隅田川の墨堤で花見をするのなら、欠かせないのは山本屋の桜 餅、といっても過言ではないでしょう。 山本屋は、今年2017年でちょうど創業300年を迎える老舗です。 山本屋(今の店名は「山本や」)へ行くには、浅草から吾妻橋を渡 って墨田区側へ向かい、渡ったところで左に折れます。 そして枕橋を渡り、隅田川の川風に吹かれながら墨堤を言問橋 方面に進んでいくと、桜橋を越えたところで店にたどり着きます。
日本では今年は戦後70年ですが、フィンランドではムーミン が生まれてから今年で70年だそうです。 ムーミンはヨーロッパの童話や昔話などに登場する「トロー ル」という生き物。 ただし、ヨーロッパの童話などに出てくるトロールは、醜くて 低能で乱暴な嫌われ者、という設定になっていることが多い ようです。 これは私がノルウェーのヴォスという街の駅前で見つけたト ロールとおぼしき生き物。確かにインパク…
文京区白山にある小石川植物園に行きました。 正式な名まえは、東京大学大学院理学系研究科附属植物園。 日本最古の植物園です。 江戸時代には小石川薬園と呼ばれていたようです。 小石川薬園は、青木昆陽が甘薯を試作したことでも有名です。 * 地下鉄丸の内線の茗荷谷駅で降りて、春日局にちなむ春日 通りに出ます。それから、江戸時代、付近に松平播磨守の上 屋敷があったことか…
幕末・維新史跡散策の訪問先でも、東京・上野公園の西郷隆 盛像ほどベタなものはないでしょう。 草履ばき、着流しの散歩姿で愛犬とともに立つ姿は、あまりに も有名です。 銅像の作者は高村光雲(犬は後藤貞行)、鋳造は岡崎 雪聲(お かざき せっせい)という人のようです。 像の前はいつも人がいっぱいです。
東京・新宿歌舞伎町にゴジラが現れています。 まだ珍しいのか、歩く人がかなり写真をとっています。 私もパチリ。
入江長八の鏝絵(こてえ)を見るために都内散策にでかけました。 鏝絵とは 左官職人が鏝(こて)で漆喰を用いて作るレリーフのこ と。 入江長八は文化十二年(1815)、伊豆の松崎村に生まれた左官 職人、鏝絵の名人といわれる工芸家です。 彼は二十歳のとき江戸に出てきます。 そして、絵や彫刻を学び、それを左官の業に応用します。 従来は建物の外観を装飾するために漆喰壁に鏝で描かれてい た模様を、絵具で彩色…
京都を訪れるたびに、時間を見つけては幕末関連の史跡を訪 ねています。今回は、坂本龍馬の妻、お龍が独身時代に働い ていた旅館「扇岩」の跡の訪問です。 扇岩跡へは京都駅から歩いていけそうです。 烏丸通に出て、時間があるので途中、東本願寺に立ち寄りま した。
京都の嵯峨野を歩いていたら、龍馬像に偶然出会いまし た。 龍馬像といえば、京都には龍馬像がたくさんあります。 まずは、円山公園(東山区円山町)のもの。これが一番有 名でしょう。 立っているのが龍馬、腰をおろしているのが中岡慎太郎で す。
東京・明治神宮御苑の中にあるパワースポット、加藤清正の 「清正の井戸」(清正井)を訪ねました。 加藤清正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍 した武将。文禄・慶長の役で、朝鮮へ出兵したしたことはあま りにも有名です。 JR山手線の原宿駅で下車、大きな鳥居をくぐり明治神宮の 参道に入っていきます。外国人観光客も多いです。 参道から左に折れます。入口でお金を払います。
京都で観光客があまりこないような場所、ということで洛 北にある深泥池(みぞろがいけ)へ行ってきました。(北 区上賀茂深泥池町) 名を聞けば 影だにみえじみどろが池に すむ水鳥の あるぞ怪しき 平安時代の歌人、和泉式部が詠むとおり、怪しげな場所 のようです。 地下鉄烏丸線の北山駅でおります。朝の九時ごろです。 ロイヤルホストの角で左に折れ、鞍馬街道をそのまま15分 ほど北に向かって歩い…
東京が大雪の日、公家の邸宅跡を訪ねるために京都御苑 にやってきました。 …
同志社大学の創設者、新島襄の旧邸を見に行きました。 まずは、地下鉄烏丸線の今出川駅で降ります。 遠回りですが、ここから京都御所に沿って今出川通りを東に 向かいます。 途中、いろんな場所を見学していきます。 まずは、同志社大学です。 私がかつて通っていた大学と違って建物に風情があります ね。
京都東山に幕末・維新の史跡を訪ね、八坂神社にやってき ました。 西楼門です。 …
御土居(おどい)を見に北野天満宮へ行きました。 御土居とは、豊臣秀吉が天正19年(1591年)に完成させた、京 都市中を囲む土塁です。 地下鉄烏丸線の今出川駅で降りて、今出川通を西に向かって 歩いていきます。 途中、白峯神宮がありました。(上京区堀川今出川飛鳥井町)
昨年の秋から続いていた桜田門の〝お色直し〟。 それが終わったということなので、行ってきました。 桜田門といえば、桜田門外の変があまりにも有名です。 安政7年(1860) 3月3日、水戸・薩摩の浪士18人が江戸城 桜田門外で大老井伊直弼を暗殺。 この大老暗殺は、幕府の権威を失墜させ、幕府滅亡の転機 となり、坂下門外の変を誘…
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