chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
父と・・・ https://ranran-family.jugem.jp/

70歳代前半の父が、原発性骨髄繊維症から急性骨髄性白血病となりました。父との最期までを書き留めます。

たぁちゃん
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2009/02/27

arrow_drop_down
  • 「四十九日法要」

     2009年6月10日(水)父の四十九日法要。父の遺骨は、お墓の中へ納められた。土に還った。渡せなかった千羽鶴は、位牌とともにお焚きあげされる。千羽の鶴と一緒に、極楽浄土へ行ったと信じるよ。いい娘じゃなかった・・・ごめんなさい。本

  • 「月命日」

     2009年5月23日(土)父が亡くなってちょうど1ヶ月。初めての月命日がやってきた。昨日のうちに実家に花を送っておく。実家には生まれたときから仏壇があり、月命日には毎月お経をあげにお坊さんが来ていた。だから私にとって、月命日は馴

  • 「祖父との再会」

     2009年5月18日(月)父の遺骨が家にいられる期間も、半分過ぎた。実家に戻ったときは、遺骨が納められた箱を撫でている。父の父、つまり私の祖父は戦争で亡くなっている。あと2、3週間で終戦だったという日付で、戦死したことになってい

  • 「運転手のいない車」

     2009年5月14日(木)私はペーパードライバー。運転免許を取ってから十数年、一度も運転していない。父が乗っていた車をどうするか?結局、処分(売却)することに。車の必要性をほとんど感じない私。父が乗っていた車、運転したくないわけ

  • 「手元供養」

     2009年5月12日(火)手元供養。遺骨を寺院やお墓に納骨せずに、自宅に置いて供養する形式。インターネットで検索すると、遺骨や遺灰、遺髪などを小さな骨壷やアクセサリーの中に埋めて供養するものがあることがわかる。最初は私も、遺髪を

  • 「命のつどい」

     2009年5月10日(日)「骨髄バンク 登録推進運動 命のつどい」今年で3度目の参加。過去2年は、骨髄バンクを意識して参加していたわけでは全然なかった。今年は・・ 違う。バンクに登録して下さる方が増えれば、それはそれでいいこと

  • 「グリーフ(悲嘆)ケア」

     2009年5月8日(金)父が亡くなって2週間になる。後悔ばかりが心に浮かんでしまう。ところで 「グリーフケア」 という言葉、知ったのはこの数ヶ月のこと。後悔や自責の念が起きるのは、とても普通のことであること。これが正常なんだと思

  • 「父の遺言」

     2009年5月5日(火)この連休中、実家へ帰っていた。私は知らなかったけど、父は日記(メモ)をつけていたみたいだ。いろんなメモが出てくる。整理(処分)するために見ていたら、いつ書いたんだろう、父が亡くなった時用に書き置き(?)が

  • 「父が会わせてくれた」

     2009年5月2日(土)探していたN先生。見つけました、新しい勤務先。先ほど、失礼かとは思ったけどその新しい病院を訪ねてみました。快く会って下さいました。父が亡くなったことは知っていたそうです。とてもマメに病室を訪れて下さって、

  • 「病室で一緒に食事を」

     2009年5月1日(金)いつかの記事で書いたと思う。ある方の真似をして、私も父の病室で一緒にお弁当を食べる機会を作った。私の場合はデパートで美味しそうなお弁当を買って来ていた。父に、母に、そして自分に。3つのお弁当を買ってきて、

  • 「N先生の行方」

     2009年4月30日(木)父がずっとお世話になっていたN先生。3月いっぱいで別の病院に異動されてしまった。そのN先生に、やっぱりお礼が言いたい。だけどどこの病院へ移ったのかがわからない。だいたいのことは聞いていたけど、ネットで調

  • 「初七日」

     2009年4月29日(水)今日は父の初七日。もう1週間なんだな・・・遅れたけど、千羽鶴を父のところへ持っていく。本当は、生きているうちに見せたかった。心細げに、病院のベッドで泣いていた父。元気になって退院するんだと言っていた父。

  • 「父との最期」

     2009年4月27日(月)このブログのタイトルは 「父と・・・」この 「・・・」 部分にはもちろん言葉が入るのだ。ただその言葉を入れるには時期があった。そう、今。今このブログは本当のタイトルになれる。「父との最期」これがこのブロ

  • 「小さな父、帰宅」

     2009年2月24日(金)通夜そして告別式を終え、お骨になった父と帰宅した。帰りたがっていた父。やっと帰れたね。小さな箱に入って、そして写真とともに。一人で、しかも短い時間であっという間に息をひきとって。母にこれ以上介護させるの

  • 「父が亡くなりました」

     2009年4月23日(木)夜中の2時過ぎ病院から電話がかかってきた。父の血圧が下がっているという。急いで病院に向かう母。母から電話が来たとき私は震えていた。「パパは2時半に亡くなったよ・・・」間に合ったの? と訊くと「間に合わな

  • 「幻覚・幻聴・妄想と現実」

     2009年4月22日(水)今日もほとんど眠ったままの父。それでも母は朝7時すぎから20時近くまで病室にいる。食事の介助も必要ないし、眠ったままとはいえ、そばにいたいんだろうな。本当は母の体が心配なので止めたいんだけど、もう止める

  • 「父が父ではなくなる日」

     2009年4月21日(火)あまりに痛がる父。代表して母が、医師にお願いした。痛み止と、導眠剤を点滴で投与。今日ほとんど眠っていたという。だから食事などほとんど摂れていない。「食事もとれないので、栄養剤などをお願いします」看護師に

  • 「7時から20時まで」

     2009年4月20日(月)父の朝食を介助するため、朝7時に家をでて病室へ向かった母。平日だしヘルパーさんもいるはずだったけど、父の前に置かれた御膳は手つかず・・・昼食の介助のあと夕食まで、一旦家に戻って家事をしたかった母だけど結

  • 「食べたいのに」

     2009年4月19日(日)今朝9時少し前に母と一緒に病室へ行った。行くと開口一番 「お水飲ませて」まだ朝食は終わっていない。父は今、自分で食事を摂ることが出来ない。お箸もスプーンも、お茶碗もコップも、自分の手で持つ力はない。食事

  • 「娘の力」

     2009年4月17日(金)この数日の間で比べたら、今日は少し食べた方だという。少しは調子が良かったんだろうな。母が「明日は、たぁちゃんが来るよ。何か買ってくるって言ってた。」というとたぁちゃんが買ってきたものなら、なんでも食べる

  • 「2か月で」

     2009年4月16日(木)いつものように2週間ごとの外来診察。いつものように採血もしてもらって、診察受けて帰るはずだった。なのにあの日は違った。即入院となってしまった。あれから2か月。2か月、父は家に帰ることも出来ないまま病院に

  • 「どんどん食欲が・・・」

     2009年4月15日(水)食欲がどんどん、どんどん落ちてゆく父。水分は摂るけれど(病室が暑いせいかな)、食べるということではほんのチョッピリ。昨日、栄養士さんが来て、栄養補助食品(カロリーメイトとか、そのたぐいのドリンク)のサン

  • 「気が張っている今はいいけど」

    2009年4月13日(月)家から病院まで、歩いて15分程度。出歩くタイプではなかった母は最初、その15分でも疲れたみたいだけど、今は慣れたと言っていた。今日は父が 「ウニが食べたい」 と言ったらしく、近くのデパートへ買いに行ったと話してくれ

  • 「ありがとう」

     2009年4月12日(日)入院して今日で53日目。昨日は実家に泊まった。今日の昼には仕事に戻らなければならなかったので、朝父のところに顔を出した。ちょうど、朝食の時間。「この病院で唯一おいしいのは、おかゆなんだよ」と言ってお粥を

  • 「泣き顔」

     2009年4月11日(土)夕方病院へ行く。ぐったりしていた父。帰り道母が言った。「今日の昼ねぇ。もう駄目かなって言ったんだよ。心配は、私たち(母と私)だって・・・たぁちゃんはどうするのかなぁって言ってた。泣いてた。 泣き顔初めて

  • 「もうダメなのかな・・・」

     2009年4月9日(木)父はずっと「いついつには、退院する!」「ゴルフにはいつ頃行けるようになるかなぁ」と言っていた。治って退院すると、信じていた。でも。浮腫みに浮腫んだ脚。全然歩けず、「もうダメなのかなぁ・・・」と呟いたそうで

  • 「シャンプー」

     2009年4月8日(水)今日はシャンプーをしてもらったみたい。そっかー、良かった。水のいらないシャンプー なるものを買っていこうかと思ったことがあったんだけど、お水を使って洗った方が断然気持ちいいはず。良かったそうそう、出戻りT

  • 「パンツ」

     2009年4月7日(火)脾臓の腫れ・・ だけじゃないような気がするけど。父の腹部はかなり膨れてしまっている。病院のパジャマ(病衣)の上からでも、そうとう腹部が盛り上がっているのがわかる。それで今まではいていたパンツ(トランクス)

  • 「幻覚?」

     2009年4月6日(月)昨日「痛み止めを増やしましょうか?」 とDr.から訊かれていた父。増やしたのかどうかは定かではないけど、「(痛み止めを使うと) 幻覚が出る」と言ったらしいのだけど、Dr.には訴えてない。言わなきゃ、ちゃん

  • 「鰻と鼻血」

     2009年4月5日(日)今日は母の誕生日。3人で鰻を食べてお祝い (病室で、だけど)。鰻は先週、父からリクエストされていたものだった。あんまり箸は進んでいなかったように見えた。それでもご飯を少し残しただけで、鰻は全部食べていた。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、たぁちゃんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
たぁちゃんさん
ブログタイトル
父と・・・
フォロー
父と・・・

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用