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  • 清満小学校の土手の桜

    対岸から見る清満小学校毎年ライトアップされる土手を歩くささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_ _)>にほんブログ村にほんブログ村

  • 旧板島橋(木橋)の基礎跡

    板島橋跡4月10日14:26旧暦3月2日宇和島湾の干潮 14:08橋脚の基礎が残っているこのような三本の足あの、川の本流辺りに 基礎が見える対岸(水産高)に行く基礎の跡がたくさんあるこのように並走している小学校に上がる迄、この橋を通っていたが、あまり記憶

  • ささき整体施術院(懲らしめの館)への道

    号外です!まーきみ祭り、第11.5回やります4月21日(日)です。そこで、ご来場くださる皆様へのお願い!!聞きなさい!!以下に重要なご案内があります!!(お約束)多くの方に来ていただけるよう、道案内マップを作ってみました。大変恐れ入りますが、当日少人数の

  • 吟行 2024

    宇和島運転区にある一本の桜の木給水塔が残っているが他の運転区の構造物は、ほとんどなくなった転車台と扇状機関庫の骨組みだけ地方局と山の間の細い道を行く昔、天神小学校があったのも忘れてしまいそうサンヨーショップ電化チェーン天神店看板の下はナショナルここの社長

  • 奥野川

    2008年12月天ヶ瀧に行った時、さらに上流に行った車を停めて歩いた馬頭観音とお地蔵様昭和5年瀧本久吉道は続く集落が見えた山へ行く分かれ道鬼北町父野川方面の山か家と棚田さらに行きます棚田が広がる椎茸の原木かな?硝子山奥へ行くと、この当時は不法投棄に出会い

  • 西垣生今出 3 住吉公園と今出魚港

    住吉公園俳句がある垣生の句碑巡り花木槿家ある限り機の音 子規季語は「花木槿」で秋鍵谷カナがその発案者と言われる伊予絣は長くこの地の代表的産業として経済を支えた。明治28年とある。日清戦争が勝利した年。今出の家と言う家が全て機の音を出している。伊予絣全盛の

  • 西垣生今出 2 住吉神社

    神社に出た楠がデカい今出官公二千年祭記念碑今出中 南組明治三十一年旧三月建立十と一の間が広すぎる様なので、ちがうかもしれない鳥居の外には公園石垣記念大正七年 戊午? 四月中矢という姓が多い社は小さく見える住吉神社明治三十年丁酉九月佳辰建立注連柱立派な常夜

  • まーきみ祭り第11.5案内 その3

    まーきみ祭り11・5回ちびっこ宣伝マン新倉花店いちごのおみせ似顔絵などエンジェルハート人だかりができる人気はるちんは、コーヒーが有名ですがスコーン他、スイーツも定評がありますマーマレードも清水ふとん店何時も人気です歌と珈琲とスイーツと懲らしめ整体貴美子の

  • まーきみ祭り第11.5案内 その2

    流水バンド3回目の出演です。松山を中心に、海外まで名を知られた、有名すぎる人藤本健次いい歌うたいます。流水バンドはアコーディオンとブルースで今度もきっと良い天気流水先生お願いしますさてさて林さとみさんは何回目でしょうおそらく最多出場時折新聞にでっかく紹介

  • まーきみ祭り11.5案内 その1

    まーきみ祭り、11,5回やります。なんと!松山で、もっとも忙しいキッチンカーのひとつ株式会社Let'sかっしゃ焼きの登場です。しかもかっしゃ焼きFamily!2011年以来のお付き合い出し物は全くのヒミツですてかまだ聞いてない💦当日、お楽しみにさてお立合い!座

  • 西垣生今出 1 今出三十三観音

    松山市、西垣生今出地区このあたりが西垣生今出の中心部と思われる明治時代からの「今出酒造」があった今出の三十三観音享保の時代の大飢饉で、地区の600人余りが餓死した。その霊を慰めるため、後年の人が建立したという第9番南門寺薬師如来突き当りに道標あり右 郡中

  • 伊予市の狭い道

    この先の交差点を左折し国道方面へ右方向(南側)で、その反対(北側)灘町のハザードマップこの辺りも標高が低いのかいよプリンスホテル松の枝?左方直進(北)右折(東)西へ引き返す宮岡こうじ店藤田判店おわりささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号

  • 養殖マグロ?

    戎山集会所からなんかでかい物を挙げているマグロっぽいリフトで吊っているささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_ _)>にほんブログ村にほんブログ

  • 琺瑯看板 2024

    飼料系の看板呉飼料 クレマツ印完全飼料完全飼料おまけ放浪かどうか不明古物商

  • 平岡へ 5

    あの辻にお堂があった集落の中央付近享保六年 辛丑 天?三月廿四日 安藤勘三郎?伊予市平岡集会所おわりささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_

  • ささき整体施術院への道 まーきみ。祭り用

    以下に重要なご案内があります!!(お約束)多くの方に来ていただけるよう、道案内マップを作ってみました。大変恐れ入りますが、当日少人数のスタッフは準備に忙しく、道案内駐車スペースその他など、お電話やメッセージでの対応が出来ませんので、これをよくご覧の上自己

  • 平岡へ 4

    柑橘があった他ではあまり見ない過去の名残かなブドウ?キウイ?神社を降りるお城のような石積み墓石多数祠赤いテープはイノシシ除けか協力一心成この石碑はなんだろう昭(和)五九みかんの丘灰と化し惜しみつつ去て いくとせ いちしの里 忘れじ平成六健変りゆく平おかた

  • 平岡へ 3

    神社へ天神宮とある勲八等 桜木文寿?明治廿九年戦歸(帰)?石灯籠壊れているようだ火袋の一部これは力石?それにしては大きすぎるかな何か書いてあるが触るのもはばかられる伊予市合併記念昭和三十三年十一月一日特別功労者桜木寛一郎委員村岡健市桜木文隆景浦登亀岡清市

  • 平岡へ 2

    この道から進みます梅の花が咲いてきたヒラオカ(四国電力)南山崎(NTT)南山崎村(みなみやまさきむら)は、かつて愛媛県伊予郡にあった村。沿革1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により伊予郡大平村・下唐川村、下浮穴郡上唐川村・両沢村、鵜崎村が合併し、伊予郡南

  • 平岡へ 1

    佐礼谷、犬寄の「黄色い丘」に行こうとして紛れ込んだ。狭い道が急に開けて「平岡」と言う集落に来た。伊予市平岡道路竣工記念バス停ありコミュニティーバスだが、かつては伊予鉄バスの停留所であったと推定する。コミュニティーバスだが、かつては伊予鉄バスの停留所であっ

  • 黄色い丘 2024

    黄色い丘に行ってきました出店多数こちらも登り口分かれ道右へ路はまっすぐだと寂しい駐車場もいっぱいもう16時なのにミモザの木も多数梅も尾根に着いたなだらかな道ミモザ土を固めて階段に頂上ドッグランがあるその向こうにも丘があったどうせなら行ってみよう振り返った

  • 白滝の町並 3

    京ひな清酒神南別宮商店太田本舗紅葉饅頭広島の紅葉饅頭とは違うのかなカラー舗装は商店街の印琺瑯看板があった愛媛新聞サンケイ新聞戒川への道おわりささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制

  • 白滝の町並 2

    滝川から上を眺めると神社っぽい上って見よう郵便局の琺瑯看板もう不要になったのか?ドラム缶の蓋になってた妙見宮永平橋を渡ってカラー舗装の商店街に行きます妙見宮方面京ひなの看板が目立つこの奥に料理 旅館いずみや再び振り返るつづくささき整体施術院愛媛県宇和島市

  • 白滝の町並 1

    JR伊予白滝駅お寿司屋の看板白瀧が見える南へ駅前通りは住宅多し「滝」の看板見える家?タクシー白瀧営業所?総二階全面ガラス張りしかも木の桟白瀧保育所橋が見えた公民館の前に頌徳碑初代上田誠一郎翁頌徳碑初代故勲八等上田誠一郎翁明治四十年元滝川村村長就任時の植林事

  • 三馬ゴム・靴・合羽の謎

    軒先テントに●進のゴム・靴・合羽の文字めくれ上がったテントのひとかけらが気になったが、まさか触るわけにはいかないググって見ると弘進三馬ゴム靴、合羽この会社に間違いない。そこでふと思い出した。今は解体されたが、御荘平城の店▢の▢ム🐴🐴🐴靴合羽さらに、昭和2

  • 商業報国店☆

    岩松商業報國店 愛媛縣初めて目にするものだが、なんと戦前のもの。全国の商工会議所は戦時中に、「産業報国」とか「商業報国」と名前を変えさせられた経緯があると、解説しているブログを見つけた。下部の「愛媛縣」が今風に左から書いている。上記のブロ

  • 八多喜の町並 4

    大松農園今はもうないかな?JR八多喜駅昔は松山行くのに、必ずここを通過した記憶あり北方面南方面駅前⑤の地下足袋⑤地下たび 運動靴この琺瑯看板見た事ある上畑地バス停留所靴クリームの技術革命コロライトコロンブスアキレス靴消火栓商業報国店県内でもいくつか見つかっ

  • 八多喜の町並 3

    綿六大きな店だったきた美人の看板清酒 「喜多美人」は八多喜の「後藤酒造合名会社」と記録にある。祇園まつり有名な神社らしい。この神社に因んだお酒の名前もあったな清酒 ぎおん登録商標 第90790号ぎおん大正7年1月24日品名 清酒愛媛県喜多郡栗津村大字八多喜

  • 八多喜の町並 2

    八多喜の町並を行きます鳥居方面これは伊吹?上田姓多し上田久太郎(ひさたろう)栗津村の人、八多喜の庄屋愛媛県の封建社会から民主主義 (愛比売選書 ; 第4)1979年上田久太郎天保8年2月23日に生まれた。家は代々庄屋で15歳の時、庄屋代勤を仰せつけられ、25歳の時、

  • 八多喜の町並 1

    踏切がある八多喜第二踏切県道42号伊予鉄バス八多喜上町停留場踏切の傍らに地蔵ありこれより、八多喜の町に入ります八多喜の発展旅人もし、大洲町から長浜街道を一直線に長浜港に向かって進んだなれば、両町の丁度中間に一寸した町が見える。ちょっと見たばかりでは何でも

  • お好み焼きの菊水 2024 2月

    ささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_ _)>にほんブログ村にほんブログ村

  • きまぐれ市 2024年2月

    きまぐれ市2月23日、報告ですご来場の皆様、ありがとうございました3月は16日(土)よろしくお願いしますささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。

  • 宇和島の今昔12 丸穂

    丸穂北部の地図丸穂の南西部は、宇和島をコの字に囲み、新田町に到る。旧宇和島は東、南、西の三方を来村に圍繞されていたが、大正6年東宝の丸穂が合併されて純然たる農村が市の発展に伴い至大に開けつつある。昔庄屋が住んでいて宇和島藩の駅逓を勤めていた。今の火葬場(

  • 喜作餅と木屋(追手通)昔の宇和島の菓子店

    昔の宇和島の紹介本に必ずと言って良いほど出てくる「喜作餅」追手通という以外は詳しい場所を紹介するものが無かった。まるで今の宇和島で「きさいや広場」か「フジ恵美須町店」を紹介するような扱いである。時を経て、誰も知らなくなった場所と言うのは店舗に限らず意外と

  • 清酒、宇和鶴と赤松酒造場 宇和島鉄道高串駅

    商標登録の本に高串の「宇和鶴」と言う清酒を見つけた調べたら以下の資料が出て来た。以下引用若しそれ一瓢を携えて行かんと欲すれば光満駅の手前、高串駅に於いて宇和鶴の銘を求めるも妙であろう。宇和鶴は赤松兵三郎氏一家に於いてつくらるるもの、然もその宇和鶴は薫香と

  • 緑橋と旧緑僧都役場

    緑僧都村役場は、緑橋の東裾にあった。あの、農協の倉庫辺りと思われる緑僧都村緑僧都は、明治17年に緑村、僧都村に分かれており、明治12年に戸長役場を中緑に於いた。僧都村は長月村と合併していたが、明治18年長月村と分離後、緑村に属し、町村制実施により、明治2

  • 旧僧都小学校 2024 2

    僧都小学校外観僧都小学校体育館闘魂第6回西日本中学生ソフトボール選手権大会出場記念僧都中学校後援会1978年12月1日建立その子らも今はもう還暦かな裏には男女2チーム(監督も別)中学時代、ソフトボールは女子のスポーツと言うイメージがあるが男子もあったのだ

  • 旧僧都小学校 2024 1

    旧僧都小学校の裏口にかかっている橋川のそばにある学校って山間部では普通にある山草橋昭和39年9月架設僧都川山草橋草書になって居る(くさだけに?)僧都川も、上流になるほど細くなる下流に行くほど、支流を従えて大きくゆったりとしてくる人も斯くあれかし県道方面学

  • 緑郵便局付近(愛南町山出)4

    県道方面へ行く新峰田橋郵便局近くの橋が峰田橋だ僧都川しんみねだばし平成8年3月竣工消防倉庫宇和島あたりではあまり見られないが、この辺りではホースを干す塔が普通にある新峰田橋全景さらに行きます途中に小さな橋がある行ってみる向う岸から見えた橋だ平成3年9月完

  • ハピフルマルシェ 2月11日(日)

    2月11日(日)まちの縁側「ミュゼ灘屋」でハピフルマルシェ開催です一日遊べるマルシェですドリンクスイーツランチその他(メニューはその時で変わります)懲らしめ整体ピュアガーデン出店しますどうぞお越しくださいささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話

  • 緑郵便局付近(愛南町山出)3

    くすりは・・・町並を歩く途中こんな道が向うの県道は後年出来たもので、それまではこの橋を渡って向うの山に行ったのだろう昔の地形図が蘇ってくる山へ行く道町指定文化財観音ツバキ阿波蜂須賀の家臣だった川田家24代前の先祖が、守本尊の観音像を、このツバキの元に祀まつ

  • 緑郵便局付近(愛南町山出)2

    山出川なんとなく、旅館風な建物手前角は、たばこ屋にも見えるさらに進む返りますつづく

  • 緑郵便局付近(愛南町山出)1

    県道46号線城辺ー宇和島かつては(今も)へんろ道の1ルート花壇に案内板があった県道を逸れたところに郵便局緑郵便局愛南町、旧城辺町でも一番北にある郵便局郵便局を降りると橋がある。かつてはあっちがメインロードであったことは容易に想像できる立派な石垣案内板では

  • 宇和島の今昔 12 鹽屋新田と融通座

    芝居とキネマ館融通座宇和島の芝居の歴史は古い記録に載る所のものは慶安4年頃の鹽屋新田(現在の槇本本店の横)に芝居が行われたとあるから今(昭和2年頃)から250年前後前。当時は神様と言えば宇和津彦神社があるばかりで、(和霊神社はまだない)毎年九月の祭礼に当

  • 風呂屋横丁の謎

    もう何年も前、セイコウさんと風呂屋横丁ってどこやろ?と話していた。何も資料がなくて(樽屋町付近は判ってたかな?)偶然、セイコウさんがお客さんから聞いたのはかつて、セイコウさんの理容店があった愛宕町だった!灯台下暗し「南予の民俗5」(昭和37年発刊)のあと

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 8 田部の学校跡と神社

    こんなに広いのは学校跡だと思う考は百行の本昭和19年1月久世亀松これが学校の遺跡か?沿革明治7年9月 田部浦学校としてオカザキに開校 18年4月 明治学校と改称 21年1月 田部簡易学校と改称(田部、神崎、二浦の児童通学す) 42年4月 校舎新築落成(カ

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 7 田部

    田部の石仏地四国の石仏と思われる三好佐馬瀬戸町誌によると三好佐馬安政6年、2月3日、正記の長男として田部で生まれた。明治16年25歳に三好家6代目当主として家業である農業及び漁業を継ぐ。農地や区5町歩を所有し、漁業はいわし網、鯛網を有する網主として大勢の

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 6

    狭い道を行く。だんだん狭くなるようだ看板が左 国道に出る道右 小島右が海岸に降りる道であろうしかし、左の道を行くシャッターに絵小島には寄らず、左へ振り返ったところここより田部への道が、狭隘で、このように木が倒れかかったりあまり車も通らないようだったたまに

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 5 志津から小島

    これより古島方面へ橋があった(振り返ったところ)少し引き返す古い電柱あり昭和36年3月なんと、私が生まれた翌年古そうな橋ひらみはし平見橋昭和36年8月平見橋カートを押して歩く人あり農協関係の倉庫か少し先にも橋あり中の川橋なかのかわはし志津の集落暫く明るい

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 4 志津の神社

    湾の向こうに鳥居で、手前にも鳥居青石の石碑?大波〇改修工事記念碑当時の区長昭和22年藤?原七三郎松代栄大正11年と昭和54年「なお境内には鳥居一柱ただし、大正11年旧6月と昭和54年10月の二本の柱で再建されたもの」(瀬戸町誌)志津の町並寄付記念碑神明神

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 3 志津港

    志津ポストのある建物農協関係の建物かバス停の標識あり右 志津港築港が見えたいい天気だ絵になる橋があったアーチ橋浮遊するごみが港に自由に出入りするのは、ある意味不穏な行為なのかもしれないと、いいつつ錆びた碇ゴミがすごいほとんど生活ごみ漁業関係込みも(ウキと

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 2 大江

    小島 志津 大江国道へ出る道へこの正面が国道への道左、町道こちらが町道里道改修の記念碑功労井上善次郎氏昭和8年瀬戸町誌1069ページに詳しく解説されている慶応元年5月28日、父仲蔵、母ツユの二男として元三机村大字大江56戸786番地に生まれる大わらじが吊

  • 三机から田部へ(佐田岬半島) 1

    佐田岬半島ミュージアムから三机湾を望むこの峠を何度くぐっただろうこんなところに石碑があったか藤村儀作の碑明治28年とあるが日清戦争か掘割の旧跡佐渡は霞みけり 松根東洋城朝霧や海を限りし伊予の鼻 正岡子規役所を通ってそのまま県道255号を行きます中尾城跡前

  • 素鵞小学校周辺 2023

    松山市小坂マルナカ辺り北へ行きます昭和の時代の理髪店舗下に降りるこの道路はかさ上げされている川の端の町はみなこのような構造になっており、やがてすこしっづつかさ上げされていくこれだけの高低差がある西へ向かいます落書き石垣とは体育館のような建物が見える壊れた

  • 昭和9年の宇和島の地図と闘牛場、その他

    ブラタモリで、昔は闘牛場が、南予各所の100くらいあったと聞いた昭和9年あたりの地図にも載っていた。下の池は大池昭和50年くらいには埋め立てられたかな?詳細は知らない大池は、知らないけどこの右手の一段高くなった辺りか大池川が右手に流れる和霊小学校から降り

  • きまぐれ市 12月

    令和5年最後のきまぐれ市23日でした和気あいあい珍しいプリン美声とウクレレ私だけのお部屋を作ろうトントンまうさんギターを弾くパンダの絵レーザー加工モデル撮影会ラーメンを食べましたゾウヅ来月は13日(土)です。みなさま良いお年をささき整体施術院愛媛県宇和島

  • 津島の一本杉(2009年12月)

    いつも県道から見える大きな杉の木八幡神社の一本杉だこの辺りは高田 字稲中(いなか)高田って、津島高校やコーナンも含む広大な地区だと、改めて知った。神社にも大きな木がたくさんある。手水舎の屋根についてる彫刻は薔薇?牡丹?八幡宮と書いてある扁額 読み辛い迫力

  • 宇和島の今昔11 丸之内、追手門周辺

    昭和6年の地図より鶴島城山の翠緑を囲んだ丸之内は昔五角形に濠を廻らせて城内はお城を守る人々のみがたむろしていたのである。昭和43年から伊達家が堀の埋立工事を為し土地を一般に貸付けたので現在の町が出来たのである。城の南麓に伊達家の藩祖秀宗、中興の英主村候、

  • 宇和島の今昔10 大工町、龍華前、一宮下、大榎通、樽屋町、鋸町

    昭和6年大工町伊達家の御作事に従事した大工が住んでいた。野川野川の清流に望み、山紫水明、展望の勝地に市営住宅があって頗る住み心地が良い。妙心寺派金剛山の奥に伊達家の廟所がある。龍華前龍華山の前で野川の橋の手前である。一宮下宇和津彦神社の下の町である。大榎

  • 宇和島の今昔9 大石町、賀古町、笹町、大超寺奥、愛宕町、大工町

    昭和6年の地図大石町大石町は直ちに18番地を想像する。18番地は即ち刑務所の一画である。5,60名の囚人が常に恐ろしい句する染みを受けている高い練壁をめぐらせたこの一画は生きながらの地獄である。罪と罰は人間生活の当然受べき約束であるにしても慈悲の神から見

  • 宇和島の今昔8 妙典寺前、神田川原、富澤町、櫻町

    妙典寺前神田川原の中ノ丁上手に通じる新開地である新築家屋が盛んに建ち住宅地として頗る住み心地がよい県立実科女学校がある。神田川原神田川原に沿った片側一帯を本通りとして、その裏通りは川原中の丁と称し戸板により妙典寺前の大通りに通じている今の宇和津彦神社は渓

  • 宇和島の今昔7 御殿町、佐伯町、元結掛、薬研堀

    大正15年御殿町伊達侯爵家の御屋敷があり、県立宇和島中学校がある。(当時)町内の大部分は県立宇和島中学校跡であり、旧藩時代には宇和島藩庁の所在地であった。堀端通りに面した角のホシチエンストア芝商店はこの界隈で最も感じよい店である。市立宇和島病院の西側に当

  • 松山市素鵞地区 6

    左右に路地がある右(北)駐車場があった富久重ホルモンとあった。かなり広い前方に(北)富久重ホルモンさらに行きますこの先は祇園町に至る南イオンの看板が見えるさらに西へ南⑦鵜久森製麺⑧南方面ここより西は祇園町路地道がだんだん狭くなった⑨松本酒店稲田製菓舗長浜

  • 松山市素鵞地区 5

    そのまま西へまっすぐ行くと行き止まり④水路が流れていて鉄板の橋が架かってたこの北の、石手川から流れているのか少し上に田圃⑤以前通ったなフジ立花店周辺 2南へ左方面さらに南広い道を越えて⑥突き当りを右へささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号

  • 松山市素鵞地区 4

    ①松山市中村 「富久重ホルモン」ランチが有名と地元の人に聞いたので行ってみた。自分はあまり食にはこだわりが無いし、並んで迄食べるのは苦手なので、行列が出来る店にはあまり行かない。うどんやも菊屋は人に誘われない限り行った事がない。なのにこの店に足が向いたの

  • 三島神社(長堀)の新しい鳥居と二の鳥居

    三島神社の新しい鳥居完成間近以前より重厚な感じ天皇陛下在位六十年奉祝記念昭和60年1月建立令和6年1月 造替代表責任宮司 越智大介責任役員 中村利明 松井茂 吉見英生 石匠 浜田光産業 浜田光雄造替 株式会社 イフイ沓石には、柱は10センチくらいしか入っ

  • 1987年2月8日の写真(国道56号)

    1987年 岩松宇和島自動車バス停2023年同所1987年 宇和島バスセンター前2023年 同所1987年 宇和島市丸の内、一六付近2023年 同所197年 宇和島駅前交差点(旧ロータリー)2023年 同所1987年 吉田内科前2023年 同所ささき整体

  • 宇和島の今昔6 朝日町周辺

    朝日町以前は泉屋新田と称し、全部田んぼであったのを大正9年工を起こして埋め立てた一番新しい町である。埋立地所3万坪、工費10余万円余を投じている。宇和島の玄関口で将来の発展上少なからず期待されている。本通2丁目の木浦酒舗は将来の発展に着目して、率先開業し

  • 宇和島の今昔5 木浦屋横町

    木浦屋横町木浦屋酒店の角から、須賀通に抜け、多賀神社の前に出る横町である。木浦屋酒舗はこの目標になっている(宇和島大観)木浦屋酒舗の広告があった電話番号176はかなり早いかな?因みに一番前の175は宇和島駅(JR宇和島駅、当時は宇和島鉄道)朝日町とあるが、

  • 3日は「ハピフルマルシェ」

    12月3日(日)はミュゼ灘屋でハピフルマルシェ旧宮内邸懲らしめ整体ピュアガーデン出店です村上霽月の書霽月は西垣生今出(いまづ)の人。古民家風の立派な会場ですコーヒー紅茶お菓子その他癒しに特化したイベントです運が良ければ、お買い得な野菜もあります是非、ミュ

  • 大正15年宇和島市の学校

    県立宇和島中学校(御殿町)学級15職員34名 生徒722名県立宇和島高等女学校(櫻町)学級11職員22名生徒550名県立宇和島実科女学校(妙典寺前)学級4職員10生徒168名市立宇和島商業学校(天満町)学級6職員15名生徒274名市立第一尋常高等小学校(

  • まちの縁側「ミュゼ灘屋」とハピフルマルシェ

    まちの縁側「ミュゼ灘屋」11月11日は、ハピフルマルシェと言うイベントに初参加させていただきましたハピフルマルシェ参加店舗様懲らしめ整体に岡田さんご来店ありがとうございましたkimiko伊能忠敬測量隊宿泊本陣宮内小三郎家主屋普請 元文三年(1738)文化庁 登

  • 三間町宮野下散策 2023 2

    まっすぐ線路まで行きました。これは何かを干すものか?高架下をくぐる泉が森(推定)広い田圃言わずと知れた、旧宇和島鉄道の軌道跡ずっと残ってほしいこのまま東へ水路が昔のままの形で続いている立派な蔵があった県道に出る松崎クリニックが見えるコスモス薬局の赤い看板

  • 三間町宮野下散策 2023 1

    三島神社 三間町宮野下この建物は?鳥居より南へ向かいます泉が森(推定)かつて旅館だったのかな?糀屋東このまま南へ行く左方広場には、かつて恵比寿座と言う映画館があった。三間の映画館前方、右の古い建物は、医院だった。右手にはかつての銭湯ベンチ二基土俵が見える

  • お浜御殿、吉原鼻と灘屋(宇和島の明治大正史)

    お浜御殿城山の西側に行くと無論此処も丸の内であるが、一般に「お浜」と呼ばれ、寥々たる片側町であった。お浜と称せられた所以は天赦園の近くに伊達宗城の隠居所があり、これをお浜御殿と言っていた。お浜の名はそこから生まれたものである。その後このお浜御殿は追手通の

  • まーきみ祭り第十回の回想など

    出店遊筆家華也(旧はんさん)波動書、流水バンド、藤本健次、麗か、はーとのひな、けんちゃんたこ焼き、manmi&あのん、村田蔵六商店、茶舗de la música (チャポデラムジカ)、くもっち彩雲、おやじと子ヤギ、新倉花店、懲らしめ整体、ピュアガーデン第10回のまーきみ祭り

  • まーきみ祭り第十回作品 林さとみ お粘土❤はーとのひな 蛙

    林さとみ 第十回まーきみ祭り出品蛙、干支 二十体殆どが売れたようでしたなので貴重な画像次回は春かなささき整体施術院愛媛県宇和島市坂下津乙18-5電話番号 0895-23-7177施術料金 1時間 4,000円完全予約制ランキング参加中 ポチッと押してね。<(_ _)

  • 胃腸良薬 アイフ (愛腑)その他骨董 まーきみ祭り村田蔵六商店

    古い薬の缶登録商標THE AIFU胃腸良薬アイフ(愛腑)発売元大阪天王寺区清水谷西之町株式会社 順和商会(印)※商品名にはハングルの読み仮名もある裏には【主治効能】急性腸加答兒、慢性腸加答兒、大腸加答兒、慢性下痢、粘液性下痢、神経性下痢、急性胃加答兒、慢性胃加答

  • 下灘(伊予市双海地区)の町並 3

    閏木醤油製造所を後にしてさらに北へ道路の下に造船所が見える突然石碑が三豊網 栗田愛十郎翁記念碑三豊巾着網は大正二年に成立せしも解散し悲境に迫り翁に救済を乞(う)翁快諾孜々(しし)画策激励を加え連中大に発奮しし今日の成功を見る。その功績を謝し以て記念とす。

  • まーきみ祭り 第10回の御案内

    11月23日(木)勤労感謝の日まーきみまつり第10回の御案内をさせていただきます。遊筆家 華也(旧はんさん)波動書流水龍也と仲間たち今回は 藤本健次も参戦そしてえんぴつ絵たこやきけんちゃん伊方からの参戦です。瀬戸町かららしい林さとみさん現在制作中の謎の作

  • 下灘(伊予市双海地区)の町並 2

    ここが下灘のメインストリートだと思う下灘診療所ブラザー編機ブラザーショップ線路の高架に上がる大洲方面上浜踏切松山方面次の坂道を上がる海方面醸造所風な建物踏切から見ると煙突が見える大助踏切と見える海方面酒の箱があるが醤油の醸造であるヤマキ立派な持ち送り重厚

  • 下灘(伊予市双海地区)の町並 1

    下灘コミュニティーセンターから郵便局を望む下灘郵便局下灘はかつて下灘村を形成していたが、昭和の合併で上灘町と合併して双海町となった。昭和30年三月30日の事であった(双海町誌)郵便局の横に石段があり、細道があったずんずん進む右へ路地を行く山側JRの高架が見

  • 人形で表す人形108体漁村の暮らし(双海町)

    11月23日のまーきみ祭り(第10回)に秘密の作品展を企画してくださった、林さとみ先生の作品展があると言うので、下灘公民館(伊予市双海地区)に行ってきました。林さとみ先生の新聞記事下灘コミュニティーセンター公民館まつり双海地区の漁村の暮らしなどについて熱

  • 甍の模様 亀と鯉

    某所で甍の模様に気が付いた何かいる?鯉のようなものがカメラでズームしても中々分からなかった同じ物です偶然買い物から帰られた家人に話を聞いた100年以上前の建物であることは確か直そうとしても無理だと言うお話には大いに頷いたかつてはこのような「稲」の文字の瓦

  • 松山市素鵞地区 3 中村公園ー中村公民館

    公園に来ましたよく見るブランコ中村公園「ふるさと素鵞」に拠れば、この北の中村二丁目に昭和11年「松山第二幼稚園」が設立されたらしい。場所 中村町298番地 公園の東側より南方面を見る8-9より南東へ看板が多数ある建物があった坊っちゃんライス飯野米穀店公民

  • 松山市素鵞地区 2 立花から祇園町ー中村

    立花1丁目前に通った記憶ありこの石碑も見た記憶ありここが立花と祇園の境だ森永アイスクリームさらに東へ振り返ったところ例の古い看板のある建物ここが祇園町と中村の境であるフジ立花店周辺 2この道を行く素鵞神社に来た素鵞神社とその周辺西へ戻りますそのまま西へち

  • 松山市素鵞地区 1 立花橋と橘神社周辺

    イオンから南へ旧国道33号線遠方に立花橋が見える何だろう?道路際にレンガ立花橋現在の立花橋は、昭和3年10月5日落成立花の一家三夫婦が渡り初めをしたと言う記録がある。「立花橋は藩政時代、堯音橋と呼ばれていた。これは創設者「堯音和尚」の名にちなむものである

  • 宇和島市街の今昔(大正末年) 5 堀端通、中ノ町、鎌原通

    堀端通追手通の中ほど井上陶器店の前に突き当り丁字型に直通した街路である。堀端通は以前、片川が堀端であった関係でそのままの地名である。明治43年に堀を埋め立てたもので、埋めた方の片側は丸之内分であるが、やはり堀端通と公称されて、宇和島自動車会社(筆者註・現

  • 高畠亀太郎日記第3巻 九島沖に軍艦

    大正8年(1919)、九島沖に軍艦が来る。(高畠亀太郎日記第3巻)3月19日(水)第二艦隊旗艦、榛名及び比叡、霧島の3戦闘巡洋艦(筆者註・後に戦艦)(各27500トン)入港に就き、観覧の為、本町3丁目の人々と共に、内港より小舟を賃して午前9時出発、港外に

  • 室手海岸 2023

    久々の室手海岸逆光で三ツ畑田島よく見えない向って右から上島中島沖島三ツ畑田島は「ミツハタタジマ」とも「ミツハタンダジマ」とも文献によって異なる。中浦の小字である。横島も薄っすら見える遠くに由良半島も右手に行けばキャンプ場だったのかな?民宿の看板ありシャワ

  • 三間の牛鬼

    三間支所に来てたら何処からか声が聞こえた牛鬼が来た十数人か勢いよく走って行ったこの通りを往復してた前に回ってみるまた下がった後にも前にも自由自在あ!浅井さん後に向かって走るのは、宇和島では見たことない太鼓の音がする浅井さんがあるく西本酒造の横、郵便局の前

  • 宇和島市街の今昔(大正末年) 4 本町、裡町

    本町宇和島の幹線道路であり、一番古い町である。大正15年市区改正を行い、街路を拡張して町を一新したが、元来、本町そのものの名前が、何れの都会も同じに古い町でありながらあまり繁華に人通りのないのが通用性であるかの如く宇和島の本町もまた、一般小売商人にはあま

  • ささき整体施術院(懲らしめの館)への道

    11月23日(木)勤労感謝の日まーきみまつり第10回の御案内をさせていただきます。多くの方に来ていただけるよう、道案内マップを作ってみました。大変恐れ入りますが、当日少人数のスタッフは準備に忙しく、道案内駐車スペースその他など、お電話やメッセージでの対応

  • 宇和島市街の今昔(大正末年) 3 竪新町、横新町、おこわ横町

    竪新町(たつしんまち)袋町の下手の街である。県下一の醤油醸造元堀部本店、中京屋船具店は宇和島の商家の草分けであり、いずれも宇和島屈指の富豪である。久代屋酒店も中々古い老舗としてい知られ宇和島銀行と五十二銀行の支店がある。大学草履の本舗伊勢金、井上洋家具店

  • 佐田岬灯台へ 2023 2

    さらに行く左に海こんな感じ橋らしいものが見えるここより道が分かれるのでなるべく楽そうな、右の道へこちらは帰りにでも(結局行かなかった💦)下道を上の道が見えるやっとたどり着いたか約30分右手に石碑らしいものが後で行ってみる右表記佐田岬灯台大正7年4月1日初

  • 佐田岬灯台へ 2023 1

    ここに来たのは数年ぶり沖には船が通ります国道フェーリーみたいだそういえばさっきはなはなで見たような九州が見える水尻展望台はこのあとにして灯台に向かいます1,8キロ以前行ったのは20代前半の頃しかも大晦日の薄暗くなった時でした若いのと、知らないのとで、つい

  • 丘の上の日曜市 2023年10月

    丘の上の日曜市に行きました。菜月農園ゆったりのんびりした空間にはるちんの歌声が響きましたコーヒーも猫が寝ころんでない・・言った時間が遅かったので、バーバーはゆったりしてたもろたもろたいわれん良いスカートを買ったワンワンオニグルミ猫や犬もゆったりしています

  • 宇和島市街の今昔(大正末年)2 袋町、濱通

    袋町追手に続いた町である。丸重呉服店の角から下手突き当りまでは追手の延長と間違われるほど、密接な関係を持っているがこの付近は通称袋町川岸端と呼んでいる。将来は追手に編入されるのが当然であろう。清水の唐饅と好一対の常盤の唐饅と常盤饅頭は宇和島の名物として名

  • 宇和島市街の今昔(大正末年)1追手通

    宇和島市街の今昔追手通宇和島市の銀座ともいうべき繁華の中心であり、目貫の場所である。土一升、金一升と言えばあまりに大げさだが、全市街の心臓部にあたり地価と家賃の高い町だけに不堅実な店舗は持て余して、自然にふるい落とされ昔から永住の店は数えるほどしかない。

  • 坂下津にあった宇和島町の避病舎跡

    この辺りの山すそを長右衛門谷と呼ぶらしい戎山の一回り上の人は、子供の頃、通学路にあった「長右衛門谷の避病舎」跡を見て知っているらしい。大体、この辺りと言う事だった。宇和島市誌に明治28年九島村坂下津字長右衛門谷に避病舎建設、とある。跡地には戦後しばらくまで

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