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おっちゃんの四季通信 https://blog.goo.ne.jp/otchan1/

山・花・海のこと、思いつくまま四季を紹介 花、紅葉、アウトドア派のおっちゃん流で四季を紹介

おっちゃん
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大阪府
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愛媛県
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2005/10/05

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  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その15

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその15大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きも最終章です。町歩きもいいなと思いながら・・・・太平寺を見て。。。。大阪のことが自慢できると。。。。また来てみたいと。。。十三まいり太平寺の大きな看板教訓になる言葉が・・・「風邪はひきたくない、でもひいたら周囲に気配りは必要、そう生活の中にも気配りの必要な場面がいっぱいあるよね」と・・・仏教くさくないところが良いですね!!ここからすぐの所にある浄春寺へ・・・ここにも門前の右にある芭蕉の墓と芭蕉反故塚。これらは芭蕉100回忌の寛政5年(1793年)に建てられているそうです。しかし門前にと疑問はありますが・・・左には、麻田剛立(あさだごうりゅう)の墓所と・・・・麻田剛立は天文・医学界に画期的な仕事を残した偉大な学者です。浄春寺は・・・・墓地に入ってすぐ...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその15

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その14

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその14大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き夕陽丘の命名は、伊達宗広が藤原家隆を敬愛し家隆の和歌にちなんだもの。ここには清地蔵(さやじぞう)があります。20歳で亡くなった陸奥宗光の娘・清の等身大の地蔵が鎮座しています。何か寂しさが・・・・・夕陽岡(夕陽丘)の命名の地とその前を通ってしばらく歩くと家隆塚に。。。。階段を上がると鎌倉時代の藤原家隆の墓と伝えられると・・・石碑に刻まれています。これがお墓です。藤原家隆の墓と・・・藤原家隆のことが漢文で・・・よめないな~モルタルでしょうか、外れてきています。お墓の全景藤原家隆の夕陽とともに「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入り日をおがみつるかも」と詠まれた歌が・・・家隆塚を楽しみながら????天王寺7坂と名所旧跡が書かれています。夕陽に映える歴史...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその14

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その13

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその13大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き本柱2本の後方に控柱2本を建てた門のことを一般的に藥医門と呼びます。聖徳太子が愛染堂を創建された当初、この場所が施薬院だったこともあり、薬医門の由来のようです。赤門とした方がいいような気がしますが「縁起の良い赤門を通って、赤門(=東大)を始め志望校への入試を突破しましょう」と境内マップにも書かれています。掲示板に新聞の記事が、文人も愛する夕陽の名所と・・・・愛染堂の多宝塔が夕陽に染まって・・・・愛の小説「愛染かつら」の舞台記事を読み、境内マップを確認し赤門をくぐり、いざ境内へと・・・すぐに入ると左に大力金剛尊が・・・祀られています。スポーツや勝負ごとに霊験あらたかとか金堂、左に慈母観音右が慈父地蔵が・・・・これが哲学の椅子、ザックが置かれ写真を撮る...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその13

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その12

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその12大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き大江神社のある大江は、太古の昔は、この辺まで大阪湾が迫っていて「大江」という地名はその名残とか・・・・・昔は夕日が見事な景勝地だったとか。それを思いながら「百段の階段」を昇るきると長寿になれるとか、ほんとかなと・・・階段を上っていくと・・・広い境内に・・・奥に本殿があります。昔はここから展望をと・・・本殿に参拝し・・・井戸があります。梅の花が・・・きれいに咲いていました。楽しみながら・・・奥へと・・・・奥にタイガース神社と言われるものが・・・「狛虎」です。タイガースファンが奉納したものがあります。狛虎狛犬ならぬ狛虎が珍しいでしょう優勝祈願、タイガースファンの聖地でしょうか。それを思いながらしばしタイガースファンとしてすごいなータイガースファンは本殿...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその12

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その11

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその11大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き柳谷観音の大阪別院泰聖寺と金龍水を見て、右の山手には、星光学園。ここに料亭「浮瀬」跡があります。現在は、星光学園に電話予約をしないと入れませんが・・・与謝蕪村、十返舎一九、シーボルトなどが訪れています。元禄7年(1694年)9月26日に松尾芭蕉が訪れ「此路を行人なしに秋の暮れ」「此秋は何で年よる雲に鳥」で詠み。浮瀬の句会の半月後に南御堂で急死しています。ぜひ訪れたいと・・・すぐに急な坂が・・・この坂の右上に浮き瀬跡が・・・この坂は愛染坂です。この坂を行くと愛染堂があります。まず芭蕉のお墓にと・・・松尾芭蕉のお墓は、滋賀県大津市にある「義仲寺」(ぎちゅうじ)にありますが、ここ大阪でも、芭蕉を慕う門人や後世、芭蕉の顕彰に努めた人達により、墓が建てられて...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその11

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その10

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその10大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き柳谷観音の大阪別院泰聖寺にこの泰聖寺は、宝暦5(1755)年に八代将軍徳川吉宗公の弟紹空哲山惠隆上人によって、眼病平癒のお寺として信仰がある柳谷観音楊谷寺の大阪霊場として創建されたもののようです。創建当時、境内には「金龍水」「銀龍水」と呼ばれる井戸水が湧いていて、眼病に良い水として知られ・・・太平洋戦争で井戸がかれ、金龍水を復活させたようです。お稲荷さんの説明が・・・山城柳谷別院の標石が・・・・眼力稲荷大明神の看板ここがお稲荷さん、金龍大神水と・・・いろいろな看板が・・・・金龍水と・・・これも名水その手前にお稲荷さんが・・・祀られています。金龍清水と・・・この水が金龍水の井戸です。飲めるのでしょうか・・・興味がありますもう一度見て・・・お稲荷さんと...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその10

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その9

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその9大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き大阪の清水寺へと・・・この清水寺は寛永17年(1640年)に京都東山にある清水寺に勧請して建てられたものです。境内に新聞の記事が掲示されています。江戸時代は観光名所と・・・大阪にも清水の舞台が・・・、昔は清水寺と同じ懸造(かけづくり)だったとか・・・清水寺へと・・・・清水寺の由緒が・・・・左に行くと清水の舞台に・・・まず大阪市内で唯一の滝へと・・・「音羽の滝」ならぬ、「玉出の滝」へ・・・ここから・・・水が流れ修業の場と・・・京都と同じですね先ほどの清水の舞台の道へと・・・これが清水の舞台上町台地の高台です。静かに・・・上町台地からの眺めを・・・・1人占め幸せの鐘でしょうか・・・・これが鐘楼堂???次へと・・・新聞記事はプレハブの事務所に掲示されていま...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその9

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その8

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその8大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き真田雪村の戦没地、安居神社ここには、名水があります。久しぶりに名水を見たいと境内にそして名水の案内通称「かんしづめの井」を見て・・・・社務所に進んで行くと、その場所には行けないで脇崖下に1mほどの空井戸とそれを取り巻く玉垣が・・・安居神社は菅原道真が大宰府に左遷される途中に滞在したところで、そのとき患った病気を井戸の水で癒したと伝わります。上から見て・・・・これが「かんしづめ(癇静め)の井」です。上からでは御利益が少ないと・・・ここは上町台地、名水が多いところで知られています。正式には安居の清水とか・・・・真田雪村陣の案内が・・・ここを上がると・・・真田雪村の像が・・・進んで行きます。さだ松によりかかり亡くなったとかこの像は・・・刀も・・・天神さんで...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその8

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その7

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその7大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き大阪は坂がおおく、まず逢坂を下って・・・一心寺から合邦辻閻魔堂(かっぽうがつじえんまどう)へ閻魔さんの名前につられて・・・ここは、東成と西成の境で「合法辻」とも言われています。聖徳太子と物部守屋が争論したとの伝承も・・・・そこに合邦辻閻魔堂があります。歩道橋を上って・・・歩道橋から通天閣が良く見えます。合邦辻閻魔堂を見ながら歩道橋を下って浪花名所合邦辻閻魔堂の石標そして合邦辻閻魔堂には、大きく「えんま大王」と・・・ここは脳の守り本願と・・・王手之碑???聖徳太子の開基と伝えられています。当時の大伽藍は消失して辻堂となり、明治の中頃に今の融通念仏宗西方寺の境内に移されたとか。内部は・・・浄瑠璃「摂州合法辻」の舞台となる「えんま堂」もここのことで、俊徳丸...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその7

  • 大阪(天王寺~夕陽丘) 町歩き その6

    大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその6大阪(天王寺~夕陽丘)町歩き一心寺(いっしんじ)の赤い南門、裏門の感じがしますが・・・一心寺は、天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建っています。浄土宗の寺で、正式名称は坂松山高岳院一心寺。骨仏の寺としてよく知られています。境内に入るとお線香の煙で~境内出開帳と・・・・多くの参拝客が~境内に・・・・現代的な山門が見えます。多宝塔でしょうか・・・案内が・・本田出雲守忠朝の墓酒封じの神と・・・これが本田忠勝の子供の本田出雲守忠朝のお墓です。お墓の周りはいろいろなものが~後ろはしゃもじのようですが・・・・お墓は、立派です。銅像が~台座は・・少女が読んでいる本には東日本大震災と・・・多宝塔???一心寺は、文治元年(1185年)に法然上人が草庵を開いたのが起こりです。歴史があるお寺です...大阪(天王寺~夕陽丘)町歩きその6

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