私が大事に思ってても、他人にはどうでもいいことだったりする。そのことで今まで何度も嫌な思いをした。私にとってはひとつのことが、すべての始まりだった。あの一言があったから信用したのに、相手は、それを言ったことを忘れ、後には正反対のことを言った
教室の机の上に花瓶を置いくという行為。生きてるのに。死んでるみたいに生きてた私が悪いの?友達を失くしたかわいそうな私達?嘘に嘘を重ねていれば戻れなくなるよ。私はあなたみたいな人達の前から消えたかっただけ。
以前、最初は楽しんでいたネットの人間関係に、しだいに疲れてしまい私は逃げた。消えたかった。誰にも関わりたくなかった。死をほのめかしたのは悪かったと思ってる。もし、まだ生きてますとあの時の知り合いに告白したら、生きててよかったとは言ってくれな
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過去の幸せな思い出が現在の私を支えてる。極端なことを言えば、今が幸せかどうかは過去がすべて。わずかでも支えがあることには感謝している。成人式で綺麗な着物を着ている人達は、この先つらいことがあったときの乗り越える力が、他の人とは違うのではない
私はどこか人と違っている。劣等感が拭いきれない。今の仕事に不満はないけど、このまま続けていくのが良いことなのかわからない。かつてあったはずのささやかな誇りが、日に日に薄れていってる気がしてならない。いつから人と違ってたのかと振り返ってみると
鬱状態のとき・・・「どうしてはたらかないの?」と言われると、「どうしてしなないの?」と言われている気分になった。無能だと思われ、怠けだと思われ、責められている・・・。それが被害妄想なのはわかってるし、理解されないのもわかってる。話したところ
前に書いた他にも接客業をしていたことがある。前と同じでお客さんと接するのはむしろ楽しかった。でも、店のスタッフだけのときは苦痛だった。いじめがあったわけではない。些細な言葉に傷ついたり、行くたびに自信を奪われていく。お互いの勘違いで険悪にな
過去の仕事のことは思い出したくないと思っていた。笑い話にもできない嫌なことばかりで、人に言えるような思い出もない。前のと違う飲食店の裏方は仕事としては簡単だった。続けられなかった理由は、上司が他のスタッフに激怒してる様子が、見ていて精神的に
接客のバイトを選んだのは、裏方の単純作業では退屈だと思ったからだった。次々にお客さんが出入りする店で、初対面の人と短い時間で話すのは苦痛じゃなかった。だけど、続かなかった。狭い店内に店員が5人。大きな女性が1人だけ座っていて、ぬいぐるみを持
忘れたいのに、寝る前なんかに時々思い出してしまう。人のために働いていると胸を張って生きている人達に騙されたこと。あの人達は結局、私利私欲の行為で弱者を欺き傷つけていた。あたかもそれが正当な行為のような言い訳を笑顔で繰り返し、自分達のしている
誰にも会いたくないという願望が年々強くなる。ネットもしないほうがいいのかもしれない。人=敵ばかりに思える。人と関わらないほうが安全で平穏に暮らせる。今は半ひきこもり状態だけれど、このままでもいいと思ってる。もっとひきこもりたいという願望もあ
またいつ来るかわからない地震のことや、今もどこかで続く避難生活や風評被害や・・・気にしてたらブログが書けなくなってしまった。無頓着になるよりはマシかな・・・。人の心を傷つけてまで目先の欲望を叶えたいとは思わない。
幸せだった人が突然不幸にあうと、より一層悲しみを深く感じ、憐れみが集まる。そういう話を聞いた人たちは、自分がいかに幸せかを実感するそうだ。普通に生きられる幸せを大事にしようと思うそうだ。それは優越感に違いないけど、悲しみながら言えば許される
震災から1年の日にブログを作る。こんなことしてていいのかなと、あの頃にも思ってたことを今日も。運良くと言っていいのか大きな被害を受けなかった。揺れにも気付かなかったことが申し訳なく感じる。テレビでは震災の特集がたくさん。津波の映像は私でさえ
ひとりでいろいろ思うけど、誰にも言わないまま消えてしまう。文章にしたら何か変わるのか・・・変わらないかもしれないけど、心の内を綴ってみることにした。後ろ向きなことを書きそうなので、ブログタイトルもそういうふうになった。名前は未定のままでもい
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