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2006/08/13

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  • 見えない未来9

    批判しない。自己憐憫に陥らない。過去をあげつらわない。優劣を取り上げない。日々、自らを省みる必要がある。自分を良くするための「テクニック」ではなく、自分が成長するために。どれほど「強迫性」から脱したとしても、心が濁っていれば何もならない。私自身骨身

  • 見えない未来8

    素晴らしい自分を取り戻したいとか、自分の優秀さを示したいなど、歪んだ目的でいくら自らを省みても、結局は、自分を「良く」見せるテクニックを探すだけだ。本当の意味で、まっすぐな自分。本当の意味でまっすぐな人生。これを求める、心からの内省でない限り、決して

  • 見えない未来7

    18に浪人で上京、大きな環境の激変の中で、私は、再び地の底に押し込められたような人生を歩み、その後、紆余曲折がある中、今に至っている。16から17にかけて、なぜ、あれほどまでに真摯に自分を振り返ることができたのか?その後、すっかり歪んでしまった私は、その

  • 見えない未来6

    さて、このブログも、2020年までは、今から17年前の私の気づき、「仕方ない、このまま生きるしかない」からの気づきを書いてきた。そして一度休止し、2022年からは、結局、人間性そのものを見直さなければ始まらないということで、人格・人間性に関わることを主に書い

  • 見えない未来5

    私の思想は、「いつか良くなる」に表されていた。今はダメでも、いつか良くなる。うまくいかないこと、悩み、苦しみ、それらの中で、必ず、いつかヒントを掴み、答えを掴み、今よりもきっと良くなる。現に、私は「良く」なってきた。だが、決定的に欠けている何かがある

  • 見えない未来4

    私は、とんでもない間違いを犯していたかも知れない。私は、常に夢を追っている。本業ではスタッフをまとめ上げ、事業の行く末を指し示し、皆でプランを練ってより良いものを築いている。副業でも、多くの人の縁に恵まれて、大成功と言っていい状態にある。趣味でも

  • 見えない未来3

    素晴らしい人間になどならなくていい。望まない姿でかまわない。現実に対して最低限の責任を持ち、現実に対応し、現実に対処する。ふわふわした未来を夢見るのではなく、自分が今できることだけをする。今の現実だけに対処する。未来はあくまでも未来。対処できるのは

  • 見えない未来2

    対人恐怖症は治さなければ何も始まらない。対人恐怖症者は皆、そのように、心の奥底から思っている。それ以外の真実、世界、宇宙は存在しないと、心の奥底から信じている。みじんも疑っていない。だが、「治さなければならない」こそが誤りの根源だという世界もある。治

  • 見えない未来

    我々は心を定めなければならない。「対人恐怖症を治す」ではない。対人恐怖症はあってもなくてもどっちでもいい。そうではなく、例えば学生であれば○○大学に進学する、でもいい。でも、できれば○○大学で何をする、どんなことをしたい、までイメージを明確化できれば

  • 集大成3

    我々は、ちょっとしたことですぐ凹む。それが日常過ぎて、自分がへこたれているということにすら気づいていない。何が「へこたれる」のかもわからなくなっている。人生のうまくいかないこと、異性関係、人間関係、仕事関係、経済関係、、、、それら、なんであったとしても

  • 集大成2

    前回は調子いいことを書いたが、私の人生は本当にヒドイものだった。私は発達障害の子どもの支援事業にも手を出しているが、私も、まさに発達障害だった。まわりの人の意図がわからない。コミュニケーションがうまく取れない。だが、その私も、高校の時に気がついた。自分

  • 集大成

    私は、いよいよ人生の集大成に向かい始めたと感じている。本職のほうもますます充実度を高めている。これから10年で、かなり良いものができるだろう。副業は、山あり谷ありだが、基本的には大成功している。非常に順調だったため方向性を見失っていたが、今また新たにスタ

  • 歪み7

    歪みは様々なところに現れる。だが、過去に囚われず、今に固執せず、未来を見据えて今を生きていれば、歪みの多くは徐々に流れていく。そして、やがて、「自分は自分のままでいい」という境地に至る。我々は、「強くあれ」という呪いをかけられて育った。いや、正確に言

  • 歪み6

    先日、私はある書物を読んでいてびっくりしたことがある。私は、息子にも人生があるということを理解していなかったことに気づいた。何を当たり前のことを言っているのかと思われるだろう。だが、私の歪みは、息子の人生は私が作るものと思い込ませていたようだ。何回

  • 歪み5

    私は父親を憎んでいた。我が子には同じ思いをさせまいと、とにかく、我が子を守りたかった。だが、父親が我が子に伝えなければならないのは、「今」の安心、「今」の心地よさ、「今」の安全ではなく、未来を見ること。未来を描くこと。未来を夢見ること。私は、我が子に

  • 歪み4

    対人恐怖症者は案外優秀な人も多い。だが、矛盾するようだが一般の人と比べて決定的に劣っている。対人恐怖症者は、本当にどうしようもない。箸にも棒にもかからなかったりする。果たして、何が劣っているのか。自分より、パッと見全然劣っているように見える人よりも、

  • 歪み3

    その基本は、人への恨みや、過去への恨み・こだわりを捨てること。対人恐怖症であることへの呪いや、今、うまくいっていないことへの嘆きを捨てること。これらは、まさに「歪み」。これらの歪みを後生大事に抱えて一生を棒に振るのか、または、我々は、それらに異常にこ

  • 歪み2

    未来を見る力、未来を信じる力を失えば、まさに根無し草のようなもの。何を頑張っていいのかわからない。どこに向かって進めばいいのかわからない。確信がない。自信がない。ひとたび、未来を見る力を手に入れれば、今どのような環境にいようが関係ない。運の善し悪しも

  • 歪み

    私の人生全体を貫いていた巨大な歪みの正体がようやく見えてきた。そして、私が17才から18才にかけて何に気づいたのか、その後、何が間違っていたのか。ひと言で言えば、未来を見る力ということだが、これは、その力を得た人間以外に説明できない。その力を失った私も、

  • 父との関係7

    自分は必ずしも正しくないという道がある。自分の感覚は絶対に正しいという道もある。我々は、実はそのように生きている。父が間違っている。母が間違っている。あの経験が間違っている。あのできごとが間違っている。。。だが、自分が正しくないという道もある。父

  • 父との関係6

    私は、あの父のことは責めて当然と思って生きてきた。あのような異常な人間が許されるはずがなく、父を知れば、誰もが私の思いを理解するだろう、と。父を批判しない人間は、父の本当の異常性を知らないだけだ、と。だが、責めない道がある。そういう道がある。人を責め

  • 父との関係5

    息子は対人恐怖症ではないが、コミュニケーションに難がある。それは、私が産みだしたものといっていい。そしてその息子を、私は極めて幼い頃から欠陥品と捉えてきた。父や母を責めなくてよいのと同じように、息子も何一つ責める必要はない。私は、幸いなことに息子を現

  • 父との関係4

    親が子に伝えられるのは「親子関係」だけだということを聞いたことがあり、それは理屈抜きで当たっている気がする。私は、息子が本当に幼い頃から、息子を欠陥品と捉えてしまっていた。私もそう捉えられていたのだろう。異常に偉そうに批判され、攻撃されてきた。そして、

  • 父との関係3

    母も相当に変な人間で、保育園に集団登園で他の子たちと登園中、いきなり母に皆の前で引きずり回されたことがある。電車で祖母の家から帰ってくる途中、電車の中ではしゃいでいたが、その時は何も言わず、家に帰ってからやはり引きずり回された。異常に弱く、異常にヒステリ

  • 父との関係2

    このような人間もいる。変わった人間、変なところのある人間。だが、だからといって否定する必要はない。もちろん、私は言葉にできないほどの被害を受けた。特に、中学2年の終わりから高校1,2年頃までは毎日毎日攻撃され続け、ノートに「殺す」と書き殴り続けた。母は

  • 父との関係

    「99%離婚」https://www.amazon.co.jp/99-離婚-モラハラ夫は変わるのか【電子限定カバー版】-LScomic-龍-たまこ-ebook/dp/B0BP6L6XKF/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=19RRLCNJF8AFS&keywords=99%25離婚&qid=1673075255&sprefix=99+離婚%2Caps%2C174&sr=8-1の龍たまこ

  • 絶対他力

    浄土真宗の開祖親鸞は絶対他力を説いた。私も、以前親鸞に触れたことがあるが、あらためて他力を取り上げたい。私が10年以上にもわたりここで書いてきたことは、結局、「そのままで生きる」ことを書いてきたのだが、書いている私自身、まだまだ。しかし、それはさておき

  • 99%離婚

    99%離婚というマンガが出た。私が、以前から時々取り上げてきた、龍たまこさんの新作だ。https://www.amazon.co.jp/99-離婚-モラハラ夫は変わるのか【電子限定カバー版】-LScomic-龍-たまこ-ebook/dp/B0BP6L6XKF/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=19RRLCNJF8AFS&keyword

  • 人のせい3

    とにかくかまって欲しかった。相手にして欲しかった。だから、皆と話を無理矢理あわせようとしたり、いろいろなところに首を突っ込んだりした。だが、いい大人になってからは、皆、露骨な拒否はしないが、自分はまともには扱われていないことは確かだった。軽く見られてい

  • 人のせい2

    子どもの頃から、なぜか相手にされてこなかった。もっとも、私よりもダメな人間は必ずいて、それに比べれば、多少は活発、多少はコミュニケーション能力もあり、特に子どもの頃は自分としてはさほど困っていなかった。中学生になってからは、相手にされない感が徐々に明確

  • 人のせい

    他の人は自分ではない。それがもっともわかりやすいのは、「人のせい」にしているかどうか、だ。あいつがこうだったら良かったのに。あいつがこう言ったからむかついた。あれがあったから、今の自分はこうだ。親のせいでこうなった。妻が部屋をきれいにすればいいのに。

  • 軸3

    結局は、人間性。結局は、態度。その根っこには、決して欠けてはならないものがある。私には、決定的にそれが欠けていた。子どもの頃から、何かが欠けていた。高3の時、そしてその後、何回かそれを手に入れることができたと思えたが、結局掴みきれなかった。その何かは、

  • 軸2

    対人恐怖症だの神経症だの、そんなものなどまったくどうでもいい。そういう「軸」がこの世には存在する。我々は「治る」必要などまったくないが、その軸は手に入れなければならない。軸を手に入れるためには、とにかく真っ当に生きなければならない。そして、多くの人や自

  • 我々には、軸がない。どうやって生きるのかの軸がない。だから、自分がどうであるのか、人からどう見えるか以外に基準がない。私の息子はすでに社会人になっているが、子育てのとき自分でも不思議だったが、私には、息子を異様にかわいがることしかできなかった。だが、直

  • 人のため9

    私は、かつて「治った」時、治った、テンションの高い自分が心地よかったし、人より優れていると感じられたし、これからの未来に胸を躍らせていた。だが、それが崩れた程度で道を失ったとしたら、それは決して病気のせいではない。あくまでも、自分が何もわかっていなかっ

  • 人のため8

    相変わらず、「人のため」という題で書き続けている。人のためじゃない。だが、自分を「治す」ことだけで頭がいっぱいである状態では、「人」が自分の人生にはいってこない。治すことを捨てることができたとき、おのずと、多少なりとも人のことを考えることができている。

  • 人のため7

    私は高校3年だった17才から18才にかけて人生で最初の大きなブレイクスルーを得た。その後上京し、予備校の4人部屋の寮に入って1ヶ月後に、また元のただの神経症者に逆戻りしてしまい、以後、長く苦しむことになった。だが、あらためて今振り返れば、「元に戻った程度のこと

  • 人のため6

    自分だけに目が向いている状態から、人生に目を向ける。それがすべて。自分のうまくいかないことをあげつらうだけの人生から、熱を持って自分の人生を生きる生き方へ。熱を持って、自分の人生を生きる。小さなことの積み重ねが熱を帯びる。これが、おのずと人との

  • 人のため5

    治すことを捨て、良く見られることを捨て、せねばならないこと、人生に帰依する。なぜ、これが「人のため」なのか?我々は、どこまで行っても、自分のことしか考えていない。どこまで行っても、治すことしか考えていない。良くなりたい、とか、自分はもっと良いはず、と

  • 人のため4

    自分がしなければならないことは数限りない。これ以上は無理。やりたいけれどこれが精一杯。この程度が精一杯。。。と思っているだろう。だが、できること、やらねばならないことは数限りない。もっとも、そこに行き着くためには人生の中のタイミングであったり、環境

  • 人のため3

    若い頃、ある女性から自分に優しすぎると言われたことがある。当時はまったく意味がわからなかった。いや、長年にわたり、どうしても意味がわからなかった。今ははっきりわかる。自分のことよりも、今自分が何をしなければならないのか。何ができるのか。何を求められ

  • 人のため2

    自分のするべきことをして、その上で人を重んじる。自分よりも人。自分よりも和。それができるようになるためには、自分のことができていなければならない。小さなことでいい。対人恐怖症など、本当に小さい。だが、そう思えるためには、大きなブレイクスルーを必要

  • 人のため

    何が「人のため」なのか?どうすることが人のためなのか?誰も私の助けなど必要としていない。必要なことは共感。自分は、自分の人生を精一杯生きている。あなたも、あなたの人生を精一杯生きている。そういう共感。そのためには、まずは自分が自分の人生を精一杯生

  • 再び、「良い」へのこだわり3

    自分を良く見せたいということに凝り固まっている。そこに尽きる。幼い頃から、常に父親から攻撃され、小馬鹿にされてきた。人は、発達段階に応じて3つの武器を手にするという。まず、幼少期、世界を認識し始めた時に、最初に手にする武器。私の場合、それは「強がる」

  • 再び、「良い」へのこだわり2

    「良い」にこだわってもいい。だが、それは、あくまでも人の和を強化するものであれば。自分を良く見せたい。自分が褒められたい。自分の優秀さを示したい。それでは、決して人からの共感は得られない。認めてもらえない。自分が頑張ることにより、「人が」元気にな

  • もっとも大事なもの2

    自分のことだけで頭がいっぱい。自分の願望・欲望・願い・・・それらよりも、和が優先する。それが人間。我々は、その「和」を学ばずに大人になってしまった。人との繋がりを学ばずに大人になってしまった。自分の願望も欲望も、すべては和の中にある。願望も欲望も

  • もっとも大事なもの

    友人たちとの交流を通じ、また、ここ数年間自分自身と深く向き合い、もっとも大事なものを思い出した。学生時代に掴み、その後失ってしまったもの。ひと言で言えば、それは「和」人との繋がり。我々は決して1人では生きていけない。先祖がいなかったら存在すらできてい

  • 再び、「良い」へのこだわり

    学生時代の仲間たちと、リゾートでゴルフ三昧で過ごしてきた。その中で、私が社会人生活の中で失ってしまったもの、いや、自分を守るために身につけてしまったものをあらためて思い知らされた。以前も書いたように、私は学生時代に「治った」。その後、社会に出て、再びた

  • 人の気持ち4

    対人恐怖症者は人の気持ちがわからない。その決定的なことは、人を非難するところ、人を否定するところに現れている。いや、対人恐怖症者でなくても、人を批判することしか知らない人はいる。だが、そのような人もまともな人生は決して歩めない。人を非難したり、否定

  • 子育て6

    ふとした時に、幼い頃の息子を思い出す。その都度、当時の自分の感情が蘇る。息子のことを、自分のもの、と思っていた。自分を投影していた。息子を自分と同一視していた。息子は、あくまでも息子。いまだに、息子をどうしても自分と同一視する。それをやめるだけで、

  • 人の気持ち3

    今の私にはそのようなことはないが、今でも、これは人の気持ちを優先できていないと感じる瞬間がある。しかし、それにしても、私は本当に、かなりマシになった。対人恐怖症者もいろいろだが、私や齋藤のような人間は案外多い。以前、鈴木知準診療所に入院していた時も、

  • 人の気持ち2

    人の気持ちを優先。いや、周りを見れば、皆、自分最優先じゃないかと思うかも知れない。だが、皆最低限を守っている。我々は、それがわからないからこそ、対人恐怖症になったとも言える。最低限のルールがわからない。例えば、以前の私は、平気で人を怒鳴りつけていた

  • 子育て5

    「人の気持ち」と「子育て」は同義と言っていい。自分の子育てに何が欠けていたのか、今頃気づいている。もっともっと、大事にしてあげればよかった。もっともっと、可愛がってあげればよかった。もっともっと、息子のやりたいことに興味を持ってあげて、もっともっと

  • 子育て4

    私は、息子に自分を投影していた。親から常に攻撃されていた自分。だから、とにかく息子を守りたかった。だが、それは、息子を守りたかったのではなく、自分を守りたかったということ。息子から見れば、そのように過剰に守られても、現実の周りの人間は自分をそのよう

  • 人の気持ち

    私は、人の心を感じ取ることが本当に得意。何回か書いてきたが、私はクレーマーの対応が本当に得意。いつの間にか、相手と友人になってしまう。相手の心の奥底の迷いや不安を組取り、ともに感じ、ともに歩むことができる。これは、クレーマーだけでなく顧客やスタッフ

  • 子育て3

    息子と自分を同一視していた。息子は、自分と同じ悩みを抱き、同じ迷いの中にいる、と。息子は、私が掴んだものと同じものを掴まなければならない、と。息子からしたら、本当に迷惑でしかない。親が何に迷っているかなど、何の関係もない。親の願い、願望などどうでも

  • 子育て2

    自分の都合ではなく、子どもの都合。そんな、ごくごく当たり前のこと。それがわからない私は、その他、人生のすべてにおいて、ひたすら同じ過ちを繰り返していた。そして、きっと今でも、まだまだ繰り返している。自分の気持ちより、人の気持ち。それがわからない

  • 子育て

    最近、人生を振り返ることが多い。今日も、些細なことをきっかけに、息子が幼かった頃のことを思い出していた。息子は救いだった。息子は希望だった。息子がすべてだった。だが、それは、逆の言い方をすれば、息子を自分の都合で捉えていた。息子には息子の人格があ

  • 没入6

    酒に逃げるのではなく、現状への不満に逃げるのでもなく、過去に逃げるのでもなく、人間関係のせいにするのでもなく、対人恐怖症のせいにするのでもなく、少しでもまともに生きようとしていると、いつしか現実と噛み合い始め、徐々に没入が現れ始める。それは仕事ではない

  • 没入5

    幼児と化し、何もできなくても、ほんのわずかな引っかかりを捕まえて、少しずつ前に進むことはできた。女性から勝手に離れ、絶望していたとしても、少しずつ前に進むことはできた。その結果得られるものは、間違っても「治り」ではない。「過去の素晴らしかった世界」で

  • 没入4

    社会人となり、再びただの神経症者に戻った私は、何をしていいかわからない中、いきなりぽつんと放り出された幼児のようだった。何をどうしていいかわからない。何をどう頑張っていいかわからない。何もできない自分が、ただぽつんと放り出された。社会人になる前の生き生

  • 没入3

    現実に背を向けて、治し、過去の良かった時の自分に戻り、あの時のように充実した日々を生きる。私は、そんなことだけを考えて生きていたのだろう。なぜあの時、元に戻ってしまったのか?早く、本来の自分に戻りたい、と。あらためて書いてみると本当にくだらない。本当に

  • 没入2

    しかし、人はいきなりは没入できない。まずは目を逸らさずに、ゆっくりとできることだけをする。それが、時間と共に徐々に没入を生む。あらためて人生を振り返ると、最も重要な価値観は「没入」だ。没入こそが人生の質を高める。没入だけが人生を先に進める。我々は、

  • 没入

    自分事には、仕事には、どう向き合えばいいのだろうか?私は、私の人生で、何が決定的に欠けていたのだろうか?本当の意味で機能する家族を築くために、何が必要だったのだろうか?今更ながら、それは「没入」だと思う。仕事に没入する。人生に没入する。没

  • 「良い」へのこだわり

    以前も同様のタイトルで書いたかと思うが、やはり、これはとても重要。本当に、良いかどうか、できるかどうか、褒められるかどうか、、、これにあまりにもこだわっていた。というよりも、これにこだわる以外の世界を知らなかった。できるようになる。秀でる。認め

  • 人格の問題4

    強がるのでもなく、卑屈になるのでもない。人は人、自分は自分。極めて当然だが、本当に奥が深い。齋藤など、自分を世界で唯一などといっているが、要は、人から褒められたい、認められたい、それだけで頭がいっぱいだということだ。そして、それは形は違えど、この

  • 人格の問題3

    自分が人からどう思われるかはどうでもいい。それと同じように、他者は他者で、どうでもいい。自分はあくまでも自分の生き方をするのみ。他者はあくまでも他者の人生を歩むのみ。この大前提をあらためて思い返す必要がある。

  • 人格の問題2

    で、人格だが、私自身、本当に人のことを考えることができていなかった。自分の脳の中だけに存在する善悪の基準で他者を評価し、言葉に出す出さないは別にして、責めたり馬鹿にしたり、人として本質的に間違っていた。人は、本来、他者のことはどうでもいいはず。これは、

  • 人格の問題

    対人恐怖症を治そうとしてはならない。これは大前提。これは最も重要なこと。そして同時に、対人恐怖症者にとって、最も難しいこと。なぜならば、対人恐怖症とは「治そうとする病」なのだから。治そうとすることが主症状。表面に現れている、顔がこわばるとか言葉が出な

  • 交流3

    本当に、学生時代の仲間と会っていて、以前と同じようなツッコミをされても、今はなんということなく自分の気持ちを話したり、自分の意見を言っている。若い頃は、何かツッコまれるとそれ以上何も言えなくなっていた。本当に、そんな程度のこともできていなかった。人は皆

  • 交流2

    以前との大きな違いは、自分の言いたいことや好み、希望を普通に相手に伝えられていること。以前は遠慮したり、表明がこわくてできなかった。常に周囲を見回し、場に合った言動が取れているかが怖かったし、そのくせ、突然自分の思い込みをまくし立てたりしていた。そう

  • 交流

    学生時代の友人たちとよく遊びに行くようになった。学生時代は時間はあってもお金がなかったが、今は時間はまずまずで、その上、お金は十分にある。学生時代の友人たちは、本当に眩しかった。まさにスターと言うべき友人とその仲間たちがいて、私もその中にはいりたくて仕

  • 責める5

    素晴らしい世界。人と協力し合うことを積み重ねて、はじめて到達できる。殻を閉ざすか威張るか、以外の世界。それ以外の世界を垣間見ることができたなら、それを推し進めることができれば良かったのに。それは、責められることもなければ、責めることもない世界。人と

  • 責める4

    だが、たどり着ける。責めることのない、責められることのない世界。私の、その世界を18才の時、22才の時、26才の時、29才の時に垣間見た。その、可能性に満ちた素晴らしい世界を垣間見た。だが、残念ながら、私にとっては、責め・責められる、威張り・殻を閉ざすの世

  • 責める3

    責め、責められる威張り、殻を閉ざす残念ながら、それ以外の生き方をしてこなかったようだ。たった、この2行が、残念ながら、私の人生のすべてだった。どうしても、ここを乗り越えることができていなかった。これを乗り越えるためには、人と心を合わせること・

  • 責める2

    「責める」以外の世界を知らない。「責められる」以外の世界を知らない。それ以外の世界との関わり方を知らない。責め・責められる以外では、媚びを売る、甘える、それができなければ恐れ、殻を閉ざすしかできない。その究極が対人恐怖症の症状だ。それ以外にできる

  • 責める

    私には決定的に欠けていたものがあった。そして、それは、私に限らず、おそらくすべての対人恐怖症者が決定的に他者と違うところ。他者を責めるということ。残念ながら、2005年12月に「あきらめて」から、強迫性を脱したとはいっても、人を責める性質を捨てることができ

  • 当たり前の世界3

    逆に言うと、今まで、私はいかに異常であったか。このブログ開設以前の、「治る前」の自分は言うに及ばず、「治った後」も。残念ながら、それは認めるしかない。自分でも薄々気づいていたが、このようなブログを開設している段階で、すでに誤っていた。齋藤と同じく。

  • 当たり前の世界2

    私は、自分は決して素晴らしくないということを知った。特別素晴らしいこともないということを知った。当たり前に人を大事にし、人を信頼する。それだけだ。それだけのことで、人間関係は確実に良好になっている。人生から得られるものは間違いなく大きくなっている。

  • 当たり前の世界

    このブログ、2020年で辞めたものを、なぜまた再開したのか?以前と何が違うのか以前は、私は、きっと、まだ「治った世界」を信じていたのだろう。今の私は、以前より、さらに明確に「治りなど存在しない」ということを理解している。いや、まだ治りへの憧れは私の中に巣

  • 答えの存在

    対人恐怖症者は、常に答えを求めている。そして、たまたまうまくいけば、すぐに天狗になる。大事なことは、人生全体を通じていかに生きたか、ということ。例の齋藤のように、雑用だかなんだか知らないが、たまたまうまくいったからといって、我こそが世界で唯一、我こそ

  • 自分の人生を生きる2

    自分の人生を生きる、とは、例えばビジネスを拡大することであったり、好きな山登りに毎月行くことであったり、外国語に習熟することであったり、ゴルフでシングルを目指すことであったり、野菜作りをすることであったり、起業することであったり、一流の職人を目指すことで

  • 自分の人生を生きる

    結局は、「自分の人生を生きる」に尽きる。間違っても治そうなどとしてはいけない。治そうとすることは、最も自分の人生を生きることから遠い態度。治そうとすることは、自分を別の人間に変えようとする態度。自分を別の人間に変えてはならない。もちろん、他者の

  • 心を合わせる2

    結局重要なのは、心を合わせること。でも、対人恐怖症者は、心を合わせるということを知らないだろう。そもそも、周囲のがさつな人間たちと、どう心を合わせればいいのか。彼・彼女らと心のあわせようがないだろう。ここで一つ重要なことがある。人と心を合わせるため

  • 言葉の端々に

    対人恐怖症者は、言葉の端々に他者を責める匂い、色が付いている。そして、それを自分では自覚していない。だから好かれない。人は、おとなしくても好かれる人はいくらでもいる。明るいから、元気だから好かれるとは限らない。おとなしいから好かれないとも限らない。

  • 人生を通じて2

    前回、「決定的に重要な視点がある」と書いた。そして、それは対人恐怖症の根幹に関わることであり、すなわち、「他者への攻撃性」だ。そんなことはない、自分は気が小さいし、そもそも、他者の痛みには敏感で心根はとても優しい、と思っているかも知れない。それは大き

  • 人生を通じて

    対人恐怖症ではなくなったからといって、願ったとおりの人間になれるわけではない。たいていは、基本的に今まで通りの人間。多少、コミュニケーションの難がなくなった程度。そんなことよりも、以前から何度も書いているが、そもそも「治る」とは、人生を通していかに生き

  • 心を合わせる

    私が高校の時に気づいたのは、人との間に齟齬が生じたら、まず、間違っているのは自分のほうだということ。人間関係で齟齬が生じたら、ほぼ間違いなく、問題があるのは我々の側。我々は、「人に合わせる」ということをあまりにも知らない。自分の脳の中で作った世界の中だ

  • 対人恐怖症ではない世界4

    ちょっと最近書いたことをまとめておこう。結局、対人恐怖症も悩み、迷いの一種。そして、悩み、迷いと言えば、たいていは、その本質は気にしすぎること。「良い」を気にしすぎる。「良い」にこだわりすぎる。そもそも、対人恐怖症ではない世界とは、決して、万能の世

  • 対人恐怖症ではない世界3

    自分の人生をあらためて振り返ると、とにかく、人との出会いを大切にしてこなかった。「治れば」素晴らしい人間関係が待っている「治れば」すべてがうまくいくと、心の奥底から信じていた。だから、今いる人を大事にすることよりも、「治す」ことの方が大事だった。「

  • 対人恐怖症ではない世界2

    対人恐怖症ではない世界は、特に特別な世界じゃない。自分は特別に優秀になるわけではない。すべてが願ったとおりになるわけではない。うまくいかないことはうまくいかないまま。好かれない時は好かれない。学生時代、神経症の苦しみを打ち明けた担当教官から、「人生は

  • 対人恐怖症ではない世界

    対人恐怖症ではない世界では、変なこだわりや囚われがない。だから、自由。だが、だからといってスーパーマンになれたわけじゃない。対人恐怖症の頃に比べて、少し楽になった、少し自由になったくらい。うまくいかないことだらけ。願ったとおりにならないことだらけ。

  • 再び、「対人恐怖症の本態」4

    対人恐怖症が見えるようになった。それを言語化することは極めて困難。強いていえば、「気にしない」「こだわらない」「囚われない」そこに善悪がないから、人を責めることもほぼしない。対人恐怖症者が、年中、人を非難しているのとはまさに真逆。こだわりがないか

  • 再び、「対人恐怖症の本態」3

    「膨大な、取るに足らない、本当に恥さらしなチャレンジの果てに」囚われ、こだわりを捨て去ることが、稀にできることがある。これは、本当に稀だ。2次元の世界から3次元に遷移するに等しい。または、様々な、成人教育プログラムなどを受けると、新たな目が開く可能性はあ

  • 再び、「対人恐怖症の本態」2

    我々は、生まれてから今まで、「優劣」「良し悪し」の世界の中だけで生きてきた。その世界だけで生きているため、その他の世界のことを理解できない。そもそも認識できない。2次元の世界に住むものが3次元を本質的に認識できないことと同様。逆に、回りから見れば、我々が

  • 再び、「対人恐怖症」の本態

    人の成長は、螺旋階段。同じところをただひたすら回っているように見えて、少しずつ高いところに登っている。結局、対人恐怖症の本態とは、「気にしすぎる」に尽きる。優劣を、人の思惑を、善悪をこれらへの過剰な配慮を捨て去れば、対人恐怖症は霧散する。これらの中心は、

  • 「良い」とはなにか?

    私の言う「良い」とは、一言で言えば、物事に優劣をつけようとする心のこと。すべてにおいて、無意識のうちに優劣で判断している。これは、本当に心の奥底にプログラムされているものであり、これを本当の意味で自覚することは極めて難しい。さまざまな体験から、このことに

  • 「良い」へのこだわり4

    「良い」へのこだわりは、ただ、自分を褒めて欲しいという心。幼稚園児のままの心。だから、私も父親になっても、息子とどう接していいのかわからず、息子もどう生きていいのかわからないまま大人になってしまった。だが、私がこうして気づいた分、なにかを残してあげられ

  • 「良い」へのこだわり3

    「良い」へのこだわりとは、例えば、人に褒められたいといことであり、人から好かれたいということであり、人から認められたいということ。ある意味、当たり前のことだけれど、対人恐怖症になるくらいだから、やはり常軌を逸している。子どもの頃から不思議だった。自分

  • 「良い」へのこだわり2

    「良い」へのこだわりを捨てることは、通常はなかなか難しい。逆に、健康な人たちは、そのようなこだわりを持っていない。だからこそ、肩肘張ったり、変に卑屈になったり、変に威張ったり、変に有頂天になったり、変に怖がることなく、「普通」に生活している。我々には

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強迫神経症・対人恐怖症の本態
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