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到るところ青山 https://blog.goo.ne.jp/horoyoy

写真も俳句も自分勝手流で楽しんでおります。

ポエムブログ / 写真俳句

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ひよどり
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住所
埼玉県
出身
茨城県
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2009/02/27

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  • 秋の池

    見るとなく池を眺むる秋思かな一平(みるとなくいけをながむるしゅうしかな)・・・・・・・雨模様の日であった。今日こそはとの思いで、午前中、お寺参りに行ってきた。忙しそうなご住職とも話ができて、有意義な日であった。寄り道もせずに帰ってきたので、雨にも遇わず、ラッキーだった。しかし、多少は疲れた。情けないことだ。秋の池

  • 不決断の一日

    朝から雨。出鼻をくじかれ、お寺参りを中止とした。雨の一日だと思ったからでだ。ところが、「お寺参りは中止!」と決めたとたん、空は明るくなった。雨があがったらしいのだ。しかし、「雨があがった!」となっても、すぐさま「よしっ、外出だ!」とはならない。「グズグズ、グズグズ・・・」と、無為な時間を過ごしている。「仕方がないから、ブログでも書こうか?」と思い直してみたが、あまり気分が乗らない。妙な一日になってしまった。何があっても、明日は墓参りに行こう!不決断の一日

  • 愛郷心「素朴派」の心情

    私は「ふるさと」が好きだ。それも「故郷」ではなく「ふるさと」であるところが、微妙。「ふるさと」を辞書で引くと,おおかたは「古里」「故郷」などと書いてあり、「その人が生まれ育った土地」などとなっている。私の場合、断然、ひらがなの「ふるさと」でなければならない。愛郷心「素朴派」の心情

  • それが難題・・・?

    ここのところ幾日間か、カラオケに行っていない。私にしてみれば、マア珍しいことだ。体調が悪いわけではない。近々には、仲間たちとの「カラオケ会」も予定されているのだ。明日はカラオケに行こうか・・・?いや、その前に、是非とも自室の整理整頓か?うーん、それが難題だ!それが難題・・・?

  • 妙なカラス

    上野の公園から不忍の池に降りる階段で撮ったカラスです。私を追って来たカラスでした。高く、遠くへ飛び去ることもせず、私の周囲を飛んだり降りたりしてました。そして時折り、やや抑えた調子の声で、「ギャア、ギャア・・・」と鳴くのです。「目下警戒中!」の鳴き声です。私が公園下の道路に降りたとたん、カラスは一声上げて、飛び去って行きました。妙なカラスでした。妙なカラス

  • 豊かな気分で

    農業用水の向う岸の藪の中で、立派な烏瓜が垂れている。用水の川幅は数メートルほどあり、しかも深さが数十センチもありそうだ。立派な烏瓜は妨害されることもなく、ゆったりと垂れているのだ。烏瓜に異様な興味を持つ私でも、おいそれとは近寄れない。私以外のなにびとも近寄れない。つまり、烏瓜が誰かに持ち去られる心配はないのだ。だから私は、毎年、豊かな気分でこの季節を過ごしている。豊かな気分で

  • 無神経なヤツ

    しばらくの別れの余情秋日傘一平(しばらくのわかれのよじょうあきひがさ)・・・・・・・別れには「秋の日傘」は似合わない。秋とは言え、日傘をさすほどの日和であれば、別れの悲嘆はさほどない。写真を眺めながら、そんな不埒なことを思った。無神経なヤツ!無神経なヤツ

  • 吾亦紅

    揺れ止めて何を思ふや吾亦紅一平(ゆれとめてなにをおもうやわれもこう)・・・・・・・花とも思えない吾亦紅に、私はとても魅かれている。団子のように見える花は、じつは多数の小さな花が集まった花序、いわば偽花なのだとか。そんな吾亦紅を、私は長い時間をかけて、じっと眺めていたい。・・・・・・・然りながら許す気も無し吾亦紅一平(さりながらゆるすきもなしわれもこう)・・・・・・・午前中に駅前の書店へ行った。目当ての本は無く、まったくの無駄足になってしまった。かなり蒸し暑い陽気だった。が、秋は確かな足取りでやって来た。私の不得意な季節が近づいて来ているのだ。吾亦紅

  • 道路に変身!

    昨年の写真の「つくしんぼ」です。つくしんぼは心を和ませてくれます。「このつくしんぼの広場」は、広い立派な自動車道路になっています。今や、散歩コースには使えません。道路に変身!

  • 孤独なカラス

    馴染みの公園です。一羽のカラスをレンズに収めようと追いかけていました。私の魂胆を承知のカラスは、私を揶揄うように、草原に降り立ったり、樹上に飛び上ったり・・・。掲げた写真は、その中の一枚です。孤独なカラスだったのかも知れません。孤独なカラス

  • ふるさとの浜辺

    今日はふるさとの浜辺です。すでに撮ってあったものの再度の掲載です。ふるさとの波はまーるく寄せて、ブツブツ音を立てながら、ゆっくりと引きます。私の大好きな光景です。ふるさとの浜辺

  • 妙なカラス

    今日は妙な日だ。なんとも妙なカラスだ。先ほどから、私を追ってきている。私がカラスを見ると、カラスはそっぽを見る。私が視線を逸らせば、カラスは私のほうを見る。妙なカラスだ。妙なカラス

  • 上達はムリだ

    今日はカラオケをお休みとした。家人はそれを不思議がった。体調が悪いのかと思ったらしい。体調のせいでカラオケを休んだわけではない。単にカラオケを休んだのだ。怠けごころというところだ。こんなでは、上達は覚束ないな。上達はムリだ

  • 嬉しいは嬉しいけれど・・・

    町内の一郭にある遊具が三基。この頃は誰も遊びには来てくれません。年頃の子共が少なくなったこともあるし、それに暑い!十年幾年か前は、私も孫娘を伴って毎朝の散歩に来ておりました。その孫も大学生です。来春の卒業後は、小学校の教師になるのだとか。もちろん、嬉しいことは嬉しいのですが、胸中はなんとも妙です。嬉しいは嬉しいけれど・・・

  • 鴨たちの興味?

    早朝のいっときです。池から上がった鴨たちが、草っ原(左のほう)を目指して移動を始めました。子供たちの跳んだり跳ねたりしている様子に、興味があるのでしょうか。もっとも、早くも引き返す鴨がいるのだから、早くも興味を失ったのかもしれませんね。そんな鴨も、カメラを構えている私には、とんと興味がなさそうです。鴨たちの興味?

  • 今日も何も無かった

    今朝は少しばかり早起きをした。七時前に起きて、外へ出た。涼しくはなかったが、酷暑と言うほどではなかった。歩いてみようという気分になった。2500歩ほど歩いて戻ってきた。やはりかなり厳しい残暑だった。・・・・・・・現在の時刻は20時ちょっと過ぎ。今日も何もなかった。今日も何も無かった

  • 羅漢さま

    川越市で撮った羅漢さま。眠っているのか泣いているのか判らないが、顔を隠している様子が気になって仕方がない。此処へ行くたび、「泣き羅漢」と勝手に思いつつ、レンズに収めている。ひょっとしたら「居眠りをしている?」のかも知れない。まだ誰にも訊ねてはいない。羅漢さま

  • クルマ依存症

    暑くなる前に歩こうと思い、少しばかり早起きをした。「歩こうと思い」とは言ったが、さほどの距離を歩いたわけではない。スマホがカウントした歩数は3千歩弱だった。でもまァそれなりに満足だ。歩かないよりはよほどいい。・・・・・・・高齢ドライバーの事故を避けるため、先ごろマイカーを手放した。その結果、日常がかなり不便になった。私もどうやら「クルマ依存症」になっていたようだ。クルマ依存症

  • カラオケ談義

    ここのところ、一人カラオケが多くなった。もちろん、友人たちと会えば、ワイワイガヤガヤのカラオケとなるのだが、友達と会う予定の無い日は、「一人カラオケ」となる。そんな時は、興に乗れば同じ曲を繰り返し唄うのだから、傍からみれば常軌を逸していると見えるかも知れない。それでいて一向に上達しないのだから、我ながら呆れている。・・・・・・興の赴くまま、「サピエンス全史」を読み始めた。「なぜ人類だけが繁栄したのか?」という副題に魅かれたのだ。面白そうなのだが、読了できるかどうかが問題だ。カラオケ談義

  • 「新・ほろ酔い気分」を再開します

    「新・ほろ酔い気分」を再開します。宜しくお願い申し上げます。・・・・・・・近頃は、身体能力の劣化もあって、ゴルフの機会がめっきり少なくなり、併せて飲酒の機会も激減傾向にあります。そのぶんカラオケの機会がかなり増加傾向にあります。私の場合はほとんど「一人カラオケ」なのですが、十八番と言えば古い演歌ばかり。興に入れば、同じ曲を幾度でも歌うのですから、まさに常軌を逸しているようです。「新・ほろ酔い気分」を再開します

  • 竹のように、しなやかに強くありたい!

    暫く休んでいたブログを「再開してみよう!」と思い立った。病気を理由に、チョッとした怠けのつもりだったが、永い怠けになってしまったのだ。おおいに反省している。キッカケとなった病気については、実のところ十分に把握していない。医師からもしっかり聞いているわけではない。「マアマア快調?」といったところが、言わば自己診断だ。・・・・・・・体調不良をキッカケに、好きだったカラオケからも、永いあいだ離れてしまった。過日挑戦してみたら、無残な現状に気付かされた。反面、さほどでもなかった友人が、数段も上達してしまった。先生の指導を受けているのかも知れない。もともとヘボな私だったのだからから止むを得ない。今後について思案中だ。・・・・・・・今日はブログ再開の初日なので、こんなところで終わりにしたい。しなやかに強くありたいと思...竹のように、しなやかに強くありたい!

  • 着ぶくれて

    着ぶくれてなほ血気あり他所の猫(きぶくれてなおけっきありよそのねこ)・・・・・・あちらこちらで見かける猫だ。住所不定らしい。猫は猫なりの目的があるらしいが、此処では良し悪しを問わない。良し悪しは問わないが、私にとっては至極目障りなので、見れば追い払うことにしている。猫も追われることを承知しているので、私を見れば姿を消す。着ぶくれて

  • 頑張ろう!

    冬の夜や替はりばんに友の声ひよどり一平(ふゆのよやかわりばんこにとものこえ)・・・・・・・またまた体調を崩し、鬱々として食欲もなかった。そんな夜、「はらわたの会」の友人たちから電話があった。一イッパイ呑んでいる席かららしく、「かわりばんこ」に友の声が聞けた。東京駅付近の席で、呑んでいたらしい。とても嬉しかった。常ならば、私も参加していたものを!と思い、残念でならなかった。またほかの友人からも、「ブログ」が滞っていることで、叱咤・激励の電話があった。そうだ、そうなんだ!今、こんなことで、へこたれてはいけなかったのだ!今夜はこれで寝るとしても、明日からはキリっと動きたい。頑張ろう!

  • 大根二本

    無造作に大根二本抜かれあり一平(むぞうさにだいこんにほんぬかれあり)・・・・・・・散歩途中のこと。家庭菜園の大根が二本、無造作に抜かれてあった。畑の主や大根の主の姿はなかった。???怪訝に思ったが、私は予定の散歩を急いだ。帰路の道すがらその辺りを通った。先ほどの大根二本はそのまま。そのあたりに人の姿はなかった。大根二本

  • 石蕗の花

    岩砕く波音遠し石蕗の花ひよどり一平(いわくだくなみおとたかしつわのはな))・・・・・・・写真は五浦海岸で撮った石蕗(つわぶき)の花だ。五浦海岸には、今は亡き弟の案内で訪れた。断崖の上の石蕗の花だったが、苦心して撮った一枚だった。その2,3年後、弟はガンに侵され、帰らぬ人となってしまった。健康にあれほど留意していた弟が先に逝き、病気がちながらも、乱暴な生活態度の私が残っているのだから、なんとも判らないものだ。石蕗の花

  • 返り花

    病む我の生くる心や帰り花ひよどり一平(やむわれのいくるこころやかえりばな)・・・・・・・病気なんぞに敗けてたまるものか!と、常に心は大いに盛んなのだが、実態はなかなか。やれやれ無理は出来ないなァ、とぼやいて終わりだ。返り花

  • みんなひっそり

    みんなゐてなぜかひっそり枇杷の花ひよどり一平(みんないてなぜかひっそりびわのはな)・・・・・・・なかなか上手くは行かない。仕方がないが、今夜のところはこれでよしとしよう。みんなひっそり

  • せめて半分ほどでいい

    木守柿かくも寂しく晴れがましひよどり一平(こもりがきかくもさびしくはれがまし)・・・・・・・散歩の道すがら、目の保養にと思いつつ、カメラに収めた木守柿だ。この柿の木の持ち主が、意図的に残した一個の柿なのか、一個の柿がたまたま残ったのか、私には知る由もない。・・・・・・・病気以来、何かと不都合の多い日々を送っている。「病後なのだから、不都合の多いのは仕方がない」と、それなりに諦めてはいたのだが、八十代半ばでの病気が、かくも無残とは思わなかった。特に、脳の働きに及ぼした影響のなんと多いこと。一つ、一つ丹念に掘り起こしている次第だ。・・・・・・・カラオケには是非とも行きたいのだが、コロナ感染の恐ろしさや、永らく離れていたことによる気おくれがあって、矢張り、積極的には足が向かない。あれほど好きだった「一人カラオケ...せめて半分ほどでいい

  • 木守柿

    木守柿木守柿

  • 柘榴の実

    実柘榴や割れて秘すものなかりけりひよどり一平(みざくろやわれてひすものなかりけり)・・・・・・・柘榴の実は人肉の味がするのだとか、ほんとうなのだろうか。私は柘榴の実を手にしたこともなく、もちろん食べたこともない。この柘榴の実は、数軒先の家の庭先で撮影したものであり、今年初めて実をつけたのだ。レンズに収めたものの、柘榴の実を食べたこともなく、どのような句にすべきか思案投げ首。柘榴の実

  • 普通の人情

    枯すすき風に吹かれて輝きぬひよどり一平(かれすすきかぜにふかれてかがやきぬ)・・・・・・・先日の病気以来、「失敗しても自己責任」と、腹を括ったような行動は出来なくなってしまった。「自己責任」とうそぶいたところで、「自己責任」だけでは済まない。周囲に迷惑を掛けてしまうことになる。それに、十分に生きたつもりでも、まだ死にたくはなかった。これもまた、幾つになっても、普通の人情かもしれない。普通の人情

  • 竹の春

    病後とて懈怠許さず竹の春ひよどり一平(びょうごとてけだいゆるさずたけのはる)・・・・・・・パソコンの前では、元気のいい素振りですが、実はなかなかどうして・・・。忘れたことが多くて大弱りです。元々、私のパソコン作業はマニュアル無しでやっているので、今回のような病気でつまずいたりすると、「はてさて何処から手をつけようか」と大弱り。今もその最中です。ひどい段取りの悪さなのです。うまく作業の糸口を見つけ出せればいいのですが、なかなかそのようには参らず、弱って、弱って弱り抜いています。でもマア、今夜のところは、これで終わりとします。病後だからと言って甘えれば、懈怠がますます威張ります。だから、明日はまた明日の風を頼りにして、頑張るつもりです。竹の春

  • どんぐり

    跳び越えて団栗踏まず通りけりひよどり一平(とびこえてどんぐりふまずとおりけり)・・・・・・・団栗を踏まなかったからと言って、自慢したいわけではない。ほんのちょっとの気遣いをしただけのこと。何のために、誰に気遣ったのか?団栗に気遣ったのかもしれない。・・・・・・・はからずも団栗五個と向き合へり一平片方の足を下ろす段になって、落ちたばかりの団栗が眼に入った。「あつつ、いけねえ!」踏む足を少しずらして、どんぐりを跨いだ。団栗は、それぞれつるんとした顔で、私を見上げた。喜んでくれたのかどうか、私にはわからない。どんぐり

  • しっかり咲いて

    朝顔のしっかり咲いて小紫ひよどり一平(あさがおのしっかりさいてこむらさき)・・・・・・・正直なハナシ、大輪の花と呼べない朝顔だ。しかし、小ぶりながらも、しっかり咲いた紫の朝顔だ。どのように詠もうかと案じたが、「しっかり咲いて小紫」が精一杯であった。・・・・・・老化に向かって、一歩また一歩と遅滞なく進んでいる。身体中に不都合な点が出て来てはいるが、これはこれでやむを得ないこと。しっかり咲いて

  • 秋の水

    いのち減る迅さで征けり秋の水ひよどり一平(いのちへるはやさでゆけりあきのみず)・・・・・・・白い奔流を見たら、いのちを削って流れる奔流のように見えた。もっとも、いまの私のいのちは、こんなに激しく流れない。これはどう考えても、青年、壮年のいのちにしか見えない。このいのちの強さは、私の強い願望かもしれない。今の私は、このいのちの流れを願っているわけではない。秋の水

  • 久し振りのカラオケ

    穂芒や寄り添ふて待つ次の風ひよどり一平(ほそそきやよりそうてまつつぎのかぜ)・・・・・・・昨日は久しぶりのカラオケだった。遠路、駅前のカラオケ店に、幾人かの友人が集まってくれた。私を激励する意味合いだったらしい。カラオケということになれば、多少のアルコールは入る。さほど呑んだつもりはないが、禁酒生活が永かったので、私は酔った。帰りのタクシーは気分がよかった。・・・・・・・ここのところ、カメラ持参の散歩が乏しくなっている。復活させたい。足腰の鍛錬にとっても肝要だ。久し振りのカラオケ

  • 鴨来る

    鴨来るや道を通るも我がもの顔ひよどり一平(かもくるやみちをとおるもわがものがお)・・・・・・・公園の池に今年も鴨がやってきた。公園の管理者の言によれば、多い頃で何百羽かの鴨だと言うことだった。作業車以外に自動車は通らないので、鴨たちはわがもの顔。まったく気分がいい。時には珍しい鴨がやってくるとか。カメラ持参の多くの人が、息をつめて鴨を追っている。その鴨がどれなのか、私には区別がつかない。・・・・・・・明日は、久し振りに友人たちに逢える。駅前のカラオケ店で、思うさま唄おうという試みだ。私は長い間歌を唄っていない。大袈裟なハナシだが、声が出るかどうかさえ危ぶまれる思いだ。ダメでモトモトのつもりで、参加することにした。何曲でも歌えれば儲けモノではないか。鴨来る

  • 秋の蝶

    限りあるいのちなりけり秋の蝶ひよどり一平(かぎりあるいのちなりけりあきのちょう)・・・・・・・蝶にしても花にしても、観る側の心情によって感じが変わってくる。観る人の勝手次第で変わってしまうのだ。観る人が、「悲しいなァ」と観れば悲しいし、「楽しいなァ」と思えば楽しく見える。秋の花にむさぼりついている蝶を見て、「精一杯生きているのだなァ」と観ていたら、ちょっぴり哀れを感じた。蝶やトンボに限ったことではない。人間とて同じこと。・・・・・・・このブログ作成にも、だいぶ馴れてきた。今度こそ忘れないようにしよう。しかし、まだマニュアル作成とまでは行っていない。秋の蝶

  • 老残

    老残を持て余しをり秋の蝶ひよどり一平(ろうざんをもてあましをりあきのちょう)・・・・・・・持て余しているかどうか、私には判らない。蝶はひたすら秋の花にむさぼりついている。人が近寄ればさっと飛び去り、離れればまた寄って来てむさぼりつく。外聞なんぞは埒外。これが生きると言うことなのだ。・・・・・・・身を持て余しているのは、蝶ではなく実は私だ。カーテンの向こう側には、深い秋の日差しが溢れている。冬に入る前のいっとき、秋の日差しが私をもてなしてくれている。・・・・・・・はらわたの会のカラオケが、私の出渋りを見て、「大宮でやりましょう」となった。私の出渋りの元凶は我が家のカミさんで、なんやかんやと口煩い。いっときの私の「大弱り」を観察すれば、慎重になるのは当然なのかもしれない。そんな内情を察知したメンバーが、「カラ...老残

  • 風に吹かれて

    穂芒や風に吹かれて右往左往ひよどり一平(ほすすきやかぜにふかれてうおうさおう)・・・・・・・後悔は先に立たず。今さら、後悔して狼狽えたり泣いたりしても始まらない。このブログも、後悔の嘆きを吐露しているのだが、泣いて花実が咲くものか。しからば、今後の事態に備えて、マニュアルの整備を考えないでもないが、いざその段になると、「面倒臭え~」となってしまう。今まで、私はそんなことの繰り返しで、身を処してきた。もちろん、重要な仕事のことをはじめ、少し重たい事柄であれば、少しは丹念に考えたのであろうが、遊びっぽいブログのこととなれば、扱いが軽くなり、記憶が落ちてしまうと、再出発が大ごとだ。・・・・・・・「今、この時がなんとかしのげれば、後のことは後のこと」そんなことの繰り返しで、一生を終わるのかも知れない。いい性格と言...風に吹かれて

  • 烏瓜

    烏瓜ぶらりと垂れてゐたりけりひよどり一平(からすうりぶらりとたれてゐたりけり)・・・・・・・私は烏瓜が好きだ。すべてを達観していて、そのくせ色合いもいい。私は幾歳になっても、このようにはぶら下がれない。ご近所を窺いながら、風に揺れたり堪えたりするに違いない。この烏瓜は用水の向う岸にぶら下がっていた。向こう岸なので、手に取って楽しむわけにはいかない。せいぜい写真に撮って喜んでいるのが精一杯だ。烏瓜

  • 新松子(しんちじり)

    五臓六腑両親に受く新松子一平(ごぞうろっぷりょうしんにうくしんちぢり)思い出せないこともいろいろあり、体調はまだ本調子に戻ったとは言えない。ブログの作成ひとつを考えても、まだまだ不十分だ。足腰の動きは僅かづつもとに戻って来ているように思うが、どうだろうか。このブログについては、半ば以上諦めていたのだが、励まして下さる方がいたので、なんとかここまで思い出した。いつまで続けられるかが私にとっての新たな課題です。新松子(しんちじり)

  • 馴染めぬ花

    鶏頭は他人行儀で馴染めぬ花ひよどり一平(けいとうはたにんぎょうぎでなじめぬはな)・・・・・・・鶏頭の花はなんとも馴染にくい。つんと澄ましているわけでもないが、どこか他人行儀なのだ。私はその「他人行儀」が苦手なのだ。私だけの印象なのかもしれないのだが・・・・。・・・・・・・身体全体に力がついて来たようには思うが、脳の働きはまだまだだ。記憶にすがって行う作業はパッとしない。焦らずに行くしかあるまい。馴染めぬ花

  • 老いぬれば

    老いぬれば病多き身芙容咲くひよどり一平(おいぬればやまいおおきみふようさく)不覚にも病んでしまった。そのため、多くの記憶を失った。「ほろ酔い気分」のつくりかたも、忘れた。苦心惨澹の末、なんとか今日に到った。まだ不十分だ。・・・・・・・表題の芙容は、友人がスマホで撮って送ってくれたもの。幸いにも、偶然にアップすることができた。明日のことは判らない。友の家に嫁来るはなし芙容咲く一平(とものいえによめくるはなしふようさく)老いぬれば

  • ナンマンダブ・・・・・

    青蔦や止まるを知らぬ老が恋ひよどり一平(あおつたやとまるをしらぬおいがこい)・・・・・・・老が恋ともなれば、自動ブレーキがかかっても良さそうに思うが、そうとばかりは言えないらしい。老が恋であればこそ、炎を見せて燃え盛る恋もあるものらしい。羨ましい限りだが、まずは「ナンマンダ・・・・・・」を唱えたい。・・・・・・・病気のほうが、いまひとつハッキリしない。これはきっと私の性分に起因するのだろうと思っているのだが、そう思っただけでは解決しない。どうしても、ある一定の時間が必要なのだ。口惜しいことだが、現段階では、病気側が私を追い詰めている。土俵イッパイとは言わないが、気分的にはかなり押し込まれている感じだ。いずれ正気になって、笑って押し返すつもり。そのためには、もう少し散歩に出なければならない。その気分にならなければ...ナンマンダブ・・・・・

  • 苺の実

    葉の影にひそと隠れて苺の実一平(はのうらにかくれていたりいちごのみ)・・・・・・・ご近所の庭の苺だ。あるじが隠したわけではあるまいが、苺は程よく隠れている。隠れていないでも、手を出せない庭の苺なのに、隠れ方は見事だ。・・・・・・・ここのところ数日間、なんとも気の晴れない身体の調子だったが、やっと先の見通しがついた感じがしている。しかし、それとて、どう転ぶか判らない。重大な山は越えていない。コロナが収まって来たのだろうか。折をみて、カラオケに行きたいものだが、コロナもさることながら、自分の体調がそんな気分になってくれるかどうかだ。苺の実

  • 竹の秋

    おおかたの親しきは去り竹の秋ひよどり一平(おおかたのしたしきはさりたけのあき)・・・・・・・ひとに話したことはなかったのだが、頑健だった小学校、中学校の同級生たちが先に逝き、むしろ病弱だった私があとに残った。病弱だったがゆえに、そろそろと運転したから良かったのかも知れない。いずれにしても、感謝、感謝だとは思っている。竹の秋

  • 白薔薇と死

    白薔薇や死は一概に侮れずひよどり一平(しろばらやしはいちがいにあなどれず)・・・・・・・白薔薇には死の雰囲気がある。ともすると、取り込まれそうだ。追い出そうとしても、なかなか出て行かぬ。どこにそんな力が潜んでいるのか。白薔薇と死

  • 「耐えて、耐えて「」の長期戦

    柿の花月日零れてゐたりけりひよどり一平(かきのはなつきひこぼれていたりけり)・・・・・・・嫌いな波がやって来た。なんとか身を躱そうとしたが、躱せなかった。被害を少なくするにはどうしたらよいか。妙案があるわけではない。「酒を呑んで、かっと騒いで・・・・・」というわけにはいかない。「攻めて」とか、「うまく身を躱して」という戦法も通用しない。ひたすら、「耐えて、耐えて・・・」の長期戦。身から出た錆なのかな?「耐えて、耐えて「」の長期戦

  • 哀愁

    春の鴨首をうずめてゐたりけりひよどり一平(はるのかもくびをうずめていたりけり)・・・・・・・この池にも多くの鴨が飛来して来ていたが、今はかなり少なくなってしまった。故郷へ帰ったのだろうか。そんな中、残った二組の鴨が眼に止まった。遅れて飛び立つのか、残った鴨なのか、私は知らない。寄り添って浮いている様子から、つい私は、哀愁を感じてしまった。哀愁

  • かくもかなしき

    牡丹のかくもかなしき白さかなひよどり一平(ぼうたんのかくもかなしきしろさかな)・・・・・・・近所の家の牡丹が咲いた。見事な大輪だ。大急ぎでカメラに納めた。撮ったはいいが、俳句はできない。高浜虚子の句に、白牡丹といふといへども紅ほのか虚子俳誌「河」の角川春樹主宰の句には、をみなにてまた生まれまし夕牡丹春樹があった。私は、うーんと唸る。未熟を知らされるだけだ。・・・・・・・かくもかなしき

  • しゃぼん玉

    しゃぼん玉泣く子笑ふ子むずかる子ひよどり一平(しゃぼんだまなくこわらうこむずかるこ)・・・・・・・へぼカメラマンにとって、しゃぼん玉の撮影はそれなりに難しい。まずはしゃぼんを吹き出して貰わなければならない。子供たちだけでしゃぼん玉を吹いているところへ近づいても、思うようには吹いて貰えない。カメラ持参の男が子供に近づくことだけで警戒されてしまう。不用意に近づきでもしようものなら、「▽▽ちゃん、こっちへいらっしゃい!」という声がかかり、子供は母親のほうへ呼び戻されてしまう。まずは、子供さんを写さないことを親御さんに確約のうえでなければ、カメラ持参の男は、子供には近寄れない。その上で、「撮った画像はご覧いただきます」と確約し、しゃぼん玉を吹いてもらう段取りだ。悪い奴がいるからこのようなことになったのだろうから、しゃぼ...しゃぼん玉

  • 惜春

    惜春の犬に見られてしまゐけりひよどり一平(せきしゅんのいぬにみられてしまゐけり)・・・・・・・またこの犬に会ってしまった。犬のほうも、「また爺さまに会ってしまった」と思っているかもしれない。割と小づくりな女性が連れている犬だ。愛くるしい犬だが、油断は見せていない。まさに忠犬らしい。惜春

  • 葦の角

    葦の角ごみ従えてゐたりけりひよどり一平(あしのつのごみしたがえてゐたりけり)・・・・・・・こんなにもゴミがあったかと思うほど、流れ着いたゴミが葦の芽にまとわりついていた。小さな池なのに、よくもこれほどのゴミがあったものだと思うほど。・・・・・・・コロナ自粛から脱却しないと、「一億総不健康」時代を招きそうで怖ろしい。慢性疾患の悪化と子供たちの体力低下が心配だ。葦の角

  • 葱坊主

    人間は嫌いなりけり葱坊主ひよどり一平(にんげんはきらいなりけりねぎぼうず)・・・・・・・私は葱坊主が好きだ。なんとなく田舎の親父臭く、その上胡散臭くて、一癖も二癖もありそうだ。ところが聞くところによると、葱坊主のほうは、人間が嫌いらしい。なぜ人間が嫌いなのか、私には理由が判らない。人間の中でも、親父と言われる部類のタイプが嫌いらしい。葱坊主

  • 驚きがない!

    櫱の虫に喰われてゐたりけりひよどり一平(ひこばえのむしにくわれてゐたりけり)・・・・・・・今日のブログはこんな句になってしまった。当たり前過ぎて、気に入らない。驚きも感動もない。・・・・・・・言うのも恥ずかしいのだが、疲れているようだ。今日はこれにて店仕舞い。驚きがない!

  • 春愁

    春愁の遊具に子等の姿なし一平(しゅんしゅうのゆうぐにこらのすがたなし)・・・・・・・桜の喧騒がさって、公園もほっと一息。この春は、比較的桜の花とも親しんだような気がする。もちろん、写真の出来栄えとは関りがない。・・・・・・・昼頃から、雨が降って来た。植物にとってはなによりのことかも知れないが、出不精な私にとっても、外出しない口実が増えた。「一人カラオケ」を思い立って出かけた。得点に拘って歌ったのだが、思うほどの得点は得られなかった。久し振りのことなので、やむを得ない。わがノドの実力が衰えたのかもしれぬとも思った。世の中、万事そのようなものだ。年齢には勝てない。マイナス思考で言っているのではない。世の中の道理だ。春愁

  • B-29長距離爆撃機

    すかんぽやBー29がやって来たひよどり一平・・・・・・・日本が太平洋戦争に敗けた昭和20年の夏、私の故郷あたりでは、B-29が日常語だった。B-29とは、アメリカ軍の長距離爆撃機で、夜昼なく、日本の空にやってきていた。私が生まれた町も、この飛行機による焼夷弾攻撃によって、丸焼けになったのだ。こんな俳句とも言えぬ五七五を作るのも、私の頭の中にウクライナの惨状があってのこと。早く決着を付けて欲しいと切に願っている。B-29長距離爆撃機

  • はらりと吐息

    紫木蓮はらりと吐息漏らしけりひよどり一平(しもくれんはらりとといきもらしけり)・・・・・・・紫木蓮を見ると、少なくても、応援歌を歌っているようには見えない。人知れず漏らす静かな吐息のほうが似合っている。だから、つい、こんな句になってしまった。健康的な句ではないかもしれないな。はらりと吐息

  • 戯るる

    芽柳やをんなふたりの戯るるひよどり一平(めやなぎやをんなふたりのたわむるる)・・・・・・・この柳の下で、若い女性が戯れていた。お互いの洋服を着せ合ったりして、羨ましいほど楽しそうだった。写真に撮れば盗撮と言われそうなので、遠い光景ながら撮っていない。君子危うきに近寄らずだ。戯るる

  • かなりショック

    補聴器の感度良好チューリップひよどり一平(ほちょうきのかんどりょうこうチューリップ)・・・・・・・過日のこと。私の耳の感度がすこぶる悪かったらしい。二人の会話だったのだが、幾度も幾度も聞き返した。「不愉快に思っているかなあ」と思いながらも、電池を取り換えたばかりなので、現時点における私の「耳の実力」だったのだ。案の定、「補聴器の調整をしたらどうか」と言われてしまった。やはり、幾度も聞き返されたのが気に障ったのかもしれない。「気に障った」ほどではなかったにしても、会話の進行上で不便を感じたらしい。「補聴器の調整」を言われてしまえば、もはやハナシは進まない。かなりショックだった。かなりショック

  • つくしんぼ

    つくしんぼ折れば辺りに大音響ひよどり一平(つくしんぼおればあたりはだいおんきょう)・・・・・・・あの大音響なので、私の耳にもしっかりと聞こえた。補聴器の調整などは必要なかった。「聞こえなかった!」と言い募る人がいても、それはそれでいい。私には大音響が聞えたのだから、それだけで十分だ。・・・・・・・逢いたい人のいるにはいる。が、なかなか逢えない。これぞまさに不条理と言うべきか。つくしんぼ

  • 雄ごころ

    雄ごころに乱れありけり紫木蓮ひよどり一平(おごころにみだれありけりしもくれん)・・・・・・・咲いた桜があっという間に散ってしまった。やはり、雨や風がいけなかった。木蓮も散り急ぎの様相を見せている。木蓮の場合は、散るというより乱れるということか。・・・・・・・ここのところ二、三日、なんとも体調がよくなかった。起き出してはみたものの何もせず、グータラを決め込んでしまった。夕食後になって、やっとブログに取り掛かった始末。どうしたことだろうか。明日こそは外出して、シャキッとしてみたいと思う。・・・・・・・起き出して、「角川源義の百句角川春樹著」を読んだ。久し振りに感銘を受けた。・・・・・・・まだ夜に入ったばかりだが、今夜は早く寝たい。雄ごころ

  • 平凡に噎せる

    菜の花といふ平凡に噎せにけりひよどり一平(なのはなというへいぼんにむせにけり)・・・・・・・桜の花や菜の花は、春に咲く花の代表的なものかもしれない。言い方を替えれば、平凡の代表みたいなものだ。にもかかわらず、辟易しないのだから、この平凡は並みの平凡ではない。カメラを持っていれば、必ずシャッターを押してしまうのだから不思議だ。・・・・・・・プーチンがどのように幕を引くのか、世界が大いに注目している。「兵の犠牲を出さずに、早く軍事的な成果を挙げろ」という命令だったのだろうが、なかなかそんな調子には行っていないようだ。どうするのだろうか。平凡に噎せる

  • 咲いてます

    「咲いてます」促され見る菫草ひよどり一平「さいてます」うながされみるすみれそう・・・・・・・カメラ持参で、家庭菜園の辺りを歩いていた。「おとうさん、おとうさん」と、畑作業中の老婆から声がかかった。菫草が咲いていた。それを撮影したらどうかということらしい。折角のことなので、撮らせてもらうことにした。「ウチの主人もカメラが好きで、ずいぶん撮っていたのですよ」そんな話になった。「いまは撮っていないのですか?」「ええ、歩けなくなってしまいましたからね」「ご病気ですか?」「・・・・・歳をとるのはイヤですねぇ」病気のことは言いたくないらしい。そのような経緯を経て、撮らせてもらった一枚である。咲いてます

  • 咲いてます

    「咲いてます」促され見る菫草大和田一平「さいてます」うながされみるすみれそう・・・・・・・カメラ持参で、家庭菜園の辺りを歩いていた。「おとうさん、おとうさん」と、畑作業中の老婆から声がかかった。菫草が咲いていた。それを撮影したらどうかということらしい。折角のことなので、撮らせてもらうことにした。「ウチの主人もカメラが好きで、ずいぶん撮っていたのですよ」そんな話になった。「いまは撮っていないのですか?」「ええ、歩けなくなってしまいましたからね」「ご病気ですか?」「・・・・・歳をとるのはイヤですねぇ」病気のことは言いたくないらしい。そのような経緯を経て、撮らせてもらった一枚である。咲いてます

  • 次の世の夢

    朝まだき次の世の夢花万朶ひよどり一平(あさまだきつぎのよのゆめはなばんだ)・・・・・・・ここのところ、続けて桜の花の夢を見た。内容が違っているので、しっかりと異なる桜の夢を見ていたのだ。私は桜の花が大好きなので、夢を見たあとの気分は至極爽快。夢見がいいのだから、いいことが起きるかと待っているが、一向にそんな気配はない。・・・・・・・それにしても、今日は一歩も戸外へ出なかった。明らかに努力不足。明日こそ歩こうと思う。・・・・・・・日常について、もう少しメリハリを利かそうかと思っているが、なかなかそうも行かない。昨日の続きの今日であり、今日の続きの明日を、ノンビリと繰り返している。メリハリをどう利かすかが課題だ。努力が肝要だ。ひとはこんな日々を繰り返しながら、老いを積み重ねて行くらしい。その先に待っているのは、上手...次の世の夢

  • 万朶の桜

    まだ少し生きてるつもり花万朶ひよどり一平(まだすこしいきてるつもりはなばんだ)・・・・・・・周辺の桜が、ほぼ満開の様相だ。カメラ持参で少しばかり歩いてみた。もう少し生きていたい気分だ。万朶の桜

  • 柳の芽

    寝足りて風なつかしや柳の芽ひよどり一平(いねたりてかぜなつかしややなぎのめ)・・・・・・・私にとって、とんと見当もつかない話題なのだけれど、ロシア軍によるウクライナ侵攻は、どんなことになるのだろうか。テレビやラジオの報道で知る限り、ロシアの目論見通りには行っていないように見えるのだが、プーチン氏はどのような決着を考えているのだろうか。国際世論は、どのような決着を望んでいるのだろうか。柳の芽

  • 桜咲く

    まだ少し生きたし桜咲きにけりひよどり一平(まだすこしいきたしさくらさきにけり)・・・・・・・桜の花が咲き始めた。私の心の準備などにはお構いなしだ。ほかの花の場合と違って、桜の場合、咲くタイミングはこちらの気分と合わせて欲しかった。今年の場合、私の気分は、桜の開花に追い付いていなかった。私がのんびりと構えていた所為だ。このような春は、何か失敗をしそうな気がして、とてもイヤーな気分だ。桜咲く

  • 不揃いの雪柳

    風に揺れまだ不揃いの雪柳ひよどり一平(かぜにゆれまだふぞろいのゆきやなぎ)・・・・・・・風が強い。その所為かどうか、眼が痒いこと痒いこと。花粉症らしい。・・・・・・・そろそろ活発に動きたいと思いながら、風邪を引いたりすることがイヤなので、外出には憶病になっている。単なる風邪ならいいが、コロナの変形を引き込んだりしたら、それこそ大変。窓の外を吹く風が強く、どうしても怖気ついてしまうのだ。不揃いの雪柳

  • いやーな気分

    老耄を得ての句作や木瓜の花ひよどり一平(ろうもうをえてのくさくやぼけのはな)・・・・・・・恥ずかしいことなのだが、俳句の上達を待ってくれずに、年齢のほうがどんどん先へ行ってしまった。今になってぼやいてみても仕方がないこと。諦めずに、一歩一歩と努力を重ねようと、我ながら健気に思っている。折も折、体調が勝れないので、家に籠りっきり。俳句より体調のほうが先だ。・・・・・・・ウクライナ問題は、われわれ日本人に何を語ってくれているのだろうか。とても厄介な事態が潜んでいそうで、今、いやーな気分でいる。いやーな気分

  • ほかに術なし

    黄に描くほかに術なしきずいせんひよどり一平(きにえがくほかにすべなしきずいせん)・・・・・・・今日はあまり歩かなかった、400歩くらいだから、ほとんど歩かなかったと言ってもよいほどだった。なぜ歩かなかったか?と言えば、単に気分が乗らなかったからとでも言うしかない。このところ、歩くことにも、写真を撮ることにも、さほど気分が乗らない。つまり、なんのことはない、怠け癖なのだ。然らば、読書に気を入れているかと問われれば、「ノー」だ。万事に気分が乗らないのだから仕方がない。ほかに術なし

  • 愛の悪戯

    いさかひは愛のいたずら木瓜の花ひよどり一平(いさかいはあいのいたずらぼけのはな)・・・・・・・もう春だ。春になった嬉しさについ呑み過ぎたので、体調が狂ってしまったようだ。若人ならいざ知らず、喜寿を過ぎた老人の所業としては、いささか無鉄砲。愛の悪戯

  • 色鯉あまた

    春の池色鯉あまた泳ぎをりひよどり一平(はるのいけいろこいあまたおよぎをり)・・・・・・・神社の池に行ってみた。緋鯉が活発に動いていた。春なのだ。この池には真鯉もいるのだが、今日は特に緋鯉が目についた。真鯉はまだ池の底なのだろうか。・・・・・・・石原慎太郎と曽野綾子の対談、「死という最後の未来」を読んだ。両氏の小説はほとんど読んでいなかったが、この対談は面白かった。意見の食い違いがかなりあって、それがまた楽しかった。しかし、面白かったというだけで、私の生き方の参考にはならない。・・・・・・・病気がちな私としては、お陰さまで、長生きさせて貰っている。だからと言って、もう結構だと思っているわけではない。まだ少し、為すべきことが残っているのだ。私は欲が深いのかも知れぬ。色鯉あまた

  • このほかの方策

    このほかの方策知らず落椿ひよどり一平(このほかのほうさくしらずおちつばき)・・・・・・・せっかく綺麗に咲いていたのに、ころりと首を落としてしまう椿の花。なんとも潔い椿の花の落ち際だ。見事と言える落ち際かもしれない。・・・・・・・暖かくなってきた。寒がりの私でも、日常の行動が楽になってきたようだ。オミクロンの感染状況を見つつ、行動範囲を拡げたいと思っている。このほかの方策

  • 優しさの形

    やさしさの形容さまざま犬ふぐりひよどり一平(やさしさのかたちさまざまいぬふぐり)・・・・・・・いぬふぐりが沢山咲いていた。まだ咲き始めたばかりで、形も色合いも揃ってはいなかった。・・・・・・・ロシア軍がウクライナに攻め入っている。国際政治のことなど知らないが、大国と小国という比較だけ見ても、なんとも不釣り合いな戦争だ。原因の無い争いごとはあるまいから、きっと、深刻な原因があるに違いないが、なんとも不釣り合いな戦争に思える。時の氏神が現れて、仲裁してくれないものだろうか。もっとも、小さい国のウクライナが、元気旺盛な様子なので、一筋縄ではいかないことなのだろうが・・・。優しさの形

  • 大根

    大根の肩出し競争埒も無しひよどり一平(だいこんかただしきょうそうらちもなし)・・・・・・・競っているのかどうか、知る由もない。が、近隣の大根が揃ってせり出しているので、まあ、肩出し競争と見えなくもない。・・・・・・・今日は遠くの公園まで足を伸ばした。それ以来とても眼が痒い。花粉が飛んでいたらしい。杉の木がありそうもない公園なのだが、遠来から飛んできた杉花粉があったのか、それともほかの花粉に反応したのか。・・・・・・・子供たちが燥ぎまわっていた。土曜日なので、多くの父親らしい姿も見られた。・・・・・・・プーチン大統領が何を考えているのか、知る由もない。識者が色々と述べているが、すべて当たっているようにも見えるし、そうでないようにも見える。真実は判らない。大根

  • 平凡な美しさ

    佳きひとに逢へさうな午後木瓜の花ひよどり一平(よきひとにあえそうなごごぼけのはな)・・・・・・・綺麗な花を見るたびに、『佳きひとに逢えそう』という句を作るのだが、実は会えたことがない。「佳き人」がさほどいないのか、縁がないのか。今日もまた好きな「木瓜の花」を使うので、「佳き人に逢えさう」という句を作ったが、さてどうなることやら。「木瓜の花」の花言葉は「平凡」だとか。なるほど際立った美しさというよりも、平凡な感じながら安心が出来る花だ。「佳き人」との出会いを期待しよう。平凡な美しさ

  • 梅真白

    梅真白なぜか小声の人ばかりひよどり一平(うめましろなぜかこごえのひとばかり)・・・・・・・この白梅は、毎年のように観に行っている。満開は丁度今頃だ。今年も多くの人が集まっていて、スマホをかざしての撮影に余念がない。カメラ持参の撮影は私くらいなので、遠慮しながら撮っている。昨年は愉快な老女がいた。三脚を立て、オートで自分を撮影していた。歳に似合わぬ短いスカートで、髪には大きな飾りがついていた。あそこまで悠々としていると、小言っぽいことを言う人は誰もいない。むしろ呆然と眺めていた。今年、その人は来ていなかった。どうしたのだろうか。梅真白

  • 指し向きの目処

    さし向きの目処は米寿や竹の秋ひよどり一平(さしむきのめどはべいじゅやたけのあき)・・・・・・・ゴロがいいので、「めどは米寿」と言い続けていたら、ほとんど米寿になってしまった。かなり長生きをしたものだ。だからと言って、「もう結構です」と言っているわけではない。妙な言い分だが、両親が早く逝ってしまった残りの年齢も考慮に入れて、まだ暫くは頑張ってみるつもりだ。指し向きの目処

  • 菜の花とビルと耳

    難聴のわれに菜の花咲きにけりひよどり一平(なんちょうのわれになのはなさきにけり)・・・・・・・「おおいに弱っている」というほどの難聴ではない。が、今の私にとって難聴問題は、ひとつの重大なテーマかもしれない。なにしろ我が家の山の神どのは、かなり聴力が立派らしい。だからテレビの音量を絞りたがる傾向にある。その点、私の聴力はダメだ。テレビのチャンネル権などはどうでいいのだが、どうせ視聴するなら、音量は十分に確保したいと思っている。キレギレに聞こえるようなテレビなら、観ないほうがよほどマシ。菜の花とビルと耳

  • 土手行く男

    俯いて土手行く男春寒しひよどり一平(うつむいてどてゆくおとこはるさむし)・・・・・・・まだまだ名前のみの春だ。土手を吹く風は寒い。ポケットに手を突っ込んだ男が、土手の道を足早に歩いている。鬱屈する思いがあるのだろうか。土手行く男

  • 多情多恨はまずい?

    いぬふぐり女に見せたいから元気ひよどり一平(いぬふぐりおんなにみせたいからげんき)・・・・・・・気に入りの野原に行ってみた。まだ季節には早そうに思ったが、オオイヌノフグリがちらほらと可憐な花を咲かせていた。季節に先駆けて咲いてくれる野の花だ。膝を折ってシャッターを押した。まだ二輪しか咲いていなかったので、まあまあの感じで撮れた。沢山咲くとなかなか焦点が合わない。みんなを綺麗に撮ろうと思うからかもしれない。「すべての花をよく摂ろうと思わずに、その中の一つに思いを込めて撮ってみなさい」以前、プロの写真家から、同じようなことを言われた。・・・・・・・俳句も同じようなものかもしれない。欲張りはいけないのだ。人間様に対しても同じこと。・・・・・・・明日は野暮用で都心へ。多情多恨はまずい?

  • それで満足

    まんさくや辺り構わぬ子等の声(まんさくやあたりかまわぬこらのこえ)・・・・・・・久し振りの柔らかい日和だった。子供たちの声が遠慮なく辺りへ響きわたった。子供たちの目は、目立たないまんさくの花に気を取られていなかった。花が咲いているという意識もなかったかもしれない。当のまんさくもそれで十分に満足だった。それで満足

  • 鷹化して鳩に

    鷹化して夫婦の鳩となりにけりひよどり一平(たかかしてめおとのはととなりにけり)・・・・・・・暦の上では三月の半ばころ、鷹が鳩に変身してしまうのだそうだ。夫婦の鳩の写真があったので、少し早かったのであるが、鷹の変身としてしまった。・・・・・・・冬の五輪が真っ盛りだ。運不運による勝敗の行方を、じっくり見させてもらっている。鷹化して鳩に

  • 春の雪

    晩節の覚束なしや春の雪ひよどり一平(ばんせつのおぼつかなしやはるのゆき)・・・・・・・なんとも覚束ない日々を送っている。何がどうと言うことはないが、とにかく覚束なくて、頼りないのだ。コロナの所為だとは思っているが、そんなことばかりを言ってもいられない。ここのところ幾日かは、日に数千歩を目途として歩くことにしている。歩けば歩いただけの効果はあると思っている。暫くの間は、歩くことにポイントを置いて動いて見たい。効果はあるのだが、雪や雨や風やその日の気分によって、サボることがある。それが問題なのだ。雪や雨や風の日には、心のブレーキがかかってしまう。それはそれで、危険予知が正常に働いているのだと思い、自粛している。ある若い友人は、毎日、スポーツジムへ通っているとのこと。年齢やコロナのことを考え、私には無理かも知れないと...春の雪

  • 晩節

    晩節の覚束なさよちゃんちゃんこひよどり一平(ばんせつのおぼつかなさよちゃんちゃんこ)・・・・・・・まさに覚束ない日々を送っています。お狐さんの纏っているものをちゃんちゃんこに見立てた一句です。晩節

  • 枯木立

    透明とはかかるものかな枯木立ひよどり一平(とうめいとはかかるものかなかれこだち)・・・・・・・ここにもまた音のない透明な世界があった。寒さの苦手な私だが、このような音のない透明感には強く惹かれる。寒気によって、身も心も洗われる気がするのだ。寒がりの私には珍しいこと。こんな時、風邪を引かなければホンモノなのだが、そうはいかない。たまたまこの日は風邪を引くようなことはなかった。気合を入れたからかも知れない。・・・・・・・そう言えば、コロナ騒ぎ以来、私は風邪を引いていない。風邪を引けば「コロナか?」と疑われるかも知れないので、とにかく「安全、安全」で生活している。それだけひ弱になっているかも知れない。コロナが治まったら、多少の乱暴もしてみようとは思っている。いや、もはやそんな度胸は無いかも知れない。枯木立

  • 疎んぜられて

    寒鴉疎んぜられて啼きにけりひよどり一平(かんがらすうとんぜられてなきにけり)・・・・・・・上野の公園でのこと。階段を下りて行く私を見て、突然、嘴の太い鴉が啼いた。私を警戒して啼いたのだろうか。老身に鞭を打って、よろよろ歩いている私に対し、どんな意趣があったのだろうか。私を咎めて啼いたのではあるまいが、私の身にとってみれば、気分のよいものではなかった。さればとて、石を以って追う気分にはなれなかった。なんとも不気味なヤツだった。疎んぜられて

  • 無の世界

    枯れ進み水音も風の音も無しひよどり一平(かれすすみみおともかぜのおともなし)・・・・・・・此処はあたかも「無」の世界だ。私に何も齎してくれない「無」の世界だ。そして、ひたすら寒い。寒さを堪えて、せめて「風」の音を聞こうと思った。しかし、何も聞こえては来なかった。わたしにとって、やはり此処は無の世界なのだ。無の世界

  • それだけで十分

    咲いて今人に見らるる花八つ手ひよどり一平(さいていまひとにみらるるはなやつで)・・・・・・・愛でて貰えるほど愛くるしい花ではありませんからねえ。そんなことは、八つ手自身が気付いていること。じっと眺めたりするのは、俳人くらいのものかもしれませんね「まあ、それだけでも、八つ手としては十分なのではないでしょうか。それだけで十分

  • 私は詩人ではないらしい

    水仙の多勢姦しわれ一人ひよどり一平(すいせんのたぜいかしましわれひとり)・・・・・・・水仙を観るとき、水仙の姦しき陣形に対する私の非力な孤独を感じてしまう。花を観賞する際、そのような観方は邪道なのだろうが、水仙を観るときに限って、私はいつもそのような観方になってしまうのだ。私の硬直した頭では、そこから飛躍出来ない。それは既に詩人ではない。詩人でない私の作る俳句なのだから、推して知るべしだ。私は詩人ではないらしい

  • 一人行く

    冬の雨ひとりとぼとぼ歩きけりひよどり一平(ふゆのあめひとりとぼとぼあるきけり)・・・・・・・冷たい雨が降っていた。何処へ行くという当てがあったわけではなかった。ただ、まっ直ぐ家に帰る気にはなれなかった。たから、家路の反対方向へ向かって、とぼとぼと歩いたのだ。一人行く

  • これからのこと

    蠟梅やこれからのこと思案するひよどり一平(ろうばいやこれからのことしあんする)・・・・・・・体調不良に陥って、いっとき、これからのことを深く考えた。正直なところ、まだ死にたくはなかった。ひょんなきっかけで、体調が戻った。が、病気が治ったわけではない。・・・・・・・今度ほど、いろいろと考えさせられたことはなかった。しかし、さほど重大なことを考えたわけではない。ひとのアドバイスもあり、「歩け、歩け」を復活させることにした。今日はその初日。寒かったのだが、6500歩ほど歩いた。かなり堪えた。妹の言によれば、そんな無茶ををしてはいけないらしい。初めは、もっと少なめがいいとのことだった。一日一万歩を歩いていた私としては、7千、8千ほどは歩くつもりだった。ところが、それは無理なハナシだった。6500歩ほどなのに、大いに草臥...これからのこと

  • つわぶきの花

    喧騒に近き一郭石蕗の花ひよどり一平(けんそうにちかきいっかくつわのはな)・・・・・・・都心の公園。石蕗の花が咲いていた。道路の喧騒がしっかり届く辺りである。不思議なことに、石蕗の花を愛でる人はいなかった。辺りを足早に人々が行き交っている。みんな忙しそうだ。忙しくないのは私一人。カメラを手に、ウロウロウロウロ・・・・。・・・・・・・コロナ・ワクチンの三回目の予約はまだだ。家内のほうが幾日も前に届き、接種の予約を済ませてのんびりしている。私の件を問い合わせたら、あと幾日か後にクーポン券が届くとのこと。言いたいことがヤマほどあるが、大人気ないと思われそうなので、じっと我慢。私は「待つこと」が苦手だ。つわぶきの花

  • 梅を観て

    梅を観てさてこれからを如何にせむひよどり一平(うめをみてさてこれからをいかにせむ)・・・・・・・梅園でのこと。機嫌よく遊んでいた園児たちだったが、さて移動する段になって、その中の一人が機嫌を損ねてしまった。ひっくり返って駄々をこねている。保母さんとしても始末に負えない。不思議なことに、他の園児たちに動揺はない。その様子を眺めているだけ。・・・・・・・やはり寒い。冬の真っ盛りだから仕方がない。これから都心へ。梅を観て

  • 葉牡丹の渦

    葉牡丹の渦に乱れのなかりけりひよどり一平(はぼたんのうずにみだれのなかりけり)・・・・・・・これほど精緻を極めた葉牡丹の渦に、乱れがあろうなどと思ってもみない。これは神のなせる造形の妙なのだ。渦にいささかの乱れが見えたとすれば、それは見る私の眼の錯覚か気の迷いのなせること。・・・・・・・ようやく体重が戻ってきた。朝食を美味しく感じるようになったし、食べる量も増えてきたように思う。息子と娘の電話によって、なんとなく元気づけられたのかもしれない。しばらくはこのままで過ごしたいと思っている。・・・・・・・明日は野暮用で都心へ。葉牡丹の渦

  • かくも寂しき

    蠟梅やかくも寂しき空の青ひよどり一平(ろうばいやかくもさびしきそらのあお)・・・・・・・私ほどの歳になると、心浮かれるということは滅多にない。むしろ、浮かれることを自ら禁じているような感じすらしている。しかし、決してひねくれているつもりはない。かくも寂しき

  • 白椿

    低く咲き辺り眺むる寒椿ひよどり一平(ひくくさきあたりながむるかんつばき)・・・・・・・風が少しあったが、思い切って公園へ。風くらいのことで、「思い切って」と書くなんて、かなり可笑しなハナシなのだが、まあ事実だったのだからそのまま書いている。今日はこの白椿を撮りたかった。期待通り、白椿が一輪、地表すれすれのところで咲いていた。私の思いとすれば、地表近くで咲くくらいなら、いっそのこと落ちていてくれたほうが良かったのだが・・・。白椿

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