素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。 …
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃん…
奈良・霊山寺(りょうせんじ・奈良市中町)。私はなんと寺そのものをまったく知らずにいた。いわんや三重塔をや!唐招提寺、薬師寺から西へ2㌔ほどの地。このあたり来た…
塔の立つお寺の風景がいつごろからか好きになった。塔の背に青空が、緑濃い木々が、碧き山々があれば、さらにまた美しく、素晴らしい! 東塔西塔といえば、奈良の薬師寺…
将軍に直訴した義民・佐倉惣五郎と同じく、我が信州には「加助騒動」の中心人物義民・中萱嘉助(多田加助)がいた。この際、ぜひぜひお見知り願わしゅう! 教科書は、「…
逆井城を後にして、千葉県成田へ。このところすっかり、まったく忘れていた義民として名高い佐倉宗吾郎(木内宗吾郎)の史跡を訪ねた。因みに我が地元の信州安曇野市には…
大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。みな大学時代の七人の仲…
松本市・安曇野市などに配布される地元タウン紙「MGプレス」。ふだん歴史物の投稿エッセイはほとんど目にしない。「よってチャンス!なのか、よってダメなのか?」 い…
薩摩に、秀頼墓を訪ねた時にふと思った。家康は秀頼が一子、国松をも断罪していることを。その後、国松の墓所を知った。それまでは深く考えもしなかった。 秀頼は母淀君…
出雲・国宝松江城へ。7年前来たときはトントンと天守に登り、制覇したような気に。天守最上階から宍道湖を眺望してご満悦だった。今回は反省して天守に登らず、城内を巡…
「治部少(石田三成)に 過ぎたるもの二つあり …
大和郡山市の松尾寺へ。奈良盆地西の山際の高台に位置する真言宗の古刹。寺の門を入ると。 わわわ、長い石段! こりゃ難儀だ、帰りも恐いが、行く! すると、樹木に守…
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップは…
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退…
九州西国行レポを中断して。寒い!寒い北アルプスからの寒風を避けて古都奈良へと向かったものの。奈良もけっこう寒くて!でも京都に比べ、観光客が少なくそれが嬉しい。…
長門の小次郎さんの墓から山陰道、日本海沿いへ。 石見の国、浜田市の浜田城。江戸初期に伊勢国から移された古田重治によって築城され、五万四千石を領した。その後幕末…
九州ともついにお別れ。関門海峡を渡って萩方面へ、山陰へ向かう。山口県阿武町にあるという佐々木小次郎の墓を目指す。「武蔵といえば小次郎!」なのだが、武蔵の墓はよ…
肥後人吉城からブーンと九州を北上縦断、豊後・大分県日田へ。江戸時代の私塾、広瀬淡窓が主宰した咸宜園へ。 文化14年(1817)開塾から明治30(1897)年ま…
鹿児島ともいよいよお別れ。もう来ることは、うーん、もうないだろうな…。 出来たら、そう出来たらば、あの俊寛さんが流された喜界ケ島へ行ってみたいな。俊寛さんの「…
特攻記念館で嗚咽しつつ、自筆の遺書を読む。ほとんどが二十歳前後の若者か…。 留魂録 第七九振武隊 昭和20年4月16日出撃戦死 岩手県出身 23歳 佐藤新平…
泣きたいから知覧へ行くのか。知覧へ行って、あそこへ行って読みたい遺書があった。鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館へ。 館内はかなりの見学者。 遺書………母上お…
「『天平の甍』を読んで感動しない人はいないでしょ!」大昔、強面の大学の先生の、この強い口調に押されるまま、古本屋へ。そのまま電車中で読み始めて…感動&感動! …
暗澹たる光景が次々、伝えられる。ただただ唖然の日々…。能登半島地震被災者に衷心よりお見舞い申し上げます 5年前2019年夏、能登半島先端、禄剛崎から少し内陸に…
鹿児島市南の郊外、谷山地区。「あの~、このあたりに秀頼公のお墓が…」「ええ、知ってますよ、クルマですか、この道を…」 そして、個人宅の敷地内へ。 門扉が設けら…
「吉之助さぁと一蔵どんは、最後までないごて、互いを譲れなかったのか」「西郷先生、なぜ大久保さんは、士族の息の根を止めようとするのか。幕末騒乱で命をはったのはお…
謹賀新年、明けましておめでとうございます。長く西国九州行のレポをせず、年を越してしまったが。本年2024もよろしくご愛顧ください。◆宮崎日向の国から、鹿児島薩…
2023令和5年。今年もまた、線香を携え各地の墓参へ。志半ばで散った無念の人がほとんどか、いや、皆そうか。 とはいえ明日から2024、皆さま今年も読んで頂きあ…
●綺羅星の如く家康家臣群 夏目吉信、鳥居父子、大久保兄弟、強右衛門…
「大河ドラマ家康」の夏目吉信にはすっかり泣かされてしまった。甲本雅裕さん、熱演だった。三方原合戦で、家康の身代わりとなって憤死した夏目吉信。かなり知られていた…
岡崎から北へ。豊田市の、今や何百(千)万石のトヨタ城下町のビル街、工場群を抜けて。豊田市寺部町の守綱寺。家康十六神将の一角「槍の半蔵」と敵味方に畏怖された渡辺…
今年も残り10日余り…、1年の総まとめを城郭巡りの回顧にて。きつかったなぁ…… 三峯城、佐和山城、佐伯城、思い起こしてもゥゥゥ…涙泪涕が。 尼崎城(兵庫県) …
今までの家康物のドラマの中で、家臣団と家康の物語がかなり詳しく描かれたこと、これがいちばん私は良かった! 特に「酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝」の四天…
「初代天皇は神武天皇」と知っていたが、そうか、生誕地は日向の地か。 奈良の畝傍山へ行った際、すぐ近くに「神武天皇陵」が、壮大にして静寂の中にあった。初めてここ…
4日ぶり、九州西国行レポへもどります。 一路、宮崎市内から都井岬の野生の馬へ会いに出陣。おおげさだけど、小学校以来の「ゆめ」だった。野生の馬を見ることが。「へ…
「おい、静かに、走るな、危ない!」孫たちの喧騒そのまま、みなで会場前へ行くも、場内のぞくと講演中にて静か、かなりの聴衆が。 ここは日比谷図書館文化館コンベンシ…
「赤松小三郎って、知ってる?」娘息子孫、友人知人…、何人かに聞いた。「ウーン…分からない、知らない」。私の「赤松小三郎伝」が載ってる拙著を持っていても、これで…
宮崎市から南へおよそ40㌔の日南市の飫肥の城下町。観光客がそぞろ歩きしている街並みを飫肥城の大手門へ向かう。 飫肥城は、戦国時代に島津・伊東氏が争ったが、秀吉…
10月1日レポです。所は九州、日向国。延岡城から佐土原城へ。今旅の最初、関ケ原古戦場で墓参したあの島津豊久が一時城主であったという城。復元された鶴松館御殿の前…
きのう(9月29日)、登城に喘いだ豊後・佐伯城。松本城主だった石川康長は、1614年に改易され、ここ佐伯城下へ配流された。昨2022年、康長公の位牌を安置する…
「本丸まで20~30分ぐらい」と地元の方。ウーン…、帰ってこれるかが不安。しかし、本丸の石垣を下から仰ぎ見ると、登ってみたい。 標高140㍍。「行くぞ‼」。 …
魔女様から万葉秀歌について、さまざま教えていただき。また奈良へ行かないとなぁ、などと思いつつ…、自分の寿命を思いつつ…。四国路をクルマを西へ走らせる。 今治城…
●「熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば…」の港は?
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」高校時代、古典の先生が天井を見つめながら、酔ったようにこの額田王の歌を…
屋島城で熱暑にうたれ、ホテルではバタンキューダウンだったが、翌日なんとか快復!西へ一路、四国中央市の川之江城へ。瀬戸内海が天守から一望とか。おぉ、模擬天守が碧…
九州へは四国の伊予・八幡浜港からフェリーで渡る予定にて、明石海峡大橋を通過、淡路島から四国へと向かう。 淡路島の、道の駅・あわじから美しい瀬戸内海を望むも、世…
旧友・整ちゃんの逝去にずっとこだわりながら…。取り残されたごとく自分は生きている、ズルズルダラダラ生きていくのか。旅の途中訃報に接した西国九州の旅レポ、もう旧…
旧友の急逝にあたり、ブロ友様各位からお悔やみ・励ましの言葉をいただきました。ありがとうございました。一つ一つ返信も出来ず、ダラダラと日を過ごして、すみませんで…
●南さつま市 鑑真上陸の地へついに来たのに、なんということか…!
ついに来た!ここへ来てみたかった!今、南さつま市にて書いています…。 何回も日本への渡航に失敗、盲目となっても頑強な意志でついに日本へきた鑑真和上。その鑑真が…
後醍醐天皇・南朝を強力に支えた四人の武人を、後世、略して「三木一草」と称し、讃えた。結城親光(ゆうきのき)、 名和長年(伯耆守のき)、楠木正成(くすのきの木)…
東日本大震災の翌年、長駆、石巻市の大川小学校へ向かった。児童・先生80名以上が犠牲となったという強烈な印象が残っていて、北上川河口近くの小学校へ行ってみたかっ…
新田義貞は、天皇・後醍醐天皇を信奉すべきか、いや武士たちの意向を酌むべきか、迷う。尊氏の武家中心・尊重もよくわかる、正成の純な気持ちもわかる、惹かれる…。迷う…
なぬぅ~? 新田義貞墓所が福島県棚倉町に?むむ、桐生市に首塚が! さらに驚いたのは、新田神社や生品神社のある新田義貞のふる里、群馬県太田市に義貞の弟・脇屋義助…
大リーグも、日本も野球はそろそろ終盤。大谷翔平選手にはなんとしてもホームラン王をとってほしい!と願う。そして日本では、我れ長年奉職した松本第一高校出身のDeN…
「どうする家康」で今や話題の岡崎城へ。かなりの人手。相方は初めてとあって大喜び、天守最上階にて両手を広げるポーズ、いいねえ。私は何度か来てはいるもののいつも新…
大河ドラマ『どうする家康』を見つつ、ふつふつと湧いていた思いが、義仲四天王の二人、根井行親・楯親忠父子の史跡を訪ねて以来、「よぉ~し!」。約10日間、熱を込め…
二俣城は、岡崎信康が自刃した城として有名だが、それ以前に武田方の城として守備していた城主・依田信蕃(のぶしげ)は、残念ながらあまり知られていない。依田信蕃、「…
遠州・二俣城、鳥羽山城へ。ブロ友・JOJOさんのレポにて、鳥羽山城をまったく知らなかったことを知る。 二俣城は大雨の中、かつてちょっと行った。その日は、岡崎信…
「けぇったら(帰ったら)、草刈り頼むわ」「任せろ、そんじゃぁ、いくぞ!」あいかわらず、元気はつらつな相方。恒例の、高校時代硬式テニス部(今はテニス部という)ダ…
南北朝時代はわかりにくい時代だ。大河ドラマ「太平記」(1992年放映)は面白かったが、人間関係のつながりが難しかった。昔からのなじみのある武将が極めて少なかっ…
伊勢市から西へ7キロほど内陸の、渡会郡玉城町。南北朝時代に北畠親房、顕信父子によって南朝の拠点として築城されたのが城の始まりという田丸城。 大手門橋から登城開…
●根井行親(ねのいゆきちか)、楯親忠(たてちかただ)って誰? 訪ねてトクした良かった!
「あのう、すみません、『楯親忠』の碑、さがしてるんですが…」「たて?❓ うー、たてろくろうかいのう?」「そうです、楯六郎、楯六郎親忠の館跡の碑を探してるんです…
新宮市から北へ30㌔ほど。すぐ近くが海とは思えない深山の熊野山中、熊野市紀和町の赤木城へ。海は見えないが、絶景の山並みを望む城跡があるという。 というわけでま…
鳥羽城から南へおよそ120㌔。紀伊半島の南岸をひた走る。海沿いとは思えぬほどトンネルが。目指すは新宮城。しかし今日は曇天、途中、こんな熊野灘を垣間見たのだが。…
鳥羽城からさらに志摩半島の先端、波切(なきり)城へ向かう。きっと素晴らしい海が待ってるはず。ところが意外とこれが遠く、しかも左右かなりの山道を走る。志摩市大王…
夏目吉信、鳥居強右衛門に、ここんとこ大河「どうする家康」では、泣かされてしまった。おぉ、こうなれば次は大河内政局(おおこうちまさもと)登場か!と期待したが。ち…
中岡慎太郎を『信州往来もののふ列伝』の連載に、早々書いたのは2010年3月。中岡が佐久間象山に教えを請うため、信州松代まで足を運んでいたことに感銘、はやく載せ…
伊勢、南紀へ行けば広大な太平洋を眺める城砦があるはずと出立。お伊勢様にお参りもせず、志摩半島の鳥羽城へ。伊勢市から東へ10キロほど。海に面した城とはいえ周囲は…
ここんところ、大谷選手のホームランに憑りつかれ、食い入るように毎日中継を見ている。大谷選手が打席に立つと、ホームランを打つ感じがして、そして打ってくれるから。…
熱田を出た信長軍は、丹下砦を経て善照寺砦に。およそ二千を率いて着到した。十九日午前中か。『信長公記』は以下のように記す。 「(信長は)熱田より、もみにもんで懸…
桶狭間合戦に関連する城砦・史跡を巡った。 今回は、大高城、丸根砦、鷲津砦、そして桶狭間古戦場公園へ。 半年ほど前は、沓掛城、善照寺砦、中島砦、そして古戦場公園…
関ケ原古戦場へ。藤川台は西軍の将にて三成の親友、あの大谷吉継の眠る地。 石田三成の里から12、3㌔ほど。吉継墓所へと向かう山道がかなりしんどく苦しくなってきた…
大河ドラマ『どうする家康』に鳥居強右衛門が登場した。長篠の地に駅名も残る鳥居強右衛門を、これはもうぜひ! ぜひにも語らせてくだされ! 「強右衛門、おぬしは川の…
佐和山城に27年ぶりに登って、何か「偉業」を成し遂げたようなこの達成感!賞賛?のコメントもいくつかいただき、嬉しさ百倍の感じです。ありがとうございました! 佐…
「もはやこれが最後!」と、佐和山城登城に今回は迷わず決断!思えばかつて「こんな城ちょろい!」と駆け登った治部少輔三成の城。しかし、ところが艱難にして辛苦な城だ…
今まで賤ヶ岳に登った時は振り返ることもなく、ロープウェイを降りると頂めざしてひょいひょいと走ったんだろうな、きっと。 かつての写真ファイルにこんな写真⇩が1枚…
越前・三峰城、標高404㍍。鯖江市上戸口の、三峰城のふもと・登山口あたりで、地元の方に頂までの道の様子を訊ねた。「狭い山道だが舗装してあるでな。対向車来ると厳…
中西! 中西太さん、かつての西鉄(現在西武)・中西選手が亡くなった。小学生時代、あこがれだった。まだテレビがほとんど無い時代、小学校の音楽室あたりに1台。日本…
●感涙泣けた!夏目広次、いや吉信よ、熱演でしたね甲本雅裕さん!
大河ドラマ「どうする家康」の三方ヶ原の巻 14日。夏目広次(吉信)、泣けました。夏目広次がかくも主役級で登場し、取り上げたドラマはかつてなかったのでは。 一人…
残雪の北アルプスを眺めながら、一路、新潟県の糸魚川へ。長野五輪のスキージャンプ台が見える。糸魚川から北陸高速で西、富山県へ。左手に残雪の北アルプスが、富山側か…
浄瑠璃寺へ、今日は寒い。このまっすぐな道が浄瑠璃寺への路。ちょっと小走りで行く。寒いからではない。 やはり緑眩しい日の路が。 「さて今日は、九体の仏さん、勢ぞ…
松本城主・石川康長が配流された大分県佐伯市を、昨年秋訪ねた。そのことについて地元タウン紙「MGプレス」のエッセイ欄に投稿した。やっと文がまとまった、やっとのこ…
連日、大谷に歓声をあげ、ウクライナに暗澹しつつ…。薬師寺へ。………「我が秋津洲日本で、一番美しい塔といえば?」「そりゃ無論、薬師寺東塔に決まっとる! 」国宝の…
山吹堂へ。住所は麻績村麻、なんとなく場所は覚えていた。麻績村の街からしばらく登りの山道を行くとお寺があり、道を尋ねると住職が教えてくれた。自分の写真ファイルを…
前回の拙ブログにドナさんのコメントをいただき、久々に思い出させてもらった山吹姫。ずっと忘れていたなぁ。ありがとうございました。山吹の花の写真を撮ってよかった。…
夏のような天気に誘われ、久々義仲さんのとこへは遠いから、「義仲四天王・今井兼平の史跡へでも行ってみっか」と爽やかな春の風に誘われふらり。 ところが! ちょっと…
昨秋から冬、奈良の古寺をのんびりと彷徨した。まず東大寺へ。中学の修学旅行以来、何度か東大寺には足を運んでいるのに、正倉院を今回真近で初めて見た。思っていたより…
広大な関東平野を唐沢山城から睥睨したからには、これまたあの広大な埼玉古墳公園の巨大古墳群にY様を案内せねば。 「この頂上に、あの三成さんは本陣を構えたのよ。そ…
信州から関東の地へ、Y様ご案内続報。上田から鳥居峠を越え上野国へ、かつて真田幸隆、昌幸、真田信之らの真田一党が疾駆・闊歩した真田街道(国道144・145線)を…
田の畔草刈り、庭木の伐採などなど、実によく助けていただいているY様。感謝の一環としてしばしば各地の城案内を(Yもかなりの城好き)。Yとは高校の硬式庭球部同期。…
瀬戸内の海は、四国側の城からもよく見える。今治城(愛媛県)。 丸亀城(香川県)からも。だが、私はなんかちょっと感激が薄いような。眼下に人家やビルが見えるからか…
かつて米子城(鳥取県)から望んだ中ノ海一望! はるか遠くに島根半島の山並みが淡く浮かび、その向こうに日本海が広がるという、壮観なパノラマだった。城の石垣もみご…
WBCに魅了され、大谷に憑りつかれ、なんと素晴らしい優勝か!6戦6勝はみな、いい試合ばかりだった、感動! と、その間列伝は横浜スタジアム、孫の野球DeNA杯シ…
八代城からの帰り道に見つけたこの看板! これは行かねば!竹崎季長…、久々にその名を思い起こした。6年前に博多の元寇防塁跡へ行ったとき以来。 防塁の説明書きの「…
WBC・我が牧秀吾(松本第一高校出身)、そして大谷の活躍が、蒙古襲来時の英雄・竹崎季長の登場をまた押しのけてしまった。申し訳ない、今しばらく、お許しあれ、季長…
お陰様の皆様の応援にて我が長野県出身、我が松本第一高校出身牧秀吾、打ったぁ!地元紙「信濃毎日新聞」の記事は一面にて。 今日も一発、いくぞ! ぜひ牧にエールを!…
●WBCだ、大谷だ!そして我が松本第一出身の牧秀吾も、がんばれ!
我が家の福寿草がついに芽を、寒い信州もいよいよ春。そして世はWBC!大谷に魅せられ、憑りつかれた球春!だがだが皆様方、後列右から二人目の牧秀吾にもぜひぜひご注…
熊本市から南へおよそ20㌔、宇土城へ。 一説では、熊本城の宇土櫓↓は、宇土城の天守を移築したものという。秀吉の九州平定後、佐々成政が一時肥後南部を支配したが、…
かつて大昔、テレビドラマ「新選組血風録」、「燃えよ剣」にて、土方歳三に栗塚旭、沖田総司に島田順司が扮した。このドラマで土方の、沖田のただ強いばかりでない、かっ…
いまだ昨年の西国旅レポ中というモタモタ状態なのに、前回、久々近藤勇について書き、思い出してしまい、続編です。 20年ほど前、次の大河ドラマ「新選組!」と聞いて…
剣豪といえば宮本武蔵の名が最も知られ、最強の剣豪というイメージか。武蔵と闘った佐々木小次郎も、敗れたりとはいえ「燕返し」という剣法でその名は西国一と称せられて…
「國々所々に至り、諸流の兵法者に行き合い、 六十余度まで勝負をすといえども、 一度も其利を失わず」 武蔵の強さを示すよく知られたこの文言。こう記された『五輪書…
「ブログリーダー」を活用して、列伝さんをフォローしませんか?
素晴らしき本丸というか、岩殿山山頂でした。しかし、難攻&難攻、足が、膝が、爪が痛くて痛くて、泣いた!よくぞ無事に帰還出来たと(嬉泣)。 好天無風に恵まれ、こん…
新府城から、涙の森を経て、躑躅が崎の館を通りすごし…。勝頼一行は大善寺(甲州市勝沼)にその日の夜着到した。落ちる者多く、もはや二百人足らずになっていたとも。 …
「新府城から岩殿城、勝頼さんの悲しみの道を行くってのはどうだや?」今年も田んぼ畔草刈りや庭木の伐採などなど、もろもろ世話になる高校時代からのわが友リュウちゃん…
奈良・霊山寺(りょうせんじ・奈良市中町)。私はなんと寺そのものをまったく知らずにいた。いわんや三重塔をや!唐招提寺、薬師寺から西へ2㌔ほどの地。このあたり来た…
塔の立つお寺の風景がいつごろからか好きになった。塔の背に青空が、緑濃い木々が、碧き山々があれば、さらにまた美しく、素晴らしい! 東塔西塔といえば、奈良の薬師寺…
将軍に直訴した義民・佐倉惣五郎と同じく、我が信州には「加助騒動」の中心人物義民・中萱嘉助(多田加助)がいた。この際、ぜひぜひお見知り願わしゅう! 教科書は、「…
逆井城を後にして、千葉県成田へ。このところすっかり、まったく忘れていた義民として名高い佐倉宗吾郎(木内宗吾郎)の史跡を訪ねた。因みに我が地元の信州安曇野市には…
大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。みな大学時代の七人の仲…
松本市・安曇野市などに配布される地元タウン紙「MGプレス」。ふだん歴史物の投稿エッセイはほとんど目にしない。「よってチャンス!なのか、よってダメなのか?」 い…
薩摩に、秀頼墓を訪ねた時にふと思った。家康は秀頼が一子、国松をも断罪していることを。その後、国松の墓所を知った。それまでは深く考えもしなかった。 秀頼は母淀君…
出雲・国宝松江城へ。7年前来たときはトントンと天守に登り、制覇したような気に。天守最上階から宍道湖を眺望してご満悦だった。今回は反省して天守に登らず、城内を巡…
「治部少(石田三成)に 過ぎたるもの二つあり …
大和郡山市の松尾寺へ。奈良盆地西の山際の高台に位置する真言宗の古刹。寺の門を入ると。 わわわ、長い石段! こりゃ難儀だ、帰りも恐いが、行く! すると、樹木に守…
ブログに大和三山についてあれやこれやとまとめている最中の数日前。信濃毎日新聞社の投稿欄の係の方から連絡が!「大和三山」載るって、ほほ、やったぁ!ブログアップは…
今冬、大和三山の一つ、畝傍山の頂を目指した。といっても200㍍足らずの山なのだが、昨夏は猛暑で麓にてダウン、しかも「まむし注意」の看板に怖気づいてすごすごと退…
九州西国行レポを中断して。寒い!寒い北アルプスからの寒風を避けて古都奈良へと向かったものの。奈良もけっこう寒くて!でも京都に比べ、観光客が少なくそれが嬉しい。…
長門の小次郎さんの墓から山陰道、日本海沿いへ。 石見の国、浜田市の浜田城。江戸初期に伊勢国から移された古田重治によって築城され、五万四千石を領した。その後幕末…
九州ともついにお別れ。関門海峡を渡って萩方面へ、山陰へ向かう。山口県阿武町にあるという佐々木小次郎の墓を目指す。「武蔵といえば小次郎!」なのだが、武蔵の墓はよ…
肥後人吉城からブーンと九州を北上縦断、豊後・大分県日田へ。江戸時代の私塾、広瀬淡窓が主宰した咸宜園へ。 文化14年(1817)開塾から明治30(1897)年ま…
鹿児島ともいよいよお別れ。もう来ることは、うーん、もうないだろうな…。 出来たら、そう出来たらば、あの俊寛さんが流された喜界ケ島へ行ってみたいな。俊寛さんの「…
昨秋から冬、奈良の古寺をのんびりと彷徨した。まず東大寺へ。中学の修学旅行以来、何度か東大寺には足を運んでいるのに、正倉院を今回真近で初めて見た。思っていたより…
広大な関東平野を唐沢山城から睥睨したからには、これまたあの広大な埼玉古墳公園の巨大古墳群にY様を案内せねば。 「この頂上に、あの三成さんは本陣を構えたのよ。そ…
信州から関東の地へ、Y様ご案内続報。上田から鳥居峠を越え上野国へ、かつて真田幸隆、昌幸、真田信之らの真田一党が疾駆・闊歩した真田街道(国道144・145線)を…
田の畔草刈り、庭木の伐採などなど、実によく助けていただいているY様。感謝の一環としてしばしば各地の城案内を(Yもかなりの城好き)。Yとは高校の硬式庭球部同期。…
瀬戸内の海は、四国側の城からもよく見える。今治城(愛媛県)。 丸亀城(香川県)からも。だが、私はなんかちょっと感激が薄いような。眼下に人家やビルが見えるからか…
かつて米子城(鳥取県)から望んだ中ノ海一望! はるか遠くに島根半島の山並みが淡く浮かび、その向こうに日本海が広がるという、壮観なパノラマだった。城の石垣もみご…
WBCに魅了され、大谷に憑りつかれ、なんと素晴らしい優勝か!6戦6勝はみな、いい試合ばかりだった、感動! と、その間列伝は横浜スタジアム、孫の野球DeNA杯シ…
八代城からの帰り道に見つけたこの看板! これは行かねば!竹崎季長…、久々にその名を思い起こした。6年前に博多の元寇防塁跡へ行ったとき以来。 防塁の説明書きの「…
WBC・我が牧秀吾(松本第一高校出身)、そして大谷の活躍が、蒙古襲来時の英雄・竹崎季長の登場をまた押しのけてしまった。申し訳ない、今しばらく、お許しあれ、季長…
お陰様の皆様の応援にて我が長野県出身、我が松本第一高校出身牧秀吾、打ったぁ!地元紙「信濃毎日新聞」の記事は一面にて。 今日も一発、いくぞ! ぜひ牧にエールを!…
我が家の福寿草がついに芽を、寒い信州もいよいよ春。そして世はWBC!大谷に魅せられ、憑りつかれた球春!だがだが皆様方、後列右から二人目の牧秀吾にもぜひぜひご注…
熊本市から南へおよそ20㌔、宇土城へ。 一説では、熊本城の宇土櫓↓は、宇土城の天守を移築したものという。秀吉の九州平定後、佐々成政が一時肥後南部を支配したが、…
かつて大昔、テレビドラマ「新選組血風録」、「燃えよ剣」にて、土方歳三に栗塚旭、沖田総司に島田順司が扮した。このドラマで土方の、沖田のただ強いばかりでない、かっ…
いまだ昨年の西国旅レポ中というモタモタ状態なのに、前回、久々近藤勇について書き、思い出してしまい、続編です。 20年ほど前、次の大河ドラマ「新選組!」と聞いて…
剣豪といえば宮本武蔵の名が最も知られ、最強の剣豪というイメージか。武蔵と闘った佐々木小次郎も、敗れたりとはいえ「燕返し」という剣法でその名は西国一と称せられて…
「國々所々に至り、諸流の兵法者に行き合い、 六十余度まで勝負をすといえども、 一度も其利を失わず」 武蔵の強さを示すよく知られたこの文言。こう記された『五輪書…
永井路子さんが亡くなった。直木賞受賞作の『炎環』はじめ、『北条政子』 『朱の十字架』 『乱紋』『茜さす』など、鎌倉時代、そして歴史上の女性をテーマにした作品を…
熊本城包囲散策、続きです。行幸橋を渡って加藤清正像を見て、坪井川沿いの長塀通りを東へ。みごとな竹の丸を守る重文の長塀に感動! 兵庫・明石城の長塀↓を思い出す。…
「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、天下に騒乱が起きる…」築城主・加藤清正がこう予言したという逸話を、大昔からよく覚えていた。 大きい、でかい! 本丸広…
来た、来た、来たぞ、熊本城!大昔、修学旅行の引率で来たが、てんやわんや、お城見物どころではなかった。築城者は云わずと知れた加藤清正。熊本市内・本妙寺の、城下一…