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わたしのブログ https://plaza.rakuten.co.jp/utagoyomi/

演歌の作詞を始めて4年、符曲された作品も130曲を超えました。皆様に歌ってもらうブログです。

最近は作詞だけでなく、短編小説も書いて居ります。 皆さん読んで頂けましたか。 ストーリーはかなりデフォルメして居りますが、 エピソードの殆どは私の実体験に基づくものです。 「歌を作るのも、小説を書くのも、人の心を如何に揺り動かすか 人の真実とは何かを問いかけて、其れを書き伝える事が、 創作作家としての勤め」と、考える今日この頃です。

万屋 太郎
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2007/09/26

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  • しのぶと言う女。其の一

    久し振りの新曲(と言っても昨年秋の作品ですが)を元に、 創作官能小説を書いて見ます。 ♪しのぶと言う女 作詞 万屋 太郎 作曲 叶 幸生 (かなえ ゆきお) 編曲 叶 幸生 歌唱 たかば キヨシ

  • オリジナル歌謡、インデックス。

    タイトルをクリックして頂くと歌が聞けます。 歌謡作品備忘録。其の一 (001)♪精霊流し (002)♪竹 笛 (003)♪氷見は故郷 (004)♪離しはしない (005)♪故郷越後平野(男声バージョン)

  • 八ヶ岳の麓。其の一

    私の一人息子は一浪して今年目出度く志望校へ合格しました。 このお話は昨年受験に失敗しかなり落ち込んでいた息子に元気氏と自身を 取り戻してやる為に言葉通り「身を呈して」今年合格に導いた奮闘記です。 昨

  • 泣いたらいかん。其のニ

    横浜に出て来てから三年が経ち、 妹の胸も膨らみ始めてきた来た10歳の時の話です。 私達兄妹を陰に成り日向に成って、面倒見て呉れてた叔母が、 ご主人の転勤で関西に引っ越す事に成りました。 其の頃に

  • 泣いたらいかん。其の一

    私は昭和18年生まれの、今年65歳に成る男性です。 栃木の山の中で生まれ育ちました。父親は私が生まれる少し前に「赤紙召集」され。 中国戦線に駆りだされ、戦後は生死が判らぬ侭昭和25年に片目喪失、片足切

  • 湯治場の情事。其の一

    私は一年程前から変形性膝関節痛で電気治療などを受けて居りました。 家の中で立ち上がる時や階段の上り下りに痛みがあり、専門医への通院を始め マッサージや近くの健康ランドでの入浴など、色々と試みましたが、

  • 湯の花情話。其の一

    健次は淳子が中学の時に知った初恋の相手だった。 奥手と言うか純と言うか健次は「恋」には疎くて、クラブ活動に夢中で、 まともに話をした事も無いのだが、時々同級生にからかわれて、 黒板に相合傘に二人の名前

  • 旅で知る夫婦の幸せ。其の一

    年が明け、私俊和は今年65歳に成ります。 妻の千尋は明けて55歳です。 私と千尋は従兄妹の間柄でしたが、 千尋が10歳の時、両親が交通事故に合い、 一辺に二親を亡くしてしまったのです。 一人子だった

  • お仲間の作品ですが

    ♪奥湯河原慕情 原作詞 山川 正夫 補作詞 万屋 太郎/叶 幸生 作曲 叶 幸生 (かなえ ゆきお) 編曲 叶 幸生 メロ入りカラオケです。 歌唱用カラオケです。 陽炎ゆれる 坂道に あなたの

  • 幸一、町子の「春夏秋冬」其の一

    「春の事」 私には上に四人の姉が居りまして、長女が十歳年上の町子です、 今年私、幸一は61歳、姉、町子は71歳に成りました。 今から35年も前に「姉と弟」と言う関係から「男と女」と言う関係に 成って

  • 醜女(しこめ)の姉、町子の事。其の一

    私には上に四人の姉が居りまして、長女が十歳年上の町子、 八歳上の和江、五歳上の文子、三歳上の芳江、の四人です。 私は唯一の男の子で、 子供の頃は四人の姉に奪い合うように可愛がられて育ちました。 私(幸

  • (060)はまなす情話(別歌唱)

    ♪はまなす情話 作詞 万屋 太郎 作曲 阿波 昭夫 編曲 Andy A. 歌唱 柳都 アキラ(新潟市在住) 歌が聞けます。 泣いて呉れるな 別れが辛い 越後女の 涙を拭いて 汽車に

  • 「しゃくなげの湯」

    私正芳は今年65歳に成ります。恋人の芳江は52歳に成る×一女性です。 二人は半年前に某サイトの掲示板で知り合いに成ったのです。 名前に「芳」と言う同じ文字を使っている、と言う単純な所から会話が進み メ

  • 時の流れる侭に、其の一

    私伊佐雄は、昭和41年6月に、子供の頃から、 「恋焦がれていた」実母の美代子と「男と女」の関係に成った。 私伊佐雄が23歳、母美代子は51歳であった。 そして昭和42年、私が24歳、母が52歳の時の春

  • 父の遺品の中から、其の一「ちぎり」

    父と母が亡くなってから既に18年と8年が過ぎました。 今年は築40年も経っている我が家を改築する積りで、 この際父母の「遺品」も捨てるものと残して置く物とを 選別しようと古いタンスや“こおり”を整理して

  • 指先の詩(うた)最終章。其の一

    辰雄を迎えて志津子の家はにわかに、 にぎゃかに成った。門に掲げてある表札は、 “相模 辰雄・志津子”と二人の名前に代わり、 敷地内には、爺や夫婦とお兼が住む別棟が並び、 時々遊びに来る、 志津子の両親の

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