久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 2
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 3
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 2
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 1
写真に「正解」はないと言いいながら写真について「勘違い」していることがあると言う意見がありました。でも「正解」はないのだから「誤解」もないのでは?と思ったのです。あるのは写真ついてのひとりひとりの「解」だけだと思うのです。正解がないところが写真の面白さなのですからひとりひとりの解=撮った写真が違っていいのだと思います。あとは、その「写真」を自分を含めて、人がどう思うかなのですがその「写真」はニッコ...
写真はたくさん撮れば撮るほど撮り足りなく感じるところがあります。たぶん写真という胃袋は容量無制限なのだと思います。それが写真にとって健康にいいのかはよく分かりません。アートは体の健康とは別のところにあるのでしょうか。健康を気にし過ぎるのも不健康な気もしますが。...
カッコつけた言い方になりますが世の中、そもそも何か分かっていないことだらけではないでしょうか。「健康」、「幸せ」など分かったようでよく分からないのですが、何よりも「人間そのもの」について、誰も分かっていないのだと思います。「たぶん、こうだろう」ということでホントは分かっていないのに事を進めるしかないのです。「そういうことにして」進んでゆく世の中が混乱するのは当たり前のように思います。アートや写真に...
撮影しました。...
「カメラは撮った人も写している」という言い方があるんですね。それに対して「カメラはレンズの後ろにいるカメラマンは写らないでしょ?」と言うのは野暮なんですね。その写真を撮った人の工夫の跡や、上手く伝わらせようとする努力の気配が写真から感じられると言うことなのですから。それでも、撮影の事情の分からない人にはその写真を撮った人がいることしか伝わらないのも事実だと思います。写真は誰が撮ったかではなく誰がそ...
人は勘違いする生き物だと思うのですが、今回はらしくないことを書きます。たとえば幸福とは「なるもの」と思っていますよね。その「なる」は「成る」ですから「カタチ」ができます。そのためその「カタチ」を維持しようとします。でもそれは反幸福ではないでしょうか。「カタチ」の無くなることの不安が付きまとうからです。幸福は人の思いで成るものではないのかもしれません。人の思いとは関係なく、気が付いたらここに居るので...
主人公が五感を失ってゆくテレビドラマがあります。味覚、嗅覚と失い、現在は触覚を失っています。でも、物を掴んだりはできているんですね。そのあたりは考察して描かれていると思うので「そうなんだ」と思って見ています。そもそもそんなこと想像したくないです。五感のうちで触覚がいちばん世界との接触で大切だろうと思うのです。それでいちばん最後に失うのが触覚だと思っていましたがちょうど真ん中の3番目でしたね。残され...
写真撮影を突き詰めれば「距離」なんですね。まず焦点距離 つまり画角を決めないといけません。画角は写したい範囲のことですから基準になります。その写したい範囲はどれだけ離れればいいか、あるいは近づいたらいいかで決まります。つまり撮影距離です。そしてファインダーなりモニターを見るのですがしっくりこないことってありますよね。この場合、心理的距離に異和を感じているのでレンズを変える、焦点距離を変えるより撮影...
「カメラを始める」というのは不思議な言い方ですね。カメラというのは器械ですが、「クルマを始める」とは言いませんよね。同じアートの油絵だと「絵筆や絵の具を始める」とは言いませんが音楽だと「ギターを始める」と言います。そう考えると写真は音楽のほうに近いのかもしれません。ただギターは音楽で使う楽器の一つですがカメラは写真一般をカバーできます。「カメラを手に入れて写真という趣味を始める」というのは冗長なの...
「いい写真」について書かれていることを読むといい人でないと撮れないのかなあと思ったりします。撮る相手の幸せを願ってシャッターを押すなどという写真家さんもいるんですね。そうだとすると「オレ、失格やなあ」と落ち込みます。人間性?・・・写真とは直接には関係ないと思いたいです。自分を語るために撮る写真、家族のことを見てもらうために撮る写真、好きなモノだけを撮る写真・・・個人的にはお子さんの写真の投稿はどう...
「いい写真は誰にでも撮れる」というコピーをよく見かけますよね。でも「いい写真」って何を指しているのでしょうか?「いい人は誰にでもなれる」とよく似た響きがします。でも「いい人」って誰を指しているのでしょうか?私も若いころ、「私さんって、いい人ね」とよく言われました。老いて気づきました。「どうでもいい人」だったんですね。そうなんです。「いい写真」って人それぞれの考え方で決まるのです。だから「いい写真は...
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますがまあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですがネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」とか「毎日を輝かせるためにカメ...
突然、縦位置で撮ってみようと思い立ち、いつもの公園へ出かけました。縦位置は画面の上下の空間が間延びそうでどう画面を整理したものか迷うのです。屋外の撮影だと上のほうの空間には空が、下のほうの空間には地面があるケースが多いですよね。でも、どちらも特に意味はないように感じるのです。画面の整理や印象作り以外に役割を持たせるのが難しい気がしています。あと、左右から挟まれるように感じるという閉所恐怖症みたいな...
写真の投稿だけです。...
写真はカメラマンがほとんど関われないメディアだと思います。自分が作り出したものがほぼ無くても成立するからです。被写体・・・料理など自作のものって限られますよね。カメラやレンズ・・・まず無理です。器用な人が作るとしたらピンホールカメラではないでしょうか。お天気・・・神様、お願い!そうなんです。自分が撮った写真がカッコいいと褒められたたらそれは被写体がカッコいいからなんですね。カメラマンは自分が撮った...
人は複雑すぎることを嫌います。たいていは面倒くさいことは嫌なのです。人は簡単すぎることを嫌います。たいていは物足りないのが嫌なのです。人はややこしい生き物だと思います。写真も簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたがただの簡単を通り越し、超が付くくらいの簡単になりました。簡単が人を追い越してしまったと思います。「お~い!待ってくれ!」たぶん、待ってくれないと思います。落ち着いて考えている暇はありま...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 1
写真ではよく「ストーリーがあって、いいですね」などと言う感想が聞かれます。写真に限らず人はストーリーが大好きです。あらゆることにストーリーを見出します。ドラマ、ゲーム、スポーツ、ゴシップ、アート・・・ストーリーの中に入り込むことで「退屈」という名の存在から逃れることができるのです。...
フェイクというのはニセモノのことですよね。と言うことはホンモノが存在するわけです。そうだとすると写真そのものもフェイクなのかもしれません。被写体=ホンモノとすればです。人物の写った写真を破いても「痛い!」なんて叫ばないです。写真を使ったフェイク画像がニュースになったりしますがそれが問題視されるのは社会にマイナスの影響を与えるからです。でもふつうは写真は思い出であったりするわけですから写真そのものが...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...
私自身も以前はよく言っていたことなのですが今、違和感を感じるようになったことがあります。「下手だけどいい写真を撮れればいいんですよ」という言い方です。特に上手い人、プロの人が言うのは少し違うのではないかなと思うようになったのです。下手であることを悩んでいるのに上手いことで余裕のある人からのアドバイスとしてはふさわしくない気がします。やはり単刀直入に「こうしないと上手くなれませんよ」と教えてあげるほ...
写真を4つに分ける考え方があります。①うまくて良い②うまいけどダメ③へたでダメ④へただけど良い・・・だそうです。なるほどと思うのですが、そんなに単純でもない気もします。うまい、へたを技術的な面では言えても表現的にうまい、へたというのは微妙ですよね。まして、良い、ダメというのはさらに分かりにくいです。良い、ダメはとても主観的なのです。ほとんど好き、嫌いと言い換えてもいいようなことが写真の場合、頻繁に起こ...
写真の世界もずいぶん窮屈になってきたなと思います。写真の世界もずいぶん不自由になってきたなと思います。それはたぶん、昭和カメ爺の感覚であって時代錯誤なのでしょうね。それでも、デジタルになって多様な写真表現が可能になったと思うのですがなんだか一様な写真表現へ向かっている気もするのです。昭和カメ爺のどうでもいい独り言でした。...
行ってきました。誰かに「行ってらっしゃい」と言われた気がしたので。多分、幻聴だと思います。歳は取りたくないですね。写真は撮りたいけれど。...
ネットで見かけたコピーで気になったので書いてみます。「うまくてダメな写真・・・」???えっ?上手いことがなぜダメなの?上手いことは十分、価値があることなのに。そうではなくて「うまいけれどダメな写真・・・」のようです。結局、上手いということと、いい写真は別のモノなのに一つの文章で言うとややこしくなるんですね。上手いの反対語は下手でわかりやすいのですが、いいは良いではありません。良いの反対語は悪いなの...
...
夜、といっても夜の入り口で帰宅したので何とも言えないのですがミナミ、難波もずいぶん変わったなと思いました。昼間の撮影は時々しているのですがその時感じなかった空気みたいなものがありました。暗くなってきて照明の明るさに変わったこととは別に自分はここにいるという感じがしなかったのです。よそ者というのでしょうか、ふさわしくないというのでしょうか。まあ年齢的なことが大きいと思います。それでも、ミナミはミナミ...
写真の撮り方を説明する時に「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」と言われます。何気に聞いていると正論なのですが、最近になって「整理」というのは少し暴力的な意味合いに思えてくるようになりました。「そこ」は「そうである」訳ですから、人間側、つまり写真を撮る側が「そこ」を自分の都合で変えないほうがいいと思うのです。仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」が「...
私としては珍しく夕方から撮影しました。日曜のミナミの街の一部を短時間でしたがブラブラしたのです。得意のブレボケ写真を量産し自分らしさを取り戻した夕暮れ時はとてもロマンチックが止まらなかったのでした。...
カメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カメラマンは自腹を切ってカメラを選んだつもりでも実のところ、カメラに選ばれているのだと思います。正確には試されている気がします。その機能を使いこなせるかということではなくその機能でどんな写真を撮るのだと言われているのです。そのカメラにふさわしいカメラマンになれるかどうか・・・季節の分かれ目ではないでしょうか。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 7
写真に関してですが綺麗と美しいを混同している気がします。「醜」という美しさもあるのですから。不快な美しさもあるのですから。写真は普通に撮れば何もかも綺麗に写すことができます。美しい写真を撮るのは難しいです。そもそも「美」というものが未だよく分かっていないのではないでしょうか。...
日常的にカメラを持ち歩いてその都度撮影するという人たちもいます。割合はよく分からないのですが当たり前になっている人はかなりいると思います。でも私は撮影する予定の時しかカメラを持って出かけません。まあ、ひとそれぞれですね。写真を撮ろうとカメラを持って寄った場所を見て気になったら撮らせてもらう・・・そのスタイル、スタイルという英語は似合わないのですが、そうするのが自分には合っているのです。...
もしかすると世の中は無表情化していっているのかな、などと思うのです。コロナはとりあえず落ち着いたもののインフルエンザとかでマスクの人のほうが今も多いですよね。お母さんやお父さんの顔がマスクに覆われて育った子供は大きくなったら、お母さんやお父さんのどんな表情で思い出すのでしょうか。顔全体で表情ですからマスク顔は表情とは言えない気がします。「マスク美人」という言葉がありますがもし仮に私が写真を撮らせ...
用事で出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。...
変なことを言うようですが変なことが変でない時代になったように感じることがあります。単なる時代錯誤の感覚の部分が大きいと思うのですがそれだけでもない気もするのです。写真は撮るものだと思っていたのですが今は写真は作るものになりました。あったものを撮るのが写真だったのですが写真として作ったものがあったものなのです。変な時代は大変な時代なんですね。...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 3
新鮮な視線を見つけるためにハイアングルやローアングルでも撮ってみましょうと言われます。でもそれは普段は見下ろしたり、見上げたりしないで生活しているので新鮮に感じるだけではないでしょうか。普段の、日常の視線の中で、異質な視線を探るのが写真の面白さだと思います。見慣れているというのはある意味で眠気眼でモノを見ているわけですからハッとさせられる目を持てるかどうかなんですね。ただ、それは撮影後でないと分か...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 2
スナップとは時間的に素早く、つまり瞬間的に撮るのではなく考える時間を極力短くして、つまり自分の想念を瞬殺して撮ること。「あっ!」と思うまではキョロキョロしながらアレコレ考えていても「んっ?」と思ったら構図をどうするかとか、光線状態を読もうとかはあまり考えないで瞬間的に指先に反応さることができるかどうか・・・それがスナップだと思う。構図や光線状態は現場は生きて動いているのだから目をやるのは被写体であ...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 6
かつては写真の上手い人に出会うたびに激しい劣等感に襲われていました。「なんでこの人こんなに上手いんやろ」「オレにはとてもこんなふうには撮れへん」今、歳を取って不感症になったせいでしょうか。ネットで上手い写真ばかり見るようになったせいでしょうか。「この人、上手いな。それで・・・」もう自分を写真の世界で成長させるという気はサラサラなくなりもはやマイペースという言葉すら脱落したカメ爺になりました。「こん...
カメラを始めたらいつも見慣れたものが新鮮に見えてくると言います。気づかずに見過ごしていたものに目をやるようになったと言います。そうでしょうか?新鮮に見えてくるのはフレームに入れて見るからで写真になると気づいたもの以外は逆に見えにくくなるのではないでしょうか。写真を始めたことによる弊害・・・それは「写真になる、つまり絵になる」モノ以外を差別するようになることだと思います。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 11
写真関係のSNSの記事に撮影場所の情報を丁寧に書いている人も多いですよね。私はというとほとんど情報集めもしないでその場所へ撮影に出かけています。写真を撮れればどこでもいいというそこにとってはかなり失礼なカメ爺だと思います。まあ、後でテレビなどで知ることで次回の撮影の時は意識して撮っています。ただ、時遅しということも度々あるのでした。そういうことがないようにこれからは少しは下調べをして出かけようと思う...
呼吸するように撮りたいと言うのはいい写真を撮りたいとかを意識せずにという意味なのですが結局は「呼吸するように」と意識してしまっているんですね。それはとても不自然なことです。いちいち呼吸をする度に意識していたら疲れ果ててしまいます。写真を撮る時に意識するのは被写体のほうです。写真を撮る時にはゴチャゴチャ思わずにシャッターを切ることだと思います。なにしろカメラのほうが人間より偉いのですからカメラマンに...
写真に関してですが、正解があると思うから迷い、優劣があると思うから悩むんですよね。でも、そうではなくてあるのはその人が撮った、そんな写真だけではないでしょうか。写真をコミュニケーションや表現の手段として利用したりせずに呼吸するようにシャッターを押せればいいなあと思っています。...
何事も起こらないのがいいのです。特別なことなどなくてもいいのです。幸せという言葉が不幸せを作っているとしたら。かっこいい写真の撮り方にこだわるのはとてもかっこ悪いのではないでしょうか。ただ目の前の光景をただ撮ればいいのだと思います。ほとんどのことはカメラに任せればいいのですから。でも人はあたり前を特別なように撮りたいんですね。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 10
理屈は食べられないのでお腹の足しにはなりませんよね。でも理屈は退屈の一部を埋めることができるので頭の運動にはなると思っています。なにしろ退屈は死への一直線ルートなのに目に見えないこと自覚症状が希薄なことで本人は気づきにくいのです。アートにして退屈しのぎに人間が発明したのかもしれません。ただ、せめて時間の有効活用を考えた時、アートがふさわしかっただけではないでしょうか。アーティストが野良猫より偉いの...
行ってきました。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 5
理屈っぽいことが好きなんですね。写真もせめて自分の理屈のいくらかでも反映できればいいのですが撮っている写真はかなり乖離しているようです。よく楽しければいいと言われていますが私の場合、楽しいだけではつまらないのです。撮影や発表を楽しむ+理屈を言って写真を面白がる・・・贅沢なカメ爺です。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 4
ベストな1枚・・・確かにそれを目指すのはいいことなのですが写真の場合、その「ベスト」がたくさんある気がするんですよね。...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 9
今さらなのですがカメラ、小さく、軽くなりましたね。写真関係のネットを見ていたら「軽さは正義」と書かれていました。いろんな正義があるのだと思いました。...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 3
ピント、甘いです・・・。あっ、まあ、いいですということで自己完結します。望遠は遠くを見ることですがそうすると足元がおろそかになってけつまずいてコケそうになります。かと言って広角だと近づきすぎて周りが見えなくなりがちですよね。あるいはあれもこれもと目移りします。そう考えると標準が無難なのかなと思えてくるのです。標準は平凡なのですが、その平凡がまた難しいのです。写真をすると人は落ち着かなくなるのでしょ...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいですね。...
写真関係の記事などを見ていると結局は写真というのはカメラと被写体なんだろうなあとしんみりと思えてくるのです。写真を撮る人、それを写真家と呼ぼうと、カメラマンと呼ぼうとはたまたフォトグラファーと呼ぼうと気のせいか影が薄くなってくるように感じます。特に被写体の存在感が半端でない時、それを撮った人は誰でもいいのかなあ~と力がぬけてゆくように思います。「あなた誰?」「そ、その写真を撮ったものです!」「あ、...
行ってきました。...
「簡単」というのは楽なところはいいですよね。これに「誰にでも」「出来る」が付いたら失敗なし、エネルギーの消費ほぼ無しの安心保障の代名詞みたいなものになります。でも写真に限って言えば「簡単」が写真の楽しみ、面白味を減らした気もします。結果が分かりすぎるというのでしょうかドラマを見る前からハッピーエンドが見え見えなのとよく似ているというのは、例えは変ですか?デジカメはその場でハッピーかどうか分かるので...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 2
写真の投稿だけです。...
「いい写真の撮り方」という文章があるとします。そこに写真、つまり作品も載っています。読んでみるとなるほどと思えてくるのですがなぜか引っかかってくるのです。作品が「いい写真」の見本として添えられているのですがたしかに上手い写真ではあるのですが書いた人の「いい写真」の定義がよく分からないのです。私もよく「いい写真」という言葉を使いますが他に思いつかないだけで、じつはまったくと言っていいほど分かっていな...
ストリートスナップが流行っているらしいです。写真界全般に疎いカメ爺なのでよく分からないのですがネットで見るとスナップというよりポートレートなんですね。屋外の街の通りで人物をスナップ風に撮るからストリートスナップのようです。スタジオ撮影はライティングがメチャ難しいですが屋外のスナップだとライティングはどうなっているんだろうと思ったりするのでした。...
○○という機種で写真を撮ることにこだわるのがカメラマン、○○という機種で撮った写真にこだわるのが写真家、同じようで違うと思います。カメラマンは○○という機種が必要ですが写真家は○○という機種と同じように撮れる機種があればそれでもいいからです。カメラにアイデンティティーを強く感じるのがカメラマンカメラにアイデンティティーあまり感じないのが写真家ではないでしょうか。...
通りすがりの○△□2024・公園だもの・暮れ&明け ake1
「人間だもの、○○するのは◎◎だよ」という言い方はよく使われていますよね。仕方がないとか、無理もないとか、全然構わないとかということでその行為を受け入れる場合に使われることが多いと思います。自分が何かミスをして落ち込んでいる時に言われると少し救われた気になってきます。「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でもその言葉に最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分...
時代に逆行する気はないのですが1200万画素のカメラを使ってみました。画像の質というのでしょうか私には見極める目がないのですが十分綺麗に写せるように思えました。花や風景なら高画質が必要、ベストだと思いますが街の風景スナップにはこれくらいでも個人的には全然OKですね。私の興味は3次元の空間である街の光景が2次元の平面画像ではどうなるかなのです。必要以上に美化したりしないほうがいいと思っています。かと言って街...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure1
自分でも意味不明なのですが「年の暮れだから久しぶりに超望遠ででも撮ってみようかな」ということでいつもの公園にいつもと違うカメラで撮影に出かけました。公園に着いて指にイッパイ絆創膏した手でカッコ付けて撮ろうとしたもののズームの望遠側の扱いが上手くできません。「えっ、えっ、ピント合えへん!」と難儀しました。カメラが古い機種(Canon PowerShot SX50HS)やから・・・と自分の操作が下手なのをカメラに責任転嫁し...
寒さもマシだったうえ、快晴だったので人手がすごかったですね。大きな広場が出来ていました。最近にしては撮影カット数は少なかったのですが撮っている写真は相変わらずと言えば相変らず・・・ですね。...
行ってきました。...
明けましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。...
当ブログへご訪問いただき、ありがとうございます。来年もよろしくお願い致します。よいお年をお迎えください。...
撮影に行ってきました。思い切り、露出をミスりました。オーバーな話です。...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 8
「フィルムライク」という言い方がされます。フィルムのようなという意味だと思うのですが粒状性のことなのでしょうか。ネガカラーの軟調な描写のことでしょうか。勉強不足でよく分からないのです。紙の印刷だと何となくでもわかるのですがモニターだとよく分からないのです。今さらながらフィルムのよさって何だったんやろうとかなりピントがずれたこと、思っています。...
ここへいろいろ書いています。フト以前読んでいた写真の本が目に留まります。適当にページをめくり読んでみます。そして気付くのでした。「なぁ~んや、オレの書いていること、この人からのパクリや」と。まるで自分で考えたみたいに書いていたことが恥ずかしいです。でも、明日になったら忘れていると思います。...
写真の投稿だけです。...
写真は「パクリのアート」だと思います。被写体の姿をパクります。他人の撮り方をパクります。そのままではヤバいので少しはアレンジします。上手くゆくと売れるかもしれません。ただボロ儲けは難しそうです。たくさん売る必要があります。それを「パクリ多売」というそうです。あっ、誰も言っていません。今、私が作りました。...
「思いが伝わる写真術」というのがありますが正確には「思いを伝える写真術」ではないでしょうか。「伝わる」 のは相手ですよね。伝わったかどうかは相手次第ですし実際に何が伝わったのかを確認する手段はありません。何しろ思いは目に見えないのですから「思いが伝わる写真術」は非現実的ではないでしょうか。「思いが伝わるかもしれない写真術」なのです。写真を見せるほうは自分の思いを「伝える」ためにいろいろテクニックが...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 7
寒さのせいでしょうか、年末疲れのせいでしょうか、テレビに映る街は、元気がなさそうに見えます。人間が元気そうを装うほど街の疲労困憊がむき出しになってくるようです。気のせいでしょうか。私が人間疲れしているせいでしょうか。...
フィルム写真を体験できてよかったなと思っています。ネットを見ていると費用は掛かるけれどフィルム写真を体験できればしたほうがいいという意見もありますね。いずれフィルム写真がなくなるみたいだからです。でも、個人的には無理して体験する必要はないと思います。私は、アナログ人間なのでフィルム写真のころの考え方に左右されていますがむしろ体験することで、これからのデジタルによる写真表現を考える時にはかえって混乱...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 6
テレビにしろネットにしろ情報のカタマリです。言葉など音も情報ですが視覚からの情報にはかないません。見れば見るほどいろんなことを知った気になります。でもこの視覚、網の目のように情報は駄々洩れではないでしょうか。いっぱい、こぼれ落ちて行っているんですね。でも、本人はしっかりみたつもりでいます。そんなふうにして情報をたくさん食べれば食べるほど未消化の情報によって人間は痩せてゆくような気がします。...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 1
写真はコミュニケーションの手段だとよく言われます。また表現の手段とも言われます。そのコミュニケーションは相手が中心です。相手に正確に伝わらないのではコミュニケーションする意味がありません。アレを写したので見せたのに、相手がアレ?では困ります。 いっぽう表現は自分が中心です。自分の中にないものは外へ、つまり表へ現わせません。アレを写真に託して相手に見てもらいます。自分の中のモノが相手にとっても良き...
布施に用事があったので河内小阪で降りて永和へと向かいながら撮影しました。小阪はちょっと思い出の場所です。でもずいぶん変わりましたね。駅前の本屋さんが無くなっていたのですが吊り看板が残っていました。時間は記憶を裁断して葬り去るためにあるのだと思いました。ノスタルジーという甘美な響きとは裏腹に・・・。...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 5
写真はたくさん撮ればいいというものではないのですがたくさん撮らなければ始まらないところもあります。「写真は質より量」と言われ、私もそう思っていましたが最近はどっちでもいい、どっちでもないと思うようになりました。たくさん撮っても腹いっぱいにならない時もあれば、これでもう十分の時もあります。「腹八分目」といっても個人差がありますよね。健康ばかり気にするのは不健康ではないでしょうか。時には「写真は質より...
最近、「ストリートスナップ」という言葉をよく目にします。でも私が思っているのとだいぶ違うようです。ストリートというより、街なかで人物を撮ったのが「ストリートスナップ」と言っているんですね。個人的には「スナップポートレート」だと思うのですがまあクリスマスも近いし、めちゃ寒いし、どうでもいいような気もします。...
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久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...
写真に「正解」はないと言いいながら写真について「勘違い」していることがあると言う意見がありました。でも「正解」はないのだから「誤解」もないのでは?と思ったのです。あるのは写真ついてのひとりひとりの「解」だけだと思うのです。正解がないところが写真の面白さなのですからひとりひとりの解=撮った写真が違っていいのだと思います。あとは、その「写真」を自分を含めて、人がどう思うかなのですがその「写真」はニッコ...
写真はたくさん撮れば撮るほど撮り足りなく感じるところがあります。たぶん写真という胃袋は容量無制限なのだと思います。それが写真にとって健康にいいのかはよく分かりません。アートは体の健康とは別のところにあるのでしょうか。健康を気にし過ぎるのも不健康な気もしますが。...
カッコつけた言い方になりますが世の中、そもそも何か分かっていないことだらけではないでしょうか。「健康」、「幸せ」など分かったようでよく分からないのですが、何よりも「人間そのもの」について、誰も分かっていないのだと思います。「たぶん、こうだろう」ということでホントは分かっていないのに事を進めるしかないのです。「そういうことにして」進んでゆく世の中が混乱するのは当たり前のように思います。アートや写真に...
撮影日に大阪の桜が満開になりました。今年は「桜はどう撮ったらええんか分からへんし、やめとこ」と思っていたので、梅田のほうに出かけるつもりでした。でも「梅はもう終わりだし」と意味不明のことを言いつつ通い慣れた大阪城公園にやってきたのです。公園は急に人口爆発したように人がいっぱいでした。インバウンドの人たちと言うのでしょうか、禍がやってくる前の光景が戻ってきました。天守閣へのチケット売り場に長蛇の列が...
私も以前はよく言っていたのですが「写真に正解はない」と言うコピーを今も目にします。また「あなたの写真はどれも正解なのです」と言うセリフも同じくよく見ます。どちらかだけを聞くとなるほどそうなのですがそれなら、「写真に正解とい言う言葉、文字はいらない」でもいいのでは?と最近、思うようになりました。2つのコピーを同時に並べると「正解はない」のに「どれも正解です」と言うのは変ですよね?どうやら個人的にも「...
撮影に行ってきました。...
うろ覚えで間違っているかもしれないのですが指先を動かそうと思うごく直前にはすでに指先は動き出しているとネットか何かで読んだことがあります。ふつう脳で、指先が動けと命令し、それが伝わって指先が動くのだと理解していますよね。そのことを読んで思ったのは、優秀な写真家、特にスナップの名手と言われている人たちは決定的瞬間が起こる直前には指先が動いているのかもしれないということでした。タイムラグがあるからです...
とても単純に言うとコミュニケーションとは「伝えたいモノやコト」と「伝わったモノやコト」がイコールになることなんですね。A「アレ頼むわ」B「アレやな、まかしとき」のAさんとBさんの「アレ」が同じだとコミュニケーションが無事成立します。写真もコミュニケーションと表現の両方の面があるのですがとりあえずは別に考えたほうがいいと思っています。コミュニケーションは相手中心、表現は自分中心だと思うからです。もちろん...
スマホのカメラは便利ですが個人的にはカメラ単機のほうが写真を撮っている気がします。スマホは日常意識の延長で構えることが出来ますがデジカメだと、「写真を撮るのだ!」という意識の切り替えが自然に行われるのがいいなあ、と思っています。そうかと言って、切り替えたからと言っていい写真が撮れることとは別なのでスマホカメラでも、いい写真は撮れるのだと思っています。単に、気持ちの問題、気分の問題ですね。...
投稿カットの撮影は、もう2か月以上前になるんですね。感覚的には、もっと前に撮った気がします。写真を撮った直後はまだ撮影時の感覚が残っていて冷静に見れないので、選ぶのは時間を空けたほうがいいという意見もあります。たしかにそうだと思うのですが、私の場合、撮れ立てのほうがいいと思っています。時間が経つほど記録としての価値は増すのですが私の写真に記録としての価値があるとは思えません。それに私の写真は、とて...
35ミリフィルムカメラの1本の撮影カット数はふつう36枚が最大でした。ハーフだとその倍、72枚撮れましたが、画質がかなり落ちるのでふつうはフルサイズで撮ることが多かったです。今、デジタルになって撮影中に気になるのは電池の減り具合のほうで交換するのはフィルムではなく、バッテリーのほうですよね。36カットだと25枚目過ぎたあたりから残りの枚数が気になってきました。34カットくらいでいったん途切れると、フィルムを交...
初めての一眼レフカメラで、最初に撮ったのは近くのアスファルト(?)地面に大きく書かれた「止まれ」の文字でした。それから、テレビドラマの「Gメン’75」が好きでよく見ていました。そして、今、爺面になりました。今はその反動でしょうか、路面は出来るだけ撮らないようになっています。「反じーめん写真家」を目指しています。...
大阪の桜の開花はまだだろうと思ってこの記事タイトルを付けました。そうしたら、開花してしまいました。まあ、新たにタイトルを考えるのもエネルギーを使うのでそのままにすることにします。...
よくカラー写真は色が邪魔をすると言われますが、邪魔をするというより人間の目が先ず色に目が行ってしまうからなんですね。色の印象が写真全体の印象を左右するのです。その点、モノクロ写真は写真そのものに集中できます。先ず線を見ます。直線が多いか曲線が多いか、縦の線が多いか、横の線が多いか、それとも斜めの線が多いか・・・です。その線は面を作ります。そして面は○△□に分けられます。現実には○△□が基になって複雑なカ...
時々、自分は周り、つまり世界をこのように見ているのだけれどここにいる他の人たちはどのように見ているのだろかと気になります。もしかしたら自分は他の人たちとまったく違った世界に住んでいるのかも、などと思ったりするのです。仮に、そこをお互い写真に撮って見せ合ってみたら、よく似たふうにその世界が写っていたとしてもそれでコミュニケーションが成り立つのかどうか、疑問です。写真の世界では「いいね!」とか言って相...
カメラ雑誌の4月号が発売されました。今は、Webマガジンというのでしょうか、ネットで見れるので、とても便利になりましたね。ただ、雑誌はうつむいて見るほうが慣れているので向き合って見るのは少し落ち着かなくて集中しにくいです。スマホは、写真を見るには画面が小さ過ぎます。4月号ですから各誌ともに桜の特集です。桜を愛でる人たちにはピッタリだと思うのですが桜の美しさを分からないカメ爺には、各誌で言っていること...
写真について自分ではいろいろ書いているつもりですがよく考えると、同じことばかりで言葉を変えているだけなんですね。写真について考えていることなんて私の場合、たぶん30個もあるかないかくらいです。つまりひと月後には、また同じようなことを書いているんですね。自分でもよく飽きないなあと思います。でも写真を撮ること自体、同じことの繰り返しだから書くことも同じようなモノでもいいかなとも思っています。それに、大き...
「表現」とか「アート」とかいう言葉は苦手なのですがここでは簡単に考えてみたいと思います。「表現」という文字はどちらも「あらわす」と読みますが「表に現す」とも受け止めれます。その「表・おもて」は、つまり五感のことなんですね。見て、聞いて、嗅いで、味わって、触ってみれるようにすること、それが「表現」だと思うのです。ふつうは、その中の見て、聞いての絵画や音楽などが連想され、それが「アート」に結び付けられ...
デジカメということもあり、1つのシーンをたくさん撮るケースが増えました。一時期はカット数を減らしていたのですが1つのシーンを少しずつフレーミングを変えてたくさん撮ったほうがいいということで1回の撮影での総カット数は倍前後になりました。ただ、帰ってチェックしていると、同じようなカットの連続ですから投稿出来そうなカットはどんどん減って行きます。結局、以前と同じくらいのカット数の投稿になっています。まあ...
「禍」と「渦」というよく似た漢字があります。「禍」は「わざわい」、「渦」は「うず(まき)」といった意味ですよね。「コロナ禍」というのは世の中がウイルスによって見えない「渦」を巻き起こされた「禍」みたいなものでした。いえ、まだ完全に収まったわけではないので終息ではなく収束に向かっているというこということですね。撮影日は先週の土曜日でしたが、ミナミの街は「コロナ禍」前の光景が戻ってきたように見えました...
土曜日のせいもあって人は多かったですね。久しぶりの「街!」という感じでした。...
行ってきました。...
写真を撮るということは世界を断片化することなんですね。もともと人間の目自体、世界全体の一部しか見れませんからますます、ものが見えにくくなってしまう気もします。フレーミングというのは世界を美化することですが逆に言うと世界を自分の思いで変形させていることでもあるのです。写真は世界を整理してスッキリさせるよりよりいっそう混乱の度を強めるために撮られているのでしょうか。...