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  • 私が理事長をしているNPOがクラウドファンディングを立ち上げました。

    会長の岩﨑です。私はNPO法人FirstStepの理事長もしています。活動内容はひきこもり・不登校の当事者・家族支援を行っています。その団体は東京の弱小零細NPOなのですが、リーフレットやチラシを作成しようと思い、クラウドファンディングによるプロジェクトに挑戦してみました。今や社会全体で取り組みが必要な「ひきこもり」について、当事者やその家族だけではなく多くの人により知ってもらうため、フライヤー制作のプロジェクトを立ち上げました。次をクリックいただき、是非ともご協力、拡散を希望いたします。https://camp-fire.jp/projects/view/756389なお、NPO法人FirstStepのホームページも是非ご覧ください。https://1st-step.tokyo私が理事長をしているNPOがクラウドファンディングを立ち上げました。

  • 久しぶりに投稿します。

    無料のgooブログユーザーなので、久しく投稿してなかったら、勝手にデザインが変更されるようみたいですね。ブログアップすると元のデザインに戻るということなので、今書いてます。私は、ひきこもり・不登校のNPO法人FirstStepの理事長になり、そちらの活動が忙しく、こちらのブログがおろそかになっていました。五街道ランは制覇しているのですが、中山道や奥州道の記録が中途半端になってました。その時の写真は残っているので、時間を見つけては思い出しながら記録したいと思います。それと、外国珍道中は北欧の旅(フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、スゥエーデン)をしていますので、その記録も残そうかと思います。※写真はフィンランドです。また、現在、変形性膝関節症で走っておらず、水泳のリハビリで再び自分の旅を行うつも...久しぶりに投稿します。

  • 都電荒川線沿いを都内探訪を兼ねてスロージョギング

    来る9/30(土)に都電荒川線沿いを都内探訪を兼ねてスロージョギングしたいと思います。ペースは早歩きで追いついていける程度のゆっくりしたペースでジョギングします。年配者にとって体に良いと思われるペースでJGOします。ですから、早歩きの方も参加可能です。物足りない方はステップ回数を多くしてJOGしてください。それだけで、かなりの負荷になります。疲れて嫌になったり、無理だと思ったら途中ギブアップして都電荒川線で帰れます。(大塚駅、王子駅で降りればJRに乗れます。)予定(変更有り)高田馬場駅早稲田口のロータリーの中で12時集合~学習院下~日本一?急坂な車道~雑司ヶ谷鬼子母神、手塚治虫のアパート並木ハウス~雑司ヶ谷霊園(竹久夢二、夏目漱石、ジョン万次郎の墓)~旧宣教師館~神取忍のLLPW-X~大塚駅~パワースポッ...都電荒川線沿いを都内探訪を兼ねてスロージョギング

  • 若潮マラソン&館山秘密基地BBQとワラーチ作成教室

    画像はリトアニアにてワラーチを履いてジョギングする私(会長)長らく投稿しておりませんでした。すみません。その間、色々なことがありました。つい最近では、北欧とバルト三国、1月間の長旅しておりました。そちらでも、、ワラーチを履いてジョギングしています。その報告、及び中仙道ランニング、奥州街道ランニングの報告は後日にさせていただきます。さて、来年の1月29日(日)館山市にて若潮マラソンがおこなわれます。会長のヨレヨレ姿(2012年若潮マラソンにて)当会では毎年、競技参加、私設エイドでの応援を行ってきましたがここ数年のコロナ騒動で大会中止となっていたためできませんでした。来年は大会が開催される予定ですので、館山の当会、秘密基地でワイワイやりたいと思います。当四ツ谷走Run会‼関係者、およびFirstStep関係者...若潮マラソン&館山秘密基地BBQとワラーチ作成教室

  • 馬籠宿から帰京@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    ひきつづき、2020年10月20日です。水車小屋がありました。しかも、この小屋について、説明書きがありました。この辺りは島崎藤村に所縁があるものばかりですね。-----------以下、ウィキペディアより島崎藤村島崎藤村(しまざきとうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)-1943年(昭和18年)8月22日)は、日本における詩人又は小説家である。本名は島崎春樹(しまざきはるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父である島崎正樹をモデ...馬籠宿から帰京@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 静かな大妻籠@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    2020年10月20日の続きです。大妻籠(奥妻籠)にはいりました。とにかく渓流に沿って坂道にある静かな小規模な宿場でした。本陣や脇本陣といったものはないですが、妻籠宿と馬籠宿に挟まれ、世間の時代の流れに取り残されたような間宿です。旅籠つたむらや(今は民宿として泊まれます)今度こちらの方に来て泊まるなら、こんな静かな宿場が良いなと思いました。それも、あれこれ観光するのではなく、渓流でも眺めながら、または釣りなんかしながら、ボーっとしていたいような雰囲気ある宿場かな。この大妻籠は口コミで外国人に人気があり、逆に日本人の方が少ないそうですよ。コロナ禍で外国人旅行客の少ない今はチャンスかもしれません。建物の雰囲気がわかる動画がありましたので載せます。古い町並南木曾町大妻籠長野県お知らせ「忠犬」?放し飼いの犬がいる地域な...静かな大妻籠@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 妻籠宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    南木曾(なぎそ)駅竹林の旧中仙道かぶと観音木曽義仲が兜の八幡座の観音像を祠ったのが始まりといわれるお堂この「八幡座」、別名「神宿(かんやどり)」というのに興味を持ちました。-----------刀剣ワールドより抜粋させていただきました「八幡座」(はちまんざ)とは、「兜鉢」(かぶとのはち)の頂点に存在する穴と、その周囲の金物装飾を指します。「兜」の頂点には、「天辺の穴」(てへんのあな)と呼ばれる穴が開けられ、その縁は「台座」、「菊座」(きくざ)、「上玉」(あげたま)と呼ばれる金物装飾が施され、戦勝を祈願するための重要な意味を持つようになりました。-----------では、何故、てっぺんに穴が開いているのか?疑問ですよね。-----------同じく、刀剣ワールドより八幡座の穴八幡座は本来、八幡神を勧請するために...妻籠宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 5/14(土)館山で旅ランやります。

    5/15(土)千葉県の館山にて旅ラン(スロージョギング、早歩き程度)をやります。(雨天や希望者がいなければ中止)北条海岸集合(とまや食堂前の公営駐車場あたり、館山駅から5分くらい)~沖ノ島~赤山地下壕跡~国登録文化財、鈴木家住宅~ヒカリモ生育地~沼サンゴ層~沼のびゃくしん~館山藩陣屋跡~八遺臣の墓~館山城~北条海岸解散距離は約15km程度かと思いますが、沖ノ島周遊、赤山地下壕の見学(200円)をするので4,5時間はかかるかと思います。メンバーにより距離を短めに変更します。集合時間はまだ未定ですが、参加者など確定したら各自にメールします。終了後は希望者で北条海岸にある会の秘密基地で焚火しながらBBQします。また、ちかくに、日帰り温泉のたてやま鏡ケ浦温泉(850円)があります。旅ランは、健康であれば、どなたでも参加...5/14(土)館山で旅ランやります。

  • 羅天(らてん)の難所@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    2020年10月20日です。ホテルを暗いうちに上松駅に向けて出発しました。旧中仙道を逆に歩いていきます。寒いので、途中暖かい缶コーヒーを買って飲みながら歩きました。指先が冷たいので、缶コーヒーはすぐ温くなっていきます。古くからある旅館、田政のある広小路信号が駅入り口です。30分ぐらいかかったでしょうか?駅に着いた頃から明るくなりました。駅にはまだ人がいなくて寂しい限り。始発で野尻駅に向かいました。駅から旧街道に戻り、曲がりくねった街並みをゆっくりとみながらJOGしました。曲がりくねっているのは外敵を防ぐためらしいです。七曲りと呼ばれてます。旧街道らしい町並みですが、どの家屋も改築がされていて感動的な建物は少ないです。まあ実際に住むには改築していかないと無理ですよね。西のはずれ屋号が「はずれ」の家野尻宿の京(西)...羅天(らてん)の難所@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 野尻駅で一杯@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    旧中仙道、須原宿に入りました。ここで水を一杯いただきました。餅つき用の臼ですかね。木村本陣跡西尾脇本陣跡西尾家は木曽義元の家臣で、その後は尾張藩の山林取締を勤めたそうです。問屋と庄屋も兼ねていました。酒造業(銘酒「木曽のかえはし」の蔵元)は江戸時代創業で現在に至っているそうです。水舟「寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月出つるほとの空もたにもなし」正岡子規の句のようです。清水医院跡島崎藤村「ある女の生涯」の舞台で建物は愛知県の明治村に移築されてしまっているそうです。明治村に移築された清水医院(レトロな建物を訪ねてよりお借りしました)実は島崎藤村の作品は読んだことがありません。知っているのは島崎藤村の詩を曲にした舟木一夫の哀愁ある歌「初恋」です。初恋☆舟木一夫いちおう、こういう朗読がありましたので載せます。【朗読】島...野尻駅で一杯@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 小野の滝と木造吊り橋@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    2020年10月19日つづき木曽古道(小野の滝手前)国道に合流すると木曽八景のひとつ小野の滝がありました。小野の滝昔の御嶽信仰の人々にとっては水行の場所らしいのですが、勢いが凄すぎませんか?これじゃ、無理でしょう!よっぽど水量が少ないときでないとケガしちゃうよね。水行と御嶽山ということでオマケの動画をひとつ。御嶽古道このくらいの水行ならできるかな。夏の暑い日に涼を得るためなら気持ちいだろうなぁ。でも寒かったら無理です。滝を使ったを苦行は日本独特なものですかね?滝壺の脇には不動尊の御堂石碑、常夜灯(1821年)もありました。葛飾北斎「木曾海道小野ノ瀑布」北斎の絵から見ると滝壺の近くに中仙道がありますが、実際に旧中仙道は滝壺近くを通ってました。萩原の一里塚跡(日本橋より73里目)に榎と紅葉の合体木がありました。です...小野の滝と木造吊り橋@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 寒いぞ、木曽川沿いの上松宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    朝食は予定より早く用意が出来ていたので、早めに頂き6:30に出発しました。外に出た途端、冷たい空気を全身に浴び、すぐさま雨具の上下を着ました。この日は一日中寒かったです。桟の跡国道の下に石垣があるが、これが桟の跡です。桟は川を渡る橋ではありません。戦国時代に断崖絶壁の際を通るために作られた桟道のことです。波計桟道(はばかりさんどう)と呼ばれていたようです。波計は「憚る(進めないでいる。行けないでいる。)」の当て字でしょうか?桟道といえば蜀の桟道が有名ですよね。蜀の桟道ですから、ここは中仙道でも難所でした。桟温泉を早朝出発しました上松宿宿場北入口の十王橋玉林院この左裏手に木曽氏舘跡(19代木曽義昌の弟義豊が上松蔵人と称して居館を構えた)といっても誰のこっちゃと思うのですが、後々でここはなんだっけ?と思って調べると...寒いぞ、木曽川沿いの上松宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 桟温泉@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    引き続き2020年10月18日です。突然、「ここは中平」という案内板を過ぎたあたりで旧中仙道は消滅していて、トンネルをくぐるようになっているのですが、そのトンネルが通行止めになっていました。真っ暗なトンネルしかたなく、迂回して国道19号線に出ることにしました。御嶽山遙拝所(鳥居は1632年建立)樹木に覆われていて御嶽山は見えません。(遥拝:遠くへだたった所から拝むこと)御嶽山信仰って「六根清浄」と唱えながら白装束で登る自然崇拝信仰ですよね。六根清浄-----------ウィキペディアより六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である眼根(視覚)耳根(聴覚)鼻根(嗅覚)舌根(味覚)身根(触覚)意根(意識)のことである。---...桟温泉@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 冬のスオメンリンナ島、その2@12月のフィンランド

    島民の住宅静かな静かな島内を散策します。まずは、島内唯一の教会へこの教会でアレっと気が付いたのですが、よく周りを見ると日差しがあるところではキラキラ光るダイアモンドダストなのでした。天気は快晴でしたし、日差しがいつまでも朝日のように低いので、すぐ終わることなく、いつまでもダイアモンドダストでした。スオメンリンナにてダイアモンドダスト?教会を囲む大砲(本物)のオブジェ次に戦争博物館に行ってみました。しかし、厳冬期なので休館でした。(この時はまだ気が付いていないのですが、島のほとんどの観光施設は寒くて休館なのです。あたり前田のクラッカーですね。古いか!)しかたなく、その前に飾ってあった大砲と一緒にパチリ博物館のさらに奥にはスオメンリンナ刑務所があるらしいのですが、周りに人がおらず、なんとなく行きにくくてやめました。...冬のスオメンリンナ島、その2@12月のフィンランド

  • 冬のスオメンリンナ島、その1@12月のフィンランド

    昨年の12月にフィンランドの孫に会いに行ってきました。その時にヘルシンキ近くの二つの島に行きましたので忘れてしまわないうちにBlogUpしておこうと思います。ただし、今回は走ってません。何故なら、真冬の寒さで走る気にはなれなかったからです。(ただ、それでも短パンで走っている人を見かけましたが・・・)特に、今回はフィンランドの通常の気温より寒かったようでヘルシンキの最低気温はマイナス19度でした。まずは、スオメンリンナ島からスオメンリンナ島はヘルシンキの沖合約2.6kmのところに浮かぶ4つの島からなる海洋要塞で、約800人の島民がいる島です。(スオメンリンナ→スオミの島→フィンランドの島)ヘルシンキの人気観光スポットなのですが、真冬に訪れる人はあまりいません。ヘルシンキ港から出発するのですが、前日に出発する場所を...冬のスオメンリンナ島、その1@12月のフィンランド

  • 上の段地区/福島宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    ひきつづき2020年10月18日、福島宿です。木曽駒山系からの伏流水で造られた銘酒の蔵元、七笑(ななわらい)酒造のお店がありました。創業は明治25年、美しい店構えです。------------「七笑」名前の由来(酒通販、CRAVITONより)「七笑(ななわらい)」の名前の由来は、さかのぼるとひとつの地名に行き着く。この地の歴史に残る「木曽義仲(きそよしなか)」は、武士の始祖とも言われる豪傑。源平合戦では見事に勝利をあげ天皇から征夷大将軍を拝した有名な人物。その義仲がまだ「駒王丸(こまおうまる)」と呼ばれていた幼少のみぎりに、木曽駒の山奥に自然児として過ごした美しい場所があった。そこは、木曽川の源流木曽駒高原(きそこまこうげん)に実在する「七笑」と言う名を持つ地籍だった。屈しない強さを誇る木曽義仲が、最も大切にし...上の段地区/福島宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 福島関所へ@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    写真は矢崎旧道木曽義仲が育った中原兼遠の屋敷があった近くに来ました。屋敷はもちろんなくて、畑になっているみたいなので、そこにはいきませんでした。天保11年(1840)建立の二十三夜塔と薬師堂手習天神たぶん、手習いとは、習字のことなのだと思いますが、手習いという言い方は今はあまりしませんね。自分に当てはめた言葉の使い方なら、せいぜい、「〇十の手習い」ぐらいでしょうか?五十の手習いは自分には海外の一人旅とマラソンでした。六十の手習いは旅ランとウルトラマラソンでしょうか。七十の手習いはウルトラハイキングになるかもしれません。社殿(江戸末期の上田村の宮大工武居仙右衛門作)の左右に防犯カメラがあって、シッカリと見張っています。小銭がなかったので手だけ合わせてきました。上田口交差点手前で細い下り坂に入ります。小さな緑色の立...福島関所へ@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 小沢村のヤバそうな鉄の橋/福島宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    この日は2020年10月18日日曜日です。(まだ中仙道は半分までしか書いてなくて、一体全体このブログはいつ書きあがるのだろうか?)まあ、ブーたれるのはやめにして、とにかくその時のメモをみながら書き進めたいと思います。東京から木曽福島(道の駅日義木曽高原バス停)まで高速バスで行くことにしました。多分、この方法が一番早くて安上がりな行き方だと思います。コロナの影響なのか、高速バスはガラガラでした。というより、ほぼ個人貸し切りバス状態(私を含めて2名)でした。ガラガラの高速バス高速バスは途中、事故渋滞がありました。数名のバイク集団のうち、一人が単独転倒事故を起こしたようで、他の車がぶつかったというような事故ではなかったみたいです。バスの中から八ヶ岳到着時間は30分ほど遅れました。12:30頃の到着です。バスを下車して...小沢村のヤバそうな鉄の橋/福島宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 街道中間点@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    ひきつづき2020年10月7日の報告です。宮ノ越宿のはずれに道の駅日義木曽駒高原があり、そこから東京行きの高速バスがあるので、そこまでJOGります。第5中仙道踏切(原野町駅方面の眺め)原野駅近くの景色で、かろうじて昔の家の名残が感じられました。原野駅入り口T字交差点あたりの石塔群大きな石仏石塔群(無佐澤橋をすぎてすぐのところ)石仏石塔群を過ぎたところに明星岩が木曽川越しに見渡せる明星岩公園がありました。明星岩この岩は山腹にある巨岩なんです。そして、白い大きなカジカが棲みつき、朝日が当たると輝いたということなのですが、・・・白い大きなカジカ?明星岩:写真は木曽町のHPよりお借りしました。この岩の民話があります。------明星岩(木曽の昔話より)原野の向いの山の中腹に、原野を望むように大きなとんがり岩が突き出して...街道中間点@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 義仲の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    名前の良くわからない花?有栖川宮小休所跡碑有栖川宮というと麻布の有栖川宮記念公園とニセ有栖川宮詐欺事件しか自分は良く知りません。折角なので調べてみました。注(以下、ウィキペディアより)---------①有栖川宮(ありすがわのみや)は、江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家。伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲親王家の一つ。第2代良仁親王は皇位を継ぎ、後西天皇となった。②有栖川宮詐欺事件2003年4月に発生した詐欺事件。宮家・有栖川宮の祭祀継承者で、高松宮宣仁親王のご落胤であると偽った男性と、その妃殿下と詐称する女性が偽の結婚披露宴を開催、招待客から祝儀等を騙し取った。---------写真は悲恋のストーリーの皇女和宮の悲恋の相手、元婚約者でイケメンの有栖川宮熾仁親王(とその奥様)がここで休んだという記念碑な...義仲の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 巴御前の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    軽のデコトラを発見!山道を下る途中で見つけました。近くの板金工場の方が所有者らしく、エンジンをかけてキラキラデコレーションを見せていただきました。ちゃんと車検も通っているし、相当なお金がかかっていると思いますね。乗ってみたい気がします。天降社の大モミジ(木祖村天然記念物)尾州御鷹匠役所跡この辺りに巣山に入り鷹のヒナを捕獲し飼育調教した拠点があったようです。注:尾州とは旧国名・尾張国の別称で、木曽川流域の愛知県尾張西部地域から岐阜県西濃地域のこと。この辺でウロウロしていたら地元の人に呼び止められ、この辺りの歴史を色々と説明してもらいました。藪原宿は昔の名残は殆どないということで、行ってみると宿場であったと思われる面影は僅かでした。藪原宿防火高堀跡元禄八年(1695年)に大火があって藪原宿は全焼したようです。その教...巴御前の宮ノ越宿@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 鳥居峠越え(藪原宿)@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

    帰国者の自宅隔離期間が昨日までで終わりました。隔離期間中は意外にキツイです。外に出られないというストレスと、スマホを通して在宅確認報告(現在地の報告)、健康状態報告が何度も鳴るのですが、ウンザリするほど嫌になりました。でも、コロナ発症もなく、一安心です。早速、明日は飲み会を入れてます。さて、今日からタイトルの表現方法を改めました。でないと今までの方法ではすべてタイトルが同じに見えてしまい、何が書かれているのか最後までタイトルを読まないと一目でわかりません。英語式ですね。さて、今回は2020年10月7日です。奈良井宿から藪原j宿、宮ノ越宿を経て中仙道中間地点までJOGです。その近くの日義木曽高原バス停から高速バスで帰京する予定です。民宿いかりやの奥さんが帰り際に手作りのススキとシュロ?の葉で編んだバッタのお土産を...鳥居峠越え(藪原宿)@旅ラン「中仙道走膝痛シ」

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その7(一里塚を発見!)

    というわけで、漆の郷、平沢に到着しました。今日の日付は2020年10月6日です。雰囲気的には、他の宿場町とは違う感があります。庇が大きく張り出した家漆工房巣山(国の登録有形文化財)この辺りは巣山という名字が多いようです。漆職人さんも巣山という人が多い気がします。苗字を調べたら、やはりこの地が本拠地のようで、尾張藩が所有する鷹を繁殖させるため巣を保護した山を守って同藩主から江戸時代に賜ったと伝えるとのことです。旧街道はJR中央線のガードをくぐると奈良井川に沿った土手道になっていました。この辺りに橋戸の一里塚があるはずなのですが、見つかりません。しかし、発見したのですそれも、発見したのはブログを書いている今です。ガイドブックをよくみると『奈良井川の反対側に塚はある』と記されていました。あの時、反対側なんて全く気にし...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その7(一里塚を発見!)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その6(漆器の村)

    古民家とは、ちょっと雰囲気の異なる建物がありました。シェアハウスnoice坂勘とかいてありました。白壁が綺麗ですね。若い人たちが古旅館を再生させた地域の居場所のようです。旅館としても営業してるみたいです。-12degreesinJapanesecountryside贄川駅が出てきます。まるはち漆器店(ただし、暖簾や看板には「まるはち漆漆器店」となっていた?)これから行く奈良井宿手前の漆器の村、旧平沢村への期待がはずみます。国の重要文化財・深澤家住宅三棟---------国指定文化財等データベースより深澤家住宅は,中山道木曽路11宿の北端,贄川宿にある。贄川宿には,行商を生業とする商人が集住しており,深澤家もそうした家の一つであった。宅地は中山道沿いの短冊形で,嘉永7年(1854)の竣工と伝えられる主屋が街道に面...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その6(漆器の村)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その4(お代官様)

    旧若神子村から贄川宿にかけては水場が連続して見られます。水屋には津嶋牛頭天王(愛知県津島神社:牛頭天王信仰の一大拠点)が祀られています。牛頭天王とは何か?という疑問が生まれました。牛頭天王像津島市・興禅寺蔵牛の頭の天王?牛の頭ということは、角の生えた鬼でしょうか?曾我蕭白《雪山童子図》鬼(ウィキペディアより)ということで、困ったときのウィキペディアを見てみると---------牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた]。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その4(お代官様)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その3(初期中仙道)

    この日は引き続き2020年10月6日です。見ることのできなかった『日出塩の青木』はネット検索したところ以下の様でした。写真はお借りしました。「日出塩の青木」とは・・・ネットでの説明では、その青木はシンセイという会社の裏手にあるのですが、そこには、ある貴人の塚の上に大きな桧(ひのき)が植えられていたそうです。その桧は銘木と歌われ、洗馬宿の肘掛松とともに「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」歌われたそうです。とういうような事が書かれてました。意味わかりますか?ある貴人の塚?お江戸屏風?青木じゃなくて桧?全くチンプンカンプンです。写真の様子を見ても行かなくても良かったかな、という思いです。木曽路の入り口、桜沢村にきました。旧中仙道をJOGする自分は、和田峠から下諏訪を通り、塩尻峠を越えて、塩尻から木曽路へと...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その3(初期中仙道)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その2(通れないよぉー)

    洗馬宿の様子、人気がなくて寂しいなぁ。線路を渡って歩いた向こうに洗馬神明宮の入り口がり、急な階段の参道がみえた。芭蕉句碑信濃の洗馬入梅はれのわたくし雨や雲ちきれ芭蕉正直、意味が良くわからない?牧野一里塚跡(日本橋より60里目)当時はどういう状態の一里塚であったのか全く分からないみたいです。ただ、大きな大木があるので、似たような感じであったのでしょうか?本山宿に入りました。左は秋葉社、そして本山宿下町石像群多分この近辺の石像を集めたものだと思います。そば切り発祥の地本山そばの里蕎麦はもともとソバの実をそのまま茹でたものや、粉にひいて捏ねて一塊にして茹でたもの、いわゆる『そばがき』が主だったそうです。ここが蕎麦を切った(要するに麵状にした)発祥の地らしいということなんですけど、本当のところは「そば切り」が、いつ・ど...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その2(通れないよぉー)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その1(邂逅)

    この日は2020年10月6日です。塩尻に一泊しました。昨日、最後にJOGした地点に忠実に戻りました。カネホン商店(屋号が曲尺の中に本の字)よくみえないが、中央入り口に屋号の書かれた暖簾がぶら下がっています。立派な家屋で酒屋らしいのですが、なんとも入りにくい感じですね。今日はココからスタートです。平出の一里塚南塚、北塚の間に近所にある昭和電工の通勤自動車がバンバン通る道路(旧中仙道ですけど)があり、しかも大変珍しいと思うのですが一般住宅も一里塚の間にデーンとありました。写真右が南塚です。南塚は「勘助子育ての松、平出の乳松」と言われていて、「天文14(1545)年、塩尻の桔梗ヶ原で武田晴信(信玄)と小笠原長時が戦った時、山本勘助が戦場で泣き叫ぶ赤子を発見した。体が不自由な勘助(隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・木曽義仲の洗馬宿から奈良井宿、その1(邂逅)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その3(山賊焼き)

    引き続き、2020年10月5日です。塩尻峠を過ぎてから、この花はもう存在が当たり前のように咲いておりました。道はこんな感じです。果樹園の中をJOGします。リンゴですかね。でも丸くないし、・・・?食べればわかるんですが、都会育ちは知らないことばかりです。柿沢地区というあたりに塩尻峠の合戦で戦死した千余名の亡骸を埋葬した首塚胴塚があるのですが、案内板をみても見つかりません。あっちをウロウロ、こっちをウロウロ・・・いやなんでも人の家の敷地の中じゃあるわけないよなぁ???もう、見つけるのは諦めました.GoogleMapで調べてみると、やはり敷地の中にあるみたいでした。まあ、見つからなくて良かったかも。悲しい塚ですから。そのすぐ先にあった男女双代道祖神風化してしまい、うっすらとその全体像が分かる感じの道祖神です。そして、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その3(山賊焼き)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その2(妄想水戸天狗党)

    引き続き2020年10月5日(月)です。塩尻峠への登りです。巨大な石が無造作に転がっていました。諏訪七不思議のひとつらしく、木曽路名所図解というものに著されているとのこと。----------(写真の案内柱)『この巨石は昔から『大石』と呼ばれている。「木曽路名所図会」にも、「大石、塩尻峠東坂東側にあり。高さ二丈(約6m)ばかり、横幅二間余(約3.6m)」と記されている。伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われている。ある時のこと、この大石の近くで旅人が追いはぎに殺され、大石のたもとに埋められた。雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石の所で青い火がチロチロと燃えていたという。また、この辺りは昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている提灯のローソクを奪ったとい...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その2(妄想水戸天狗党)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その1(道に迷う)

    この日は2020年10月5日(月)です。----------ちょっとブログとは的外れな話題ですが、思い出したので・・・この前日に、とあるカレー屋で食事しました。値段的には一人1500円以下くらいではなかったと思うのですが見た目にも豪華で非常に美味しく、しかも量が沢山あったのでその写真をのせます。食べたことの無いものもありました。中仙道の写真を振り返ってみていたら、その前日のカレーの写真があり、鮮明に覚えていましたのでまあ、おまけの情報でした。----------さて、ガラガラの高速バスを利用して下諏訪に着ました。時刻は10時40分でした。まずは、下諏訪宿から塩尻宿を目指します。すぐ国道20号線は第一交通タクシーの辺りから旧中仙道は別れていきます。道幅が旧道らしい感じです。左手に魁塚と書かれた案内板がみえますが、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・雀おどり、その1(道に迷う)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その4(藪歩き)

    黒曜石パーライトの加工工場黒曜石とは----------(OxfordLanguagesの定義)火成岩の一種。黒緑色でガラス質。割れ目は貝がら状。装飾用・印材・文鎮などにする。石器時代には、やじり・刃物などの材料にした。写真はウィキペディアより----------そしてパーライト(発泡体)とは----------(ウィキペディアより)パーライト(Perlite)とは、火山岩として産出されるパーライト原石や珪藻土等を高温で熱処理してできる人工発泡体である。ガラス質の岩石中に含まれる構造水がガス化して発泡する。「真珠石」とも呼ばれる。----------黒曜石は火山の噴火によって作られたガラス質の石で刃物として石器でよく見る石ですね。パーライトの方は黒曜石を1000度程度で熱すると発砲し冷却してできるもののようで、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その4(藪歩き)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その3

    数日前にフィンランドから帰国し、現在自宅にて自主待機中であり、時間が出来ましたので、貯めに貯めたブログをまとめてアップすることにしました。それでは、2020年9月30日のブログの続きから開始です。!峠付近にさくトリカブト峠からはススキなどの背丈の高い草が生い茂る道になり、どこからどこが山道なのか?注意しないと道を見失うほどでした。足元はガレ場なのですが、足裏のゴツゴツ感を通してのみ石ころを感じることができます。その後、ジグザクの急な坂が続きました。和田峠を下るいくら下ってもガイドブックに書かれた昼食をとる予定の苔むした地蔵が鎮座する水場はありません?あれっ!通過しちゃったのかな?そんなわけないのですが、…。草が茫々に生い茂ってましたから見失ったのかもしれません。結局、西餅屋立場跡まで降ってしまいました。しかたな...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その3

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その2(人のいない峠です。熊は?)

    接待茶屋の美味しい水場いよいよ和田峠越えが始まりました。2020年9月30日コロナ禍で人のいない和田峠越えです。避難小屋と三十三体観音和田川沿いを和田峠に向かって登っていきます。復元された茅葺屋根の接待茶屋跡茶屋の中に竈(かまど)がありました。実際に使用してますね。竈は土と水と藁だけで作れるんですよ。参考:KAMADOPROJECT竈のつくり方いつか、自作で作りたいです。茶屋の前の水飲み場(名水)ちょうどペットボトルの水が減っていたので補給これで、しばらく水の心配無用石灯篭こんな山中の石灯篭に夜中、和ろうそくが灯っていたら、怖いだろうなぁ。近藤巡査殉職地碑明治22年(1889)、上田警察署丸子分署に勤務していた、「近藤谷一郎巡査」は、窃盗犯人を「下諏訪警察分署」に護送する途中、近くの「谷川」で犯人と格闘となり、...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その2(人のいない峠です。熊は?)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その1(和田峠口まで)

    民宿みやの朝ご飯は豪華でした。もう、新鮮な野菜が美味しくて美味しくて沢山食べました。作る料理に美味しいい野菜を是非味わってほしい、そういう気持ちが込められていました。再び、この辺りに来ることがあるなら、またここに泊ると思います。御主人も気さくな方で、夕食時には一人寂しくビールを飲みながらの私に積極的に声をかけてくれました。それらを含めて、幸せな時間をくれた民宿みやに心を込めて感謝の念を告げ出発しました。さて、大門道を歩いて10分、落合橋まで戻り、旧中山道ランの再開です。和田宿に向かいます。天気は青い空がいっぱいに広がり軽快な水音を奏で流れる依田川に己が気分は最高!でした。ただし、気温は低くて、寒さ対策にカッパを着ました。上深山口バス停見たところ、まるで鬼太郎ハウスのような茅葺き屋根のバス停ですが、鬼太郎や目玉オ...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その1(和田峠口まで)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その5(長久保宿、そして民宿みや)

    画像は竜吐水松尾神社祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ、酒造守護の神)長久保宿「吾一庵」江戸末期から明治初期の建物消防団員の自分としては手押しポンプ式消火機を載せた大八車が目に付きました。竜吐水(りゅうどすい)ってやつですね。龍吐水での標的落とし第2分団南関町出初式動画を見るとかなりの人数で動かさないと消化できるだけの水の勢いがでないみたいです。こんな大事な歴史的道具が軒下とはいえ野ざらしなのはちょっともったいない気がします。石合本陣跡(現存する建物は寛永年間に建てられたもの)中仙道で現存する本陣の中で最古のものです。竹内家(釜鳴屋)昔は酒造業として「白菊」というお酒をつくっていたみたいです。岡山や金沢の「白菊」とは違います。桝形角に風情ある木造三階建の濱田屋旅館(明治初期)があります。ここを和田峠越えのベース...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その5(長久保宿、そして民宿みや)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その4(酒の茂田井宿から酢の芦田宿へ)

    2020年9月29日(火曜日)の続きです。とにかく、ノンビリとした街道風景が忽然と変わりました。急な上り坂脇に酒蔵が並んで二つ現れます。間の宿、茂田井にて大澤酒造の民俗資料館(無料)に入ってみました。ここでも、コロナの影響でお酒の試飲はできません。かといって、お酒を購入していこうかと思いません。一升瓶を背負って走るのはキツスギマス!資料館の内観ジックリ見たかったけど、この後の時間的なことを考慮して軽く流し見です。日本酒「明鏡止水」や「勢起」の1689年創業の大澤酒造(1737年より1871年まで名主)茂田井の一里塚(日本橋より46里目)に着きました。なんとなく、こんもりした塚があるだけです。ここのベンチで休みました。持参したオニギリと揚げピーナッツ煎餅を食しました。揚げピーナッツ煎餅は旅ランはもちろん、ウルトラ...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その4(酒の茂田井宿から酢の芦田宿へ)

  • その3(茂田井宿は突然に)

    瓜生坂の一里塚あまり綺麗に手入れされてませんが、何となく両塚が残されていました。(日本橋から45里)狭い下り坂に入ります。瓜生坂長坂石仏群長坂石仏群江戸から数えて二十五番目の宿場、望月宿に入りました。ここは歴史的な建物が多く残されていました。凄く立派な堂々たる民家です。映画「犬神家の一族」のロケが行われた宿として有名な井出野屋旅館。大正5年築の木造三階建自分は映画をみてないのですが、大正ロマンの雰囲気のイイ感じの旅館ですね。コチラに来ることがあれば、泊まりたい旅館です。旅籠山城屋(江戸末期創業)今でも泊まれます。この時は休業中だったような気がします。コロナの関係かな?創業の古い旅館山城屋望月宿佐久市長野県呉服屋ますや鷹野脇本陣ここは昔は下駄屋だったと思われます。重要文化財、大和屋その3(茂田井宿は突然に)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その2(八幡宿と藪蚊)

    日本橋から24番目の宿場である八幡(やわた)宿の八幡神社山門前にて千曲川を渡り、八幡宿の入り口あたりを走っていると井戸湧水を祀ったと思われる石碑がありました。御井大神、生井大神という井戸の守護神です。生井の字には「生まれる+井戸」だと思うので安産と関係あるんじゃないでしょうか?違うかな?いずれにしても、この辺りは井戸を大切にしているようです。雲が減ってきて青空になりました。このお米を干している稲架掛け(はさかけ)の田舎風景は美しい!今は大抵機械乾燥なんでしょうけど。自分は4~5回ほど稲架掛けの経験があります。米って干さないと腐っちゃうですよね。ノスタルジィを感じる素晴らしい八幡神社前バス停がありました。いつまでこのまま残っているかな。これから神社の聖域に入るので、このバス停の中でシューズに履き替えました。神社か...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その2(八幡宿と藪蚊)

  • 旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その1(推理:木造3階建ての謎?)

    写真は千曲川2017年10月9日において旧中仙道ランは江戸より岩村田宿と塩名田宿の間の佐久平付近の田圃のあたりまで進んでいました。ですが、大災害をもたらした台風、フィンランド旅行、その他、諸般の事情でいったん中断し長らく休んでいました。その諸般というやつの一つであるコロナ禍の中、マグロ的性格の自分は家に閉じこもっていることに嫌気がさし2020年9月29日、約3年越しに旧中仙道ランを再び開始したのでした。前日までに佐久平の温泉ホテルに宿泊していて、朝早くカップラーメンを食べて、ホテルを出立。中断していたポイントまで準備運動を兼ねてトボトボ歩いて行きました。天気は快晴とは言えませんが、清々しい朝であり、気持ちがいいです。黄金色の田んぼが遥か彼方まで広がり、あわせて空もドーンと広くて国道を外れて、静かな田圃沿いの道を...旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・佐久平~長久保宿、その1(推理:木造3階建ての謎?)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その6(諏訪下社)

    この辺りは諏訪湖のそば、長野県諏訪市湯の脇辺りになります。甲州街道の右手は高台になっており、ところどころに湧水の流れる水場が見られます。その高台に登る超急な階段高台に住んでいる人は足腰がシッカリしているでしょうね。階段の上部ですっころんだら、まず命はないものと思います。諏訪大社の摂社である兒玉石神社で大きな石「諏訪の七石」が祀られています。その石の中でイボ石と言われている石があり、石の窪みにたまった水でイボを洗うと治るそうです。ホントかね?鳥居脇には、樹齢二百五十年という「大杉」があり御神木となってます。先宮神社(さきのみやじんじゃ)日本伝承大鑑によると-----------先宮神社【さきのみやじんじゃ】諏訪大社の主祭神は建御名方命であるが、この神が元より諏訪の神ではなかったことは『古事記』にある通りである。出...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その6(諏訪下社)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その5(手長足長伝説)

    桑原城(水晶城)跡のある長野県諏訪市四賀あたりをジョグしていると右手に幅が狭く急な階段のある神社発見珍しい社名の長足神社ですが、急な階段を見ただけで参拝する気が失せます。甲州街道沿いにあり、この近く旧下桑原村に手長神社もあります。祭神は夫婦神で、妻の手摩乳命(てなづちのみこと)と夫の足摩乳命(あしなづちのみこと)なんですね。この諏訪には宮大工の名跡、立川和四郎(たてかわわしろう)があり、その2代目の和四郎富昌(諏訪大社本宮幣殿や同拝殿を手掛けた)がその彫刻を残しています。その様子は、足長が手長を背負ってますが、・・・中国には長股人【チョウコジン】という足のチョー長い人種と手のチョー長い長臂人【チョウヒジン】がいて、お互いに組んで特徴を活かし漁をしていたという伝説(長い脚を持つ長股人に背負われて海に入り、そこで長...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その5(手長足長伝説)

  • 君津ウルトラマラソンに参加しました。

    先週の土曜日、君津ウルトラマラソン(第1回)に参加してきました。とりあえず、なんとか完走いたしました。天気は快晴で、どちらかというとカンカン照りの陽射しであり、全身の汗腺から塩が噴き出すほど。風は午前中はなく、15時過ぎぐらいから強めの風が出始めたという気候条件でした。距離は57kmでしたので、100km完走経験のある自分としては、齢を重ね66歳とはなりましたが、まあ楽勝で完走かなと考えておりました。前日、君津駅前のホテルに一泊し、駅前からの連絡バスにて会場へ多分、新型コロナの影響もあり、参加人数は多くなかったですね。(一応、大会中はマスクはつけての参加になりました。)ですが、ゴルフコースで距離が短くても難易度の高いホールがあるように、長くて辛い登坂のコースでした。まあ、なんとかギリギリのゴールでした。大会が終...君津ウルトラマラソンに参加しました。

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その4(諏訪湖)

    朝早くホテルを出立し、前日に到達した旧甲州街道の地点に向かいました。その途中、山下清の放浪美術館という建物を見かけました。もちろん、朝早いので開いていません。天才放浪画家、山下清は諏訪湖の花火大会が大好きで、よくこの地に来ていたそうです。箱店屋横丁大家の店番日記よりコピペさせていただきました。日本のゴッホ・・・山下清山下清には実際に会ってみたかったです。(ちなみに、棟方志功には会ったことがあります。とある人気のない版画展にいったとき、物凄いド近眼の、頭が爆発したような髪のオジサンが夢中で見ていたのですぐわかりました。)夫婦道祖神(甲州街道ではよくみかけます)街道を外れて、少林山頼岳寺(曹洞宗)に立ち寄りました。ですが、寺は奥がかなり深く門前で辞めました。しょっぱなの寺見学で疲れてしまってはゴールができないので、...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その4(諏訪湖)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その3(上社前宮、上社本宮)

    2020年3月25日の続きです。諏訪大社が近くになりました。街道から引っ込んだところに三層の土蔵?発見これだけ立派な建造物なのに、観光案内板みたいなものはありません。坂室(茅野市)というバス停に水場がありました。飲料水に適しているかは不明ですが、水は綺麗そうなので、手ですくって飲んでみました。喉が渇いていることもあり、旨く感じます。坂室という地名は近くにある酒室神社からきてるんじゃないでしょうか(たぶん?)諏訪大社に奉納するお酒でも造ってたんでしょうか?再び三層の土蔵(茅野市宮川)こちらには説明書きがありました。土蔵とは違う板倉というものなんですね。地元のカラマツ、アカマツなどの木材を横に組んで壁にして繭蔵や寒天蔵として使われたということで、茅野市など八ケ岳山麓に多くみられる建物だそうです。寒天については---...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その3(上社前宮、上社本宮)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その2(御射山神戸の一里塚)

    太陽光パネルの大規模発電所(メガソーラー)山佐富士見1号発電所スキー場がみえました。リフトが動いているようでした。道祖神群(走ってきた方向、→が逆です。)明治天皇がこの水でお茶を飲んだみたいです。富士見町原ノ茶屋というところに大きな公園があり、野菊の墓で有名な伊藤左千夫にちなんだ公園がありました。山口百恵!野菊の墓!歌詞付き!「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」「それで政夫さんは野菊が好きだって……」「僕大好きさ」ううん、ジレッタイ。公園内には他の歌人、俳人の句碑もあるようですが、自分はあまり興味なく通過いたしました。(旅ランの先駆者、芭蕉は別ですけど)間の宿、御射山神戸にきました。御射山神戸(みさやまごうど)八幡神社があったの...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その2(御射山神戸の一里塚)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その1(芓という字?)

    子に費は2020年3月25日水曜日でした。朝から天気は日本晴れでしたが、極端に寒く、電車の中で暖かいはずの座席に腰かけていてもスース―と足回りが寒く羽毛服を巻き付けていました。JR中央本線で信濃境駅へ(上の動画は、ただの車窓風景なのですが、なぜか強制的に年齢制限を受けています。私が怪しい人間だと思われているのでしょうか?CCPじゃあるまいし、嫌な感じです。現在、YOUTUBEに理由を問い合わせ中です。なんか、最近おかしいですね。)信濃境駅についてから、駅の待合室で寒さ除けの完全武装をし温かい缶コーヒーを飲んでから出発いたしました。背後に池が映っていますが、溶岩台地の上にあるこの辺りは水を確保するために、池が点在しています。息をすると痛いほどの冷えた空気が肺に入り込むためネックウォーマーを引き上げて対策しました。...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…蔦木宿~諏訪大社、その1(芓という字?)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その11(あと残りの行程が少ない下諏訪までの思い出が・・・書けません(泣)

    昨年の3月に走った旧甲州街道の記録ですが、新型コロナ騒動などで生活のリズム(体調も含め)が崩れて、何もせず遅れ遅れになってしまい、この2021年2月の時点で、その時(2020年3月)に撮った写真を見てもあまり街道ランのことを思い出せません。また、言い訳がましいですが正直なところ旧甲州街道の下諏訪に近いところは綺麗に観光地化されていて自分にとって強烈な印象として残るところが少なかったのでなかなか思い出せないといこともあると思います。(地元市民にとって公益性のある価値ある観光地になるということは、「老若男女、誰でもが訪れることができる」ように案内所、トイレなどの公共施設、道路、等々にお金をかけて、見やすいように綺麗に立派に整備しているわけですが、あくまでも自分にとってはの話ですが観光地化された景色が全て同じに見えて...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その11(あと残りの行程が少ない下諏訪までの思い出が・・・書けません(泣)

  • コロナ禍で、中仙道ランを実行しています。

    写真は中仙道、朝の揖斐川記録が追いつかず、行動が先行してしまい、ブログ投稿が大幅に遅れています。旧日光街道は今年前半に終了しており、後半は中途の塩名田宿でストップしていた旧中仙道を再開し、今日現在で関が原宿に至っています。コロナ禍ではありますが、一人旅なんで全く問題ありません。山の中では全く人に会わないこともあります。中仙道、水清き長良川遅れた旅の記録を適当に処理してしまえば良いのですが、頭の中にある街道の数々の思い出を捨て去りがたく、まるで小学生の夏休みの宿題のように溜まりにたまってしまっています。その時の写真、思いついたことのメモ書き、コピーした地図や資料に書かれた時刻やコンビニの場所等の記録、等々も整理されずに溜まっています。まあ、そんなに多くの内容をこのブログを書いたからといって、多くの人が見てくれてい...コロナ禍で、中仙道ランを実行しています。

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その10(なんば歩き)

    旧甲州街道、台が原宿にてそこで、お茶壺道中を調べてみました。---------ウィキペディアより宇治採茶使(うじさいちゃし)宇治採茶使は、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。宇治では茶を栽培製茶して茶壺に詰めるまでが茶師の仕事で、その茶壺を運搬するのは購入者が行なうことになっており、幕府の場合、その茶壺運搬を御茶壷道中と称して幕府の威勢を示すのに利用した(中略)経路は年代により、年により変遷はあるが旧暦の4月頃、将軍家伝来の100個以上の空の茶壷が江戸を出て東海道を運ばれた。宇治に着くと初昔、後昔など最高級の碾茶を詰められて復路は中山道・甲州街道を江戸に向けて運ばれたが元禄時代までは甲斐国谷村(現・都留市谷村)の谷村城の近くに所在する勝山城(都...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その10(なんば歩き)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その9(古道、台が原宿)

    大武川橋を渡ったら、また道を間違えました!南アルプスの美しさに見とれていて、橋渡ったらすぐ左折なのですが、そのまま直進。上三吹交差点まで国道20号線を行ってしまいましたが、戻って忠実に旧道を辿るのはやめました。誰でも人生道外すことあるし、悔いても仕方ない。「まあ、いいか」って感じです。というわけで、尾白川沿いの甲州街道古道を走っていきます。途中で土道の上にまばらにある石がワラーチの裏から刺さるように刺激があってチョット痛かったかな。古道は短くて、古道入口と刻まれた石柱のある国道20号線で終了し、いつもの旧街道は。すぐまた国道と別れ台が原宿に入ります。台が原宿(入り口から七賢)(つづく)当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィン...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その9(古道、台が原宿)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その8

    さてさて、道を間違えた後の続きです。旧甲州街道ワラーチラン山梨県韮崎市円野町上円井のあたりは長閑なところ上円井交差点で国道20号線に出会って、横切り細い旧道を走りました。そのとても細い道を行くと前面に甲斐駒ヶ岳が、・・・。嗚呼!!、雄大なるかな甲斐駒ヶ岳山容に見とれて道の確認をせず、ドンドンと細くなる畑の中の道を進んでしまいました。この雄大さです。みとれてしまいますよね。さすがに途中で街道らしくないと気づき、間違えた場所まで戻ると、旧街道は何故か内藤ハウスという会社の中の敷地を通るのでした。韮崎市上円井交差点付近(旧甲州街道ラン)遠慮がちに内藤ハウスの中?を通り、国道20号線にでるとその先は道がありませんので国道沿いに行き、小武川橋を渡り、すぐ右折して旧道に戻りました。小武川橋からの景色小武川橋を渡って旧道に戻...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その8

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その7(七里岩)

    早朝の甲府市(まだ薄暗いうちから出発です)この日は3月7日(土)です。ホテルを早朝に出発しました。この時点で天気は曇り空で、かなり寒かったと記憶しています。ユニクロの羽毛ジャケットを着ないと寒くて走れません。電車に乗り、韮崎駅へ駅前にコンビニなどはないです。ですから、前日にオニギリなどは買っておきました。今日の目的地は甲州街道の江戸から数えて四十二番目の宿場、蔦木宿(つたきじゅく)です。伝説の経営者で、阪急東宝グループ「阪急・宝塚・東宝」の創始者である小林一三の生家跡がありました。(小林家は甲州でも5本の指に数えられるほどの豪農で、かつ「布屋」と号して酒造業や絹問屋を営む豪商でもあったそうです。)とはいっても、自分も全く知らず、その場で携帯で調べて、なんとなく理解したつもりで、その場を立ち去りました。関係者じゃ...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その7(七里岩)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その6(紙ナプキンは新聞紙)

    アホちゃいまんねんパーでんねん!(韮崎の雲岸寺門前にて)八ヶ岳連峰に向かって走る二十三夜塔二十三夜は下弦の半月が見える夜で、その時の夜中に民間信仰、月待講がおこなわれていました。月待講は、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜というふうに色々あるのですが、街道を走っていると二十三夜塔を一番よく見かける気がしますね。なぜかを考えてみました。下弦の月は太陽の運行に6時間進んでいて、真夜中の0時にのぼり昼間の12時に沈みます。そのため深夜過ぎや未明に見やすいですから、「講中」と称する神聖な宗教行事としては、あたりがヒッソリと寝静まる真夜中から神々しい夜明けまでという時間帯が盛り上がりがベストであるような気がします。だから二十三夜塔が多いのじゃないのかな、などと考えてみましたが、・・・果たしてどうでしょうか?チコち...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その6(紙ナプキンは新聞紙)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その5(北条夫人)

    写真は船形神社の石鳥居からみた武田菱に見える甲斐駒ヶ岳釜無川沿いで甲州街道沿いの小さな集落、下今井という地域に入ると、雰囲気が変わりました。海鼠壁の土蔵などが続くのです。この壁は漆喰壁の耐水性をさらに強化するものであり、伊豆地方に多く見られるのですが、この辺りはエぢ時代に釜無川(富士川)の水運が整備され、それを利用して太平洋沿岸地域(伊豆方面)からの往来が盛んにあった名残なんだそうです。立派な土蔵の続く坂を登り、振り返ると真っ白な富士山が見えました。曹洞宗天真山自性院(1570年開山)10人ほどの檀家の方たちでしょうか、年配の方々がお寺の中に入っていきました。その時はなにか法事でもあるのかな?それにしては普段の格好だし、リュックを背負った人もいたから観光客のようにも見えるし、・・・とそれ以上はあまり考えずに通り...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その5(北条夫人)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その4(甲斐の赤坂は素晴らしい!)

    フゥーフゥーフゥー南アルプスが徐々に大きく見えてきました。荒川橋を渡ります。「上石田のサイカチ」なる樹齢は三百年と推定される2本の木がありました。小さくてとても300年には思えません。どうも、マメ科の植物の様です。---------以下、山野の花より引用させていただきました。サイカチ・・・和名:皀莢(そうきょう)サイカチの花は黄色で雄花、雌花がともに同株に咲く幹や枝に大きな鋭い棘があります小葉は多数で、長楕円形で葉は互生する幹は深い溝がありまっすぐに伸びる8月になるとクネクネと曲がった実がなり、薬用や昔は石けんなどにも使われたようです本州中部から九州まで自生する---------面白い実がなるんですね。しかも、サポニンという物質が含まれ、煮汁が洗濯石鹸代わりになるようです。科学物質を含まない地球にやさしい石鹸で...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その4(甲斐の赤坂は素晴らしい!)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その3(甲府柳町宿本陣は何処?)

    宿場を守る鍵手(桝形)のコーナーを曲がると、醤油醸造店が2店舗ほど続いていました。五味醤油(味噌のみの販売、創業明治元年)奥村醤油(創業明治5年)さらに、そのすぐ先に大きなビルが建っておりました。(株)印傳屋上原勇七本店(創業1582年)印傳(印伝)って何?---------印伝(いんでん、)ウィキペディアより印伝革の略であり、羊や鹿の皮をなめしたものをいう。細かいしぼが多くあり、肌合いがよい。なめした革に染色を施し漆で模様を描いたもので、袋物などに用いられる。名称はインド(印度)伝来に因むとされ、印伝の足袋が正倉院宝庫内に見られ、東大寺に文箱が奈良時代の作品として残る。---------染色した鹿革の上に、小花柄やトンボ柄の型紙を重ね、その上から漆をヘラで摺り込み、型紙を剝がすと、革の表面にぷっくりとふくらん...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その3(甲府柳町宿本陣は何処?)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その2(はるか昔の中心点、酒折)

    甲州街道は酒折宮で突然左直角にまがります。いわゆる桝形ってやつです。街道の途中で酒折宮の石柱がありました。この石柱、よく見ると二カ所折れたものを繋ぎ合わせたように見えますね。何かあったのでしょうかね?酒折宮は日本武尊(ヤマトタケル)に所縁のある神社のようです。ですから、創建は不詳です。とにかく、相当古い!らしい。ということで、是非とも立ち寄らなければと思っていました。その石柱の脇に斜めに道があって、ここを行くのだろうと思いました。まず、いきなり踏切を渡ります。丁度、踏切がカンカンと鳴り出し、電車(JR中央本線)が通りましたので動画を撮りました。石和温泉、石山踏切踏切からみる電車って「やってくる方向の姿から過ぎ去っていく姿」まで見とれてしまうのは何故なのでしょうかね。横断歩道から見る車なんてまず見惚れることなんて...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その2(はるか昔の中心点、酒折)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その1(旅ランの灯台)

    行動の方が先走りしてしまい、書き溜まってしまった旅ラン記録ですが、ようやく2020年代の記録を書けるようになりました。この時の旅ランの日付は3月6日(金)になります。この時期は新型コロナウィルスが問題になりはじめ、外出時には皆一様にマスクをかけ始め、しょっちゅう手を洗い始めた頃でした。ただ、今ほどデリケートではなく、世間一般の新型コロナに対する認知度としては、それ程ではなかったかと思います。また話は転じますが、個人的には年齢も考慮しての仕事リタイアから3か月が経っていました。そんなこともあり、「毎日が日曜日」・・・という新しい状況にはなったのですが、世間では「人との接触をなるべく避けることを意識しなければならない」ことになっていましたから、自分好き勝手な行動はできず、隠居ジジィの正しい身の処し方は「小さな我が家...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その1(旅ランの灯台)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その4

    皆さん、コロナな日々をお過ごしのこととお察し申し上げます。気晴らしになるかどうかわかりませんが、まずは勝沼宿のつづきです。ようあん坂の標柱ここは勝沼小学校入口の右側で海抜400mなので笹子峠から700mぐらい下ってきてます!勝沼市で最も急な坂らしいですけど、こんな感じです。↓GoogleMap諏訪湖の方に向かってる下りの写真ですが、それほど急じゃないです。それにしても「ようあん」って何?標柱によると「昔々、天野養庵という医師の家が近くに有った」ということなんですが、肝心の天野養庵って何者?坂の名前になったぐらいですから、相当な人物であったことが予想されるんですが、・・・。そこがわからないとですね、なんだかもどかしいのです。そこでネット検索したんですが、全くの不明???勝沼市、その辺の説明を今後よろしくお願いいた...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その4

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その3(歴史ある葡萄の郷)

    勝沼宿の旧田中銀行甲州勝沼の戦いの地、柏尾橋にやってきました。明治元年(1868)、「近藤勇が率いる幕府軍」VS「板垣退助が率いる官軍の先鋒隊」が戦った地です。橋の手前に近藤勇の像が建ってます。ですが、像の作者には申し訳ありませんが、次の錦絵と異なって、こっちの方は可愛すぎますね。背格好もズングリムックリしてます。錦絵の方はというと、大刀を持ち、戦士を鼓舞し、吼えている歌舞伎役者のような近藤勇の勇壮な姿です。これと比較すると、まるで大人顔したチャンバラごっこをしている子供のようです。柏尾戦争を描いた錦絵実際の戦いは一日で決してしまったようで、近藤たちは江戸方面へ敗走してしまったのですから、本当のところは錦絵の方がカッコよすぎかもしれません。江戸柏尾橋付近(良く見えない)実際の河原の戦場を見ようと思いますが、谷が...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その3(歴史ある葡萄の郷)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その2(まぼろし~!の吊り橋)

    洞門がありました。スマホの地図アプリによると旧道はこの洞門の右上にあるはずです。そこで、アレコレ探してみました。そして、それらしき道発見!黄色の矢印へと上がっていきました。入るところは人が踏み込んだ跡は久しくないという感じ。かなりの傾斜の狭い道を上がります。写真の先のようなのですが、かなり荒れてるのがわかりました。行けなくもないのですが、この先は左に落ち込んだ斜面を行くようになります。この時、自分はワラーチでしたから、滑ると危ないので止めて引き返し、国道(洞門の中)を歩むことにしました。(そうすることで、新たな発見があったのですが・・・)写真は埼玉発おとなの小探検よりお借りしました。洞門の中へ入ると歩道はトンネルを通らず迂回していました。迂回すると最初は気がつかなかったのですが、やぶの中に朽ちた吊り橋があるじゃ...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その2(まぼろし~!の吊り橋)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その2(山の中の寿司屋)

    峠を越え、アスファルト道路に出てみたものの、すぐさま山道になりました。静かに特訓していたチューバの白鳥を聴きながら再び山の中に入っていきます。矢印の方に降りていきます。ですが、すぐまたアスファルト道路に出ます。道路がクネクネして山を下りていて、それを突きさすように旧道があるようです。場所によっては旧道に入るために道路ガードを跨がなければなりません。旧道の為に少しガードレールを開けて欲しいです。なんとか、旧道の跡は辛うじて残っていました。登ったり下りたりしながら、全体には下っていきます。そして、道が不明瞭な場所にでました。GPSとスマホの街道アプリをみながら、道を探します。浅い沢を渡渉したりもしました。深くて水の流れの激しい沢を危なげな木の橋を渡りました。写真は渡ってから、後ろを振り返ってみた時の写真です。橋がボ...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その2(山の中の寿司屋)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その1(笹子峠の鹿と「白鳥」?)

    始めに、現況のお知らせです。今回の投稿は昨年の2019年8月4日に走った内容を思い出しながら追っかけて書いています。実際は2020年3月26日に旧甲州街道は完走いたしました。どうしても、行動の方が先走りしてしまい、記録の方が遅れがちです。ですが、暇を見つけながら、記録の方も早く実際の行動に追いつきたいと思っています。今後の街道ランの予定としては旧中仙道ランが和田峠手前の佐久平のあたりでストップしていますので、新型コロナウィルス騒動の様子と和田峠の雪の状態(最深積雪18cmほどのようだ)と天候を考慮しながら、できれば5月あたりに和田峠越えを考えています。それでは、旧甲州街道ランの続きを始めます。本橋から数えて32番目の宿場、阿弥陀海道宿はとても小さくて笹一の辺りから笹子餅の小さな店、創業明治38年「みどりや」辺り...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…阿弥陀海道~石和宿、その1(笹子峠の鹿と「白鳥」?)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その5(ジェットモグラ)

    写真は稲村神社の合体道祖神の前にて小さな宿場である白野宿(しらのしゅく)を目指しました。庚申塚白野宿特に甲州街道の案内というものがない宿場跡でしたね。国道20号線とJR中央線の間に挟まれた位置にあるが、ただただ、静かな宿場です。旅籠よろず屋跡臨済宗、宝林寺ここには風林火山の武田軍に家を滅ぼされ、信玄に夫(笠原新三郎)の仇である小山田信有に褒美として与えられ、側室とされた美瑠姫(真木よう子が演じた)の墓があるらしいです。そして、衝撃的でしたね。小山田が美瑠姫に寝首をかかれ、その美瑠も自ら命を絶ってるんですから。(本当のところは違うみたいです。あくまでもドラマのようです。)写真はツイッターよりお借りしました真木よう子の美瑠姫が美しいですね。今回、事前に調べていたので立ち寄ってみようかと思っていましたが、ボーっとして...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その5(ジェットモグラ)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その4(旧街道地図アプリ違ってるよ!)

    雑木林と背の高い雑草の中の旧甲州街道を走って初狩宿に向かいます。全く人気を感じない道です。目にはみえませんが、時たまクモの糸を引きちぎる感じがしたりしましたから、人が通っていないことが判ります。旧甲州道の初狩宿にむかう・1旧甲州道の初狩宿にむかう・2砂利採石場がありました。ココも人気はないです。下初狩宿の踏切を渡る踏切を渡るとすぐ「聖護院道興歌碑」がありました。聖護院道興って誰かな?調べると、とんでもなく偉い大僧正だったみたいです。聖護院とは、天皇護持の寺というところから付けられた名だそうで、しかも室町幕府の八代将軍足利義政お抱えの護持僧(ごじそう)も務めていたほどの人物であったようです。ただ、応仁の乱を経て時代は戦国時代に移りつつあり、そんな世が嫌になっちゃったんでしょうか?道興は54歳(1486年)にして2...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その4(旧街道地図アプリ違ってるよ!)

  • 嗚呼、遥かなるかな俺の南インド(涙)

    明日からワラーチを履いて南インド一人旅に行く予定でした。ですが、新型コロナウィルスで昨夜突然の「事実上の日本人対象インド渡航禁止令」がでました。すべての旅の予定が無に帰すことになりました。大体のスケジュールはこうでした。(まあ、あくまで予定ですが)成田↓LCCタイにいったん入国し、すぐ出国↓LCCChennai(昔のマドラス)↓(バス)MahabaliPuram(世界遺産)↓(早出の為タクシー、Uberを利用)Chennai↓(飛行機)Thiruvananthapuram↓(列車)Kanyakumari(インド最南端)↓(列車)Varkala(有名な海辺のリゾート地)↓(トゥクトゥク)Kollam(MunroeIsland運河クルーズ)↓(8時間の観光ボート)Alappuzha↓(船かバス)Kochi(港町)↓...嗚呼、遥かなるかな俺の南インド(涙)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その3(旧街道ランの醍醐味)

    右手の岩殿さんが家々の間からチラチラ見えていましたが、商店街の中にはいると見えなくなりました。煉瓦舗装された綺麗な旧甲州街道(さつき通商店街)狭い道幅と、くねくねと道が曲がっているのが旧道だと感じられるところでしょうか?所々、飲食店などがあり、かつては賑やかな商店街であったんだろうと思われます。大月駅の駅前ロータリーここは、今でこそ大きな町であり、大きな駅ですが、この大月宿は本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠は2軒だけの小さな宿場でした。なお、懐かしきカツ丼食べた店がどこだったか、全く思い出せませんでした。木村屋菓子舗和菓子屋さんのようです。カーテンが閉まっていて、店は開いていませんでしたが、昭和レトロな看板と建物なので自分は駄菓子屋さんかと思ってました。いま、写真をよくみると、「商い中」の看板が出ているように見え...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その3(旧街道ランの醍醐味)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その2

    猿橋宿の青面金剛王庚申塔猿橋宿の宿場町らしい雰囲気がなくなり、平凡な国道20号線の景色をしばらく走ると、その景色に不釣り合いな「紅富士大太鼓道場」という建物が目にはいりました。---------以下、紅富士大太鼓のHPより抜粋紅富士太鼓の結成は平成9年(1997)1月。そのきっかけとなったのは母体である日本ステンレス工業(株)が行った阪神大震災のボランティア活動。共に参加した青年達の心の成長を目の当たりにし、感動したことでした。この経験を何らかの形として残していきたいと考え、それならば「打てば響く」様な人づくりをとの思いで紅富士太鼓を結成しました。---------AkafujiDaiko-KazariMatsuri(FureaiConcert11/01/09)動画を見ると外国の人も懸命に叩いてますね。聴いてい...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その2

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その1(犬鳥猿)

    朝は曙、薄暗い時間から起きて、近くの駅からJR中央本線の始発で鳥沢駅に向かうことにしました。こんな時間だというのに、出発駅のホームで酔っ払いが寝ていました。始発前のホームにいるということは、この近くで飲んでいて夢うつつの状態でなんとか始発に乗ろうとしたのでしょう。ただ、駅ホームに着いたとたん、安心して気が抜け寝てしまったに違いありません。あそらく始発には乗れず、駅員に起こされるまでは寝たままでしょうね。自分は、こういう人を見て迷惑だと思ったことは一度もありません。むしろ、そこまで酔いつぶれてしまったのは「とても辛い何か」があったのかなぁ、と思ってしまいます。すべてを忘れて、「今は寝てしまえ」と思います。自分だって、そうなることはあります。辛いときに、突然、フイっとミニ蒸発して、ひとり旅ランすることもありますよ。...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…鳥沢~阿弥陀海道、その1(犬鳥猿)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その5(座頭市)

    旧甲州街道にしては狭い苔むした坂を登っていきました。道の踏み跡からあまり人が通らない道の様でした。矢坪坂の古戦場跡へ(旧甲州街道ラン)途中の神社の名前が気になりました。武甕槌神社(タケミカヅチジンジャ)別称:鹿島神、鹿島大神、鹿島大明神鹿島神宮や香取神社の主神で雷神、かつ剣の神だそうです。さらに、先を進みます。この先に難所の座頭転ばしがあるはずです。座頭転ばしに向かうとくに、これといった難所がありません。あれっ、・・・写真の手前の場所で道は僅かに二股に分かれています。二股部分はかなり雑草が生い茂り、よく見ないとわかりません。左の方が明瞭な道ですが、一般道に出てしまいます。(わずかに右の雑草の中に進むのが正解です。)自分は、この雑草の中の道に気がつかず左に降りてしまい、スマホのGPSで自分の位置を確認したところ、...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その5(座頭市)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その4(つげ義春の野田尻宿)

    つづいて野田尻宿に向かっていきます。中央高速の建設により砦跡が全て破壊されてしまって石碑がたってました。---------〔現地解説板より上野原市教育委員会〕鳶が崎から矢坪坂付近までの丘陵を長峰と呼んでいました。この長峰の鳶が崎や鳶の巣はたびたび北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場でした。ここに加藤丹後守景忠が砦を築き、外敵進攻に備えたと言われます。ここは古から交通の要所であったので戦国時代甲斐と関東の武将の勢力争いで、この地を戦略拠点とするため長峰(山城)を築いたという。江戸時代になり砦の傍らを通る山道が甲州街道として整備された。長峰砦についての歴史の詳細は不明だが、戦国期に上野原の加藤丹後守が、その出城として築いたといわれる。現在は中央自動車道の工事によって消滅し、かたわらに石碑があるのみである。工...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その4(つげ義春の野田尻宿)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その3(大椚)

    ハーッ、ハーッヒーッ、ヒーッフーッ、フーッ強烈な赤の鳥居の神社がありました。ココは江戸日本橋から18番18里に当たる上野原市の塚場一里塚の跡地です。実際には神社裏手の小高くなった竹やぶの中辺りにある直径9m高さ2mの円丘がそうらしいです。さらには、その円丘は、この辺りの古墳群の一部らしいです。塚場という地名は、その辺りからきているのでしょうね。そして、この一里塚が疱瘡神社になっていました。疱瘡の話は調べてみたら、ちょっと面白いので掲載します。以下、ウィキペディアの疱瘡神より抜粋しました。---------風習疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。疱瘡を患った患者の周りには赤...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その3(大椚)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その2(犬神)

    狭い歩道が片側しかない吉野橋を渡りました。道路に面した囲いもないところで玉ねぎやジャガイモを干している民家以前、武蔵嵐山で畑をやっていた時があり、ジャガイモがたくさん採れたのですが、東京では風通しが良くて雨を避けられそうな適当な干す場所がなく、干すのに苦労しました。ここは決して大きなスペースとは言えないですが、自分も自宅の脇に欲しい空間です。東京じゃ誰かにもっていかれそうですね。甲州街道(国道20号線)の歩道が、なんとこの狭さです。そして車道との段差もあまりなく、簡単に車が歩道にのりあげてしまうようなお粗末な国道だなと思いました。しかも、車はかなりのスピードで走ってますから、大型ダンプなどが横を通り過ぎると巻き込まれるのではないかと、思わず立ち止まってしまいます。非常に危ない歩道ですよ!!!中央高速の下が歩道に...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その2(犬神)

  • 第40回若潮マラソンで新年会やります!

    会員の皆様、また若潮マラソンの時期(2020.1.26)が近づいてきました。今回は宿泊施設が昨年大変お世話になった館山サザンヴィレッジ(旧館山シーサイドヴィレッジ)から、会の自前の施設である四ツ谷走Run会‼秘密基地(北条海岸沿い)に変わります。(なお、館山サザンヴィレッジでは近々、モンゴル直輸入のゲルが建つそうですよ!)写真は館山サザンヴィレッジよりお借りしました。施設の前の道路が若潮マラソンのコース道路になりますので、基地の庭先で、カセットコンロの上の網で地魚を焼きながら、チビリチビリ熱燗で一杯やりつつ、頑張るランナーを応援するのも、なかなか乙なものかと思います。基地前にて私設エイドもできますよ。大会レースに参加される方も、見学される方も秘密基地にて楽しみましょう!会員でなくても、会員のお知り合いの方ならだ...第40回若潮マラソンで新年会やります!

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その1(小雨ラン)

    苔の絨毯の新緑の美しさに思わず立ち止まりました。この日は7月15日でお盆の中日でしたが、自分自身の先祖への墓参りは1週間ほど早めに済ませていました。天気は生憎の小雨。ですが、濡れても寒くはないですし、今日は山の中を走って滑りまくるということがなさそうだと思われたので、思い切って走ることにしました。写真をとればよかったのですが、上下カッパ姿にワラーチという極端に都会的センスの欠片もないアンバランスな変態オヤジ的な恰好。ただ、いつもの通り他人の目は気にせず電車に乗りこみ相模湖駅を目指しました。相模湖駅ではかなりの雨量。なかなか出発できず、帰ろうかと思うほどでしたが、とりあえず思い切って走り出し、嫌になったら途中の駅から帰る作戦といたしました。まあ、いつもの「なんでも、とりあえずやってみる。」の精神ですね。もっとも、...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その1(小雨ラン)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その5(相模湖駅まで)

    人知れぬ静かな山奥にあったトンネル出口機関車が出てきたら感動的なんだが・・・。さて、旧甲州街道は、小仏峠から山道の下りになります。ワラーチで小仏峠からの下り車道にでました。下の写真が車道からみた旧甲州街道の山道部分への入り口ココからは小枝で足がチクチクすることなく安心して走ることができます。そのうち、中央線のトンネルが見えてきました。電車がでてくる瞬間が見たいと思い、その場で水分補給しながら暫く待っていましたが出てこず断念!誰もいない車道(小仏峠~相模湖)車が通る国道20号線にでました。あたりには民家がないです。ですが、バス停はありました。下りてくる途中に大きな旅館がありましたから、乗降客はあるのでしょう。崖にへばりつく国道国道から分かれて美女谷へいく道がありました。以前は、美女谷温泉への入り口看板が立っていた...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その5(相模湖駅まで)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その4(小仏峠)

    臨済宗南禅寺派、寶珠寺(ほうしゅうじ)に着きました。入口になにか?、都天然記念物カゴノキと書いてあるのですが・・・。この小さな木が都天然記念物???実はこれじゃなかったようです。ブログを書きながら、調べていくうちに判ったのですが、この寺の中に大樹があって、それが都天然記念物らしいです。「カゴノキ」自体も全く知りませんでした。。---------ウィキペディアよりカゴノキ(鹿子の木)はクスノキ科の樹木。大きくなると樹皮が鹿の子模様になる。---------次回来るときは本物をこの目でジックリと確認したいと思います。ちなみに高尾山への江戸後期時代の参道は甲州街道のあるこちら側(裏高尾町)からだったようです。ですから、本当は裏じゃなくて表なんですよね。---------参考:以下、yamakeionlineにバリサイ...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その4(小仏峠)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その3(高尾)

    写真は南浅川を渡る両界橋からの美しい景色(これで東京都!)八王子宿は追分町までは変化があって楽しかったのですが、その先の昭和天皇陵のある武蔵陵墓地(多摩御陵)あたりの国道20号線の単調さは、厳しい暑さと相俟って時々休憩をいれなければ、なかなか足が前に進まない気がしました。コンビニもあまりないのですが、旧道から国道から一時的に脇道に逸れるあたりで、ようやく見つけたセブンで冷たいアイスクリームで自分に励ましの一品を与えて、一息いれました。このコンビニのそばに町会事務所だと思うのですが、原宿会館というのがあり、その片隅に石仏群がありました。この事務所の裏手は山王社であり、この辺りに薬師堂があったようです。左に書かれた得本上人とは、粗食、不眠不休、五体投地の苦行など厳しい修行を行ったのち南無阿弥陀仏を唱えて日本全国を行...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その3(高尾)

  • フィンランドを走る・・・後編:〇〇に至るまで

    写真はヌクシーオ国立公園の高台からの広大なる森の景色スマホで走りながら動画を撮っていました。多少、揺れてますので、ご勘弁を!ヘルシンキ郊外ラン残り滞在3日間あるので、あと1日か2日ぐらいは走れるだろうと思っていました。その時はヘルシンキ中央公園を走るつもりでした。ですが、走ったのはこの時だけです。以下、何故なのか?その理由をご説明いたします。翌日は滞在先から1時間半くらいのところにあるヌクシーオ国立公園NuuksioNationalParkに夫婦でハイキングに行ってきました。(その程度の時間で国立公園に行けるなんて、東京じゃ考えられません。)この日は天気予報から晴れる予定でしたが、やはり曇り。でも雨や雪ではないので、決行です。ただし、寒い!出で立ち及び準備は、帽子、手袋、ヒートテック上下、羽毛ジャケットで、さら...フィンランドを走る・・・後編:〇〇に至るまで

  • フィンランドを走る・・・前編:ヘルシンキ郊外

    10月初旬にフィンランドで生まれた初孫に会いに行きましたので、泊まった宿(ヘルシンキ中央駅からフィンランド鉄道で4駅の郊外)の近くを走ってみました。フィンランドのヘルシンキは例年よりも寒い日が続いているようで、滞在中は小雨が多く、また小雪の日もあり、したがって気温も、ほとんど日本の冬の-1度~5度程度のヒートテックが必要なレベルでした。(10月はフィンランドでは最も雨の日が多い)ですから、雨で濡れて風を引いては孫に会えなくなることもあり、滞在1週間のうち走ったのは1日だけでした。(曇りまたは晴れの朝が3日間ありましたが・・・。)その日の朝の気温は1度でした。朝の7時半くらいでしょうか?路面は通常の道路は所々凍結しており、用意していたワラーチでのランはやめました。泊まっていた宿から、朝やけの景色CWXのタイツの上...フィンランドを走る・・・前編:ヘルシンキ郊外

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その2(八王子宿へ)

    JR中央線の日野駅の裏手に坂下地蔵堂がありました。お地蔵さんが沢山一か所に集まっています。ところが、その写真がとれてませんでした。そこでGoogleMapより、以下をお借りしました。旧甲州街道はここで中央線に遮られてしまいます。ただ、昔はここに踏切があって、旧甲州街道は続いていたそうです。地蔵堂の隣の飯綱権現社その階段下にある小さな石仏群街道を若干戻り、日野駅前通りのガードをくぐって線路の反対側にまわり昔あったであろう踏切のあたりへ戻ります。そこは大阪上通りというようですが、坂道であって、昔の街道の名残の石仏群がありました。さらに走ると国道256号と合流します。そして、商業用自動車を製造する日野自動車が見えてきます。私の会社は運送会社なので日野のトラックには大変お世話になっています。日野のトラックは値段の安さ、...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その2(八王子宿へ)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その1(日野宿)

    この日(4/28)の天気は快晴でした。朝からJR中央線は人身事故で、電車は中野でしばらく停まっていました。天気の良い日は人身事故が多いと聞きます。この国は明るい未来に向かっているのでしょうか?などと考えているうちに、電車は動き出し立川駅に予定より30分遅れくらいで到着しました。立川駅から前回終了したポイントまで、ゆっくりジョギングしていったのですが、太陽の日差しを直に感じる素足のワラーチが気持ちよく、足をシッカリ拘束したシューズを履いていたら感じることのできない喜びを感じました。ここから、前回の続きですが、古道らしく狭めの道幅とユックリ曲がりながら多摩川に緩慢な傾斜で下るのが旧街道らしくて良い雰囲気です。河岸段丘を下っているわけですね。途中には旧街道沿いらしく蔵のある立派な屋敷があります。東京賢治シュタイナー学...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…立川~小仏峠~相模湖、その1(日野宿)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その8)野暮天

    熊野神社であるが、本殿の裏に古墳がありました。こういうタイプの神社は中仙道ではよく見ました。武蔵府中熊野神社古墳飛鳥時代の上円下方墳だそうですが、素晴らしい石組で大変立派ですね。相当な権力者の墓なんでしょうね。甲州街道の常夜灯昔の真っ暗な夜道では、この常夜灯が陸の灯台のように人々の安全、安心に多大な貢献をしたでしょうね。こんな曲がありました。なかなか、素晴らしいですよ。玉置浩二-常夜灯-COVER谷保天満宮この鳥居をくぐった参道が下り坂になっていました。これは、非常に珍しいかと思います。上り坂というのはよくある神社ですが、大きな神社で下り坂というのはあまり知りません。---------ウィキペディアより谷保天満宮(やぼてんまんぐう)は東京都国立市にある神社。甲州街道沿いにある。社伝によると、903年(延喜3年)...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その8)野暮天

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その7)弁慶と大般若経

    市川團十郎(7代目)の『勧進帳』の弁慶(ウィキペディアよりお借りしました)府中高札場(復元)と中久本店のある府中市役所前交差点旧甲州街道と府中街道が交わる場所です。この辺りだけ大正昭和レトロの雰囲気がある一角でした。幕末に創業された造り酒屋の中久本店黒漆喰で仕上げられた重厚な蔵造りの商家です。現在は酒の醸造はしてないようでした。カフェと酒屋です。いいですね。この雰囲気!箒(ほうき)のお店ですね。立派な蔵と日本家屋三田商事と書かれてありましたが、肥料の会社の様です。鹿島坂という由緒ありげな坂を横切ります。奥にいくにつれ下っています。高安寺参道入り口これは大寺院ですね。---------ウィキペディアより高安寺高安寺(こうあんじ)は、東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院である。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、室...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その7)弁慶と大般若経

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その6)くらやみ祭り

    武蔵国府八幡宮の参道です。参道は京王競馬場線を横切るので、面白そうだから行ってみました。電車が通過するのを待っていたのですが、なかなか通らないので諦めました。本殿は西向きなのですが、そこに至る参道は北にあがっていくので、途中で直角に左に曲がっていました。本殿神職はいない神社ですが、管理は大國魂神社らしいです。その大國魂神社に着きました。東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮とこの大國魂神社で東京五社というらしいです。古い神社ということではなさそうですね。格式が高いということなんでしょうか?、よくわかりません。ここの例大祭である「くらやみ祭り」をテーマにした映画が作成されつつあるようです。令和元年大國魂神社くらやみ祭りド迫力のある祭りですね。-------大國魂神社の例大祭は、関東三大奇祭の一つであるくらやみ祭...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その6)くらやみ祭り

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その5)近藤勇の甲州街道

    源正寺の六地蔵お寺は改築中でした。立派な屋敷発見!西光寺内の近藤勇座像を発見!幕末動乱の慶応4年3月、勝海舟の命により、近藤勇は新選組の生き残り他200名「甲陽鎮舞隊」を率いて江戸を発ち、土方歳三のふるさと「日野宿」に宿泊しながら、ここ「西光寺」に立ち寄ったそうです。(甲陽鎮舞隊ですが、200名のうち実際のところ新選組の残党はわずか二十名たらずだったようです。)勝は江戸無血開城の為、甲州を鎮撫せよと命じて、目の上のタンコブだった近藤たちを体よく甲府に追い払ったと自分は聞いています。勝沼駅近藤勇驍勇之図(ウィキペディア、甲州勝沼の戦いより)この旧甲州街道は勝沼で大敗した甲陽鎮舞隊の道でもあったんですね。西光寺山門西光寺六地蔵西光寺鐘楼仁王門(2階部分に鐘があり、真下から見上げると金が見えます。)正面が観音堂、右は...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その5)近藤勇の甲州街道

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その4)製鉄=権力を司る男子たれ

    調布の旅ランで知りました。「ひょっとこ」は「火男」からきたらしく、すなわち製鉄の竈(かまど)の火を竹筒で吹く男であり、昔の鍛冶と関係あり、そして子孫繁栄と関係があるようです。つづきの始まりさて、ゲゲゲの鬼太郎が住んでいる森のある布多天神社の参道にきました。鬼太郎が住んでいるだけあって、創建時期があまりに古いくて、はっきりと分かっていないほど歴史の深い神社だそうです。まあ、見にはいきませんでしたが。「映画のまち調布」と書かれた門がありました。調布は映画の町だそうです。調布市のHPには以下のことが書かれていました。東洋のハリウッド(調布市のHPより)-------調布市内には、日活調布撮影所、角川大映スタジオと、2ヶ所の大型撮影所があるほか、高津装飾美術株式会社、東映ラボ・テック株式会社、東京現像所など現在も数多く...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その4)製鉄=権力を司る男子たれ

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その3)鬼太郎の調布

    柴崎駅入口交差点の角に立つ風化してしまった小さな石仏がありました。ここは佐須街道(さずかいどう、深大寺への参拝道である)の入り口です。甲州街道を旅した人が深大寺に立ち寄るための参道だったようで、昔はそれなりに賑わっていたと思います。野川を馬橋にて渡ります。橋を渡ると再び国道を離れ旧甲州街道を走ります。国道を離れると正直ホッとしますね。排気ガス、騒音、似たような街並みから解放されますから。国領駅前に小さな祠(昇福稲荷大明神)がありました。(画像は多摩の神社準備室よりお借りしました。)歩道の真ん中に堂々とデンとしてありました。普通なら道の脇に移動してしまいそうな気がしますが、…。大事にされているようですが、霊験あらたかなんでしょうか?この国領あたりで旧甲州街道は大きく曲がり多摩川に平行した感じになります。その近くに...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その3)鬼太郎の調布

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その2)滝坂道

    金龍寺山門の仁王像だが、筋肉隆々だけど、右手が???「おいっ、金出せ!」と言ってるみたいに見えてしまった。すみません!さて、つづきを・・・さらに国道沿いを走っていくと段々と下り坂になりました。右手に大きく下がっていく下り坂が見えてきます。旧甲州街道瀧坂旧道の碑ここは江戸時代に甲州街道が開設される以前、江戸と府中を結ぶ街道であった滝坂道(中世の「府中道」の一つで、江戸時代には「甲州街道中出道」と呼ばれていた。)の終点になる場所です。-----------以下、世田谷の古道を行くより抜粋「滝坂道」は徳川幕府が慶長7(1602)年に甲州道中(甲州街道=現在の国道20号線)を整備する以前、江戸と武蔵国府のあった府中方面を結んでいた中世の「府中道」の一部だったとされる道筋です。この道は渋谷の道玄坂で大山街道(矢倉沢往還=...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その2)滝坂道

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その1)キューピー

    日頃の煩雑な用事が多すぎて、走った記録を残すことを忘れてしまいます。それでもスマホの写真が色色なことを思い出させますね。それにしても、書き出すと止まらなくなり、しかも長文になるので短く切ってブログアップすることにします。この日は3月17日の日曜日、千歳烏山駅から甲州街道沿いに走り、立川のあたりで終了し、風呂屋に入って立川駅周辺で一杯呑むつもりでありました。(その「ラン+銭湯+居酒屋」という旅ランのパターンが、自分の心のリフレッシュのルーティーンになってます。)さて、天気は晴れたり曇ったりの丁度良い天気。東京の街中(世田谷区)にしてはあまり見たことの無い建物がニョッキリ。生コンクリート販売会社のようです。ちょっと調べたら、ここの会長が農業が趣味で本をだしていました。出社前に畑仕事ができたみたいですね。羨ましいです...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その1)キューピー

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その4)

    甲州街道で唯一ここだけではないか?と思うのですが、暗渠でない開渠の玉川上水が見られる場所に着きました。代田橋駅そばのあたりですね。名前の通り、昔は甲州街道が玉川上水を渡る地点に橋(大多橋)があったそうです。甲州街道は江戸を出てからの道はというと地形的に尾根筋みたいなんですよ。分水嶺だから、街道には橋というものがあまりないんです。ですから、人工的な玉川上水にかかる橋は、ちょっとした名所であったようです。水は全く流れていませんね。この甲州街道の代田という地名は巨人のダイタラボッチ伝説と関係あるみたいです。→参考:「だいだらぼっち」の川(北沢川下北沢西支流)画像はウィキペディアのダイタラボッチよりまんが日本昔ばなし1276【だんだらぼっち】何処にあったか忘れましたが、街道らしい石像。青面金剛像かな?京王井の頭線塩硝蔵...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その4)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その3)

    名所江戸百景四ツ谷内藤新宿歌川広重(うたがわひろしげ)大木戸をすぎて江戸から離れました。まずは、1個目の宿場町、内藤新宿です。内藤新宿の復元模型(新宿歴史博物館蔵)。奥が東で、四谷大木戸に至る。手前の分岐点が新宿追分。ウィキペディア内藤新宿よりお借りしました。昭和20年創業の追分だんご本舗です。中で団子を買う人が行列してます。なぜか、そんなに歴史は古くないですね。元々は高井戸にあった柳茶屋というのが元禄時代に移転して追分団子になったようなのですが、それなら、創業はもっと古いはずなんだと思うのですが…?まあ、いいかぁ。団子が美味ければ関係ないや。歴史はあまり味と関係ありません。行列していた牛かつ屋正直いってトンカツの方が美味いと俺は思いますが、皆さんはいかがなもんでしょうか?新大久保や高田馬場にあった牛かつ屋は一...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その3)

  • 桜ランを行いました。

    3月31日の日曜日に桜ラン(井の頭公園の神田川源流から川沿いに高田馬場まで)を実施しました。まあ、走ったのは2人だけでしたけど(笑)井の頭公園は凄い人だかり花見客ばかりです。ついつい、食べているツマミに目がいってしまいます。ただ、公園内は火気厳禁ですので、焼肉とかやっている人はいません。みた感じは手作りのお弁当の方はあまりいなくて、コンビニで買ったものやファストフードが多いようでした。井の頭弁財天に集合12:00銭洗い弁天に祈願!井の頭池の湧水口である「お茶の水」この源流から、神田川が始まります。京王井の頭線の踏切踏切は電車が通ると撮り鉄ではなくても、なんとなく写真を撮ってしまいます。下高井戸の塚山公園にある復元された竪穴式住居この辺りは住居跡20軒が発掘され縄文時代中期の集落で、中央に広場と集団墓地を設け、そ...桜ランを行いました。

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その2)

    半蔵門を曲がったあたりは昔、三越クラスの大店があった場所だと聞いていました。写真のみずほ銀行のあたりらしいです。その大店とは、呉服木綿屋の岩城枡屋という商人でした。間口35軒の大商人ですが、今は存在しません。江戸城のそばだったので武士が沢山すんでいたこともあり、商売繁盛しました。かたや、三越はといえば下町の日本橋でした。ただ、時代が庶民の時代になるにつれて、三越の方が優位になったようです。さらに、幕末には幕府方を応援(新選組の大スポンサー)したこともあり、明治に入って閉店になってしまったらしいです。四谷見附の石垣これも昔の写真が見つかりましたので載せます。四谷門(写真は、ウィキペディア江戸城三十六見附より)今とビックリするような変わりようです。この向こうの辺りは大規模な再開発工事(名称は「コモレ四谷」)が進めら...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その2)

  • 旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その1)

    初春ですが、まだ肌寒い中、旧甲州街道の旅ランを始めました。いつものように、最後は適当なところで終えて銭湯に入り、そして居酒屋放浪といういつものプランにて走ります。背負うザックは着替えと防寒着でデップリと膨らんでいます。あまり格好よくありませんが、寒くて走れなくなるのは嫌なんで、念には念をと沢山詰め込みました。頚椎ヘルニアから復活して、まだ間もない旅ランなので超スロージョグです。日本橋は首都高速道路の日本橋区間約1キロほどが地下化され景観が改善されるそうですね。しかし、地元の人は金がかかるから「地下化するより外しちまえ!」と言ってるみたいです。もう車社会じゃないし、3本の首都環状線が出来てきてるから日本橋で降りる車なんか少ないんじゃないかというわけです。パリでもロンドンでもローマでも、高速道路は郊外だけで街のなか...旅ラン「甲州道走膝痛シ」…日本橋~千歳烏山(その1)

  • 神田川の桜でも観ながらスロージョギングでもしようかと…

    突然、思いつきました。今度の3月30日(日曜日)あたりは桜が満開かな?と・・・。そこで、井の頭公園から走り始めて、高田馬場まで神田川の桜でも観ながら川沿いにスロージョギングしようかと思います。適当ではありますが、多分、約17キロぐらいじゃなかろうかと考えてます。まあ、ハッキリ調べてないのでわかりません。ただし、極端に寒かったり、雨なら軟弱ですが中止します。(その場合、前日の18時までにはこのブログにアップします)あくまで、花見しながら、ノンビリ走ります。高田馬場に着いたら、希望者は世界湯でひと風呂浴びて、さらに希望者は湯上がり後のポカポカの体を鎮めるべく至極の一杯を求めてどこかで飲もうかと思いますが、いかがなもんでしょうか?(突然の予約が取れれば、いつも自分が行く「やきとんてるてる」、予約できなければ栄通りあた...神田川の桜でも観ながらスロージョギングでもしようかと…

  • 旅ラン「日光道中膝痛シ」…(今市宿~日光東照宮)その3

    日光は湯葉関連の店が多いですね。神仏習合文化の郷だから、代表的精進料理として発展したんでしょうか?途中の蕎麦屋で「元祖ゆばそば」と書いてあった店「魚要」では行列してました。食べたかったけど、行列するのは嫌なのでパスしました。しかし、神仏習合文化といえば、東照宮は神社なのかお寺なのか?東照宮を作ったのは「天海大僧正」というお坊さんだから寺?祀っている徳川家康は「東照大権現」というくらいだから、やはり神社?調べてみたら、権現とは(以下、ウィキペディアより)--------→権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。権という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示す。さら...旅ラン「日光道中膝痛シ」…(今市宿~日光東照宮)その3

  • 今年も若潮マラソンに会で参加しました。

    今年も若潮マラソン参加しました。今年から秘密基地が使用できなくなり、今回の宿泊基地は国民休暇村そばの館山シーサイドヴィレッジとしました。ココはもと臨海学校だった施設で、なんだか学生に戻った気分。懐かしい!前夜の夕食はオデンに刺身。持ち込み料理です。基地の周りは家が殆どなく、街燈もなく、夜になると・・・真っ暗闇。1メートル先も見えず、足元も見えず、ま、ま、ま、真っ暗闇夜、館山駅からバスに乗って近くのバス停についたQちゃんを全員で迎えに行きました。というのも、この闇の中、一人で基地に辿り着くのは困難!絶対に遭難しますね。懐中電燈もないので、スマホの明かりでなんとか、バス停に向かいました。しかも、台風並みの強烈な風と寒さ‼‼ただ、空は超満天の星!結構、こんな都会では味わえない経験が楽しかった。翌日は快晴でした。ただ、...今年も若潮マラソンに会で参加しました。

  • 旅ラン「日光道中膝痛シ」…(今市宿~日光東照宮)その2

    静かな日光街道杉並木を楽しんで走る俺茶屋「お休み処叶」江戸時代から「叶一」といブランドで味噌・醤油を販売している日野為商店が併設している施設まだ休んでる場合じゃありません。先を急ぎます。何故かフクロウの像が立ってる古民家後で調べたら、日光市出身のフクロウをモチーフにした彫刻家の「ふくろうの森手塚登久夫石彫館」という建物みたいです。今市総鎮守瀧尾神社(たきのおじんじゃ)に到着立派な鳥居です。鳥居は、世俗と神域との境界線なのですが、じゃあなぜ鳥居というのか?、いつごろからあるのか?、それらの答えとなる説は沢山あって、本当のところは良くわかってないみたいですが、数ある説の中では「古代インドの垣の門をトラーナ(Torana)と呼び、その音が似ていることからトラーナが元となった。」というのが好きです。トラーナ(アジアの涼...旅ラン「日光道中膝痛シ」…(今市宿~日光東照宮)その2

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