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2008/08/21

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  • 旧赤星鉄馬邸(カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会)

    友人の企画した見学会で、訪れることができました。この階段の先は、鉄馬の書斎だったそうです坪庭沓脱石があるのは、かつて和室だったなごり竣工1934年設計アントニン・レーモンド修道女会施設として、お御堂や研修棟などが増築されていますが、オリジナルがよく残っている大邸宅です。アントニン・ノエミ夫人による家具や装飾は、さぞかし赤星家の家族に愛されていたのではないでしょうか。修道会は、2020年3月に閉鎖することになり、2019年8月に「旧赤星邸の緑と建物を武蔵野市公共施設として保存活用を願う会」が設立され会員の方が武蔵野市に敷地と建物を一体なものとして残すよう、活動中です。大変遅くなりましたが、旧赤星邸で講演会&見学会がありますのでお知らせします。「meetむさしの」リンクさせていただきます。与那原恵氏出版記念・特別講...旧赤星鉄馬邸(カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会)

  • いまさらですが Happy new year!

    いつもお訪ねいただき有難うございます。きゃおきゃおの庭は元旦に、12周年を迎えました。これからもどうぞ宜しくお願いします。明けない夜はない。そう思うと、どんなことも乗り越えられそうな気がして。古いものと新しいものが融合して、存続していくことを確かめたくて、旅に出ます。でも、歴史を感じる古い建物もやっぱり素敵。昨年は、いろんなことがあって全てを止めた感じの一年でした。少し落ち着いたので、楽しんで更新できたらなあと思います。いまさらですがHappynewyear!

  • OPEN CITY MARUNOUCHI 東京ステーションホテル

    東京駅に来るたび、入ってみたいと思っていた場所「東京ステーションホテル」を見学しました。ナビゲーターは、ホテルスタッフです。ロビーが集合場所です。クレマチスの花がモチーフ花言葉は、「旅人の喜び」床にもあしらわれています松本清張が泊ったとされる2033号室フロント上部の吹抜け空間中央屋根裏部にあるアトリウム赤煉瓦は、創建時のものインペリアルスイートこの部屋の真下は、貴賓室だそうです。南北ドームに面した宿泊者専用バルコニーガラス越しにドームを眺めました。一番の見どころは、全長330mの客室廊下長い廊下の随所に記録写真が展示してあり、ギャラリーのよう。東京ステーションホテルはもちろん、丸の内の遍歴が学べます。旅へのいざないの扉を開ける東京駅に直結のホテル。素敵です。丸の内のイベントとして、これからも見学ツアーが続くと...OPENCITYMARUNOUCHI東京ステーションホテル

  • OPEN CITY MARUNOUCHI 昭和モダン建築ツアー

    「OPENCITYMARUNOUCHI」というイベントをご存じですか?大手町・丸の内・有楽町エリアを、より身近に感じられるよう普段立ち入ることのできない場所などを巡り、魅力を発見するイベントです。その中の一つ、「丸の内のモダン建築を巡るツアー」に参加しました。ツアーガイドは、三菱地所設計の社員の方。まずは三菱一号館歴史資料室で、資料映像「丸の内の都市空間の軌跡」を観て、丸の内の歴史に触れました。新東京ビルヂング元・レーモンド事務所の杉山雅則さんデザインの横連窓が目を引きます。大理石をスライスして本のように開き、左右対称の模様が美しいエレベーターホール国際ビルヂングモザイクタイルのエレベーターホール知りませんでした。壁の陶板の大きさにもびっくり。新国際ビルヂング今は使われていない「旧会員制クラブ」を見学専有面積は...OPENCITYMARUNOUCHI昭和モダン建築ツアー

  • 旧山口萬吉邸 舘鼻則孝と香りの日本文化

    2017年6月3日に、「オープンハウス所有者と専門家によるセミナー」があり、参加しました。その時は、建物概要の解説と住んでいた頃のオーナーの話、そして見学会がありました。建物内に入れるだけでも舞い上がりましたが、地下を含め、オーナーの解説付きの見学は、とても楽しいものでした。心残りだったのは、敷地内撮影禁止だったこと。TOTO通信2015年春号など頂いた資料に、写真が沢山掲載されていて良い記念の品となりました。その後、改修工事を経て会員制の施設となり、もう入れることもなさそうだと諦めたのでした。2018年9月、ビックニュースが。アート展が3日間開催され、入場無料のうえ、写真撮影可能!行きたい!行きたい!雨にもかかわらず、大勢の人が訪れていました。アートも楽しみましたが、心惹かれるのは他にありました。何度も階段を...旧山口萬吉邸舘鼻則孝と香りの日本文化

  • 長崎 旧出津救助院と大野教会堂

    旧出津救助院を、閉館間際に見学しました。ド・ロ神父が設立した授産施設で、マカロニ、そうめんやパン、製糸・製織など多彩な生産が行われた施設です。シスターが、オルガンを弾いてくれました。マカロニ工場大野教会堂(竣工1893年)山の中腹にある、フランス人ド・ロ神父が建てた教会堂。現在は、使われていないそうです。玄武石の割石を積んで、漆喰仕上げの壁は、ド・ロ壁とよばれている。遠藤周作文学館近くの「道の駅夕陽が丘そとめ」駐車場で、夕日を見ました。日没まではまだ時間がありそうで、諦めて空港へと向かいました。長崎旧出津救助院と大野教会堂

  • 長崎 外海(そとめ)をドライブ

    五島列島を旅したとき、外海から多くのキリシタンが、迫害を逃れ。豊かな暮らしを夢見て移住してきたという話を聞き、心に残っていましたました。そういうわけで、長崎の旅の最後に、レンタカーで、外海をドライブしました。初めに訪れたのは、黒崎教会。信者の方々によって積まれた煉瓦だそうです。板張りリブ・ヴォールト天井の聖堂に、色鮮やかなステンドグラスの光が降りそそいでいました。厳かで美しい、祈りの空間です。五島列島の島々で訪れた教会に、どこか雰囲気が似ています。駐車場から段々畑の脇の道をのぼっていくと、出津教会に着きました。海からの強い風を避けるために、屋根は低く造られたのだそうです。塔の上のマリア像は、外海の地を見守っているかのようです。長崎外海(そとめ)をドライブ

  • 長崎市内あれこれ

    西坂を下り、カトリック中町教会へ。結婚式の予行が始まる前に、見学と写真撮影を許可していただきました。祭壇には、ほほえみの十字架が安置されています。聖堂内には、ステンドグラス(教会HPより)がたくさんあり、大変美しい教会です。どうしても見たかった、臨済宗黄檗派「聖福寺」の瓦塀。瓦だけを使い、イギリス積にした明治の塀。作り手の遊び心が伝わってきます。長崎といえば、めがね橋無事、ハートの石を発見!長崎市内あれこれ

  • 旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲工芸館)

    平屋建て煉瓦造。壁は、白漆喰仕上げ。入り口上部の、放射状に伸びた装飾に心惹かれました。建物は用途を変え、改修工事を経て現在長崎市べっ甲工芸館となっています。べっ甲細工は、あまり興味が無いのでさらっと見学しました。港には、クイーンエリザベスが停泊中でした。所在長崎県長崎市松が枝町4-33竣工1898年設計不詳旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲工芸館)

  • 旧博物館動物公園駅の公開と展示 アナウサギを追いかけて その2

    切符売り場動物の骨格標本3Dプリントレプリカが並んでいます。触っていいと言われても、人骨はちょっと苦手。。標本のイメージの展示台が、なかなか可愛い。糞もリアル奥のガラス扉のところで、行き止まり。扉に下がっているどんぐりのオブジェは、スピーカー。ぐんぐん京成の音楽が流れています。ガラス越しに覗くと、改札口が見えます。思いをしたためて京成パンダ最後に、きっぷを拝見します!とハサミを高く上げました。お別れの時間です。きっぷをチョキンと切って、そして並んで記念撮影。公開記念入場券の内側に、イラストとメッセージがあり、21年と8ヶ月の眠りから目覚めた、旧博物館動物園駅にようこそ。(けっこう)略おはよう。旧博物館動物園駅!と書かれています。この日の案内ウサギは、斎藤優衣さん。とても楽しかったー!(鑑賞ツアーは、すべて定員に...旧博物館動物公園駅の公開と展示アナウサギを追いかけてその2

  • 旧博物館動物公園駅の公開と展示 アナウサギを追いかけて 上野

    とても寒い、雪のちらつく土曜日。扉の模様は、芸大美術学部長でもありUENOYES総合プロデューサーの日比野克彦による上野にある文化施設をモチーフにした、デザインだそうです。科学博物館と動物園、こども図書館と東京文化会館はすぐにわかったけれどあとは、難しい。。土をほって巣をつくる大きなアナウサギがお出向え。触っていいんですって。白眼がちょっと怖いかな。うーん私は、ウサギより天井が気になる。かつては、おしゃれな照明がついていたらしい階段を降りて、振り返るとこんな感じ。京成電鉄の旧博物館動物公園駅のパフォーマーによる、触れる鑑賞ツアー(事前申込:各回10名定員)に参加しました。折りたたみシートを手渡され、階段に腰掛けて「案内ウサギ」さんの声に耳を傾けました。この駅の生まれたエピソードを、壁に映し出された映像を交えて紹...旧博物館動物公園駅の公開と展示アナウサギを追いかけて上野

  • 旧香港上海銀行長崎支店記念館(旧香港上海銀行長崎支店)

    長崎港の松が枝埠頭を望む海岸通りに、堂々とした建物が目をひきます。1931年に銀行としての営業を終え、いろいろと活用されたのち、取り壊しの危機を市民運動の力で乗り越えた建物です。1階は、無料公開スペース。2・3階は長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム(有料)となっています。1階は、銀行で、2階と3階は居住空間だったそうです。3階にバーチャル写真館があり、チャイナドレスに変身して写真を撮りました。訪ねた日は、クイーンエリザベスが寄港。あまりにの客船の大きさに、びっくり。竣工1904年設計下田菊太郎所在長崎県長崎市松が枝町4-27旧香港上海銀行長崎支店記念館(旧香港上海銀行長崎支店)

  • 早稲田大学内藤多仲博士記念館(旧内藤多仲邸)

    公開講座の建築史(木子七郎)の講義の後、見学会がありました。2010年に訪れて以来の、再訪です。軒と庇の二重のラインは、木子七郎と大学同期の、安井武雄の助言と言われています。木目が描かれた、金属の扉TV百年名家で、3段の引き出しは、背面の部屋からも引き出して使えると、押していたけれど、この日は触らず。棚の天板を持ち上げると、椅子になる家具耐震壁を生み出したトランクは、たてもの園に貸出中でした。木子七郎、今井兼次のことを知らなかった初めて訪問したときの印象(装飾に心奪われたこと)は、正しかったのだなあと改めて感じました。優美な模様が、博士の書斎の家具のあちこちに。ツアー形式の定員制見学会などあったら、嬉しいのにね。◇早稲田大学内藤多仲博士記念館設計木子七郎構造設計内藤多仲設計協力今井兼次竣工1926年所在東京都新...早稲田大学内藤多仲博士記念館(旧内藤多仲邸)

  • Happy new year!

    いつもお訪ねいただき有難うございます。きゃおきゃおの庭は本日11周年を迎えました。これからもどうぞ宜しくお願いします。訪ねた順番にUPしようとすると、写真では伝えられないことがたくさんあり、詰まってしまいました。記事を書いては消して。。みていただいた方には、本当に申し訳ありません。こんなきゃおきゃおですが、お付き合いしてくださいね。Happynewyear!

  • 長いお休み

    夏にいろいろあってブログ更新をお休みしていましたが、再開したいと思います。牧水のうたが心をよぎります。何度来ても好きな場所は、やっぱり好き。久々に再訪したら、以前の印象とは全く違うんだなあ。。意味不明な、きゃおきゃおです。記事の作り方は、忘れていなかったようでほっ。長いお休み

  • 日本二十六聖人記念館 長崎

    記念館東側のモザイク壁画。近寄ってみると、色んな素材が使われています。陶器や破砕タイルをコンクリートに埋め込んだ、今井兼次の二十六聖人へ捧げる、壮大な祈りの壁画。右上から天の光がさし、中央に生命の樹が描かれています。二十六聖人記念館の礎石石面に彫られているのは、「イエスの平和」を意味するもの。いつか訪れてみたいと思っていた場所です。竣工1962年設計今井兼次所在長崎県長崎市西坂町7-8日本二十六聖人記念館長崎

  • 日本26聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会

    夜の西坂の丘右手に、不思議な塔が見えました。まるで生き物のよう。両手を高く掲げ、天に昇っていきそうにも見える。この教会を設計した今井兼次は、「天の門」と名付け、天高いところでつながりアーチになっていると語っているようです。二十六聖人の一人であるメキシコ人宣教師フィリッポ・デ・ヘスス(24歳)に捧げられた教会フィリピンから司祭になるためにメキシコに向かう途中、船が座礁して日本で布教活動中に捉えられ殉教。メキシコからの寄付で建てられました。。日曜日のミサ前の時間。外壁の写真を撮っていたら、見学どうぞ、と声をかけられ、聖堂内へ。明治になっても、キリスト教弾圧が続いたことを知ったときの驚きをふと思い出しました。2018年6月から同12月まで、外装工事のため覆われて塔は見えないようです。竣工1962年設計今井兼次所在長崎...日本26聖人記念聖堂聖フィリッポ教会

  • 西坂の丘 西坂公園「二十六聖人記念碑」

    夕食後、気になっていた場所へ。急な坂道をのぼっていくと、左手に公園が。ライトアップされていましたが、人影もなく、静かな夜でした。翌朝、再訪。訪れたのは、2018年3月。長崎空港に着いたときは、肌寒く、桜は蕾でしたが、翌日は暑いくらいの陽気に誘われて、西坂公園の桜は綺麗に咲きだしていました。「二十六聖人記念碑」豊臣秀吉の命令で1597年(慶長2年)に西坂の丘で殉教した26聖人を記念したものです。ブロンズ像部分は1962年に舟越保武が4年をかけて制作したもの。台座は今井兼次が制作。現在は高層ビルが立ち並び、見えませんが、かつては、ここから長崎港を一望するように設置されたのだそうです。手を合わせる殉教者像の中で、聖ペドロ・バプチスタと聖パウロ三木の二人は、手を広げています。西坂の丘西坂公園「二十六聖人記念碑」

  • 旧グラバー邸

    長崎港を一望できる小高い南山手の丘の上に、旧グラバー邸はあります。幕末に建てられた、現存する最古の洋風建築です。建物の周囲をぐるっとベランダがめぐり、リゾート地の別荘風。3月末の訪問なので、お花は春の花壇です。竣工1863年(文久3年)所在長崎市南山手町8-1旧グラバー邸

  • ベルギー王国大使館別荘特別公開 2018年

    小雨の降る土曜日。少し早起きして、ドライブしました。東北自動車道を、北へ。今年、日光中禅寺湖畔のベルギー王国大使館別荘が建てられてから90年を迎え、6月に数日間一般公開されました。1928年(昭和3年)に、大倉財閥の大倉喜七郎男爵からベルギー国王に寄贈された現役の大使館別荘です。着いた時、雨にもかかわらず、すでに長い列ができていて最後尾につくと、公開のちらしを手渡されました。今日は、うるさいにゃー。雨のため、テラスには出られませんでした。公開は、1階の玄関ホールとサロンが2部屋。おもてなしの生花や、レースのドイリー、小物たち。大使ご夫妻のお人柄が伝わってきます。晴れていれば、湖畔の風景も楽しめたでしょうが、生憎の雨で外はけぶっていました。出入りする人の流れにおどろきつつ、見学を終えました。朝、東北道下り線佐野サ...ベルギー王国大使館別荘特別公開2018年

  • 長崎 大浦天主堂

    天主堂入口で拝観料を支払うと、立派な小冊子がもらえます。こころの自由ここにはじまる「大浦天主堂物語」キリスト教の伝来と迫害の歴史。そして大浦天主堂創建の記録などが写真を交えて綴られています。日本二十六聖人に捧げられた天主堂で、創建153年を迎えたそうです。この小冊子を、心静かに聖堂内で読む時間がなかったのが悔やまれます。信徒発見の記念碑1867年フランスから届いたマリア像「日本之聖母」が、訪れるひとを迎えてくれます。長崎大浦天主堂

  • 嬉野温泉 豊玉姫神社で美肌祈願

    豊玉姫様となまず様のお話昔々、岩屋の神様が海の神様で龍宮城の乙姫様の豊玉姫様を、嬉野の池に迎えようと日向の里まで行きました。岩屋の神様と豊玉姫様が嬉野の地に着いたとき、嬉野村の池に一匹の六尺はあるおおきななまずがたいそう汚れて傷ついて苦しんでいました。それを見た心のやさしい豊玉姫様はかわいそうに思って嬉野の川辺からこんこんと湧き出るお湯をそっとかけてあげました。するとなまずは見違えるように白く、きれいな肌になって元気になりました。なまずは大変感謝をして豊玉姫様のお使いになりました。ある時、嬉野でひどい皮膚の病がはやりました。豊玉姫様はどうしたらいいものかと悩みなまずに相談しました。なまずは「お困りなら私が力になりましょう」と言って村の人々に自分の身体をなでさせました。なまずに触れた人たちはたちまち肌が玉のように...嬉野温泉豊玉姫神社で美肌祈願

  • 佐賀 嬉野温泉大正屋 水晶の間

    武雄温泉を足早に見学してから向かったのは、嬉野温泉。吉村順三の手がけた、大正屋に泊まります。光りの射し込むロビーは、とても華やか。本館、東館、離れとある中で、離れの「水晶の間」を予約しました。扉を開けると、リビング・本間(10畳)、次の間(6畳)があります。(広くて、住みたい気分。)本間と次の間の間に化粧コーナーがあり、とても気に入りました。部屋の浴室でも温泉が楽しめます。4枚の大きな障子は、すべて壁の中に収納されます。吉田五十八も、こういうの好きでしたよね。ふすまの模様も、素敵。次の間どこでくつろぐか、悩みつつ、庭を散策。池には亀がいるそうです。苔玉が木漏れ日で光っていて、面白い風景でした。ガラス越しに庭の緑を楽しみながら、緑茶をいただく。柔らかな光に包まれて日常を忘れるのも、いいものです。建物だけではなく、...佐賀嬉野温泉大正屋水晶の間

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