様のことを考えることにしています。マリア様の生涯を思い浮かべるのです。先日も血管に放射能を入れて、全身の巡りを検査しました。アベマリアを唱えて目をつぶっていました。こういうとき、以前はパニック症状が起きて大変だったのですが。今回も、「来るな」と、思った時に波が引いてゆき、名前を呼ばれて目を開けたら、終わっていました。それに聖霊は、否応なしに、私を包んでくれていると思いました。聖霊降臨の主日

  • 復活節第7主日 主の昇天

    そのとき11人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが支持して置かれた山に登った。「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」イエズス会前総長ニコラス神父様の葬儀が前日にありました。ニコラス神父様の一生がまさに主とともにあったと、神父様のお説教でした。いつも神様がともにいてくださる忘れないと、いろいろな方のお話で聞きました。そのたびに、己の弱さを思い、祈ります。復活節第7主日主の昇天

  • 復活節第五主日

    今日の福音は、「わたしを通らなければ、誰も父のところに行くことができない」と言う大切なか所でした。私はこのところ、父、イエス様、聖霊について深めたいと・・・今日はこどものためのミサでした。それでお説教は、第一朗読の、働き手を増やすお話でした。ちょうどコロナウイルスの騒ぎで、苦しんでいるところでしたので、心を打たれました。今、みんなのために、働かなければならない人。イエス様の時代でも、働く人がいました。フィリポが選ばれたところです。今、あなたたちにとってとても大切なエッセンシャルワーカーはお父さんやお母さんです。みんなにとって、イエス様はみんなにとってのエッセンシャルワーカーです。みんなの中にいてくださって、守ってくださいます。とても心に残りました。ここに無許可で載せるせるのは、違反かもしれません・・・。麹町教会...復活節第五主日

  • 復活節第4主日

    インターネット配信のミサにあずかりました。ヨハネの福音書では、イエス様はご自分のことを羊、羊飼い、門などと言われているそうです。イエス様を通らなければ、神様のところへは届かない。人を救うには、人にならなければ、人の気持ちがわからない。神様に人を届けるには、神でなければできない。私たちはイエス様がなければならないのだそうです。私たちが、愚かな羊で(でも羊は素直だといわれました)だからイエス様が羊飼いで、神様のところには羊だけでは行かれないのですね。最近そういう話を聞く機会が多くなって、やっとキリスト教が少しわかってきたように思います。でも、まだわかっていないことが多いのです・・・。復活節第4主日

  • 復活節第3主日

    エマオへの旅の画面です。レンブラント作美術館に転移されたのを見た記憶があります。イエス様の前の光が、光っていますね。お弟子たちはみんな逃げてしまい、この人たちも逃げているのですね。期待が裏切られた・・・その期待が、間違っていたとしても、自分の思惑からは離れられないのですね。本当に何を期待すればよいのか、分からないです。御心のままにと、祈るのですね。神父様のお説教、「二人は、危険から背を向けて逃げ出そうとする。心の余裕がなくなり、主に学んだことはみんな忘れてしまっている。イエス様は一緒にいようと寄り添って、ずっと耳を傾けてくださっている。これは今の私たちのことです。主は私たちを置いていかない。どこにも行くときも。側にいてくださる。世の終わりまで。二人は心が燃えていたことを思い出したでしょう。私たちも常に現実を見つ...復活節第3主日

  • 復活節第2主日

    弟子たちは、鍵をかけて家に閉じこもっていました。イエス様が来られて真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われました。鍵をかけようと、何をしようと、イエス様は来てくださいます。弟子たちがユダヤ人を恐れたように、私たちはコロナウイルスを恐れています。それでもイエス様は来てくださいます。私たちは祈ることを知っています。ふと気が付くと、マリア様かイエス様に祈っています。神父様は、できないことを悩むのではなく出来ることを心を込めてやってゆきましょうと言われました。復活節第2主日

  • 篭る

    何もしなくても時間が過ぎ得行くことに感心してしまいます。一日がただ過ぎるのです。マスクを作ってみました。さらしがあったので、なかなか面白かったです。もっと作りたいと思いましたが、さらしもゴムも品切れなのだそうです。世間の情報の巡りは早いですね。図書館も閉鎖になり、読むものが無くなりました。昔、挫折した本や、懐かしい本を再読しようと…。文字が小さくて驚きました。それで、息抜きも必要かと・・・まだまだ自粛は続きますね。神父様と祈りのグル--プからのメッセージで12時と3時と6時と21時に、共に祈りを。時間が区切りになります。神学院の十字架篭る

  • 四旬節から復活祭まで

    すべてのミサは非公開になりました。例年なら、聖木曜日、主の晩餐の夕べのミサ。聖金曜日、主の受難復活の主日・復活の聖なる徹夜祭復活の主日、日中のミサと、毎日教会へ行き、聖歌隊に参加していたはずです。当たり前のことが当たり前でなくなる…人の傲慢であったかもしれないと、思いました。ここは十勝のカルメル会修道院の聖堂です。以前巡礼に行き、シスター方と楽しい時間を過ごさせていただきました。このたび、「日ごとの福音」のページに、ここで、ミサを配信することを知りました。シスター方の美しい聖歌を聞きながら、オール神父様のミサに預かりました。そのほかにも、各地の教会でミサの配信がありました。東京教区の菊池大司教様が復活祭のお説教の中で言われましたが、「教会が、ただ存在して信徒をまとめているだけでなく、様々な形で、出向こうとしてい...四旬節から復活祭まで

  • 四旬節第五主日

    ラザロの復活の話です。ヨハネ福音書では、イエス様の最後の奇跡のお話です。奇跡は、イエス様が誰であるかを示すしるしです。イエス様は、ラザロをよみがえらせることによって人の苦しみに無関心ではいられない神の心を人々に示し、神の栄光を現します。典礼の絵では、下に横たわって泣いているのがマリアです。マリアをはじめみな泣いているのを見て、イエス様は「心に憤りを覚え」ます盲人の目は開けても死には無力だの声に「再び心に憤り」を覚えますマルタが4日も経っているのでにおいますと言うと「信じるなら神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と語っておられます。死がご自分のすぐ近くにやってきていること、ラザロをよみがえらせれば、ファリサイ派の人々はイエス様の殺害の計画を立てるでしょう。イエス様は祈りの最後を「あなたがわたしをお遣わし...四旬節第五主日

  • 四旬節第4主日

    今日の福音は生まれつき目の見えない人をイエス様が直される箇所です。典礼の表紙はその場面ではないそうです。朗読箇所のヨハネ9章1からでは、1人が池の縁に居るのですが、入ることができません。「だれも私を運んでくれない」と言います。イエス様は泥を捏ねて目に塗り、「シロアムの池で洗ってきなさい」と言われます。そして「床を担いでいきなさい」とも言われます。「イエス様が助けてくださるのですから、信じて自ら行動することです」ずっと前、神父様が言われたことを思い出しました。四旬節第4主日

  • 四旬節第3主日

    「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」今の世コロナに振り回されている。日本語で情報と訳されている言葉は英語のインフォメイション本来の意味は知らせるための目に見える形の資料情報の本来の意味はインテリジェイションで敵の唱法を探るの意味明治時代の作語で情は心の動き、報は報いるという意味がある刑罰を受ける心の生き方を受けるという雰囲気のようです。情報に降りまわされているわたしたち。いろいろ読んでも良く分からない。情報収集するのではなく、冷静になって心を静めましょう。私たちの心の向け処イエス様に合わせるそこに泉がある。情報の源を、イエス様に置くサマリアの女性のように、イエス様からいのちの泉をいただきましょう。四旬節第3主日

  • 四旬節第二主日

    フラ・アンジェリコの作品だそうです。イエス様が光り輝いています。前に、ペトロ・ヤコブ・ヨハネ。上のほうに顔が見えるのは、モーゼとエリヤ。モーゼは40日40夜荒れ野を歩きました。エリヤもパンを食べた後、40日40夜歩いきました。イエス様も40日40夜サタンの誘惑を受けました。それが四旬節の期間にちなんでいます。左側はマリア様が描かれ、右側はドミニコだそうです。フラ・アンジェリコの所属する会だったそうです。コロナウイルスのため、教会に行くことができず。インターネットで、司教様のミサに与り、霊的聖体拝領をしています。所属の主任司祭から、説教と聖体拝領、告解のための祈りを送っていただきました。神父様が苦しんでおられると思いました。四旬節第二主日

  • 四旬節第一主日

    第一朗読で創世記が読まれるのですが、典礼の表紙は、アダムとエバが楽園から追放されるところです。解説によると、中央の大きな翅は神からの使いの天使です。左が食べてはいけない木。アダムとエバは逃げ腰です・・・とりあえず、新型コロナウイルスのため、ミサの集いは行われません。ユーチューブで、大司教様のミサにあずかりました。教会の聖堂と同じように、集中して祈りました。「霊的聖体拝領」という言葉を深く受け止めました。司教様のお説教にあったように、この困難を一致して乗り越えられますように。日本人の良さである冷静さを取り戻さなければと思いました。四旬節第一主日

  • 灰の主日

    今日から四旬節に入ります。求道中、ミサに与り、額に灰をぬられて驚いた日のことを思い出します。「あなたたちはちりであり、ちりに帰ってゆくのです」と唱えられます。聖堂に腰かけて、ミサの後も、ずっとその気持ちを味わうことにしています。灰の主日

  • 年間第7主日

    今日の神父様のお説教は、とても心に残りました。「―あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」完全という言葉は、ギリシャ語から日本語に訳されました。しかしイエス様が話しておられたのアラマイ語かヘブライ語だったでしょう。そうだとすると「シャレㇺ」という言葉をいわれたはずです。それは完全というよりも、ありのまま、無垢という意味に近いです。旧約の時代で「シャルムだった人」として書かれているのは、ノアです。人間の考えであれこれするのではなく、神様が共にいてくださることを思いながら、ありのままで居られるように考えてみましょう。いやなこと、きらいなこと、あってもそれを自分のものと認めそれを含めて祈るということかなと思いました。年間第7主日

  • 梅だより

    区営の梅園に行ってきました。見頃でしたが人は少なかったです。皆さん自粛されているのかもしれません。水琴窟のきれいな音を聞くのが毎年の楽しみです。地球の底というより、宇宙のどこかからのように思います。お茶やさんで甘酒を一杯。香ばしくて、美味しかったです。庭はどこもよく手入れがされていて、区民としては誇らしく思える庭園です。自転車で20分くらい、ちょうど距離です。梅だより

  • 年間第6主日

    この絵は、キリストがモーセに律法を授けているところです。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためではない。・・・完成するためである」神がモーセを通して与えた十戒では、ただ「殺すな」とあるだけでした。旧約では「殺した者に裁きを受ける」とつけ加えられました。その律法を守ることが掟となりました。しかし、イエスは人の命に無関心でいられない神の思いを説きます。生命だけでなく、それを含めた命全体(人格)をです。神の本来の思いが何であったか考えるとき旧約とのつながりを深く味わうことになります。年間第6主日

  • リヒトクライス第26回演奏会

    東京オペラシティコンサートホールです。リヒトクライスの演奏会高田三郎没後20周年記念グレゴリア聖歌と典礼聖歌いつも歌っているけれど、こんなに美しく歌うのか、言葉を大切にしているのが分かりました。すごい練習だと思います。宗教合唱曲ピアノ独奏ピアノ高田江里氏マリアの歌詩がとても良かったです。水のいのち混声合唱力がありました。最後にフランシスコの祈りが歌われて、涙が溢れました。リヒトクライス第26回演奏会

  • 主の奉献

    モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎ。聖家族は神殿に参りました。このごろますます考えるのですが、クリスマスはお祝いするものではないですね。シメオンの言葉は、「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また反対を受けるしるしとして定められている」その上、マリア様に「あなた自身も剣で心を差し貫かれる」お参りに来て、呪われたようなものですよね。これから先、マリア様はどんな気持ちでイエス様を見守っていたのでしょう。30年後には、「ああ、あの時のシメオンの言葉・・・」マリア様は一人考えておられたのでしょうか。母親にとっては、いくつになっても我が息子は単にわが愛する息子ですから・・・典礼の絵では、イエス様がお母さんの方へ帰りたがっているのがかわいい・・・主の奉献

  • 第3主日 私についてきなさい

    この絵のオリエンス宗教研究会の解説はとても興味深いです。最初の弟子たちの召命風景で、左奥では、ペトロとシモンが、イエス様に声をかけられています。右奥の船に乗っているのはヤコブとヨハネ、イエス様の姿はカットされて見えませんが。そして中央にイエス様が。ずっと奥の風景が明るく見えるのは、第一朗読の「ゼブルン、ナフタリ、異邦人の地ガリラヤは、光り輝いた」の光。神父様のお説教は、網を捨てて従った弟子たちのこと。人間をすなどる漁師とは、人々を一度は網にすくうが、そこから解放する役割をするということだそうです。ミサの後、告解をしてきました。第3主日私についてきなさい

  • 大倉集古館

    ホテルオークラが新しくなったそうです。付属の集古館の展示会に誘っていただきました。この建物は昔からのものだそうです。江戸時代の能装束の展示でした。大倉が所蔵しているようです。江戸時代の装束はとても美しく、贅をこらしたものでした。地下にあった、大倉の歴史や代々の生活ぶりの写真や楽器も面白かったです。昔のお金持ちの暮らしが。レッスンチケット70000円て、庶民にとってはどのくらいのものだったのでしょう。集古館の入り口を守っていました。オオクラのロビーも訪問してきました。銀座を回って、ソニービルでランチ、9000歩も歩きました。大倉集古館

  • ひるの憩い

    近所の公民館で素敵なコンサートがありました。クラシックからタンゴまでって、どんなだろうと思いました。楽器が面白かったです。ピアノとヴァイオリンは、定番ですが、マリンバとアコーデオンが加わりました。マリンバを演奏した人は、打楽器で芸大を受験したそうです。実技はどんなものでしょうか?マリンバだけの「エヴェン・グレニー小さな祈り」とてもきれいな曲でした。「熊蜂の飛行」はオーケストラでは聞きますが4人の奏者の工夫は素晴らしかったです。「ラ・クンパルシータ」・「ジェラシー」などお馴染みの曲もあって、満員の会場はとても盛り上がりました。大人のというか、かなり年齢の上がった人が楽しみました。ひるの憩い

  • 年間第2主日

    今日の典礼の表紙は先週とよく似ていました。でも先週のは、985年ころの絵で今週のは11世紀末、ロシアの修道院のものだそうです。今日の福音か所はヨハネ1・29-34ヨハネは自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」今日の福音では,イエス様は何も話しておられません。ヨハネの言葉だけです。神父様のお説教は、「ヨハネは水で洗礼を授けて、人々の罪を赦した。しかしイエス様は人々に洗礼を授けて、私たちの心に聖霊が入った」「キリストによって聖なるものとされたのです。自らを小さきものとされ、屠り場に引かれてゆく小羊のように苦しみの中にあっても黙って人々の罪を引き受け、人々の罪を取り除くために、その身をいけにえとして神にささげられました。私たちの救いは、この神の小羊キリストのみわざであることを、...年間第2主日

  • 手仕事

    使わなくなった布団の整理をしました。カバーは捨てるのが忍びなく、ぞうりを編むことにしました。白っぽいので、履物には不向きですが、編んでいるときはさまざまな思い出が過ぎり、心の休まるひと時でした。私にとって、手仕事は、そういう効果があります。これから鼻緒をすげて。布団カバー一枚で、5足できました。手仕事

  • 半島から上ってきた電車

    いつも私が利用している電車。半島から上ってきます。潮風と一緒に(もう街になっていますが・・・)いつもと違う車体でした。朝ミサへ行くところです。早かったから、空いていて、やはり隅っこから埋まっていました。かわいかったです。半島から上ってきた電車

  • 主の洗礼

    「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」マタイ3.17ミサの前に聖堂で典礼の表紙を眺めたら、イエスさまちょっと冷たそう・・・9世紀ごろの挿画にはこのような描き方が多かったそうです。ヨハネが「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに…」といわれたのに、イエス様は人としてヨハネの前に現れたので、人々と同じように洗礼を授けてほしいと願いでます。いよいよ公生活の始まりです。ナザレでの、マリア様やヨセフ様との穏やかな暮らしを思い出されることもあったでしょうか。主の洗礼

  • ラウダート・シ

    フランシスコ教皇様の本の読書会を続けている。 月に一度、神父様の指導も頂く。内容が難しいし、行くのが大変なこともあるけれど、仲間に会うと話が弾む。信仰が一番大事な価値観という立ち位置なのかもしれない。何かしら感動を与えられる話になる。日常の中でこだわっている出来事が、大したことてはないと、思えるようになるのだ。長い付き合いだから…、世代がいっしょだから… 同じ教会の人とは、そうもいかないところが人間の我儘。縁というものを大切にしたい。教会の図書館のショウケースでラウダート・シ

  • 主の公現

    新年を迎えた最初の日曜日、主の公現の祭日です。今日のお祝いは、はるばる訪れた占星術といわれる人達の訪問です。昔、この人たちは、アジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人を示唆していると聞いたことがありました。異教徒たち、全世界への福音を意味していたのでしょうか。占星術の学者が見つけた光は希望の光です。プレゼントの乳香は祈りの象徴だそうです。青して没薬は死の象徴。「神の子として、死ぬためにこの世に生まれ、やがて復活する」前に神父様がクリスマスはそんなにおめでたくないと言っておられました。神様から頂いた最高のプレゼントはイエス様です。神様に少しでもお返しができ、喜んでいただけるような日々を過ごしたいと思いますが。まず、祈ります・・・。主の公現

  • 聖家族

    聖家族の記念日です。一番心を打たれたのは「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい」と言われ、すぐに実行したところです。マリアの妊娠が分かった時も、天使のお告げを黙って受け入れました。ヨセフは、考え、実行する人です。神様によほど信頼されていた人なのでしょう。神父様のお説教は、家族を大切に思いなさいというものでした。第二朗読で言われたように。「主があなた方を赦してくださったようにあなた方も同じようにしなさい」家族が支えであることは、時が立つほどに分かります。過去を共有していることの幸せを思います。聖家族

  • 主の降誕 日中のミサ

    25日は、朝8時半のミサで聖歌の奉仕をするために7時に集まります。イザヤの予言いかに美しいことか山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え救いを告げあなたの神は王となられた、とイザヤ52.7-10私はイザヤノこのか所がとても好きです。幸せな知らせは美しい足でやってくるイメージがわきます。答唱詩編十区地の果てまですべてのものが神の救いを見た新しい歌を神に歌え今日は、バスのパートの人が歌いました。歌詞を味いながら、美しい歌でした。ヨハネによる福音1.1-18初めに言があった。これは神の意思が初めにあったということ。神は人類を救おうとする意思を持たれた。それを現実のものとするためにイエス様を世に送り出す決心をされた。ヨハネの福音書、1章の「言」をイエスに置き換えて読んでみると神...主の降誕日中のミサ

  • 主の降誕 夜半のミサ

    イブのミサは、5時から聖歌隊で奉仕しました。練習のために、3時半に行きましたが、入り口はいっぱいで聖歌隊の証明カードをもって、通してもらいました。1時間半の練習でも、四季の先生は十分とは思われなかったようです。今日だけは、いくつもの聖歌隊の人が、集まっていますので。2時間以上待っていた人が、かかりの人の案内で入ってくるところです。答唱詩編♫新しい歌を神に向かって喜び歌えテノールの美しい歌声でした聖書はルカ2章1-14ベツレヘムの馬小屋で、イエス様がお生まれになり飼い葉桶に包まれました。一番先に知らせを受けたのは、野宿していた羊飼いでした。突然天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」今日の福音で一番大切なところは飼い葉桶です。飼い葉桶ならみん...主の降誕夜半のミサ

  • 待降節第4主日

    ヨセフの夢の場面です。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」マタイ1.21神父様のお話3つの決意がありました。神様は、わが子を人間の元まで降りてゆかせる。不完全な人間に寄り添い続けさせるために。神はともにいるとはこういうことです。上から眺めているのではなく私たちの中に存在してくださる。ヨセフの決意夢で天使のお告げがあった。眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れた。質問や発言はなし。黙って決意した。マリアは天使ガブリエルのお告げを「お言葉通りになりますように」と受け入れた。神様が私とともにいてくださるのがクリスマスの最大のプレゼントです。待降節第4主日

  • 待降節第3主日

    聖堂のろうそくに3つ灯りがともりました。ヨハネが牢に入れられています。このお話は、子供のころ、少女雑誌に短編として載っているのを読みました。忘れられない読み物になっていました。聖書の中にあると知ったのは、ずいぶん後です。ヨハネは子供のころから知っている人のように思ってしまいます。牢に入っていて、弟子にイエス様を訪ねさせたなんて、自分で会い、話がしたかったでしょう・・・。でも、初めに会っているのですよね。ヨハネは納得して首を討たれたのでしょうか。歴史とは無残です。午後から、歌を歌いに行きました。四部合唱を、6人でやりました。私はソプラノでしたが、アルト、テノール、バスの人は素晴らしかったです。とても良い経験になりました。チャリテイーコンサートで、たくさんの出し物がありました。楽しくて学びの多い一日でした。真ん中の...待降節第3主日

  • 待降節第一主日

    早くも待降節になりました。今日の典礼は、ノアが鳩を放すところが描かれているそうです。「人の子が来るのは、ノアの時とおなじである。-あなたがたも用意していなさい」パウロは「みなさん今がどんな時であるか知っています。眠りから覚めるときがすでに来ています。それは今の私たちに言われていることです。分断や孤立をさけ、対話と分かち合い持ち、いたわり合って暮らす教皇フランシスコが、たくさんのメッセージを、日本のために世界のために残してくださいました。その意味を味わいながら、待降節を過ごしたいと思います。教会のバザーで、にぎわいました。待降節第一主日

  • パパ様来日 東京ドーム ボランテイア

    東京ドームミサの入館証です。招待のはがきを入れて首にかけておきます。会場前です。パイプいすはすべてテープで固定されています。パパモビルの走るスペースがとられています。入場が始まりました。2時間前からです。パパ様の姿が見えるとドーム内はひときわ歓声が大きくなりました。お疲れのはずが、相変わらずの優しい笑顔でした。カトリックのミサは、パパ様がラテン語で祈り、会衆は日本語で答える。様式は世界共通なので、一致感が半端ではないです。5万人超の人たちが幸せに酔っていました。若い人たちの聖歌隊が迫力がありました。教会ごとの参加が多かったので、退場に時間がかかりました。スタッフの後片付けが始まりました。外に出たらすっかり暗くなっていました。グッズ売り場はSOLDOUTの張り紙がいくつもあり、閉店時間でした。この日一日、ドーム内...パパ様来日東京ドームボランテイア

  • 年間第33主日

    年間の主日は、今日の第33主日で終わりです。来週は「王であるキリスト」そして待降節にと進みます。一年の最後の福音は、終末の説教です。「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」ルカ21.17上の円は、イエスに接吻して合図とするユダが描かれています。下の円は、最後の晩餐。皿に手を伸ばしているのがユダ、イエスはユダへ手を差し伸べています。イエスが殺されて、弟子のほとんども殉教します。以前、降誕節のお説教で、「おめでたい日と、喜んでいるが、キリストは苦しむためにお生まれになった。ただおめでたいという日ではない」と。それは、人間にとっても言えることではないでしょうか。今日は、国際ミサを、日本が主催したので、聖歌隊で参加しました。和風でと言われたので、友人と相談して、羽織を持って行きました。国際ミサは、日本人...年間第33主日

  • 横浜

    横浜刑務所の矯正展に行ってきました。とても賑やかでした。初めてなので驚きましたが、皆さん定連さんのようでした。うどんの売り場は行列でした。食べ物やさんはどこも混んでいました。中は撮影はできなかったので・・・おみこしとか、家具とか、立派でした。私は前から欲しいと思っていた、横須賀刑務所の石鹸が買えてうれしかったです。小物入れを買いました。とても丁寧な仕上がりで、どんな人がどんな気持ちで作ったのかなと・・・お化粧入れにしました。使うたびに思います。一番欲しかったのは靴でしたが、今回は未だ必要でないので、次回にします。とても考える一日になりました。横浜

  • 荘厳司教ミサ

    恒例の荘厳司教ミサで、聖歌隊としてご奉仕しました。人数はいつものようにたくさんでした。司教様のラテン語ミサは、流れるように進みます。公会議以前のミサを知っている人は少なくなってくるので、維持するのは大変な努力が必要と思いました。早く着いたので、ロザリオ一環、お昼の休憩で一貫、その祈りが一番、落ち着きました。来年もご奉仕できるでしょうか。荘厳司教ミサ

  • 受刑者のためのミサ

    所属教会で、受刑者のためのミサがありました。菊池功大司教様の司式です。どのくらいの人が参加するのかと思っていました。100人以上の参加があったと思います。聖歌が丁寧に選ばれていて、聖歌隊がきれいでした。あとから伺ったら、イエスのカリタス聖歌隊でした。「いのち」という歌を作詞作曲されたシスターの会です。岡田大司教様のお説教は、命について、柿から与えられたものであること被害者と加害者の苦しい立場があること。ゆるしというのは人間の意思ではなく神の働きであること。1か月後に来日される教皇様は、日本では、核の問題と被爆、そして死刑という、難題をいくつも抱えていることを意識されてお話されるのではないかということでした。ミサに与りながら、日本は平和は表面だけ…災害もあったし、備えもゆるいし、意識もゆるい。罪の根源である貧困も...受刑者のためのミサ

  • 喜びと出会うとっておきのおはなし

    イエズス会の神父様の著作です。昨年の5月に、急性骨髄性白血病で帰天されました。少し前までお元気で、ミサをささげておられました。笑顔の素敵な優しい神父様でした。著作には、日々の信仰のヒントが、分かりやすく具体的に書かれていいます。「人とのつながり」「二つの箱」白い箱は喜びを入れる。黒い箱は辛いことを入れる。黒い箱は穴が空いていて、神様がすべて受け取ってくださったそうです。「聖ヨセフの生き方」お告げにしたがい,マリアとヨセフを守った。迷うことなくひたすら使命を果たしてゆく。他者のために生きて輝く。「イエスと共に生きてゆく」心の中でイエス様に語りかけ、悩んでいることがあれば心の内で相談する。今日会ったうれしかったことや楽しかったこと、悲しかったことや辛かったこと、何でも話しましょう。「だれかのために生きてこそ本当の喜...喜びと出会うとっておきのおはなし

  • 年間第27主日

    「わたしどもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです」自分に命じられたことを果したら、こう言いなさい。イエス様の言葉です。私たちは何か一つのことを果たした時に、認められたいと思います。自分を肯定してほしいという気持ちが働くのでしょう。でも能力には限界があるし、もっと素晴らしい働きをしている人はいます。自分ができたのも、自分の力のほかに、多くの支えがあったからだと気づかなくてはいけません。そのことに感謝しましょう。どうか自分だけが働いているという、被害者意識から抜け出す手段を教えてください…年間第27主日

  • 年間第26主日

    使徒パウロは愛する弟子テモテへの手紙で、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を求めなさい」と書きました。1テモテ6.11-16パウロの手紙を読み進むにつれ、パウロがどれほど強い信仰を持っていたか、その信仰はどこから来たのか、いつもその話になります。金持ちとラザロの話も、ルカだけに語られる物語です。金持ちのぜいたくな生活は、現在の人々のもそのままつながっている。格差はますます広がっている気配さえあるその贅沢が地球全体をむしばんでいる。教皇様は「心の満たされなさ」が人間を粗暴で衝動的な行動には知らせていると、言っておられます。食べること、買い物、社会的な名誉、外面的な見栄。「ラウダート・シ」の中で、落ち着いた注意深さをもって生活しようとすること。全身全霊、相手と向き合おうとする姿勢。神から頂いた贈り物として一瞬一瞬を...年間第26主日

  • 年間第25主日

    ルカ16.1-13ルカだけが伝えるたとえ話です。この時は弟子たちの他に、ファリサイ派の人たちも聞いていたそうです。不正な管理人のたとえ話は、なかなか納得のゆく解釈ができませんでした。証文の書き直しは、もともとこのころの証文は割増しで書かれていることが多かったので、主のとり分にはあまり影響がなかった。書きなおした管理人の取り分が減ったくらいだとありました。不正にまみれた富は、別に不正ではなくても、この世の富はしょせん穢れているものだということでした。友達を作りなさいとは、援助をして貧しい人を助ける意味もある。そうしてこの世の金がなくなっても天の国に迎え入れられる。もう一つは、この管理人はイエス様である。証文に書かれているのは私たちの罪そのものである。それを書き替えているとは、私たちに罪を帳消しにしてくださっている...年間第25主日

  • 世界平和 願いの祭典

    来年のオリンピックの準備が始まっているようです。築地本願寺でプレイベントがありました。その一つとして、「文化の多様性と平和の尊さを感じよう」という場が設けられました。世界の普遍的な宗教宗派が集い、それぞれのやり方で世界平和とオリンピックの成功を記念しました。カトリックでは私たちの教会が参加を要請されたそうで、神父様と聖歌隊がミサ形式の祈りを行いました。神父様はダライラマの話題なども含めて楽しいお説教でした。世界平和願いの祭典

  • 年間23主日

    「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」ルカ14.27あなたにとっての十字架は何であるかを考えてみよ。それを背負って、私についてきなさい。神父様は信仰は仕事より、家族より、介護より大事かもしれませんね・・・と、さらっとおっしゃいました。仕事は定年があるでしょう、でも信仰には定年がありませんから・・・生きることは毎日に積み重ねだけれど、ただ頑張ればよいというものでもないですね。たとえば介護など、のしかかってきますよね。どれほど頑張っても・・・真剣に取り組んで、何かを獲得すればよいというものでもない。努力を積み重ねて、これだけ頑張ったという・・・それよりも、一切を捨てる、ゆだねる、任せる・・・真剣になればなるほど、手放さなければならない・・・そうして恵みの世界に入れる...年間23主日

  • 年間主日22日 愛を生きなさい

    周りの人々に目を向けなさい。自分と共に生きている周りの人の喜びを見て生きていきたい。自分だけが肯定されるためだけに生きてはいけない。人の喜びを見て自分の心が温かくなる。そこに心の成長がある。神がどれほど偉大な人かを考えたら、自分が高ぶることなど出来はしない。神の愛の前にあったら自分はどれほど謙虚にならなくてはいけないか。神の愛はご自分の子供の命を投げ出したほどである。人間同士が愛し合うのに際限はない。ミサでの神父様のお説教です。謙虚と遠慮とは違うと、前に読みました。謙虚は、神様のことを考えたらできそうです!年間主日22日愛を生きなさい

  • 宗教なき時代を生きるために

    教会の図書館で借りてきました。内容は確かめず、教会に面白い本があると思って・・・森岡正博氏は人間科学・生命倫理学などを研究されているようです。オウム事件が起きた時に、同世代の人が引かれていった心理をわがことのように分析して書かれています。生きる意味を自分で考えなくて、他に求めた。他とは宗教も入っています。後半に尾崎豊が登場します。尾崎豊はそういうことなのかと思い、ユーチューブで何曲か聞いてしまいました。胸が痛みました。生き方に正解はない。人として生きることに意味がある。宗教なき時代を生きるために

  • 枢機卿様の講和

    前田枢機卿様の講和が東京で開かれることになりました。当日、参加でしたので、1時間ほど前に行きましたら、もう定員オーバーで入場できませんでした。主催者の方が、とても恐縮しておられましたが・・・諦めて帰ってきました。その時メールアドレスを控えてきました。それからひと月後、ユーチューブのアドレスがパソコンに届きました。当日の様子をすべてユーチューブにあげてくださったようです。1時間30分の講話を自宅で見ることができました。大変だったことでしょう。親切な対応に感激してしまいました。ユーチューブで見ながらお話を聞くと、雰囲気や人柄も分かるようで良い時間を過ごすことができました。五島・椿会のアドレスに感謝のメールを送りました。「緋色受く五島椿やペトロ祭」「令和へと網を降ろすや海の日に」味わい深い俳句です。パパ様が来られて、...枢機卿様の講和

  • 年間第20主日

    第一朗読では、エレミヤが死刑にされそうになりました。第二朗読では、パウロはイエスが、喜びを捨て、恥をもいとわないで、十字架の死を耐え忍ばれたとあります。そしてルカでは、イエス様は平和を待たらすために来たのではないと言われます。みな苦しみを伝えています。今日のお説教では、偽りの平和を平和と思ってはいけない。大切なのは、愛・平等の分かち合い・助け合うこと。と言われました。今週のカトリック新聞の古里慶史郎神父様(フランシスコ会)の解説をとても興味深く読みました。年間第20主日

  • 聖母の被昇天

    8月15日、敗戦記念日ですが、聖母の被昇天の日です。神父様は世界の平和を願いましょうといわれました。久しぶりに主任司祭の司式でした。私はいつも早朝ミサなので・・・主任司祭は手話を取り入れてミサを立てました。いつから始められたのでしょうか。主任司祭は命を削るほど忙しい仕事をこなしていられます。その上、手話もマスターされたのかと、こみ上げてくるものがありました。お説教では、マリア様がエリザベトと語ったこと、この前の章では天使ガブリエルと語ったこと、人は語り合うことら始めると言われました。身近な人でも、国でも、主張するばかりでなく相手を理解しようとして、語り合うこと。そして何よりも自分の内面と語り合うことも大切にしなくてはいけないと言われました。熱中症気味の体だったのですが、聖歌の練習をする。聖歌隊の段に並ぶ。ラテン...聖母の被昇天

  • 年間第19主日

    信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献下ました以前、聖書の分かち合いをしたときに「アブラハムは、神様が息子を取り上げるはずがないと信じていた」という考えの人がいました。イサクの命を返してくださるという考えでしょうか。一方で「アブラハムは何も考えていなかった。神様のおおせの通り、いけにえにしようとした」という考えもありました。イサクは、三人の天使が訪問したときに予言されたのでした…お説教は、毎日の中では。何かが突然起きるという印象があるが、何事も今までの続きの出来事。今の結果だけを見るのではなく、日ごろの積み重ねを見つめるようにしましょう。ガンジーが一番厄介だったのは自身だったと。自分の中に平和が築けるか、日々祈りましょう。教会に行ったときは、いつも図書館に寄ります。読みかけの本を持って行っ手し...年間第19主日

  • 夏期講座

    神学院で夏期講座が始まりました。やはり心配していた通り難しかったです。「近代・現代の人間論」哲学史の講義でした。なんだか昔に帰ったようで、分からないことを含めてとても懐かしかったです。Ⅰ.ヒューマニズムの人間観Ⅱ.啓蒙主義的人間学Ⅲ.ドイツ観念論における人間学Ⅳ.実存主義的人間学Ⅴ.現代における哲学的人間学9時から、3時半まで。神学院聖堂正面がガラス扉です。そのあとミサに与りました。今日はイエス様がお祈りを弟子たちに教える所で祈りがどれほど大切か、お説教をいただきました。夏期講座

  • 「つみびと」を読む

    山田詠美の作品はデビュー以来読んでいます。いやなときもあるのですが、たいてい共感できる部分があります。このところいろいろな人の手軽な話題作を読んでいましたが、読むから先に内容を忘れていってました…。この作品を読んで、書き手の重さを感じました。ずっしり読んだ手ごたえです。内容は子供を2人、放置して死なせてしまった女性の話で、事実をもとにしています。3代にまでさかのぼって、ルーツをたどります。これだけを描くのにたくさんの下準備があったことが作品の中から、作家の情熱や怒りとともに感じます。都会にはこんなにたくさんの人がいるのに、手を差し伸べる人がいなかった事実。自分の身近でもあるだろうと思ったこと。久しぶりに重い読書となりました。空虚間のようなものも感じました。「つみびと」を読む

  • コヘレトの言葉を読もう

    旧約聖書の中では、あまり取り上げられない章です。私はコヘレトの言葉が好きなので、一冊になって読めたのがうれしかったです。キリスト教は黙示文学的なものが多く、今の世よりも、来世に希望を持つような雰囲気ですが、コヘレトは違うのだそうです。コヘレトは言うなんという空しさなんという空しさすべては空しい(1.2)人生は短く、儚いという事実を表明しているそうです。「コヘレトが最後まで徹底して死を語り、決して死から目をそらさなかったのは、生に意味があることを示すためです。今を生きることがどんなに大切かを教えるためです。この一瞬の時を神が造ってくださったという恵みを、私たちに悟らせるためです」今を大切に生きなければ・・・。コヘレトの言葉を読もう

  • キリストの聖体

    今日はルカ書9.11-175000人の群衆にパンを与えた奇跡のお話でした。とても不思議な話です。第二朗読でパウロは弟子たちに聞いた話をそのまま書いています。信じているということです。だから今の私たちも同じように信じるのです。神父様のお説教でした。午後から堅信式がありました。141人の方が堅信を受けられました。聖霊が聖堂に満ち満ちたような雰囲気になりました。聖歌隊で、14曲を歌いました。みなさんとてもうれしそうでした。菊池大司教様が、「聖霊をいただいて、喜んで大切にすることも必要だけれど、パウロの書簡にあるように、私たちは頂いたい恵みで主の死を告げ知らせることもしなくてはいけません」励まされました。それは会衆一人一人が心に刻んだことでした。キリストの聖体

  • 澤田神父様の著書

    家庭の友に連載されたものが一冊になりました。2冊目です。聖書のたとえ話は、納得できるものもありますが、これはちょっと納得できないと思うものもあります。そういうものが分かりやすく説明されています。ブドウ園のたとえでは、朝から働いた人と夕方から働いた人の給料が同じというのは合わないと思うはずです。でも神様はすべての人を気に掛け愛しておられるのだと言われると、確かに親の愛はそういうものだと思います。放蕩息子のたとえも、兄の方が正しいと思いますが、弟は自らの過ちに気付いて父の謝りに行きますが兄は自分は正しく生きていると確信しています。これだけ頑張って生きているとか、あの人よりはましだとか思う傲慢な気持ちはゆくないと分かります。兄は回心の余地がないところが問題です。7回の70倍も赦しなさいというのも、神様からはすべて赦さ...澤田神父様の著書

  • 献堂20周年記念インターナショナルミサ

    新しい聖堂になって20年だそうです。今の聖堂もとてもきれいですが、木造の聖堂を懐かしく思う人良く祈れたという人も多いです。今日のお祈りは英語スペイン語ポルトガル語ベトナム語ポーランド語タガログ語インドネシア語共同祈願は中国語韓国語もあったか?インターナショナルでした。みなさんの表情が明るかったです。楽譜のノートは記念のファイルに挟まれていました。献堂20周年記念インターナショナルミサ

  • 聖書協会共同訳対談

    新しい聖書聖書協会共同訳聖書の翻訳事業の経過報告会に参加しました。今日は「詩編・コヘレトの言葉・雅歌」を中心にしたお話でした。準備に7年作業に8年かけて15年で完成されたそうです。どのような作業が行われたか、同志社大学神学部教授の石川立氏歌人春日いずみ氏の対談で進められました。コヘレト3.1-8天の下では、すべてに時機がありすべての出来事に時がある。生まれるに時があり、死ぬに時がある。植えるに時があり、抜くに時がある。殺すに時があり、癒すに時がある。泣くに時があり、笑うに時がある。嘆くに時があり、踊るに時がある。石を投げるに時があり、石を集めるに時がある。抱くに時があり、ほどくに時がある。求めるに時があり、失うに時がある。保つに時があり、放つに時がある。裂くに時があり、縫うに時がある。黙すに時があり、憎むに時が...聖書協会共同訳対談

  • 復活節第5主日

    今日は横浜市鶴見区にある、鶴見教会の創立70周年の式典に行ってきました。梅村司教様が来られて、11名の堅信式も行われました。平松神父様の行動力や心の広さにはいつも敬服します。暖かい良い教会です。梅村司教様は、ご聖体を授けるときに、一人一人の目を見つめて授けられます。最近このような司祭にお会いしたことがないので、感動しました。とても温かい司教様と思いました。冊子の裏表紙の写真が歴史を感じさせました。とても心のこもった冊子でした。ヨハネ13章34私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。遠くに行った人も、愛してくれていると、ミサの途中で感じました。復活節第5主日

  • 観想的祈りへの道

    祈りの集いに行きました。「観想的祈りへの道」というのは、イエズス会の霊操とは違うのでしょうか。心配しながら・・・でした。「人間の傲慢」ルカ9章33-37誰が一番偉いかについて弟子たちが話している場面です。イエス様の受難予告の後なのに、誰も理解せず。この世にどれほど競争意識のために不幸が起こっているか。これは原罪から来ている。神様を信じなければ、解決しない問題である。いじめも戦争も同じ。聖テレジアは、すべて父から頂いたものなので、自分は貧しいままで良いのだ。神の前ではどれだけ小さいもんになれたか。それが完徳の道。黙想についてのお話をいただき、黙想に入りました。落ち着いた良い時間が過ごせました。観想的祈りへの方法(1)呼吸を整える自分の息は奥深いものです。すべての生き物に共通でありながら、自分に一番親密で、周りの大...観想的祈りへの道

  • コンサート

    いつも聞いているオルガンですが、コンサートとなると改まって楽しめました。F.メンデルスゾーン前奏曲とフーガJ.Sバッハ「キリストは死の縄目につながれたり」復活祭《ヴィクティメ・バスカリ・ラデウス》による印象復活祭の後なので、迫力のある曲でした。会衆もマリアの賛歌、アレルヤ、詩編など祈りとともに歌いました。良い時間を過ごしました。コンサート

  • 復活節第3主日

    ミラノ外国宣教会の神父様のお説教は、いつも力強く説得力があります。いつまでも今までのことを振り返っていてはいけません。弟子たちは逃げ帰って、鍵まで占めていたのです。ペトロは3度知らないと言ったのです。でもイエス様は弟子たちのところへ戻ってこられて、網を下ろすように教え、岸辺で魚を焼いて、弟子たちの世話をしたのです。イエス様は復活されて、私たちのそばにいてくださるのです。だから前を向きましょう。そして周囲の人たちとかかわりあいながら、家族や共同体を大切にしましょう。連休だったので、泊まりに来ていた家族と近くの教会に行きました。とても活気のある教会です。復活節第3主日

  • 魂のゆくえ

    新聞の細い広告だったのですが、目に留まりました。タイトルか、写真の雰囲気か・・・主日のミサの帰りに渋谷まで行きました。お昼の部なのに、ほぼ満席でした。(小さい劇場ですが)2050年の地球はどうなっているか。私もこのままで地球は人が住み続けられるのだろうかと考えます。教会の苦悩も描いています。脚本はタクシードライバーを書いた人で監督もしています。主演のイーサン・ホークがすごくよかったです魂のゆくえ

  • 復活の主日

    神父様のお説教「一緒にいるとはどういう状態をいうのでしょうか?通勤の満員電車では、人がすぐそばにいます。くっつくように近くにいます。でも、その人は一緒にいる人ではありません。関係ない人離れてゆく人です。カーナビはどうでしょう。ずっと傍にいます。離れません。そして行く道を間違えても怒りません。では次に行く道はと教えてくれます。神様も同じです。いつもそばにいます。間違えても、大丈夫です。次の道を教えてくださいます。神様はどれほど、私のそばにいるか、今日から改めて考えましょう」ほんとに神様はいつも、すぐ近くにいてくださいます。ヨハネの福音書20章6節シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。8節それから、先に墓についたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。ペトロとヨハネの信仰の違いと、以前...復活の主日

  • 聖木曜日

    聖木曜日のミサを終えて、御聖体安置室をお参りする人の列です。洗足式には若い人や子供たちが並びました。パパ様が、宗派を超えて、民族を超えて、足を洗われたように、思いもよらない大きな好意を表しましょう。ご聖体が運び出され、何もない聖堂です。ぽっかりさみしさだけが存在します。帰宅途中で見た月は、まさにもうすぐ満月でした。今日もミサに与れない人と一緒のつもりのミサでした。聖木曜日

  • 受難の主日

    枝の主日です。聖歌隊も枝を持て歌いました。「キリストは神の身分でありながら、神と等しい身分であることに痼疾しようとは思わず、却って自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。お説教では、宗教の神は上にあってあがめられる存在になっている。けれどキリストは一度死んで一番下目で下ってゆき、すべてを見られた。そして天に上げられた。すべてを知る神である。と、言われました。すべての人間のためにキリストはおられる。深く深く祈ります。受難の主日

  • 四旬節第五主日

    ゲッセマネの園の絵を典礼に使える機会は少ないそうです。今日の第一朗読の「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことを私は行う」という箇所が、心に響きました。祈っているときに、自分に言い聞かせていました。第二朗読の「キリストのゆえに、私はすべてを失いましたが、それらをちり芥とみなします」パウロの言葉が、良く分かりました。お説教では、この姦淫の女と、シモンの家に香油を持ってきた女と、イエス様のかけた言葉は違う。みな同じように赦されたというのではない」四旬節に自分の罪を見つめましょうと。四旬節第五主日

  • 四旬節第4主日

    放蕩息子のたとえで、一番心配しなければならないのはお兄さんの方です。こんなに頑張っているのに、認めてもらえない。自分の方がよほど立派だと考える。こういうところに格差や差別が生まれて、不幸の元になる。というのが神父様のお説教でした。そうか、放蕩息子がダメ人間なだけでなく、立派だと思っている人にも問題があるのかと気づきました。回心する余地があるかどうか・・・ですね。回心はどうすることか・・・それが今、私の問題です。四旬節第4主日

  • 四旬節第3主日

    神様はいつも私のすぐそばにいてくださる。「わたしはある」と言われたから。実を結ばない木にも、肥料をやり世話をして待ってくださる。私たちはそれを信じて実を結ばなくてはいけない。それがどんな実でも構わない。人と比べる必要はない。粗末だからと嘆く必要もない。精一杯自分の実を結ぶこと。教会の前の桜が咲き始めていました。お花見で賑わいそうです。四旬節第3主日

  • 四旬節

    恒例の四旬節黙想会です。今年のテーマは「元イエズス会総長ペドロ・アルベ神父の霊性」列福調査が始まりました。1938年に来日以来、およそ30年近く日本での宣教を生きられた宣教師です。『他者とともに』戦時中山口で1カ月間刑務所の入れられた。スパイ容疑だった。静寂、1人でいること、過酷出来でしい貧しさ、「私の魂を訪れる来客」との心の中での会話。広島原爆の体験野戦病院となった修練院『他者のために』(コンパッション)苦しみも喜びもともに分かち合うこと他者のためにある人→寛大に自分を差し出してゆく勇気キリストとともに成長してゆく『キリストとともに、キリストのために』キリストとの出会い、交わりとキリストへの自己奉献神のみ手の内にすべてを委ねるほど深い霊的な体験はない。祈り主よ、今や、すべてのものを新しいまなこで見る恵みをお与...四旬節

  • 四旬節第2主日

    ルカ9章28-36節ご変容の場面でした。神様はいつでも私たちに寄り添ってくださっているけれど、常に私たちがそれに気付けるわけではない。むしろわからない。私たちの日々は舞台の上のようで、一生懸命演じているがその後ろには舞台裏があり、そこは神様のおられるところで光に満ちている。その光は垣間見ることができる程度だ。確かに存在する。その光が私たちを照らし助けてくださる。神様が居られると感じられる、謙虚で澄んだ心で日々を過ごしたいものです。四旬節第2主日

  • 四旬節講話

    上野毛教会で四旬節の講話がありました。「家庭の霊性とカルメル」というテーマでした。現代の社会の問題をカルメル会の霊性の面に関連づけ手のお話でした。「アビラの聖テレジアと十字架の聖ヨハネは霊的成長を、愛の成長として理解していた。自然的愛が浄化され、神の愛と一致し、神の愛へ変容されていくことが、完徳とされる」アビラの聖テレジアと十字架のヨハネについてもう少し知りたいと思いました。カルメル会では黙想会がよく行われているようです。今から馴染むのは難しいかなと思いましたが・・・四旬節講話

  • 灰の水曜日

    灰の水曜日です。近くの教会のお昼のミサで、神父様から灰をかけていただきました。ここの神父様は額に十字ではなく、頭の上に撒きました。「ひそかに祈るひそかに断食をする。それだけではいけません。あなた方は困っている人に今すぐ目を向け、行動に移しましょう。」神父様のお説教です。所属教会の神父様は、「目の中の丸太をとるためには深い回心が必要で、涙があふれるほどに回心をすると丸太は浮き上がります。そして取り除かれるのです。」とこの季節に、深い祈りのなかで、自分の信仰を見つめたいと思います。灰の水曜日

  • 佐藤優

    質問形式の授業なのだそうです。佐藤氏の著作は、いつも煙に巻かれるようで、分かったのか分からないのか分からないのですが、読んでいるときは面白いです。今回は具体的に面白かったです。後半の「バチカンの世界戦力」「救済のシステム」「ムスリムの自爆テロはいかにして生まれたのか」「アラブの春とIS」「なぜ日本人は憲法九錠を捨てられないのか」など興味深く読みました。佐藤優

  • 叙階式

    助祭叙階式がありました。聖歌隊の数が足りないということで、応援に行きました。主任神父様がとても人間味あふれるかたで・・・午前中の練習から参加しました。菊池功大司教様は、ご自分で車を運転して来られました。心のこもった叙階式でした。私たちも心を込めて歌いました。教会と助祭さんになられた方との交流も温かく、みなさんの喜びが伝わってきました。新たな人生を歩むというのはどんなことかと思いをめぐらしました。司祭に叙階される時もご一緒したいですとお伝えしました。叙階式

  • 魂の遍歴

    井上嘉浩死刑囚についての本です。16歳という若さで側近にまで上り詰めた過程が書かれていました。少年のころからスピリチュアルなものに関心を持ち極めてゆきます。良くある純粋な少年の魂が、出会ったものの方向がゆがんでいたために日本中を不幸にします。数々の事件にかかわり、26歳で逮捕され、48歳で死刑執行される。人間の歪み、社会の歪み、日本の歪み。そういう中で私たちは生きているのだと改めて思いました。魂の遍歴

  • 科学者はなぜ神を信じるのか

    筆者は東京大司教区終身助祭の方だそうです。ノーベル賞を受賞した小柴さんとお仕事をしたそうで学者さんです。コペルニクス・ガリレオ・ニュートン・アインシュタイン苦手な物理学の本を最後まで読めたのは、文章が分かりやすかったからかもしれません。宇宙の出来初めの話も面白かったです助祭さんが妻帯者なのを初めて知りました。科学者はなぜ神を信じるのか

  • 写真集

    聖母マリアの絵がたくさんあります。時代を追って集められていて、素朴なものから、ラファエロも。聖母マリアがどんな人だったか、どのように思われたのか、奇跡やご出現も地図入りで。楽しめました。聖母マリアを認めないという人はいるでしょうが、嫌いという人はいないのでは?と思いましたが・・・写真集

  • 新年会

    いよいよイエス様が公的生活に入られる第一歩です。女性にも、普通の人のためのお話でした。当時の人々のざわめきが聞こえるようです。ミサの後、聖歌隊の新年会でした。ごちそうは手作りです。皆さん素晴らしいタレントをお持ちです。楽しい話でこれからの活動の期待が高まりました。終わって外に出たら、ちょうど英語ミサが終わったところでした。教会の庭は、朝方とは違った、弾むような雰囲気でした。新年会

  • 年間第2主日

    今日の「聖書と典礼」は、一瞬、鳥が並んでいると思ってしまいました。ペリカンがイエス様に祝福をいただいているなんて・・・背景の金色と青は、神の作られた宇宙とイエス様の神聖を現しているそうです。「イエス様が、まだ時は来ていませんと、おっしゃいましたね。ときはいつでしょう。ヨハネの洗礼を受けた時からです。この時はまだお友達とお母さんと知り合いの家の婚礼に来ておられ、普通の生活でした」神父様のお話は面白かったです。それから十字架の時があり、復活の時があり、天にあげられた時があるのですと。今、このとき、わたしはふさわしいときを過ごしているか・新しい年に向かって、わたしの時を意識したいと思いました。年間第2主日

  • 主の洗礼

    主の洗礼の日に、成人式のお祝いがありました。ミサの終わった後に続き、新成人は神父様から祈りと祝福を受けました。新成人が3人も居られて、若くて活気のある教会だと思いました。主日のミサだったので、みなさんに祝福され、緊張の中にも幸せそうでした。主の洗礼

  • 重い皮膚病患者の治癒 1月11日

    新しく勉強会が始まりました。今度は福音書ではなく、教皇様の回勅を分かち合います。自分の考えを持たなくてはならないので、難しい気がします。そのあと昼のミサに与りました。ルカ5章12-16全身に重い皮膚病を患っている人がいた。その人はイエスを見ると「主よ、お望みなら、わたしを清くすることがおできになります」と願った。イエスは手を差し伸べて、その人に触れ「わたしは望む、清くなれ」と、仰せになった。するとたちまち皮膚病は消えた。そのことでうわさが広まり、ほかにも病気を治してほしい人がたくさん来ました。「しかし、イエスは人里離れた所に退いて、祈っておられた。神父様の説教「イエス様は優しい方と印象があるでしょう。でも、いつもそうだったわけではないようです。病気を治してもらって人もいるし、直してもらえなかった人もいます。不公...重い皮膚病患者の治癒1月11日

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